生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

地と図、背景と物体(個物)、物感

2010年03月09日 14時19分19秒 | 美術/絵画
地と図、背景と物体(個物)、物感

 岡野(2009)の物感とは何のことを言っているのか、まだわからない。
 「そこに、何かが(物または対象として検知できる)存在していますよ」という存在感を指すのか、あるいは「固体的、ゆえに明瞭に個体的」に塊として存在していると感じられる物体感を指すのか、あるいは主に画肌から感じられる、たとえばざらざらしているといった物質感を指しているのか、これらの2つないし3つを複合的に言っているのか? むろん、少しずつ含まれた総合的なことを言っているのだろうが、多義的で確定できない。たとえば存的が1/4、塊感(気体感でもよい)が1/4、絵画表面の凹凸による物質感が1/4、色彩と形による物質(の種類)感が1/4、とか。

 地と図として受け取るのはどういう場合か。
 支持体として和紙を用いた場合、何も描いていないところも空気(はそれとは眼に見えない)があるとして受け取ることが可能である。水彩画で、彩色しないところはもっとも明度の高い白に見えるから、たとえば丸く塗り残せば、雪片として見えるだろう。地と図は相対的である。いずれにしろ、われわれは外界を見るとき、物体同定を常日頃としているから、画面に対してもそのようにする。(むろん、額縁のなかにはなんらかの物が描かれているというように取るのは、ほとんど社会的または制度的規約である。)

地と図

2010年03月09日 12時45分17秒 | 美術/絵画
地と図、形式と形状、の定義

 地と図。図を線的に描かないこと。
 透視遠近法(立体的見え)、空気遠近法(前後という奥行き)、→画面の層。
 たとえば長方形とかの形態がわかる色面(つまり個体として認知される)を重ねて配置すると、二つの色面(むろん、たとえば樹木だと同定されてもよい)に前後関係が生じる(と認識される)。

 輪郭線と内部塗り。輪郭無しの形。モンドリアン1917年の「色面3のコンポジション no.3」は、三種類の色の輪郭線無しの長方形または正方形と、背景の灰色面。輪郭は背景との色の差異で識別できる。墨絵や膠絵での没骨法。→さらに、輪郭をぼかす。色の漸次的移行、または輪郭をけばだたせたりして有機的?な感触を与える(例:ロスコの絵)。

 そもそも、地と図の定義はなにか。
  「空すなわち背景の部分を「地」といい、山すなわち、くっきりと形をもったものを「図」といいます。……しかし、この二つ〔地と図〕の関係がきわめてあいまいな〔→不明瞭 →識別可能度〕場合は、最初はいったい何をみているのかわからなくなってしまうのです(このように、あるものがあって、その形を背景つまり地とのかかわりでみるときは、特別に「形象」というよび方をします。英語でいうfigureです。これに対して、そのものを円筒や立方体などの幾何学的な形に合わせてみようとするときは「形式」formといい、表面の凹凸とか実際の形に注目するときには「形状」shapeといういい方をします)。」(本江 2002: 31頁)。

モンドリアンの造形思考

2010年03月09日 10時03分45秒 | 美術/絵画
モンドリアンの造形思考(造形志向)

瀧口修造 1954の解説文
 「モンドリアン独特の純化された空間分割の様式」は、「画面の空間(白と灰)と形態(赤、青、黄の3原色)とのダイナミックな均衡をあたえようとした」(瀧口修造 1954: 14頁)一つの解決法の結果である。画面を分割する水平線と垂直線を厚みのあるものにしたのは、長方形の色面形態と(線的だった)水平線と垂直線とを統一するためであるという。この適度な垂直線の厚みは、(水平線の厚みの増加とともに?)長方形色面との分割の程度を(むろん画面全体として見た見えの効果のうえで)やわらげ、線と面とが(画肌の平面性という条件下で? →実物はどの程度まで色彩と肌理の点で一様なのか? しかし、すでに色面に油絵具の感想によるヒビが図版から推定されるものがある)融合的になり、地と図として分かれない。つまり一体的画面であることと、線的形態と色面形態とのひきしまった均衡とで、緊張した美しさがある。単純であることからの美しさもある(複雑なのが好きな人には感じられないかもしれない)。
 どこからどこまでが、瀧口独自の主張なのか、モンドリアン自身の文章や発言でどこまで論理化されているのか。

 検討点。
  1. 線は画面を切っている、あるいは分割している(という効果を与える)のか?
   base (1)1. 画面とは何か? 区画面とその直近環境との関係。記号的関係あるいは人が概念的に解釈する関係、そして記号的関係と造形的思考(さらには絵画的思考)との関係。絵画、絵と画。鳥獣戯画。見なすこと。外的自然界に存在する物と対応させること。つまり、類的カテゴリー尺度によって同定すること。見立てること。しかし、それがどうした? 
   base (1)2. 画面において動き(の感じ)をもたらすのはなぜか? たとえば海面での波の動きを感じ取るからではないのか? つまり、われわれが自然において経験したことがらの当てはめをして、その経験を想起するからではないか? この場合は、事物の同定をして、それに関係した記憶における情緒などを味わっていることになるのではないか? →外界の事物を画面に再現するときの単純化という方向と、純粋抽象的造形との考え方との根本的違い。

瀧口 1954から抽出した図式
 1. 目的:印象主義的な手法からくる感情の抑揚をさけること。造形手段:画面構成として純粋な色彩と平面な色面の採用。〔作用〕結果:線的表現(例は、プラスとマイナスのようなものから成る「シェヴェンゲンの海」)から、色面均衡に重点へ。このことで、より抽象へ。
→2.

  1. ヴァン・デル・レック
  2. テオ・ヴァン・ドースブルグ