前回は、「大人」とは何かをエリクソンが論じている部分でしたね。
今日は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeの、青年期の部分の第3段落です。この第3段落は長いので、今日はその前半の部分を翻訳します。
動物が、個々に生まれながらに持っているパターンをキャッチボールするやり取りのある仕組みは、人間においては、子どもの時期と青年期を合わせた全体の時期にのみ、匹敵すると言えるでしょう。人間的な意味で十分に発達するとは、科学技術が支配する体制において、一定の席を占める準備をすることを意味するばかりではありません。それに加えて、自分の特定の仲間に固有の、取り消すことができない一定の価値とイメージを持つことも意味します。さらに今度は、敵意のあるアイデンティティを持つ人々や、時代遅れであったり、異質であったりする考え方をする人々を排除する(単に嫌いだから、道徳的に受け付けられないから、熱狂的な暴動、あるいは、戦争という理由から)用意があることも意味します。だからこそ、私は特定の危機を描くことに取り組んできたのです。その危機とは、青年期に心理社会的なアイデンティティのある感じが現れることに先んじており、しかも、その文化の儀式化に広くみられる考え方に対して備えができることにも先んじた危機です。この二つの過程が統合されて初めて、若者が青年期の新しい強さを今日の科学技術的・歴史的傾向と折り合わせる準備ができます。実際若者が(あるいは、とにかく、決断力のある若者が)、ここに記した生育歴上の要素を、技術的に自信のある日々の活動と統合することが出来る場合で、しかも、宗教的、民族的、ないしは、軍事的な性質の、定期的に行われる儀式と行事に関わることが出来る場合に、若者が世間に適応するための規則に対して心構えができて、その規則に程よく従うようになると、驚くほどに同調するイメージをもたらすことになります。そのイメージは多くの場合、既にある職場の雰囲気を受け容れることを基礎に完成するのだけれども、その職場の雰囲気は、第三者には嘘っぽく見えるかもしれません。
これで、青年期の部分の第3段落の前半の翻訳が終了です。
ここは翻訳が非常にしにくい部分でした。一つの文章が非常に長いからです。原則として、上から素直に訳しています。
さて、内容的にも、日本の社会と異なる欧米の文化がベースになっている社会の中での話なので、翻訳してもピンとこない方がいるかもしれませんね。技術的に自信のある仕事をしていても、宗教的・民族的・軍事的な性格のある儀式や行事に関わる人は、日本人にはほとんどいないのではないでしょうか? 逆に言えば、そういう儀式に関わることなく、日本人は適応のためのルールに従い、職場の雰囲気に従属して、集団に同調していることになるわけです。その際に、その集団に固有のイメージが大きな働きをすることが分かります。この点は非常に重要なのですが、後ほど論じます。
この段落の後半は次回です。青年期の負の側面が、次回登場します。こうご期待!
今日は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeの、青年期の部分の第3段落です。この第3段落は長いので、今日はその前半の部分を翻訳します。
動物が、個々に生まれながらに持っているパターンをキャッチボールするやり取りのある仕組みは、人間においては、子どもの時期と青年期を合わせた全体の時期にのみ、匹敵すると言えるでしょう。人間的な意味で十分に発達するとは、科学技術が支配する体制において、一定の席を占める準備をすることを意味するばかりではありません。それに加えて、自分の特定の仲間に固有の、取り消すことができない一定の価値とイメージを持つことも意味します。さらに今度は、敵意のあるアイデンティティを持つ人々や、時代遅れであったり、異質であったりする考え方をする人々を排除する(単に嫌いだから、道徳的に受け付けられないから、熱狂的な暴動、あるいは、戦争という理由から)用意があることも意味します。だからこそ、私は特定の危機を描くことに取り組んできたのです。その危機とは、青年期に心理社会的なアイデンティティのある感じが現れることに先んじており、しかも、その文化の儀式化に広くみられる考え方に対して備えができることにも先んじた危機です。この二つの過程が統合されて初めて、若者が青年期の新しい強さを今日の科学技術的・歴史的傾向と折り合わせる準備ができます。実際若者が(あるいは、とにかく、決断力のある若者が)、ここに記した生育歴上の要素を、技術的に自信のある日々の活動と統合することが出来る場合で、しかも、宗教的、民族的、ないしは、軍事的な性質の、定期的に行われる儀式と行事に関わることが出来る場合に、若者が世間に適応するための規則に対して心構えができて、その規則に程よく従うようになると、驚くほどに同調するイメージをもたらすことになります。そのイメージは多くの場合、既にある職場の雰囲気を受け容れることを基礎に完成するのだけれども、その職場の雰囲気は、第三者には嘘っぽく見えるかもしれません。
これで、青年期の部分の第3段落の前半の翻訳が終了です。
ここは翻訳が非常にしにくい部分でした。一つの文章が非常に長いからです。原則として、上から素直に訳しています。
さて、内容的にも、日本の社会と異なる欧米の文化がベースになっている社会の中での話なので、翻訳してもピンとこない方がいるかもしれませんね。技術的に自信のある仕事をしていても、宗教的・民族的・軍事的な性格のある儀式や行事に関わる人は、日本人にはほとんどいないのではないでしょうか? 逆に言えば、そういう儀式に関わることなく、日本人は適応のためのルールに従い、職場の雰囲気に従属して、集団に同調していることになるわけです。その際に、その集団に固有のイメージが大きな働きをすることが分かります。この点は非常に重要なのですが、後ほど論じます。
この段落の後半は次回です。青年期の負の側面が、次回登場します。こうご期待!