黒鉄重工

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北米project 5 ~How do you like Canada? その58【2016/6/15~22】

2025-01-08 22:29:40 | 海外旅行記
2016年6月19日(日)15時17分
オンタリオ州オタワ カナダ航空宇宙博物館
半日過ごしたカナダ航空宇宙博物館から撤収します。
ここへ行くときは近くのバス停から歩きましたが、帰りは博物館の目の前から出発するバスに乗ります。
OCトランスポの#129系統に乗ってブレア (Blair) まで行きます。車両はNFI インベロ (#4295) です。


ブレアは路線バスのジャンクションになっていて、ここで#12系統に乗り換えます。横断歩道じゃないところを横切ったら怒られてしまいました・・・。
車両はNFI インベロ (D40i) です。NFIが2002年~2007年に製造していた低床路線バスです。張り出した3次元曲面風防と「ベルーガ」と呼ばれる前部が膨らんだ屋根のラインが特徴です。あんまり売れなかったのでインベロの生産ラインは早々に閉じてしまい、別の車種に移行しています。


後ろはこんな感じ。窓が小さいしエンジン排気管が屋根から突き出ているのが特徴的。
こっちのバスの空調装置は車両最後部に床置きする事が多かったですが、屋根前部に配置したので定員が増えたんだと。


リドー運河近くのバス停で下車します。ここはどうやら路線バスの系統が集まるメインストリートのようなので、少しOCトランスポのバス撮影をしましょうか。
これはNFI D60LFR (#6625) #98系統Tunney's Pasture。低床連接バスです。


これもD60LFR (#6661) #85 Bayshorf。


Invro (D40i) (#4263) #5 Billings Bridge。現地ではベルーガと呼ばれていますけど、自分から見ると昔のレインボーを思い出させるスタイリングだと思います。


AD Enviro500 (#8122) #1 South Keys。
BCトランジットでも二階建て路線バスのEnviro500です。ただしBCトランジットの車体よりも車高を下げて車長を延長した低車高長尺型です。さらにOCトランスポの車両は2015年マイナーチェンジ後のタイプです。外観としては前面意匠に変更がかけられているので、分かりやすいですね。


NFI D60LF (#6355) #95X Tunney's Pasture。


Orion VII NG HEV (07.501) (#5063) #86B Baseline。中型バスです。2020年までに全て廃車になっています。


観光用の水陸両用バスもいました。


オタワの目抜き通り、スパークス・ストリートです。自動車進入禁止の歩行者専用モールとなっています。この交差点の角に建っている建物いいよね~。


カナダの国会議事堂です。国の政治の顔だけあって美しい建物です。ここには明日ご挨拶に伺います。


STO (Société de transport de l'Outaouais) のNova LFS (#1103) #59 Rivermead。これは旧塗装車ですかね。


リドー運河につきました。カナダ航空宇宙博物館だけで一日終えることも考えていましたが、ちょっと早く上がることができたのでプランBとして考えていたリドー運河を見に行くことに。国会議事堂の隣りにあります。



リドー運河はオタワ(オタワ川)とキングストン(オンタリオ湖)を結ぶ全長202kmの運河です。1926年に着工してから僅か6年で完成を果たしています。その秘密は、運河の大部分が天然の河川や湖を利用して建設されたからです。人工の部分は19kmくらいと言われています。
リドー運河のハイライトは、オタワ川と接続する位置にある閘門(ロック)です。オタワ川とそこから延びる運河との高低差は24mあるので、その高低差を解消するために階段状の閘門が8連もあります。


リドー運河は元々軍事施設として建設されたものです。目的は、モントリオールとキングストンとの物流経路確保のためです。1812年に起きた米英戦争では、イギリス植民地のカナダ(旧アッパー・カナダ)もアメリカとの交戦国に入っていました。カナダとアメリカでの戦争ではオンタリオ湖周辺の領土の奪い合いが起きていました。といっても実態はインディアン同士の代理戦争だったわけで、さすが米英汚い。
元々無意味な戦争だったし、ナポレオンとも対峙して国力使いまくりのイギリスとそもそも国としての自立が弱く国力の低いアメリカの両国とも疲弊してしまったので、1814年に戦争は終結しました。その時に交わされた条約により北米大陸北東部の国境が確定しました。キングストン~モントリオールのセントローレンス川の国境はぐちゃぐちゃになっていますが、そういう歴史的経緯があるんです。
前置きが長くなりましたが、そういう武力衝突がもう次はないともいえないので、それへの備えとしてリドー運河は建設されたのです。
どういう事態を想定していたかというと、カナダの大拠点モントリオールとアメリカと対峙する最前線の軍事基地キングストンは、平時はセントローレンス川で行き交いますが、向こう岸はアメリカです。船舶が攻撃されたり川を封鎖されてしまうこともあり得るので、するとキングストンはたちまち干上がってしまいます。そこで、モントリオールからオタワ川を遡上してオタワからリドー運河を通りキングストンへ至る迂回経路を建設したのです。
結局、米英戦争以降米加の軍事衝突は発生しなかったので、リドー運河が本来の目的で使用されることはついぞありませんでした。いまは観光用の船舶が通るのと、冬場のスケートリンクとして使っています。


冬場は運河が凍結してしまうのでスケートリンクになるそうです。運河には信号機も横断歩道もないので通勤経路の近道として人気があるんだそうな・・・。


あれが閘門の管理事務所ですね。観光案内所も兼ねています。

というところで今日はここまで。


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