今朝の次女のスクールへの送りの時間も面白かったです。次女はもうすぐ5歳になります。
二人で手をつないで20分ちょっと歩くわけですが、今朝は、足し算、引き算でした。
7+4、くらいから始めて、13+8などのレベルに移行し、7+8+9とか、9+9+9+9などのレベルまで行きました。
どうやって計算しているのかはよく知りませんが、私と片手をつないだ状態で、指などをうまく使って全問正解していました。特に今朝は調子が良いようで、足し算は全問正解。私も誉めまくるので、機嫌もとても良いようでした。
次に、引き算。
7-3、くらいから始めて何問かやった後、11-5くらいのレベルに行きました。ここからが面白かった。
「どうやってやってるの?」と聞いたら、「足も使っている」とにこにこしながら答えました。
「足も?」
靴を履いているので足の指までは使えませんが、右足を1、左足を2とカウントするようで、両手の指10本と右足で11。11から5を引いて、残りが6、と答えるそうです。
なるほど。
「じゃあ、これは難しいぞ。13-5は?」
8。正解です。
「どうやってやったの?」
「頭を使った。」 両手の指10本と、右足、左足と頭で13。
なかなかすごいので、「いいねえ。どんな方法でもいいから、とにかく解けるといいねえ。いい考え方だから大事にしなさい。」というようなコメントをしておきました。
その先は何でもありで、15とか17になってくると、アイテムが必要で、両目を使う、口も使う、その次は耳も使う、と言ってました。
大笑いしながら二人で引き算をやっているうちに、スクールに着きました。そのように引き算をやったことを、先生のエミリーにも伝え、エミリーも感心していました。
学ぶとは、勉強とは、何なのか、先生はどのように教えればよいのか、いつの時代でも難しい問題ではあります。私も教師のはしくれとして、とにかくすべての時間がよい教師になるための修行の時間であると認識し、ベストを尽くしたいと思います。
少しずつ、日本出張で学んだこと、成果をこのブログでも発信していければと思います。
4/5(土)は、朝一番で山口宇部空港に入り、終日、山口県の方々や、品質確保プロジェクトの同志たちと、実構造物の目視評価や、新しく刊行される品質確保ガイドの議論をしていました。三人集まれば、という勝手な定義により、熱血ドボ研山口場所、とさせていただきました。
目視評価については、もうすぐ書き始める予定の、目視評価法に関する論文で活用するデータを取得しました。
午後の品質確保ガイドについての議論がよかったです。公民館の音楽室を借りての議論となりました。「議論がやかましくなるから、音楽室ですか?」という冗談も飛び交いながら、議論をスタート。
約3時間半くらいの土曜日午後の議論でしたが、発刊間近の山口県の品質確保ガイドに対して、この日は主として私が原案に対して気になる点等をすべて指摘し、さらに大学の研究者が追加で意見を述べ、皆でブラッシュアップするための議論をする、というスタイルでした。
この品質確保ガイドは非常に先進的なものであると認識しています。いろんな点で先進的だと思いますが、ここでは私の観点で、2つほど先進性を挙げておきます。
一つは、「協働」について。発注者、設計者、施工者、製造者、さらには学が協働すると、言うは易く、行うは難し。このガイドには、それぞれのプレーヤーが果たすべき役割、協働について具体的な記述をするよう努力が重ねられています。未熟なところは残るかと思いますが、すぐに改訂作業にも入るようなので、実践的なガイドという意味で、その意義は非常に大きくなるでしょう。
もう一点は、「PDCA」です。PDCA、と言うと、白々しくて空虚に聞こえる場合がほとんどですが、我々がチャレンジしようとしているのは本物のPDCAです。品質確保においても、そしてその先にある維持管理のPDCAにおいても。PDCAを明確に意識した、コンクリート施工記録です。将来的には、目視評価も取り入れられる可能性も十分にあると私は思っており、さらに期待が膨らみます。
ここから先は、私の夢、になります。
