ところで、二日目に入り、十分に余裕を持って全体を眺めれば、ここで、言いたかった事が明瞭に見えてきます。それは、「墓穴を掘りましたね。勝とうと思ってかえって、損失を被っていませんか?」と言う事です。
誰に向かって言うかと言うと、例の連中です。計画を練り続けている連中にです。
なお、これは、
6月19日発のブログと、23日発のブログに に続くものです。
副題1、『山崎直子さんの父は、自衛官であるとのこと』
副題2、『現代日本にもカーストはあり、その移動や、流行もある』
副題3、『忍耐とか、苦労の一例として、学校の、担任にいじめられる事があるが、これほど、つらいものは無い』
副題4、『私は一度、直子さんの私生活に、懸念を表明しているのではないかな?』
副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』
副題6、『<お前はだめなやつだ。引っ込んでろ>と、敵様が言いたいがために登場する知遇ある有名人たち』
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副題7、『<東大宇宙工学研究所の所長は、中谷さんの息子さんですよ>と、大原光孝さんが、私に言う』
副題8、『前田祝一、清子夫妻の家は、土地を違法に使っているが、もしかすると、道路位置指定と言う形で、その罪を、すでに、免除をされているかな?』
副題9、『被害を受けているからこそ、前田夫妻と安野夫妻の、若い頃が想像できてしまうのだった』
副題10、『大原光孝さんの、自分が、威張るための、昔、放たれた捨て台詞が、今、私を助けている』
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副題1、『山崎直子さんの父は、自衛官であるとのこと』
女性の宇宙飛行士と言うと向井千秋さんと言う先輩が居ます。そちらは、お医者さんでした。髪はショートで、いかにも科学者風で、おけしょうっ気もないという感じです。
だが、ロングヘアーで、やせすぎでもなく、太りすぎでもない、山崎直子さんは、ほとんど、タレントといっても良いぐらいで、きれいです。今、一応二人の年齢を比較してみて、なんと、向井さんが、私と、10歳しか違わないことを知り驚いたとともに、
山崎直子さんが、私の長子より後の生まれであることも知って、それにも驚きました。
私が、母となったのは、29歳のときなので、直子さんの両親はきっと私と同世代です。となると、「親が自衛隊勤務だったので」、と紹介をされていたので、お父さんは防衛大学校の卒業でしょう。
私が、昭和33年に、お茶大の付属高校に進学したときに、父が自衛隊勤務ですと、言うお嬢さんが二人居て、二人とも、東大へ進学しました。無論、頭がいいということも確かですが、当時、どことは無い自衛隊に対する、白眼視もあって、そういう社会の風潮に抗議するという気概が、お嬢さんの方にもあったと、推察されました。
私は中学校時代までは、東大に受験するだろうと思われるタイプでした。実は入試の成績としては、私より悪かった生徒たちが、10人も東大へ合格をしましたので、順調に行けば、そういう東大へ進学するタイプの人間だったと思います。ところが、高一の時に、担任の先生に、AFS(アメリカ留学試験)に関連して裏切られてしまいました。受験用の書類をいただけないという形で、受験ができなかったのです。しかも、それは、こっそりと行われたので、試験が終わったことさえ知らないで居て、恥をかきました。
数年後のクラスでは、同じ先生が、受験をさせたくない生徒には、「あなたは向いていない」とおっしゃったそうですが、私は、何も言われないで、何も知らされないで、試験前の段階で、はねられたのでした。その理由がわからず、悩みに悩んで、危うく登校拒否になりかねないところでしたが、ともかく、それ以来、好きな教科しか勉強しない子になってしまったのです。
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副題2、『現代日本にもカーストはあり、その移動や、流行もある』
