asahi.comの社説(http://www.asahi.com/paper/editorial20120609.html)。続いて、東京新聞の社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012060902000147.html、http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012060902000148.html)とコラム「洗筆」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012060902000149.html)。
今日も、やっぱり我慢できない! 今日も書く。腹が立ってしょうがない。蟷螂の斧で、いくら言っても、電力会社やムダ政権には痛くも痒くもないのだけれども・・・。だからこそマスコミや原発反対派の議員に期待している。マスコミ、頑張ってくれ。国会の前での反対派市民の動きをもっと大々的の報じてくれ。
asahi.comについて、以前カマトトじゃないかと指摘した。今回も、すごくいい社説だと思う。よく言ってくれている。でも、こんかいのasahi.comの社説もカマトトじゃないでしょうかね。「野田さん、本気で原発を減らす気があるんですか」なんて言ってる場合か? そんなのある訳ないではないか。記者クラブ所属のマスコミ記者しか質問できないのだろうから、もっとしっかりと批判精神を発揮したらどうか。原子力ムラ住人(福井県知事やおおい町長)との猿芝居ブリをもっと炙り出してはどうか。
『●電気は必要ないので、原発再稼働しなくて良いという論理的帰結』
『●カマトト「九電原発再開賛成やらせメール事件」』
世界中に迷惑をかけ、今もかけ続けている。空の汚染は続き、汚染された生物は、食物連鎖・食物網で世界中の人々に影響を及ぼす。それにも関わらず、まだ、原発再稼働だの、原発輸出だの言っているのだから、神経が知れない。
電力が足りない?、電力値上げ?、3.11以降、今まで電力会社や国は一体何をやっていたのか。その前に、本当に電力は足りないのか? いつ?、どのくらいの時間か? 原発なしでも、本当は足りるのではないか? 我々を脅す口実に過ぎないのではないか?
あるだけの電力でなんとかすればいいじゃないですか? 世界に発するメッセージは、松下竜一さんの『暗闇の思想』であるべきだ。
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【http://www.asahi.com/paper/editorial20120609.html】
2012年6月9日(土)付
首相会見―脱原発依存はどこへ
原発政策を主題にした野田首相の記者会見は初めてだった。それが、こんな内容なのか。
関西電力の大飯原発3、4号機を再稼働させる。停電が起きれば、命の危険にさらされる人が出る。動かさないと電気代も上がる。企業や家庭に影響が出る。空洞化も加速する。首相は脅さんばかりに語った。
さらに原発が重要な電源であり、夏場の限定稼働では国民生活を守れないと踏み込んだ。
いったい、「脱原発依存」はどこへ行ったのか。
根幹となる中長期的な原発政策について、首相は国民に選択肢を示し、「8月をめどに決めたい」としただけだ。
当面、最低限の再稼働が必要と判断したとしても、中長期の方向性については揺らぎがないことを国民に説明するのが、首相がとるべき姿勢だ。
新たな原発はつくらない。40年たった原発は廃炉にする。これまでさまざまな場面で首相や関係閣僚が言及してきた脱原発依存への具体的な道筋には一切触れなかった。
これでは、政権の原発政策が大きく転換したと受け止められても仕方がない。
会見は、福井県の西川一誠知事に押し切られた形で設けられた。地元同意の条件として、原発の必要性を首相が直接、国民に説明するよう求めたからだ。
背景には、原発が減ることで地元の経済や財政が回らなくなることへの危機感がある。
しかし、原発への依存度を減らしていくことは政権の大方針だったはずだ。そこに言及すると、地元が納得しないというなら、再稼働のほうをあきらめるべきだろう。
福井県の姿勢にも、首をかしげたくなる。
昨春以降、政府に新たな安全基準を示すよう求め、足元の安全対策を見直させた意義は大きい。これまで、さまざまな苦労を抱えながら、原発との向き合い方を模索してきた自負があることもわかる。
だが、新たな原子力規制機関ができるまでの監視態勢に、福井県以外の周辺自治体を同列に参加させないことを再稼働の条件にする、とまでなると、度を超している感は否めない。
京都や滋賀の知事をはじめ周辺自治体が原発の安全性確保に関与を求めるのは当然だ。
両府県や大阪府・市が求める期間限定の再稼働についても、西川知事は「スーパーの大売り出しではない」と切って捨て、首相も一顧だにしなかった。
野田さん、本気で原発を減らす気があるんですか。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012060902000148.html】
【社説】
「大飯」再稼働会見 国民を守るつもりなら
2012年6月9日
国民の生活を守るため、野田佳彦首相は関西電力大飯原発3、4号機を再稼働させるというのだろうか。国民は知っている。その手順が間違っていることを。このままでは安心などできないことを。
これは原発再稼働への手続きではなく、儀式である。
西川一誠福井県知事の強い要請を受け、従来の発言をなぞっただけ、西川知事にボールを投げ返しただけではないか。誰のための記者会見だったのか。いくら「国民の生活を守るために」と繰り返しても、国民は見抜いている。そして儀式には、もううんざりだ。
国民は、首相の言葉をどのように受け止めたのだろうか。
