銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

W.スミスは、平手打ちで総攻撃を受けている。たけしは、同じケースで講談社を襲撃し大金と大名誉を得た。その愛人と今では一緒にいるみたいだが???

2022-03-30 22:17:34 | 政治

 最近、忙しいことが重なっていて、ブログを書く時間が割けません。それで、昨日は、非常に短いものを書くつもりでした。ところが、それでも、まとめることもできないうちに寝落ちをしてしまいました。で、今は、22-3-31の午前9時半ですが、以下の文章を補正、加筆をしていきたいと、思います。尚、この文章内では、とても深い真実がいっぱい出てきます。短いものを書くつもりで、とんでもなく長くなりそうです。

 最初の総タイトルを、【心の時代・22-3-27篇・・・宗教番組にも政治が反映? 野見山暁次篇が録画されていなかったし、DAIGOが私を利用したし】としておりました。が、午前10時半に、いったん改題をします。次のタイトルが、【あさイチ22-3-31に菊之助が登場する。その際西日暮里も出てきた。是は私に対するsubliminal effectを狙った攻撃だ】としておりました。しかし、午後3時に三番目の物へと、変更します。

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*1)、まず、こころの時代という番組について、ご紹介をさせていただきたい。

 NHKは、ETV(ch2 昔の教育チャンネル)で、日曜日の朝五時から、【こころの時代】という番組を放映しています。その時間帯に見ることが、可能な方は少ないでしょう。で、土曜日の、午後0時(もしくは、午後一時・・・・後で、正確な時間をここに置きます)に再放送がなされています。

 私は夜型なので、その番組には、全く気が付きませんでした。たまたま、徹夜明けで、午前五時になり、その日が、日曜日であることを忘れていて、クラシック倶楽部(BSPで、月~金まで、午前五時に放映をされている)を聞きたいと、思ってテレビをつけたのです。前夜・教育チャンネルに合わせてあったためか、上記の番組【馬場あき子篇】が、最初の画面として、開いたのでした。思いがけず、な、面白さを感じて、それ以来、ずっと録画をし続けています。

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*2)、是には、週によって当たりはずれがある。全部見たわけではないが、もっとも、強い政治性を感じて深い嫌悪感を持ったのは、通称【くまさん】が、出てきたときだった。

 【くまさん】というのは、ビートたけしの、【誰でも、ピカソ】の常連です。私はいろいろな人から、それを見る様に勧められていましたが、ビートたけしという人が、表向き、反体制派に見せていて、実は、CIAのかわいこちゃんであることが、明瞭にわかっていたので、彼が、司会をする限り、見ないと決意をしておりました。その真実に気が付いて、確信を持ったのは、フランスが、特に彼を大事にして、レジオンドヌール勲章を与えて、ベルサイユ宮殿で、彼の展覧会を開いた時でした。

 また、レオスカラックス監督に、大、大、大が、つく、侮日映画【TOKYO 第二部】をCIAエージェントたちが、制作させたのですが、その撮影が、ビートたけしが、突然芸大教授になった横浜校舎で、行われたとき(2008年)にも、確信と成って行きます。

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*3)、レオスカラックス監督は、私としては、好きな監督で、また、・・・・・ポンヌフの恋人の主役ドゥニラバンにそっくりな若者が、パリメトロ、一番線、【サンポール駅】すぐそばの、コインランドリーで、冬の寒さを避けていた・・・・とか、・・・・・その若者は、知的障碍者に見えるのに、意地悪な、パン屋の、女主人(経営者の娘)が、その若者には親切にするので、驚いた・・・・・などと書いて居るので、大侮日映画に、起用をされたと、私は、信じている。1998年の11月、コインランドリーに現れ、床に寝ていた、青年は、ドゥニラバン、その人だったかもしれない。その1998年パリ滞在中9月4日に、私は、CIAの屈強な五人の男性にバスティーユ駅で、拉致されそうになるのだから、私の周辺には、その当時から、脚本に基づいた、攻撃が行われていた可能性がある。

 レオスカラックス監督は、私が、その【ポンヌフの恋人が好きで】、それについて、いろいろ書いて居るので、突然、起用されたのですが、大軍産共同体、デュポンの、一族出身だそうです。

 ですから、鎌倉エージェント(特に井上ひさしの原案による)その映画【TOKYO第二部】をたった2週間で、撮影しあげて、「日本のスタッフの御親切さには、感謝します」と言って帰国しました。まさしく、大侮日映画なので、協力した、スタッフキャストの中には、自分の、wikipedia には、それをほとんど載せておりません。ただ、こう書くと、これから先載るかもしれません。ただ、wikipediaとは、本人が書くものではないそうですが、ファンとしても、とても、書き添えられないのだと、思います。

 そして、私が批判を開始したら、情報が長らく伏せられていました。(私のパソコンだけの現象かもしれませんが?)

