新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

小村雪岱とその時代(下)

2010-02-02 06:28:26 | 映画

朝になって大雪が積もっていたら、そのことを書こうかとも思いましたが、大したことはありませんでしたので、2月1日の「100202_1_1


いつになく観客が多かった埼玉県立近代美術館(MOMAS)、 NHKの日曜美術館アートシーン~展覧会情報~で紹介されたり、雑誌「芸術新潮」が最新号で小村雪岱の特集を組んだことが影響しているのでしょう。
しかも、うれしいことに、「小村雪岱とその時代」を観た人がこの展覧会に満足しているのでしょう、図録(かなり凝った装丁)の販売が好調のようです。
私が出かけた時には、「お一人様一冊」の販売制限がかかっていました(ちょっと前までは「お一人様二冊まで」だったらしい)。会期の3/4が過ぎた段階で増刷を検討するなんて(確定かも)、MOMASファンの私にとってうれしいかぎりです。

   

さて、清楚でかわいらしい「おせんちゃん」と対照的だったのが、これもまた邦枝完二・作の新聞連載小説「お傳地獄」の挿絵でした。
実在の人物で、悪女だ、毒婦だと評判のよろしからぬ高橋お伝を描いた小説だけに、雪岱の絵も妖艶そのものです。芸術新潮の雪岱特集号の表紙を飾っているのが、それです。


芸術新潮 2010年 02月号 [雑誌]
芸術新潮 2010年 02月号 [雑誌]
価格:¥ 1,400(税込)
発売日:2010-01-25

この作品、オリジナルの構図では、画面の右半分を占める彫り師の後ろ姿(黒い髷と黒い着物)が、ロートレックの「アンバサドールのアリスティ・ド・プリュアン」を思い出させて、お傳の白い肌と見事なコントラストを見せています。

こんな色っぽい絵が読売新聞に毎朝載っていたなんて、ちょいと問題ありませんか?
もっとも、日経新聞に失楽園が連載されていたのと似たようなものかもしれませんナ。


お傳地獄」の挿絵で、更に強烈だったのが、この作品でした。

100202_1_2

川面から突き出した脚…。シンクロナイズド・スイミングではありませんヨ


これを思い出しませんか?

100202_1_3

こちらは市川崑監督の「犬神家の一族」の有名なシーン(佐清のマスクと双璧を為す)です。


犬神家の一族 [DVD] 犬神家の一族 [DVD]
価格:¥ 4,935(税込)
発売日:2000-08-25

犬神家の一族 通常版 [DVD] 犬神家の一族 通常版 [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2007-07-06

こりゃ、よく言えば雪岱へのオマージュ、悪く言えばパクリでしょう。


もう一点、異彩を放っていたのは、これもまた邦枝完二との名コンビによる作品「喧嘩鳶」のポスターでした。
揃いの着物(柄は「車」)を着た数人の鳶衆に混じって走る姐さんが艶っぽい
雪岱にしてはかなり太い線ながら、描かれた兄さん・姐さんのしなやかな姿や構図は、まさしく雪岱

この絵は、ネットで探したのですが、結局見つけられませんでした。残念です
これも是非現物をご覧いただきたいッ! と思う次第です。

   

雪岱の肉筆画もたっぷりと展示されていました。

MOMASの通常展で何度も観た「青柳」「落葉」「見立寒山拾得」などの他、初めて観た「雪兎(企画展のチラシに採用されています。MOMASの所蔵品とは知りませんでした)」とか、「星月夜」とか、

100202_1_4

この「春告鳥」とか、どれもこれも「貰って帰りたい」と思う、かわいらしい、素敵な作品でした。


雪岱の作品に共通するのは、どれも余分なものが描かれていないことだと思います。
必要最小限しか描かない、余白があっても気にしない(?)、そんな「すき間」で、観る人の心が共鳴するのかもしれません。

   

最後のコーナーは、歌舞伎を始めとする芝居の美術・時代考証の仕事。

私は、「雪岱以前」の舞台美術がどんなものだったのか知りませんので、この分野での雪岱の業績がどれほどのものか判断することはできません。

ただ、言えるのは、展覧会のコーナーのタイトル「檜舞台の立役者-名優の信頼をあつめて」のとおり、役者の信頼や支持を得られたからこそ、あれほど多くの演目で美術を担当したのだろうということです。

   

ほんと、腹一杯の満足感に浸れる展覧会でした。

この展覧会が「雪岱再発見」のきっかけになってくれるとうれしいと思います。

と、ふと考えこんでしまったのは、一時は「春信の再来」とまで称されて、その作品が載れば、その新聞の発行部数が伸びるほどの人気を博した雪岱が、どうして「知る人ぞ知る」マイナーな画家になってしまったのか、ということです。


一つには、雪岱が風雲急を告げる1940年に亡くなったため、戦後のパラダイム変換の中で(戦前のものとして)その存在が忘れられたことがあるでしょう。
加えて(それ以上に)、「雪岱は大衆のもの」とみなされたことが大きいのではないかと思って(勘ぐって)います。

感性よりも「知性」が勝る方々が幅を利かせる内に、フェイド・アウトしてしまった…。そんな気がします。

私が観た1月31日にMOMASで講演会が開催されました。
そのタイトルは、「昭和の春信・小村雪岱を応援する」。
まさしく、同感

雪岱さんを応援しますよ、私は

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする