銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小保方晴子さんと片山祐輔君には共通項が有る? 両人とも父親が、先ず引き受けた筈? △

2015-03-13 12:16:04 | 政治

 今、14日の夜7時ですが、推敲がやっと終わりました。 で、恒例の参画じるしを、総タイトル横につけておきます。初稿の段階では、わかりにくい処があったと、自覚をしています。なりすまし疑惑について、その裏側を説明するのは容易ではありません。

副題1、『鳩山首相の、クリミア訪問は、別に、大したニュースではないと思い、看過していたのだが』

 義務としては、前報(後注1)の続きを書かないといけません。そう、皆様にお約束をしているのですから。 しかし、自分の頭の中が先か、ニュースが先かというほどに、次々と、検討すべきニュースが起こります。2015年の3月13日の金曜日、パソコンに電源を入れると、それが、最初に開くことになっている、MSNが鳩山元首相の写真をでかでかと載せていました。 

 それは、原文は、時事通信が配信をしたものであって、それを、MSNが紹介したものです。ごく最近のクリミア訪問時に撮影をされたものだと、推察します。私は大切なニュースという文章を一つ作っていて、NHKニュースの中で、気にかかっていたものはメモとして、記録して行っています。 私にとって大切なニュースとは、一概に大きいと、保存をするというわけでもなくて、自分にとって、違和感を感じたものだけです。しかも、その違和感のうち、徹底的に裏が解るものについては、むしろメモをとらないほどです。だから、シャルリーエブド事件については、メモを取らないほどでした。ただ、それを頭脳内で、温めて、文章として書き始めたのは、2週間後でした。で、それに比べれば、鳩山元首相がクリミアを訪問をしたことなど、たいへんに小さな事であり、さして意味がないと、思っておりました。だから、看過していました。ところが、13日の昼、パソコンを開けた途端に、その顔写真が、目に飛び込んできたとなると、これは、一種のサインであって、再考を要する種となりました。     ~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『有楽町、泰明小学校前に、喫茶店【オーバカナル】と、居酒屋風レストラン【吉乃翔】があるが・・・・・?』

 と言うのも、2011年度中に、パソコンを開けた途端に、フェイスブックのしかも榊原節子さんの、頁が浮かんで、それが動かないことがありました。榊原節子さんは、国際キリスト教大学時代は、私とは、同期生であって、その前のお茶の水女子大付属高校時代は、一級下だったお嬢さんです。そして、東京女子医大のもっとも有名な教授であった心臓外科医・榊原仟・家のお嫁さんです。実父も水島三一郎博士という東大名誉教授にして八幡製鉄研究所の所長だった人。そして、何よりすごいのは、皇后陛下美智子さまの従姉妹だという点です。 で、社会的には、絶対的レベルで、私より、上の存在だと、みなされています。そして、超が付くほどの美人です。しし座生まれのお嬢様で、背も高く、体格もよくて、最高レベルの美人です。

 この人のフェイスブックの投稿は、だいたい800字から、1000字以内の文章だけのもので、地方へ行って、財務関係の講演をした報告となっています。(2011年度は、そうでした)  このフェイスブックの1頁が、フリーズして、動かないという現象は、普通では、あり得ない筈なので、違和感がいっぱいでした。その頃思ったことが、下の後注2に書いてあります。『榊原節子には、お前もかなわないだろう。だから、平身低頭せよ』と言いたい連中がいるのです。 節子さんの素顔は、良い方ですよ。だけど、この私への言論弾圧の問題に、使われる時は、恐ろしい人でもあります。

 榊原節子さんのホーム頁を見ると、以前は、バックが黒だったのです。本日、2015年3月13日には、それの背景色が黄色となっていて、以前より読みやすいものとなっています。が、それを見ると、榊原節子さん自身が、パソコンの使い方には詳しくはないということが読みとれます。ホーム頁の作り上げ方に工夫がありませんから。

 むろんの事、今の彼女には、『私は自分の主たる情報発信源として、フェイスブックに主力を移しているから、そこには、力を入れていないのよ』と、言う逃げ口上もあるでしょう。けれど、ともかくの事として、時間とともに動いていくのが普通であるフェイスブックの頁をフリーズさせるほどの、IT的技術を、彼女が持っているとは思われません。