 しかし、2017年ごろ(妹が殺されたころです)、から、情報開示が、私のパソコン内でも、再開され、DVDができたと聞いたので、さっそく買いました。修正されているはずだと、思ったら、全く元通りで、こんなものが世界に出まわったら、日本は大打撃を受けます。

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*4)、レオスカラックス監督の映画は、日本のフランス映画社、(柴田駿氏がトップ)が制作した。その子孫が、アビティビルという豪華なビルを、川喜多記念館に入る角に作った。それが、今では、三年目だと思うのだが、一階部分にテナントが、腸詰や以外が入っていない。大金持ちだったら、かまわないと思うけれど、ここは、三角地帯として、伴清一郎さん(瓜南直子さんの実質婚の相手であって、お金は、ほとんど与えていなかったのに、如何にも愛していたという感じの投稿を瓜南さんの、死後、彼女のフェイスブック頁に入れているので、私があきれたと、言っている人物である)+腸詰や(これも、ひどいことを、2005年ごろやって来た男だ。アビティビルの、一階部分の植栽は、彼が、提案したものだろう。それゆえに、一階のテナントが埋まらない)の、三者ともに、過去に、私を苦しめた事案があるので、経済的不況に見舞われていると、私は、考えている。 

 フランス映画社は、私が、このカラックス映画を批判したことにより、閉鎖したこととなっている。?!?!?

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*5)、

 文化庁は、この映画に、800万円の支援金を出し、普通は、貸し出さない、死刑場や、刑務所を貸し出している。その時期(2007年ごろ)の文化庁長官は、もしかすると三浦朱門氏でしたか? そうなると、今井義典・NHK副会長、酒井忠康・神奈川県立近代美術館館長、水沢勉・葉山美術館館長、北原照久・ブリキのおもちゃの美術館館長、栗田玲子さん(ガレリアグラフィカ経営者)、スズキや経営者(兄弟が、スターバックスを経営している)時田史郎福音館社長な、奥谷博・文化勲章受章者どが、形成しているサロンの、常連だったでしょうね。上皇と、上皇后も、時々は参加なさっていたと、考えます。

 この一件は、文化庁が、支援金・給付の、仕組みを、文化芸術振興会という半官、半民の組織に移譲をしたことでも明らかです。

 ともかく、文化庁が、このとんでもない侮日映画に、800万円を寄付したことを書いて居るのは、プログラムだけでした。で、それを、文章化すると、私の家から、この映画のプログラムと、映画靖国のプログラムが盗まれたのです。何時盗まれたかは、わからないのですが、その盗難に気が付いてから、今度は、その盗難の方を文章化すると、きゅうに、瓜南直子さんが、映画のプログラムについて、投稿を始めました。嫌がらせの一種です。ただし、瓜南さんが、私の文章を読んで思いついたというよりも、彼女は、私については、何も知らず、ただ、どこからかの命令通りに動いていただけです。ただ、全日本あすはが連と、こちらの映画のプログラムの投稿の両面作戦で、彼女は、したたかに毎日私を攻撃してきたのでした。そして、乗りに乗って、金田佑子さんを使って(もちろんアイデアは、井上ひさしから出ているでしょうが)、リアルな世界でも攻撃してきたので、11月18日をもって、彼女の投稿を一切読まないと決めたのです。

 で、当時の、私の方は何も知らなかったのですが、2015年になって、彼女が亡くなったことを確認した後で、彼女に関するネット上の情報をかき集めて読むと、私が、彼女の投稿は一切読まないと、決意した直後から、彼女は急にやせ衰えて、日暮文庫(一種の居酒屋)で、横たわっていたそうです。そして、肝硬変だと、思うのですが、次の年2012年の、6月4日で亡くなっています。そして、彼女の盛名に乗っかろうとした人々の狂騒曲を目にしました。なんという恥ずかしい人たちだろう。

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*6)、

 その狂騒曲の中で、上にあげた伴清一郎さんの投稿がもっとも、いやらしいものでしたね。瓜南さんは、日暮文庫で、伴さんにたばこをせびっていて、伴さんが、一本上げていたそうです。二人が、実質婚の関係にあったことを知らなかった人が、「とてもおどろいた」という、投稿をしています。

 伴清一郎さんは、たばこ一箱分の、生活費をも、あげていなかったばかりか、同居もしていませんでした。だから、食費も、家賃も上げていなかったのです。

 同居をしていなかったのは、2011年8月の瓜南直子さんの、投稿で、私には、わかっていました。酒井忠康さんが、ご近所付き合いの在る、覚園寺さまに頼んだらしくて、覚園寺さんのお世話で、京都泉湧寺で、グループ展をすることになりました。その際に、二人は、別々の時間帯に、鎌倉を出発しています。そして、後から、京都駅についた、伴さんは、京都駅から、タクシーで、泉湧寺に向かっています。坂の途中で、瓜南さんに追いつきます。瓜南さんは、当時、(=死の10か月前)は、すでに体調が悪かったのでしょう。

