脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

愛が試される時 3

2007年06月08日 | つぶやき
今日は腰が痛くて、思うように歩けず、
一日家の中です。

脳のリハビリに
ケーキを焼いてみました。

電動ミキサーを使って、まぜるだけのケーキミックスで
ひとりで全部作りました。
昨年のイブのケーキ以来、
まがりなりにも、ひとりでできるようになったのは感動です。

でも、手際も悪く、休み休みなので、朝から夕方までかかりました。
「かたづけながら」、が苦手です。

テーブルの上がぐちゃぐちゃになりながら、なんとか完成しました
でも、いい脳のリハビリになりました。



さて、しつこいですが、愛についての話のつづきです。

もし、パートナーがどんな状態になっても、
いつも信じ、励まし、支え、力になれるとしたら、
それは、ホンモノの愛かもしれません。

ファッションもかまえなくなり、
いつも大きめ、ゆるゆる衣服のジャージやフリース姿で、

くつは、いつも履きつぶしたスニーカーで、
髪もかまわず、
人が変わったようになった、パートナー。

時に別人のように元気そうに話し、動くパートナーを見ても、
医師の「異常なし」を聞いても、

それでも、本人の訴えの真実を見抜き、
苦しい症状を信じてあげられるとしたら、

それはホンモノの愛かもしれません。

無理解にさらされたことで、発せられる、いらだちや投げやりな言葉も、

症状が起こさせている、荒れた行動も、おかしな言動も、

その人の本質と、
症状によって現れている現象とを見分けて、
暖かな広い心で、その人を受け止めてくれるなら、

それは本当の愛や、思いやりかもしれません。

パートナーを愛する時、
自分に何か見かえりを期待する、
「条件つきの愛」ではなく、

その人を飾り立てる地位も肩書きも、お金も美貌も若さも、
何もかもがたとえなくても、

魂だけに近い、
「素の人間」のその人を愛せた時、

何も見返りを期待しない、
「無条件の愛」で愛せた時、

それはホンモノの愛かもしれません。

たとえ、一時は「異常なし」の医師の言葉を信じ、
苦しむパートナーを責め立てたとしても、

後で、この病態を知り、学び、理解しようと努力してくれ、
「苦しさを信じてあげられなくて、わかってあげられなくてごめん」と
たとえ医師だろうと、配偶者だろうと、友人だろうと、家族だろうと、

患者に潔く謝れる人間であったなら、
その人とは縁を切る必要は、ないのかもしれません。

人が何もかも失い、どん底の状態の時こそ、

その人に対する、
周囲の愛や思いやりの有無が、
試されているような気がします。

そういう意味では、
私は「脳脊髄液減少症」になったことは幸せなのかもしれません。

この病態のおかげで、周囲の人間を自然にフルイにかけられたのですから・・

自分の人生にとって、必要な存在の方々と、そうでない方がたを、
「脳脊髄液減少症」が見分けてくれたようなものです。

症状が起こす、怒りっぽい、ひがみっぽい、涙もろく、荒れた感情が
巻き起こす、言葉や行動。

病んだ仮面をかぶっていた私。
本当の私は別にいるのに・・・。

多くの人は、その悪の人格の「仮面の私」を
真の私だと思い込みます。

そして、低い人間性と判断され、離れて行きました

仮面の私がぶつける感情も、
仮面の私が起こす異常な行動も、
病気が起こしていたのに、

仮面の下の本当の私を見抜けず、
その仮面だけで判断して、去っていった人々との別れは、
必然のことだったのかもしれません。

そういった方がたは、
もともと、私には必要のない人だったのかもしれません。


私から遠ざかっていったのは、
「本当の愛や、友情や、思いやりや、理解」が
私に対し、なかった結果だと思えば、

過去のすべても受け入れられる気がします。

これからの人生、今までの分まで、

病気による感情の波も、
私自身の持つ欠点さえも、
まるごと受け止めるに耐えうる、寛大な心の方がたと出合って、

暖かく、優しい人間関係をお互いにはぐくみながら、
穏やかな、幸せな気持ちに包まれて、
残りの人生を生きたいと思っています。

苦しくつらい試練の時期は
「自分が試される時」でもあり、

「愛や友情という、周囲との人間関係が試される時」でも
あるように思います。

今後も、襲ってくるかもしれない人生の試練を、
乗り越えられても、乗り越えられなくても、

精一杯生き抜けば、

どんな結果も
それは自分の人生に必然だったことで、
人生に無駄な体験などひとつもないのだと、
納得して、人生を閉じられるような気がしています。

最後に、
ジューンブライドの花嫁さん
すべての新郎新婦さん

この時期、実をつける、さくらんぼのように、
よりそい、支えあって、

末長く、お幸せに・・・・・

(おわり)



追伸:
今夜はほえましい新婚カップル思いながら、
ブラッドパッチ後、初めて自分ひとりで作った、
さくらんぼで飾ったケーキ食べて、

自分の回復も感じつつ、
ささやかな幸せ気分にひたってみます。

[絵の解説]
大きいさくらんぼは、
公園のさくらんぼで感動している私を哀れんで、
家族がスーパーで買ってきてくれたもの。

小さいほうが、公園の山桜のさくらんぼ。
こんなに大きさも色も違います。

山桜のさくらんぼは、あずきのような柄のない状態で、
地面一面に、足の踏み場もないほど落ちていました。

ケーキは大小、両方のさくらんぼで飾りました。










コメント (72)
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