銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉駅北側の地下道を未知の人がいたら早急に来て、そのshow windowを見て下さい。消滅の可能性があるから△

2021-11-29 22:01:49 | 政治

 この章は、最初の総タイトルを【21-11-29 私の周辺に起きた事。・・・・それは、結構面白い話かもしれない。確信バイアスと、CIAの家来としての警察が嘘をつく話】としておりました。しかし、午前一時半に、上記のものへと変更しました。尚、12月1日に、推敲と加筆をしました。その恒例の印として、総タイトル右横に△印をつけておきます。

副題〇、『この章を書き始めるにあたってのお断り』

 すみません。続きを書くと言いながらできないでいました。それは、体力が落ちていて、お出かけがあると、その前の日に早く寝ないといけなくなっていて、ブログを書けないからでした。今の私は、一つ一つのエピソードを詳しく、くわしく分析しています。それは、大変なheavy duty で、いったん取り掛かると、7時間は連続してパソコンの前にいないと、意味の通るところまで、到達しえないので、結局、お出かけがあると、その前後、自粛してしまうのです。

 決して、書きすぎたとか、考えて、引いているわけではないのですが、自分自身の現状を鑑みて自粛しているのです。

 さて、本日は、午前11時に横浜・馬車道で、人と会う約束がありました。で、前の日に午前一時半に寝入りました。これは、一本のブログを書き始めると、午前五時までかかるので、不可能な、就眠時間です。だから、お出かけを全うするために、二日続けて、休んでいます。本日の前の日は、前報を書いたため、溜まっていた家事をやり、もう一つ、本日よりは軽いものだが、結構、公的な仕事をしに、お出かけをしたので、疲れていて、その日も何も書けなかったと、思います。

 さて、本日も、本当は、この箱を開きたくないほど、疲れているのですが、本日、私の周辺に起きたことは、8つぐらい集積した、復讐行為だったので、それを書き表すことは、前報、及び、最近書いている、カリタス小、襲撃事件に関してのシリーズが、如何に正しいかを表すので、書き進めたいと、思います。しかも、今、システム異常を利用して、二千字ぐらいぱっと消えたので、本日書くことは、一行一行正しいと、私は判断をしています。で、その消えた二千字を復活させるところから、始まって、例の鎌倉エージェントたちの横暴さと、残酷さと、単純さと、しつこさを書き表したいと、思います。

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副題1、『本日のお約束は、或る男性と、或る商談をすると、言うお約束だった。なお、その商談の中身は、今は、言えません。それは、お許しくださいね。前報の様に、数年前のことだと、ぐんぐんかけますが、現在、進行中のことは、書けないポイントがたくさんあります。

 79歳になってしまった私には、近々、個展をするなどの予定もなく、7冊目の著書を出版する予定もないし、町内会役員などをやっているわけでもないので(これは姑とか、ほかの年長の、親戚女性たちは、高校のPTA会長などやっていたし、町内会長とか、民生委員とか、調停委員も、もやっていたので、それに比べると、とても、静かで、地味な生活だと言える)

 会社員相手の、商談とは言え、半分公的な、仕事とみなせる、ほど、負担の大きい仕事だった。

 それについて、20日か、21日に、携帯に電話で、相手から、連絡がまず入っていて、それだけで、『いやな感じだなあ!』と思い当たっていた。この人とは、何回も商談を重ねていて、以前に「携帯の番号を知らせてください」と、言われて、書類にそれを記載したが、「絶対に携行をせず、カメラ機能しか、使わないので、携帯に、連絡をくださっても通じません」といってあった。

 実は、携帯が、我が家の玄関先から、盗まれたこともあって、それが、横須賀警察署に取りに行くと、言う結末を見たこともあった。したがって、鍵のかかる一階の寝室に常に置いてあって、かつ、私の方はお台所のある二階の居間で、ほとんどの時間を過ごしているのだから、携帯に電話がかかってきても、一切気が付かないのだ。ただ、最近寝る前に、アンドロイド型スマホで、SPIDER SOLITAIRE という単純なゲームを睡眠薬としてやることがあり、たまたま、10月20日か、21日の夜に、そのゲームをやるべく、画面を開いて、その電話来信を見つけた。気が付いたのが、午前、4時とか午前五時半だから、返信をするわけにもいかない。会社のビジネスアワーって、どんな職種だって、午前九時から、午後五時までと、決まっている。

