銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

多部未華子のサロメ・・・O.ワイルドって、割と倫理的だと、平野啓一郎は言う△

2012-06-16 19:07:18 | Weblog
 下の文章、8時間ほど、麻実れいサンを、真矢みきさんと誤記していました。済みませんでした。今、18日の午前零時半ですが、修正しておきます。
それは、続報を書いているうちに気がつきました。この文章で言いたいことの、主要なポイントが、そこになかったので、ついうっかりしてしまいました。が、続篇を書いているうちに気がつきました。恐れ入ります。
 で、そのお断りを入れて、この文章の、最初へ、戻ります。今直すまでの時点で、コメントとしてご注意を頂いていないので、私の普段の読者が、サロメには、ほとんど関心がないと言うのもわかりました。(笑)が・・・・・
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 前報、『山本太郎の結婚と小沢一郎の離婚』は、「土曜日に推敲をいたします」と、申し上げております。が、土曜日の16日には、一種の同窓会として、観劇会に行ってきました。同窓会の中の一環ですから、自分がみたいと思った演目ではないのです。誰か、役員が選んだ、演目として、新国立劇場の、『サロメ』です。それを見てきた、たった、それだけで、つかれきってしまっています。ので、上に上げたお約束を守れなくなりました。

 それで、今日は極く簡単なメモ(としての、サロメについて)を上げるだけにして置くことをお許しくださいませ。・・・・・と、土曜日の深夜書いて、
 しかし、誠実さにおいて、オスカーワイルドに負けず劣らず(笑)な、私は、
 日曜日の午後2時から、そのメモというものの推敲を始め、午後4時に、この一文だけの推敲が完成しました。それで、タイトル横に例のごとく、△印をつけておきます。

副題1、『誰に負うのかはわからないが、すごい人気だった』
副題2、『プログラムは、なかなかに改善をされていた。
・・・・・O.ワイルドって、割と倫理的だと、平野啓一郎は言う』
副題3、『多部未華子さんについて』
副題4、『しかし、なぜ、今、サロメなのか?』
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副題1、『誰に負うのかはわからないが、すごい人気だった』

 すごい人気でした。クロークに荷物を預けるときに、当日売りを狙っている人が居て、その人たちの<<<直前まで待たされている様子>>>から、もしかしたら、キャンセル待ちかなあと思ったので、そこからも、人気の程がわかっていただけるでしょう。

 それは、主演三人(継父を奥田エイジ、母を麻実れい)にも、魅力があるのでしょうが、宮本亜門(演出)、平野啓一郎(翻訳)と言うスタッフの中の二人の有名人にも、依存した人気だったでしょう。また預言ヨカナーンを、演じた俳優『成河=ソンハ』は、私はそのときまでを、一切知りませんでしたが、
 声が非常によい男性なので、その男優を目指すファンが來ているのかもしれません。
 私は、ここ10年ほどは、知人が出演したり、知人が、薦めるものをみるだけで、若いころのように、自分で選んで観劇をするわけでもありません。

 ただ、その『他人のお勧めとお招き』により、新橋演舞場の、例の猿之助歌舞伎も、10年以上前の、猿之助が元気なころに、見ています。そのころに、(元)亀次郎が、何をやっていたのは、記憶がないのですが、猿之助の宙乗りと、音楽がオーケストラ風のものを使うこと、
 水を使うこと、
 市川右近が、大スターなのだと言うことなどを、知りました。

 香川照之のことについては、別稿で述べます。ここでは詳しくは、触れません。

 私は演劇には詳しくはないのですが、それでも、幸四郎(ラ・マンチャの男)も、滝沢修も、太地喜和子も、実物を見ていますよ。
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副題2、『プログラムは、なかなかに改善をされていた
・・・・・O.ワイルドって、割と倫理的だと、平野啓一郎は言う』

 さて、昔、この劇場で、三田和代さんも出ている何かを見たのです。
 今、グーグルで検索をしたところ、『夜への長い旅路』だったことをも、思い出しました。そして、ついでに、思わぬことでしたが、三田和代さんが私と同い年だということも初めて知りました。

 彼女は本日下に出てくる多部未華子さんと同じく、育ちのよいお嬢様です。が、「両親が事業に忙しくて、祖母に育てられたことなどが、一種の陰影を生み、表現者として、際立つ個性や優秀さ(この部分はご自分でおっしゃったわけではないが)を獲得した」と、ご自分からその繊細さが生まれてきた弱点(?)を公開しておられます。ご主人の岸田森さんがなくなったあとでは、すこし、活動が、控えめですが、常に『お上手だ。何をやらせても』と思っています。
 私の、三ヶ月後の生まれですって。おや。おや。

 私は日本の劇場で買う、映画や演劇のプログラムには満足したことがないのですが、今回のプログラムはずいぶん向上していると言うか、充実していました。
 字がいっぱいあって、読むところがいっぱいありました。