 でも、ご本人が、次の年の四月に、告白をしている様に、手元・不如意(=貧乏だと言う事)だから、地下鉄を利用して、最寄り駅を下りたら、徒歩で、坂を上っていたのです。そこへ、30分ぐらい遅く、京都駅に着いた伴さんが、タクシーで追い越して行きました。紙の絵って、意外と重いのですよ。油絵より、額が重いからです。直子さんの方は、単純に、伴さんが、気が付かなかったのだろうと、言っています。嘘です。

 伴さんは、直子さんに気が付いたけれど、坂の途中で出会ったので、タクシーを止める場所が無かったので、無視したのです。お互いに携帯ぐらい持っているでしょうから、時間を合わせて、新横浜を出発し、京都駅から、タクシーを拾って、トランクに二人分の絵を、入れて、座席に一緒に乗って行けばよかったのに、そのひと手間を、伴さんが、惜しんだのです。

 直子さんの方には、泉湧寺までの、3000円~5000円ぐらいのタクシー代を割り勘で、支払う気持ちは、無かったと思います。それを伴さんは、知っているので、誘わなかったのです。それで、死後になって、愛しているとか、愛していたと、言えるのかなあ。直子さんの事はただで、セックスができて、しかも、自分の地位を上げてくれると、言う存在で、ベッドの中で、交わす言葉では、大切にしていたのでしょうけれど、それは、人間愛でもないです。自分への愛でしかない。いやらしい。本当にいやらしいです。

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*7)、

 ところで、レオスカラックス監督が、映画、TOKYO(第二部)を撮影したのは、たった、2週間であって、その間、ビートたけし氏の、芸大横浜校舎で、セットを組み撮影をしています。そのビートたけし氏は、CIAのかわいこちゃんであると、言う事は、こちらの映画からも、明瞭にうかがえるのですが、

 NHKの、BSPで、美術家、訪問番組を、宮田亮平さんと、組んで制作、報道をしています。【たけしのアート☆ビート】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E2%98%86%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88

 私は銀座で、40年以上、画廊巡りをしています。が、人々と、社交的な交流をしておりません。お酒を一緒に飲むなどと言う事は一切していないので、美術界の人事やそのほかのうわさを知りません。だから、宮田亮平さんが、すでに、芸大学長・二期目であることなど、全く知りませんでした。そして、「この人は、なんと軽い人であろうか?」と、思いました。

 この番組は、BSP. で、放映をされ、視聴率は、低かったと、思いますが、両者にとって、画期的な利益をもたらしました。

 その番組は、私が、ネットを使って文章で始めていた、一種の美術評論(ただし、作家への、感想とか、インタビューで、構成をされている易しい文章のもの。でも、銀座では、大変人気が高かった)を拡大し、取材先を有名人にして、

 映像とともに、音楽も添えて、拡大の拡大をしたもので、この放映と、同時並行的に、3.11が起きて、私は、そちらについて文章を書くことにかかりっきりになり、しばらく休んでいるうちに、メルマガとして書いて居たそれが、相手に送ることが出来なくなり、

 したがって、自らの人気の源泉である、仕事(お金は、一銭ももらっていない。が、自分にとっては、いきがいでもあり、英語でも文章を書くことで、作家たちの役に立っているという自負があった)を、捨てざるを得なくなった番組なのです。

 したがって、その両者には、引き続いて、莫大な利益をもたらす、人生が、準備されます。つまり、私の敵である人間には、莫大な利益がもたらされるという典型だったのでした。

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*8)、

 つまり、私を目立たない形で、しかし、しっかりと、弾圧したからこそ、二人は、その後・大・名誉と、大金に恵まれることとなります。ビートたけしなど、どこかで、「年収13億円だぜ」と豪語していると思います。その後、正妻と離婚をしたので、プロダクションとしての収入は途絶えたので、13億円越えの、発言を聞いたことはありませんが、それでも、フライデー襲撃の原因となった、愛人と一緒に暮らしているという幸福と、大富裕層として暮らすのには、適切な収入はあるでしょう。うは、うはと、言う状態です。

 ところで、今、その時期を調べると、フライデー襲撃事件は、1986年だとあります。あれは、ひどいと思います。フライデーに愛人(ピアノ教師)との関係を、すっぱ抜かれて起こったという形ですが、テレビを利用して、芸能界で、お金を儲けているのだから、当然・庶民から、関心を持たれるはずで、雑誌を打って、お金を儲け様とする連中からは、狙われるのが、オチです。消火器って白い粉が出るタイプが多いです。その粉が、眼に入ったら、相手方(講談社の社員)は、当然抵抗ができません。

