今は、12日の夜11時です。外出中にちょろっと寝たので、元気を回復しました。この章の加筆推敲へ取り組みます。尚、スピンオフに次ぐ、スピンオフとして、大量の別の話が間に挟まります。そこを最初は、アンダーラインを敷いたのですが、あまりに大量になったので、アンダーラインを撮りました。とても重要な部分は、加筆、初稿のどちらでも、青の太字に直して置きます。
副題1、『それこそ、哲学の問題なのだが、事は得てして、反対側に動くことがある』
前報において、ミスター平木という、男性が、普段はバランスがとれて居て、問題がないのに、だからこそ、『あれを利用すれば、川崎千恵子弾圧の、効果が高いだろう』と悪人たちに、みなされて居て、最近の二か月は、四回続けて利用をされて居たと、語っています。
特に四回目に、私の方がその無礼ぶりに激怒して、『それなら、いいですよ。冨澤家が、名義上の主役として行った、高枝切が、どれほどに、醜い事であるかを語りましょう』と、決意したと、語っています。平木家について語るのではないのですよ。Mr.平木がひどい事をするのは、彼本人の意志ではなくて、前田家等が、動かしているわけですから、同じく前田家が、動かしている、もっと大きなことをやった冨澤家に関して、さらに丁寧に拡大して語る事を決意したと、言っているわけです。
で、平木氏と前田夫人とか、小野寺夫人とか安野夫人とかの、関係においては、・・・・・平木氏を使えば効果が高いはずだ・・・・・と、鎌倉エージェント側は、推定していたのに、実際には、反対だったと、成る事が、悲喜劇だと、言っているのです。
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副題2、『上流階級に生まれても、現代では、その弱さだけが目立つことになりかねない。中流の下くらいで、生まれた方が、賢い生き方ができると、思う』
私は、この山の人のほとんどに、自著を上げています。そこにURLも記載をされて居るので、このブログの事は、みんな知っている筈なのです。また、うわさ話として、私にはどういう風に対応をしたら良いかも、流布されているでしょう。
しかし、このブログの解釈の方法に置いて、上に挙げた二家族は、徹底的に間違っている模様です。このブログに対して、正しい読み方はできて居ないと、思います。もし、正しい読み方ができて居たら、冨澤夫妻も、ミスター平木も、地雷を踏むことはなかったはずです。または、あの、二家族を支配し、利用した側の、小野寺夫人とか前田夫人達が正しい解釈ができて居なかったので、間違った方向で、この二家族を利用したので、二つの家族とも、恥をかいたと、言う事になるかなあ。その上まずい事に、冨澤家も、平木家も、このブログを読んでいなかったと、仮定をすると、今般の推移は見事に、なるほどねと、成ります。
ところで、冨澤家は、上流の下という階級です。一方の、平木家は、中流の上と言う階級です。冨澤家は、そのご主人側の親が、こまち二丁目と言う、鎌倉市内では、本物の高級住宅街と言える地域に、家を構えて居て、仕事は、慶応大学の教授でした。で、市内の情報が早く手に入るので、この雪ノ下の山の小規模開発においても有利であって、敷地を三区画、買っています。だから、実動15軒しかない住民の中では、一番のお金持ちなのです。
しかし、その冨澤夫妻は、悪人たちから見れば、非常に弱い存在だと、成ります。よく「赤子の手をひねる」という表現がありますが、高枝切り、問題前後の、冨澤夫妻を見ていると、そのことわざが、見事に当てはまります。
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副題3、『ここで、一種のスピンオフに入るが、四億円以上の株を持っている人がこの雪ノ下の、山の中にいると、去年、私は、郵便屋さんに誇示された。それだが、本当にいるかどうかの謎を、今、解かないといけない。それは、季節は巡って、今年は、郵便屋さんが、ポストにカレンダーを無理に突っ込んで帰るので、謎が解けかかっている処だ』
冨澤夫妻は、上流階級の人ですから、お金持ちの筈ですね。私も実は、一般の専業主婦に比べれば、お金持ちの筈でした。しかし、大切な、中学から、大学時まで、あまりにも、経済的に恵まれていたので、経済的に自立をするという意識が身について居なくて、ただただ、親からもらった遺産と主人の給料をバンバン使う人だから、やがて、貧乏になってきたわけです。
ところが、また、そこへ母からの遺産が入ります。そうすると、父からの遺産としての株をすべて、売り払ってしまっているのに、また、株を保有する事になりました。その株価を下げてやろうという目的で、起こされた謀略が、寝屋川のに児童殺害事件であり、あれは、山田浩二は、やって居ませんよ。それから、都筑区の傾きマンションです。
そんな私をからかってやろうとして、郵便局を利用して仕掛けてきたのです。
ここが、第一の加筆中です。強烈な睡魔が襲ってきたので、13日に昼間書きます。と、書いて、ここから、13日付の次の章を書き始めております。
