銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

北で韓国製ドラマ、おおはやり、堆肥は大切です。

2009-07-31 22:41:44 | Weblog
リンク: 北朝鮮市民に韓国ドラマが大人気、「命がけ」で鑑賞―香港メディア - 速報:@niftyニュース.

または、http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20090724028/1.htm

 最近、北朝鮮の情報が、洩れません。非常に厳しい制限があるみたいです。また、帰国者へ迷惑がかかることを怖れて、視た事を発表しない人が多いのでしょう。しかし、だいぶ前、北朝鮮の真実の情報は、まず、農業の関係者から、もたらされました。指導者として招かれた人が、あまりの気の毒さを著書に表し、そこから、思いがけない真実が伺えたのです。

 ともかく、自由が無い。国民に精神的にも経済的にも、自由が無い。農家の場合ですが土地は国有地で、家の周り、1.5~2メートルぐらいだけが私有地で、そこに人々は自分が食べるものを植えていて、後は、首領様の思いつきで勧められる作物(それが、長らくとうもろこしだったらしいのですが)を植えることを強制をされているのだそうです。

 とうもろこしは根が短いので、土を掴む力が弱く、それゆえに、雨などで、肥沃な土地(または、つち)が流出してしまい、土が痩せてきたので、収量も低いのだそうです。それが、自己責任ではないのに、責められるわけですから人々は気の毒です。

 その土地(または、土)は、堆肥を与えて養生を何年も続けなければ回復しません。しかし、それらの本を読むと、堆肥にまわす物質があるのだろうか?と、考え込んでしまいます。第一に、寒い土地です。雑草一つでも、日本より生える力が弱いはずですし、牛を飼う、豚を飼う、鶏を飼うなどの自由がまるでなさそうです。

 日本では田中義剛さんと言うタレントが花畑牧場の生キャラメルと言う大ヒット商品を作り出して、そのショップが青山にありました。ところで、そのキャラメルですが、『量が少ないなあ。これで、850円なの?』と驚きましたし、ピンクに充ちてはいるものの、長居は全く出来ない形の喫茶店で、サービス精神は足りないなあと感じはしましたが、だれからも責められるわけでもなく、彼のタレントとしての知名度が、この値段に反映しているのです。

 こういう風に日本には自由があります。アメリカよりは規制が厳しいらしい。だけど、自由があります。田中義剛さんだって、ここまで来る途中には、堆肥をたっぷり与えた優良な牧場を作り上げる努力の日々もあったわけです。

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 でも、日本には堆肥が出来る土壌と言うか、生活があります。コンビニの捨てられる食品、食堂から出る食品、そして、牛馬とか、鶏を飼う、その糞尿を混ぜれば、雑草等も、早く醗酵をして、立派な堆肥が出来るでしょう。

 私は堆肥に対して、特別な思いがあるのです。あれも小学校六年生の夏休み・・・・・横浜から昔住んでいた隣のトトロみたいな環境の町へ友達を訪ねていったのです。電車はあるのです。便利な町です。しかし、友達の家同士は、当時は歩いて30分か40分掛かるほど、お互いに離れていました。
 その間に友達の家はおろか、大人だけが住んでいる家さえなく、ただ、畑がずっと続いているわけです。

 関東平野の畑の中を、幅二メートルぐらいの舗装をされていない歩き易い道がずっと続いていて、そこを歩いていたら、雨が降ってきたのです。八月なのに、ものすごく寒いのです。母が買ってくれたサッカーと言うしっかりした木綿の袖なしのワンピースを着ていました。日本橋の高島屋か三越で買った高いもの。でも、突っ張った布地で、そでぐりから私の細い腕を抜けて風がスースーと入ってきて、どこにも逃げ場も隠れ場もないのです。昔の夏だし、関東平野内の訪問だから、山用の装備などしているわけもなく、メリヤスのタンクトップなどの、下着も着てはいなくて、寒くて寒くて震えました。髪も濡れるし、お洋服も濡れてくるし・・・・・

 今の日本は、どこにも家があり、そこに50メートルおきぐらいの距離でコンビニがあるから、お金さえあれば500円で傘を買う事が出来ますが、当時は何もないのです。ところどころにある松林もそこの道だけにはなくて、どこにも隠れ家がありません。寒い。寒い。

 ところが、突然、右側からふわっとした暖気が漂ってきました。見ると、堆肥の山があるのです。また、肥えたごと言うのもあります。そこから、蒸気が立ち上っています。八月とはいえ、異常に寒い日だったので、40度かそれ以上の温度のある、堆肥の山は、蒸気を立ち登らせていたのです。

 本当に暖かいものでした。瞬時ですが、息を吹き返す思いがしました。ずっとその傍に立っていたいぐらいでしたが、傘のないわが身には上から降ってくる雨もつらいので、前進して、そこから離れ、また、畑の中の道を歩いていきました。

 人間のこどもである私がこんなに、嬉しいものだと感じたわけですから野菜とか、稲がどれほど、これを好むかを直感として理解しました。

 その後です。そこは、横浜より東京に近いので家がびっしりと建ってしまったし、また、化学肥料の旺盛で、堆肥の山を東京圏で見るなどと言う事がなくなってしまいました。

 でも、日本では再び有機農法が取り上げられ始め、堆肥の重要性が見直されています。鎌倉市でも、昔の堆肥とは比べ物にならないぐらい、粗雑な堆肥ですが(と言うのも植木の伐採かすで作るらしいので、混ざり物が少ないのです、密度が荒いのです)堆肥を市役所で、配っています。取りに行かれる人は、もって帰ってよいシステムです。

 その市役所の堆肥の山を崩すときに、ほんのりと温かみを感じます。それで、私は昔の寒い寒い夏休みの一日を思い出すのです。その日、お友達には何人か会って、歓迎してくれたのを覚えているのに、一番強烈なのは、堆肥の山が暖かかった思い出なのでした。

 日本に今ある、この文化や自由を大切にしたいです。堆肥を作る余裕のある国・・・・・そこからおいしい野菜や、花が育つ国。この日本。別に右翼でもないけれど、今以上に悪くなったら困るのです。国とは自分の生活の基盤です。

   では、橋はこれで、2009年7月31日、深夜  雨宮 舜
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