 で、誰か別の人が、こういう工作を、やっていると、みなす事ができます。それが、私と節子さんを含めて、三人が同期である、古村浩三君だと、私は見ています。特に小村くんだなと、気がついてしまった件が、別にあります。それは、AOLに、毎晩、お知らせが入り、苦しめられた、梅森伸一君の、お友達獲得作戦です。梅森君は、私のおかげで、フェイスブック内で、勢力(または、陣地)を築くことができました。ところが、原発後だったので、私が原発についての各種の文章をブログの世界で、展開し、それで、ブログでもフェイスブックのどちらでも急速に読者数を伸ばしたのですが、それが、かえって災いをもたらして、最悪の弾圧を受け始めた時期でもあり、それを、フェイスブックにも書きました。

 すると、梅森君が真っ先にというほどの、時間軸で、友達関係を切ってきたのです。そして、一方で、「草間彌生と友達に成れた」と、大喜びをしたり、「開発チエさんと、友達に成れた」と、大喜びの投稿を、自分の頁や開発チエさんの頁にアップする様になりました。開発知恵さんのファンになって、ベタベタとしていました。スノビズムは、ある模様の男性です。ただし、プロフィールには、浜辺に転がっていた、キューピー(セルロイド製だと思われる)の片足だけを載せていて、学歴も、年齢もアップしていない男性でした。辛うじて、今形跡を見つけました。後注2の文章を書いた頃は、彼の情報が大量にグーグル検索で出てきましたが、今は、トレースほどの小さいものがやっと見つかった次第です。

 
梅森 伸一次は網などはどうでしょうか?

 その、梅森伸一君が、毎晩、毎晩、905人もいる種々様々な職業の、私の友人のうち、特に輝かしい経歴の人(たとえば、東大卒)に触手を伸ばして、友だち関係を築き、それを、AOLが毎晩知らせて来るという形になりました。当然の事、こちらは、そのずるさに、いらいらさせられます。::::::::::::::::

 ところで、ここで、挿入的なお断りをさせていただくと、その頃、私はフェイスブックは、AOLに開いているアカウント、AtelierCK@aol.comを基盤として開いている状況でした。それを、恐るべきスパイさん安藤てる子女史(たぶん警察官または、刑事?が、変装している女性)が、わが家を訪問して来た、2012年の3月11日の次の日に、彼女のおかげで、追い払われてしまったのです。が、最近、gmailのメルアドを起点として、もう一回フェイスブックに申し込みました。ただし、本日試みとして、梅森伸一君に、お友達申請をしてみただけで、こちらの新アカウントでは、友達は、一人もいない事となっています。   ::::::::::::::::

 で、この梅森伸一君を、主役にした嫌がらせですが、五十回以上もそれが、繰り返されると、彼本人ではなくて、別の人間がやっているのではないかと、感じる様にもなりました。その種のしつこい嫌がらせを、普通の日本人なら、やらないでしょうう。梅森くんは、彼本人の投稿を読んでいる限り、北海道に住んでいる、しかも、自分自身に対して、あまり、自信のない独身の画家らしいので、榊原節子さんと同じく、高度なIT技術を持っては、いないはずです。で、フェイスブックのシステムを破って、私と実際には、友達ではないのに、私の友達と、友達関係になる事はできない筈です。また、AOLが、毎晩、それを私にお知らせとして、配信してくる事も、彼本人には、できない筈なのです。ITシステム的には、そうなります。だから、こちらも古村君がやっているのではないかと推察する様になりました。

 というのも、2011年の秋に、そういう大いなる嫌がらせを、パソコン内で受けたのですが、その更に一年前の、2010年の1月に、泰明小学校前にある、吉ノ翔というレストランで、異常にして、かつ、とても、ひどい事を、私が密かにやられてしまったからでした。そこで、2010年の1月17日だったと思うのですが、クラス会が開かれたのです。それもまた、ものすごいキーポイントとなるのですが、一度どこかで書いています。それで、古村君には、内容がわかっていると思うし、それを書き始めると、10万次は越すので、ここでは、それを書き直すことは致しません。ただ、古村浩三君が、梅森真一君の名前を利用して、毎晩、嫌がらせをしてきた可能性を感じているのは、ここで、書いておかないといけません。私は、【なりすまし疑惑】という言葉を、2011年の秋に使い始めていますが、片山祐輔くんの、事件は、2012年のお正月に始まっていますね。彼は、古村君を助けるためのVictimになったと、私は見ています。

