整形外科の先生である、内田竜生先生がなぜ、肺結核を、テーマとする謀略の、実行者に選ばれてしまったかですが、
わたくしが出入りするところすべてに臨時の盗聴装置が仕掛けられるのです。それは、その医院にあるスマホでできる模様です。または、患者を装って、私と同時刻に訪れる・・・・警察関係者が、小型のしかし、広範囲に音をとらえる盗聴装置を持参するのかもしれません。2024年11月5日の、内田クリニックは、レントゲン技師を仮装する、婦人警官がいたので、傍受100%ですが、内田先生が、この謀略の実行者として選ばれてしまったのは、数か月前だったでしょう。
でね。私の会話のあるポイントが、キーだったと思うのです。それを後半で、語ります。
山口みつ子さんが殺されたのは、保坂涼子(現在は、航子という名前で活動中)さんと秋山祐徳太子との会話を、みつ子さんが、私に教えてくれたからだと、書いています。
今回も・・・あれだったか!・・・と、わかるポイントがあります。
内田先生は、美術が好きというか、美術がわかる人なのです。一番最初に絵を寄贈したいと申し出た患者の絵がどれだかは、わかりません。が、待合室や、廊下には、患者から寄付された絵がいっぱい飾ってあります。
京橋の宮下眼科の先生は、叔母にあたる方・・・今、私は、そのお名前を失念してしまっていますが、お嫁に行かれたので、宮下ではない女流画家・・・・の8号くらいの絵を一点、飾ってあるだけです。京橋って、サラリーマンが多いでしょう。だから、口数が少ない患者が多いのではないかしら? で、先生に自分の絵を寄付したいと、言いだす患者がいないのででしょうね。
一方、内田先生です。本当にたくさんの傾向の違う絵が飾ってあります。今般、こんなことで、お別れすることになってしまったけれど、私はあと数年通ったら、自分も寄贈したいと、申し出でるつもりでした。ニューヨークでは、当時ニューヨーク大学の美術学部長だったレディ・クリシュナ氏に、あっという顔をされたし、油絵と版画を数点持って行っただけで、ブルックリンにある美大、Pratt Institute の大学院に、パッと入学許可になったほどです。
::::::::ところで、これは、ちょっとした余談ですが、Pratt は、多摩美と提携校になるはずだったそうです。しかし、私が入学してしまったせいで、つぶれたみたいです.多摩美の御大として有名だった宮崎進氏はシベリア留学の縁で、瀬島龍三に、しっかりと支配されている人で、そのせいで、私にもひどいことをなさって来たのです。
もしかすると水沢勉氏が、ひよしで、ひどいことをなさった・・・・・それをわたくしに書かせない様にするために、カリタス小通学バス襲撃事件は、起きたと思っているのですが、その前の段階で、水沢氏に、私の讒言を入れ込んだのは、酒井忠康氏であろうと、何度も言ってきていますが、宮崎進氏からだったかもしれません。
この宮崎進氏は、電車の中で、(2005年の11月ごろ)、本を作る話で、盛り上がった辻惟雄さんと私との縁も切ったでしょう。:::::::::
さて、美術の話に入ってしまったので、もう一つ、エピソードを。最新号の美術家連盟の広報(判は大きいが、頁数は少ない雑誌)の表紙は、髪を金髪に染めた星野美智子さんでした。
リトグラフの専門家で、ずいぶん長期間国画会の会員です。だけど、星野さんの素顔がわかる挿話が、2000年か2001年の上野精養軒内での、国画会の、オープニングパーティで起きたのです。700人以上が出席していて、立錐の余地もないほどの盛会なのですが、それほど、出席者が多いと、誰が、誰と何を話しているかが、べつの人には聞こえないのですね。
そういう環境の中で、突然に星野美智子さんが、私に近づいてきて、「川崎さん、威張らないでね」といったのです。もう、私は内心で大笑いです。私は常に創作することが大切で、自分を宣伝しないのです。だから、星野さんは、私がニューヨークでどんなことをしたかを知らない。その反面、ニューヨーク・もの・を時々、文章で発表したり英語で、美術評論を書いて、ニューヨークの画廊に送ったりしていたので、もうすでに知る人ぞ知る有名人だったのです。しかし、星野さんにしてみると、小林さん(私も知っていますよ)のホテルに何回か逗留していて、あれこれ、やってきたという自負があるわけです。が、圧倒的に、わたくしの方が、ニューヨークには、通ですよ。私が自己宣伝をしないので、星野さんは、何も知らないだけです。それなのに、「ニューヨークについて知ったかぶりをするんじゃあないのよ」と、言うセリフが、「川崎さん、威張らないでね」という中に込められているのです。だけど、急に人気が出えてきたわたくしに対する嫉妬心あらわなセリフなので、内心では大笑いです。
わたくしが国画会への油絵も版画も出品をやめたのは、このエピソードも関係をしています。私は星野さんに対して、何もその日は反論をしなかったけれど、以前から感じていた、
