銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

新六世時蔵の曽祖父を五歳ごろから覚えている私。だから六月の襲名に行きたいが、それを狙って歌舞伎座前で私を逮捕するつもりですか? 露木長官殿?

2024-03-03 22:21:55 | 政治

 昨日のブログを三日ぐらい公開して、新しいものを書きたくないのです。しかし、書かざるを得ない状況が出来しました。この文章、副題5から、すごいことに入っていきます。ミステリー中のミステリーを解いていく話です。そこだけは、丁寧に、読んでやってください。CIAエージェントたちがどれほど、残酷であるかが書いてあります。ただ、そこを正しく理解をするためにも、副題4は、必要で、さらに、全体を本当に正しく理解をするためには、副題1から、お読みいただきたいところです。

副題1、『1947~8年ごろの三世時蔵、梅幸、九世海老蔵、勘彌は、私は、はっきりと覚えている。まだ5歳だったのに』

 私は、子供のころに歌舞伎を見に連れて行ってもらっています。なお、その劇場がどうも、東劇だったらしいのを、歌舞伎座四階の、廊下(最近は入れない)の歌舞伎座、三つの模型と、その建設日時で、知りました。びっくりです。それに気が付いたときには、父も母も他界していたので、質問をして、確かめることができませんでした。が、歌舞伎座の模型類を見ると、そういうことになります。あの小ささのホールで歌舞伎をやっていたんですね。花道も作っていたんでしょうか?

 帰りは、東武野田線の終電が、1947年ごろは、無くなるので、西船橋で、降りて、塚田駅方向へあるいて帰りました。今、グーグル地図で見ると、直線距離にして、2,7キロです。道が直線ではないから、3キロは歩いたでしょう。街灯もない場所もあって、月明かりが美しかったのを覚えています。歌舞伎を見に行くのは、必ず、九州財務局に勤務していた母の叔父が、出張してきて我が家に泊まった時でした。で、帰途は、大人三人が、とても楽しそうに芝居の感想を、話しあっていたのを、聞きながら、眠りたいともいわず、おんぶもしてもらわないで、黙って、三キロの道を歩いたのですから、5歳にして、ずいぶんとちゃんとしていたものです。いつも老成していたと、言っていますが、心底では、とても成熟していたのでした。こういう子が、よく、実の親に、殺されるのですよ。親を、上回っているからです。親が焦ってしまうのです。しかし、そういう点では、私はとても恵まれていた方です。両親ともに、かわいがってくれていました。歌舞伎は、その親戚の人と行っていましたが、映画とか、宝塚は、両親と一緒に行っていました。

 その頃、三世時蔵のことをきれいだなあと思っていました。尾上梅幸は、太っていると、思っていました。立ち役では、九世海老蔵と勘彌(玉三郎の養父)を覚えています。勘彌って、細面なのです。父が、勘彌と【もしほ】(=十七世勘三郎)を好きだったので、何回も勘彌を、見たから、覚えているのでしょう。ただし【もしほ】は、覚えていません。また、先代・吉右衛門も、先代・菊五郎も覚えていません。ともかく、5歳か6歳なので、(その後、妹が生まれて、この習慣が無くなった)演技の良し悪しは、わかりませんので、純粋にヴィジョアルで判断をしていたので、そうなります。

 今度、六月に六世時蔵を、襲名する、四世・中村梅枝は、三世時蔵の曽孫(四代目)ですが、実は、三世に似ていると、大勢の人が言っています。背が高いのです。で、私も確かにそれを感じます。だから、本当は、6月の襲名公演は見に行きたいのですよ。特に三世時蔵よりも大物になる可能性が高いです。三世時蔵は、吉右衛門と、十七世勘三郎と、兄弟ですが、当時の最高ランク女形は、圧倒的に歌右衛門が握っていたので、最高ランクの女形の扱いを受けていなかったのでした。これは、演目と役柄でわかるのです。

 一方で、マスメディア露出を抑えられている梅枝ですが、それは、私をいじめるためですから、本来の実力は、素晴らしいものです。でね。五年後には、当代一の女形になっているでしょう。ごめんなさい。雀右衛門、孝太郎、七之助さま、

 特に七之助さま、怒らないでね。それから、新時蔵を、いじめないでね。

 菊之助は、今、ふらふらしていますが、新作歌舞伎で、男役(若い美形の主人公)を、やったらいいです。女方、でも、立ち役でもない、新型英雄路線で進んだら、いいです。女方のトップは、新時蔵に譲ってください。怒らないで、そうしてください。

 尾上右近、児太郎、米吉、新吾ですが、まあ、まあ、新時蔵と、仲良くやってください。・・・・と、言っておこう。これは、大切なことです。演劇はアンサンブルだから、仲良くしていないと、協力をしてもらえませんので。

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副題2、『というわけで、本当は、歌舞伎座入場を、あきらめたくない私なのだが、二月の末に、マダム優美からもらったお手紙の中に、この新時蔵襲名について、ひとっ言も触れていなかったので、それで、100%あきらめたのだった。

 ここが、本当に微妙にして書きにくいのだが、マダム優美は、歌舞伎座の、切符を、最優先で、買える立場だし、ファンクラブ用の雑誌も、松竹から送ってもらっている立場だから、一月の記者会見とか、発表を知っている筈で、一方で、私が梅枝を好きだと、言うことも知っているので、それゆえに、二月のお手紙の中で、一言も、言及がなかったのが、鋭い悪意の表明になるのだった。

 と、こう、書くと、「違うわよ。千恵子ちゃん!  あなたがかわいそうだから、わざと触れなかったのよ」と、言うだろう。私は、これから、電話機の液晶画面が、彼女の番号だったら、もう出ないことにしておく。実は、11月15日の三回の電話交換ののち、私は、三月二日まで、できるだけ、電話に出ないことにしていた。

 3月2日の電話にだけ出たのは、その電話が、一度ワンギリで、切れて、のち、私が、留守電に入れておいた、電話への返事として、かかってきたのだが、その間に、ご主人が、鎌倉エージェントのだれか、(多分、酒井忠康氏、)と話し合っていたのだろうと思う。ただ、中谷氏の次男だった可能性もあるし、横山和生君(慶応三田会・横浜支部長にして、私とは、中学が同期である)だったかもしれないし、水沢勉氏だったかもしれない。ともかく、彼ら慶応グループ(または、閥)は、総力を挙げて、水沢勉氏と、カリタス小通学バス襲撃事件との関係を、私に、書かせない様にするために、工夫の限りを尽くしているところで、その最先端の道具として、マダム優美が使われている。

 しかし、ものは考えようでもある。マダム優美と、彼女の主導で型で、付き合うことは、マイナス100%とも言えないのだった。ともかく、薄い縁だが、歌舞伎界とつながっているともいえるのだった。11月から四回連続で、筋書き(プログラム)を、送ってもらっている。と、同封品として、歌舞伎座のショップで買った筈の、高価で美しいものが、入っている。

 それが、宅急便で、届くたびに、私は、上流階級から、吹いて来る風にあたるのだった。私がもし、東大卒の男性とのお見合いを、自分から、断られる様に、手配をしなかったら、今、彼女と同じ様な生活をしているだろう。東大卒の人と結婚をしたら、不文律の縛りがある。冒険は、許されない。一人暮らしをして、海外渡航の自由を得るなんて言う冒険は許されない。美術の勉強をしに、ニューヨークで、一人暮らしをしに行くことなどできず、従って、相続した遺産を残しておいて、それを、自分固有の、お小遣いとして使う生活に入ることができて、

 それは、パワーエリートの、高給+実家からの遺産相続(=援助)という形となり、今のマダム優美と、互角の生活をしているかもしれなかった。で、そう考えると、マダム優美と接触するときだけでも、それなりの富裕層を装うこと・・・・・が、まんざら、嘘でもなくなる。で、富裕層を装うことが、良心にやましくなくなる。で、富裕層を、装うことは、それなりに上質なものに触れるということだ。したがってセンスが磨かれる。センスが磨かれて、おしゃれ度がアップし、画家としての見る目もアップするとなると、それは、それで、メリットもある。

 しかし、しかしなのだ。・・・・・ここで、北久里浜時代に、その顔を、2,3回は見たことのある、現在の年齢が、80前後のご婦人が、夜逃げをしてしまった・・・・・という噂を思い出さないといけない。

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副題3、『北久里浜時代に、子供を通学させた根岸小学校の、児童数130人ぐらいの、一学年の母親たちのうち、四年制大卒の母親は、4人しかいなかった。そのうちの操さんという女性は、ひときわ優越していて、実は、私とはあまり、仲良くなかった。これは、すでに、政治的な裏があるのだった。が、幸いなことに、2013年に、不動産物件を、彼女の家のご近所に、1130万円の売値で、見つけて買いたいと思い、元の持ち主について知りたくて偶然に立ち寄った時に、大変親切にしてもらって、印象が激変した。

 しかし、ごちそうを、してもらって二時間ほど、歓談をしている最中にご主人が帰って来て、奥様に目配せをした。すぐピンときた。ご主人も操さんも、明治大学卒である。この明治大学も、そこに関係のある、私の知人が、すべて、敵側にいる存在となっていて、東大閥、慶応閥に続いて、大変な状況である。

 ここで、前田清子さんのお嬢さん、〇ぶ子さんが、四十代にして、明治大学の教授となっていることが重要なのだけれど、それは、後で、述べることにして、操さんについての、分析を続けたい。

 ある時に、銀座のギャラリーbeauxの、入っていた越後屋アネックス前の通りを歩いていた。そこは、今は、改築されて、ロフトになっている。そこで、偶然のこととして、操さんに出会った。操さんのそばには、操さんの家に行くと、いつもそばに侍っていた、【マダム・おとなしめ】がいた。その人が、銀座なのに、ついてきているのだった。これが、京急新大津駅そばの、操さんの家の場合だったら、まだ、許せるが、銀座まで、ついて来るとは、本当に驚いた。その、おとなしめ夫人は、100%操さんの家来なのだった。で、結構、家が遠いのに、毎日、来ていて、4時間以上一緒に過ごすみたいだった。で、ある日、彼女がいないときに、私は質問をした。「ね、あなた、あんなにあの人がやって来て、負担じゃあないの?」と。すると、操さんは、「平気」といったあとで、「あの人ね、私の生活を見ると楽しいんですって」と、そこから先は、口に出さずともわかるでしょうと、言うボディ・ラングエッジをもらった。つまり、【マダムおとなしめ】は、子供の時から、普通の人であって今も普通である。一方、操さんは、女性として、家庭画報に載っている広告商品を買うことができる富裕層だ。

 つまり、子供の時に、ノートにお姫様の絵をかいていた少女がそのまま、大人になって、リアルな世界で、お姫様を見つけて、その家来になって、喜んでいると・・・・そういう光景らしかった。

 しかし、銀座で出会ったときに、さらに、驚くべき世界が待っていた。操さんが、「私今から、化粧品を買いに行くの? 一緒に来ない。紹介してあげるわ」と、言ったと、記憶している。わたくしは、本当は興味がなかった。化学を専攻しているし、一時期は、特許に出す英文の英作文とか、元英語文の、日本語への翻訳とかをしていたし、女性だからか、化粧品に関する仕事の依頼が多かったからだ。で、いつもすっぴんで、歩いている。だけど、そんな主義主張を、銀座の道路の真ん中で、操さんに聞かせたって、何もならないし。で、しぶしぶという内心を抑えて、ついていった。すると、ブランド名は、むろん覚えていないが、すべて、10万円以上のお値段がついている化粧品だった。操さんは、三種類ぐらい買ったかな?

 マダム【おとなしめ】が、その時に、操さんと一緒に買ったのか、買わなかったのかは、覚えていない。三人は、新橋駅まで、一緒に歩いた。そこで、都営三田線と、横須賀線とに、別れた。わたくしは、南へ向かう電車の中でこう考えた。『わたくしはまだ、明るい時間帯に、操さんと出あってしまった。だから、見ておかないといけない画廊が、いくつも残っている。だから、今週、もう一回銀座に来ないといけない。わたくしは何度も言う様に、遺産があって、交通費など、気にしなくていい。だけど、あの【マダムおとなしめ】は、どうするのだろう?

 それは、2013年よりずいぶん前の事だった。その突然の訪問にもかかわらず、茶道も、やっている操さんは、最上級の懐石料理を出してくれた。粕漬の焼き魚を焼いてくれて、ほうれん草の胡麻和え他が出てきた。それも、野菜が、見るからに上等で、おいしくて、二回も、おかわりをした。操さんは、「前から思っていたけれど、あなたって、やせているのに、本当によく食べるのね」といった。それで、どんどん、明るい開放感が満ちてきて、私が買おうとしている家の噂話も、教えて貰った。来歴に不幸な側面があるとの事。で、こどもふたりに、平等な遺産相続をするために、1000万円前後の物件を買おうとしていたのだけど、やめておいた。