副題4、『豊島屋の先代社長が、私に鎌倉市民を、四つに分類している話をしてくださった。それは、ありとあらゆる政治的な、エピソードへつながっていく話のひとつなのだったが?????』
::::::::::ここで、挿入に入りますが、豊島屋の先代社長さんが、私にこうおっしゃったのです。「鎌倉の古くからの住民は、今の鎌倉市民を四種類に分けているのです。原住民、先住民、新住民、インヴェーダーと」。私は、聞いていて、思わず笑ってしまいました。このカーストを四段階に分けるやり方は、インドの、バラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラをはじめ、日本でも、士・農・工・商と、言うのが戦前まであって、よく使われる数字です。豊島屋の社長さんは、ニューヨークで、イサムノグチと会食をなさったそうで、相当な文化人です。
この会談は、政治的な意味では、ものすごく重要であって、この章でも、角野栄子さんのところで、もう一回取り上げますが、今は、ただ、冨澤家を、分類するために使います。
冨澤夫妻は、その親(=明治生まれ、もしくは大正生まれ)の代から鎌倉に住んで居るので、豊島屋さんの、分類に当てはめれば、先住民に当たります。豊島屋さん自身は、原住民です。そして、私の見る処、前田夫妻、安野夫妻、小野寺夫人等の、井ヴェーダーの犠牲になっていると、言える存在です。
@@@@@@ここが推敲中の最先端です。
副題4、『冨澤家の特殊な立地条件に付いて語りたい』
公簿上は、多分、総計250坪を超えるでしょう。そして、更地に新築として、家を建てています。これは、20軒しかないこの山の住民としては、特別な、家となります。そして、一番高い位置に、360度を下がって行く方の崖に囲まれて、孤立化しているおうちです。もし、あの建物が、1980年代に建てたプレハブででは無くて、最近、立て続けに、テレビ取材を受けた、西隣の白井・小野寺邸とか、北隣の、石井秀樹・あずさ邸ほどの、高額な建築費を、かけた建物だったと仮定をすると、一種のお城だと、言えるでしょう。
お城と言えば、三浦半島の観音崎に向かう場所に、防衛大学校があります。昔は、車を持っていたし、北久里浜に住んで居たので、防衛大学校の体育祭には、2度ぐらい見物に行ったことがあります。そこへ向かう途中、道路の西側の、田舎の中に突如として要塞のようなおうちが出現します。で、誰の家かしらと、驚くと、稲川聖城という経済やくざとして、有名な人の家だそうです。。それから下って、40年は経っているわけですが、実は、稲川会とは、今、鎌倉に多数繁茂している人力車の、車夫(若い子が多い)がお金をごまかさない様にするための監視をしているそうです。そういう情報が私に入るのは、大町に住んで居る、ファンドマネージャー(しかし今は東京だと、彼本人が、私の主人を捕まえて言ったそうだが)木村某氏が、教えてくれるのです。
私は、木村某氏が、どういう立ち位置に居て、どういう攻撃をしてきているかが、実物を知らないので、皆目わからないのですが、対・私攻撃策謀に置いては、相当な力を持ち、いろいろな、事をやって来て居る可能性を感じています。彼は、フリーメーソンの、紋章そのものずばりを社章としていて、20年前ぐらいの貨幣価値で、一口、6000万円のファンドを運営しているそうです。
ちょっと、横道にそれてしまいましたが、世の中の観察によれば、おお金持ちで、生まれて、学歴も親の世代、もしくは祖父の世代から、大学卒であっても、意外と、「売り家と、唐様で、かく、三代目」という事になりかねないのです。この川柳が、いつの時代にできたかは、判りませんが、江戸時代か、または、戦前だと、思われるのですが、現代は、さらに流動化が進んでいて、安心できない世の中になっていると、思います。で、日本人は、そういう意味では不幸です。私は、パリと、ニューヨークで、アーチスト達と、毎日、6時間ぐらい版画工房で、一緒に暮らして、さらに、町でも、一期一会の人と、大いに会話を交わしながら270日を過ごしたわけですが、パリの人も、ニューヨークの日とも日本ほど、高い税金を取られて居ないので、一家、眷属の中で、蓄積ができるのです。日本は税金が高いし、給料は低いので、蓄積ができません。お母さんは、子供保育所に預けて働け、働けといわれるし、従って、子供たちは、経験が少なく、愛情も少ない形で、育ちあがるだろうし、日本という国が、近々とてもすさむだろうと、思っています。江戸時代の蓄積で、保たれて居た心の文化が壊滅的に消えて行くだろうと、思っています。
ところで、私が平木さんを高く評価をしていたのは、お子さん方がかわいいからでした。子育てに置いて、前田家に、悪利用をされて居るところ以外は、問題がないからです。その、悪利用されているという件については、後ほど、語ります。
ともかく、冨澤家の方が油断があるというか、弱いというかを、感じますね。もう、後の祭りだけれど、私が残念におもうのは、この実動、15軒の、山の中で、冨澤家は、育ちと言い、学歴と言い、資産状況と言い、お子さんや、お孫さんがある事と言い、トップレベルなのに、「なんで、ずっと、下の階層の人間に、首根っこをつかまれて、引きずり回されているのですか?」という点なのです。「羅針盤のない船で航海している子供みたいに見えますよ」と、言う事なのです。
