生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

’10 第37回北海道抽象派作家協会展のご案内

2010年03月25日 23時35分36秒 | 美術/絵画
’10 第37回北海道抽象派作家協会展のご案内

時:2010年4月13日(火)~2010年4月18日(日)
  10:30~18:00 (初日は13:00から。最終日は17:00まで)
処:札幌市民ギャラリー(第1展示室と第2展示室)
  札幌市中央区南2条東6丁目
交通アクセス:地下鉄東西線の「バスセンター前」駅下車、
        10番出口から右へ徒歩2分
  案内地図サイト
入場料:無料

出品作家
 <一般>
  甲斐野 弘幸(札幌)
  甲斐野 市子(札幌)
  笹岡 素子(江別)
  鈴木 薫(札幌)
  能登 智子(札幌)
  横山 隆(札幌)
  吉田 英子(札幌)
  風間 虹樹(帯広)

 <同人>
  石川 潤(七飯)
  今荘 義男(岩見沢)
  岩田 琿(七飯)
  後藤 和司(札幌)
  佐々木 美枝子(札幌)
  鈴木 悠高(札幌)
  外山 欽平(函館)
  名畑 美由紀(札幌)
  林 教司(岩見沢)
  三浦 恭三(小樽)

◇ 参考サイト
北海道抽象派作家協会
’08 第35回北海道抽象派作家協会展/札幌市民ギャラリー の紹介
’09 第36回北海道抽象派作家協会展/札幌市民ギャラリー の紹介(by 栄通記)
’09 第36回北海道抽象派作家協会展/札幌市民ギャラリー の紹介(1)(2)(3)(by 北海道美術ネット別館)
北海道抽象派作家協会 同人と2009年展推薦者による小品展/ギャラリーたぴお の紹介(by 北海道美術ネット別館)

遠近法の尺度

2010年03月25日 17時58分22秒 | 美術/絵画
2010年3月25日-4
遠近法の尺度(思いつき)

 1. 線遠近法(透視図法)は、比率尺度。
   原則:同じ長さのものは、遠いほど短く見える。
   様々に歪ますこともできる。逆遠近法も。
 2. 空気遠近法は、順位尺度。
   遠くほど不明瞭に、彩度または明度を下げる。
   大小法もかねると、間隔尺度的。
 3. 大小法は、順位尺度。
 4. 重なり法は、順位尺度。
   重なりの順序は、三竦みの関係にもできる。
   さらに、物体の透明的表現を、要素ごとおよび要素面の一部の透明度を変化させるとどうなるか。透明な重なりも、順位尺度。
 5. 重ならないで浮遊しているのは、地と図とを取り上げれば、順位尺度。図どうしに注目すれば、名義尺度。

 『奥行き』の再解釈をせよ。1. 言語分析。2. 使用分析。3. 製作分析。

製作行為上の単位
 筆、版刷り、落下、打撃の1触または1振り(stroke)(画面に接触または衝突して顔料を付加または削除する)が単位。

面塗り、線描き、イデア論

2010年03月25日 12時16分15秒 | 美術/絵画
2010年3月25日-3
面塗り、線描き、イデア論

 中ザワヒデキ(2008: 167頁)は、デジタル画像について下記のような表を提示している。
  ______________________________________________
         ビットマップ    ベクター
  ______________________________________________
   二次元   (色彩絵画)    (形態絵画)