「スケジュールありき、ではない」と首相は言う。しかし、長期停止した原発のフル稼働には六週間ほどかかる。そのような再起動の手順を踏まえた上で、小中学校が夏休みに入り、電力需要が本格的に高まる前に原発を動かしたいという、“逆算ありき”の姿勢は変わっていない。
経済への影響、エネルギー安保など、原発の必要性は、執拗(しつよう)に強調された。だが国民が何より求める安全性については、依然置き去りにしたままだ。
「実質的に安全は確保されている。しかし、政府の安全判断の基準は暫定的なもの」という矛盾した言葉の中に、自信のなさが透けて見えるようではないか。
会見で新たな安全対策が示されたわけでもない。緊急時の指揮所となる免震施設の建設や、放射能除去フィルターの設置など、時間と費用のかかる対策は先送りにされたままである。これでどうして炉心損傷を起こさないと言い切れるのか。どんな責任がとれるのか。首相の言葉が軽すぎる。
未来のエネルギーをどうするか。脱原発依存の道筋をどのように描いていくか。次代を担う子どもたちのために、国民が今、首相の口から最も聞きたいことである。それについても、八月に決めると先送りしただけだ。
「関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町だ」と首相は言った。言われるまでもなく電力の消費者には、立地地域の長い苦渋の歴史を踏まえ、感謝し、その重荷を下ろしてもらうためにも、節電に挑む用意がある。ともに新たなエネルギー社会をつくる覚悟を育てている。そんな国民を惑わせ、隔ててしまうのは、その場しのぎの首相の言葉、先送りの姿勢にほかならない。
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012060902000147.html】
【社説】
国会事故調 小手先の総括はだめだ
2012年6月9日
これで国民が納得するだろうか。国会の事故調査委員会が原発事故当時の東京電力社長、清水正孝氏を参考人聴取した。自己弁護のような受け答えに終始し、事故の総括ができるのか大いに疑問だ。
清水氏の聴取で最大の焦点となったのは、原発事故直後に作業員を「全面撤退」させる意向があったかどうかだ。「全面撤退」とは事故が手に負えなくなり、現場を放棄することだ。それは制御できない原発を有する資格はないのではとの根源的問題に帰着する。
これまでの聴取では当時の菅直人首相や枝野幸男官房長官ら政権の中枢にいた人物は、東電の全面撤退の意向を感じたと明確に答えた。しかし、東電の勝俣恒久会長は「検討したこともない。一部の作業員を除いて避難する意味だった」と食い違っていた。清水氏も「撤退という言葉は言っていない」と強弁し、「全員を引き揚げる考えはなかった」と述べ、水掛け論に終わった。
なぜ、こんな不毛な事態になったのか。清水氏は事故当時、官邸に対して不可解なほど何度も電話をかけたほか、官房長官らに「何人の作業員を残す」といった具体的なことも一切伝えなかった。そもそも原子力災害対策特別措置法では事業者から政府への連絡窓口は原子力安全・保安院と取り決めてある。清水社長が直接、官邸に電話してくる事態であれば、全面撤退と受け取るのは自然である。
国会事故調は「東電幹部と官邸との相互の不信感が背景にあるのではないか」と断じた。事故解明には、国と東電の危機管理のあり方とともに、実際に事故が起きた時の対応をつまびらかにする必要がある。清水氏は肝心の政府とのやりとりについては「記憶があいまい」とかわし、洗いざらいに明かそうとする姿勢が欠けていた。
今も被災地の十六万人が故郷を離れて暮らしている。国も東電も責任のなすり付け合いばかりなのは背徳行為ではないか。
これで国会事故調は主だった政界、東電関係者の参考人聴取は終えた。国政調査権という強い権限を持つ国会事故調に課せられた役割は大きいが、これまでは期待に応えたとはいえない。
事故から一年以上たった今も、事実が明らかになっていないのは異常である。歴史的な大事故をどう総括し、教訓として何を生み出すのか。今月中にまとめる報告書が、小手先の総括で済まされることは許されない。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012060902000149.html】
【コラム】
筆洗
米映画『八十日間世界一周』は、主人公が、それだけの期間で本当に世界一周が可能か友人と賭けをし、英国から旅立つお話▼半世紀以上も前の作品で、筆者も昔、テレビ放映で観(み)たはずだが、主人公が日本にも立ち寄り、鎌倉の大仏が出てきた程度の記憶しかない。ただ旅心をくすぐるテーマ曲は別。今も旅行番組などで使われるから、聞き覚えのある人も多かろう▼さて、福島大の研究グループが大学屋上で大気中の放射性物質を調べたら、昨年五月以降どんどん減ってはいるのだが、一定周期で増減することが分かったのだという▼どうも放射性物質は大気と一緒に四十日程度かけて地球を一周、各地にちりとともに落ちるなどしているらしい(NHK)。いやはや、あの映画の心楽しい雰囲気とは正反対、何とも胸塞(ふさ)ぐ“四十日間世界一周”だ▼<海は私たちを隔てているのではなく、つなげてくれている>。ミクロネシア連邦の非核憲法前文の一節だが、それが悲しく思えるような報道も最近、あった。微量の放射性セシウムが米西海岸沖のクロマグロから検出されたのだ。研究チームは「マグロが太平洋を横断、日本から運んできたのは間違いなさそう」と…▼汚染の恐るべき広がりを思う。昨日の会見など原発再稼働を急ぐ首相に地球は訴えているのではないか。あの事故を軽く考えるな、もう忘れたのか、と。
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