 で、不幸な話のついでに、・・・・・両方がよく知っている知人の家が、火事を出したという話が出た。それも、お子さんの放火で、などという、話も聞いた。それは、理由がよくわかる放火だった。親が年取ってから生まれた一人っ子で、過剰な期待をかけられていて、耐え切れず、、をして、親も自分も死んでしまったらいいのだと、考えたのだろう。母親は、PTAの役員をしていたので、私は、よく知っていて、彼女がお子さんに、重荷となるほどの、期待をかけていたというのは、十分に想像ができた。そういう風に深い、深い事情のオンパレードを話し合っているうちに、あの【おとなしめ夫人】の近況が出てきた。なんと、あの人は夜逃げしたのだそうだ。夫婦二人一緒に蒸発してしまったそうだ。サラ金に手を出していたそうだった。

 私は、操さんに向かって、「あなたのせいよ」とは言わなかった。操さんも、事実だけ述べて、それ以外のことは言わなかった。

 しかし、その時に、ニューヨークで知り合ったエドゥアルド(これは、私の著書、【黄色いさくらんぼ】の最後の方に出てくる褐色の肌をした版画家)を、思い出していた。エドゥアルドは、チリ出身で、本名、ホアレスという。わたくしがひと月500ドル。6万円の使用料を出して三か月滞在していた、間は、かろうじて、運営をされていた版画工房は、日本人版画家、通称、よよの悪辣な賢さ(モニター制度確立)のゆえに、使用料を払う人間がいなくなり、私が、帰国後、すぐ、つぶれたそうである。そこでの、摺師業で、かろうじての生活費を稼いでいたホアレスは、それが、なくなったので、孤独死したのだった。事実上の飢え死にである。

 しかし、私は、極限の貧しさの中にいて、サツマイモ入りの蒸しパンだけを主食としていたホアレスの、真実の姿には、気が付かなかった。そして、毎日、10ドル程度のおかずを買ってきて、版画工房の隅で食べていたのだった。それは気が付いていなかった残酷さだった。

 この辺りは、よよがニューヨークというブランドを利用しまくる話(それは、武部聡志以上に露骨な、虎の威を借りる話だったが、)と、それに、ころっと騙されて、賞を与える、酒井忠康氏の話などが、ブログでは続くのだった。ただ。紙の本では入れていない。わざとだ。大勢の人に受け入れられやすい形で、作り上げている。

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副題4、『マダム優美に私はこう質問をした。「車は、どうするの?」と。その質問に続けて、「運転免許の事よ」と、いった。免許の返上をいつするのか?を、質問をした。彼女は非常に元気だが、いかんせん、私たち二人は、80歳を超えている。しかし、その質問をひきとった彼女は、車は?という質問を車種の事だと、勘違いして、こう答えた。「ああ、スバルね。驚いたことに、大きさが、ジャガーと全く同じなの。横幅が、一センチぐらいスバルの方が、小さいかなあ、でも、前と後ろは、全く同じ長さなの」と。

 彼女は、お子様たちと一緒に、二所帯住宅を建てる際に、五人乗りのジャガーを捨てて、7人乗りのスバルに、乗り換えたそうだった。非常に大きな車なので、それが、家に置いてあると、彼女の家の門が開けにくいぐらいだった。しかし、その大きさというのは、定員が二人も少ないジャガーと全く同じだそうだ。それに驚いたと、電話内で、話してくれた。それに続けて、「むろんジャガーも長く使ったのよ。三代=三台(「・・・・・だから、20年超・・・・も続けてジャガーに乗っていたの)」と、カッコ内は、声に出さずに言った。

 私たち夫婦は、鎌倉の家が山の上の家で、駐車場がないので車を持つのをやめた。それは、38年超前の話で、それ以来、車には縁がないので、彼女が、6年前に、その車で、日吉から大倉山へ連れて行ってくれた時に、「この車ってなあに?」と、質問をした。すると、彼女は、「スバルよ」といった。わたくしは、びっくりして、「あなたなら、きっと外車を選んでいると思っていたけれど」といった。わたくしは、富士重工が、三鷹にあった時代と、スバル360を作っていた会社だとしか覚えていなかったので、スバルを、日産とかトヨタより下だと、みなしていたのだった。

 すると彼女は、「スバルって、エンジンがいいことで、有名なのよ」と、まず答え、「むろん、前は、ジャガーだったのだけど」といった。そこで、レストランについたのだった。だから話は途絶えた。わたくしは帰宅するとすぐネットで、富士重工を調べた。すると、旧中島飛行機の勤務者が、作った会社の一つだとわかった。旧プリンス自動車と、富士重工の二つができたのだったらしい。ただし、プリンス自動車は、別の飛行機会社出身者が、作ったものかもしれない。

