生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ

2010年03月11日 16時48分44秒 | 生命生物生活哲学
自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ

 瀬戸内寂聴・玄侑宗久.2003.あの世この世.190pp.新潮社.
の114頁に、釈迦がアーナンダに言った言葉として、
  「自らを拠りどころとし、法を拠りどころとせよ、それ以外を拠りどころとしてはいけない」
  「自らを燈明とし、自らを依拠として」
があるらしい。
 <孤独のなかから尽きせぬものをくみ出して、それを拠りどころとしなさい>とか、<自分で考えろ>がその解釈のようだ。
 法とは何? 照応の法則 law of correspondence。上にあるが如く、下にあるが如し As above, as below。

 天上天下唯我独尊? これは、釈迦牟尼(第5代)仏陀ではなく、第1代仏陀の毘婆尸仏が誕生した際に言ったらしい(ウィキペディアによる)。
 天上は法の世界であり、天下は法のもとに縁起によって現象する世界であるというのか?

イデア派と物質派の考え方

2010年03月11日 16時21分50秒 | 美術/絵画
イデア派と物質派の考え方

 中ザワ(2008: 165頁)は、フィレンツェ派の画家(例はダ・ヴィンチ)はイデア派で、ヴェネツィアの画家は物質派であるとしている。そして、この二つを対比した議論が興味深い。

 「絵画とは素描に宿るイデアを本番で物質化したものであると考えられたため、画題や構図を練りイデアを創作する素描による下準備は、確かに重要だった。」(166頁)。イデアが素描に宿るという言い方が、理解できない。イデアはどこかの世界に実在しているもので、発見するか感知するものではないのか? それになんらかの解釈(=具体化、=物質化)を加えたもの、またはその本質的なものを表現したものが、素描なのでは? 原初イデアを模倣したものならば、二次イデアとして区別するのがよいだろう。「宿る」とは、いったい何か?

 「素描の完成は、イデアの完成でもある。」(166頁)とあるが、素描という物質的側面をもっているもの(心的像としての素描であっても、心的支持物に描いている)は、すでにイデアにはなり得ず、イデアの模倣ではないのか? 表現ということの問題。
  「物質にとっては本番が制作だが、イデアにとっては本番は模倣だ。いくら技巧が達者でも、イデアは模倣により原理的に減衰する。……原理的に近似にすぎなくなる……。」(166頁)。
  「これがもしヴェネツィア派の画家だったなら、絵画はほとんど最初から本番なため〔→であるため、または、→本番なので〕、受肉と呼ばれて謳歌されただろう。」(166頁)。
 模倣ってなに? 或る画像(個物)を別の画像(個物)に写像することのうち、変換先の像が変換元の像に似ていること? 類似性についての問題は、醜いアヒルの子の定理が関わる(小野山 1995「類似性と「みにくいアヒルの子の定理」」を見よ)。
 画家が想像した或る画像が、この世に無く美しいとしよう。それは物質性をまとえば美しさが減退するのは必然である。少しでも近づくように、素材や描き方を工夫するというのは一つの選択であり、おそらく画家は自分が心に描いた像に「取り憑かれて」この物質界にもたらそうと努力するかもしれない。
 しかし、物質の美しさ(あるいは醜さ)から出発して『美』または作品を創造するというのも、一つの選択としてある。

[N]
中ザワヒデキ.2008.12.芸術の方法と方法の芸術.篠原資明ほか『芸術/創造性の哲学』: 155-178.岩波書店.[ISBN 9784000112673 / 3,200円+税].

作品分析方法

2010年03月11日 15時14分27秒 | 美術/絵画
作品分析方法

 論理展開や計算は、類についてのものである。
  個物aは、個物bになった。(個物についての観測。ただし同一性に注意)
 これは次のように類タクソンを使って解釈される。
  類Aに属する個物aは、なんらかの原因(エネルギーなど)によって、類Bに属する個物bになった。
 ここでは、同定は正しいと前提する。原因についてはアリストテレスの四要因があり、重宝である。しかし、静的な分類であって、メカニズム的にこうなるという実在的な話ではない(だろう)。メカニズムを同定したり伝達のために表現するための表象として、Bechtel (2003)にならって、線図diagramをさしあたって用いることにする。

 『美術』作品または『芸術』作品の分析には、だれのどのような意図と目的と動機か、製作方法(意匠、素材、それらの条件と手順、など)を同定し、一定の鑑賞条件においてどのような効果となるか、鑑賞主体の性質を同定しつつ測定することがまず調査すべきである。

 先日、国立国際美術館においてあったなにかのチラシに「展観」という言葉が使われていた。デジタル大辞泉では、「作品や品物などを並べて広く一般に見せること。展覧。」とある。類語辞典での使い方では、展観は「新製品を展観するはさけるが無難で、「展観会場」は不適当とある。「国宝の展観がある」の用例があるような古い言い方を、exhibitionの訳語として目新しく使っているのか?