私のブログで書いていることで、これは、読んで置いてほしかったなあと、思う事は、このたった15軒しか住人が居ない、山の中で、ゲマインシャフトの中で、あれこれをやってはいけないと、言う事なのです。ご近所づきあいは、あいさつ程度にとどめて置いて、しかも、ちょっと相手の方を上に置いておく。それ以上の友達が欲しかったら、ゲゼルシャフトの中で、求めるべきだと。特に外部に住んで居る、伊藤玄二郎や、井上ひさし(まだ、実際には生きていますよ)が、この山の住民を利用して、自らの欲望を満たそうとしているのは、とんでもない事であるといっています。しかし、そういう典型例として、冨澤家は、悪利用をされて居るのです。私は、他の人の例でも、ずいぶん待ってあげているのですが、現在起きている事態を文章化し始めたら、もう、覆水盆に返らずですから、そういう事にならない様に、悪人たちの誘いには、乗っからない事です。しかし、駄目でしたね。
平木さんも似た様なものですが、ずっと、スケールが小さくて、お互いに、傷も小さいのは、平木さんの方は、冨澤家ほどの、上流階級ではないから、用心深さがあるのです。それで、ずっと、被害が少なくなるわけなのです。それで、大丈夫なのです。
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副題3、『忘れられない、思い出として、開発チエさんが、爆発的な文言に満ちた、罵りメールを七通送ってきたことがあった。それらは、ハッキング中の古村浩三君などが、あまりにも呆れて、文字化けをさせたほどだが、それでも、後刻、私が利用をする事を恐れて、パソコンそのものを壊してきたほどだった。同じことを、その一年前に藤田千彩さんが、行った。しかし、彼女は、用心深いので、フェイスブックを利用するのだが、私の方には、読めないという手配をしたのちに、悪口の羅列をした模様である。
これは、2011年に、第一次フェイスブックをやっていた頃、藤田さんが、送っている相手の、文章が読めたので、委細が判ったのだが、一種の狡さはある。一方の開発チエさんの方は、不用心の塊だった。それは、彼女の方が裕福な家庭で育ったからだと、推察する。その時に、お金の力が、人間の、人格まで、作り上げることを知った。韓国のナッツ姫もおんなじことだと思う。
藤田千彩さんは、石塚雅彦氏か、川名昭宣氏に洗脳教唆され、そういう行動をしたのだと、思う。特にロンドンで、発表された、ゴッホに関する、「ゴッホは、カウボーイ好きの少年に撃たれた」という説を藤田さんが、利用する流れだったので、ロンドン在住の三輪喜久代さんが、動いたことは、確かだったし。開発さんの方は、酒井忠康氏、などの、慶応出身のラインで、動かされたとみているが、美術手帖組の、彦坂さんなども、関与していたかもしれない。
ただ、この経験などを、潜り抜けてきているので、誰かが、私を攻撃しようとしたら、それを、どんなに隠れて、行っても瞬時二、見抜ける様に成って来た。
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ここで、平木さんについて、何が問題なのかを、語らないといけないのですが、すでに、午前二時になったので、それは、木曜日=13日に、行うという事にします。あすは外出しますので。
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副題5、『角野栄子さんが、NHK助け合いの、おすすめ人となっている』
ところで、NHKの、四つのチャンネルのどれかが、そばで、ついて居たら、歳末助け合い運動の、おすすめ人として、角野栄子さんが出てきました。その時に、主人が、「お前とそっくりだね」と言ったのです。私は瞬時にこたえて、「いや、違いますね。私の方が太っているし、切れがないです。鋭利さがないです」散って置きました。
ところで、リンク先を見つけるのが困難だけど角野さんについて、一回か、二回、書いています。新橋駅のホームで、見つけて、私の方から、声をかけたのです。私はおしゃれな人を見つけると、必ず声をかけて、彼女たちが、採用して居る工夫を質問をします。真似する為ではないのですよ。褒める為です。
で、例の角野さんの、いちご色の、コートをほめたのです。すると彼女は答えなかったのです。あさいちでは、解説をしていた、いちご色を、説明しなかったのです。その時に、私は角野さんの顔を、まだ知りませんでした。魔女の宅急便については、無論知っています。しかし、顔の方は知りませんでした。
実は新聞は取っています。しかし1978年にパリに文化庁の材検で言って以来、新聞を読んでいません。NHKニュースが弾圧の方向で、利用をされて居るので、ニュースを三本チェックするだけで、くたくたなので、新聞を読んでいる時間が無いのです。だから、『自分ほど、有名な人間を、名前さえ、知らない、このひとは、失礼だ』と、思って彼女が解説をしなかったのでしょうか?