・・・・・この人って他人に対して、自分の方が上だと、言って、威張るために美術を選び、版画をやっていますね。・・・・・ということを確信しました。で、内心で、つまらない人だなあ。内面からほとばしり出るような、熱気と、意思がない。東京女子大を卒業した年度も同じ、芸大大学院へ進学したのも同じである、馬越陽子さんと比較すると、馬越さんの方がずっと、美術家としては、純粋ですね。それに高い色彩感覚もある。
星野さんにはそれがないでしょう。だから、(その当時は、黒と白だけの)リトグラフをやっていますね。でも、今、あなたは、「私は国画会会員となって二十年ですよ。あなた(私のこと)まだでしょう。それにあなたって、国際基督教大学出身ですよね。それって、芸大大学院卒の、私より、美術の勉強をしていないということでしょう。そういうわけで、あなたはわたくしより下なんざんすよ」と、言外に言っているわけです。だけど、それがわかるからこそ、星野美智子さんを心から軽蔑しました。
ところがこの件で悩んでいるのが、渡辺幸子さんです。国際基督教大学出身だから、新制作の会員になれないと、言うことを繰り返し電話内で、私に愚痴っていたのです。わたくしの方が五歳も年下なのに。
特に田沢教室に所属していて、田沢先生が桜井陽子さん(武蔵野美大卒、美人で冷たい、雰囲気の人)を特別ひいきにして、渡辺幸子さんの方を、グループを政治的に、締め付けるために、いじくる(からかうというか、いじめる)方にしていらしたのが、私には、手に取る様に分かるので、→
・・・・・それは、私が一年弱ですが、小関利雄氏指導のグループ礫に所属していたからです。小関先生と、田沢先生って、真っ反対の人なのです・・・・・・
→ 田沢先生の塾をやめなさいと言っていたのに、これまた、画壇での出世というポイントに縛られ切っている人で、私の忠告なんか、てんで聞き入れない人でした。私より五歳年上で、幸子さんと同い年のご主人が最近亡くなったと、風の便りに聞いているが、大丈夫かしら。なんか、芯がない人だから、ご主人亡きあと、一人でやっていかれるのかしら?
まあ、いいです。彼女に、望月画廊の、2001年の大学同窓会展で、誤解をされて(国画会用に準備していた作品を、国画会をやめるつもりになって、急遽そっちに回したのを、自分を出し抜いて、よい作品を出して、そのグループ内で、勝とうとしているという誤解です)恐ろしいいじめを受けたので、そっちも止めました。
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この件の詳細は、また別のところで書きます。今回は、内田先生が、主役だし、肺の偽病写真が、主たるテーマなので、星野美智子さんについては、ここでカット。
私は美術界で、損をしても戦わないで、すっと去る方です。常に言っている通り、リアルな世界ではけんかをしない主義です。ただね。負けたはずの私を、渡辺幸子さんは、栗田玲子さんに対して、「あの人は怖い」と言ったそうです。、栗田玲子さんって、教育大学(現在の筑波大学)卒だから銀座の画廊街で、ひときわ威張っている画廊オーナーです。まあ、今では、「でした」となっているが。
私は、内田クリニックのロビーに飾ってある多種多様な傾向の美術作品を見て、「内田先生って、優しいんだろうなあ」と思っていました。
で、カギとなった会話って、以下のものです。
「先生。レントゲン室に飾ってある版画っていいですね」と、私がまずいう。
先生のところで、膝関節、股関節、肩の関節のレントゲン写真を撮ってもらったことが、あります。一回目から、その素敵な版画には、気が付いていたのだけれど、すごくいいと思っています。才能のある作家が作ったと思われるもので、技術的にはシンプルで、凝っていないのです。「あれって、どういう人の作品ですか?」と、次の質問を発すると、「スペインの人かなあ」と、先生が答える。
たったこれだけです。でも、私は言外に、『先生って、鑑識眼が高いですね』と言っているわけです。そして、先生も、ひそかにお得意だったでしょう。ね。こういうのは、美術に才能がある人間同士でないと通じない会話です。で、耳ざとく、二人の間の信頼感に目を付けた人間がいるのです。汚い性格の人間です。それが内田先生を、罠の実行・候補者として選んだのです。
だから、今、100%別れてしまった内田先生ですが、よい方だったなあと、思っています。内田先生も犠牲者です。
あくどい、安野智紗夫人とか、前田清子さんとか、故中谷共二氏とか、その遺児二人とか、故瀬島龍三とか、杉本俊一横須賀市元副市長とか、その夫人正子さんとか、故・中野津巳吉とか、故・益山重夫とかその夫人、智恵子さんとかの、犠牲者なのですよ。
そしてそのてっぺんに瀬島龍三がいて歴代警察庁長官を支配し、伊藤玄二郎も支配しているという図があるのです。ただし、伊藤玄二郎は、今では、瀬島龍三の後継者を自任しているかもしれません。