銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

グァルネリを毎晩弾いていた紳士から「セックスしない」と暗喩で誘われた私は返事をしなかった。それがカリタス小通学バス襲撃事件のおおもとである

2024-11-30 22:50:31 | 政治

 この章の総タイトルですが、最初は【敵の攻撃が心理学を応用した物の極致になって来ているが、彼らの解釈が間違っているので、そこを書いて置きたい】としておりました。それは、2024年11月26日から、30日までの話だったのですが、そこへ行く前の、1997年のところまで書いたら、午前3時になりました。健康については、自戒しないといけないので、総タイトルを変えます。

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副題1,『渋谷駅での、2024-10-26の大けがが、10日後の、武蔵小杉での、整形外科=内田クリニック、プラス 関東労災病院放射線科が、組んだ、偽の肺結核を宣告して、病院送りにして、私を殺す案件の始まりだった』

 すべては、NHKホールのブロムシュテットから始まった。その日珍しく時間に余裕をもって、NHKホールへ向かった私は、初めて使うバスで、行き、渋谷区役所前で、降りようと思ったのだが、渋谷駅のバス乗り場が、大きく工事中(もしかしたら、それも私狙いだったかも?)で、狭いところを潜り抜けようとして、めちゃくちゃに、出血の多い、けがをしてしまった。NHKホール救護室の方は、すぐ、病院に行きなさい。音楽なんか聴いていないで」とおっしゃったが、ブロムシュテットのシューベルト解釈に一年前から、感銘しきっている私は、怪我よりも音楽大切で、ホールに入り座ったのだが、血が目に入り顎へ流れるほどの出血なので、止血用ガーゼを取り出し、皮膜をはがそうとして、ぴちぴちっという小さな音が出てしまい、合計五人の人ににらまれたり、注意を受けたりした。演奏中は、誤解を受けて叱られたことをずっと我慢をしていて、最後の大拍手の場面で、止血用ガーゼをとって、その人たちに見せ、「お詫びに、鎌倉名物を送りたいから、ご名刺くださいませんか?」と言ったら、みなさん、驚愕して恥じ入っくださった。

 私は大変我慢強い人なので、普通の人だったら、大騒ぎをする様なことでも、我慢をして平静に過ごす。銀座では、二度大けがをして、救急車で、聖路加と、慈恵医大に運ばれたことがあって、慈恵医大が、いい病院だとの判断があるので、今回は、自分で電車と徒歩でそちらに行って、縫ってもらった。

 慈恵医大では、「ここに、消毒や抜糸に来る必要はありません。いつも、かかっている鎌倉のお医者さんでやってもらいなさい。紹介状を書きます」と言われたが、外科では、鎌倉の医院にかかっていないので、武蔵小杉の内田クリニックの名前を出して、紹介状を書いてもらった。この10月26日の夜九時ごろから、謀略は、出発進行となっていたらしい。

 だけど、その準備は、相当前(一年半前)から、なされていたと感じる。つまり、清川病院で、院長のまどか先生が、同じことをやろうとして、レントゲン写真が、(桜田門のIT技術者が、間違えていて)嘘だとまどかせんせいも、私も同時に、しかも瞬時に気が付いたので、失敗に終わったのだった。その一件を書いているので、企画した伊藤玄二郎としては、お隣のお嬢茶まである、清川まどかさんの名誉回復のために、今度の、関東労災を、噛ませた新しい案を、そのころから、準備を始めたのだろう。

 つまり、まどか先生の名誉を回復するためには、私を殺すしかないと判断をしたのだろう。

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副題2、『伊藤玄二郎は、黒岩神奈川県知事も、動かしていて、やまゆり園事件を、正当化させるのに使ったのだが、それも、私が、嘘を見破って、19人の死者はいないと、断言している。で、一周忌直前の、2017年7月11日に妹を殺して、自殺だということにした。その直前かなあ。妹が、非常におかしな電話(お金がない、うつ病みたい)【これを電話1とする】をかけてきて、

 妹の死後は、生涯で初めて、妹の夫が、電話をかけてきて、「喜美子(妹の名前・・・・これは、のちに朝ドラ、スカーレットに使われた)が、14階から飛び降りて、死に、遺体は警察に、収容されていたのだけれど、娘が、(大卒看護師なので)シーツをめくって、骨盤が折れていると、言ったのですよ」云々、カンヌン、と、30分の長さにわたって、語りきった。【これを電話2とする】

