細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

生き物のような委員会

2014-04-18 15:07:42 | 研究のこと

これまで、学会の研究委員会で幹事長職を三回ほど務めました。それぞれ簡単でない仕事でしたし、委員会を立ち上げた当初は大きなプレッシャーを感じたことも多々ありました。ですが、それらの活動を通じて、とても鍛えていただいたと感謝しております。

田村隆弘委員長と私の幹事長でやらせていただいたJCIデータベース委員会(H23~24、報告会はH25.9.10に終了)は、私自身も大変に楽しく運営できた、当時では理想的な委員会でした。「自律分散的」に活動していただき、当初の目的を大きく超えて将来への展開も種々開けた委員会であったと思います。

よくありがちな、ミッションが最初から決まっていて、 呼ばれて集まった委員たちが仕事を割り振られ、宿題に追われながら委員会報告書を作成する、というタイプの委員会ではありませんでした。そのような委員会の中にもとても重要なものもあるし、否定はしません。ですが、私が主体的に運営する委員会ではそのような形にはしたくないと思っています。

まだ準備段階ですが、すでに設立に向けて具体的に動き出した研究委員会があります。いろいろと周囲とご相談した結果、私は副委員長という立場で運営、舵取りをすることになりました。

その委員会では(仮に設立がNGとなっても、実質的な活動はやります)、東北の復興道路・復興支援道路等の品質確保、山口県の品質確保システムの高度化、を二つの核に、中央の建設マネジメントへ等へのフィードバックを検討します。

東北、山口ではすでにほぼ全速力で走っている状況ですので、委員会は正式に発足していないものの、すでに実質的な活動は加速期に入っていると言っても過言ではありません。

前回の日本出張でも、この委員会でご一緒するであろう方々と、多くの議論を重ねて、研究を前進させました。

次回の5月末からの日本出張でも、 まず山口に入り、6月上旬には東北地方で集中的に現場調査を行いますので、この委員会の活動を発足前から強力に推進することになります。

そして、委員会には、これから交渉を始めますが、建設マネジメントの分野の研究者、技術者に加わっていただき、先進的な、実践的な議論を重ねたいと思っています。私もその過程でたくさん勉強させていただきたいし、「分野」という垣根が崩されていくことを楽しみにしています。

JCIデータベース委員会は「自律分散的」というキーワードが適切でしたが、次の委員会は「生き物のような委員会」になるであろうと思います。それぞれの本分をはっきりと認識したメンバーが、有機的につながって、当初の目的を達成することはもちろん、とめどなく展開していく流れができていくと思います。

そのような委員会の運営は私が最も得意とするところですので、とても楽しみです。

新設構造物の品質確保の先には、既設構造物の維持管理の真のPDCAの構築を当然に視野に入れています。そして、国際展開、国際貢献も視野に入れており、その適任者に幹事長をお願いしております。 


フランスのバカンス

2014-04-17 17:11:01 | フランスのこと

現在、フランスはバカンスの時期です。しょっちゅうバカンスのある国なので、それらも含め、フランスのことをよく観察しようと思っています。

Facebookでたくさんの写真を紹介しましたが、3泊でアルプスに行ってきました。次女の通っているスクール(保育園)が2週間のバカンスの時期に入ったこともあり、親友のXavierファミリーに誘われていたバカンスに合流することにしました。Xavierが両親の持つアルプスの別荘でバカンスを過ごすので、そこに私と次女が合流させてもらいました。

5歳が近づいている次女にとっては、人生初のスキーで、それは非常に貴重な経験になったと思いますし、私も次女と一緒にスキーをたくさんできたのが楽しかったのは当然で、ここでは多くを記述しません。それだけでなく、フランスの地方の様子、を日本と比べて感じることが多かったです。



