2010年3月27日-3
フォートリエとタピエスのマティエールの使い方と意義づけ
色彩と形態と絵画という表現体
フォーヴィスムの色彩革命とキュビスムの形態革命は、
「西洋絵画を支えてきた現実再現の論理が明確に破産したことを物語る」(高階 1996: 9頁左欄)。
「具体的には、遠近法や肉付け法や明暗法などの表現技法が、絵画の基本原理ではなくなったということである。」(高階 1996: 9頁左欄)。
実にスッキリとした言明である。現実再現と描写と表現という語を、定義するには、まずそれらの使い方の分析を具体例で理解しつつ行なわなくては。
フォートリエの言:
「デッサンというものは何ものかを再現するという意味ではなく、内的なものを固定させる力のようなものを意味する」(東野芳明訳;山梨 1997: 255頁左欄)。
「物として存在する絵画と直接向き合うようになると、画家にとってもっとも確実な現実感、リアリティーは絵画自体との間で結ばれる。フォートリエの厚いマティエールは、画家の、描くよりも、絵画という現実との確かな連絡を打ち立てる行為の実践の場として現れる。」(山梨 1997: 255-256頁)。
「何かのイメージを描くこととは違う方向から、……絵画を相手にリアリズムを具体的に考えた……画家を思い浮かべると、……アントニ・タピエスやイヴ・クラインがいる。」(山梨 1997: 256頁左欄)。
タピエスは、マティエールに条痕をつけたり、押しつけたり、貼付けたりする。「物の形を描くことをしない。画面が、そして絵そのものが、物質的現実として呈示されるばかりだ。」(山梨 1997: 256頁右欄)。
物質的な存在として確かなものになるところでは、具象と抽象の区分は意味をなさない(山梨 1997: 257頁左欄)というのは、どういうことなのだろう。物質的な存在と見なされる、あるいは見て取るのは、具体的な対象が描かれていないからではないのか? もし、タピエスの絵に人物を指すような線描があれば、その線描は人物を宿すものとなって、たとえば砂地に存在させられた線自体の画肌感は、邪魔されるのではないか? むろん、対象指示性と画肌性は同時に(二重に)受け取れるけれども。
ところで、独立行政法人国立美術館所蔵作品総合目録検索システムで検索したが、タピエスの絵画作品は所蔵していなかった。スペインは遠いなぁ。
T]
高階秀爾.1996.12.〔序論〕イメージの復権.『世界美術大全集27 ダダとシュルレアリスム』: 9-16. 小学館.[ISBN10 4096010278 / 19,417円+税].
[Y]
山梨俊夫.1996.12.1945年以降の動向(1)リアリズムの変容.『世界美術大全集27 ダダとシュルレアリスム』: 245-300. 小学館.[ISBN10 4096010278 / 19,417円+税].
フォートリエとタピエスのマティエールの使い方と意義づけ
色彩と形態と絵画という表現体
フォーヴィスムの色彩革命とキュビスムの形態革命は、
「西洋絵画を支えてきた現実再現の論理が明確に破産したことを物語る」(高階 1996: 9頁左欄)。
「具体的には、遠近法や肉付け法や明暗法などの表現技法が、絵画の基本原理ではなくなったということである。」(高階 1996: 9頁左欄)。
実にスッキリとした言明である。現実再現と描写と表現という語を、定義するには、まずそれらの使い方の分析を具体例で理解しつつ行なわなくては。
フォートリエの言:
「デッサンというものは何ものかを再現するという意味ではなく、内的なものを固定させる力のようなものを意味する」(東野芳明訳;山梨 1997: 255頁左欄)。
「物として存在する絵画と直接向き合うようになると、画家にとってもっとも確実な現実感、リアリティーは絵画自体との間で結ばれる。フォートリエの厚いマティエールは、画家の、描くよりも、絵画という現実との確かな連絡を打ち立てる行為の実践の場として現れる。」(山梨 1997: 255-256頁)。
「何かのイメージを描くこととは違う方向から、……絵画を相手にリアリズムを具体的に考えた……画家を思い浮かべると、……アントニ・タピエスやイヴ・クラインがいる。」(山梨 1997: 256頁左欄)。
タピエスは、マティエールに条痕をつけたり、押しつけたり、貼付けたりする。「物の形を描くことをしない。画面が、そして絵そのものが、物質的現実として呈示されるばかりだ。」(山梨 1997: 256頁右欄)。
物質的な存在として確かなものになるところでは、具象と抽象の区分は意味をなさない(山梨 1997: 257頁左欄)というのは、どういうことなのだろう。物質的な存在と見なされる、あるいは見て取るのは、具体的な対象が描かれていないからではないのか? もし、タピエスの絵に人物を指すような線描があれば、その線描は人物を宿すものとなって、たとえば砂地に存在させられた線自体の画肌感は、邪魔されるのではないか? むろん、対象指示性と画肌性は同時に(二重に)受け取れるけれども。
ところで、独立行政法人国立美術館所蔵作品総合目録検索システムで検索したが、タピエスの絵画作品は所蔵していなかった。スペインは遠いなぁ。
T]
高階秀爾.1996.12.〔序論〕イメージの復権.『世界美術大全集27 ダダとシュルレアリスム』: 9-16. 小学館.[ISBN10 4096010278 / 19,417円+税].
[Y]
山梨俊夫.1996.12.1945年以降の動向(1)リアリズムの変容.『世界美術大全集27 ダダとシュルレアリスム』: 245-300. 小学館.[ISBN10 4096010278 / 19,417円+税].