 この二回の電話は、録音をされて、ご近所人間にも聞かせており、かつ、過去に、私に失礼な事、特に攻撃をしてきた人々(かつ、私がその真実をブログで書いている人、すべてに)聞かせていたであろう。

 私は、それが、500人を超えており、もし、あの中谷邸東側のコンクリート擁護壁化を、強行すれば、その500人のうちの誰かが、死ぬはずだと、予測をしている。

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副題3、『現在は葉山に住んでいる、水沢勉氏の実家は、日吉である。半径60mの距離で、我が実家とは近い。これが、のちに起こされた三つの謀略事件につながっていく。飯能の高級住宅街で、外人一家三人が、斎藤某という40代の引きこもりに殺されたという事件など、まさしく、この距離を利用した、対私への脅かし事件だった。ブログを書くのをやめろという脅かしを内包した事件だ。だが、あの外人は、実際は、死んでいないだろう。そして、その斎藤某という青年は、斎藤実東大名誉教授(東京女子大の学長でもあった・・・・だが、どうも、事件によって、殺されたらしい)の、子孫である可能性が高く、ICUで、CIAエージェントとして、動いている連中が、その引きこもり青年に、言い聞かせて、犯人役を、のみ込ませた、犯罪人である。だけど、三人も殺したのに、私の論理が正しいがゆえに、彼は、あいまいな、こととなり、裁判の報告はない。』

 水沢勉(現葉山の美術館、館長)氏は、その、録音をされた、妹喜美子の声と、その後、自殺だと主張する、夫=柏木、孝司の電話を聞いたのだろう。で、すっかり、私の妹の、自殺を信じ込んで、日吉の実家で、それを話したと思われる。

 日吉の実家には、離婚をして帰ってきた水沢勉氏の姉、悦ちゃんがおり、悦ちゃんと、私の妹は、小学校の同級生なので、悦ちゃんは、沢野ひろしちゃん(これも妹の同級生)に、ご注進、ご注進という形で、伝えたのだと思う。

 さて、ひろしちゃんは、わが実家の道路を隔てた西北に位置する家で、ひろしちゃんの母は、90を超えて、元気、元気なおばさんで、私の母は、「食えない人だ」と言っていた。その沢野家の北側に位置するのが、T家で、その家のお嬢さん二人がカリタスに通っていた。T夫人はよくできた人で、母は、厚く信頼をしていて、経理の仕事を、分担してもらっていたほどだった。そして、私自身も助けてもらった。グァルネリが登場する、私が今、書きかけ中の小説は、主役ではないが、T夫人が登場する。

 しかし、食えない人である、沢野夫人は、小田歯科医院の奥様と植物愛好家として、仲良しなのだそうだ。で、突然におだ先生が変わってくるのだった。

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副題4、『だが、ここで、1997年にさかのぼらないといけない。1997年にグァルネリを持っている紳士が、沢野夫人と、T夫人に向かって、私の大悪口を言っているので、それが、地ならしとなっていて、水沢家、沢野家、(T家は、奥様がなくなっているので、2017年は登場せず)小田歯科医院の三軒が、私を劣等した人間、かつ、悪い性格の人間だと思い込んだのだった。

 ここで、小説が、刊行できなくなることをも、覚悟のうえで、筋を語りたい。坂が重要あモチーフとなっているので、場所は、日吉から柿の木坂へ移している。柿の木坂の方が、都心に近いので、富裕な家が多いかもしれない。

 でも、我が家も「あなたのお父様は、納税者として、上位6%以内だから、ICUが入試の成績優秀者に出す、奨学金はあなたには、あげられません」と言われたほどの、まあ、金持ち階級だったし、

 グァルネリを持っている人は、むろん、子供時代から、富裕だったわけで、柿の木坂へ、移行しても、登場人物たちの行動様式としては、別に問題は、ないと思う。

 主人公の名前を、邦笙(ほうしょう)氏と、してある。私から見ると、邦笙氏は、1997年は非常につらい境遇にあった。ひよしの家を、息子さんに売る様に勧められたのだが、