 ところで、この副題2の、タイトルとして、オーバカナルもあるが、吉乃翔もあると書いています。オーバカナルも泰明小学校のすぐ前にあるのです。そちらについては、私が一人で寄った時に、おかしな現象が起こりました。それは、後注3で書いてあります。それは思い過ごしでもなんでもないのです。次の銀座画廊巡りの際に、再び寄ったら、オーバカナルという子会社の社長、みたいな、人(=シルバー世代の紳士)が待機していましたから。(苦笑) ところで、そのオーバカナルのあるビルと、すぐ隣のビルの地下に、吉の翔があるのです。何か、因縁を感じます。または、私の弾圧者が、時たまよる、この一体を使えば、自分たちの悪事の、裏側(=秘密)がばれないとでも思っているのかしら?    ~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『片山祐輔君が逮捕されても、私を苦しめた【梅森伸一君に成りすまして、毎晩、イライラさせて来た、人物】の名前が、明らかになったわけではないが・・・・・気の毒な犠牲者だとは見ている』

 上の節で、すでに、<片山祐輔君とは、本人は、実際には何もやていない。ただ、古村浩三君を助けるための犠牲者として、選ばれたのだ>と、私は言っています。どういうルートで、彼が、専任されたかというのが、本日のメインテーマです。ゆうすけくんは、まず、父君がリクルートをされて、<息子さんに、こういう役目を引き受ける様に、頼んでください。いうことを聞かせてください>と、誰かから、依頼をされて、その通りに動いたとみています。

 そして、もし、片山祐輔君が、・・・・・上の方で、私が言っているフェイスブックの頁を動かしたというモノだったら、あまりにも簡単に、私狙いだった・・・・・ということが解ってしまいますね。だから、フェイスブックとは全く関係がない、事件を創出したのです。三重県とか、なんとか、とんでもない遠くにいる無関係な人物を脅かした事になっています。 しかも、時期的にもずっと前(=私がなりすまし疑惑という言葉を使う前)に、そういう脅迫メールが送信された事となっているでしょう。

 私は、片山祐輔君は、なりすまし疑惑の諸ケースには、一切、関わっていないとみています。何らかの裏側があって、犯人にさせられていて、それを了承をしている優しい子だと、見ています。それを了承をさせたのは、父親でしょう。ネットのあるところに、『片山祐輔君の父親は、もとIBMの社員だ』と出ていて、『やはり、そうだったのか。私の推論は正しかったなあ』と、思いました。エリート一家の坊ちゃんで、猫が好きな優しい子供です。弟も優秀なんだって、・・・・・

 彼は、30歳代ですよね。と言うと、父親は、60歳代です。退職済みだとされているが、65歳ぐらいかな? それとも、祐輔君の問題が起きたので、早めに退職したと仮定をすると、まだ、65より前だとなります。ともかく、私の年齢より、10歳程度若いとみなす事ができます。

 ということは、その父君が、新卒で、有名大学を卒業した時点で、課長職あたりに存在していた【或る個人】が、私と同世代となります。その人物が古村浩三くんとしたし買ったら、このなりすまし疑惑が、簡単に成立します。

 ところで、私が、パソコンを使って、この手の、CIAに着目した文章を書き始めたのは、いつだったかなあ? でも、頭脳内では、分かっていながら、外部へ向かっては、それを発表をしていなかったし、パソコンを使ってメモもとっては、いなかった時期に、古村君に直接電話をかけて、「ねえ、古村君、あなたの職歴って、どういうものなの?」と、質問をしたことがあります。相手も狸なので、こちらも狐になりました。(苦笑)

