今だから言うが,AKBの「ヘビーローテーション」を最初「ベビーローション」だと勘違いしていた。
「これは難しいので書けなくても良い」というのは多義的である。
実際に出題された当時は,「書けなくても受かる(受かった)」という意味なら正解である。
しかし,「今後も無視してよい」という意味であれば大きな誤りである,という事である。
典型例は,適用違憲だろう。いまどき,気がつかない,書かない奴なんていない。そもそも,日々「試験対策は進化」している。フレーム講義を受けた人なら,第2回本試験憲法で,信教の自由で攻めるべき事は問題文を「一読」すれば気がつく。しかし出題当時は,財産権か,信教の自由か,それが問題となる,というくらい再現が割れていたのである。「問題文をを書き写せば受かる」,「規範なんて要らない」という超絶妄言も有名なのでご存知の方も多いかと思う。今時,そんな馬鹿言うやつはいない(と信じたい)。自分が受験生の時は,「問題文の読み方」なんて誰も指摘していなかったし(「答案の書き方」は連呼されていたが),「事実の評価」という言葉も見た事がなった。これらは,塾生ならいまや常識である。
司法試験で困るのが,試験委員の想定しているベスト・パフォーマンスのレベルが高すぎて,実際には書けやしない点にある。というか8ページでまるでおさまらない!なので,実際の合格答案レベル(「上位」答案でも間違いが非常に多い)と,想定模範答案レベルの乖離が激しいのである。これだけ乖離が激しい試験は,史上初じゃなかろかと思うほどだ。
なので,日々の試験対策のレベル設定に苦悶することになるのである。旧司法試験時代はA答案のレベルがそれなりに模範答案に近いといえたので,それなりに参考になったが(但しあくまでも「参考」である),今の本試験ではそうは言えない。そういう意味で新時代の再現答案の利用法というものを模索しないといけない。悩んだらプロに聞けばいいのである。
実際に出題された当時は,「書けなくても受かる(受かった)」という意味なら正解である。
しかし,「今後も無視してよい」という意味であれば大きな誤りである,という事である。
典型例は,適用違憲だろう。いまどき,気がつかない,書かない奴なんていない。そもそも,日々「試験対策は進化」している。フレーム講義を受けた人なら,第2回本試験憲法で,信教の自由で攻めるべき事は問題文を「一読」すれば気がつく。しかし出題当時は,財産権か,信教の自由か,それが問題となる,というくらい再現が割れていたのである。「問題文をを書き写せば受かる」,「規範なんて要らない」という超絶妄言も有名なのでご存知の方も多いかと思う。今時,そんな馬鹿言うやつはいない(と信じたい)。自分が受験生の時は,「問題文の読み方」なんて誰も指摘していなかったし(「答案の書き方」は連呼されていたが),「事実の評価」という言葉も見た事がなった。これらは,塾生ならいまや常識である。
司法試験で困るのが,試験委員の想定しているベスト・パフォーマンスのレベルが高すぎて,実際には書けやしない点にある。というか8ページでまるでおさまらない!なので,実際の合格答案レベル(「上位」答案でも間違いが非常に多い)と,想定模範答案レベルの乖離が激しいのである。これだけ乖離が激しい試験は,史上初じゃなかろかと思うほどだ。
なので,日々の試験対策のレベル設定に苦悶することになるのである。旧司法試験時代はA答案のレベルがそれなりに模範答案に近いといえたので,それなりに参考になったが(但しあくまでも「参考」である),今の本試験ではそうは言えない。そういう意味で新時代の再現答案の利用法というものを模索しないといけない。悩んだらプロに聞けばいいのである。
司法試験は,いくら底力があろうが「受からなければ仕方がない」が,「受かりさえすれば良い」ものでもない。むしろその先に激烈な競争が待っている。力を付けすぎて困ることなど無い。
色々な方法論と言うのはあると思うが,普段の試験対策は,「エベレスト登山」のつもりでスキルアップを図り,本番は「奥多摩登山レベルで十分」と割り切ればよいと思う。最初から,「再現答案を頂点とする勉強」しかしないのは論外。効率が良いと思っているかもしれないが,扱い方を間違えれば自殺行為になる。結論を言えば,実際にはそのレベルにすら届かない。70点を頂点とした勉強をすれば,本番ではせいぜい50点程度にしかいかない。そんなもんである。「努力水準」は「目標水準」を越えていなければ駄目なのだ。
再現答案は,実際にはこの程度でも受かる,というイメージ作りには必要だが,それを「勉強の質のゴール」にしてしまうのは大変危険である。まぐれで受かればまだ良いが,いつまでも受からない危険の方が高いと思う。
それから,如何に難易度が高かろうが,一度出題され,「過去問題」となった以上,そこで問われた内容は受験生にとっても試験委員にとっても「常識」である。なので,如何に過去問題のクオリティが高すぎようが,「出た以上」は,そこで問われた内容・手法はマスターしておくべきである。現に繰り返し同じことを聞いてきているので,その点につき書ければそれだけでも「手抜き勉強」している連中に大差をつけられる。試験場で,現場処理のみで初見の高度な内容に対応する必要は無い。寧ろ気にしないで良い。しかし一度問われた内容は,「常識」レベルになる。なので出たら対応できないと拙い。
また,「事案の特殊性」を把握できるようにするには,「本件では何がどう特殊なのか」,多くの事案に触れて慣れていくしかない。なので,トコトン試験問題における「ひねり具合」は探求しないと駄目なのである。
効率の良い勉強と手抜き勉強は紙一重である。
色々な方法論と言うのはあると思うが,普段の試験対策は,「エベレスト登山」のつもりでスキルアップを図り,本番は「奥多摩登山レベルで十分」と割り切ればよいと思う。最初から,「再現答案を頂点とする勉強」しかしないのは論外。効率が良いと思っているかもしれないが,扱い方を間違えれば自殺行為になる。結論を言えば,実際にはそのレベルにすら届かない。70点を頂点とした勉強をすれば,本番ではせいぜい50点程度にしかいかない。そんなもんである。「努力水準」は「目標水準」を越えていなければ駄目なのだ。
再現答案は,実際にはこの程度でも受かる,というイメージ作りには必要だが,それを「勉強の質のゴール」にしてしまうのは大変危険である。まぐれで受かればまだ良いが,いつまでも受からない危険の方が高いと思う。
それから,如何に難易度が高かろうが,一度出題され,「過去問題」となった以上,そこで問われた内容は受験生にとっても試験委員にとっても「常識」である。なので,如何に過去問題のクオリティが高すぎようが,「出た以上」は,そこで問われた内容・手法はマスターしておくべきである。現に繰り返し同じことを聞いてきているので,その点につき書ければそれだけでも「手抜き勉強」している連中に大差をつけられる。試験場で,現場処理のみで初見の高度な内容に対応する必要は無い。寧ろ気にしないで良い。しかし一度問われた内容は,「常識」レベルになる。なので出たら対応できないと拙い。
また,「事案の特殊性」を把握できるようにするには,「本件では何がどう特殊なのか」,多くの事案に触れて慣れていくしかない。なので,トコトン試験問題における「ひねり具合」は探求しないと駄目なのである。
効率の良い勉強と手抜き勉強は紙一重である。