脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

愛が試される時 2

2007年06月07日 | つぶやき
公園2周歩いてきました。
56回目です。

昨日も55回目、公園1周歩いてきました。

最近、体調がよく、
1時間ほどしか、横にならなくてもいい日が多くなってきました。

特に、3日前の6月3日の日曜は、一日を通して起きていられました。

体調が絶好調で、何か、意識もいつもと違って、
思考がはっきりするような、現実が生き生きと感じされるような
不思議な体験もしました。

でも翌日の月曜日の4日は、
朝起きると、左の耳の中の鼓膜がポコポコと音がして、
気持ち悪い目覚めでした。

その日は呼吸も苦しく、不調で気力もなく、動けませんでした。

こんな激変が、演技でも仮病でもないのです。
これが脳脊髄液減少症の、
回復途中の患者の現実の姿です。

こんな日々を繰り返しながら、治っていくと信じたいです。

二日休んで、また昨日、今日と歩けました。

昨日は、また違った桜の大木の下に、小さい黒い真珠のようなさくらんぼ
地面一面に落ちている場所を見つけました。

ついつい幼子のように、
拾うのに夢中になってしまいました。
約1時間近く、無心で拾ってしまいました。

そのせいか腰が痛いです。

黒真珠のような小さい粒を、
「見つけて」→「つまんで」→「空のペットボトルにつめる。」という作業は、
脳や指先のいい「作業療法」になった気がします。

同じような作業療法を、
以前入院していた病院のリハビリ室で
脳疾患の方が行っているのを見たことあります。

脳脊髄液減少症の私にも効果があることでしょう。

今日も、違う桜の木の下で、さくらんぼ味わってきました。


さて、先日の続きです。

脳脊髄液減少症は、恐ろしい病です。

「見た目にその苦しさが現れない、検査結果にも異常がでない。」ため
世の中や医師に「病気と認められない」だけでなく、

私の体験では、
かなり深刻な高次脳機能障害まで起き、
感情のコントロールもきかず、

人柄まで変わったようになって、
私本来の性格が変化し、変化したほうを私のすべてと思われ、

「おかしな人間」「扱いづらい人間」と誤解され、嫌われることもあるからです。

精神的に不安定になり、
怒りっぽくなり、ひがみっぽくなり、
涙もろくなり

考えがまとまらなくなり、思考力が落ち、
判断力低下でおかしな言動も起き、
仕事も、家事もスムーズにきなくなり、

料理ができなくなり、
部屋もちらかり放題でかたづけられず

計算もできなくなり、家計も管理できなくなり、
通帳でさえ、どこにしまったか忘れるような状態になり、

火も消し忘れ、火事を出しかねない状態になり、

知人の名前も出てこないような状態になってしまいます。

言おうとしたことを、次々忘れ、電話は使えず、
話は飛び、
道に迷い、物をなくし、

それでも、医師には、「異常なし」と言われます。

もし、こんな誰にも理解されない症状にパートナーが苦しんでいても、
そういう怒りっぽい、ひがみっぽい、
憎まれ口ばかり話す、扱いづらい人格になっている時、

それでも、
病気が言わせている言葉や感情や
病気がさせている行動と、

その人のもともとの姿を見分け、

暖かい目と広い心で見守り、サポートし、

その人をその状態から助け出すために、
何か行動を起こせるでしょうか?

また、
生きているのさえ苦しいと訴えるパートナーを、
どう「死への誘惑」から守れるでしょうか?

「脳脊髄液減少症」という病態の存在に
一人の医師も気がつかなかった時代に、

多くの男女の間で、
「脳脊髄液減少症」という過酷な試練によって
「愛が試された  」のではないかと、

いえ、男女に限らず、
家族、友人、同僚、知人の間で、
「人間関係」が試されたのではないかと
私は想像しています。

決して、私ひとりだけの体験ではないように思います。


(つづく)

コメント (11)
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