脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

愛が試される時 1

2007年06月02日 | つぶやき
早いもので、6月になりました。
もうすぐ梅雨で、散歩にも行けなくなりそうです。

今朝は家族がまだ寝ている朝8時に公園歩いてきました。
54回目です。
こんなに早い時間にきたのは、はじめてです。

早朝の空気はいつもより、すがすがしく感じました。

5月29日30日31日と歩きました。
きのうは不調と天候不順でお休みしました。

31日に森の中を歩いていたら、
黒くて小さい木の実が落ちていました。
とっさに口に入れると、甘いさくらんぼの味がしました。

「さくらんぼだぁ。

周囲を見上げると、
少し離れたところに、桜の大木がありました。

枝が伸びているので、少し離れた道のところまで、
落ちていたのです。

そうか~桜の木って
今ごろさくらんぼをつけるのか~。と

妙に関心してしまいました。

さっそく、改めて食べてみると、これが甘いのです。

しばらく、そこに立ち止まり、さくらんぼ探しをしました。

小さい上に、枝もとれて、
黒い真珠の一粒みたいな姿になった、さくらんぼは
草に紛れ、見つけるのが大変でした。

深紅のアメリカンレッドチェリーを小さくしたような、
かわいい小さな、さくらんぼでした。

枝ごと落ちていたさくらんぼを見つけて
その二つならんだ姿に、

双子のようにも、
恋人どうしのようにも、
夫婦のようにも見えて

ほほえましくなりました。

さて、30日の夜、
芸能人(藤原紀香さんと陣内智則さん)の結婚披露宴のテレビ中継を見ました。

今まで、他人の幸せそうな姿や光景は
心が拒否して見られなかった私です。

脳脊髄液減少症のあまりに苦しい症状と、
脳の機能低下の精神症状のせいか、
幸せそうな、輝いている方がたを、
見たり知ったりするのがとてもつらく、

心が動揺してしまい、
泣けてしまうことがしばしばでした

しかし、
今回の結婚披露宴中継は、なぜか、心も動揺せず、
冷静に見ていられました。

これも、ブラッドパッチ後の脳機能の向上による、
精神機能の安定とも感じられ、いい傾向かもしれません。

でも、いろいろと複雑な思いがわきました。

「試練を乗り越えての結婚」と聞いても、
長い間「認められない病」に苦しんできた私は、

「人生には、もっともっと、
が試される時があるのではないか?」
と思いました。

「新郎さん、
もし、突然、パートナーが、見えない怪我を負い、脳脊髄液減少症になったら?
それが、もし、その病名さえない時代で、
その病態の存在を知る医師が、世界中に一人もいない時代だったら、
それでも今と変わりなくパートナーを支え、愛せる?」と、
とっさに心の中で言ってしまいました。

また
結婚披露宴中継を見ながら、

「誰だって、結婚する時、まさか自分が離婚するなんて、考えないよね。」とか、

「お互い、人生で一番輝いて、きれいで、健康で、仕事も順調な時に、
愛してるというのは簡単だよ。」とか、

「若くて、健康な時の結婚までの試練なんて、試練のうちにはいらないよ。」とか、

「もし、妻が原因不明の不定愁訴の「病気と認められない病」になって、
病名もつかない状態で苦しんでいても、
否定する医師よりも、
妻の訴えを信じ、力になってあげられるのかな」とか

「妻が、病気や怪我で、立っていることも、座っていることもできなくなって、
自力でトイレも行けなくなって、頻尿で失禁したり、オムツのお世話になっても、
オシャレにも、清潔にも、かまえない状態になっても、

年老いて、シワシワになっても、同じように、愛せるのかな」とか・・・

ぶつぶつイヤミなことを言いつつ見ていました。

夫婦のどちらかが、
脳脊髄液減少症になって、どんな検査をしても「異常なし」の症状で、
医師に「気のせい」「精神的なもの」と何十年も言われつづけても、

パートナーの訴えを信じ、支え、愛しつづけられるのでしょうか?

健康なときの試練は乗り越えられても、
弱った心と体を抱えてボロボロの状態になった時、
お互い、それを乗り越えるのは、簡単ではないはずです。

医師の診断は絶対だと信じている人も多いので、
医師の「異常なし」を信じて
医師と一緒になって「気のせいだよ。」と「怠け者」扱いして、
責めてしまう人もいたことでしょう。

そういう危機に陥った時にこそ、
「お互いの愛」が試される気がします。

原因不明の症状に苦しみ、働けなくなり、
毎日毎日ゴロゴロと寝ているような状態になったら・・・。

時々、今までの苦しみ様がウソのように動きまわり、
元気そうに話し、
その激変に、
まるで、演技か仮病のように見えたら・・・。

どれだけパートナーの訴えを信じ、支えられるでしょうか?

ゴロゴロと家事もせず横になっている妻を
料理さえ、頭が働かずできなくなってしまった妻を、
叱り飛ばすことなく、
暖かな声をかけられるでしょうか?
黙ってさりげなく手伝うことができるでしょうか?・・・

美容院にもいけず、
歯磨きさえ、疲れてできず、
お風呂に入ることさえ、ままならず、
髪も体を洗うこともしんどくて、できなくなり、

流行の服を買いに行くことも、
着ることも、体がつらくてできなくなり、

イヤリングも、ネックレスも指輪も、重くて
身につけてつけていられなくなり、

頭が働かず、服のコーディネートもメチャクチャになって、
オシャレとはほど遠い姿の妻を、

なんども同じ話をどうどうめぐりで繰り返し、
痛い苦しいと毎日毎日暗い表情で言い続ける妻を、
愛せるでしょうか?

つらい症状と、激しいだるさと、
性的機能の低下で、肉体で愛しあうことさえできなくなったパートナーを、
以前と変わらず愛せるでしょうか?

ネクタイも首に触れるだけで苦しくてできなくなり、

スーツも重くて着ていられなくなり、汗もでなくなり、体温調節もできなくなり、
会社のエアコンに体がついていかなくなり、
記憶障害で、仕事の予定を忘れ、ミスをし・・・上司に叱られ、
職を追われ・・・そういう夫に優しく声をかけられるでしょうか?

今までと変わりなく愛せるでしょうか?

原因も治療法もわからず、何年も苦しみ続けるパートナーに、
何かしてあげられるでしょうか?
支えてあげられるでしょうか?

別に「脳脊髄液減少症」に限ることではありませんが、
どちらかが、
「出口の見えない危機」に陥った時こそ、
「愛が試される時」なのかもしれない・・・と私は思いました。

元気な時、順調な時には見えない愛の姿・・・

長年「脳脊髄液減少症」の症状に耐え続けてきたことで、
こんな視点でしか「幸せな人たち」を見られなくなってしまったのでしょうか?

ひさしぶりに冷静に見ることのできた、
他人の「輝きに満ちた幸せの絶頂の光景」は、

私に、いろいろと、
について、考える機会を与えてくれました。


(つづく)

コメント (33)
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