 同じ武器を持って戦うのだったら、許されるけれど、相手方は、平手で、何も武器を持っていません。消火器で、机や、本箱、または、ワープロや、パソコンを壊されたら、講談社社員は、恐怖に満たされるでしょう。しかも音もすごいはずで、部屋には、白い粉が舞い飛んでいて、ほとんど、地獄です。

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*9)、

 どうして人気者としての、ビートたけしが、テレビに復活できたのかが、不思議です。一般的な、ケースではなくて、1978年以降、我が家には、室内盗聴を仕掛けられていたと思いますので私が家庭内で、ビートたけしを批判をしていたことを知っていて、彼を、持ち上げようと、手配がなされたことを感じ取っています。

 そしてフランスが、最大限に利用をされています。フランスが、利用をされているのは、奥島孝康氏がフランス法専攻の教授で、早稲田の総長にもなっています。だからでしょう。

 一方で、現在のCIAエージェントの日本国内のトップは、成岡庸司君で、表向きの冠は、1965年に早稲田の、革〇の、委員長になったと言うだけで、その後、杳として消息が知れません。

 奥島氏は、革〇をせん滅したと、産経新聞の、インタビューで答えています。

  1. ^ 産経新聞 【さらば革命的世代】第4部キャンパスはいま(3)早大当局VS革マル派 元総長の12年戦争 2009年5月30日付朝刊 Archived 2009年7月2日, at the Wayback Machine

これは、今は、私のパソコンでは読めません。しかし、2009年には、ちゃんと読めました。そして、嘘を発言していると、感じました。嘘は、ついて、いいらしいのです。CIAを守る為ならです。宮田亮平氏も、同じですが、奥島孝康氏も、2009年当時、なんとか、諮問委員会の委員を、30個程度、引き受けていて、非常に収入が高い人でした。お金大好きな人です。現代日本でお金を儲けようとしたら、CIAエージェントに逆らっては、生きていけません。成岡君は、奥島氏より、三歳は、若いですが、成岡君の方が世界に、通用する大権力者だから、協力をするでしょう。

 奥島氏の、高校野球における助手(副会長=朝日新聞社社員)の方を、フランスで、私が知り合った、50代の女流画家、山内ゆり子さんとお見合いをさせています。それは、私がフランス発のエッセイに、山内ゆり子さんをほめて書いたからです。こういう小さなことが、確信を与えて、奥島氏が、CIAのエージェントとして、または、それらから頼まれて、ビートたけしが、フランスで、名誉を与えられて、あの暴力事件を洗浄化されていったと、見ています。

 このフランスとの関係で、川名昭宣君(国際基督教大学同期で、伊藤玄二郎と同じく、角川書房に入社した。ただ、同時期に在社してはいない模様だが、私には、伊藤玄二郎とは、親しくないと、言っていながら、裏では親しい模様だ。

 ほかにも、フランスに近い、人間が、私の周辺には、何人もいて、それらの人が、ビートたけしを洗浄化していき、言論弾圧の旗手だからこそ、出世させていったと、見ている。特に私が嫌っているので、その人間に大金と名誉を与えれば、私がうつ病になると、推察されている。

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*10)、

 奥島孝康氏は、相撲のごたごたの際、ガバナンスのなんとか委員会の委員長をした。伊藤滋氏のめちゃくちゃな、後を受けての事だった。だが、相撲には、全く関係が無いのに、選ばれたのだから、如何にあの、騒動が、CIA主導のものだったかがわかる。ワタミの会長が、それに選ばれて大得意だったことを、三つのホーム頁で、報告をしていた。

 そして、宮田亮平氏も、上にあげた番組以降、横綱審議委員会の、委員にえらばれて、白鵬をいじめぬく発言をしている模様だ。すべての問題における、首尾一貫性が、みて取れて来る。

 なお、この続きは、本日は、書けません。いつか書きます。

ただ、ビートたけしの誰でもピカソの常連だった、隈さんが、冒頭にあげた、【こころの時代】に出てきたときは、仰天をしました。丁寧に二階も見ましたが、どこにも宗教性も、尊敬できるポイントを見つけることが出来ませんでした。

 それに比較すると、上記のボランティアについて取材した番組は、上等です。思いがけず、あたりの方でした。

 最初は、「ぼらんてぃあ」なんて、番組として、見るのは、いやだなあと、思っていたのですが、ほぼ、30年間に、およぶ長期間にわたっての取材だった模様で、諄々として説得力あありました。明日土曜日に再放送があるはずです。

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