地と図、背景と物体(個物)、物感
岡野(2009)の物感とは何のことを言っているのか、まだわからない。
「そこに、何かが(物または対象として検知できる)存在していますよ」という存在感を指すのか、あるいは「固体的、ゆえに明瞭に個体的」に塊として存在していると感じられる物体感を指すのか、あるいは主に画肌から感じられる、たとえばざらざらしているといった物質感を指しているのか、これらの2つないし3つを複合的に言っているのか? むろん、少しずつ含まれた総合的なことを言っているのだろうが、多義的で確定できない。たとえば存的が1/4、塊感(気体感でもよい)が1/4、絵画表面の凹凸による物質感が1/4、色彩と形による物質(の種類)感が1/4、とか。
地と図として受け取るのはどういう場合か。
支持体として和紙を用いた場合、何も描いていないところも空気(はそれとは眼に見えない)があるとして受け取ることが可能である。水彩画で、彩色しないところはもっとも明度の高い白に見えるから、たとえば丸く塗り残せば、雪片として見えるだろう。地と図は相対的である。いずれにしろ、われわれは外界を見るとき、物体同定を常日頃としているから、画面に対してもそのようにする。(むろん、額縁のなかにはなんらかの物が描かれているというように取るのは、ほとんど社会的または制度的規約である。)
岡野(2009)の物感とは何のことを言っているのか、まだわからない。
「そこに、何かが(物または対象として検知できる)存在していますよ」という存在感を指すのか、あるいは「固体的、ゆえに明瞭に個体的」に塊として存在していると感じられる物体感を指すのか、あるいは主に画肌から感じられる、たとえばざらざらしているといった物質感を指しているのか、これらの2つないし3つを複合的に言っているのか? むろん、少しずつ含まれた総合的なことを言っているのだろうが、多義的で確定できない。たとえば存的が1/4、塊感(気体感でもよい)が1/4、絵画表面の凹凸による物質感が1/4、色彩と形による物質(の種類)感が1/4、とか。
地と図として受け取るのはどういう場合か。
支持体として和紙を用いた場合、何も描いていないところも空気(はそれとは眼に見えない)があるとして受け取ることが可能である。水彩画で、彩色しないところはもっとも明度の高い白に見えるから、たとえば丸く塗り残せば、雪片として見えるだろう。地と図は相対的である。いずれにしろ、われわれは外界を見るとき、物体同定を常日頃としているから、画面に対してもそのようにする。(むろん、額縁のなかにはなんらかの物が描かれているというように取るのは、ほとんど社会的または制度的規約である。)