夢・つれづれに

何時も夢とロマンを持ち、思いのままに綴りたい

数ある中の~

2011年11月24日 | 最近の出来事

 早くアップしなければ忘れそうな事ばかり
時は過ぎてゆくばかり

11月17日は落語家 桂 吉坊さんの「吉坊ノ会」

席は2階の真ん中に陣取り吉坊さんの出番を今か今かと待ちわびる時間。
ゲスト(桂雀松、佐ん吉両人)の応援出演があり、本人はこげ茶の柄のはいった羽織、ベージュの着物という出で立ち。

歯切れがあり、歌舞伎狂言もあり「勉強しているな~」って感じでした。
とても面白かったし笑いも絶えないくらい皆様楽しんでいたいたようでしたね。

11月18日、お稽古を少し早めに済ませ「宝塚舞踊会」を拝見しました。
山村流の振り付けからは轟悠さんの『傀儡師』涼 紫央さんが長唄『浦島』を踊り(六世宗家若さんの担当)、他に専科3人がお開きの『老松』花組トップの蘭寿さんの『流星』
星組トップの柚希さんの『お祭り』他に松本さんの『五月雨』等・・・

11月19日久しぶりに山村流の宗家の出演でもあり興味深い演目でもあり、小雨降る中一路”山本能楽堂”へ。

東京で舞われる二段構成の山姥、(枕づくしと山めぐり)

今日はめったに舞われないものを東京では同じ舞台ではあるが地方を変え
衣裳を変え(多分)て舞われると聞いていた前半『枕づくし』を拝見。

実に能舞台に合い艶やかな可愛らしさもあり”伊勢おんど”からの可笑しさなどが盛り込まれていて素晴らしい舞でしたが、私としては長文の手紙の中は字が書いてあったほうが良かったし(上から見ているからか)手紙の扱い方にもう一工夫があれば何て生意気な事をかんじたのである。(すいません若様<m(__)m>)、後半の『山姥』を東京の国立劇場で拝見したかった。(残念!)

11月23日は流儀が同じ仲間の会を拝見、盛会で何よりでした。

 

 


話題作を観る

2011年11月16日 | 舞と舞踊の会


今朝、夫どっこいをディーサービスに送り、
新しくできた大阪ステーションシネマに話題作を二本を観る。

一つは「カイジ2」もう一方は「ステキな金縛り」の二本(さすが目が疲れた)

カイジは1も冷や冷やしながら観たおもいがあり(私は藤原君のフアン)楽しみにしていた。
どちらもとっても面白いし考えさせられる。
勿論、面白さが違うが「カイジ」は少しずつ画面に引きこまれ、スリルやあったかい心にホロリとさせられるところもあった。(演じ人達が良いのよね)

一方は三谷さんの監督作品だから面白く無いはずがない。笑いが絶えない可笑しさが画面いっばい!
深津絵里さんの歌が良い。

ぎりぎりセーフで夫どっこいを送ってくれた車に間に合ってほっとした。(携帯より)


心地よい気分・舞

2011年11月12日 | 最近の出来事

もう~随分経ったななんて思うことがあります。
師匠が亡くなり、生意気にもお稽古するならお家元しか考えられないなんて
きっと仲間もそのように思ったに違いない。

お忙しい事もある今のお家元さんが「若津也さんの稽古場に行ってもいいよ」と言われた。(もちろん、都合がつかなければお家元宅に稽古)
嬉しかったな~預かってくださると私達を…
優しかった(今も変わりませんが)お家元さんのお稽古日は楽しみでしたね。

ところが、夫どっこいが病院生活という思いもよらない出来事で、(その時にはすでに舞扇会の演目も決まっていた)病院と稽古場を行き来して、舞台は頑張りましたね。

そして、今もうマンツーマンの稽古は出来ないし、考えた末友達の誘いもあり「西宮NHKカルチャー上方舞」(山村 若宗家の指導)で稽古を始め2年足らずになりました。
今は楽しくお稽古しております。

