生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

絵画は虚構だという意味は?

2010年03月17日 23時58分55秒 | 美術/絵画
2010年3月17日-5
絵画は虚構だという意味は?

 下記の書は、絵画も射程または視野scopeに入れたものらしい。

第六章 視覚的なフィクションをめぐって
1 フィクション/ノンフィクション
2 フィクションと言語
3 信じさせること/想像させること
4 フィクションは語る行為の所産か?
5 写真の虚構性と非虚構性
6 フィクションは作られなければならないか?

[K]
清塚邦彦.2009.12.フィクションの哲学.291pp.勁草書房.[ISBN 9784326154081 / 2,800円+税]

楽しめて質の高い番組を!

2010年03月17日 23時24分48秒 | 生命生物生活哲学
2010年3月17日-4
楽しめて質の高い番組を!

 2010年3月13日の朝日新聞e5頁に、日野原重明さんが「大人のためのテレビを」と題して書いている。
 1. 概して日本のテレビは、単調で幼稚な印象を受ける。
 2. 娯楽番組が多すぎる。
 3. 討論番組では、司会者の進行が無視される。
 4. 解説番組では、原稿読み上げが目立つ。
 5. 見るに忍びない映像を延々と流す必要はあるのだろうか。
 6. 楽しく心温まる番組を多く作ってほしい。
 7. 成熟した大人のための質の高い番組を制作し放送する努力をしてほしい。

 これらすべての点について、そうだと思う。
 楽しめて、つまり興味がもてるように、わかりやすく正確な内容の番組を、そして日頃からデータの収集・整理・総括と考え方の総括を行なうなど準備を整え、明瞭な問題意識で現代の問題に切り込む番組を、また根拠を確認して質の高い番組を! さらに、総括的展望を提示して、生き生きと希望を喚起するような問題解決的な調査報道の番組を!

展覧会巡り

2010年03月17日 23時08分44秒 | 美術/絵画
2010年4月2日(金)予定
◇ 2010年3月13日(土)~4月4日(日) 第29回損保ジャパン美術財団選抜奨励展/損保ジャパン東郷青児美術館/500円.
◇ 2010年3月26日(金)~4月4日(日) 美術文化展/東京都美術館/800円.
◇ 3/2-4/11 生誕120年 小野竹喬展/東京国立近代美術館/1,300円.


 新宿→上野 190円 24分
 上野→竹橋 160円 21分
 新宿→竹橋 190円 26分
 竹橋→赤坂 160円 14分

2010年4月3日(土)予定
◇ 1/20-4/5 ルノワール?伝統と革新/国立新美術館/1,500円.
◇ 3/3-5/5 アーティスト・ファイル2010?現代の作家たち/国立新美術館.

美術館の評価

2010年03月17日 18時47分25秒 | 美術/絵画
2010年3月17日-3
美術館の評価

 美術館は博物館とともに、博物館法に定められていて、協議会の設置が規定されている。
 『大人の週末』2007年11月号(講談社)に、40の美術館を採点した特集があった。
 『一個人』2007年11月号(KKベストセラーズ)に、「世界の名画に出会える日本の美術館BEST100」という記事がある。
 今、「アート・バブル」はどうなった?

現実と映像

2010年03月17日 18時33分31秒 | 美術/絵画
2010年3月17日-2
現実と映像

 たとえばテレビ画面にテーブルの上にリンゴが置いてある映像が映っていても、テーブルやリンゴがテレビ中に実在するとは思わない。しかし、生中継ならば、そのリンゴはどこかに実在するものだと思う。
 本当に存在するリンゴを見た場合と、網膜に映った段階では、テレビ映像とで似たようなものだとしよう。すると、脳はどう判別しているのか? 
 「アバター」を3Dで見たが、わたしには通常のスクリーン画像で見たほうが、現実感があったと思う。3D(これにも5つぐらいの方法があるとのことだが)では(どの位置の席に座ってみるかによっても違うだろうが)、以上にたとえば前方に細長いものは、客席の上にまで突出する。また、森のなかでは彩色が押さえられていて青いモノクロームに近く(これもある意味では通常の人間世界とは異なるというリアリティを出したのかも)、見にくい。などのため、スクリーンのなかに引き込まれず、またなによりも、筋書きの(現代世界のパロディにもなっていて、スッキリとはいかないという作りにしているらしいこともあって)展開もかったるい。この作品は、ほぼ失敗作。

