生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

福島原発事故131:偉大なる訂正

2011年05月26日 23時30分27秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月26日-4
福島原発事故131:偉大なる訂正

 福島第一原発1号機の55分間の海水注入中断は無かったと。所長の判断で注入を続けるほうが安全だと判断したと。東京電力が今頃になっても訂正したことは、偉大である。
 結局、政府と国会の馬鹿さ加減が、またもや明らかになったということではないか。


元素変換による放射能汚染水処理

2011年05月26日 22時32分27秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月26日-3
元素変換による放射能汚染水処理

 フランスのアルバ社が放射能汚染水を1トン処理するのに、1億円かかるというのなら、10万トンで10兆円という計算が、今日だったか昨日だったかのテレビに出ていた。

 三菱重工の網頁に、Pd多層膜の重水素透過による元素変換の観測
http://www.mhi.co.jp/atrc/project/pdtamakuso/
という記事がある。
 膜に汚染水を通過させて、たとえば放射性セシウムを非放射性の元素に変換できないのだろうか。


エネルギー触媒器についての凝集系核科学国際会議でのCelani氏による報告

2011年05月26日 22時06分57秒 | 生命生物生活哲学
2011年5月26日-2
エネルギー触媒器についての凝集系核科学国際会議でのCelani氏による報告

 ICCF16という、第16回目のInternational Society for Condensed Matter Nuclear Science 凝集系核科学国際会議がインドのチェンナイで、2011年2月6~11日に開かれたそうである。
 その会議についての報告が、三菱重工の岩村康弘氏によってなされている。そのpdfは、
http://www.jcfrs.org/file/iccf16-report.pdf
で得られる。

 岩村氏によれば、「Rossi & FocardiのNi-H系の発熱実験と実用装置の開発」は、この会議でも話題となったようである。
 岩村氏による報告では、イタリアINFN(国立核物理研究所)のCelani氏が、Rossi氏とFocardi氏のエネルギー触媒器(E-cat)について行なった報告が紹介されている。

  「シエナ大学のPiantelliらが始めたNi-H系での過剰熱と核変換の実験に端を発し、Leonardo社というベンチャー会社の社長のRossiとボローニャ大学のFocardi教授で実験を行〔な〕っている。最近、彼らは1kWの過剰熱の発生を確認し、2011年の10月には1MWの装置を開発する予定だとアナウンスした。ニッケルと軽水素を使って過剰熱が安定して発生するのであれば、実用上は極めて有利であるため、凝集系核反応分野はもとより一般の科学技術を扱うホームページ上でも話題となっている。
 〔略〕ナノサイズのニッケルパウダーと水素、そしてある種の触媒が使われているという。
 〔略〕反応はNiと水素(プロトン)の核変換反応であり、当社の元素変換との関係も深い。
 〔略〕イタリアINFN(国立核物理研究所)のDr、Celaniが彼らの実験室を訪問した結果等について報告を行〔な〕った。それによると、Rossiたちが触媒等の詳細をオープンにしないため詳しく分からない部分が多く、実験の信頼性を正しく評価することは難しいとのことであった。
 Rossi&Forcadiの熱発生装置の実用化が彼らの目論見どおり進展するかどうかはまだ不透明であるが、Ni-H系で何かが起きていることは間違いないと見られ、今後の動向を見守っていきたい。」(岩村康弘氏によるpdfの2~3頁)。

とのことである。

 下記の「2011/5/22 <ICCF16報告(岩村博士)>」の記事も見られたい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~sugi_m/page286.htm#%EF%BC%9C%E3%80%80%EF%BC%A9%EF%BC%A3%EF%BC%A3%EF%BC%A6%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%A0%B1%E5%91%8A%EF%BC%88%E5%B2%A9%E6%9D%91%E5%8D%9A%E5%A3%AB%EF%BC%89%20%EF%BC%9E

  「定番であったPd(パラジウム)とD(重水素)にかわってNiとHを使った実験が流行りだしている気配を感じます。」

と述べている。

 なお、岩村報告によれば、次回のICCF17は韓国で開催される見込みとのことで、また、韓国は凝集系核反応分野の国家プロジェクトを実施する予定だそうだ、とのことである。


(点、線、)面々/ダイアグラム(略図)

2011年05月26日 12時18分40秒 | 美術/絵画
2011年5月26日-1
(点、線、)面々/ダイアグラム(略図)