 しかし、次の日に、こちらから、相手に電話をかけるのを忘れてしまった。つまり、向こうから来信があったら、返信は、こちら側からすると、言う常識的な対応を取るのを忘れてしまった。それを、私は、「実は、最近、認知症気味で・・・・」と、自虐的に、笑い飛ばしているのだけれど、無論の事それは、嘘だ。実は、相手をひそかに嫌っていた。

 相手と、私の年の差は、25歳以上をもって、こちらが、年上だから、相手を嫌うと、言うのは、私が未熟だと、言うことになる。しかし、それは、真実ではない。相手のボディラングエッジに、はっきりとした悪意がいつも見られるから、結果として、こちらも、それを吸い取って、嫌いになる。

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副題2、『最近テレビのどこかで、確証バイアスという言葉を聞いた。心理学的用語だそうだ。私は知らなかった。それで、それを同じく、ご存じではない方のために、wikipedia から、数行をコピペして、ここに置きたい』

::::::::確証バイアス(かくしょうバイアス、confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと[1]認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている[2]。:::::::

 この、私が、いやだなあと、思っているビジネスパーソンには、確実にそれがうかがえる。

 この数か月、シェアハウス問題にも取り組んでいる。それも途中で、中断をしているのだけれど、その問題と関連して、富沢家の高枝切りという問題が、蒸し返され、

 そこから、関連して、以前、我が家の西隣に住んでいた遠藤夫人という女性が、毎日、庭ごみを、一メートル低い我が家に掃きこんでいたという話も展開している。そのほか、ひどいエピソードの数々があるので、遠藤家のお嬢さんが妙本寺へお輿入れになることとなったとも、書いている。

二つの家の資産価値に、2桁か、3桁ぐらいの差があるだろうから、立派な人が間に立たないと、お見合いが成立しないと考えたであろう、伊藤玄二郎が、妙本寺側は、養老孟司先生ご夫妻を仲人にたてて、遠藤家側は、北鎌倉女子学園で、miss 遠藤に、音楽を教えた、川合良一先生夫妻か、児島百代先生が、たったはずだと、以前から書いている。

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副題3、『川合良一さんという方は、芸大卒で、女子生徒、数千人、または、理科大生、数千人から、尊敬を受けている方なのに、2020年12月27日は、なんと馬鹿なことをされたのだろう。之もまた、その行動の、初因にまで、さかのぼると、安野智紗夫人に達するので、本当に頻繁に、その一行を使う、・・・・・安野夫人と仲良くすると、その人は馬鹿化する・・・・・の典型だと、思う』

 この馬鹿化するはずだと、いう推理は、2020年12月27日、携帯を持って出た私に、そのGPS機能を利用して、正面からあってやろうとして、突然に木戸を開けて出て来て、にらんだ、川合良一さんを、見て、ああ、正しかったと、確信をした。どうして、それほど、単純なことを川合さんがやったかというと、私は、その5日前の、22日に、武蔵小杉の関東労災病院内、ドトールで、新コロナウィルスの入った、ぬるい水を提供され、10CCは、確実に飲んでしまったのだった。ただ、同時に飲んだ、けたたましいほどの熱さの、ミネストローネスープ150ccが、ウィルス、を、胃の中で、死滅させたらしくて、発症をしなかった。ただし、飲まされたことは、事実の筈で、菅義偉内閣が、「コロナにかかっているのに、秘匿している場合は、逮捕する」などというとんでもない法律を用意し始めたのも、私狙いだった。

 ::::::ここですが、非常に丁寧に、5本ぐらいをこの件で書いています。二度関東労災に行かないといけない様に、HAC鎌倉店で、処方箋が行方不明となりました。その行方不明の日に、五名ほどの警官がHAC鎌倉支店に詰めていて、処方箋が行方不明の件で、私がHACの責任を追及することを阻害しました。だから、処方箋は、警察の特殊部隊に盗まれたのかもしれません。で、間を開けず、二度目の事として、関東労災に行きました。そのさい、必ず、ドトールで、何か甘いものを食べるかスープを飲むという習慣を把握をされており、その習慣を狙って、COVID19の、ウィルス入りのお水を飲まされたのですが、普通は、カウンター内から、お水を提供されることはないのに、わざわざトレーに入れて、提供され、変だな?と、その瞬間思ったことが、幸いをして一口のんだだけで、ぬるいので、さらに、おかしいと、確信をして、それ以上は飲まなかったのです。スープが、100度以上の熱さに熱せられていたのも、水を飲ませるためでした。