 脱線した。たとえば幽霊が存在すると仮定すると、おそらく彼らにとっては他の幽霊が現実的であろう。むしろわれわれの肉体は現実感を欠いたものではないか。われわれの肉眼には、(存在するとして)幽霊は薄っぺらく感じるだろう。(うーむ、こんな推論をしてなんになる?)つまり、現実感は主体が存在する世界に相対的だろう。
 要するに、われわれの感知する世界を、われわれは感知している。その範囲外の対象については(あるとしても)なんとも言えない。むろん、物理学はもっと知っていると主張するだろうが、それも検知できる範囲が広いことは確かだが、その範囲外については同様にわからない。理論的に計算して想定されるもの(たとえば暗黒物質)があっても、なんらかの確認がなければならない。
 近紫外線カメラはすでにあるようだ。遠紫外線カメラはまだ開発途上か?

複製の問題/構図分析

2010年03月17日 16時30分03秒 | 美術/絵画
2010年3月17日
複製の問題
 自然美の事〔こと〕的複製=そこに行くたびごとに、その自然美は複製される。
 絵画美の体験の複製。むろん、変異はある。絵画(物質的構成または組成compositionと構造をもつシステム)、鑑賞者、環境の同一性。

構図分析
 構図compositionと構築construction。
 物質的構成(絵画)={支持体、接着剤、絵具、肌理づくりのための素材}。
 構図=画面全体における形態と色彩を要素とした配置パターン。
 (形態と色彩をもつ)要素の働き(作用)の分析。要素の形態と色彩から来る重さと動き。一つだけの要素が配置されたときの分析。二つ以上の要素が配置されたときの分析。要素性が薄い、たとえば全面が一様な場合(例:イヴ・クラインの或る作品)とか、連続的に変化する場合の分析方法。→格子に切る。

瀧口修造のモンドリアン作品の画面分析

2010年03月17日 12時27分35秒 | 美術/絵画
瀧口修造のモンドリアン作品の画面分析

  「キュービスムの空間表現が主として面の分析に向つていたのに対して、モンドリアンの場合は線が主になつていることが注目される。立体派は空間のなかの物体のヴォリュームの分解を重要視したのであるが、空間を一つの動きの均衡として解釈しようとするモンドリアン独自の態度はまず線を契機としたわけである。……「花咲ける林檎の木」では……モンドリアン美学の鍵となった水平線と垂直線の均衡がすでに現われている」(瀧口 1954:34)。

 瀧口修造のモンドリアン作品の画面分析には感心する。しかし、「空間表現」でなにを意味しているのか? ヴォリュームと量感との関係は? 水平線と垂直線の均衡はいかにして可能か、というよりいろいろなやり方はあるし、画面の形も正方形にするか菱形にするか(という選択の自由がある)で異なってくる。変形キャンヴァスshaped canvasを採用したときの地平。

[T]
瀧口修造.1954.グラヴィア解説[モンドリアン].『現代世界美術全集6』: 32-41頁.河出書房.

安東次男のモンドリアン論/複製とベンヤミンのアウラ

2010年03月17日 11時59分30秒 | 美術/絵画
安東次男のモンドリアン論/複製とベンヤミンのアウラ

 安東(1969)は、モンドリアン晩年のブギウギを称揚している。現物は見ていないようだから、画集などによっての判断なのだろう。佐々木(2004)が言うように、われわれの絵画体験は多くの場合は、写真的印刷画像によっている。作品の肌理が問題ではない場合は、それで用が足りるだろう。
 なんらかのrealityをもたらしたい場合、肌理による表現力をどう生かすか?
 平面とレリーフと立体。鑑賞作法への指図。
 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」とは何だろう? 「畏怖や崇敬の感覚を指して」(ウィキペディア)いるのなら、アンケート調査すればよい。なんらかのしゆ長をしているのなら、テストすればよい。むろん、調査対象となる絵画作品と人についての性質調べは当然のことである。ベンヤミンの立論の方法を分析する価値はあるか?
 2009年11月20日に東京大学駒場キャンパスで、Henri Zerner アンリ・ゼルネール(ハーヴァード大学教授)による「複製は本当にアウラを殺したか?:ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」再読」というセミナーがあったようだ。複製はアウラを破壊したのかどうかは、複製という語の意味によるという主張とのことである。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2009/11/utcp_seminar_rereading_walter/