フランスの地方都市にはそれなりに行っていますが、今のところどこに行っても魅力的で、日本のように衰退した地方が多くなっている状況とは異なるように感じます。

いろんな理由があるのだとは思いますが、フランスにバカンスの時期が多いことも、首都と地方の人の動きを活性化することに貢献しているのでしょうか。

フランスと日本を比べることは、諸条件をしっかりと整理してからすべきことなので、ここでは深入りしませんが、やはり日本はあまりにも首都圏に人やその他のものが集中し過ぎていることを改めて感じます。私自身も首都圏で生きていると窒息しそうになるときがありますが、人間の生存の限界を超えたような密集首都圏は、出生率も異常に低いのは当然と思いますが、いまだに多くの若者を引き付け、特に若い女性がどんどんと吸い寄せられていると聞きます。この状態が続く限り、日本の明るい将来はあり得ないと確信します。

この状態を脱却するためにも、デフレからの脱却が最重要課題なのだと認識しますが、その他にも、首都圏への集中を避け、地域とのバランスを構築していくことを様々な手段で検討し、実践していく必要があるのだと思います。

フランスの元気な地方を見ても、やはり大事なのは地方であると思います。国中がパリや東京のような状態になると考えたらぞっとしますし、写真のアルプスのような地域等がまさに国家の財産であることを肌で感じました。

私自身の研究、教育活動で、日本の様々な地方と関わる機会が増えてきていますが、改めて、そのような貴重な機会を大切にしよう、と思いました。

次回の日本出張は、5月末のスタートになりそうですが、すでに出張の行程の調整に入っています。

またまた山口県にも訪れることになりそうで、安倍総理のルーツである油谷の棚田にも行くことになりそうです。フランスのアルプスで感性を刺激された今の状態で、日本の原風景の一つかもしれない棚田の美しさを勉強してみたいと強く思います。また、そのときに、私の故郷である島根県のグラントワ(内藤廣先生の設計された島根県芸術文化センター)と、まだ訪れたことのない津和野町も訪問してみる予定です。そしてその山口出張のメインの仕事の一つは、「ビデオメッセージの撮影」。6/12に山口県の制定する品質確保ガイドの講習会が開催される予定で、私は講習会に参加できないので、ビデオメッセージという形で登場する案が浮上しています。この品質確保ガイドの重要性、先進性を私の言葉で伝えることになりそうです。

私自身の生き方、時間の過ごし方、現在のフランス留学中の時間の過ごし方、等について本当にベストなのか常に模索しながら前進していますが、「つながることが最重要」「地方こそが重要であること」「何事もバランスが重要であること」を日々得心しているつもりですので、限られた時間の人生を有効に活用できればと思います。もしくは、私を多くの方々に活用していただけるよう、努力を重ねたいと思います。

以下、初めてのスキーで見事に一人で滑れるようになった次女の写真です。フランスに来てから、日本にいるときよりも伸び伸びとした姿が目立つようになった次女ですが、このバカンスの間は本当に楽しそうでした。人間が本来の姿で生きることができるのも、地方なのでしょうね。



それから、もう一枚、今回のバカンスに誘ってくれた親友のXavierとのAnnecy湖での写真も。奥さんの江美さんも大事なお友達ですが、一生大切にしたい友達って、本当に大事ですね。ともに年を重ねながら、人生とはどういうものか、勉強していきたいと思います。


 


勇気を持って進むこと

2014-04-17 16:50:16 | 研究のこと

日本出張からパリに戻って、10日近くが経ちました。かなり久しぶりに、研究所の自分のオフィスに通勤しました。

一応、誤解の無いように説明しておきますと、研究所に来ていないときは全く研究していないか、というと全然違いまして、端的に言うならば、どこにいても研究はできます。日本出張の間は普段の数倍以上?の濃度で研究をしていましたし、自宅でも仕事はしています。家族と共働きの状態で外国で生活していると、種々の制約条件も出てきますので、その中で私がベストを尽くそうと努力している、とご理解いただければ幸いです。(見事な言い訳。。。)

といっても、やはり研究所に来ると身が引き締まるし、日中の時間の濃度は格段に高まります。今日の午後は、体調を崩されていた研究室の女性リーダーと、私がこちらに来てから初対面となりそうで、楽しみにしています。