 そこから、いろいろなことが分かった。まず、ICUとは、旧中島飛行機の跡地を使っていること。ICU本館とは、旧中島飛行機の研究所だったこと。だから、化学実験室が小さいこと。だけど、床がすでに、薬品で、傷んでいること。

 そして、1965年の秋に、後ろから(多分ベーカーさんに)首を絞められて、本当に死にそうだったあの長い、進入路は、旧中島飛行機の試験用滑走路だったことなどを。

 で、私はすぐさまスバルの株を買った。ところがEV車が、全盛になるというニュースが出て、突然スバルの株は下がった。

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副題5,『彼女は、3月2日に電話をかける前に、れくちゅあーを受けていたと思う。

CIAエージェントたちは、彼女のご主人(慶応大学の理事であり、富裕層でもある。ゲームソフトメーカーの社長か重役だから)に・・・・・今、彼女(=私の事)は、新・時蔵・襲名の六月に歌舞伎座に入れないことを、ひどく悲しがっている筈だ。だから、このチャンスを利用して徹底的に打ちのめしてやれっ・・・・・・と。そういう命令を与え、それに役立つ行動について、ご主人にまず、れくちゅあーして、彼女は、いちいち、ご主人から指示を、受けている筈だった。

 思い過ごしではない。順次証拠を上げていこう。実は、12月ごろから、私が、彼女からの、電話を取らないとか、お手紙に、ニューヨークのホアレスの貧しさを知らなかった済まなさを、書いていたりして、交際をやめたいということを、私の方は、におわせている。

 そういう形で、トーンダウンして、静かに、交誼を消滅させるのがベストだった。で、二月のプログラム(筋書)は、送ってこないだろうと、私の方は、みなしていた。それは正しかった。というのも、実際に来たのが、23日だったが、内容が月の前半に売られているものだったから。ずっと前に買ってあったものを、あたかも昨日=20日か21日に買ったかのように、装う手紙付きで、送付されてきた。「21日に友達と一緒に歌舞伎座に行きました」と、お手紙には、書いてあった。しかし、その日にプログラムを買ったのだとしたら、梅枝の、二月の、舞台写真が載っている筈だ。が、載っていなかった。カラーで、その月の前演目の舞台写真を、撮影した数頁の写真が載っている筈だったが、なにも載っていなかった。

 歌舞伎座のプログラムは、公演日の、後ろの方で、買うと厚くなって、舞台写真が口絵として載っている。しかし、彼女が、「21日に買いました」というプログラムには、カラー写真が巻頭になかった。つまりこれは、念のために、彼女が、月初めに見に行った時に買ぅてきたものだが、「送るのは、待っていて」と、例の連中から頼まれていたものだった。お菓子も同じ日に買ってあった可能性を感じる。

 で、なぜ、23日に届く様に発送をされたかというと、私が、21日に初めてのこととして、新時蔵(六世)の、六月の襲名を知ったからだった。わたくしは、大いに喜んだ。だが、見に行かれない。これは、正直つらい。で、そこを狙って、苦しみを、倍増してやれっと、いう感じで、彼女に二月の、筋書き(プログラム)を送らせる。

 しかし、三月二日の電話の前までは、ある恐ろしいたくらみが、このプレゼントに隠されていることには、気が付かなかった。実は2023年の11月16日に企まれた、歌舞伎座入場阻止が、彼女、及び、開場待ちの700人ぐらいを前に、えん罪逮捕まで、発展する予定だったことは、今回の3月2日の彼女からの電話で、はっきりしてきた。それと同じことが、6月にも繰り返されるよていだったのだ。

 警察庁、および築地警察署は、私を殺したい。理由は、保美死刑囚から、青葉真司未決囚までの、謀略行為(殺人事件を含む)の犯人たちは、何らかの餌を与えられて、釣られた人たちで、いずれ、解放をされる。そのうえで、海外で、殺されるだろうと、私は、言っている。実際の殺人を犯したのは警察町内で、飼われている特殊部隊なのだった。それが、真実だから、私は抹殺したい人間なのだ。

 しかし、3月2日までは、そこまでの、悪が裏にあるとは、まだ、気が付かず、私は、半信半疑で、綱渡りでもあるが、ただひたすらに、彼女の、身を守る方向で、動いていたのだった。私は性善説の人であり」で、26日には広尾に、わざわざ特殊にして新鮮なくだものをさがしにいったほどだった。