 二所帯住宅のつもりで、引っ越した息子さんの家は、冷酷無残なものだったからだ。お嫁さんは、有名美大卒で、自分の作家活動と、三人の子育てが忙しいので、「お父様の面倒は見られません」と宣言をしているそうで、引っ越した当時は、一緒の会食もあった模様だが、その後の18~22年間、お正月も一緒に過ごさない模様である。

 そして、邦笙氏は、私にこういうのだった。「千恵子ちゃん、僕お金なくなったので、お昼御馳走してくれない」と。変だと、私は思う。ひよしの実家は、当時、2億ぐらいで売れたのではないだろうか。有名人・真田宏之さんが、買ったのだった。半分をお子様に分配したとしても、1億は手元に残り、あと退職金と年金が入る。どうして、私にお昼をせびる必要があるの?と思う。

 で、そこから小説化が始まるのだけれど、1948年ごろ、五万円で買ったのは、邦笙夫人の親だったのではないかと、わかってくるのだった。邦笙夫人は、勝ち気で、我が家がお手伝いさんを雇ったら、その同じ人に、「邦笙家にも来て」と頼んだので、お手伝いさんを通じて、邦笙家のあれこれがわかってしまったのだ。お手伝いさんは、邦笙夫人を嫌いだったのだと思う。うちの母の方がずっと好きだったのだ。うちの母は、そのエピソード群を聞いて、びっくりして、「あなた、邦笙家、専有にして。我が家はあなたの妹さんに来てもらうわ」と言ってそのお手伝いさんを雇い止めをして、その人と別れた。

 しかし、それが、1956年ごろの話で、1997年までに、いろいろあるのだが、邦笙氏が老後破産に近い状態なのに、息子さんに頼らないことから、ミスターとミセスの仲が悪かったと、わかってしまうし、その陰に、例のごとく戦争が横たわっているのだった。

 ただ、息子さんは、ビルを建てるにあたって、父の住まい部分を将来賃貸に出すことを考えて、1LKぐらいの=30平米ぐらいにして、一階と二階とは、コンクリートの壁を隔てて、一切の交流がない様に仕立て上げていたのだった。写真を見せてもらうと外階段で上がる三階の一部にお孫さんの部屋があることが推察される。だけど、一切の交流がない事の、厳しさや悲しさは、十分に想像できるのだった。この時、同居していたのは、男の子の方で、それは、母親とべったりだから、母が嫌っていた父親を粗末に扱うのも、容易に推察できることだった。そして、土地の売却代金の半分が、邦笙氏にわたっているだろうという想像が、当たっていないことも推察された。でも、この時、邦笙氏は、定年退職後、まだ、12年目だった。年金も高かろうに、どうしてそんなにお金がないの?と、びっくりした。

 邦笙氏は、田園調布マダムとか、自由が丘マダムと一緒に音楽会に行くらしかった。切符代その後のお食事代、交通費、一回、二万円はかかる。それを、週に二回、または、三回行くとすると、月に30万円の出費になる。邦笙氏の新居の台所は、きっとお湯を沸かす程度の広さなので、すべて外食にすると、・・・・・しかも、口が肥えているとすると、5000万円が12年で、無くなってしまうのかと、今の私には、わかってきている。

 私は歌舞伎座に入れなくなって、クラシック音楽を聴くことへ移行をしているのだけれど、「できるだけ月に一度にしよう」とか、「絶対に三番目のランクの席を買うこと」とか、いろいろな縛りを自分にかけている。

 ところで、私は、付き合う人をほとんど甘えさせてしまう。あらゆる相手が、女性であっても、私のことをこき使ってもいいのだと、考えてしまう模様だ。最近では、妙本寺へお嬢さんを嫁がせた遠藤夫人が、毎日、庭ごみを我が家に掃き入れていたという話をしている。

 しかし、私はばかではない。それに神様がおん味方をしてくださっているので、わたくしの方は、指一本動かさないでも、相手が勝手に死んでくれる。

 ところで、1997年に戻る。邦笙さんも、私に甘え切ってきた一人だった。お食事をおごって、迄はいい。だけど、その次に、散らかったベッドの写真を見せて、「ちえこちゃん、片付けに来てくれない」には、本当に参った。むろん、僕の部屋で、「セックスしない」ということだろう。私は文章では、自由自在な発想を展開するが、言葉では、自分の考えを言わない方だ。この時も、むろん、イエスでもないが、ノーとも言わない。邦笙さん、ダメじゃあない。そんなことを言ったら。とも言わない。

