今朝の新聞に秋の叙勲の発表があり、そう言えば我が師匠(山村若津也)も
天皇・皇后両陛下隣席の上「文化財保護功労賞」を受賞したことを思い出されれます。
思えば小説のような、漫画ティックな出来事(決して茶化しているのでは無く不思議な物語です)
本当は私と何時も師匠と寝起きを共にしている養女の方とご一緒に行く予定が
彼女が入院、もう一人の門弟といくことになりました。
東京に着くとホテルに直行、案内されたのは奥の部屋でした。
六世山村流宗家 山村 若様が用意してくださった部屋には奥様からのお祝いのメッセージとお花が届けら細やかな気遣いを目の前にして感動しました。
師匠は私達の事を気遣い豪華なお食事を用意して下さいました。
師匠自らも召し上がられ明日の晴れの舞台に備えられ、友達は他のホテルへ(私が宿泊だった)私達は床に着きました。(私は目がさえています)
12時近く唸り声が聞こえ「医務室へお願い!」と師匠の声。(慌てましたね)
取りあえずホテルの方に~
そのあとは救急車中で先ず仲間に(その時は携帯が出始めたとき、役に立ちました)
車中で色々聞かれたのですが、なんせ、ついて行った身ですので正確な答えが見つからず「明日受賞なんです~々~」とばかり
救急につき検査の為に運ばれていく師匠~
残る私達は山村久子(四世お家元の妹)先生の支持を受けたわけです。
先生曰く「高齢のため検査やら様子を見ないといけないので入院を」と~
「Mちゃん!ここ出してもらって!」と師匠。
事情を説明してもダメでした(90歳を過ぎてましたから)
ほとんど寝ずに私は会場となった国立劇場へ
もう一人は師匠の病院へ
師匠が「着物は帯は、履物は?」と朝になったらお元気に言われたそうです。(着物はホテルに)
そんな、こんなで会場に着いた師匠は、すでに始まっていたので入れませんでした。(どうして~!受賞本人なのに~~)
とんだ珍道中でした!
平成一五年の春師匠は九十六歳で永眠しましたが、弟子たちの作った写真集
のなかで次のような事を載せています。
両陛下御臨席の栄えある式典に侍らせていただき、若津也一生 忘れ得ぬ身 に余る感激の許し文部大臣より文化財保護功労賞としての表彰を受け
古典の道にあればこその芸冥利と身にしみじみと感慨無量の幸せを持たせて
頂きました。 若津也
東への 栄えある旅や 空き澄めり
この道に あればこそ 秋 功労賞
秋深し 古典を守り 栄えある日 と師匠の句です。
今は追憶、懐かしさで涙がこぼれます。