 ここですが、私って、ものすごく太っ腹なのですよ。飲んじゃったと、思った後で、どういう気持ちで、どういう生活を送ったかですが、死んでもいいから、必ず、殺されたことは、このブログで、報告をしようと思って、ブログに書きました。1月4日に発症する予定でした。ものすごい緊張感で、終活を始めましたよ。それ以来、真剣に終活を続けていますが、1月4日には、発症をせず、

 ただ、ただ、川合さんの、おっちょこちょいぶりと、その後ろに、伊藤玄二郎がいるとか、警察が、いると、言うことが分かったのです。川合さんもなんと幼稚なことだろうと、本当に、びっくりですよ。

 でも、この企画をしたのは、伊藤玄二郎か、その手下として動く警察でしょう。だって、私の携帯のGPS機能をある個人が、追跡することは無理ですよね。ただ、ドトール内の、水、(それ以前は、ピッチャーさえ置いていなかったほど、サービス不足だったドトールですよ。一ランク上のエクセルシオールには、冷水ピッチャーが、きちんとおいてありますし、時にはレモンが浮かんでいますが、この一件以降は、ピッチャーが置いてある様になりました。ただね、もし成功したら、安野家から、冷水20リットルを、落とされた以来の、8回目の暗殺未遂でした。それについては、ほかの章で丁寧に書いています。が、ちょ.っと、今の状態では、リンク先を見つけている暇がなくて、先へ進みます。

 ともかく、そんな幼稚な発想(というのは、瞬間的に、自体を把握してしまって、必ず後で、ブログへ書くから、企画した人間の悪意は、ここに、見事に記録をされるのですよ。鎌倉で起きることは、主に伊藤玄二郎が、主役として、実行者へ命令をされますが、彼を代表する、だまし討ちで、人を殺そうとする。そういう連中と、川合良一さんはお仲間だし(というのは、「彼女は、近々死にますから、ここで、にらんでおいて、悲しませておいてください」と、伊藤玄二郎から、依頼をされて、言うことを聞いて、木戸から出てきたというわけだから、

 芸大出身で、しかも長らく北鎌倉女子学園で、教えて来て、しかも、今は、理科大交響楽団の、指揮者なのに、「なんてあさましいことをなさるのですか?」と、ここで、言っておこう。ただ、びっくりしただけでは、終わりたくありません。はっきりと叱っておきたい。恥ずかしい人だと、確定しておきたいです。

 そして、同じ様な態度を、伊藤玄二郎は、養老先生にもとらせたのだった。日付は、2021年10月25日、川合さんのケースからは、10か月ほど遅れていて、かつ、相当に、sophiscated だったが、趣旨は、同じだ。

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副題4、『鎌倉駅の地下道に、養老先生が現れた。それをこのブログで、最近丁寧に、分析している。そうなると、鎌倉駅の地下道に、設置されているショーウィンドーが消滅する可能性がある。それで、総タイトルにそれを書いている様に、どうか、鎌倉にきて、駅のロータリーに在る、横浜銀行、鎌倉支店に向かって、左へ降りていく地下道の、西へむかって、左側=地理的には、南側)に設置されているショーウィンドーは、さりげない鎌倉観光のついでに、ご覧になっていただきたい。彼ら(鎌倉エージェントと、私が常に呼ぶ、連中、警察はその家来である)は、私を威圧するためだろうが、私の文章内に現れた、人、モノ、現象をつぶしていく。そういう過去例がたくさんあり、その経験から考えると、鎌倉駅のこの地下道・南側に設置されている、かまくら市が管理しているらしいショーウィンドウが、消滅する可能性がある。これは、ぜひ、見ておいて頂きたい。こういう風に書けば、反対の反対で、そこが消滅しない可能性もうまれるからだ』