 で、邦笙さんも、二時間後ぐらいには、私の真意に気が付いて「まずいことをしてしまった」と思ったらしい。私は、邦笙氏が定年退職後、自由が丘マダムとか田園調布マダムを集めて、クラシック音楽の、講義をサロン形式で、やっていたと聞いていたが、どうしてつぶれたんだろうと、不思議に思っていた。が、この時、・・・・なあんだ。そのうちの一人とセックスしちゃったのね。そんなの、すぐほかの人にばれるから、グループが空中分解したのね・・・・・と、わかってきた。

 だけど、私がマネージャー役を買って出て、そのグループの再編を期すとか、別のグループを作ってあげましょうという気にもなれなかった。

 そのうえ、邦笙氏は、ある朝、午前五時に電話をかけてきたのだった。

 その電話だけど、会話が以下の様に進行すれば、五分で終わることができた。

邦笙氏「千恵子ちゃん、昨日、僕が頼んだ、ベッド整理ね。あれ、セックスしましょうっていうなぞかけだったんだけど、わかった?」

千恵子「もっちろん、わかりましたよ。でも、〇〇ちゃん=邦笙氏のご長女=と、私、友達なのよ。学年は、二年違うけれど、彼女が学芸大学付属小学校へ転入する前までは、友達だったのよ。邦笙さんだって、運動会へ向かう、二人を一緒に写真に撮ってくださったではないですか? だから、駄目でしょう。あんな事をわたくしに言ったら」

邦笙氏「ああ、千恵子ちゃん、そんなことまで、覚えているの? ともかく、ごめんなさいね」

千恵子、「ああ、わかってもらえればいいの。週刊誌にエッチな事が、いっぱい書かれているけれど、普通の女の人って、ああじゃあないわよ。ともかく、邦笙さん、朝早すぎる。寂しいのはわかるけれど。ともかく、会社へ行く前の、子供に、朝食を作らないとだめだから、ここで、切りますよ」

 で、終わったでしょう。で、決定的な決裂には、終わらなかったと思います。

しかし、邦笙氏は弱かった。または、ずるかった。話は、「僕はなぜ、眠れないのか」という迂遠なところを終始して、肝心なところには到達しなかった。で、邦笙氏の自己弁解に、一時間もつき合わされた私は、とうとう、堪忍袋の緒が切れて、

「邦笙さん、もう六時になりました。子供の朝食を作って、会社へ出さないといけません。だから、切ります。ところで、もう、電話をよこさないでください」と、言った。

 彼は、相当に恥ずかしかったと思う。私がセックスのお誘いを受けて、断っているということも分かった。ひよしの住人にそれを言われたら大変だと思ったのだろう。

 邦笙氏は、すぐ日吉に飛んで行って、沢野夫人とT夫人に、私の悪口を言ったのだった。(この件は、さらに詳細なエピソードが絡んでいるのですが、カリタス小通学バス襲撃事件に限って、話すと、これくらいで、とどめておくことになります。

 私の方は、邦笙氏が、裏で、そんなことをやっているなんて、夢にも思いませんでした。

 しかし、歯科医の小田先生の態度が急に悪くなったので、変だと思ったのです。で、原因をいろいろ考えたのですが、水沢勉氏が、私の妹が自殺をしたと、日吉の姉の悦ちゃんに話したことが、わが実家を中心として、半径60m以内の、小田歯科医院にまで伝わったのだなあと思いました。

 でも、お医者様ともあろうものが、どうして一方的に私を阻害し、いじめるのだろうと、いささか不思議で、ふと邦笙氏があの件で、私の悪口を言っているのではないかと、案じる様になりました。

 で、昔母が言っていた、「T夫人は誠実で、良い方なのよ」という話を思い出し、思い切って、T夫人に電話をかけてみたのです。すると案の定、邦笙氏が二人を訪問し、私の悪口を言っていたと、聞きました。その時に、すかさず、実はセックスへ誘われたからだったのですとか、午前五時からの電話でと、言えば、良かったのです。