今では、こういう事だったのではないかと思っています。理由のひとつは、お茶の水女子大付属高校の場合には、その試験に対して、あまりにも志願者が多いので、先生としては、家柄の良いお子さんを優先する気配があったのでしょう。一校で、2人までは、合格で、実際にアメリカへ行かれるのは、一人でしたが、受験希望者は、10人を超えていました。55年以上前の1950年代のアメリカは、輝かしい魅力に満ちているように見えたのです。
先生が、親の家柄に考慮して、家柄の低い子が、家柄の良い子を上回ってはいけないとお考えだったというのは、とても、失礼な言い方ですが、そうだったと思っています。他にも理由はあったでしょうが、他の学年を担当した時にも、ことAFSの試験に関しては、先生の意思で受験させる子と、させない子を差別なさっていたと、聞きました。受験できなかったお嬢さんがその後優秀な進路へお進みになったとも聞いていますし。
ただ、その担任の実名は曝しません。頭文字が、アルファベットの、Hで始まる東大卒の男性だったとだけ書いておきましょう。
こういう事はあまり表に出てきません。私たち生徒だった人間の方は、60歳を超えると、世間を引退した年齢に達しますし、先生も亡くなっているので、やっと外に、出てくる話です。皆さんは、お子さんを、私学に中一の時に受験をさせる事をいいことだと思っていらっしゃって、中高一貫教育の良さを感じとられているとは、思いますが、このように密室性のある、場所で、行われる恐ろしい事もあるのです。
少人数だけで構成されているソサイエティのタコ部屋化、又は今の言葉でいうブラック社会化は、労働の現場だけではなくて、地域社会にも起こりやすく、学校社会にも起こりやすい現象です。
この時に、父が、中央官庁を辞めざるを得なかった理由を思い出し、身を切られるようにつらかったです。私が小学校一年のときに、父の上司が収賄事件を、起こして、係長だった父は、一種の連座で、職を失いました。父は戦前は、満鉄で、オイルシェール(頁油岩)の研究をしていて、そのときもエリートとして厚遇をされていましたが、戦後は、統制経済の中、重油を配る役所に居たので、それもちやほやされる立場であって、ずっとエリート街道を歩んできたので、順調に行けば、娘の私が、AFS試験に、受験申込書をもらえないという形で、事前にはねられるという屈辱を味わうはずは無かったのです。オペラ・トスカの世界ではないが、運命をのろいましたね。(笑)
私が高一のときは、父は小さな会社で、商売をしているので、大企業のサラリーマン家庭のお嬢さん、特に重役のお嬢さんなどに比較をすると社会階層的に下に見られたのです。ジェトロの、理事長のお嬢さんなども居ましたし。
もし、『私の方が合格して、そういうお嬢さんの方が、落ちたら、いやだな』と先生はお考えになったのでしょう。で、私はその瞬間から、カーストの問題にひどく、敏感に成りました。だからこそ、同級生で、東大へ進学した、お嬢さんのうちで、父が自衛隊だという方の内面に、推察が及んでしまったのです。
言うに言われない差別を、世間から受けている。だからこそ、立派な業績を残して、世間に対して、自分が優秀だと認めさせたい。そういう気概はあったと思いますよ。たまたま、そのお二人に対して、私は親友という立場ではなかったので、何も打ち明けられてはいませんが、そうだったと、推察しています。
ところで、その二人みたいに、私も東大に合格して、意地悪な担任を見返せばよかったのかな? いえ、それはできませんでした。一年のときにショックを受けて、回復するのには、時間が、間に合いませんでした。
父が自衛官だったというお二人には、それほどの、ショックが、一年の時に見舞ったとは考えられず、ただ、曖昧糢糊とした、世間の評判に対する反発だけだったから、気力旺盛で、東大の入試に勝つ事が出来たのでしょう。私の方は、それが、無理だったのです。
自衛隊に対する差別感情を、あおりたてるムードは、朝日新聞やら、共産党が、常に言う、戦争反対のキャンペーン等も大きく寄与していると思います。寄与するとは、プラスの意味で、使われる事が多いのですが、ここではマイナスの意味に使っています。
、
山崎直子さんを見ていると、そういう種類のコンプレックスは微塵も感じられず、時代は、55年の間に大きく変わったのだと思われました。つまり、自衛隊への許容度が高くなっていて、しかも、2011年以降は、3.11の救済支援活動によって、さらに高く評価をされるようになっているのでした。
