東京新聞のコラム【【私説・論説室から】戦争と水木しげるさん】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015120702000134.html)。
《あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね》。
「皇軍兵士として戦場で地獄を見た」水木しげるさん。《自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です。戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした》という水木さんの言葉は、戦争したい人々、「死の商人」たち、「戦争屋」たち、自公議員やその支持者達には聞こえないらしい。自公議員に投票できる親御さんや祖父母ら……、ブログ主には彼ら、彼女らの神経が知れない。
『●水木しげるさんと堀江邦夫さん:
原発ジプシーと云う地獄と戦場と云う地獄』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2015120702000134.html】
【私説・論説室から】
戦争と水木しげるさん
2015年12月7日
妖怪漫画の水木しげるさんが九十三歳で逝った。かつて何度かお目にかかる機会があったが、「『わが憲法』で生きてきた」という言葉が印象に残っている。
「軍隊でも『わが憲法』で行動したから、殴られるのは毎日でした」というように、その言葉を使った。鳥取の連隊でラッパ卒になったときのことだ。うまくラッパが吹けない。水木さんは「やめさせてくれ」と上官に直訴した。すると、「南方がいいか、北方がいいか」と聞かれ、「南」と答えたら、パプアニューギニアの激戦地に送られてしまった。
軍隊でも気を付けをしなかったり、敬礼をしなかったり…。それどころか、人よりも余計に眠るのが得意だったという。
「起きるのは一番遅い。起きて働くに値するような仕事は、なかったですよ」
現地の人の集落に入り浸った。終戦後は「ここの人間になれ」と勧められ、「本当に残ろうかなあ」と思って、軍医に相談してもいる。軍医もさぞや驚いたことだろう。
「自由を国家が制限するんですからね。一番いけないのが戦争です。戦争で死ぬんだと思うと希望もわきませんでした。ものすごい重圧でした。あれだけ国民をいじめた歴史はないんじゃないでしょうかね」
戦争で左腕を失う過酷な体験をしても、漫画の筆を執り続けた人の「わが憲法」には、「反戦」の文字がある。 (桐山桂一)
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