 しかし、そういう時に私は、自分を抑えるのです。それが、神様に愛される一つのよすがだと思うので、それでも、いいのですが、その時、我慢をして肝心のことを沢野夫人とかT夫人に言っていない。それが、小説まで、書こうとする動機です。私だって悔しいです。

 さて、しかし、さすがのT夫人です。「千恵子ちゃん、心配しないでいいのよ。問題は、結局、▽▽▽(邦笙氏の坊ちゃんの名前)さんに、言っておいたから。もっと、パパを大事にしなさいって。千恵子ちゃん、それが問題の根本でしょう」と。で、私も仕方がなく、「そうですね」と言って電話を切りました。

 ところで、そのT夫人がすでに亡くなっているのです。非常に健康だった方だから、その逝去も不思議ですが、ここでは、そこには踏み込まないで、先へ進みます。

 さて、どうして、これほど、この件にこだわるかというと、小田先生が、診療をぞんざいにするだけではなくて、意図していじめてきたからです。

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副題5、『小田先生の、意図した苛めも、ひどいものだった。今回の最初の総タイトル、心理学を駆使する・・・・・の、一典型が小田先生の、セリフにあったのだ』

 小田歯科医院とは、東急バス、常盤台バス停から、坂を上がって、五分ぐらい歩いたところにあります。皆様が、グーグル検索をしようとしても、小田歯科医院だけでは出てこないです。小田歯科医院予約とか、日吉とか、下田町と入れないと出てきません。

 先生は、2015年の歯科医師会会長選挙の参謀も務められたし、名医であり赤ひげ先生でもある。

 ところが、以前だと、七回ぐらい掃除をしてくださった根官治療でも三回ぐらいで、切り上げてしまわれるし、待合室の待たせ方も、如何にも「あなたのことは警戒していますよ」という感じなのです。しかし、それだけならまだしも、意図して、いじめを始められたのです。

 礼儀は前と同じで、やわらかい物言いで、別に、意地悪ではない様に聞こえるのですが、すさまじいじめで、むろん、先生ご自身が考え出したことではなくて、CIAエージェントが、自分たちの過去の悪を否定するために、先生に、ご自分の孫の自慢をさせたのです。

 まず、お嬢さんが二人いて、今回話題に上ったのは、日吉の近所に住んでいるご長女さん側の、男のお孫さんの話です。野球が好きだそうで、まず、鎌倉学園に入学を希望されたそうです。でね、鎌倉学園を先生も見にいらっしゃったそうです。で、そのついでに、北鎌倉から江の島まで、歩いたとおっしゃるのです。私はびっくりして、「その途中に我が家があります。どうか、お寄りください」といったのに、先生は上の空で、それには返事をなさらないのです。

 歯の治療って、間をあけて何回も行くわけで、別の日に、同じ話が出たのです。私は、以前、先生が大腸がんを患っていると、聞いていたので、北鎌倉から江の島までという長い道中を、休憩を入れられたらいいと思って、「途中に歐林洞というカフェがあります。そこは雰囲気も味もいいですよ」と言いました。なお、これは、2018年ごろの話で、そのカフェは、コロナ禍以降、閉店しています。念のために言い添えますが。

 小田先生は、大腸がんを患って、人工肛門になったと聞いています。でも、お元気なので、不思議に思って、それに主人が、膀胱にカテーテルを入れて、尿袋というのをぶら下げる状態に、2016年からなっているので、「先生、うちの主人がこういうことになりました。先生の人工肛門は、どういう風な間隔で始末をするのでしょう?」と聞くと、

 「ああ、もう一度手術をして、人工肛門はとったのです」とおっしゃるのです。不思議な話だと思いました。普通だったら回復はできないはずです。今では、残念ながら、大腸がんがあっても、非常に軽い段階で、名医が治療したので、人工肛門の話は嘘だったと思います。結局それを理由にして朝7時から、午前11時ごろまでの診療になさったのです。これは、真夜中にブログを書いている私にとっては、非常に行きにくい話となります。結局は私を切るための嘘だったのだなあと、成ります。