で、東大を受験するためのしんどい受験勉強は、世間を、見返してやろうと言うそういうマイナスの発想からではなくて、彼女生来の、忍耐強さが、支えたのだと、感じています。忍耐強さがあるので、東大へ、合格するほどの大量の勉強をする事が出来たのでした。
そして、彼女のお話の中で、私がもっとも大きな感銘を受けたのは、宇宙飛行士の試験に合格をした後で、さらに、9年間待たないといけなかったという点です。彼女自身も、そこが一番大変なところだったとおっしゃっていますが、すばらしい忍耐力であり、それが、根っこのところにある山羊座の、表象するものとぴったりと同じなので、なるほどと納得をしたのでした。忍耐強さこそ、山羊座の人の大特徴であり、年をとるほど、社会的に、上の方に上って行くというのも、二つ目の特徴です。その前途がどうなるか分からない、もっとも、しんどいころは、すでに結婚をされている時期なので、親などは無関係の世界でもあります。御夫婦で、協力して乗り切ったそうです。
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副題3、『忍耐とか、苦労の一例として、学校の、担任にいじめられる事があるが、これほど、つらいものは無い』
私は「高一のときに、担任教師の大きな裏切りにあって、大ダメージを受けた」と上で、いっています。で、受験勉強を一切しなかったのです。ただ、好きな教科に関しては、深く勉強していました。それが、どうも役に立って、なんとか、国際基督教大学へは、入ることができました。そちらは、地頭を、評価するような種類の、入学試験なのです。記憶の総量は、要らない形の試験です。
そして、そこは、1962年当時は、日本では珍しい場所、すなわち、アメリカとそっくりな世界として、展開していました。入試も全問英語で出るのです。キャンパス内も、恋愛も自由な感じで、外人の学生も教授もいっぱいいます。で、ずいぶんと気が晴れました。そのさらに、36年後、ニューヨークへ渡り、プラットインスティチュートと言う美大の大学院へ入ることができて、一応二科目だけですが、若い学生と一緒に講義をとったり実技をしたりして、ずいぶんと心が癒されました。二科目だけを取ったのは、当時のレートで、一科目がとても高かったからです。2000ドルでした。で、2科目だけで、五十六万円でしたから。円高の2012年の秋だったら、二十八万円で済むところでしたけれど。
ところで、忍耐というものですが、山羊座ではない私にも経験はあるのです。私の場合、忍耐は主に子育ての側面で現れました。子育てと言うのは、大きな忍耐を要します。いろいろなテーマで忍耐を要求されますが、意地悪な担任に当たったときなど、もっとも大きな忍耐を要するものです。
自分自身も、自分の担任に、一回隠微な形で、いじめられたわけですが、自分の子供が、担任にいじめられるほど、つらいものはありません。自分自身の時よりもつらいものがあります。
先生は聖職だという表向きの概念もありますが、一国一城の主でもあり、そこには、監視の目が行き届かないので、ひどい先生も居るのです。私が良くタコ部屋と言いますが、学級全体が、タコ部屋化しているお教室もあるのです。
ところで、お若い方はタコ部屋の定義がお分かりにならないといけないので、ここで、一応説明をさせていただきますと、戦後の高度成長期に土木作業が盛んであって、飯場と言うバラックを建てて、そこに労働者を吸収して食事を出し、寝場所ともしたのですが、そこで、非常に過酷な条件で働かせ、かつ、逃げ出さないように、監視したものを、さします。今は、もう無いでしょう。ただ、福島第一で、働かされている、下請け業者の作業員など、実態は似ているのかもしれません。
ともかく、高度成長期には、一部上場の大会社に勤務するのが、一番人気に高いことであり、それには落ちこぼれたインテリが、先生にデモなるかとか、先生にシカなれないといって、そこから、デモシカ先生と言う言葉が生まれ、一時期流行語にもなったのです。戦前などは、先生は地位が高くて、父兄より圧倒的に上の場所に居て、だからこそ、先生が父兄をいじめるということは無かったでしょう。
また、現在はモンスターペアレントと言う言葉が世の中を席巻しているように、ご父兄様が、実力があって怖いものだという認識が広く学校社会にも広まって、先生と父兄の間には、対等と言うか自然な、力関係ができてるみたいですが、私が子供を育てていたころが、ちょうど過渡期で、すさまじいことを見聞きしました。それはつらい時代でした。
