脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

早春に思うこと

2008年03月01日 | ブラッドパッチ後の変化
3月です。
希望と期待の春です。

昔々、交通事故に逢い、
それ以後のいろいろな不可解な症状に苦しめられ続け、
病院巡りを余儀なくされ、
検査に異常が出ないのに症状を訴える患者は医師にも嫌われ、
見放され、
冷たい目で見られ続けました。

医療からも放り出され、
誰にも理解されないまま、
ただひたすらじっと症状に
数十年耐えて耐えて生きてきました。

しかし、ついに
交通事故の怪我の後遺症が悪化して動けなくなり、
それに伴い、(脳脊髄液減少症)の全身症状も悪化してしまい、
寝たり起きたりのひきこもり生活になって、自力では家から出られず、
受診すら一人でできなくなったあの春から数えて、

実に数年目の春です。

こんなにも精神的にも身体的にも
いろいろな症状が日替わりで襲う病は今までにないと思います。


こんなに何年も自然治癒しない怪我は
そうめったにはないと思います。

やっと治療を受けてからも回復の速度がこんなにゆっくりで
波があり、
治癒にこんなに時間がかかる怪我は、
そう多くはないと思います。

こんなにも表現しづらい、
恐ろしいまでの不可解さをもった症状ばかりが襲う病も、
めずらしいと思います。

なにより、それほどまでの苦しみを患者被害者本人が感じているのに、
「元気そう」に見えてしまうこのアンバランスさを呈する病も
非常にまれだと思います。

痛みやだるさや、しめつけ感や、目の眩しさ
聴覚の過敏、感覚の異常などの、
本人だけが感じている症状が、
検査でデータ化できないものばかりであることも、
また、この病の無理解を増しています。

周囲にも家族にも、医師にもどこにも異常がないように見られやすく、
その苦しさが理解されないまま、
治療に健康保険もきかないまま、

これほどまでに、さまざまな面で
理解や支援に恵まれない病は
本当に稀だと思います。

一般的に世の中に重病と思われている病気に匹敵する
重い症状です。

それなのに、世の中の見方は
「たいしたことのない症状」と見た目で判断されています。

本人もまさか数々の体調不良の根本原因が
「脳脊髄液が漏れていることにある。」なんて、考えもしません。

あの時、動けなくなるほど悪化しなければ、
私は今も無理をして働き続け、

自分の症状の本当の原因について深く調べたり、
症状のすべてを含む病をパソコンで検索することもなく、

ただただ、ひたすら、治ったり悪化したりする体調に振り回されながら、
耐えるだけ耐えてなんとか普通の日常生活を維持するべく、
頑張り続けていたことでしょう。

時に高次脳機能障害での思考力低下、記憶障害や
感情のコントロールができないことで、
周囲に誤解されたり冷たい目で見られたり、ダメ人間扱いされたりしながらも、

それらの原因が
自分のせいではなく、脳の病態にあるということにも気づかないまま、
自分を責めつづけていたことでしょう。

あの日あの時、動けなくなるほどに悪化しなければ、
脳脊髄液減少症という病名にも気づかず、

ブラッドパッチ治療にたどりつくこともなかったでしょう。

そう思うと、
動けないほどに、交通事故後遺症が悪化して、
ほとんど寝たきり状態になり、
仕事をやめざるを得なかったことは、
当時は不幸と思いましたが、

長い目でみれば、幸運だったのだと気づかされます。

真の病名に気づくために、
治してくださる医師にたどりついて
今存在する中で最適な治療が受けられるために、

何か見えない力に導びかれるように、
まるで長年解けなかった謎が解けたように

私は「気づき
その「気づき」のままに
導かれて「脳脊髄液減少症」という病名にたどりつきました。

ブラッドパッチ治療を受けて以来、波はあるものの、
ものすごくゆっくりですが、体調が好転しはじめ

今は調子がいい日には自力で運転して
短時間ですが買い物もできるようになりました。

あの時の激悪化がなければ、
今の私はなかったことでしょう。

こういうことを「人間万事塞翁が馬」
「災い転じて福となす」というのでしょう。

この春は、さらに新たな気持ちで、
確かに存在するこの不可解で世に理解されない病に立ち向かい、

さらなる回復に向けての
希望の春
飛翔の春にしたいと思います。




コメント (55)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする