下の原稿は、26日の深夜に書き上げました。今、27日の零時ですが、推敲を始めます。その最先端は例のごとく@@@@罫線で示します。そして、午後三時半までに、半分ほど推敲を終わりましたが、その時点で、二つに分けることにいたしました。二万字に、届きそうなので、後半の推敲ができないからです。で、これは、ここで、一応の完成とさせていただきます。
副題1、『爪に浮かぶ幸福の印』
副題2、『私が、特に、幸せだった50代のころ』
副題3、『幸せは、悪いうわさを、土台にしていて、それと引き換えに訪れた』
副題4、『川島さん(村松画廊のオーナー)に、最近よく会うが、』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『爪に浮かぶ幸福の印』
現在、火曜日26日の夜10時です。久しぶりに鎌倉の家に帰ってきたら激しく喜ぶ猫に迎えられ、私も深い喜びに満たされました。愛し愛される感覚のことです。動物は、猫と言う頭のいい動物といえども、裏切りませんので、ありがたい存在です。愛すれば愛される。ゆるぎない関係が築けます。
さて、ありとあらゆることが書きかけ中ですが、突然にここでまったく新しい話題が入ってきました。
それが、惑うのですね。書くのに。だけど、不幸な話ばかり書いていますので、ここで、ひとつ幸せな話を書きましょう。
どういう幸せかと言うと、芸術に関係がありますが、少しだけ、いや、大いに政治にも関係があるので、書きにくいことおびただしいのですが、
紆余曲折をしながらも、書いていってみましょう。
比々谷公園の中に松本楼と言う古いレストランがあります。誰かが「松本楼のカレーライスはすばらしい」とネットの世界で、言っていましたが、最近では、種々のパーティに使われているらしいです。私はそこは親戚の人間の出版記念会で参加したことがあるので、別に珍しい場所ではないのですが、後で述べるような政治的な意味合いがあって、参加しないといけないパーティが開かれたのです。それは、文化庁の在外研修生の同窓会です。それが開かれて、それに出た後で、有楽町から電車に乗り、突然に気がついたのですが、右の親指の爪に、ほぼ、10年ぶりぐらいに、白い点が出ていました。
::::::::::::
ここで、次の日の推敲中の挿入ですが、別の指にも二個目の白い点を見つけました。これが、小指の端っこなので、昨晩中に出ていたのか、今朝出たのかはわかりませんが、元へ戻ります。
::::::::::::
皆様ご存知ですか? 爪は体調を反映するのですが、それとともに手相のように、幸福と不幸のサインを出すのです。爪が生えてくる根元に白い三日月状のものが出ているときは健康状態がよいとされています。これは、広く、知られている知識というか情報ですが、こちらの方の、今日私が問題としている、爪のピンクの部分に、直径1ミリ前後の白い点が出ることが、幸運の印であるということは意外と知られていないでしょう。
~~~~~~~~~~~
副題2、『私が、特に、幸せだった50代のころ』
私もこの白い点の意味は、長らく知らなくて、『どうしたのかしら? 空気でも入ったのかしら。つまり、健康状態が悪いの?』と思っていましたが、違う模様です。手相の本によると幸運の印だと言うことです。
だって、昨日までなかったのに、突然に、夜の八時に出て来たのですから、幸運のしるしといってよいでしょう。
海外に版画の修行に行っていた時期には、しょっちゅうこれが出ていました。弾むように創作に励んでいたので、幸せな時期だったと思います。幸せというのは絵に描いたもちでもなく、他人が認めてくれるものでもなくて、自分自身が、何か、深く納得をするもののようです。非常に主観的なものです。
だから、他者と比較して勝ったとか、有名になったとかいう種類の勝利感とは別のものです。私の10年以上前は、純粋に一途に美術と文章の創作に励んでいたので、あれは幸せな時期だったのです。
客観的に見れば不幸な時期だったのでしょう。ご近所様からは、『どうも、川崎さんは離婚をするらしいよ。ほら、人生に負けたよ。その点で。だから、私たちが上だよ』と思われていたらしくて、安野夫人は、私が必要なものを自分の家から持ち出しては、逗子のアトリエへ、タクシーで運ぶのを、『見たわよ。見たわよ』と誇示するべく、例の私の頭へ水をぶっ掛けた高い塀の外へ身を乗り出しては、その姿をさらしていました。あのころから室内盗聴はされていたのかしら。だから、ドアを閉める音に気がついて、ああいう態度をとっていたのでしょうか?(笑)私はね。彼女がいじめのために、そう言う行動をとっているということが、わかっていましたが、彼女に向かって、「あんたがどう思おうと、私は気にしていないのよ」なんていってみたところで、それが、わかる人ではないから、放っておきましたけれどね。
そして、大原光孝氏は、「川崎さんが、逗子で、一人暮らしをしているのは有名な話ですよ。みんな知っていますよ」と得意そうに、言っていました。上品な言い方ですが、例のごとく、ご自分以外はすべて、あざけりの対象であると言う本心が見え見えな、言い方です。大原さんに通じるか通じないかわからないものの、ここで言いたいのですが、「すべての人はあなたと同じぐらいの頭脳は持っているのですよ。人間を形成する細胞の数は、60兆です。その数から比較すれば、すべての人間は大同小異です。だから、気をつけて、必ず、対等にかつ、礼儀正しく接しておく必要があるのですが、あなたは、会社勤めをしたことがないので、そこがわかっていませんね。形ではないのですよ。心からの問題です」と。
そのころは、特定の友人に向けて送るメルマガはやっていましたが、誰もが読めるブログはやっていませんので、ご近所に私の内面を知らせたことはないのです。だからこういう彼らの態度はハッキングのおかげでしょう。ハッキングされた内容は伊藤玄二郎を通じて、この山の石川和子女史ほかに入っていたと思いますね。
~~~~~~~~~~~~~
副題3、『幸せは、悪いうわさを、土台にしていて、それと引き換えに訪れた』
そして、極めつけは川名昭宣君(大学時代の同期生にして、河出書房新社の社員だった。男性)です。彼に、「あれ、まだ、離婚をしていなかったの?」と言われたときのことは、皆様にすでに、お話をしてあるでしょうか?
川名君と言う人は、大学時にも、個人的な会話を交わしたことは一切ない人なのです。
ただ、私が本を自分で作り始めて、ほんの世界にのめりこみ始めたから、大学卒業後、50年ぶりぐらいの時期に、勤務先の、河出書房新社をたずねて、本のことをいろいろ話し合いたかったのです。その会話のきっかけにするつもりで、子供たちの結婚写真を見せたのです。
実は、うちの子供たちは、あの内心では、他人をあざけるのが好きな大原さんだって、「川崎さんのお子さんがたは美形ですね」と言ってくださるぐらいだから、結婚式の写真なんて、それこそ、美しいみものなのです。
上に上げた、「あれ、まだ、離婚をしていなかったの?」は、
そのときにふっと相手から出た言葉ですが、私からすれば、余りにも、変な発言でした。それほど、親しくないのです。しかも、こちらは女性であり、相手は男性ですから、儀礼的な、挨拶から始まるべきなのです。この場合は、「おや、ずいぶんきれいな花嫁さんですね」ぐらいなモノいいが普通です。
それなのに、花嫁にも花婿にも触れず、「あれ、まだ、離婚をしていなかったの?」と親の私のプライヴァシーに言及するのは、ないでしょう。(笑)、まあ、私としては、それだけ、幸せな家族であることが、そこに出ていると思いはしました。ええとね、別居を使用が何をし洋画、それは、芸術のためだから、余人の想像するような、一般的な価値基準は我が家には当てはまりません。
が、そのときに、直感的に、・・・・・もしかして、これらの、安野夫人たち、ご近所様の、『彼女(=私)は、離婚をするはずだ。いや、すでに実質的には離婚をしている』と言う見込みが、伊藤玄二郎氏に「元愛人だったから、彼に強く支援してもらっている」と、自分から言い出している石川和子女史などを通じて、伝わっていて、またそれを、伊藤氏は、この人(=川名君)のにまで伝えたのかな? そして、川名君は、伊藤玄二郎と一緒になって、私を馬鹿にしたり、あざ笑ったりしているの? それも何度も?』などと、推察してしまったほどです。で、『びょんぶ』という、伊藤玄二郎氏が、ポルトガル国の勲章をもらう動機となった、本の編集を、川名さんがやっているのではないかと想像を始めたわけでした。
一冊の本が完成するまでは、著者と編集者は何度も会うわけでしょう。で、私のことを二人で話題にしているのではないかと考え始めたのです。これは、後に、伊藤玄二郎が、RKさん(銀座の画廊のオーナー)と、夜の10時半に鎌倉駅のトイレに一緒にいるのに(といっても、男女別々ですが、同じ時間帯だったということです)出会ってから、確信に変わりました。RKさんは、葉山の住人でしかも主婦だから、夜の10時半に鎌倉で伊藤玄二郎と会っていてはいけないのです。多分、銀座で私の悪口を言って、彼女を利用する件があったのでしょうが、夜の7時半から、電車の中を含めて、3時間話し合っても、話が終わらなかったのでしょう。
元に戻ります。川名氏と伊藤玄二郎の結びつきの話です。
しかし、伊藤玄二郎は、河出書房が不況のときに、辞めています。入社たった、1年目でやめているのですから、ほとんど、同期である川名氏は、普通なら伊藤玄二郎など嫌いなはずなのです。そうです。沈みそうな船から、一人さっさと逃げ出した男など、普通なら残されたほうは嫌うはずなのです。
でも、強烈なひとたらし術を持っている伊藤玄二郎なら、川名氏が、逆らえないようなほどの、大物を使って、または、金銭的な報酬で釣って、河出書房新社に食い込んだかも知れないのですね。それで、まず、若手の編集者と一緒に、ポルトガルに関して、叢書の一巻である、教科書みたいな本を作ります。これは、国会図書館にまだおいてありますが、極く普通のレベルの本です。さすがに、これで、ポルトガル国の、エンリケ皇太子賞をもらったとは、ホーム頁でも、明かしてはいません。次の著書、『びょんぶ』でもらったと書いてあるのです。
もしかしたら、その『びょんぶ』のほうの、編集を川名氏が、頼まれて・・・・・当社とは、著者としては、二度目の付き合いだし、昔のいやな思い出を払拭するための、地ならしは、すっかり済みました・・・・・ということで、引き受けてあげたと、推察したものです。で、『岩波ホールの創設で、有名な高野さんと共著にしてあげたのも川名君の力量だったりして』とも、考えたものです。
どうして、川名君に頼んだかと言えば、・・・・・私の母校に私の悪口を細菌か、ウィルスのように蔓延をさせて、その結果、彼女を自滅させようと、伊藤玄二郎ほかの、例のエージェントたちは考えて、巻き込んだ・・・・・とそのように考えたのです。これは、後からいろいろ小さなエピソードが傍証として、出てきて、どうも本当らしいと思えてきています。
ここで、長年の読者はすでにご承知の話ですが、最近入ってきた方がわからないといけないので、『私の離婚が云々』と言う話の説明をいたします。それは、海外へ修行へ行くのは、専業主婦であると、難しいので、日本にいるときから、逗子で、アトリエを構えて、一人暮らしをしていたからです。家族と一緒だと、「明日からニューヨークへ三ヶ月行って来ます」と言うのは単なるわがままとしか、聞こえないでしょう。だが、世界的なレベルでの、天才芸術家(笑)になっていくつもりの私には、それはどうしても、今、やるべきことであり、誰がなんといってもやるべきことだったのでした。
そして、それは、40代に、ただただ、子育てのために自分を押し殺していた私の反動でもありました。・・・・・この時期をおいてほかにないよ。海外に行って長期滞在をしつつ、修行ができるのは・・・・・と思ったのですが、それはあたりであり、あの時をはずしていたら、その後の、私の人生の展開はなかったと思います。
でも、普通の人には実行をするのは、難しいことだと思いますよ。それを敢行できたのは、それなりの工夫、をするから可能だったのです。または、私の実力があったというべきでしょう。
どういう工夫かと言えば、悪口を言われることを平気になることです。川名君のジョークをここで、気にしている様に見えるのは、最近でも敵の攻撃があるから、蒸し返すだけです。
ちょっと、外出する。それが、同窓会関係だと、郵便のチェックで、知られていて、その留守の間に、花の鉢をひっくり返されたりするから、ここで、昔の話を蒸し返すわけです。多分、花の鉢をひっくり返したのは、あの男だろうと、わかっていますが、それは、無論、ご近所の例のアジサイ畑をコンクリートうちにしてしまったり(結局は土地を盗んだのと同じことになります)、また、他人(=我が家)の猫に対して超がつくわがままを通した、女性たちのだんなさんの一人でしょう。このようにして、ご近所を利用した攻撃が続いているから、昔のことを蒸し返すわけです。別に、それほど、気にしたり、考え込んだりしているわけではないのですが、『ああ、今、川名君について語る、チャンスが与えられたのだ。こんなひどいことをされるのだから』と、自分で納得をして、自身を持つわけです。
川名君一人のジョークで終わるのなら、やがて消えていく話なのですが、ご近所やら美術界が私への弾圧のために、引き続いて、使われるから、私も引き続き、思い出さざるを得なくなります。
~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『川島さん(村松画廊のオーナー)に、最近よく会うが、』
私ね。本日の松本楼の同窓会では、まったく静かにするつもりでした。全然アッピールを強くしないつもりでした。
それは、美術界の裏話をいろいろ書いていますでしょう。それらは、すべて、理由があってのことです。たとえば、山口みつ子さんが、自殺であるとする説を、川島さん(昔、村松画廊を経営していた)が、読売新聞のインタビューと言う形で、公開した件については、私は当然に怒って文章を書いています。このブログでね。その川島さんが、最近銀座で、頻繁に私の前に姿を現します。
黒田さんも同じですが、「川崎をつぶすために、彼女の目の前に現れてください」と頼まれていると、私は推察しています。本日、松本楼で、出会った馬越陽子さんと同じく、私を威圧し、びびらせるためです。つまり、川島さん、どうかにらみを利かせてやってください。『あんた、私について悪いことを書いたでしょう?』と言う感じで・・・・・彼女はびびるはずです。その結果、書かない様になるでしょうと、・・・・・頼まれていると感じます。酒井忠康さんから、直接か、間に誰かを挟んでね。
その川島さんが、京橋で、無邪気に犬に話しかけているのをみました。
車の窓ガラスがあいていて、そこから犬が顔を出しているのに、横断歩道を渡りながら川島さんが話しかけている。で、任務を帯びて意地悪をしているときではない、素直な人間性が出ているので、私が好感を持って、後ろから、「川島さん」と、声をかけると、彼女は、きっとにらむ感じで、無視して通り過ぎました。
彼女にしてみれば、勝ってやった。無視してやったので、『川崎は、これからしばらく、悩むはずだ』となると思います。だが、それがわかっていて、あえて声をかけたのは、彼女の反応を見たかったからです。それによって、政治的な裏がわかるから。
私にとって、勝利とか敗北は問題ではありません。真実の追究が先です。種々さまざまななぞを解くことが先なのです。
ここで、存在している一番大きななぞは、山口さんの死の真相です。また、私が、美術界で、不利になるように不利になる様に、悪いうわさを振りまいている人がいるが、その源泉が誰であるかを探ることも必要です。そこに大きな真実が含まれているからです。
さて、川島さんの、無視の態度には、今の私はまったく傷つきません。しかし、10年ぐらい前までは、今ほどの裏側の真相がわかっていなかったので、ずいぶんと傷ついたものです。で、
川島さんと言う名前は出さないで、『蛙が銀座を歩いてもだめだよ』と言うエッセイを書いています。AOLのメルマガ時代ですがね。あの時はいまほど、自分が取り囲まれているとは気がつかず、
川島さんの無礼異常の無礼な態度の意味するものがわからず、非常に大きなダメージを受けて、主人に、新橋から電話をかけて、「本日はアトリエに、寄りますよ。早く帰れない。12時過ぎになります。うちへ帰る気分にはなりません。何か、創作をして、すっきりして帰ります」と言ったものです。すると主人が、「蛙が、銀座を歩いてもだめなんだよ」というので、同情心のないことはなはだしい。何もわかっていないと半分は怒ったものの、半分は、笑い転げて、気分が直り、そのまま、鎌倉へ直行したのです。逗子のアトリエは、一人暮らしをやめても、お金がある時期はキープしていました。版画を作る機械(プレスという)が、重すぎて、自宅へ持ち上がらないからです)
そのころは、夜は一人暮らしをやめて、夫との家へ帰っていました。世界的なレベルの、大芸術家になるためには、後、7年は一人暮らしと海外修行が必要だと考えていましたが、痛さに耐えられない病気になってしまい、それを治療してくれたのが、なんと主人だったので、かぶとを脱いで、世界的大芸術家になるほうをあきらめて、主婦として、生きることを選んだのでした。
人生は思いがけない展開を見せます。あのままだったら、私は美術のほうにまい進したと思います。が、主人と一緒に暮らすとどうしてか美術の仕事はできないのです。天才の仕事なんて、そう言うものです。圧倒的なシビアさがあって、そばにいる人間が参ってしまいます。で、家庭生活など一緒に送れません。そう言う意味では、後ほど、出てくる馬越陽子さんの人生は、それを見事に語っています。
ご主人が自殺をなさったのは有名ですが、
ご夫婦ともに芸術家だったら、そう言う風になります。ただでさえ強いのが芸術家ですが、そこに『女のほうが動物として、男より強い』が加わると、そう言う結果になりがちです。
そう言うことは他人の例を見なくても、毎日一緒にいればわかるのです。だから、私は美術、特に版画の世界を捨てて、今、文章を書いているわけです。
文章の方は、どこまでやっても、世界的な大芸術家にはなれませんよ。(笑)それは、わかっております。そこには才能はありません。ただ、あふれるように書けてしまうというだけの話です。そして、文章を書いているときは、猫が話しかけるのを、遠慮するくらいの厳しさは、私のほうに、無論、ありますが、夫からの話し掛けを拒否するほどの、文章は、夫のいるときには書かないでいいのです。エッセイとは、完成までの時間が短いので、後でやろうとか、夫が帰る前までに、ある程度のところまで書いてしまおうとか、工夫ができます。
でね、文章を書き始め、本日出会うことになっている馬越陽子さんについてもすでに書いています。三本書いていますが、最初の日本は別にどうって言うことがないでしょう。敵さんたちがとても困っているのは、三本目です。私をつぶすための、ぱしりとして、馬越さんが使われたと言う文章です。
昔、京橋に、ギャラリー手という画廊がありました。それが今は、そこに、ないので、この話は本当だと思います。
鎌倉エージェントたちがやることは、『彼女の文章に出てくる、物的証拠をなくせ』ですから、ギャラリー手が、どこかへ引っ越したのも彼らの、命令でしょう。無論、伊藤玄二郎が直接手を下す可能性はないから、美術界の誰かが、動いたのでしょうが。
で、そのギャラリー手では、たいていの週で、私は、五分以上の長話をします。オーナーが、非常に頭がいいと、見ていて、話すのが面白かったのです。
そこへ突然に馬越さんが入ってきて、散々に、ご自分の最近の仕事のお話をされたのです。一種の自慢です。ただ、彼女の場合はそれが、頼まれてそうしているわけですから、いやみではない。そこが救いですが、何を聞いても私はぎゃ分とはなりません。負けたとも思いません。
そもそも、生き方が違うのです。すでに、美術の世界の第一線には立てないね』とわかっている私が、第一線の活躍をしている人の話を利いても、うらやむわけもないし、比較など、もともとやらないタイプですから、まったく気にならないのです。
で、馬越さんも、馬鹿ではないから、すぐ、私の反応の意味するところがわかった模様です。つぶすために、来たのだけれど、何の効果もなかったと・・・・・
「中国で個展をしました。日本人では最初なのよ。国家的な行事でした。帰国したら三越で、個展があります」と話してみたのに、私は、「ああ、そうですか」と、心からうなずくばかりですからね。でね。馬越さんは突然に激しい疲労感に襲われて、「ああ、私って疲れたわ。今も疲労困憊しているの」と何回も疲れたと、発言を続けます。それを聞きながら、私より、20センチは背の低い彼女を見下ろしながら、『なんてかわいい人なんだろう。年上のはずなのに、妹みたいに感じるわ。私は特に、最近、お母さんみたいと、銀座で個展をする若いアーチストから言われるからね。今も、そんな心情になっているのだわ。かわいい。かわいい』と思ってそれを、文章に書いたのです。
が、裏側では無論のこと、そんなに単純ではなくて、馬越さんを使った人たちを、誰だろうと推察を激しくしていました。ギャラリー手の前に車を止めて、その中で、待っている人間は誰かが大きな問いになりました。
このたくらみが、酒井さん発のアイデアだとしても、車の中で、私がその路地に現れて、ギャラリー手に入るまで、別の男性が、一緒に待っていたのでしょう、は、油井一人さんか、本多隆彦さんだろうと想像をしましたね。ちょうどそのころ、二人とも馬越さんのインタビュー記事を取って掲載していますので、面識ができたというわけでしょう。
だけど、こういうことをやりたかったのは二人の、心からの願いではないです。他の人から頼まれたのです。その依頼者は多分、酒井忠康氏でしょう。
「おやめなさい、伊藤玄二郎氏よ、井上ひさしよ。そして、酒井忠康氏よといいたいです。あなた方が小細工を、やればやるほど、私はそれを、書きますので、終わりがなくなります。しかもとても意味深いときに書きますので、それは、五年後だか、10年後だか、わかりませんしね。小細工を行った直後に、書かないので、ばれないと、思っているとしたら、浅慮のきわみです。
@@@@@@@@
まだ、推敲が三分の一しかすんでいません。が、すみませんが、ここで、別のことをやらせていただきたいのです。恐れ入りますが、・・・・・推敲の続きは明日の28日にいたします。・・・・・
そして、今は、これから先の続きはミス以降なので、引っ込めさせていただきます。すでに、1万9千字に達しているので、長くなりすぎますので、明日二つに分けた後半を推敲します。・・・・・幸せの印はなぜ現れたのかという謎解きは明日にずれます。お許しくださいませ。
2012年6月26日の深夜、初稿を書き、次の日に推敲をする。
雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
昨日読者数が少なかったのです。
で、私は、このように推察しました。
「ふん、お前、何やっているんだ。苦労している。苦労している。といっている傍らで、遊びほうけていて」と、おっしゃる読者さんがいるのではないかと。
直前の金沢について書いた文章は、政治問題を避けて、抑えておりますが、
しかし、しかし、50%までの真実を明かした書き方をすれば、この旅行全体が、戦いの一種なのです。
副題1、「各種の弾圧下での、旅行なので、旅行すること自体が戦いとなる」
1、
それは、まず、ホテルの予約がインターネットでは、取りにくいという件があって、それが、変だから、回復したいということがあります。これも、まず、パソコン上に、いろいろバグが入ることもあるし、それ以外の要因があるかもしれません。で、今回は三種類のチェーン・ホテルを試してみています。アパホテル、ワシントンホテル、サンルートホテル。
それらへ実際にとまってみて、裏に何があったから、あれほど、予約がとりにくかったかを後日、さらに、検証して解明していくつもりです。
2、
やはり、パソコンが使えない。
6月11日の夜、吉祥寺で、バッテリーが聞きませんでした。吉祥寺のホテルは、無論電話で申し込んであったので、「やられたな」と思いました。
が、次の週に、ホテルオークラのNTTドコモの株主総会でも、バッテリーが利かないので、これは、相当に意図的ないじめであると感じ始めています。つまり、何が何でも書くことをやめさせると言う例の方針下での、故障でしょう。
今回旅行してみて、やはり、金沢でも、大阪でも利用できないので、これは、絶対に裏があると思っています。となると、中断している、誰がやっているか、アイデアだけでも誰が出しているかについて、最終的な文章を書かないとだめかな?
と思ったり、します。しかし、難しいことには、それを、書いたとしても、わなが高度になってきているので、「書かせて、違うだろう。お前、冤罪を生み出すのか?」と、いうことになって、被害者たる私が、その件、一軒だけで、弾劾させられ、書くことができなくなる可能性もあるわけです。だから、やられっぱなしです。
で、B5のノートパソコンを持ってきていましたが、ブログを書くのに大幅に制限を受けたわけです。
もし、それがなければ、昼食をとるときにとか東京から金沢までの、4時間半、および、金沢から大阪までの二時間とか、に、さっと、文章を書いたはずです。
が、それが、できません。
3、
余裕がだいぶ生まれてきたので、落ち着いて、待っている。
実は、そういうわけで、部ログを休まないとならなかったのですが、一応事前にそういうことが起きることは予測をしていて、ホテル内で、交流電源を使って、やろうと思っていて、アダプターは持ってきていたのです。が、二つ持ってくる必要があって、絶対に持ってくるつもりだったのに、ひとつを忘れたのでした。
「とし、だなあ」と思います。電源アダプターは何回か盗まれていて、それで、買おうとすると、たった、一年前までのものがすでに買うことができないことになったとか、いうので、盗まれると大変なので、形式が違うものは、もって出ていたのです。
4、パソコンの電源アダプターは、弾圧のキーポイントである。
盗まれるということもひどい話ですが、泥棒という形で、彼らは、言論弾圧をしてきます。それらの連中のトップが政治家としては、小沢一郎氏です。ご近所づきあいのストレスを強烈に生み出して、私を苦しめたり、損害を与えたりする、特定の、人物のうち、特に、大きくな形で、しかも多数会の、いじめをしてくるのが、安野忠彦氏と、その奥様ですが、
その二人がうれしそうに畑仕事をするときこそ、小沢一郎氏が、この日本国家で、でしゃばって、日本をだめにする方向で動くときです。
その畑仕事とは、自分たちが原因で、25年間にわたって、我が家の花畑をコンクリートうちにしておきながら、(それは、13坪程度ですが、)私が外国へ行っているうちに、彼ら自身の畑は南側にあるにもかかわらず、別に新しく、北側に、斜面を利用して、20坪程度の大きな花と野菜の畑を作りました。
そこを、いじることは、私に対する挑発的ないじめの意味を持つわけです。
でその挑発行為が、鎌倉で、激しく行われるときこそ、過去例では、小沢一郎氏が、永田町で、日本国に役に立たないという形で、跳梁跋扈するときだったのです。
つまり、時の政府が、誰が首相であっても、しっかりした政治ができなくなる方向で、小沢氏は動くわけですし、彼が、激しく動くときには、安野家も畑仕事にせいを出すわけです。こんなわかりやすい図式はないというほど、わかりやすいのです。
が、何度も、これを書いているので、さすがに、同時進行的に、挑発行為が行われることが少なくなりました。
でね。電源アダプターの、型番がどんどん変わってきて、盗まれると、新しいものが買いにくくなりました。で、金沢や、大阪まで、電源アダプターを持って歩いてきているわけです。二つ持ってくるつもりでした。ところが直前になって、ひとつを忘れてきたわけです。そこが年(=加齢による衰え)ということなのでしょう。
電源アダプターも、結構複雑な変遷を経てきていて、外径も、変わってきていますが、内径も変わってきていて、複雑なのです。これって、日本のパソコンが売れにくくなる要因ですが、これらの弾圧者は、私ひとり(?)を弾圧するために、パソコンメーカーのfujitsu NEC 東芝などに、そういう風にするように命令しているのでしょう。
工業用品は、JIS企画というものがあります。ドイツの企画とどちらが世界標準になるかを争っているそうですが、この電源アダプターの差込口の問題ひとつをとってみても、企画化ができないのですから、
この例の私への弾圧者が、どれほど、この日本という国に迷惑をかけているかが皆様お分かりいただけますか? 特別な人間ではないのですよ。私は。ただ、伊藤玄次郎という男性との、恋愛関係を誇る、石川和子女子と言うのが、めちゃくちゃわがままな女性で、猫のことで、こちらに大迷惑をかけ続けて、最後の最後に、その猫に嫌われて、猫が私のほうを選んだことに逆上して、
なんと、警官を呼んで、警官に、「あそこのだんなに、奥さんをしかってもらうように、あなたがだんなに命令してください」と言いつけて、
また、そのあほな警官のうち、特にあほな若い方が、なんと、私を威圧するために、山の上なのに、交通事故の長所をとって脅かしたのです。私はかんかんに怒って、それを取り上げていますが、それを盗まれたのから、盗みが始まっていますので、
もしかしたら、警察が盗みに入っているとも思われ、それを、書いてほしくないから、これらのパソコンの破壊が起きているかなとも思われ、だけど、どうしても、こちらが正しいのに、こんな理不尽なことをされる覚えがないので、伊藤玄次郎は、もしかしたら、国際的軍産共同体の回し者と、なっているのではないかと推察し始めたわけです。だって、愛人が失敗したら、ご本人が、攻めを追うのは仕方がないでしょう。
とんでもない優遇措置を鎌倉市から与えられるように、計らってやって、増徴万の限りを尽くす女性として育てたのは、自分なのですから。
が、ともかく野こととして、電源アダプターはめっ着茶、企画が変わってきていて、それもあって、日本人は、新しいパソコンを買い換えるのを、やめにしたのではないですか?
つい三年か、五年前は、正式な定価が、20万円を越えるパソコンはざらにあったのに、今は、4万円台がずらり並ぶという状況です。
悪魔のいうことを聴いていると、商売が上がったりとなりますよ。社長さんたちお気をつけ遊ばせね。それは、JR東日本も同じです。まったく遅延現象がないことがほこりだった、日本の鉄道文化が、この五年間、めっちゃくちゃには会をされていますが・・・・・これも、鎌倉エージェントたちの発案です。
6、液晶画面が横長になっているが・・・・・
液晶画面が、10年前あたりまでは、黄金分割めいた長方形でした。テレビもそうでしたね。ところが、今のパソコンの画面は、横長です。
これもね。大きく出るようですが、私への弾圧の結果でしょう。横長であっても、普通の人は困らないのです。が、文章を書く人は、たとえ横書きでも、数十行一緒に見えるほうが楽です。
ところが、今のB5サイズの、新しいパソコンだと、20行も見えない形となります。私など、一時期マイクロソフトのワードを使うと文章が消える現象が多発して、仕方がなくて、インターネットで、最初から書き始め、途中で、アップして、大本の大型パソコンに入れてしまう・・・・・つまり、クラウドの中に放り込んでしまうという癖がつくほど、マイクロソフトは、私の敵の言うことを聴いたのでした。
ウィンドーズ98をサポートしないといい始めたのも、「うん、こrは、私への弾圧だな」と思いましたし、XPをもうサポートしないといい始めたのも私への弾圧でしょう。だが、そんなことを、私の実態をも知らないで、言っているうちに、マイクロソフトそのものが衰退してきましたね。
でも、このパソコンの液晶画面を、横長にするというアイデアが、文章を書いて発表する人間に対する弾圧であるということは、フェイスブックの、タイムライン導入でも証明をされたので、あながち、思い過ごしではないと感じています。
7、フェイスブックの仕様変更
フェイスブックに今、私は入れないのですが、現在フェイスブックをおやりになっていて、主に、文章を発表することに意義やら、興味を抱いている方は、タイムラインという新仕様が、文章を生かすことにはむいていないということは、ご承知になっているでしょう。その新仕様は、写真は図版、それから、ほかの人の情報を利用するシェアという行動には向いているのですが、文章、そのものに、重きを置く人には向いていなくて、読みにくくなる様式です。
全員タイムラインへ変更しないといけないと、この2012年の1~2月にかけて大宣伝をされていましたが、今は、どうなっていますか?
ところで、ホテルのチェックアウトの時間が迫ってきました。途中ですが、ここで、中断をさせてくださいませ。
で、私は、このように推察しました。
「ふん、お前、何やっているんだ。苦労している。苦労している。といっている傍らで、遊びほうけていて」と、おっしゃる読者さんがいるのではないかと。
直前の金沢について書いた文章は、政治問題を避けて、抑えておりますが、
しかし、しかし、50%までの真実を明かした書き方をすれば、この旅行全体が、戦いの一種なのです。
副題1、「各種の弾圧下での、旅行なので、旅行すること自体が戦いとなる」
1、
それは、まず、ホテルの予約がインターネットでは、取りにくいという件があって、それが、変だから、回復したいということがあります。これも、まず、パソコン上に、いろいろバグが入ることもあるし、それ以外の要因があるかもしれません。で、今回は三種類のチェーン・ホテルを試してみています。アパホテル、ワシントンホテル、サンルートホテル。
それらへ実際にとまってみて、裏に何があったから、あれほど、予約がとりにくかったかを後日、さらに、検証して解明していくつもりです。
2、
やはり、パソコンが使えない。
6月11日の夜、吉祥寺で、バッテリーが聞きませんでした。吉祥寺のホテルは、無論電話で申し込んであったので、「やられたな」と思いました。
が、次の週に、ホテルオークラのNTTドコモの株主総会でも、バッテリーが利かないので、これは、相当に意図的ないじめであると感じ始めています。つまり、何が何でも書くことをやめさせると言う例の方針下での、故障でしょう。
今回旅行してみて、やはり、金沢でも、大阪でも利用できないので、これは、絶対に裏があると思っています。となると、中断している、誰がやっているか、アイデアだけでも誰が出しているかについて、最終的な文章を書かないとだめかな?
と思ったり、します。しかし、難しいことには、それを、書いたとしても、わなが高度になってきているので、「書かせて、違うだろう。お前、冤罪を生み出すのか?」と、いうことになって、被害者たる私が、その件、一軒だけで、弾劾させられ、書くことができなくなる可能性もあるわけです。だから、やられっぱなしです。
で、B5のノートパソコンを持ってきていましたが、ブログを書くのに大幅に制限を受けたわけです。
もし、それがなければ、昼食をとるときにとか東京から金沢までの、4時間半、および、金沢から大阪までの二時間とか、に、さっと、文章を書いたはずです。
が、それが、できません。
3、
余裕がだいぶ生まれてきたので、落ち着いて、待っている。
実は、そういうわけで、部ログを休まないとならなかったのですが、一応事前にそういうことが起きることは予測をしていて、ホテル内で、交流電源を使って、やろうと思っていて、アダプターは持ってきていたのです。が、二つ持ってくる必要があって、絶対に持ってくるつもりだったのに、ひとつを忘れたのでした。
「とし、だなあ」と思います。電源アダプターは何回か盗まれていて、それで、買おうとすると、たった、一年前までのものがすでに買うことができないことになったとか、いうので、盗まれると大変なので、形式が違うものは、もって出ていたのです。
4、パソコンの電源アダプターは、弾圧のキーポイントである。
盗まれるということもひどい話ですが、泥棒という形で、彼らは、言論弾圧をしてきます。それらの連中のトップが政治家としては、小沢一郎氏です。ご近所づきあいのストレスを強烈に生み出して、私を苦しめたり、損害を与えたりする、特定の、人物のうち、特に、大きくな形で、しかも多数会の、いじめをしてくるのが、安野忠彦氏と、その奥様ですが、
その二人がうれしそうに畑仕事をするときこそ、小沢一郎氏が、この日本国家で、でしゃばって、日本をだめにする方向で動くときです。
その畑仕事とは、自分たちが原因で、25年間にわたって、我が家の花畑をコンクリートうちにしておきながら、(それは、13坪程度ですが、)私が外国へ行っているうちに、彼ら自身の畑は南側にあるにもかかわらず、別に新しく、北側に、斜面を利用して、20坪程度の大きな花と野菜の畑を作りました。
そこを、いじることは、私に対する挑発的ないじめの意味を持つわけです。
でその挑発行為が、鎌倉で、激しく行われるときこそ、過去例では、小沢一郎氏が、永田町で、日本国に役に立たないという形で、跳梁跋扈するときだったのです。
つまり、時の政府が、誰が首相であっても、しっかりした政治ができなくなる方向で、小沢氏は動くわけですし、彼が、激しく動くときには、安野家も畑仕事にせいを出すわけです。こんなわかりやすい図式はないというほど、わかりやすいのです。
が、何度も、これを書いているので、さすがに、同時進行的に、挑発行為が行われることが少なくなりました。
でね。電源アダプターの、型番がどんどん変わってきて、盗まれると、新しいものが買いにくくなりました。で、金沢や、大阪まで、電源アダプターを持って歩いてきているわけです。二つ持ってくるつもりでした。ところが直前になって、ひとつを忘れてきたわけです。そこが年(=加齢による衰え)ということなのでしょう。