さて、ようやく本題ですが、我が国がこれから本格化するであろう危機の時期を乗り越えていく(うまく乗り越えられず、沈んでいく可能性も大きいけれど)ために、まずは同志たちが連携し、勇気を持って進んでいくしかないわけですが、その決意をますます強くしています。

皆が主役であって、誰かだけが大事なわけではない。皆がそれぞれの本分を深く認識し、つながり合って、少しでも我が国がよくなっていくことを切に願っています。その結果、世界にも貢献できれば言うことなしです。

もちろん、その中で私の果たすべき本分はありますし、決して小さくない役割であると思っています。

私よりはるかに大所高所で戦略を立て実践される方々も多いですし、私などよりももっと現場に近いところで、もしくは現場で汗を流しておられる方々も、建設、教育等に限らずたくさんおられます。

私の現時点での役割は、大所高所の方々の考えも吸収し、現場に飛び込み、つないでいくことであろうと思っています。つなぐことだけが役割ではありませんので、自分自身のレベルも向上していけるよう、研究、勉強で研鑽を重ねたいと思っています。

ですが、「つなぐ」ということが私の得意なところであり、その結果、私自身を含めて皆が勇気を持って日々の現場・日常で奮闘できるようになればと思っています。そのようなネットワークが日々大きく、強くなっていると感じます。

フランス滞在の期間も折返しを過ぎ、後半戦に入っています。すでに3度の大型日本出張も行い、こちらでは家族と住んでいることもあり、かなり風変わりな留学になっているとは思いますが、41歳の私らしくてよいかなと今のところは思っています。10月に日本に戻れば、今のフランスの時間をありがたく思うに決まっているので、後半戦の本格的な開始に当って、よく戦略を練り、日々を大切に過ごしたいと思います。

明日、金曜日の夜からは、奥さんの親友の家族(フランス人)が3泊で泊まりに来ますので、濃厚な家族付き合いの時間になりそうです。 これも、フランスを知る上では非常に貴重な時間なのです。


勉強のやり方

2014-04-12 12:59:18 | 研究のこと

一線でやり続ける以上、勉強することは必須です。自分がミッションを果たせるように、また、自分自身が満足できるように、どのように勉強するのかを、常に工夫し続ける必要があります。

少し脱線しますが、死ぬ間際まで本を読んでやろう(勉強しよう)と決意しました。 私の死ぬ場所の脇には、ウェイティングリストに入っている本が積み重ねられ、選りすぐりの日本酒が並べられた状態にしようと思っています。死ぬ間際まで読んでいるのか、書いているのか、ちびちび日本酒を飲んでいるのか知りませんが、あの世に逝ったら、棺桶にすべて放り込んでいただいて、残った日本酒を皆様にふるまっていただければと思います。

さて、どのように勉強するか。今の私(41歳)の勉強法です。

フランスにいる間は別として、とにかく日常の時間には限りがあるわけです。しかも、コンクリート工学のみを突き詰める研究者を私自身が志向しておらず、インフラの品質確保、既存のインフラの性能確保(維持管理)、建設マネジメント、防災教育等に展開を図ってきている現時点で、どのように自らを支える勉強をしていくか。私自身にとっては非常に重要な問題です。

コンクリートの分野も多岐に渡り、勉強をし始めるとキリが無いわけです。そして、私の場合は、いろいろと展開はしていくでしょうが、根っこはコンクリートにある、あり続けると思っていますので、コンクリートの勉強もしっかりとする必要があると思っています。

解の一つは、「現場」。最前線の現場に出て、現実の構造物の品質確保、性能確保の議論でもまれる。現実世界でミッションを達成していく過程を通して、必要なことを勉強する。議論からも勉強する。これが一つ。特に、レベルの高い方々とのシビアな議論を通してインプットを重ねる。それらのインプットをきっかけに、必要な情報をサーチして、勉強し、蓄える。