 その中で、この脚本の原作者が、オスカー・ワイルドであるにもかかわらず、最初からフランス語で書かれていた、ということは初めて知りました。それを翻訳したのが、平野啓一郎さんですが、

 その平野さんの文章、特に、7頁、三段目が、秀逸だと思いました。
 コピペすると厄介なことになりそうなので、

 もともと、骨格しかない文章を、さらに、簡略化してまとめますと、オスカーワイルドって、言われているほどの悪ではないと言うことです。

 これが、平野さんの言葉だと、「発想がすごく倫理的」となります。

 ある一人の作家が抱える複雑さと矛盾。

 それが、主役のサロメにも投影していると言うのが、文章を寄せている、宮本亜門氏ほかの、主要スタッフの感慨です。
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副題3、『多部未華子さんについて』

 芸術監督、宮田慶子さん、オスカーワイルドの研究家、湯原かの子さん、上に上げた翻訳家平野啓一郎さん、そして、演出家、宮本亜門さん、・・・・・の共通の認識としてのサロメ像は、

 子供であり、純粋なのだけれど、こども固有の残酷さがあると言う点です。

 そこで、やっと多部未華子さんが、主役として選ばれたことの妥当性が出てきます。 
 衣装はだんだん脱いでいって、最後は、シュミーズドレスと言う一種の下着になります。やわらかい生地でできていて、シャーリングと言うか、タックと言うか、ひだが胸の部分で寄せられています。

 その中の未華子さんは華奢です。登場人物の中で、ひときわ小柄です。で、『子供』と言う意味合いが、強く、表現されます。丸い小さな肩、柔らかそうな二の腕、大根足とはとてもいえないスマートなふくらはぎ。

 ただね、惜しむらくは、どうして、継父が、彼女に惹かれるのかが、観客には納得をされません。その理由であるお色気が、まだ足りない。子供であっても、すでに、フェロモンたっぷりだったからこそ、預言者ヨカナーンの唇を求めるために、生首を所望したという大ポイントで、主要な要素となる、お色気が、まだ、足りない。
 ごめんなさい。はっきり言って。
 私は、演劇には素人です。だけど、素人で、お金を儲ける必要もなく、演劇界に何の負い目もないので、はっきりと言います。

 そして、人間としては、多部未華子さんに、まだ、お色気が足りないことは、悪いことではない。育ちがよくて、大切にされてきていて、挫折も知らない人に、お色気が足りないのは当たり前です。

 浅田真央ちゃんのその点について、ラサール石井氏が何かを言って、世間からとがめられたそうですが、別に悪いことではありません。
 言うほうも悪くないし、言われるほうもそれが悪いわけではありません。
 そして、お色気とは、自然に元からある人も居れば、訓練や人生経験で獲得をする人もいるのでしょう。

 上に上げた太地喜和子さんや、吉田日出子さんや、淡島千影さんとか、京マチコさんには、それが生まれながらにして、あると言うことだと思います。
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副題4、『しかし、なぜ、今、サロメなのか?』

 しかし、今、なぜ、サロメなのか? それを分析しようとしている、これから先の部分が、大問題で、政治に触れていきますが、本日は、そこに触れないで、これで、終わりとさせていただきます。

 きちんと、ものを書く人間であると言うことで、オスカー・ワイルドが、割と倫理的であったという平野さんの発想は、貴重だし、そのとおりだと思います。

 毎日、きちんと何かを創作し続けていく、そう言う日常をキープするためにも、倫理観を、高くして、身の回りを整えると言うことは、必要でしょう。むしろ、悪を書き表す人間ほど、自分は誠実であったりするものです。

 ところで、その部分も、明日か別の日に書きますが、読者の皆様の誤解を招いている可能性もあり、そこについての、詳細な文章もまた別の日にアップさせていただきます。誤解とは、『政治問題を離れすぎていますよ』と言う点です。私の政治モノは微に入り、細に入り、息が詰まるようで、読んでいて苦しいと、お考えの方も多いでしょう。

 だけど、『それに付き合って来てあげたのに、どうしたの? 最近、遊んでばかりでしょう。
 変よ。あなたが、批判している、山本太郎君と同じで、転んだの?』と、言われかねないですね。

 そうです。最近の10年間など、むしろ、観劇や観劇をする余裕のある人を、敵視していました。(笑)
 自分は観劇をするタイプの、奥様ではない。自分個人のことを必死でやっている、クリエーターだから。・・・・・と思っているのです。

 そう言う主張と、ここでは、矛盾をしていますよと言う言葉が、皆様から出てきそう。

 それに対しても、『続・多部未華子の、サロメ』と言う形で、別の日に書かせていただきます。
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 最後に、多部未華子のひたむきさをあらわすよい写真はプログラムになかったし、もしあったとしても、使ってはいけないので、

 我が家の猫のひたむきな表情をここに置かせてくださいませ。では。
2012年6月17日  雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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