2010年3月23日-2
平面における像、立体物、遠近感、奥行き
この世界における物体の形は、(なぜだか)3次元的に記述される。形が変化する場合を記述するには、時間軸が仮構される。
遠近感(=距離感か?)を表現する
われわれは、諸物を比較する場合、(実在的に想定された、あるいはとりあえず仮構された)なんらかの同一性または(実在的に想定された、あるいは世界は流転するので、とりあえず仮構された)なんらかの恒常性にもとづいて判断する。
人が遠近のある世界を見た場合、遠くの物は小さく見える(大小法?)。さらに、視点を固定すれば、透視図法のようになる(透視図法にはいくつかの変異がある)。もう一つは、遠くの物はかすんで見え(空間解像度)、暗く見える(明度)。→空気遠近法 atmospheric perspective。
近くにある物体を立体的に見せる方法として、方向性のある光によってできる物体上の陰影を表現するというのがある(陰影法)。
また、たとえば正方形を一部重ねるようにすると、前後関係をわれわれは見て取る。これを応用する手もあるだろう。モンドリアンの長方形が重ならない浮遊的な絵で(浮遊的に感じるのは地と図の関係に見立てるからだろう)、彩度または明度の異なる色彩の同じ面積で同一の形の長方形を配置すると、はたして前後関係は出てくるのだろうか?
立体感と色彩の美しさとの二律背反?
「立体感や細かい表現を犠牲にして大胆な単純化を進めれば、絵としてより強い印象を与えることができることを日本の美術が教えてくれた」(ゴンブリッチ 553頁)。ゴッホとゴーガンは、「色調を強くし、奥行きを無視することによって」単純化の方向に進んだ(ゴンブリッチ 553頁)。
→色彩豊かな図柄。例:ボナール作品。
さらに単純化を進めると、ポスターのような明快さ。例:ホードラーの「トゥーン湖」(ゴンブリッチ 553頁)。浮世絵はポスター『芸術』か?
『装飾的』という語は、アール・ヌーヴォーの時代にはほめ言葉だったようだが、現代では逆のような使い方をする人が多いのではないか? →統計的調査資料はあるか?
一つの意味は、必須ではないということ。また、山崎正和(2007.6.装飾とデザイン)を参照せよ。ガウディの建築物は、無駄だらけの装飾か?
視覚に訴えるのだから、画家が目を楽しませるという目標を設定するのは妥当だろう。そのためには、写実的であることを捨ててよい。しかし、平面的な図柄だけでは、絵画の独自性は不要とも考えられる。
セザンヌが、装飾的なものの追求過程で失われたと感じたものとは、秩序と平衡の感覚だと、ゴンブリッチ (555頁)は記す。ゴンブリッチの主張を図式的にまとめると(ゴーガンの場合は省略した)、
セザンヌの場合:自然の堅固で持続的な形態
その解決法は、立体主義へ行きついた
ゴッホの場合:緊張感と情熱
その解決法は、ドイツを中心とする表現主義へ行きついた
となるだろう。
平面における像、立体物、遠近感、奥行き
この世界における物体の形は、(なぜだか)3次元的に記述される。形が変化する場合を記述するには、時間軸が仮構される。
遠近感(=距離感か?)を表現する
われわれは、諸物を比較する場合、(実在的に想定された、あるいはとりあえず仮構された)なんらかの同一性または(実在的に想定された、あるいは世界は流転するので、とりあえず仮構された)なんらかの恒常性にもとづいて判断する。
人が遠近のある世界を見た場合、遠くの物は小さく見える(大小法?)。さらに、視点を固定すれば、透視図法のようになる(透視図法にはいくつかの変異がある)。もう一つは、遠くの物はかすんで見え(空間解像度)、暗く見える(明度)。→空気遠近法 atmospheric perspective。
近くにある物体を立体的に見せる方法として、方向性のある光によってできる物体上の陰影を表現するというのがある(陰影法)。
また、たとえば正方形を一部重ねるようにすると、前後関係をわれわれは見て取る。これを応用する手もあるだろう。モンドリアンの長方形が重ならない浮遊的な絵で(浮遊的に感じるのは地と図の関係に見立てるからだろう)、彩度または明度の異なる色彩の同じ面積で同一の形の長方形を配置すると、はたして前後関係は出てくるのだろうか?
立体感と色彩の美しさとの二律背反?
「立体感や細かい表現を犠牲にして大胆な単純化を進めれば、絵としてより強い印象を与えることができることを日本の美術が教えてくれた」(ゴンブリッチ 553頁)。ゴッホとゴーガンは、「色調を強くし、奥行きを無視することによって」単純化の方向に進んだ(ゴンブリッチ 553頁)。
→色彩豊かな図柄。例:ボナール作品。
さらに単純化を進めると、ポスターのような明快さ。例:ホードラーの「トゥーン湖」(ゴンブリッチ 553頁)。浮世絵はポスター『芸術』か?
『装飾的』という語は、アール・ヌーヴォーの時代にはほめ言葉だったようだが、現代では逆のような使い方をする人が多いのではないか? →統計的調査資料はあるか?
一つの意味は、必須ではないということ。また、山崎正和(2007.6.装飾とデザイン)を参照せよ。ガウディの建築物は、無駄だらけの装飾か?
視覚に訴えるのだから、画家が目を楽しませるという目標を設定するのは妥当だろう。そのためには、写実的であることを捨ててよい。しかし、平面的な図柄だけでは、絵画の独自性は不要とも考えられる。
セザンヌが、装飾的なものの追求過程で失われたと感じたものとは、秩序と平衡の感覚だと、ゴンブリッチ (555頁)は記す。ゴンブリッチの主張を図式的にまとめると(ゴーガンの場合は省略した)、
セザンヌの場合:自然の堅固で持続的な形態
その解決法は、立体主義へ行きついた
ゴッホの場合:緊張感と情熱
その解決法は、ドイツを中心とする表現主義へ行きついた
となるだろう。