 すると、面倒くさそうに・・・・・(苦笑い・・・・・彼は、榊原節子さんに対しては、非常に親切な物腰で接します。「もしかすると、恋していますか?」というほどに、親切です)・・・・・「ホーム頁があるから、それを見て」と、突き放されました。で、見てみたところ、日本ユニシスの職歴しか書いてありません。しかし、そのホームペイジから、非常に大切なことがわかりました。1962年時は、たった23人しかいないクラスが一緒だったので、それなりに、親しかったのに、1963年からは、専攻を、私がSSと言うところから、NSと言うところへ変えたために、50人が一緒に講義を受ける、中規模講義とか、200人の大規模講義を、一週に、8時間程度一緒になるだけの関係になったために、彼が、卒業直後、アメリカニューヨークに留学をしたのを、知りませんでした。が、それって、IT業界、特にシステム開発にとっては、始祖に等しい技術者です。そして、そういう時期にアメリカ留学をしていた、人物たちとは、特に親しくなっているでしょう。当時はまだ、シリコン・ヴァレイは、まだ開発をされておらず、東海岸のボストンとか、ニューヨークへ留学するのが、IT技術を学ぶ道だったと思いますが、その当時似、東海岸留学組はお互いに、非常に親しいはずです。アメリカ留学経験者特有の現象ですが、家族ぐるみで、付き合っている可能性もあります。

 そうなると、片山祐輔君の父君あたりが、古村浩三くんの、親しい人間のでしであるか、または、孫弟子である可能性は強いのです。で、古村浩三君自身、または、私が鎌倉エージェントと呼ぶ、大勢の男女、または、紳士たちが、協力して、まず、片山君、または、その父を探し出し、その後では、急速なスピードで、アイデアを練っていき、・・・・・つまり、江の島の野良猫の首輪に、マイクロカードが引っ付いていたとか、川岸に携帯を埋め込んだとかいう設定を考え出し・・・・・それをニュースとして流したのです。それらのアイデアを練った人物は、これも、後藤健二さんの母、石堂順子さんを探し出し、彼女に、例の外人記者クラブでの、奇想天外な記者会見を行わせ、その原稿も作ったと、推察している、同じ、人物ですが、

 そのうちの一人は、確定的に鎌倉エージェントと、私が呼んでいる人物です。いや、現場を見たことはないので、【でしょう】と、言う語尾にするべきでしょうね。(苦笑) でも、ここで、練習問題を解いているからこそ、シャルリーエブ度事件も、イスラム国の後藤健二・殺害事件も、すぐさま、裏側が読めるのですよ。

 そして片山祐輔くんを犠牲者として、逮捕させた、その真の目的は、何かというと、【なりすまし】という言葉を、IT世界で、実際に、実行した人物を、古村浩三くんとは別に、作り出すことなのです。そして、言葉さえ、創りだしてしまえば、私が書いていることは打ち消すことができると、例の連中たちは、考えています。

 たまたま、死人は出ていません。だが、なりすまし疑惑の迷惑行為によって、逮捕された人物がいたことになっています。だけど、その逮捕された人物とは、名前が公開されていません。顔も公開をされていません。だから、日本に、4万人はいるとされる、CIA側エージェント、または、共産党員などの中で、プチ文化人と呼ばれる人物が協力していると、私は推察しています。

 一番、それが嘘であるということへの傍証になっているのは、<脅迫メールが、お茶の水女子大付属小学校にも送られていたのだけれど、そのメールは、自動的に、ゴミ箱(または、SPAMメール防止箱)に入っていて、お茶の水女子大の付属小学校では、脅かされている事には気が付かなかった>と、言う報道があったことです。御茶ノ水女子大付属小学校が、組み込まれてしまったのは、例の鎌倉エージェントが、私がそこの高校を卒業をしているということを強く意識しているからなのでしょう。ばかばかしい。今、これを書きますが、今、それに、気が付いたわけではなくて、その報道が起こったころから、すでに、気が付いていました。が、直後に、これを書くと、古村君に、リアルな喧嘩を売っていることになるので、書かなかっただけです。古村君については、もっともっと書くべきことはありますが、本日は、片山祐輔君は、彼の、身代わりで、使われたのだろうと、だけ、お話をして、次に進みます。

