2011年5月26日-1
(点、線、)面々/ダイアグラム(略図)
南雲治嘉(2009)『視覚デザイン』では、カンディンスキーについて、
「美術を科学的に分析できる美術理論家でもあった。特に抽象画における理論と「点線面」による絵画の解析はいまだに揺るぎなきものとして、参考にされている。」(南雲 2009: 75頁)。
と述べている。
さて、用語小辞典として、「ダイアグラム」とは、
「図表デザインのことである。最近では情報デザインという名称でも呼ばれている。量の比較、変化の表示、状況、構造、案内、禁止などの指示、などが主な内容である。〔案内表示では?〕人をいかに目的地までスムーズに誘導するか、これがダイアグラムの役割である。」(南雲 2009: 76頁)。
ダイアグラム〔略図、線図、箱線図〕に(図柄または模様についての約束事によって)人が担わせている機能としてここで挙げられているのは、何かを何するという形式で書くと、
ものごとの比較を示す
状態変化を示す
状況を示す
構造を示す
案内する、誘導する(→案内経路や誘導経路を示す)
禁止などを指図する
となるだろう。
ダイアグラムは記号(広義)による表示の一形式である。
天気図もダイアグラムというカテゴリーにいれる場合は、ダイアグラムはどういう定義になるだろうか?
天気図の構成は、南雲(2009: 77頁)の天気図の例では、日本を中心的に描いた地図(海洋は水色で陸地は灰茶色)に、経度と緯度が線で示され、(2?hPaごとの)気圧等高線(実線と点線)があり、ところどころにhPaを単位としての気圧を示す数字があり、白抜きの矢印があり、寒冷前線と温暖前線を示す飾り付きの線がある。
構成(天気図)={地図、経度、緯度、気圧等高線、前線、低、高、矢印、数字、……}
構成(天気図)={(輪郭線無しの)面、線、線、線、図形付きの線、文字、……}
構成(天気図)={面、線}
点や線は、数学的には面積を持たないものとして定義されるが、面積が無いものは認識できないので、点と線葉実際には面である(もっと詳しく見ると、印刷インクの厚みがあるから、面とは実際に表示される物としては立体物である)。したがって、実際上は、
構成(天気図)={面}
であり、いくつかの面の配置である。「いくつか」と有限数であるように述べたが、その数は構成単位をどう定めるかで異なる。
ところで、生物タクソン的に言えば、芸術は(芸術学もまた)、人(たち)の振る舞いの一つであり、ゆえに_Homo sapiens_学の一部である。(もちろん、ゴリラ芸術学とかミツバチ芸術学とかニワシドリ芸術学とかも成立するかもしれない。)
さて、南雲(2009: 76-77頁)では、点の機能と線の機能が述べられている。比較一覧的に示すと、
点の機能 線の機能
位置を示す
強調 強調
区切り 区切り
接続 接続
アクセント
バランス
境界
輪郭
方向
角度
分割
メリハリ
強調について、例示されている。
「例えば、文字の下に引かれているアンダーラインは、強調という機能が働いていることになる。もちろん線によって感情表現が可能である。太い線はたくましく、細い線は繊細である。こうしたことを利用して表現は行〔な〕われる。」(南雲 2009: 77頁)。
すると、たくましいとか繊細だというのは線の太さまたは細さと結びついていることになる。しかし、太い線はたくましい強調として機能するのだろうか? そもそも、『たくましい』または『繊細』は感情なのだろうか?
ところで、たとえば、点を線状に並ばせれば、分割という機能を担わせることができるだろう(ただし受け取る側がそのように取らなければ、分割という実践は果たされない)。したがって、構成単位が点(という比較的小さな面積を持った形態)であっても、線状という形態を取れば、分割という機能を発揮するかもしれないことになる。
同様に、点を線状に配置すれば、境界や輪郭などを示すことができるだろう。つまり、問題は形態であり、どのように配置であれば、人は点の配置を一つの集まりとして受け取るか、ということになれば、点の密度分布の話になるだろう。微視的に見たら線である場合でも、集まって方向性を示す線になっているかもしれないし、集まって方向性を不明にしている場合もあるかもしれない。
本質は形態の認識である。
ところでまた、線は、点にあるアクセントやバランスの機能は担えないのだろうか? アクセント(またメリハリ)は、強調とはどういう概念的関係なのか?
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南雲治嘉.2009.12.視覚デザイン:現場で活きるベーシックデザイン.128pp.ワークスコーポレーション.[y1,890(税込)]