[A]
安東次男.1969.ピエト・モンドリアン.安東次男『帰巣者の芸術:芭蕉からモンドリアンまで』: 213-221.〔1964のみすず書房刊『モンドリアン』解説〕

[B]
ベンヤミン,ヴァルター.晶文社 (佐々木基一訳 1999.11).複製技術時代の芸術作品.[ISBN 9784794912664 /1,900円+税].

[T]
多木浩二.2000.6.ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読.岩波書店.[ISBN 9784006000196 / 900円+税].

実在性/存在感/現実性/写真/絵画

2010年03月17日 01時00分09秒 | 美術/絵画
実在性/存在感/現実性/写真/絵画

実在する real[Bunge哲学事典]
 外的世界に(いかなる主体からも独立して)、あるいは主観的経験において、存在すること。例:星々およびそれらの知覚、思考プロセス、幻覚。知覚は、物理的存在についての誤りやすい指標にすぎない。圧倒的多数の物理的な諸物は、知覚不可能である。またときには、そこには無い物をわれわれは知覚する。よって、↑現象論は間違っており、素朴↑実在論は不十分である。注意:すべての自然物は実在するが、具体的な人工物も実在するから、逆は偽である。反義語 架空の。

実在性 reality[Bunge哲学事典]
 ↑実在するの総体性。収集体であるので、実在性は実在しない。対照的に、すべての実在する物の集合体 aggregation(物理的加算)、すなわち、↑宇宙または↑世界は実在する。

 realityにはいろんな意味がある。現実感は、その一つである。a sense of realityは、迫真性と訳されたりするが、本当に存在するという感覚や思い(思い込み)であろう。基礎となるのは、外界に本当に存在していることに対する、あるいはそのことから来るなんらかの感じであろう。しかし、表現媒体を通じると、様々な意味でrealityが使われる。段階的に分析し、分類の理由と成立要件を確定すること。

  「写真には、なんの現実性もありません。それはたんに映像なのです。それにたいして絵画には、つねに現実性があります。絵の具に触れることができますし、それは現前しています。でも写真はつねに一つの映像をあたえるだけです」(ゲルハルト・リヒター 1996: 11頁)。

 写真では感光剤が絵具に、光が筆に相当するが、素材からは確かにそのような違いがある。デジタル写真を撮って、染料または顔料で印刷する場合は、(たとえばjpeg形式で保存した画像ファイルという)版のある絵画ということになる。写真はphotographのいわば意訳だろう。そのまま訳すなら、光書または光図となっただろう。
 そこに来る光が様々に反射し、たとえば葉っぱを透過し(それによって、波長のスペクトル分布は変化し)、法則性のもとに『自然に』光が画像を描く。現像されなくても、描かれている。なんらかの物質的変化のパターンが生じているからである。現像とは、われわれの肉眼に見えるようにする作業である。
 物としてのrealityは、一つの方向からの見えで捉えられるだろうか? 多数の方向からの見えを提示されば、物の真実性または実在性をより多く表現できることになるのだろうか? あるいはまた、一つのレンズでとらえられるだろうか? でこぼこのあるレンズは、それを写していないのだろうか?

 「我々は抽象絵画によって、決して見られないもの、理解されないものに近づく最良の方法を創りだした。それは絵画がもっとも直接に感覚的なものをもたらすからだ。つまりそれは、芸術が行使するすべての方法によってもたらされる『無』である。」(リヒター 1996: 113頁)。

 モンドリアンを具象化したときの一例は、アンリ・ルソー。アンリ・ルソーを抽象化したときの一例は、モンドリアン。変換規則はどのようなものになるか。制約として、どちらも平面的で、どの部分も全体の画面に参加している。むろん、そのように製作された。

[R]
リヒター,ゲルハルト.(清水穣訳1996.4)ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論.淡交社.[2005.8 増補版 ISBN 9784473032553 / 2,000円+税][増補版 723.34]