もう一つは、古典(的な内容)の勉強。フランスにいる間は、この勉強に時間を割いているつもりですし、残りの時間もそんなに多くありませんが、日本に戻るとそのような時間は皆無に近くなってしまうので、優先順位を上げて勉強を重ねたいと思います。コンクリート、土木の分野の古典の勉強も大事ですが、哲学、民俗学、歴史等の分野の勉強も少しずつ重ねています。いろんな新しい芽が出てくるためには、基礎がしっかりとしている必要を強く感じます。トップレベルの方々との議論をしているときに、どれだけキャッチできるか、どれだけアイディアを生み出せるか、それは自らの基礎力、感性に影響を受けると思っています。

4月の残りの時間は、インプットよりも、アウトプットのための時間が多くなりそうですが、内藤廣先生の「環境デザイン講義」を読み始めました。内藤先生のこのシリーズは大好きですが、三部作の第二作目のこの本にも、さっそく惹きこまれています。


引き算

2014-04-11 16:34:52 | 家族のこと

今朝の次女のスクールへの送りの時間も面白かったです。次女はもうすぐ5歳になります。

二人で手をつないで20分ちょっと歩くわけですが、今朝は、足し算、引き算でした。

7+4、くらいから始めて、13+8などのレベルに移行し、7+8+9とか、9+9+9+9などのレベルまで行きました。

どうやって計算しているのかはよく知りませんが、私と片手をつないだ状態で、指などをうまく使って全問正解していました。特に今朝は調子が良いようで、足し算は全問正解。私も誉めまくるので、機嫌もとても良いようでした。

次に、引き算。

7-3、くらいから始めて何問かやった後、11-5くらいのレベルに行きました。ここからが面白かった。

「どうやってやってるの?」と聞いたら、「足も使っている」とにこにこしながら答えました。

「足も?」

靴を履いているので足の指までは使えませんが、右足を1、左足を2とカウントするようで、両手の指10本と右足で11。11から5を引いて、残りが6、と答えるそうです。

なるほど。

「じゃあ、これは難しいぞ。13-5は?」

8。正解です。

「どうやってやったの?」

「頭を使った。」 両手の指10本と、右足、左足と頭で13。

なかなかすごいので、「いいねえ。どんな方法でもいいから、とにかく解けるといいねえ。いい考え方だから大事にしなさい。」というようなコメントをしておきました。

その先は何でもありで、15とか17になってくると、アイテムが必要で、両目を使う、口も使う、その次は耳も使う、と言ってました。

大笑いしながら二人で引き算をやっているうちに、スクールに着きました。そのように引き算をやったことを、先生のエミリーにも伝え、エミリーも感心していました。

学ぶとは、勉強とは、何なのか、先生はどのように教えればよいのか、いつの時代でも難しい問題ではあります。私も教師のはしくれとして、とにかくすべての時間がよい教師になるための修行の時間であると認識し、ベストを尽くしたいと思います。 


先進的

2014-04-11 16:13:00 | 研究のこと

少しずつ、日本出張で学んだこと、成果をこのブログでも発信していければと思います。

4/5(土)は、朝一番で山口宇部空港に入り、終日、山口県の方々や、品質確保プロジェクトの同志たちと、実構造物の目視評価や、新しく刊行される品質確保ガイドの議論をしていました。三人集まれば、という勝手な定義により、熱血ドボ研山口場所、とさせていただきました。

目視評価については、もうすぐ書き始める予定の、目視評価法に関する論文で活用するデータを取得しました。

午後の品質確保ガイドについての議論がよかったです。公民館の音楽室を借りての議論となりました。「議論がやかましくなるから、音楽室ですか?」という冗談も飛び交いながら、議論をスタート。

約3時間半くらいの土曜日午後の議論でしたが、発刊間近の山口県の品質確保ガイドに対して、この日は主として私が原案に対して気になる点等をすべて指摘し、さらに大学の研究者が追加で意見を述べ、皆でブラッシュアップするための議論をする、というスタイルでした。