今の時期で言えば、中学校で、自分の子供がいじめられていることを知ってしまったご父兄などの、心痛がそれに似ているでしょう。戦うことができないのです。抗議したりしても事態が好転しないのは、地域に漂う、うわさなどで、事前に、聞き及んでいるので、ただ、ひたすら我慢をすることと成ります。つらい時代です。
私は、子供がとても小さい時期で、他の子にいじめられるなどと言うことはありえない時期に、先生に、父兄の一人として、いじめられました。両方の子供に、二年ずつ、ひどい先生が、担任する時期があって、ひどく苦しみました。「今、あれが、あったら死ぬよ、キッと」と思われるほど、つらかったのです。自分がつらいというよりも、人質になっている子供に何かが有ったら大変だという思いのつらさといったらありません。そして、あるお母さんが、自殺をするほどの、ひどさでした。その事は今は既に秘匿されていますので、詳細を語りませんが、担任教師の性格の悪さや親や子に対するいじめに悩んで、自殺したお母様がいるのですよ。それほど、ひどい教師がいる時代でした。
が、若いから耐えられたと思います。他にも子育て中はいろいろ、忍耐を要する事はあります。それを経験して、やっと、人間として、成長すると思います。だから子供とは、親の方の、人間性を成長させ、高めてくれる存在です。
が、子育てに要する忍耐を経験しても、誰もそれをほめてはくれません。ましてや、報酬も伴いません。だけど、山崎直子さんは、9年間の、未来のわからない(と言うのは、全員が、順番に宇宙にいかれるとも決まっていないらしいので、不安が大きい)待機時間の末に、宇宙へ行くことができて、今講演者として、全国を飛び回っています。輝かしい成功が手に入りました。
良かったですね。
だが、好事魔多しともいって、マスコミがいやなことを報道しました。
それは、ご主人が直子さんの忙しさに文句をつけているという話です。
でも、それは、たいした事では無いと、私は、今回の2013年6月13日の直子さんの話を直接聞いていて思いました。ご主人様も、ほっと気が緩んでしまった、そういう時期にマスコミのまくえさに乗ってしまって、つい不満をおっしゃったのだと思います。でも、その待機中の9年間に、ご主人の示した協力の姿勢、それから、直子さんが山羊座で、大変忍耐強い人であることなどを勘案すると、いわゆる離婚などありえないことだからです。
それは、安心しました。
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副題4、『私は一度、直子さんの私生活に、懸念を表明しているのではないかな?』
しかし、一時期ですが、テレビのインタビューや雑誌のインタビューが殺到していて、非常に忙しく見える時期があり、かつ、ご主人の不満が、マスコミを通じて流されたりしたので、心配し、懸念をして、『直子さんは、やりすぎのところがある。お子さんが危ない。仕事をセーヴするべきだ。お母さんなのだから』と思っていました。
こどもって、小学生のときが一番手がかかりません。それで、親はすっかり安心して、直子さんに限らず、働きに出たりします。ところが、一定の愛情と、声かけなどが必要です。それを愛のストロークと言いますが、それが無いと後で、問題が出てきます。会社に勤めてから、辞めたりします。
今、30代、40代の青年の中に引きこもりが、多いのは、男の子がどれほど、母親の愛情を必要としているかについて、母親が気がついていないせいだと、私は考えています。男の子って、女の子に比べると全体的に、ひ弱なのです。
女の子と言うのは、後に生む人となるわけで、その妊娠とか出産という任務に耐えられるように天が采配をするのか、小さいときから比較的に丈夫です。心身ともに丈夫です。タフです。しかも、母親に対しては欲求が高くありません。父親とスムーズな交流ができていれば精神的に安定します。
山崎直子さんのご家庭では、たまたま、お子さんは二人とも女の子であり、ご主人が育児に協力的なので、問題が起こらないのでした。だが、そんな事は、この2013年の6月にはじめて知ったことなので、私は以前は心配していました。特に直子さんが女として、とても、きれいな人であって、