私は、それも考えました。で、更に考えて、「このコートの生地はすごくいいものですね。(ウールではない。木綿100%か、30%ぐらい化繊が、混紡されて居る厚手の生地だが)特注品でしょう。なんていう色ですか?」と、質問をすると、それにも答えてくれなかったので、「私は画家なのです。この色は、どちらかというと、シャルボネと言うパリの版画インクメーカーのカーマインという色に似ています。でもね、油絵具でいうと発色が全然違っていて、カーマインは朱色です。油絵具でいうと、Holbeinの、Cadmium Red Purpul が似ていますね」と、言うと、更に彼女は無言でした。
で、私はそこで、あきらめて、新橋駅のホームですでに、別れました。で、内心で、
私は、『成功している人はきついなあ。傲慢なところがある』と、考えたのです。もし、それをブログに書いたとしたら、伊藤玄二郎達は、大喜びでしょう。そして、角野さんを、さらに、大きく持ち上げ始めました。今まで、数多くのライバルが設定をされて来て、私を置いてけぼりにして、相手を持ち上げるという措置が取られました。角野さんもその一人となりました。デンマーク大使だった、O氏の奥様は、ICU同期生だし。
ところで、私は、4か月ぐらい前に、違う発想にたどり着きました。角野さんは、私の顔写真を、それより前に、見せられていて、すでに、私を知っていて、わざと不親切にする様に、伊藤玄二郎から頼まれていると、考え始めたのです。ご本人が、本当に傲慢なのか、そうではないのかがわかりませんが、あの時に不親切だったのは、その顔写真のせいだと、判りました。私自身のホーム頁ではなくて、別の会社のホーム頁にでかでかと、その会社の顧客として、載っていた時期があるのです。
そして、私が出没する可能性のある場所に、伊藤玄二郎達は、しかるべき有名人を、配置して、そのひとに、私に対して、ぞんざいな態度をとる様に、依頼をしていると考えました。
この件に、利用をされたのは高橋源一郎。コシノジュンコ、竹中直人、浅尾慶一郎、寺島しのぶ、中村梅枝夫人、などです。
すでに、午前三時になったので、後で、詳細に語りますが、2017年のぼんぼり祭りの日に先ほどまで、舞殿傍の、自分の灯籠の前に居て、ファンに囲まれていた、竹中直人さんが、突然に本殿前の奥谷博さんの灯籠の傍に現れて、私の右横、50cmのところで、緊張しきって、黙って立っている日に判ったのです。私は、『ああ、このひとは一度もあったことのない私の顔を既に知っているのだわ。そして、もし、こちらが話しかけたら、いつぞやの、角野栄子さんみたいに、質問をはぐらかして、不親切の極みで、取り扱うのでしょう』と、判ったので、何も話しかけずに去りました。
それは、八幡宮の境内なので、仕方がないとは、思いましたが、三宅坂の国立劇場で、寺島しのぶ、藤純子の、母娘が、同じ扱いをして来た時に、はっきりと、納得をしました。その頃、私は、T島しのぶの、お子様を中心としたブログを、よく読んでいたからです。だから、当然に話しかけるだろうと見込まれて、普段はほとんど登場しない寺島しのぶが、わざとロビーの真ん中の異常に目立つ場所に居たのです。しかし、ぞんざいな扱いをしてきました。
これは、こうなると、私のプライバシーなんて、まったくありません。大きな大きな人権侵害です。私は、ほとんどの章で、自分の被害は、語らない主義ですと、言ってきていました。しかし、最近の数章では、自分が実際に出会っている被害について語り始めています。それは、貴景勝の優勝によって、到頭、語る事が出来た、息子の中学受験を、わざと不合格にされたという話が、決壊点になっています。で、しばらくの間、こういう調子で、書いて行きます。私も、非常につらいですが、私に、傷を負わせた方もいくばくかは、傷つく事でしょう。チャンスを潰してやれっと、言う攻撃派、親にも子供にも当てはめて、行われているのです。
我が家から、有名人が、私をほめてくれた、はがきや封書が盗まれているので、上に書いたことは、確実な話です。
後注1、
若手人気ライター(いちばゆみ、藤田千彩、開発ちえ)を、敵対者としてぶつけられる話 2011-10-22 22:58:03 | Weblog