この品質確保ガイドは非常に先進的なものであると認識しています。いろんな点で先進的だと思いますが、ここでは私の観点で、2つほど先進性を挙げておきます。

一つは、「協働」について。発注者、設計者、施工者、製造者、さらには学が協働すると、言うは易く、行うは難し。このガイドには、それぞれのプレーヤーが果たすべき役割、協働について具体的な記述をするよう努力が重ねられています。未熟なところは残るかと思いますが、すぐに改訂作業にも入るようなので、実践的なガイドという意味で、その意義は非常に大きくなるでしょう。

もう一点は、「PDCA」です。PDCA、と言うと、白々しくて空虚に聞こえる場合がほとんどですが、我々がチャレンジしようとしているのは本物のPDCAです。品質確保においても、そしてその先にある維持管理のPDCAにおいても。PDCAを明確に意識した、コンクリート施工記録です。将来的には、目視評価も取り入れられる可能性も十分にあると私は思っており、さらに期待が膨らみます。

ここから先は、私の夢、になります。

いわゆる限界状態設計法の世代は、私たちの尊敬する先生方の強力な世代であり、私の直接の師匠たちもその中核です。

その世代に憧れて、いつかあの方々のように大きな仕事をできるようになりたい、という一心で、これまでも自分自身や周囲の同志たちと努力を重ねてきましたし、これからも変わりません。

そして、山口県の品質確保ガイド、という先進的な指針の作成に深く関与できること、そしてこれが復興道路の品質確保や、例えば寒中コンクリートの品質確保ガイド等へと波及していく流れを見て、いよいよ私(たち)の夢が現実になるステップをすでに踏み出したのだろう、と感じました。4/6の朝、湯田温泉の駅から電車に乗り、新山口駅に向かう途中で、この話を阿波先生にしました。現場・実務を良く知り、実践的な研鑽を十分に重ねた上で、真に時代に求められる規準類の策定等に少しでも貢献できれば、と思っています。

山口県の品質確保、東北の復興道路の品質確保、そして中央の建設マネジメント、を三つの核とする研究委員会の設置に向けて、具体的に動き始めます。すでにそれぞれ動いている話ですから、全力でやるだけ、なのですが、もうあらゆる意味で準備段階は終わったという認識です。


結論めいたこと

2014-04-11 15:09:20 | 人生論

あまり、結論めいたことを書くのもどうか、と思いますが、結局は、志のある方々がつながり合って、それぞれの持ち場で勇気をもって全力で日常を過ごすしかない、と思っています。

おそらく東日本大震災を契機に、従来であれば知り合うことの決してなかった方々が、自然に出会うようになっています。誰かに引き合わされることもしばしばだし、これまでであればすれ違いであった出会いが運命的なものになったり、と様々な状況があるでしょう。私の場合は、その傾向が顕著になったのは2年ちょっと前からです。

「つながり合うだけでいいんですか?」と鞆の浦の羽田冨美江さんにも聞かれました。つながり合うことで、何がどうなっていくのか、をいくつかの具体例を挙げながらご説明しました。非常に納得され、勇気を持たれていました。

明らかに動きが加速しているので、つながり合うことの総力は日々増大しているし、増え方も非線形的になっていると明確に感じます。

卑近な例?ですが、山口県のひび割れ抑制システムが立ち上がったのは、平成17年ごろです。その前から、徳山高専の田村先生は種まきをされていたし、田村先生と山口県の二宮さんの出会いも運命的なものでしょう。それとは別に、我々も真摯に生きていました。そして、私と山口県の取組みが出会ったのが平成21年3月。5年前です。その後の動きは、このブログでも紹介していますが、東北の復興道路の品質確保がダイナミックに動いているのも、これらの一連の流れと無関係では決してありません。もちろん、東日本大震災という悲劇を受けての結果ではあるのですが、それが時代の流れというものだと私は認識しています。環境の変化にネガティブに反応するのではなく、与えられた環境の中で中長期的な視点も持ちつつベストを尽くすしかありません。