いわゆる限界状態設計法の世代は、私たちの尊敬する先生方の強力な世代であり、私の直接の師匠たちもその中核です。
その世代に憧れて、いつかあの方々のように大きな仕事をできるようになりたい、という一心で、これまでも自分自身や周囲の同志たちと努力を重ねてきましたし、これからも変わりません。
そして、山口県の品質確保ガイド、という先進的な指針の作成に深く関与できること、そしてこれが復興道路の品質確保や、例えば寒中コンクリートの品質確保ガイド等へと波及していく流れを見て、いよいよ私(たち)の夢が現実になるステップをすでに踏み出したのだろう、と感じました。4/6の朝、湯田温泉の駅から電車に乗り、新山口駅に向かう途中で、この話を阿波先生にしました。現場・実務を良く知り、実践的な研鑽を十分に重ねた上で、真に時代に求められる規準類の策定等に少しでも貢献できれば、と思っています。
山口県の品質確保、東北の復興道路の品質確保、そして中央の建設マネジメント、を三つの核とする研究委員会の設置に向けて、具体的に動き始めます。すでにそれぞれ動いている話ですから、全力でやるだけ、なのですが、もうあらゆる意味で準備段階は終わったという認識です。
あまり、結論めいたことを書くのもどうか、と思いますが、結局は、志のある方々がつながり合って、それぞれの持ち場で勇気をもって全力で日常を過ごすしかない、と思っています。
おそらく東日本大震災を契機に、従来であれば知り合うことの決してなかった方々が、自然に出会うようになっています。誰かに引き合わされることもしばしばだし、これまでであればすれ違いであった出会いが運命的なものになったり、と様々な状況があるでしょう。私の場合は、その傾向が顕著になったのは2年ちょっと前からです。
「つながり合うだけでいいんですか?」と鞆の浦の羽田冨美江さんにも聞かれました。つながり合うことで、何がどうなっていくのか、をいくつかの具体例を挙げながらご説明しました。非常に納得され、勇気を持たれていました。
明らかに動きが加速しているので、つながり合うことの総力は日々増大しているし、増え方も非線形的になっていると明確に感じます。
卑近な例?ですが、山口県のひび割れ抑制システムが立ち上がったのは、平成17年ごろです。その前から、徳山高専の田村先生は種まきをされていたし、田村先生と山口県の二宮さんの出会いも運命的なものでしょう。それとは別に、我々も真摯に生きていました。そして、私と山口県の取組みが出会ったのが平成21年3月。5年前です。その後の動きは、このブログでも紹介していますが、東北の復興道路の品質確保がダイナミックに動いているのも、これらの一連の流れと無関係では決してありません。もちろん、東日本大震災という悲劇を受けての結果ではあるのですが、それが時代の流れというものだと私は認識しています。環境の変化にネガティブに反応するのではなく、与えられた環境の中で中長期的な視点も持ちつつベストを尽くすしかありません。
我々の、つながり合った状態では、山口県のシステム(品質確保システムへと移行)もどんどん改善されていくであろうし、それが復興道路の品質確保へもフィードバックされるであろうし、復興道路のダイナミックな動きが山口県に大きな刺激を与えるでしょう。そして、青森県では寒中コンクリート構造物の品質確保の動きも力強く動き始めました。これも一連の中での動きです。さらには、中央の示方書、建設マネジメントシステムへのフィードバックも自然の流れでしょう。
このように、これまではバラバラとも言えた動きが、つながり合うことで、全体も、最前線の現場もすべてうまく回るようになると思います。それをつなぐ人間も必要で、私はその役割を担う人間の一人であると明確に意識しています。
土木の分野だけではありません。教育の分野もそうだし、福祉もそうでしょう。さらには、それらの間の垣根を取っ払って、いろんな分野の志のある方々がつながり合うことで、より総力が増していく、そしてより大きな勇気を持てる、とこの間の日本出張で確信しました。
さて、それでは、次女をスクールに送ってきます。その間のおしゃべりを大切にしたいと思います。