 でも、キツネとタヌキの化かし合ではないが、私は、40年間の長きにわたって、ご近所住民と八幡宮様に、裏切られているわけです。地境地主なのにね。それを我慢して、気が付かない風をして付き合っているわけですから、何かが変だし、残念だけど、歯科は、小田先生だけしか、この20年は、かかっていないわけだし‥‥と我慢をしていると、

 今度は、立教中学の話になりました。それも、野球が好きだから受験をなさって、合格をされたそうです。さて、その次が、慶応普通部です。ひよしに住んでいる小学生でも、慶応普通部に入学できるのは、クラスで、一人か二人です。

 でも、何かが変だなあと思いました。先生はこの話をなさっていたころ、80歳を超えています。お嬢さまは、お見合いか恋愛かは知りませんが、25歳ぐらいで結婚をなさって、お子様を二人、30歳までに出産なさったでしょう。先生がお孫さんの、私立中学合格を、つい昨日のことのように喜んでいらっしゃるのは、時間が合わないです。

 で、私はふと、「先生、それはいつのことでしょうか?」と言いました。すると先生は、急に恥じ入って、「ずっと昔のことです。孫はもう社会人ですよ」とおっしゃったのです。

 この時に、もう小田歯科医院に通うのはやめようと思いました。それとね、1982年にうちの長男が、中堅の私立中学二校を、受験して不合格だったのは、今、想像している通り、CIA最高級エージェント瀬島龍三が、裏から指し金を入れたのだと、はっきりとわかりました。私はその時から、変だなあとは思いました。が、調べること自体が、子供を傷つけると思って、何もしなかったのです。だけどねえ。

 そして、それを、2012年以来、ブログで書いているからこそ、小田先生を使って、その事実を否定してきたのです。私が、横須賀市の水道山をめぐる、実質的大詐欺事件の真相を知っているからの苛めです。でもね、そっちは、1200坪と、それ以北の、数百坪をただで、手に入れています。⇒それなのに一銭も得をしていない、こちらを真相を知っているというだけで、子供に対しても、いじめてくる。すさまじい世界なのです。小田歯科医院の院長先生には、恥じ入ってほしいです。あなたの背中には、人々がその死を完璧に見た、保美死刑囚が、金峰という限界集落で、五人を射殺した血も、死後轢断遺体として発見をされた、大桃、玉木ちゃんの血潮も、キャンプで、行方不明になった、小倉美咲ちゃんの、肉体の消滅も、このひよしの、三軒に、かかわっているのです。そういうわけで、小田先生だけでも、六人ですよね。沢野さんが三人、水沢家が、(悦ちゃんのお子様が、同居しているかどうかがわかりませんので)三人としておきましょう。水沢勉氏が葉山で五人家族か? と数えていくと、

 中谷共二旧邸の東のコンクリート擁壁作成にかかわっている人は、優に500人を超します。そのうち、一人ぐらい死ぬはずだという私の予言は当たるでしょう。

 ⇒ものすごい儲けぶりです。主役は元海軍参謀益山重夫と、その妻、智恵子さんです。それと益山重夫の親友を名乗る、瀬島龍三です。これは、土師淳君殺しの、神戸地裁データを破棄させることにもつながっているし、

 そもそも、酒鬼薔薇聖斗(のちの少年A)が頭を切り落として、土師淳君の遺体を水道山へ、運ぶことなどできません。警察の特殊部隊がやったのでしょう。まだ、北久里浜の水道山が、自然林だった時に、神戸で、ああいう異様な事件を起こして、横須賀市の方の、水道山に一般人が入らない様にしたのです。

 神戸地裁のデータ破棄は、井上ひさしが、自分を守るために、神戸地裁に、首相命令でもかけたのでしょう。菅義偉総理の時ではないかなあ。井上ひさしが大得意の、万年筆で、その時だけ、左手でも使って書いた、あの、有名な宣言文が、インクだけでも、島津製作所の、分析機にでもかけて、調べれば、井上ひさしが、丸善に特注していたインクだとわかるはずです。紙も、どこどこ、製品ですと、わかるかもしれませ。だから、廃棄をさせたのです。

 もう焚書坑儒もそっちのけの悪事です。午前四時半になりました。後、台所のお方づけなど残っているので、ここで、無理に筆をおきます。

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