 ただ、大騒ぎを起こして、間接的に、このブログの読者を減らそうという試みの一つであることには変わりはなく、私にとっては、既視感のある事件でした。そして、こういう攻撃を受けるたびに、神への信仰を深めたのです。こういう悪意に対しては、抵抗のしようがないからです。もっとも、身近なもの、たった200人しかいない同期生が、悪辣な事に、使役をされている事に対しては、防衛する事が、非常に難しいからでした。

 そして、ここで、丁寧に、私の敵たちのやり方を勉強しましたので、まったく遠くで起こされた、シャルリーエブド事件から始まる一連の、イスラム過激派の事件の推理も、スムーズにできました。同じMSNで、午後から、また新しい、イスラム国のニュースが出てきていますが、それは、古村君について、書かれることが敵さんたちにとっては、非常に痛い事だろうから、こういう風に再攻勢に出てきていると、推理しています。     ~~~~~~~~~~

副題4、『小保方晴子さんと、片山祐輔君には、共通項がある? その父親が、問題だ』

 今まで、書いたことは、パソコンを開けた途端に、目に入る写真に意味があるというポイントで、追及したことでした。しかし、この副題4からは、片山祐輔君の父親に言及した、その同じポイントで、あまり報道をされることのない、小保方嬢の父君に触れていきたいと思います。

 絶対にテレビには出てこない人です。二人とも。それは、私が常に持論としている、『実は、テレビに出ない人の方が、ハイクラスなのだ』を、実践しているのでしょう。明治生まれ、または、大正生まれの、その祖父の時代から大卒だと思われる家系、そういう階級の子供が、小保方さんまたは片山祐輔君の父君です。中流の上の典型。で、私は、ネット検索で、IBMとか、三菱商事という固有名詞を、知る、以前から、こちら、小保方晴子さんの父君は、早稲田大学卒のはずで、と書いています。その部分は、ネットでも、未だ、一切が開示されていないのですが、

 別のルートから三菱商事のソウル支店長だったと、書いてあるのを見つけました。なるほどと、思います。この父君が、新卒の新入社員だった頃の上司から、何かが頼まれているのです。何が頼まれたかですが、頼まれたというよりも勧められたというのが正しいのかもしれません。それは、晴子さんの、将来を保証されたということです。何を保証されたかというと成功者としての晴子さんの人生です。たとえば、ノーベル賞までの道筋を示されたとか?

 小保方晴子さんは、美人です。『彼女は、一見、二重瞼に見えるが、実は一重瞼だとか』、論議がかまびすしいが、美人の方でしょう。美人で頭が良い。これは、単純に考えても勝ち組になる可能性があります。で、彼女が、大学一年時か、二年時に、目をつけられたと推察しています。将来、使役すべき、重要な玉としてです。で、ノーブル系のスターとして育て上げることに決めました。誰がって、成岡庸司君ぐらいが、でしょう。

 つまり、『タレント系のスター、例えば残間里江子さんを、ぶつけてきても、私が屁とも思わない』と、彼らは、考えたわけでしょうね。それは、高く評価して頂いて、ありがたいことですが、ともかく、学者系で、圧倒的に優秀な人材を作り出し、それをマスコミに乗せてスターとしていくという、アイデアが、持ちあがりました。誰が、そういうことを考え出したかですが、それは、早稲田大学の1960年代で、学生運動の闘士で、革〇の委員長であった、成岡庸司君あたりでしょう。彼は、一般社会の表舞台には、出ていませんが、現在の日本政治を、裏で牛耳っている存在だとみています。つまり、安倍総理大臣より上なのです。これを傍証づけるものは、いろいろありますが、本日は、そこには踏み込まず、小保方さんをリクルートをしたのは、成岡君あたりだろうとだけ、申しあげておきます。

 ただし、これは、証明されている事実ではないです。だから、小保方さんを見つけ出したのは、別の教授かもしれません。または、奥島孝康氏あたりかもしれません。で、今、31歳で、1983年生まれの小保方さんが、リクルートをされた年齢が、19歳から、21歳の間だと仮定をすると、時系列的尺度が、あってくるのです。 つまり、私が、単なる専業主婦から、どんどん、大物へなっていく過程と、時系列的な、つじつまがあってくるのです。私は、1997年に、文化庁の在外研修生の試験に応募しています。