マスコミがそのスター性に依存して、引っ張りまわしているようにも思えて、それは、家に、残された家族に不安や不満を与えるだろうと思っていたからです。
13日の直後に、このブログの世界で直子さんの、講演のことを書かなかった理由の一つに、過去に、その批判と言うか、心配をブログに書いているのではないかなと言う思いがしたからです。
そんな気はするのですが、どういうタイトルで、それをどこで書いたのかは覚えておりません。私にとって、そのころの直子さんは、一般的な有名人であって、同窓生だとは知ってはいましたが、身近な存在ではありませんでした。で、一般的な有名人として、批判的言動を弄したかもしれないのです。しかし、それは、私にとっては、印象に残ってはいない方の文章なので、どこに、それを書いたか、書かなかったかを覚えておりません。
ただ、もし、ブログの世界で、それを既にアップしているとすれば、直子さんが山羊座の人で、忍耐強く、いろいろなことをバランスよくこなしていくなどと知らなかったからです。
そうすると、今ほめると、過去の、私の文章が間違っていることとなるでしょう。一般の人ならそれは、なんでもないことです。『時期が移動して、考えが変わりました』で済むことです。
だが、このブログは、普段、ひどく狙われています。閉鎖させようと、狙われています。それは、種々さまざまな方向からくる攻撃でわかります。ちょっとした変化をきっかけにして、パソコンが壊れるのもその一つです。
天城旅行をきっかけにして、英語のセキュリティプログラムが、3つほど、勝手に入って来て、いつも、大きな警告頁が開いて、文章を書くのを邪魔したり、ケーブルテレビから、NTTの光フレッツへと、進入路を変えただけで、無線ラン機能が効かなくなったり、ありと、あらゆる、いじめを受けています。それを、直す事は出来ますが、ほぼ、半日は時間を取られます。時には、別のパソコンを使って、しのいでいて、直すのに、三日がかりでやっと治ったというケースもあります。
その上、ニュースを使って、事実そのものをゆがめてくるケースもいっぱいあります。
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副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』
この章ですが、全体が、とても長くなるので、渡辺美樹さんの部分だけを、下にスクロールすると出てくる場所に移動をしました。ので、途中から文章が始まります。
と言うわけで、このブログを書くのも命がけです。書いた時点では、正しかったこともその後、ニュースや現実の方が修正されてくるからです。
で、『山崎直子さんの講演は、書かないで、置く。4月と、6月の二回も行われ、両方ともお誘いを受けたという事は、絶対に聞かせたいと言う事であり、その裏側は、いろいろと、推察できるが、今回は、方っか無理をしておこう』と、考えました。
ただ、一時間の講演中、何度も繰り返された、直子さんが、東大宇宙工学科で、学んだという事は、実は、簡単に見過ごせる事ではありません。私の、アジサイ畑欺もう事件に関連してくるからです。『参ったなあ。どうするか』と、相当に考え、その結果『ほうっておこう。彼女の講演には触れないで置こう。それでいい、ほめなければ、前に批判したとしても、私の文章が間違っていることにはならないから』・・・・・と思っていました。
ところが、後で知った、日経新聞の記事のことです。14日と言う実に見事なタイミングで、しかも、直子さんが鎌倉では話さなかった、秘話が語られています。『参ったなあ。想像が、悪い方へ、あたっているかしら?』と思い始めます。
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副題6、『<お前はだめなやつだ。引っ込んでろ>と、敵様が言いたいがために登場する知遇ある有名人たち』
鎌倉婦人子供会館で、講演をした有名人のうち、戸田奈津子(映画の字幕製作者)さんのケースは、相当に考えさせられるところがありました。こちらも高校の先輩で、私は鎌倉の若宮荘(国家公務員が利用できる保養施設)内での講演会とか、神田の学士会館内での講演会とか、この鎌倉の婦人子供会館での講演会とかで、合計三回は聞いています。若宮荘での講演会などでは、私は敵の存在にはまだ気がついていない時期であって、活発な質疑応答をして、存在を認めていただいているはずなのです。