我々の、つながり合った状態では、山口県のシステム(品質確保システムへと移行)もどんどん改善されていくであろうし、それが復興道路の品質確保へもフィードバックされるであろうし、復興道路のダイナミックな動きが山口県に大きな刺激を与えるでしょう。そして、青森県では寒中コンクリート構造物の品質確保の動きも力強く動き始めました。これも一連の中での動きです。さらには、中央の示方書、建設マネジメントシステムへのフィードバックも自然の流れでしょう。

このように、これまではバラバラとも言えた動きが、つながり合うことで、全体も、最前線の現場もすべてうまく回るようになると思います。それをつなぐ人間も必要で、私はその役割を担う人間の一人であると明確に意識しています。

土木の分野だけではありません。教育の分野もそうだし、福祉もそうでしょう。さらには、それらの間の垣根を取っ払って、いろんな分野の志のある方々がつながり合うことで、より総力が増していく、そしてより大きな勇気を持てる、とこの間の日本出張で確信しました。

さて、それでは、次女をスクールに送ってきます。その間のおしゃべりを大切にしたいと思います。


鞆の浦の不思議

2014-04-10 16:51:00 | 人生論

現代社会の諸問題の根源は共通のようでして、そのことは、「大衆社会の処方箋」にも明確に書いてあるし、内田先生の種々の本にも書かれているように思います。

共通の根源が見えるようになると、世の中の諸現象の理解も深まり、処方箋を理解すると自分自身のやるべきことも明確になるように思います。

「すべてがつながる感覚」を明確に感じたのは、2013年2月23日のことでした。翌朝の24日は、まさに見える世界が変わったように感じました。

その後、1年ちょっとを経て、今回、2014年3月末からの日本出張の間に皆様とたくさんお話をし、4月6日に鞆の浦で羽田冨美江さんとたっぷりとお話をし、その翌日辺りにまた「すべてが明確につながる感覚」をはっきりと感じました。

ではなぜ、鞆の浦に来ると、「すべてがつながる感覚」が研ぎ澄まされるのか?

これについては、「死」を通じて(直視することを通じて)、「生きる」ことの意義や意味について、自分自身の中で根源的に理解できるからであろう、と今回4/6(日)の訪問の後に感じました。鞆の浦に行くだけではそのような理解には至らず、やはり羽田冨美江さんとお話しするといつもそのような深いところへの理解に至ります。私がとても大好きな方ですが、やはりとてもすごい方なのだと改めて感じました。

今回は、羽田さんが、お義母様の介護をするようになって、お義母様のことが好きになり、その結果、自分のことも好きになった、とおっしゃっていたことが、私の「生きる」ことに対する理解を深めました。お義母様の介護をなさる前は、今ほど好きではなく、羽田さんがご自身のことも好きになれなかった、とおっしゃっていました。「介護の負の面ばかり世の中でクローズアップされるけど、介護のいい面ももっと伝えていかないといかんねえ」と、おっしゃっていました。

さらに、今回、羽田冨美江さんとお話していたときには、鞆の浦の喫茶店に、ぶらりと入ってこられた北山さん(私は全くの初対面)も我々の会話に参加され、ご自身のお体が不自由な中で、お母様の介護をされていることを伺い、上記の「介護を通して好きになる」ことを羽田さんと納得されながらお話しされていました。これが私の感性を大きく刺激しました。

感性が刺激された状態で、ゆったりと鞆の浦を一人で1時間弱、散歩しました。ご先祖様たちが祀られているお寺をゆったりと巡るだけで私の心が洗われていくような感覚を覚えましたし、その後、福山駅近くのお店で、鞆中学校の海野先生とじっくりとお話しできたときにも、様々な理解がお互いに深まりました。海野先生との最後の時間では、私は羽田さんとの時間で感じたことをお伝えしているときに涙が止まりませんでした。

