黒鉄重工

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東北project~Trains' last tour. その10【2017/10/7~8】

2020-05-11 21:49:50 | 旅行・イベント記

貨物列車の運転後はDB101は切り離されて留置していました。一般的な協三工業のモーターカーというかんじ。


KD10形KD11。元名鉄キハ10形で、富士重工のレールバスLE-Carの最初期の車両です。なんといっても2軸車が特徴です。ほぼ燐寸箱客車。
バス用部品を多用することで車両製作コストを削減することを目的にしたのがLE-Carでした。小型軽量なので運用コストも下げられたはず。
ただ鉄道会社で使ってみると小型故にラッシュ時には輸送力不足になって2両編成にしなければならず、却って運用コストは増えた模様。小型車2台連結するよりも大型車1台の方がいいよねということになって、以降は大型化したLE-DCに移行しましたとさ。生産期間は1984年から3年間だけでした。それと車両寿命も短かったようです。現役でいる車両は1台もいませぬ。
攻めた設計の車両でしたが、攻めすぎたので後継車では設計が修正されるというのはなんだか後の209系みたいよなぁと。

で、このKD11は動態保存車なので時々KD95形に替わって走る日もあるのだそうで。


M15形M153。1955(昭和30)年に栗原電鉄が762mmから1,067mmに改軌したのに伴い3台新造した電車。ナニワ工機製。Mは電動車、15は15m級車体を意味します。分かりやすいね。
両運転台単行電車ですが、増結用の片運転台付随制御車C15形がありにけり。ことでん600形みたいなやつですね。
ノーシルノーヘッダーの金属製車体にコイルばね台車を持つ当時の地方私鉄としては意欲的ないわゆるデラックス電車です。接続する当時の東北本線は蒸気機関車時代ですから、さぞや近代的に見えたと思います。これだけの電車、鉱山マネーで造ったんですかね?
非電化後も廃線まで若柳駅で倉庫に使われていたのが効いて、今も保存されています。保存車は新しく建てられた屋根の下で保存されています。風雨を凌げるだけでも物持ちに大きく作用しますがこれを建てるだけでも数百万円掛かるでしょうから、大事にされていることが伺えるのです。


これは整備用車庫。公園整備に際し新しく建てたと思われ。
廃線まで使われていた車庫はこの奥にあって、資料館になっています。これから行きます。


TMC100F。


廃線したとは思えない活気のある駅になっています。車両が多く置かれているのもそうですが、それがきちんと整備されて輝きがあることや人間がホームに立っているのもうまく作用していると思います。


ED203と貨車だけで展示されています。完全に貨物列車です。良いです。


KD95形が戻ってきました。


スロープを敷きます。段差ありますからね。でもKD95形には車内のステップが付いていないんです。



乗客が下車。この通り、結構乗っています。


M153。前面は湘南顔を平面に潰したような感じもしますし小田急2200形のような印象にも感じます。


昼飯時になったので、鉄道公園のすぐ隣にある農産物直売所「くりでん」にある食堂でお昼ごはんを食べました。
「はっと汁定食」です。はっと汁は東北地方太平洋側の郷土料理で、すいとんと餃子の皮の中間のような薄く伸ばした小麦粉生地の皮が入っています。汁はけんちん汁みたいな醤油味。
それと焼きおにぎり、惣菜2皿が付いていきます。おにぎりの量が少ない以外は満足の定食でした。



保存鉄道は一通り楽しみましたので、次は「くりでんミュージアム」に行ってみましょう。くりはら田園鉄道の若柳車庫を活用した資料館です。


機関車庫(右)と検修庫(左)が現存します。
車庫と検修庫の外にも線路が延びていて、庫内にある車両を表に出すことも出来るようになっていますね。なお、若柳駅と車庫の間の線路は道路に寄って分断されています。
外観をざっとみたところで、入館します。入館料510円也。あとはお土産とお布施を兼ねてM15形の鉄道コレクションを買っていきました。この鉄コレは一般販売もされていますが、屋根が末期時代の紺色の資料館限定版もありにけり(一般版は初期の灰色屋根)。私は両方買っていきました。両方買うとM153の番号がダブるんですが、ダブった方は江ノ電みたいな緑とベージュの塗装に塗り替えてM152の番号を充てがうのもいいかもしれませんね。そう思っていながらまだ手を付けていないんですけども。


館内にはくりはら田園鉄道の来歴とか道具とか書類とか切符とかジオラマとか色々あります。
初めから鉱山鉄道として建設されたわけじゃなく、栗原地域と東北本線を繋ぐための鉄道だったのね。会社の体制が二転三転どころか七転八起くらいしているのも興味深いです。細倉鉱山まで延伸したのは1940年代初頭の戦時需要の高まりからで、その頃から第三セクター化するまでの間、三菱鉱業系の会社になってます。ここにも三菱が出てくるとは。しかし鉱山マネーが無ければ21世紀を迎えることは出来なかったでしょうし。
詳しくは現地に行ってみてね。


ちなみにこれは昔の水準器。使い方ワカンネ。


資料館の間を抜けると、機関車庫です。KD10形が保存されています。

というところで今日はここまで。




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