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副題6、『免許返上の、有無を聞いたのに、7人乗りの、スバルが、いかに優れているか? ・・・・・だけど、孫たちと同居を開始する前までは、5人乗りのジャガーを三台ものりつぶしたのよ・・・・・・という話がでたが、それが、どれほどに、私を傷つけるか、その実態を語っておこう。

 私たち一家は、最初、妹からもらった赤いパブリカを使っていた。だが、北久里浜には、日産自動車勤務の人が多いので、さすがに、パブリカ(トヨタ)は、まずいだろうという言う事になって、サニーとブルーバードと買い替えてきた。主人は単身赴任先の松阪に、それを持って行って、5年ぐらい使った。松阪発で、神戸に行ったり、京都に、二人だけで、行ったりした。だから、有効に使ったということになる。しかし、単身赴任が終わると、鎌倉の家に、駐車場がないので、車は手放した。それ以来、車用の費用を、拠出していないのが、私たちの家族なのだ。

 一方で、マダム優美は、三代(三台)も、ジャガーを乗りつぶしたという。それは、私がスバルを劣位の会社と、誤解したのを嫌がったから、今回の三月二日に、ことさらに、強調したのだった。で、私は、3月3日に入って、初めて、ジャガーと、スバルの値段を、調査した。ジャガーは、ほぼ、1000万円で、すばるは、ほぼ700まんえんだった。でも、彼女に言わせるとスバルは、全く同じ外形サイズなのに、定員が、二人増えているので、孫二人を連れて、三世代で、動くときに、とても便利なくるまだそうだった。

 私は、この300万円の差が、日本人の給料が低い原因だとかんがえた。円安も関係しているかもしれなかった。だが、まあ、それは、ここでは、展開すべき話ではない。

 私たち、家族は、39年近く、車を持っておらず、そのためにお金を使っていない。一方、彼女は新車を買う費用、維持費を含めると、現在の、金額に換算して、5000万円から、一億円出してきたこととなる。ひと月に15万円から、30万円のあいだで、お金を車に使っている。普通の家庭では、家計費の、10%ぐらいが、車のためのお金だから、彼女は、夫婦二人だけで、ひと月、150万円から、300万円で、生活していることとなる。これで、第一点として、打ちのめされる。

 さらに、免許返上をしないの?と、言う私の質問に対して、「いえ、いえ、絶対にそれは、できないわ」と、言う彼女の、運転の目的を聞いて、二点目として、打ちのめされる。ご主人が、ゴルフ場の会員権を、四か所持っていて、送迎に、必要なのだそうだ。そういえば、ご主人の顔が、日本人としては、黒いなあと、思ったことがあるが、ゴルフ焼けだったのだ。立派な体格で、三田会とか、慶応大学の理事会での、付き合いもあるだろうから、ご主人が使うお金は、マダム優美の管理以外のお金だとも考えられ、そうなると、二人の、使うお金は、月に、400万円か、500万円となる。ご主人は、自分名義の、資産の運用で、(もし、ビットコインなどだったら、巨額の収入がはいるそうだ。これはカンボジアに、学校を作っているご婦人から聞いた話だったが)まかなっているとも、考えられる。

 一方、心筋梗塞を患った主人は青白い顔をして、一日中テレヴィを見ている。10年以上前に、親戚のアーチスト、道仏仁子さんが、「千恵子さんって、男選びが上手ね。えっくん、いいお顔になってきたわ」と、彼女のご主人のお葬式の席でいわれた。確かに、針灸医として、活動をしていたころは、人に褒められ感謝されていたから、とても、いい顔をしていた。

 ただ、一つだけ、私の功績を語ろう。主人は、針灸医だからこそ、自己診断をして、がんだと思い込んでいた。だから、治療開始が遅れて、助かる率は、50%です」と、言われるほどに悪化していた。だけど、今の主人は、一人で、お風呂に入ることができるし、一人で、外出することができるし、一人で、ご飯も食べられる。これは、主人に、料理を作らせていた、私がもう反省をして、一日8時間ぐらいをかけて、野菜を多用した、栄養豊富で、おいしい料理を作っているからだと思う。自画自賛だけど、きっとそうだ。だけど、これが、彼女に対して、勝利ポイントになるかどうかは、わからない。彼女だって、お料理が上手かもしれない。彼女と話をしていると、プレッシャーを感じるからいやだという級友は、いる。わたくしは、そういう攻撃に輪をかけて、政治的、攻撃を受けているので、本当に大変だ。