 南雲治嘉(2009)『視覚デザイン』では、カンディンスキーについて、

  「美術を科学的に分析できる美術理論家でもあった。特に抽象画における理論と「点線面」による絵画の解析はいまだに揺るぎなきものとして、参考にされている。」(南雲 2009: 75頁)。

と述べている。

 さて、用語小辞典として、「ダイアグラム」とは、

  「図表デザインのことである。最近では情報デザインという名称でも呼ばれている。量の比較、変化の表示、状況、構造、案内、禁止などの指示、などが主な内容である。〔案内表示では?〕人をいかに目的地までスムーズに誘導するか、これがダイアグラムの役割である。」(南雲 2009: 76頁)。

 ダイアグラム〔略図、線図、箱線図〕に(図柄または模様についての約束事によって)人が担わせている機能としてここで挙げられているのは、何かを何するという形式で書くと、
  ものごとの比較を示す
  状態変化を示す
  状況を示す
  構造を示す
  案内する、誘導する(→案内経路や誘導経路を示す)
  禁止などを指図する
となるだろう。
 ダイアグラムは記号(広義)による表示の一形式である。
 天気図もダイアグラムというカテゴリーにいれる場合は、ダイアグラムはどういう定義になるだろうか?
 天気図の構成は、南雲(2009: 77頁)の天気図の例では、日本を中心的に描いた地図(海洋は水色で陸地は灰茶色)に、経度と緯度が線で示され、(2?hPaごとの)気圧等高線(実線と点線)があり、ところどころにhPaを単位としての気圧を示す数字があり、白抜きの矢印があり、寒冷前線と温暖前線を示す飾り付きの線がある。

  構成(天気図)={地図、経度、緯度、気圧等高線、前線、低、高、矢印、数字、……}
  構成(天気図)={(輪郭線無しの)面、線、線、線、図形付きの線、文字、……}
  構成(天気図)={面、線}

 点や線は、数学的には面積を持たないものとして定義されるが、面積が無いものは認識できないので、点と線葉実際には面である(もっと詳しく見ると、印刷インクの厚みがあるから、面とは実際に表示される物としては立体物である)。したがって、実際上は、
 
  構成(天気図)={面}

であり、いくつかの面の配置である。「いくつか」と有限数であるように述べたが、その数は構成単位をどう定めるかで異なる。
 
 ところで、生物タクソン的に言えば、芸術は(芸術学もまた)、人(たち)の振る舞いの一つであり、ゆえに_Homo sapiens_学の一部である。(もちろん、ゴリラ芸術学とかミツバチ芸術学とかニワシドリ芸術学とかも成立するかもしれない。)

 さて、南雲(2009: 76-77頁)では、点の機能と線の機能が述べられている。比較一覧的に示すと、

  点の機能     線の機能
  位置を示す    
  強調       強調
  区切り      区切り
  接続       接続
  アクセント    
  バランス 
           境界
           輪郭
           方向
           角度
           分割
           メリハリ   

 強調について、例示されている。

  「例えば、文字の下に引かれているアンダーラインは、強調という機能が働いていることになる。もちろん線によって感情表現が可能である。太い線はたくましく、細い線は繊細である。こうしたことを利用して表現は行〔な〕われる。」(南雲 2009: 77頁)。

 すると、たくましいとか繊細だというのは線の太さまたは細さと結びついていることになる。しかし、太い線はたくましい強調として機能するのだろうか? そもそも、『たくましい』または『繊細』は感情なのだろうか?
 
 ところで、たとえば、点を線状に並ばせれば、分割という機能を担わせることができるだろう(ただし受け取る側がそのように取らなければ、分割という実践は果たされない)。したがって、構成単位が点(という比較的小さな面積を持った形態)であっても、線状という形態を取れば、分割という機能を発揮するかもしれないことになる。
 同様に、点を線状に配置すれば、境界や輪郭などを示すことができるだろう。つまり、問題は形態であり、どのように配置であれば、人は点の配置を一つの集まりとして受け取るか、ということになれば、点の密度分布の話になるだろう。微視的に見たら線である場合でも、集まって方向性を示す線になっているかもしれないし、集まって方向性を不明にしている場合もあるかもしれない。
 本質は形態の認識である。


 ところでまた、線は、点にあるアクセントやバランスの機能は担えないのだろうか? アクセント(またメリハリ)は、強調とはどういう概念的関係なのか?
 

 
[N]
南雲治嘉.2009.12.視覚デザイン:現場で活きるベーシックデザイン.128pp.ワークスコーポレーション.[y1,890(税込)]