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副題5、『文化庁の在外研修生の試験と、パリ・バスティーユでの、私に対する拉致未遂事件』

 私は表側から、試験に通ったと考えており、その理由は、推薦者が画家として、また、大学教授として、清廉でご立派な方だったということと、自分の書類の書き方が、抜群に優れていたということを、たびたびあげています。後者については、他の受験者から、相談を受けたことがあって、その人の書類と比較した結果です。相談を受けたのは、二人有って、二人共と比較しても、ありとあらゆる意味で、自分の書類の方が立派でした。だが、しかし、これは、一問一答形式の試験ではないので、手加減が加わる試験であって、意外と、面倒なところがあって、私より、ずっと、簡単な気持ちで、受けて、簡単な準備でも、合格する人もいます。いわゆるひいきも利く世界です。 一方で、パリの美術界も、コネ優先の世界だそうですから、あながち、日本社会だけが、古いということでもなさそうです。ただ、美術界も、上に登ろうとすると汚い部分はいっぱいあり、古い古い世界です。ビジネスの世界のほうが、明快で新しいです。

 表向きには会社とは違って、階級による出世制度はないはずの、芸術の世界でも、現代において、コネ以外で、社会階層的に、または、金銭的な意味で、上昇していくのは、大変なことなのです。だから、下手に出た方がいいということですが、ごく最近、人間関係における面倒事を相談されたことがあって、その時には、その人が下手に出ることがマイナスとの判断を得ました。だから、上手で生きるか、下手に出て生きるかは、超、難しい選択では、あるのですが、・・・・・つまり、平等にしておけば、一番無難だということ。しかし、遼太くんと、加害者の間の様似、タメ口を聞くのが、死につながるのですから、表現された態度としては、ちょっとした手に出ておくのが、いいでしょうね。

 ともかく、私は、パリへ行かれることになったのです。しかし、バスティーユ駅で、メトロの改札口を出た途端に、危うく大男、4人の集団に拉致されそうになりました。だが、切符のあと検札をしたい」と、まるで、俳優の様な、中年の、美男子に英語で、話かけられた途端に、『あ、私拉致されるんだわ』と判かり、全速力で、走って逃げだしました。その通路は、出口がサン・アントワーヌ通りという方向で、あって、その日がパリ到着、9日目であって、バスティーユ駅の通路を使うのは、初めてだったのに、自分の勘のすごさには驚きますが、太陽の様に広がっているバスティーユの地下街通路のまさにぴったりのところを選んで、走って逃げたのでした。反対などを選んでしまうと、先回りをして、捕まえられてしまったかもしれまえん。バスティーユ広場の円形など、相当に大きいのですから。 その出口こそ、自分がアパルトマンを借りているサンポールへ向かう、リヴォリ通りの、別名で、ぴったりの道だったのです。地下一階には、太陽が出ていないし、地上に出ても、曇りだったのに、よくわかったものです。その時は、臓器移植のために、人間を拉致する集団に狙われたのだと思っていましたが、

 今思うと違います。実は、ICU在学中にベイカーさんという金髪碧眼の、メル・ファーラーみたいな男子学生に、部室に呼び出されて、全部で四人で話し合ったことがあるのですが、その時に、私は・・・<自分が超がつくほど、頭が良いこと>を、彼に、見つけられてしまい、それ以来、命を狙われ続けているのです。とても単純な話なのですよ。別の学生の、『僕は三鷹駅前で、社会人を相手にビラを配りたい』と言ったのを受けて、ベイカーさんが、『あ、ぼく、三鷹警察署の所長と親しいので、許可をもらっておいてあげる』と言ったのです。で、私目を丸くしちゃったのです。または、眉をひそめたというのかな? だって、どうして、アメリカ人の学生が、三鷹警察署の署長と親しいのかと思って、不思議で。

 この程度の頭のよさでも、日本人が頭が良いことは、いけない事なのですよ。だから、一回目の事として、1965年にICUの桜並木(800mも続く)で、後ろから首を絞められて、一回殺されそうになったのです。そして、二回目が、1998年のパリです。しかし、パリで、私を暗殺してしまう、たくらみは失敗となったわけですね。ただ、私は、この件を、その後、10年以上、真相には気が付いていませんでした。それはかえって幸いでした。普段は、外人に命を狙われ続けていることなど、全く忘れて生きていますので。