 鎌倉駅の地下道に、養老先生は、東から、私は、西から入って、私の方は、すれ違う前後、12m程度は養老先生を、じっと見つめていました。が、養老先生は、面を伏せて、私の方を見ない様になさっていました。私は、日本における交通ルール、右側通行を守っていたのだが、養老先生は、左側通行、しかも地下道に設置されている、ショーウィンドーのガラスに、身をこすりつけんばかりにして、お通りになった。

 いや、ここで、ちょっとした推理ですが、このショーウィンドーが消されるかもしれませんよ。どうしてそういう風に言うかというと、

 鎌倉駅ホームにあった、コーフィースタンドが、既に消されているし、ごみ箱は、撤去されているし、水飲み場も、喫煙スタンドも、エスカレーターまでも撤去されているからです。私のブログに現れたものは、すべて、この世から消してしまえと言うヒステリックな

 井上ひさし(まだ実際には、生きていますよ)の思考様式が、そういう風に乱暴で、かつ単純だからです。。

 私は、その喫茶店で、井上ひさしが、入ったのを見届けてから、彼の左側に座って、「わたくしの本を差し上げたいのですが?」と、言ったら、彼が黙っているので、数秒後、彼の左肩をポンと叩いて、「要らないわよね」といって席を立って、電車に乗ったのです。井上ひさしにとっては屈辱だったでしょう。その時に、私の方は、・・・・・その本の内容を彼は知らないだろう・・・・・と、考えていたのですが、CIAエージェントとして、枢要な地位にある彼は、ハッキングによって既に知っていたのです。その本【れすとらん・ろしなんて】の中で、私は、井上ひさしについて、「不二家前で、見かけたことがある。坊やと一緒に、逍遥中だったが、意外と背が低い人だった」と書いています。

 それを知っていて、しかも、私の顔写真も手に入れていたと、推察しています。印刷会社のホーム頁トップにその会社を推奨するファンとして、大きく顔写真が掲載される4年は前の事でしたが、彼は、私がそのカウンターカフェに入ってきたとたんに、だれであるかが分かった上に、

 あたかも小学校時代の同級生みたいな対応を取られ、肩をポンと叩かれたうえに、「要らないわよね」というためぐちを利かれたので、きっとかんかんになって、憤慨したのでしょう。それの復讐をするべく、それ以降数々の謀略を作って、私を脅かしたり、弾圧をしたりしています。

 でもね。私は、まったくひるんでいなくてね。独立在宅編集者だった、笠松敦子さんに、このエピソードを電話で話したのです。すると、彼女が電話口で、「あなたって、マー」と絶句していました。

 彼女は、ICU新卒時には、筑摩書房に入社です。しかし、やがて、独立編集者となり、プルーストの新訳上製本やら、ファーブルの新訳上製本に携わった人です。

 とても偉い人です。しかし、お金が絡んでいる世界です。いわゆる角野栄子さんが、言うところの、プロフェッショナルの世界です。私は、1965年にベイカーさんという、当時最大の、CIAエージェントだった人物に、こちらが、まゆをひそめただけで、頭がいいと、見抜かれてしまい。それゆえに、殺すべき人間と、考えられてしまい、それゆえに、弾圧のされっぱなしなので、 文章で、お金が儲かる世界から、弾き飛ばされています。

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副題5、『ここ以降、初稿では、最近15年間に、私が出会った、孤独がもたらす異常な行動を示す、二人の気の毒な女性に、筆が進みます。しかし、そういう文章を書いた原因は、

 16年も前に、この同じ地下道で、別の気の毒な女性に出会ったからでした。

 16年前とは、戦後59年目です。で、この女性が、78歳だと、仮定をすると、ぴったりと、戦死と、会うのでした。このエッセイは、私の三冊目のエッセイ集【電車の中で】の、第三十一章として、まとめていますが、大変評判が良かったのです。今、生存中なら、94歳です。

 子のエッセーは、今は、その氏名を明かしませんが、大変有名な大学教授に褒めていただいたものです。文章の書き方が、優れているというよりも、私の気づきが鋭いところ、それが、褒めていただいています。あの頃は、政治に関する文章など書いておらず、心は、澄み切っておりました。そのまま、6冊のエッセー集を出したのですが、それを妨害されなければ、

