東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015122502000139.html)。
《/牛よ/恨め恨め/憎き者を恨め/お前を飼っていた者ではない。/こういうふうにした者たちを》。
《こういうふうにした者たち》とは誰だ?
『●大飯原発再稼働撤回に向けて、この熱気を見よ!』
『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ』
『●終わらない原発人災の影響:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」』
足蹴にされ、コケにされる東京電力核発電人災の被害者や避難者たち。
『●福井地裁判決「高浜原発3、4号機の再稼働を認めない決定」
…で、再稼働できない」はずなのに?』
『●西川一誠福井県知事が再稼働同意…福井地裁判決
「高浜原発3、4号機の再稼働を認めない決定」なのに?』
『●双葉町長「(原発PR看板)復興した時にあらためて復元、
展示したい」…それは『X年後』の何年後?』
『●「地元」や核発電「麻薬」患者の知事にコケにされる福井地裁
……福井地裁はヒヨらずに異議却下を』
『●東電原発人災避難者をコケにしていないか?……
「経済神話の否定」「環境神話の否定」を否定する愚かさ』
その苦しみを理解しようともしない。何の教訓も得ようとしない愚かな人たち。「原発さえなければ」…それを理解できないクルッタ司法、「地元」首長、「地元」民、原子力「寄生」委員会、自民党・公明党議員等々々々……東京電力原発人災の自覚無き犯罪者たち。
『●言葉が見つかりません・・・』
「須賀川市の野菜農家の男性(64)は、福島産野菜の一部に国の
出荷停止指示が出された翌日の二〇一一年三月二十四日に自殺した。
遺族によると、男性は原発事故後「福島の百姓は終わりだ」と話していたという」。
『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」』
『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」』
『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」
『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)』
『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
東京電力原発人災と自殺には因果関係あり』
『●「原発さえなければ…」:
それでも川内原発や伊方原発を再稼働したいの?』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015122502000139.html】
筆洗
2015年12月25日
< その人はどうしようもなくて/
牛を餓死させてきた/
と 言った。/
可哀想なことをしたが/
仕方がない/
とも言った。/
そして一枚の写真を取り出して見せた。/
それは牛が柱を食った写真だった>
▼そんな詩を、詩人で出版社コールサック社代表の鈴木比佐雄さんの新著『福島・東北の詩的想像力』で知った。福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる根本昌幸さんの「柱を食う」である▼詩は続く。
< この写真は自分を戒めるために/
離さずに持っているのだ/
とも言った。/
これはどういうことなのだ。/
牛よ/
恨め恨め/
憎き者を恨め/
お前を飼っていた者ではない。/
こういうふうにした者たちを>
▼その写真の持ち主はいま、どんな思いで原発再稼働の報を聞いていようか。九州電力の川内(せんだい)原発に続いて、関西電力の高浜原発も再び動く見通しとなった▼福井県知事は、「政府が責任を持つ」との首相の発言を重くとらえて再稼働に同意したそうだが、本当の「責任」の重さはいかほどのものか▼『福島・東北の詩的想像力』で、こういう詩も知った。福島県いわき市の芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ。
< 失ったものは永遠に帰っては来ない/
元通りに出来ないはずだのに/
責任をはたすって?/
何の責任をだ/
一体責任って何だ?>。
この「?」に首相らは、どう答えうるのか。
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