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●「焼け跡闇市派」野坂昭如さん死去:「最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと…」

2015年12月12日 00時00分21秒 | Weblog


東京新聞の記事【野坂昭如さん死去 「この国に戦前がひたひたと迫る」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121102000134.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015121102000157.html)。
asahi.comの記事【「反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去】(http://www.asahi.com/articles/ASHDB6G9THDBUCVL02P.html?iref=comtop_list_obi_n02)。

 《最後の原稿…末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」…七日に放送されたTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」には手紙を寄せ、アナウンサーが読み上げた。野坂さんはこの手紙で「僕は、日本が一つの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と憂えた》。
 《編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った》。


 《焼け跡闇市派》野坂昭如さん死去。《最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと…》。
 コラム【筆洗】には《八十五歳で逝った作家が言葉にし尽くせなかった「思い」を、思う》……アベ様らは、またそんな「思い」をさせる世の中に逆戻りさせようとしている。『●「そんな曲が交じっていないか。耳をそばだてる」…聞こえるのは、アベ様らの勇ましき進軍ラッパのみ』。

   『●村木厚子氏冤罪事件で学んだはず
    「野党が「田中角栄議員辞職勧告決議案」を提出する
     と言って騒ぎ始めると、二院クラブの参議院議員であった
     作家・野坂昭如氏が、「選挙民が選んだ議員を国会が
     辞めさせるのはおかしい。それでは民主主義にならない
     と私に言った。「その通り。辞めさせたかったら選挙で
     辞めさせるのが民主主義です」と私が言うと、しばらくして
     野坂氏が「田中角栄に挑戦する」と言って新潟3区から
     立候補を表明した」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121102000134.html

野坂昭如さん死去 「この国に戦前がひたひたと迫る」
2015年12月11日 朝刊

 九日に心不全のため八十五歳で亡くなった作家で元参院議員の野坂昭如(のさかあきゆき)さんが、亡くなる直前の九日午後四時ごろ、担当する雑誌連載の最後の原稿を新潮社に送っていたことが分かった。末尾の一文は「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」。「焼け跡闇市派」を自称した野坂さんは体の自由が利かない中、戦争体験者として最後まで日本人に警告を発し続けた。

 連載は、雑誌「新潮45」(二〇一六年一月号、十八日発売)の「だまし庵(あん)日記」。約十二年間続いた連載は、この百六回目が最後となった。

 版元の新潮社によると、原稿は日本の都会で暮らす人々の間で自然や農業への関心が薄れていると、食への危機感を表明。テロが脅威となっている世界情勢にも言及し、空爆では解決できない「負の連鎖」を断ち切ることが必要だとしている。

 七日に放送されたTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」には手紙を寄せ、アナウンサーが読み上げた。野坂さんはこの手紙で「僕は、日本が一つの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と憂えた。

 野坂さんは二〇〇三年に脳梗塞で倒れた後、闘病生活の中で、妻の暘子(ようこ)さんによる口述筆記の助けを借りながら積極的に発言を続けていた。

 葬儀・告別式は十九日午前十一時から東京都港区南青山二の三三の二〇、青山葬儀所で。通夜は親族のみで行う。喪主は暘子さん。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015121102000157.html

【コラム】
筆洗

 野坂昭如さんが、空襲と妹を餓死させた少年時代の体験を基に書いた小説『火垂(ほた)るの墓』。この名作の抜粋を読み、作者の心境を記せ-。野坂さんの娘さんが、学校でそんな課題を出されたことがあったという▼当然ながら娘さんは、父に「正解」を尋ねた。答えは、「あれはまあ、締め切りに追われて、後先なく、書いたんだけどね、特に心境といわれても」。さすがに、奥さんに「もう少し何とかいいようがあるでしょ」と怒られたそうだ▼野坂さんに言わせると、かの名作は「徹頭徹尾自己弁護の小説」なのだという。小説の「兄」は飢えて死にゆく妹のため、自分の指を切って血を飲ませるか肉を食べさせようかとまで考える。しかし、現実の自分は、かみ砕いて妹に与えるつもりの食べ物を、ついのみ込んでしまっていた▼そうして妹が死に、その体を抱き運んだときの思いなど、自分でもとらえがたいそういう思いは、他人に百分の一も伝えられず、言葉にしたとたん、自己弁護や美化がまじってしまうもの他人に思いを伝えるというのは、そういう厳しい営みなのだと(『忘れてはイケナイ物語り』光文社)▼野坂さんは『火垂るの墓』を読み返さず、映画化されヒットしても、悲しくなるからと、終わりまで見ることができなかったという▼八十五歳で逝った作家が言葉にし尽くせなかった「思い」を、思う。
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http://www.asahi.com/articles/ASHDB6G9THDBUCVL02P.html?iref=comtop_list_obi_n02

「反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去
2015年12月11日02時09分

 社会批判とユーモアに満ちた活動を続けてきた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなった。不意の別れを惜しむ声が、各界からあがっている。

 関係者によると9日午後9時半ごろ、自宅で横になっていた野坂さんの意識がなくなっているのを家族が見つけ、救急車を呼んだ。病院に搬送したが、午後10時半ごろ、肺炎からくる心不全のため死去したことが確認されたという。

 編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った。

 美術家の横尾忠則さんのもとには、雑誌の往復書簡企画のための手紙が、先週届いていた。眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え原発問題についても懸念する内容だったという。「野坂さんは60年代から一貫して貴重なメッセージを発信してきた。病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何だろうかと思う」

 永六輔さんが出演するTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」では、7日の放送で野坂さんからの手紙を紹介していた。日本が真珠湾を攻撃した12月8日が近付いていることにふれ、「日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と現代日本の針路を危ぶんでいた

 野坂さんの厳しい社会批判の言葉の裏には、空襲体験や家族を失った悲しみに根ざした弱者への愛が常にあった。「戦争童話集」シリーズの絵を担当したイラストレーター、黒田征太郎さんは「『戦争童話集』には胸を突く言葉があふれている。戦争をテーマに人間のちっぽけさを語ることができる人」と惜しんだ。………。
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