 ところで、彼女わたくしを、打ちのめした;ポイントさらに、たくさんあるのだが、今日は、これ以上は触れない。だけど、3月二日の電話は、裏にいじめ用の脚本があったと、感じていて、もう、絶対に、付き合ってはいけないと、感じた。

しかし、それを、強く感じたのは、3月2日以降であり、それ以前は、やはり、友達だと、考えていた。だから、素敵な返礼品を探して、広尾に、夜9時までいたのだった。

 で、ここから先は、26日にマダム優美に送るための、果物を買いに広尾へ、行った話が、こぴぺとしはいります。

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副題7、『2024年2月26日、私は、新宿紀伊国屋書店洋書部から、伊勢丹まで、あっちこっちを、二時間近く歩き回った』

 私はね。東京には強いつもりだったのです。比較的弱いのが池袋で、それ以外には、相当に、知識があると思いました。しかし、新宿の南側、高島屋より、さらに南側が、大きく変わっているのは、まだ知らなかったのですよ。そうですね。15年ぐらい、歩いていなかったから。でも、アパートのリフォームの会社が、新宿にあるので、最近ですが、結構新宿に出かけています。

 でね。わたくしは市井の学者としていきたいので、自分が研究し始めたことは最後まで、追及したいと思っているのです。で、最近、ザクロについて、あれこれ、調べています。特に、どういう新鮮さで、どういうお値段で、売っているかを比較して歩いています。

 東京駅から、鎌倉までの、果物専門店というのは、千疋屋、タカノ、西村(渋谷)、水信(横浜)だと思うのです。横浜高島屋が、紀ノ伊国屋鎌倉店とほぼ、同額だったのを最後に、デパートは探索しないと決めたら、水信が、2月7日から、一か月、リフォームで閉店ですって。これは、私が探索しまくっているのを受けて、逃げましたねと、思った次第です。

 ともかく、私は新鮮なザクロが欲しいのです。今週また、マダム優美から、きれいなお菓子をもらったので、返礼品としては、もう、お菓子じゃあだめねと、思っているわけで、珍しい果物で新鮮なものを送りたいと、その日は思っていたのでした。

 でも、1万円のイチゴなどを送って喜んでもらえる相手ではないですよ。富裕になった、といっても、ばかになったわけではない。そんなものを喜んでくれる人ではない。翠嵐高校が神奈川県一の、人気が高い県立高校になったのは、彼女が日吉から、優秀な中学生をうんとこさっとこ、送り込んだからでしょう。絶対にバカではない。

 でね。こうなると、やっぱりNational Azabu ですね。あそこで、ザクロを6個ぐらい買うか、または、スターフルーツを買うかしましょうと、おもって広尾に向かったのです。ところがいつもは、歌舞伎座の帰りに、日比谷線で、東銀座から、中目黒へ向かうので、広尾が、途中駅なので、行先として簡単なばしょなのです。ところが、新宿から【広尾】に行ったことがない。でね。よくわかっていないので、表参道に降りて、乗り換えようとしたり、赤坂見附で、乗り換えようとしたりして、すべてが、アウトで、なんだか、1時間近く無駄をしてしまいました。午後2時45分に家を出たのに、広尾駅に着いたのが、7時45分です。電車に乗っていた時間を除いても、5時間近く、何も食べないで、いたということになります。別に糖尿病ではないのですが、3時間に一回ぐらい、何かを食べないとだめな人なのです。わたくしは体力が持たない。大学時代の化学実験の結果、非常に弱い体になってしまっているからです。

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副題7、『夜12時ごろまで、町が煌々と明るい日吉で育った私から見ると、広尾は、駅周辺が、早じまいだった。夜八時には、びっくりするほど、静かで、暗くなる。まったく、知らなかった。さすが、聖心女子大が中心の街だった。彼女たちは、講義が終わるとさっさと、帰るのだろう』

 ナショナル麻布というスーパーは駅から、徒歩5分ぐらい歩きます。その隣が有栖川の宮・記念公園なので、そこが、真っ暗ですが、それでも、スーパーの入り口に、closed という英語の看板を見つけた時は、びっくりして時計を見たものです。夜の8時10分でした。この時間に食品専門のスーパーが閉まっているのです。

・・・・・うわー、残念、これでは、マダム優美に果物をおかえしとして贈るのは、ぽしゃったわね。鎌倉でも、スタ-フルーツは、買えると思うけれど、新鮮さが違うでしょう。このスーパーは、果物を得意としているみたいで、スターフルーツだって、丸みが、非常にきれいなタイプを置いていたから、ザクロか、それかと、前から、決めていたのに・・・・・と、がっかりした次第です。