鞆の浦、とは不思議なところですね。今後も通い続けようと思います。


年度初め、日本出張終わり

2014-04-08 10:41:51 | 職場のこと

3/30に日本に到着しての、怒涛の日本出張が終わりました。これで、フランス滞在を始めてから、3回目の日本出張が終わったことになります。

もうすぐパリ行きの飛行機の搭乗開始なので、この記事は短めに終わると思いますが、相変わらず濃厚な出張でした。日本に戻ってくる前は少し不調の状態ではありましたが、完全なトップギアに入り、様々なプロジェクトが大きく前進しました。

今回の日本出張の前に、藤井先生らの「大衆社会の処方箋」、内田樹先生の「下流志向」「修行論」等の本を読了していたこともあり、今回の日本出張でお会いした方々とのコミュニケーションを通して、日本の病の根本的な原因や、それにどう対応していくべきなのか、についてほぼ私の頭の中で整理ができました。

私は土木工学を専門としていますが、私が今現在、つながっている方々とは、専門の垣根を越えて連携していく必要性、重要性を心の底から、腹の底から理解できました。

なぜ、私が鞆の浦に何度も、呼ばれなくても行くのか、鞆中学校の海野校長先生はよく理解できたそうです。羽田さんとも変わらず深い話を共有できて、幸せでした。

そして、いよいよ、私たちの研究室に求められることも、お遊びの段階はとうに過ぎ、本気のチャレンジが(すでに始まってはいますが)本格化します。私も、まずは5年程度、死ぬ気でやろうと思います。

新しい研究室の4年生も昨日決まり、数は多くは無いですが、志に燃えた若者たちが入ってきてくれてうれしいです。一緒に最前線で格闘できるとよいね。

さあ、愛する家族の待つパリへ帰ります。かなり仕事が溜まっていますが、モチベーションも青天井に向上したので、この濃厚な出張の咀嚼も含めて、ゆったりと行きたいと思います。

たくさん、読む本も仕入れたので、しばらくはフランスの生活に浸ります。

次の日本出張は、6月になる見込みですが、オランダでの国際会議が終わった後、6月初旬に日本出張で来日し、徹底的に現場調査を重ねた後、日本からノルウェーでの国際会議に参加して、パリに戻ろうかと思い描いています。

では皆様、次にお会いするのは現場になろうかと思いますが、よろしくお願いいたします。 


危機的

2014-04-06 09:38:30 | 人生論

日本出張で3/30に到着して、1週間になりました。明後日、パリに戻ります。

あまりに濃厚な日々が続いており、ブログを書く余裕も無かったのですが、今日の日中は鞆の浦でゆっくりし、仕事をしたり、ぶらぶらしたり、大好きな方々とおしゃべりしたりしようと思っています。夜は新横浜まで行って宿泊しますが。

出張中の詳細内容は、別の記事で書こうと思いますが、この記事ではまず概要を。

今回、日本出張中にいろいろな方々と情報交換、議論をさせていただく中で、やはり日本(だけではないですが)は相当に危機的な状況にある、という認識を深めました。音を立てながら日本が壊れていっていると言っても過言ではありません。

ですが、壊れていく様子を指をくわえて見ているわけにはいきませんし、自分たちだけでできることは限られてはいますが、多くの同志たちの心がつながってきていることも強く感じます。私の周囲の動きは、ますます加速しており、日本に戻ってくるたびに、うねりのように動きが太く、強くなっています。

同志たちと語り合う内容も、インフラ、コンクリートに全く留まらず、教育、哲学、労働、雇用、経済、国家強靭化(国土強靭化+国民強靭化)、などのキーワードで多岐に渡り、話せば話すほど内容が深まり、皆の理解が深まり、ベクトルが共有されます。そして、同志が次々と増えていきます。

危機的ではあり、もしかすると状況は絶望的なのかもしれませんが、諦めるわけにはいきません。頑張りましょう。

現在、広島駅でのぞみの出発を待っています。福山に着いたら、鞆の浦に向かいます。夕方、福山駅に戻って、鞆中学校の海野先生と熱血談義に花を咲かせて、夜は何とか新横浜までたどり着く予定です。