生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術修行2011年5月15日(日)

2011年05月15日 23時55分38秒 | 美術/絵画
2011年5月15日-1
美術修行2011年5月15日(日)

 アンフォルメルとは何か? ?20世紀フランス絵画の挑戦/ブリヂストン美術館/1,200円。
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/
 図録 2,000円。
 アンス・アルトゥング Hans Harutungの「T.1962-U.6」1962年[大きさは162x111cm、図録112頁]1.5☆と「T.1962-K7」1963年(展示の表題は「T.1962-K.7」)[大きさは180x111cm、図録113頁]2.0☆が良かった。展示では、「T.1962-K.7」が左側に、「T.1962-U.6」が右側にあり、その間に「T1948-16」があった。「T1948-16」の上方には白い柱状のものが少し下がっている。しかし、「T1948-16」は別のところにして、「T.1962-U.6」を
左側に、「T.1962-K.7」を右側に配置し、二つの間は広く、上方で下がっている部分ほどに開けて展示すると、良い感じになるのではないかと思う。
 両作品とも、基本構成は引っ掻き scratchによる上下方向の極細線である。それが密集して面状に展開する。そしてそれらの面状様のものを背景とするようにして、1cm前後の幅の下方向の線がゆらめき立つ。引っ掻き技の勝利。
 引っ掻き技法が成立するのは、むろん下層に色面があるからである。二つとも、底辺近くは青系、中央は白茶系、天井付近は暗い青にしているようである。引っ掻き加減で明暗、つまり強弱を出している。底辺方の青い面は全面を引っ掻いて出している。青い底辺の上端境界もまた炎的にゆらめいている。その上方は黒いので、引っ掻いて出した線が浮遊するようになっている。
 「T.1962-K.7」での右上引っ掻き面は極細線を左右にそして曲線的で、実に繊細な律動性が出ていて、それらの線の配置が気色が良い。

 
 小畑亮平展/芦屋画廊(ラフォーネ芦屋2階)。
http://www.ashiya-garo.com/work/index.html
http://www.ashiya-garo.com/work/110506_obata.html

 一昨日海岸通ギャラリー・CASOで掲示されていた案内はがきで知って、かねてから見たかった小畑亮平氏の作品を今回見ることができた。作者に話を伺うこともできた(画像掲載について了承いただいた)。



 中央に正方形絵画を囲んで持ち込みの畳4枚が敷いてある。通りがある窓のほうの正方形、右側の壁に8枚の正方形を隣接させて横長の長方形に配置したもの、そして左側の壁に3枚の正方形を隣接させてかなり横長の長方形としたものとその左に一回り小さな正方形が、畳中の正方形と照応または呼応するようになっている。
 いずれも油絵具を透明的に何層にも積んでできたもの。そのため、肉眼では深い味わいが見えるが、写真ではうまく撮れない。また、夕方になるにつれて外からの照明状況が変化していくにつれ、表情が変化していく。このような絵画は、その場に長くいると、それだけ味わいが深まるわけである。
 図柄あるいは模様については、製作的には、大きな図柄はだいたい決めておいて(おそらく絵具を置くときの制御)、残余は絵具どうし反応、または自然的作用に従わせている(「偶然」に任せる)ようだ。層を重ねているので、数か月かかるようだ。
 結局、透明な層状物の複雑な反射が生成されることの勝利。陶器でガラス質がたまったような部分の透明性に似ている。それが全面的に展開する。このような状態は直接に味わって見るしかない。
 CASOで見た作品
http://www5a.biglobe.ne.jp/~caso/lib/100630independent.htm#obata
は、細かい模様だけで構成されていたが、たとえば窓のほうの正方形(いずれも題名はつけられていない)は、数cm直径の模様が総面積で大きく分布している。部屋の外のショーウィンドー内の正方形も類似した要素が総面積で大きく分布する。
 いずれも落ち着いた色なので、禅的なというか、そのような静謐さが感じられた。(分析と言語表現の修行がまだまだ足らんなぁ。)
 小畑亮平氏の網所は、
http://ryoheiobata.com/index.html

 畳に座って、画廊主さんから、近年味わったことのないおいしいお茶をいただいた(感謝)。