 そして、山口みつ子さんが、2010年1月17日に、自宅マンションから飛び降りて、自殺をしたという噂(嘘ですよ。みつ子さんは、スタッフの白川さんに、大仕事を残して、画廊閉鎖前に、自殺する様な人ではないのです。)を、わざわざ、私に知らせてくる人がいなかったら、

 実際には、奇魔々美術館館長の、近藤さんが、メールで、また、exibit Live and Morisのオーナー森さんが、非常に込み入った策略をもって、知らせてきたのですが、他殺です。彼女が画廊をやめて、私と電話を交わしたり、一緒に食事をしたりすると、私の力が増大するので、殺されました。非常に切なく、そして、苦しい現象でした。次に、

 もう一人、2017年7月10日に妹が他殺なのにマンションの14階から飛び降りたという電話が、妹の連れ合いから、あったのです。それは、実際には、14階には上がれない、中層階マンションが、妹の家(=西葛西駅近傍の、清新町、妹の家自身は、119平米の、四階建て、であるが、その)のご近所にあるので、それが、妹の連れ合いの、目に入ったから、そういう、でまかせを言ったのです。実際には、山口みつ子さんと同じく、薬を使って、気絶をさせ、その後、ひそかに、意識不明の妹を連れ出して、どこかで、太いタイヤのある、重量級の作業車で、肋骨の下を、轢いて骨を粉砕し、そういう形で、殺したのでした。これも、山百合園事件の一周忌を前に、意味のある他殺で、

 私は、今の様な文章は書かず、下に置いてある、ごく、ささやかな気付きを主題にした、文章の様に、美しい出来事だけを、このブログの世界でも、書いていたはずです。

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第三十一章、「鎌倉駅の地下道で」
・・・・・夢の中の白馬の騎士に話し掛ける、孤独な女性・・・・・ 

  私は、結構夜の鎌倉へ出かけて行くのです。家族へは「市役所へ腐葉土を貰いに行って来るわ」と断って、九時半から十時ちょっとすぎまで、ウォーキングをする事があるのです。昔、ラヂオ体操で首の神経を傷めた事があって、私にできる運動は今のところウォーキングだけになり『昼間あたまだけ使っちゃったなあ。これじゃあ熟睡できないよ』と思う時はビニール袋を二つ持ち、腐葉土をとりに行くかたがた、若宮大路から、御成り通りや小町通りを歩くのです。
 さて、鎌倉駅の傍に地下道があります。とてもレトロな連絡通路。そこに、ショー・ウィンドーが設置してあって、市役所関連の作品が良く展示をしてあり一種の画廊になっています。

 ある夜の九時半頃、そこで絵を見ながら大声で話をしている女性がいて、「誰を相手に?」と、周りを見回しても誰もいないのです。『まあ、ちょっと変った人ね。でも、私の事をも、他人はこう思っているのかな』などと思いながら傍を通り過ぎて、市役所で備え付けの大きなスコップを使って腐葉土を掬い上げ、さらにコンビニで、アイスクリームを買って、十分後ぐらいに、また地下道を通ると、さっきの女性が先ほどより、さらに大声で話をしています。

 私は『ああ、良かった。私の思い違いだったわ。誰か連れの人がいるんだ』と遠くからは、一旦は思いました。そのトンネルへの市役所側からの進入路はカーブを描いているので、彼女の姿は見えず、声が聞こえるだけだったからです。が、直線に入ってみると、十二メートルぐらいの長さのトンネルの中に、他には誰もいなかったのです。先ほどと同じく、彼女はたった一人で鑑賞し、その結果把握した事を、誰かこの場所には実在をしていない人に向かって話しかけているのでした。行きには、ただ『独り言が、大声過ぎるなあ』と感じただけでしたが・・・《それも一瞬の間だけだったのですが》・・・帰りは意識をしていたので、トンネルに入る前、とか、出たあとでも彼女の声は追いかけて来て、その孤独の風情は胸に迫りました。
 前章で取り上げたフォーク・ダンスの発表会に向かう主婦とは、たくましさと明るさの面で、なんと違う風情の女性だったでしょう。七十才を超えていると思われる、上品な洋服と、同じく上品で、しかも知的な横顔の女性。静かで寂しげで、そして繊細で孤独で。

