陽炎日記

日々の出来事を中心に綴ってます。

4日 「日本人のおなまえ」

2019-04-04 22:51:29 | Weblog
 学校でのお名前

「黒板」なのになぜ緑?
実際昔黒板だったが1番前は光が反射して見づらかったから、緑色に変えた。
しかし名前だけ残った黒板。

学校の階段の踊り場はなぜ踊り場。
鹿鳴館で踊っていた人がその場所でドレスがひらりとなったので、『踊り場』と名付けた。

学校の登下校、なぜ登校、下校なのか。
寺で勉強したから。寺へ登る、下りるから。

大学ノートってなんで大学ノートなの?
東京大学ノートが流行ったから。東大に憧れて・・・大学ノートになった。

『勉強』って?どうして勉強なの?
ホントに学習を勉めて強いているから。確かに
無理して強いることだという。恐いな~

『学ラン』はなぜ学ラン?
最初の制服は東大の制服だった。
大正~昭和初期の話。オランダのランは服を意味していた。
学生の洋服つまり学ランと簡略して呼ばれた。

『ランドセル』はなぜランドセル?
最初は背嚢(はいのう)を背負って行動する軍人が使用していた。
明治18年 学校が出来、ランセルランドセルに変化した。

 フィギュアスケーターの紀平梨花選手の紀平姓について
紀氏というのがルーツだという。
しかも平氏にもゆかりがありと凄い家系だったという。
紀氏と平氏にあやかりたかったとして両方つけたらしい。
この紀氏と平氏は海上で活躍していたという。凄いルーツがあった

『修学旅行』を名付けた人の話。
明治時代に高峯秀夫という教育界のレジェンドがいた。
(知らなかったけど・・・
高峯秀夫が東京師範学校の校長をしていた頃(明治19年)、政府官僚に呼ばれた。
「行軍で強い国民を作りたいが」と官僚から言われて考える高峯。
(行軍とは長距離を歩いて移動すること)
しかし自分の教育とはかけ離れているので直感で「学を修める旅行を計画するのが
よろしいかと」と相手に話す。それが「修学旅行」の始まりだったという。
総距離は260kmくらいだったか?品川あたりから北上して千葉、犬吠埼そこから
戻って木更津方面から対岸(東京側)に渡った?凄い移動距離だけど海渡ったの?
海どうやって渡ったの知りたいんだけど・・・小舟じゃないよね
それはさておいて、『なんちゃって劇場』みたいなドラマがあった。
高峯役にはその方の曾孫さんがしてくださった。長セリフをよく覚えてすらすらと
話せるって凄い~と思ったら、かつて早稲田の学長もやった方だと紹介された。
上手いわけだでも演技付きだからね~。
自分の曾お祖父様のことだからと引き受けて下さったらしい。
素敵なお話を聞かせて頂いた感じ。スタジオの皆さんも拍手していた。
 
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ファンクラブ継続をコンビニのロッピーでやってみた

2019-04-04 17:44:51 | Weblog
 PENICILLINのファンクラブの継続をロッピーでやってみた。
次から次への画面で・・・間違いなく操作できたのでホッとしたが、
手数料のことを忘れていた。領収書の5432円に驚く
いやいや手数料432円は痛かったな~
ちゃんと会報に入っている専用の払い込み用紙じゃないと高い
来年は考えないと・・・
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夕刊が二部?

2019-04-04 17:28:33 | Weblog
 夫が卓球から帰って来て夕刊を持って家に入るなり「夕刊が二部入ってた!」
と驚いてマガジンラックに入れた。まあ珍しいなぞと思っていた。
しばらくすると「すいません、読売新聞です」とインターフォン越しの声が・・・
「こちらに夕刊二部入ってませんでしか?」と聞いて来た。
夕刊を一部持ってドアを開けると笑顔の新聞屋のおじさん。
「足りなくなったんですか?」と聞くとそうなんですよと言う風な顔して、
夕刊を受け取って帰って行った。
でもよく私の家に二部入れたことがわかったな~と思って・・・
順番に新聞を入れて行くのはわかるが・・・まさか一軒一軒聞いていったとか?
(逆周りで・・・
すぐに捨てるわけないからいいけど
しかし新聞が値上がりしたからどうにか止めたいんだけどね。
まだ新聞をストップする勇気がない。消費税10%になる前に止めるかな~
検討中     

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