疲れも癒え、のどの調子も元に戻ってきたので、そろそろ更新しますね。
GWどこにも行かずに家に引きこもっているのもなー、と思ってどこかに出かけることにしました。交通手段は自転車で。お金は出来るだけかけないで。
で、当日。
整備をしておいた私の愛機、CSE(=Charinko Super Express)に乗っていざ出発進行。
まずは、登呂遺跡へ。
その昔ははるばる遠くからたびたび顔を見せたりしました。登呂祭りもあったことだし。最近はめっきり行くことはなくなりましたが。
ちなみに登呂遺跡は、大戦中に軍需工場を建てようと思ったら下から弥生時代の遺構が見つかっちゃったよ、というものです。つまり弥生時代の遺跡です。
発見当時はそりゃあすごかったようですが、後に発見された吉野ヶ里遺跡に人々の目をほとんど持っていかれちゃったわけですね~。
!?
おそらく地元民しかわからないことだとは思いますが・・・。
なんか建物が増えてる。得体の知れない建物まである。ていうか、こんなに開けてた場所だっけ?
なんかこう、もっと木々がうっそうと茂っていた気が。
何年も訪れていない人でも鮮明にわかるこの変化。マジでどうした??
弥生時代といったらこれ。竪穴式住居。学校で習ったことと思いますが。なんか新造されているwww
なんぞこれ?
一瞬高床式倉庫かと思ったら違うんだよ、細かいところが。
具体的には大きさが違う、なんか扉がある、屋根から柱が生えてる、ねずみ返しがない・・・・・・。おかしいよ、これ。
もっと奥に入ってみると、過去の記憶がよみがえってきますね。写真の近辺はさながら林の状態だったんですわ。
文字が刻印されたでかい石も写真の隅っこに放置されています。なんてこったい。
さらに、ここからさらに南へ行くと水田があるんですが、そこへの道中にも林があるんです。それもほぼ伐採されているんです。すごい炎天下で暑いです。
それよりも、博物館がぶっ壊されているwwwww
看板にはリニューアル工事、H22年リニューアルオープンとか・・・。
もう一体何が起きているんだか・・・。
驚愕しつつ遺跡内を探索していると事情を知っていそうなおばさんがいたので話しかけてみました。いったいどうしたの?馬鹿なの?
おばさんの口によると、H11年から行っていた再発掘調査(そういえば穴掘っていたな)をやってみたら色々見つかったりして、遺跡を再整備をすることになりました、と。
そして、再整備するに当たってかつてのムラの再現をすることに。
新しく作られた竪穴式住居は弥生時代のときと同じ位置に、茂っていた林も弥生時代にあったもの以外は伐採。
ちなみに得体の知れない建物は、新たに見つかった祭壇のようです。
博物館もそれに合わせてリニューアルしているんだそうです。
う~、全然知らなかったですね。
確かに、私の持つ登呂遺跡のイメージは遺跡というよりも、本当ただの広場、公園でしたので今回の遺跡への変化はいいことだと思いますよ。
ただ、うっそうとしげしげした林がなくなるのはさびしいですね。
ちなみに遺跡の隅っこのほうには昔からある竪穴式住居と高床式倉庫が保存されていました。これは嬉しい。
これがあれば、かつての登呂遺跡を思うことが出来るものです。これからも残していってほしいですね。
変わる登呂遺跡を後にしたら、次なる地へ向かいます。
つづく。
GWどこにも行かずに家に引きこもっているのもなー、と思ってどこかに出かけることにしました。交通手段は自転車で。お金は出来るだけかけないで。
で、当日。
整備をしておいた私の愛機、CSE(=Charinko Super Express)に乗っていざ出発進行。
まずは、登呂遺跡へ。
その昔ははるばる遠くからたびたび顔を見せたりしました。登呂祭りもあったことだし。最近はめっきり行くことはなくなりましたが。
ちなみに登呂遺跡は、大戦中に軍需工場を建てようと思ったら下から弥生時代の遺構が見つかっちゃったよ、というものです。つまり弥生時代の遺跡です。
発見当時はそりゃあすごかったようですが、後に発見された吉野ヶ里遺跡に人々の目をほとんど持っていかれちゃったわけですね~。
!?
おそらく地元民しかわからないことだとは思いますが・・・。
なんか建物が増えてる。得体の知れない建物まである。ていうか、こんなに開けてた場所だっけ?
なんかこう、もっと木々がうっそうと茂っていた気が。
何年も訪れていない人でも鮮明にわかるこの変化。マジでどうした??
弥生時代といったらこれ。竪穴式住居。学校で習ったことと思いますが。なんか新造されているwww
なんぞこれ?
一瞬高床式倉庫かと思ったら違うんだよ、細かいところが。
具体的には大きさが違う、なんか扉がある、屋根から柱が生えてる、ねずみ返しがない・・・・・・。おかしいよ、これ。
もっと奥に入ってみると、過去の記憶がよみがえってきますね。写真の近辺はさながら林の状態だったんですわ。
文字が刻印されたでかい石も写真の隅っこに放置されています。なんてこったい。
さらに、ここからさらに南へ行くと水田があるんですが、そこへの道中にも林があるんです。それもほぼ伐採されているんです。すごい炎天下で暑いです。
それよりも、博物館がぶっ壊されているwwwww
看板にはリニューアル工事、H22年リニューアルオープンとか・・・。
もう一体何が起きているんだか・・・。
驚愕しつつ遺跡内を探索していると事情を知っていそうなおばさんがいたので話しかけてみました。いったいどうしたの?馬鹿なの?
おばさんの口によると、H11年から行っていた再発掘調査(そういえば穴掘っていたな)をやってみたら色々見つかったりして、遺跡を再整備をすることになりました、と。
そして、再整備するに当たってかつてのムラの再現をすることに。
新しく作られた竪穴式住居は弥生時代のときと同じ位置に、茂っていた林も弥生時代にあったもの以外は伐採。
ちなみに得体の知れない建物は、新たに見つかった祭壇のようです。
博物館もそれに合わせてリニューアルしているんだそうです。
う~、全然知らなかったですね。
確かに、私の持つ登呂遺跡のイメージは遺跡というよりも、本当ただの広場、公園でしたので今回の遺跡への変化はいいことだと思いますよ。
ただ、うっそうとしげしげした林がなくなるのはさびしいですね。
ちなみに遺跡の隅っこのほうには昔からある竪穴式住居と高床式倉庫が保存されていました。これは嬉しい。
これがあれば、かつての登呂遺跡を思うことが出来るものです。これからも残していってほしいですね。
変わる登呂遺跡を後にしたら、次なる地へ向かいます。
つづく。