 私は帰り道、想像にふけりました。『彼女はきっと、戦時中に女学校に通った世代よ。あの世代は男性の方に戦死した人が多くて、彼女自身の恋人(白馬の騎士)も、きっと戦死したのだわ。だから、今は孤独なひとなの。子どもがいたり孫がいたりしたら、おばあちゃんが、こんなに夜遅くまで出歩いていて帰って来ないなんて、家族みんなが心配するもの。普通ならそれが理由で、出歩けない時間帯だもの。
 そして、鎌倉のお嬢様育ちだから、先生か大会社の経理事務などの、給料が多い良い仕事を一生に渡って続けてきて、今は年金暮らしで、経済的には安定している。でも、『今時のテレビなんか、見ても意味がわからない。ばかばかしい騒がしさで、疲れるばかりだ』と思っているはずだ。テレビを見るくらいなら、きちんと服装を整えて外出して、このショー・ウインドーを見る方が、彼女の趣味には合うのだ。きっとそうなのだ。この地下道で、中学生の絵とか、・・・《その日は実際の展示物は市の歴史とか、博物誌だったのだけど》・・・毎週変る催しを楽しみにしている。そして、その楽しみ方は噛み砕き噛み砕き、繰り返し繰り返し、読み、味わい尽くす。そうだろう。だって十分以上もそこにとどまり、そこで、感想を話し続けているのだから。

 その自分がわかったポイントを、誰かに話したい、告げたい。その相手は、きっと、大昔の白馬の騎士、そうよ。きっとそうよ』と、延々と想像を重ねたのでした。そして切なくて、ほろっと、来そうでした。もしこの想像通りだったら、この人も戦争の犠牲者の一人です。あのフォーク・ダンスの主婦族は五十代でした。戦後の世代です。よりあっけらかんとしていて、物質文明の豊かさも味わい、現代の自らの生活に疑問がない。この孤独な女性とは、まるで、ムードが違う。

 でも他方で、なんと、「本物の作品は力を持つのだろう」とも思い到りました。そこは、画廊が多く集積している銀座でもなんでもない。ただの地下道で、電気は煌々と明るいけれど、冬なんて風が吹きっさらしの地下道で、見せているものも、鎌倉市が提供するあまり程度の高くない作品群なのです。
 私のような見巧者だと、「ふん」と言って通り過ぎたりする時もあるのです。だけど、この女性は、それを白馬の騎士(?)と共に味わい尽くすために、誰もいない夜遅くに、きちんとおしゃれをしてここにくる。 

何と言う事だろう。ある人の最晩年の孤独を、こんな世界が、慰めていたとは。

 「美術教育をなくしたりしてはいけない」と声を大きくして言いたいです。絶対にそれは大切なのです。アートとは、一人の人の晩年を支えるほどの力があるのでした。全ての人の鑑賞能力を高めるためにも、絶対に美術は、そして美術教育は大切で、それをないがしろにしてはならないと思います。彼女は育ちが良く、鑑賞する能力を家庭か往時の学校で付けてもらったのでしょう。でも、今、政治の世界で『経費を削減するために、美術教育を廃止しよう』などと言う暴論が出ています。それは、絶対にいけないと思います。
       二〇〇五年七月二十一日、

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 お出かけしないといけない用事があります。帰宅したら、つづきをかきます。

 ところで、三菱銀行のラウンジが消えていて、三つに分かれた相談室という形に変化していました。これも、私のブログに現れた、ものを消滅していくと、言う典型です。私はセーフティボックスと、言う、貸金庫の、ワンランク下のものを、主人が借りているので、今回の、29日の馬車道のアポにそれが、必要なので、20日に、三菱銀行の二階へ行って、中身を見ようとして、ラウンジが消えているのを、発見したのです。

 改装が、いつ実施されたかは知りません。このラウンジについては、21-10-25日よりも前から、何度もこのブログで、書いていますから。ただ、養老先生が、この三菱銀行の二階の、お客様相談室というお部屋(中のインテリアは、知らないが、きっと、応接セットが、置いてある様な、ホテルのスィートルーム形式のお部屋だと、推察する)で、待機されていたのは、確かでしょう。

 2021年11月29日、これを書く、12月1日に、推敲をする

雨宮舜(本名 川崎千恵子)なお、このブログの2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、

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