 ただね、日本で、2011年に三回目のこととして、命を狙われました。画廊るたんの入っているビルの一階の廊下で、待っていた不思議な、画商風の外人に鎌倉の家にまで訪ねてこられて、暗殺されそうになったのです。が、事前に察知していたので、主人に、仕事を休んでもらって、家に待機していてもらったので、無事でした。彼は、結局のところ、名前も名乗らず、メルアドも教えようとせず、コートも絶対に脱がなかったので、コート下に、ピストルでも隠していたのでしょう。

 パリ以来、海外では、命を狙われるほどの、罠に嵌められる事は少ないですね。しかし、1999年の、ニューヨーク滞在では、引っ越しの日に、エレベーターが故障するという嫌がらせを受けました。最初のマンハッタン51丁目の、六畳一間の、間借りでは、赤ちゃんがまとわりついてきて、仕事ができないので、郊外だが、一戸分を、占有できるアパートへ引っ越したのです。が、その日にエレベーターが故障をしたのです。で、八階分の階段を、三回ぐらい往復しないといけませんでした。それも当時は、自然なことだと思っていましたが、今では意図的な攻撃だったと思っています。エレヴェーターって、ICティプが使われているでしょう。だから、簡単に故障へ持ち込めます。でも、性善説の人だから、真相には、気が付かなかったので、それ以降も、10週分、美術、版画を専攻していて、『もう外国は、危険だから、日本へ帰ろう』などとは、まったく迷わなかったです。それも、神のお優しい、おぼしめしだったと思っています。

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副題6、『経験値が違うので、ご近所主婦たちがやってくることが笑止千万に思われるのだった。たとえば、水をぶっかけようとした事など』

 私はね。この鎌倉雪ノ下へ引っ越してくる前にも、元海軍参謀という益山重夫氏には、圧倒的なレベルで、勝って来ているのです。それは、すでに亡くなった方ですが、栗原氏という日本橋で開業していた弁護士さんからも、ずいぶんに驚かれ、かつほめられました。「あなたは、一見すると、典型的な被害者像と見えるのだけれど、実際には、非常に頭がいいんだね」と。典型的な被害者像とは、詐欺にひっかけられたり騙されたりしがちな、善良な庶民を指します。 最近では、多摩川河川敷で、惨殺死体、しかも裸体で発見をされた遼太君のママなど、その典型かもしれません。なんと、通夜で、誰かにびんたをされたんですってね。週刊誌の広告で知りました。気の毒に。それは、女性だったか、男性だったか?

 ところで、このブログを連続してお読みいただいている方には、私がご近所主婦から、「あなたの猫が病気のはずだ」とか、山の下から昇ってくる石油製品から出る煤を含む煙を、『あなたが出しているのでしょう』と頭ごなしに叱られたり、未婚のお嬢さんの携帯をスパイ役として、使って、安野家のベランダという10mの高さから、水をぶっかけられそうになったり、・・・・ただし、浴びてはいませんが・・・・私の猫なのに、それを、法律的に誇張して言えば、窃盗を200回ぐらい、繰り返す相手から、私の猫がそちらよりも、ぎりぎりのところでは、私を選んだことを逆恨みをされて、警官を呼ばれてしまって、

 その警官から、『あんたには、用はねえんだ。あんたの旦那に、あんたを、叱ってもらわないとならねえんだ』と、乱暴狼藉極まりない言葉を浴びせられ、二人で一組になっている若い方から、交通事故の調書を取られるというとんでもない、人権侵害の、措置を受けたり、しても、ありとあらゆる場合に、冷静でいられるのは、経験が違うからなのです。ドラクエなどの、ロールプレイイングゲームで、経験値とよく言いますが、その経験値が、ゼロが一桁とか、二ケタというレベルで、彼女たちとは、違うのだと思います。でも、それは、私が知っていても、彼、彼女たちが自覚をしない限り、どうにもならない事ですから、いちいち、やられる不当な事を、ここで書くわけですね。ばかばかしいことだけれども、それをやり続けます。そのうちに、ルールや意味が出てきました。『いわゆるナチズムの発生は、こういう風にして起きるのだなあ』と心から、思うか様になったからです。ヒステリーの研究でもあります。

