消 え な い 記 憶
今さらこんなこと言っても仕方がないし、人生早や70年も過ぎて物忘れや物覚えの悪さが高じてきてるんですから、あっさり忘れてしまってもよいようなもんですが、少年のころ夢うつつの中に浮かんでは消え・消えては浮かんだあの時の光景を時々思い出すのです。
そう、父は木箱の上に立って何やら「お国のために頑張ってくる」というような・・・ことを言ってたし、近所のおばさんたちは手に手に日の丸の小旗を持って万歳万歳と叫んでいた。
赤紙が来て父が出征した日の光景です。
「戦争なんか反対だ!」とも「死ぬな!」とも誰一人として言わなかった。
どうしてそう言ってくれなかったんだ。 人が不幸になるかも知れないのに、何がバンザイなんだ。
一年もしないうちに父は白い布に包まれた小さな木箱に入って「帰ってきた」
お国のために命をささげたはずなのに、突然母子家庭になって絶望的なまでの貧困に陥り、差別と偏見にさらされた日々。
ほとんど蜘蛛の糸にもすがるような厳しく危うい生活。
生きるために母が手を出したのが、ご禁制のヤミたばこの密売。
それが、露見して検挙された母は警察で叫んだ。 「わてがなんでこんなことせんとアカンのか、わかってるんか!」「(戦死させた)お父さんを返せ!」
「ワテをブタバコに入れたら4人の子は餓死や」「何の罪もない子供は死刑か!」「入れるんやったら家族全員ぶち込みななはれ!」
女は弱し、されど母は強し。 結果は説諭処分のみで1件落着。
暗い話でごめんなさい。 心が荒んでシャモみたいにケンカばっかりしていた粗暴な少年の行く末を案じた担任の魔術のような一言が人生を変えた。
「昼働いて夜学校へ行くという方法がある」「君ならできる!」おだてりゃ豚でも木の登る? タクシーのドアーボーイをしながら通った夜学。
飢えと睡眠不足のこの時期が一番きつかった。
今風に言えば自分をほめてやりたい少年だった。
でも、夜学出の母子家庭の少年の就職への門戸は依然厳しく閉ざされていて、公務員しかないと思って挑戦、10回目にしてやっと「任官」良く頑張ったことが評価されて、若くして管理職に抜擢されたまではよかったが、友の誘いに心が動いた。 「ナンボ頑張っても組織の歯車やんか!」「お前の力を貸してくれ、俺にはお前が必要なんや!」
安定と期待を捨てて周囲の反対を振り切って退職し、不動産会社を設立。
半年も経たないうちにケンカ別れして元の素浪人の身に転落。
しまったと思ってもあとの祭り。 元来オッチョコチョイなんです。
高槻に流れてきて開業したのが不動産業。 バブルの時は誰でも儲かったが、それがハジケて借金の山、首つりか破産宣告かの地獄から10年かかって這い上がり「富という名の青い鳥」を追い求めるむなしさを悟り、マジックを中心としたボランテイア活動に転身。
また、だまされ裏切られた人生の経験を生かして「高齢者が騙されない」ための講演会などを積極的に行っています。
残る人生はできる限り明るく楽しくやってゆきたいと思っています。
(年金者新聞 自分史最終回に掲載された原稿の一部です)
今さらこんなこと言っても仕方がないし、人生早や70年も過ぎて物忘れや物覚えの悪さが高じてきてるんですから、あっさり忘れてしまってもよいようなもんですが、少年のころ夢うつつの中に浮かんでは消え・消えては浮かんだあの時の光景を時々思い出すのです。
そう、父は木箱の上に立って何やら「お国のために頑張ってくる」というような・・・ことを言ってたし、近所のおばさんたちは手に手に日の丸の小旗を持って万歳万歳と叫んでいた。
赤紙が来て父が出征した日の光景です。
「戦争なんか反対だ!」とも「死ぬな!」とも誰一人として言わなかった。
どうしてそう言ってくれなかったんだ。 人が不幸になるかも知れないのに、何がバンザイなんだ。
一年もしないうちに父は白い布に包まれた小さな木箱に入って「帰ってきた」
お国のために命をささげたはずなのに、突然母子家庭になって絶望的なまでの貧困に陥り、差別と偏見にさらされた日々。
ほとんど蜘蛛の糸にもすがるような厳しく危うい生活。
生きるために母が手を出したのが、ご禁制のヤミたばこの密売。
それが、露見して検挙された母は警察で叫んだ。 「わてがなんでこんなことせんとアカンのか、わかってるんか!」「(戦死させた)お父さんを返せ!」
「ワテをブタバコに入れたら4人の子は餓死や」「何の罪もない子供は死刑か!」「入れるんやったら家族全員ぶち込みななはれ!」
女は弱し、されど母は強し。 結果は説諭処分のみで1件落着。
暗い話でごめんなさい。 心が荒んでシャモみたいにケンカばっかりしていた粗暴な少年の行く末を案じた担任の魔術のような一言が人生を変えた。
「昼働いて夜学校へ行くという方法がある」「君ならできる!」おだてりゃ豚でも木の登る? タクシーのドアーボーイをしながら通った夜学。
飢えと睡眠不足のこの時期が一番きつかった。
今風に言えば自分をほめてやりたい少年だった。
でも、夜学出の母子家庭の少年の就職への門戸は依然厳しく閉ざされていて、公務員しかないと思って挑戦、10回目にしてやっと「任官」良く頑張ったことが評価されて、若くして管理職に抜擢されたまではよかったが、友の誘いに心が動いた。 「ナンボ頑張っても組織の歯車やんか!」「お前の力を貸してくれ、俺にはお前が必要なんや!」
安定と期待を捨てて周囲の反対を振り切って退職し、不動産会社を設立。
半年も経たないうちにケンカ別れして元の素浪人の身に転落。
しまったと思ってもあとの祭り。 元来オッチョコチョイなんです。
高槻に流れてきて開業したのが不動産業。 バブルの時は誰でも儲かったが、それがハジケて借金の山、首つりか破産宣告かの地獄から10年かかって這い上がり「富という名の青い鳥」を追い求めるむなしさを悟り、マジックを中心としたボランテイア活動に転身。
また、だまされ裏切られた人生の経験を生かして「高齢者が騙されない」ための講演会などを積極的に行っています。
残る人生はできる限り明るく楽しくやってゆきたいと思っています。
(年金者新聞 自分史最終回に掲載された原稿の一部です)