翻訳可能性

2010年03月11日 01時01分26秒 | 生命生物生活哲学
翻訳可能性

 Bunge哲学辞典にtranslationという項目はあるが、論評的文章で、定義はなかった。
 translatability の項目には、「翻訳可能性は、日常的言語表現expressionの認知的有意味性についての一つの試験〔経験に照らして試すこと。testテスト〕である。」とexpressionという語が使われている。うーむ、やはりrepresentationは表象とすべきだったかな。

representation 表象、表現/Bunge哲学辞典

2010年03月11日 00時41分35秒 | 生命生物生活哲学
representation 表象、表現/Bunge哲学辞典

 Mahner & Bunge 『生物哲学の基礎』では、通常は表象と訳されるrepresentationを表現とした。一つは表象とは何かがわからなかったこと、しかし表現ならばわかること、この本では表現という訳語で整合的であること、といった理由からである。ただし、表現はexpressionに当てられることが多いという問題がある。てなわけで、直前まで多いに迷った。
 さて、表象はドイツ語ではVorstellungであり、前に立つことである。英語のrepresentationは再度現前させることである。もとの意味合いは、大きく異なる。ついでに言えば、substanceは下に立つものであり、understandと同様の意味なのか。
 そこで、体系として整合性が高く、また問題解明の実際の役立つと思う、マリオ・ブーンゲの哲学辞典からrepresentationの定義を見てみよう。

 representation の定義は、1999年版では、
  「一つの(物質的または観念的)対象の、一つの概念的、視覚的、聴覚的、または人工的翻訳 translation。」
である。となると、translationとは何かがわからなければならない。
 2003年の増補版(p.251)では、上記の定義は意味論でのもので、さらに二つ(実質的には一つ)が加えられている。
  「a 日常的知識 多義的用語.b 認知科学 『外的対象の視覚的特徴の表象』におけるような、知覚。c 意味論 一つの(物質的または観念的)対象の、一つの概念的、視覚的、聴覚的、または人工的翻訳 translation。」

 この辞典の良いところは、定義に次に例とか用法が掲載してあって、具体的な理解ができるという点である。
  「例:関数は、定義域を共定義域へと表象する;ヴェン図Venn diagramは、集合を(主として隠喩的に)表象する;束〔そく〕は、樹木によって表象可能である;『扉は開いている』という事実的単称命題は、事実を表象する;法則言明は、安定した客観的パターンを表象する;建築の青写真は、実際のまたは可能な建造物を表象する;回路図circuit diagramは実際のまたは可能な電気的回路を表象する;地図は、惑星の諸部分を表象する;コンピュータ・シミュレーションは、実在する諸物、またはそれらの数学的モデルを表象する。観念論者には、表象という概念は無用である。さらに、彼らのうちには(とりわけ構築主義者なのだが)、地図を領土とごちゃまぜにする者がいる。これは、まさに表象という概念が標準的な意味論的理論に無いという理由である。そしてまた、これらの諸理論が科学的および科学技術的言説を分析するのに役立たない理由でもある。素朴実在論者(例えば弁証法的唯物論者と初期ヴィトゲンシュタイン)は、真の表象は事実を『鏡映し』、それゆえ独自なのだと信じる。↑知識の反映理論。」
 
 次からが美術や科学的営為と関わる箇所である。
  「これは芸術的表象について本当ではない。写真、絵画、あるいは彫刻のことを考えてもらいたい。なおさらそれは、科学的表象と科学技術的表象について成立しない。これらは記号的symbolicであって、模倣的mimeticまたは図像的iconicではなく、とりわけ視覚的想像力に訴えるものpictorialではない。
  そういうわけで、どんな所与の事実またはパターンも、様々なやり方で表象され得る。例えばプロセスは、ブロック矢線図block-and-arrow diagram、有限差分方程式、微分方程式、あるいは積分方程式によって表象されるかもしれない。そのうえ、一定の電気回路の線図diagramといった、いくつかの表象は、視覚的には異なっているが、物理学的には等価である。」

[B]
Bunge, M. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books. [ISBN 9781573922579/ 円].
Bunge, M. 2003. Philosophical Dictionary. Enlarged edition. 315pp. Prometheus Books. [ISBN 9781591020370 / 2,786円].