端唄や小唄が多く今までとは違って少し軽い小品曲が主でしたが、地唄物や
上方歌もお稽古していただいています。

そして、地唄「四つの袖」(この曲は大好きです)「愚痴」の歌の中に”四つの袖♪”
 という文句が出てきます」

「四つの袖」というのは、好きな人と二つ合わされば~という意味深な言葉になっています。

「何でか知らんけど舞台にはほとんどかかれへん、短いからかな~」と家元さんもおっしゃっていました。(衣裳つけて顔してなら短いかも)

やっと身に入る稽古が出来たように思いますし、腰や足が地唄特有の辛さに変わり、やがてそれが心地よくなって来るのはのせいかなと思います。

地唄”四つの袖”の歌詞です。

うき中のならひと知らばかくばかり 

花のゆふべの契りとなるも初めの情け

今の仇 いっそあはねばかうした事も

ほんにあるまいよしなやつらや あだに暮せし月日の程も

いはぬ思ひの涙の雨に

いとどくちなん 
四つの袖


栄えある祭典に列席…

2011年11月03日 | Weblog

今朝の新聞に秋の叙勲の発表があり、そう言えば我が師匠(山村若津也)
天皇・皇后両陛下隣席の上「文化財保護功労賞」を受賞したことを思い出されれます。

思えば小説のような、漫画ティックな出来事(決して茶化しているのでは無く不思議な物語です)

本当は私と何時も師匠と寝起きを共にしている養女の方とご一緒に行く予定が
彼女が入院、もう一人の門弟といくことになりました。

東京に着くとホテルに直行、案内されたのは奥の部屋でした。
六世山村流宗家 山村 若様が用意してくださった部屋には奥様からのお祝いのメッセージとお花が届けら細やかな気遣いを目の前にして感動しました。

師匠は私達の事を気遣い豪華なお食事を用意して下さいました。
師匠自らも召し上がられ明日の晴れの舞台に備えられ、友達は他のホテルへ(私が宿泊だった)私達は床に着きました。(私は目がさえています)

12時近く唸り声が聞こえ「医務室へお願い!」
と師匠の声。(慌てましたね)
取りあえずホテルの方に~
そのあとは救急車中で先ず仲間に(その時は携帯が出始めたとき、役に立ちました)
車中で色々聞かれたのですが、なんせ、ついて行った身ですので正確な答えが見つからず「明日受賞なんです~々~」とばかり

救急につき検査の為に運ばれていく師匠~
残る私達は山村久子(四世お家元の妹)先生の支持を受けたわけです。

先生曰く「高齢のため検査やら様子を見ないといけないので入院を」と~
「Mちゃん!ここ出してもらって!」と師匠。

事情を説明してもダメでした(90歳を過ぎてましたから)

ほとんど寝ずに私は会場となった国立劇場へ

もう一人は師匠の病院へ

師匠が「着物は帯は、履物は?」と朝になったらお元気に言われたそうです。(着物はホテルに)

そんな、こんなで会場に着いた師匠は、すでに始まっていたので入れませんでした。(どうして~!受賞本人なのに~~)

とんだ珍道中でした!

平成一五年の春師匠は九十六歳で永眠しましたが、弟子たちの作った写真集
のなかで次のような事を載せています。

両陛下御臨席の栄えある式典に侍らせていただき、若津也一生 忘れ得ぬ
身  に余る感激の許し文部大臣より文化財保護功労賞としての表彰を受け
古典の道にあればこその芸冥利と身にしみじみと感慨無量の幸せを持たせて
頂きました。
    若津也

 東への 栄えある旅や 空き澄めり

 この道に あればこそ 秋 功労賞

 秋深し 古典を守り 栄えある日    と師匠の句です。

今は追憶、懐かしさで涙がこぼれます。