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副題7、『小保方さんが、リクルートをされたのは、2001年ごろでしょうね。その頃、私はパソコンで、マイクロソフト・ワードをマスターし始めます』

 私は、日本社会での、有名人ではありません。しかし、成岡庸司君とか、益山夫妻とか、瀬島隆三には、非常に恐れられ、ぶっ潰してやりたいと思われたでしょう。それは、単に、私の方が、頭がいいからだけ、だから、私としては、どうしようもないのです。(苦笑)市、そんな理由でぶっ潰されてはたまりません。だから、抵抗をします。

 だが、小保方晴子さんが、早稲田大学で、リクルートをされたのは、私が、パソコンを使い始めた、1999年以降でしょう。パソコンを使うことによって、私の頭脳程度、または頭脳内にあることで、文章化されたもののすべては、監視されることとなったのです。MEを使っていた時代から、ハッキングは行われていたと、思います。FINDERという隠しファイルが、その当時、私のフォルダーすべてから見つかりましたが、それが一種のバグで、それがあるかぎり、どこにいても、私がパソコンで、マクロソフトワードを使っているのが、CIAとか、鎌倉エージェントたちに、把握が可能だったのでしょう。

 私は私の目の前に現れて、バカげたこと、例えば、交通事故に出会って、二日後で、徹夜明けで寝ているのに、この鎌倉雪ノ下の山中で一斉に、午前10時に布団たたきをして、起こしてやろうという悪意や・・・・(これには、前田家が、土地を不正に出っ張って使用をして居るという裏側があるのですが、そこで、布団たたきをして、既成事実にしていこうというたくらみを文章に書いています。普通なら他人の事には踏み込まないのですが、前田家のその不正使用が原因で、わが家の土地が不正に、コンクリート打ちをされたり、崖が突然、無許可なのに、崩されたりしたわけですから、大変問題がある事なのです。その上あろうことか、30年間、こちらが黙って訴追もしないことをいいコトに、鎌倉市の条例を用いて、その土地仕様の不正が、不正ではないことになりました。ここらあたり、別賞を立てて、また丁寧に語ります)・・・・、

 税務申告を去年と異なって、すべての経費を落とそうと努力をしたりしている最中に、これまた、徹夜が続いたりすると、そこへ、鶴岡八幡宮様も、午前10時に、異常な長い音の太鼓のたたき方(後注4)をなさったり、と、そういうことをやられ続けていても、ごく淡々と、日常生活を送ることができるのは、強靭な精神力があるからですが、

 ともかく、小保方晴子さんは、私が、パソコンで文章を書き始めてから、リクルートをされたと、見ています。彼女に箔をつけるために、早稲田大学は、東京女子医大の基礎医学部門を買い取ったわけですが、その交渉に当たっては、上の方で出て来る榊原節子さんなどが、当たったと、推察しています。多分、真実でしょう。

 今日は、ここで、終わらせていただきます。鳩山首相については、後日別の文章で語りましょう。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2794454です。2015-3-14 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

March 11, 2015 - Simferopol, Russian Federation - SIMFEROPOL, RUSSIA. MARCH 11, 2015. Natalia Poklonskaya (L), prosecutor general of the Republic of Crimea, and Japan's former Prime Minister Yukio Hatoyama at a meeting. Alexei Pavlishak/TASS

なお、この、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 27093085です。

後注1、

新監督? JAL破綻、嘉田新党(12年冬)、    2015-03-12 21:22:11 | レストラン

 
後注2、

FBが地獄であった頃の話(開発チエ、梅森伸一、三瀬夏之介、古村浩三、榊原節子、)  2012-10-02 03:04:06 | Weblog

 
後注3

2015-2-20、ニューオータニが経営する銀座のカフェで、従業員が、200円をネコババした?  2015-02-20 21:17:03 | 政治

後注4,

鶴岡八幡宮・太鼓連打・・・メルケル首相来日・・・クボタに最高裁が3200万円支払えと△

2015-03-08 00:26:35 | 政治
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