しかし、転んでも、ただでは起きない私です。それならね。都立中央図書館に行ってみようと、決意しなおし、有栖川宮記念公園内を歩き始めました。

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今、二時間以上、システム異常を起こされて散々苦労をしたので、これから先に書く部分はメモ書きとさせてくださいませ。体力も時間もなくなったからです。

副題8,『2024-2-26日に都立中央図書館で、中村梅枝について、ほめている本を読んだ。しかし、その一か月前に、中村時蔵が、萬壽という新役者名を、襲名し、息子の梅枝に、時蔵を譲るという記者発表が出ていることは全く知らなかった。ただし、21日に歌舞伎人というサイトを久しぶりに開けて、びっくりしながら、その情報を読んだ、その五日後に、梅枝をほめている文章を読んだのだから、それは、小さいけれど、確実に、神様が、ご手配くださった、』

どうして、一か月遅れで、それを知ったかの事情を書くつもりでした。最初期にはね。しかし、今は、その部分は飛ばします。

副題9、『この一月以来、泥棒被害があまりにも頻繁に起きている。また、渡辺賢司・マキ夫妻、平木伸明一家が、威張りかえっている。不思議なことだと思っていたが、やっと、訳が分かった。わたくしが、歌舞伎を見始めて、9年間、もっとも、優れた役者だと考えている、中村梅枝を、一段と格上げするニュースが発表をされていたのに、知らなかったのだ。

 私は、今、歌舞伎座へ入場を拒否されている。そこで、6月に、梅枝の、6世時蔵襲名、こども大晴君の、新・梅枝襲名が、決まったというのは、拷問に等しいいじめである。

 目の前に、A5ランクの、牛肉の、特に、フィレ・ステーキ150グラム(私は、その量で、十分だが)を、提供されているのに、「あなたは、高血圧だから、食べてはいけません。それを食べるとご主人と同じか、それ以上の、心臓病を患いますよ。夫婦そろって、半病人になったら、 165段も階段を上がらないとテレビの在る居間につくことができない今の家で、どういう風にして暮らすつもりですか?と、からかわれるだろう。

 しかし、私は、肉体の(特に胃腸の)満足より、精神の満足を優先する方だ。だから、六月のよろずや一族襲名公演を、見ることができないことは、より強い拷問度になる。

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副題10、『しかも、金銭的に、お前は負けたのだよとも言われている。26日に、新宿から、広尾へとさまよっていた間に、北隣の、石井秀樹・あずさ夫妻の、家に、急に工事が入って、きれいな進入路ができていた。また、植木類も、きれいに選定をされていた。これなんだけれど、きっと、ただで、行われている。トップ産業という会社が、奥の方で、リフォームをしている。その家のリフォーム代も、市からの援助(または、内閣官房機密費からの援助)で、半額で済むはずだ。で、この山では、

 平木家の屋根のフォームと、ペンキ塗りが、50%か、全額補助で行われたはずで、前田清子さんのご長男の家のペンキ塗りは、100%公費補助で、行われたはずで、同じ粘土で、行われた安野家の、屋根吹替も、100%公費で行われたはずで、

次の年度で行われた井上家の、ペンキ塗りも、100%公費で、まかなわれている筈で、

 そういう便宜を図らう資格を持っている安野夫人が、またもや、「こっちが、勝ったわよ。あんたばかね」と、言っている最中だったのだ。

すみませんが、ここで、寝ます。ほかにも、いろいろやらなくてはいけないことがあり、それをやったら、また、午前五時になる。まったく困った生活の連続です。

まあ、サイザーますかというしかないけれどね。だけど、2012年の10月に、私をいじめ切った、開発ちえさんは、アキレス腱を切ったそうです。彼女は、慶応卒だから、慶応病院で、最高の治療をしてもらったのでしょう。後遺症はないみたいです。しかし、私をいじめたりした人には、死、病、経済的損失が訪れるの典型ですね。

まさか、とは、思うが、謀略として、彼女を車で、引いた人間がいるのですか? それって、安倍晋三氏殺しとパターンが同じです。

ある一つの方向、アパートの借家人が出て行って、収入がなくなったとか、

歌舞伎座に入れなくなったという現象が起きると、それを利用して、多方向から、攻め立てる、そういう方向が、これほど、強く表れた歳月は、人生の途上、あまり、ほかには、ない。

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