電源アダプターも、結構複雑な変遷を経てきていて、外径も、変わってきていますが、内径も変わってきていて、複雑なのです。これって、日本のパソコンが売れにくくなる要因ですが、これらの弾圧者は、私ひとり(?)を弾圧するために、パソコンメーカーのfujitsu NEC 東芝などに、そういう風にするように命令しているのでしょう。
工業用品は、JIS企画というものがあります。ドイツの企画とどちらが世界標準になるかを争っているそうですが、この電源アダプターの差込口の問題ひとつをとってみても、企画化ができないのですから、
この例の私への弾圧者が、どれほど、この日本という国に迷惑をかけているかが皆様お分かりいただけますか? 特別な人間ではないのですよ。私は。ただ、伊藤玄次郎という男性との、恋愛関係を誇る、石川和子女子と言うのが、めちゃくちゃわがままな女性で、猫のことで、こちらに大迷惑をかけ続けて、最後の最後に、その猫に嫌われて、猫が私のほうを選んだことに逆上して、
なんと、警官を呼んで、警官に、「あそこのだんなに、奥さんをしかってもらうように、あなたがだんなに命令してください」と言いつけて、
また、そのあほな警官のうち、特にあほな若い方が、なんと、私を威圧するために、山の上なのに、交通事故の長所をとって脅かしたのです。私はかんかんに怒って、それを取り上げていますが、それを盗まれたのから、盗みが始まっていますので、
もしかしたら、警察が盗みに入っているとも思われ、それを、書いてほしくないから、これらのパソコンの破壊が起きているかなとも思われ、だけど、どうしても、こちらが正しいのに、こんな理不尽なことをされる覚えがないので、伊藤玄次郎は、もしかしたら、国際的軍産共同体の回し者と、なっているのではないかと推察し始めたわけです。だって、愛人が失敗したら、ご本人が、攻めを追うのは仕方がないでしょう。
とんでもない優遇措置を鎌倉市から与えられるように、計らってやって、増徴万の限りを尽くす女性として育てたのは、自分なのですから。
が、ともかく野こととして、電源アダプターはめっ着茶、企画が変わってきていて、それもあって、日本人は、新しいパソコンを買い換えるのを、やめにしたのではないですか?
つい三年か、五年前は、正式な定価が、20万円を越えるパソコンはざらにあったのに、今は、4万円台がずらり並ぶという状況です。
悪魔のいうことを聴いていると、商売が上がったりとなりますよ。社長さんたちお気をつけ遊ばせね。それは、JR東日本も同じです。まったく遅延現象がないことがほこりだった、日本の鉄道文化が、この五年間、めっちゃくちゃには会をされていますが・・・・・これも、鎌倉エージェントたちの発案です。
6、液晶画面が横長になっているが・・・・・
液晶画面が、10年前あたりまでは、黄金分割めいた長方形でした。テレビもそうでしたね。ところが、今のパソコンの画面は、横長です。
これもね。大きく出るようですが、私への弾圧の結果でしょう。横長であっても、普通の人は困らないのです。が、文章を書く人は、たとえ横書きでも、数十行一緒に見えるほうが楽です。
ところが、今のB5サイズの、新しいパソコンだと、20行も見えない形となります。私など、一時期マイクロソフトのワードを使うと文章が消える現象が多発して、仕方がなくて、インターネットで、最初から書き始め、途中で、アップして、大本の大型パソコンに入れてしまう・・・・・つまり、クラウドの中に放り込んでしまうという癖がつくほど、マイクロソフトは、私の敵の言うことを聴いたのでした。
ウィンドーズ98をサポートしないといい始めたのも、「うん、こrは、私への弾圧だな」と思いましたし、XPをもうサポートしないといい始めたのも私への弾圧でしょう。だが、そんなことを、私の実態をも知らないで、言っているうちに、マイクロソフトそのものが衰退してきましたね。
でも、このパソコンの液晶画面を、横長にするというアイデアが、文章を書いて発表する人間に対する弾圧であるということは、フェイスブックの、タイムライン導入でも証明をされたので、あながち、思い過ごしではないと感じています。
7、フェイスブックの仕様変更
フェイスブックに今、私は入れないのですが、現在フェイスブックをおやりになっていて、主に、文章を発表することに意義やら、興味を抱いている方は、タイムラインという新仕様が、文章を生かすことにはむいていないということは、ご承知になっているでしょう。その新仕様は、写真は図版、それから、ほかの人の情報を利用するシェアという行動には向いているのですが、文章、そのものに、重きを置く人には向いていなくて、読みにくくなる様式です。
全員タイムラインへ変更しないといけないと、この2012年の1~2月にかけて大宣伝をされていましたが、今は、どうなっていますか?
ところで、ホテルのチェックアウトの時間が迫ってきました。途中ですが、ここで、中断をさせてくださいませ。