   三次元   (塑像)      (彫刻)
  ______________________________________________

 たとえば、二次元でビットマップであるところに()内に示されているのは、それのアナログ世界での対応物を示しているらしい。二次元ビットマップはペインティングで、二次元ベクターはドローイングに対応する(168頁)というのはなんとかわかるが、「二次元ビットマップは色彩絵画(ペインティング)、二次元ベクターは形態絵画(ドローイング)」というのは、わからない。ビットマップ方式は面を格子に切ってそれを単位として形態と色彩を表示するし(中ザワが言うように、原子論的)、ベクター方式は線を方程式で表現して描き閉面単位で色を埋めるのではないか? どちらにも形態と色彩は表示する(はず)。後者がイデア論的だと言うが、どういうことだろう? 
 「形態絵画と彫刻が線描または表面の屹立で、イデア論的であることと対応する」(中ザワ 2008: 169頁)とあるが、どういう意味でイデア論的だと言っているのか?
 (毛筆であれ、刷毛であれ、)塗る一筆は、線描的ではないのか? →輪郭線の有無または明瞭性の程度の問題。
 面塗りと線描きは、一つの軸の両極である。
 彫刻と塑像も。確かに、すでに形を持って存在している素材を削ったりするのと、無から素材を組み立てて物を存在させるのと、作り方の発想は違うだろうが、絵画においても、付加したり削除したりするわけで。
 イデアと表示のための実装方式。作り方の差異と、現われの差異。

色は色々、縮尺色々、うやむやも色々

2010年03月25日 10時30分29秒 | 美術/絵画
2010年3月25日-2
色は色々、縮尺色々、うやむやも色々

 『自然から抽象へ=モンドリアン論集』口絵での「しょうが壷のある静物II」と、ダイヒャー『ピート・モンドリアン』の37頁での「ショウガの壷のある静物II」の図版は、前者が少し明るいが、色合いはほぼ同様である。岩田(1997: 149頁)での「しょうが入れのある静物II」の図版は紫色が強く、同じ頁の「しょうが入れのある静物I」は見覚えがあったが、静物IIは「え?こんなにきれいなの、あったっけ?」と思った。
 宮城県立美術館でのクレー展では、実物の色合いと図録の色合いを現地でくらべて、両者は少し異なっているのがけっこうあることがわかった。そしてその少しの色合いの違いの効果は大きいと思った。写真印刷での色の再現は、どのような素材に印刷するのか(石の割合が多いアート紙かどうかとか)などでも異なるから、難しいのだろうが、見えの効果としてこんなに違うことは念頭にいれておかなければならない。
 われわれの生活上では、作品を知るのは、図版での『鑑賞』が多い。そのことは、佐々木『美学への招待』で取り上げている通りである。

 もう一つ。公募展では作品をカメラに取るのを認めている場合は多い。それでたくさん取ったことがあった。後でデジカメ映像を見て、「あれ、こんなのあったっけ?」と記憶に無いことが少なくなかった。だいたい、現物よりも綺麗に見える。液晶表示という光RGBで見ると発色がよいというのがあるだろう。もう一つは、たとえばF100を数cm四方の画面へと縮小して見ることでの効果がある。これは画集や図録に縮小印刷される場合も同じである。たいていは、引き締まって見える。逆に、小さなデッサンをそのまま大きくしただけでは、大画面の絵画では良くないということがあるらしい。

 (ここのブログ内の検索をしようとしたら、右側下でなく、上方に移動していた。さきほどまでの工事中に代わったらしい。)

多様の統一

2010年03月25日 00時14分42秒 | 美術/絵画
2010年3月25日-1
多様の統一

 近代とは肉体の肯定である、と42年ほど前に教育学の授業で聞いたことがある。
 山崎(2007: 75頁)は、近代哲学は人間の感性を肯定し、他方でイデア論を継承していると言う。

  「「芸術」の……発生とともに広く時代を支配した理想は「多様の統一」であった。……古典ギリシャを賛美したヴィンケルマンも、美しい形とは「直観することのできる全体」であり、それを支えるものは「多様の統一」だと主張した。」(山崎 2007: 75頁)。

 装飾否定論は、プラトンの考えから導出されるか?

[Y]
山崎正和.2007.6.装飾とデザイン.299pp.中央公論新社.[ISBN 9784120038372 / 2,200円+税].


他の文献については、下記を見よ。
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=2802959
美術論・抽象絵画論文献/20100319-随時改訂掲示板