2012年度の講演会では、3.11を踏まえて、『国家が、あまり、規制や援助をしなくてもよい。国民は自力で、必ず、復興できるはずだ。日本の第二次大戦の敗戦直後の東京を考えてみたらよい』と言うご意見であって、それは、賛成するに至極ですから、ブログで書きたいと、思いながら、やらなかったのです。
これは、読者の方には、ちんぷんかんぷんでしょうが、その前の、2010年1月17日に同じく、同窓生の榊原節子さんを使って、すさまじい辱めを私が受けたことがあって、その日以来、同じパターンの亜種だと思っています。で、そちらの方へ話を持って行きます。
榊原節子さんは、高校が同窓ですが、大学も同窓です。そして、皇后美智子陛下の従姉妹(いとこ)さんです。で、その日は大学の同窓会として、開かれたのですが、詳細を今は語りたくありません。
高校の卒業生(ここでは、私と榊原さんを指す)は、古風なマナーを守っています。優秀な卒業生を輩出していますが、一方で、幼稚園とか小学校から入学してきたお嬢様方は、銀のさじを加えて生まれた方たちで、専業主婦として暮らしていますから、すべてが温和です。
だが、国際基督教大学の方は、アメリカ的発想の大学なので、勝ち組優先主義、または、成果主義、または、進歩的な手法を最優先と言うか何かで、大変どぎつい形で、物事が進行します。私と、榊原節子さんは、高校も大学も重なっているわけですが、その日は、大学の催しだったので、そのどぎつさが、現れました。
私は文章を書くときは、やや、はっきりと書きますが、行動においてはおとなしいほうなので、はめられたら、はめられっぱなしです。罠の存在はわかっていても、そこで、それを、分析したり、言あげすることはありません。ただ、その日、影の主役として、私へのいじめの原案を作った人間には、申し上げておきたい。
「あなたが、私の新刊本(黄色いさくらんぼ)を汚してやろうと意図して、お皿ごと、私の大型の紙袋に、入れ込んだ、モズクの酢の物は、本を汚すことはありませんでしたよ」と。「それは、袋が二重になっていたので、本外の袋に入っていて、中の袋(つやつやしたプラスチックで覆われた印刷形式の紙を使ってあり、その中に、自分の新刊本を入れていたが)を、を汚すことはありませんでした」と。
そのときに、「私は私なりに、天に見守られていることを感じました」とも。「私は私なりに、人生に成功をしていますよ。それは、精神的に、とても大きな部分で、私を支えてくれる夫が居ることや、そのほかの部分で」とも言って置きましょう。「榊原節子さんは、既に、未亡人ですね」とも。
ただ、モズクの酢の物を入れて、本を汚してやろうとしたのが、無論、榊原節子さんでは無い事は信じています。彼女は御茶ノ水女子大付属高校の名誉にかけて、そんなことをする人間ではありません。
さあて、ただ、私が婦人子供会館での、講演会について、去年の戸田奈津子さんのそれと同じく何も文章を書くつもりが無かったのに、それを書くにいたったのは、ひとえに、日経新聞の14日に山崎直子さんのインタビュー記事が出たからでした。
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さて、これから先は、文章のカラーがまるで異なってきます。上の章もいささか、山崎直子さんの業績にはふさわしくない文章ですが、これからは、政治問題に入りますので、本当に、ふさわしくありません。山崎直子さんは、表の世界の人ですが、これから語る事は、裏も裏の世界の話です。
後日、二つか、三つに分割するはずです。ただ、常に、妨害を受けながら文章を書いている私としては、この****罫線以下の部分を、非公開の下書きとして書いて保存をしておくことができないのです。
なら、それを明日書けばいいのではないかと言われそうですが、私の文章、特に初稿は、その日、そのときに天からおろしていただくものだから、今、書かないと消えてしまいます。そして、私にとっては大切なことなので、今それを、記録しておきたいのです。
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副題7、『「東大宇宙工学研究所の所長は、中谷さんの息子さんですよ」と、大原光孝さんが、私に言う・・・・・その前半』
山崎直子さんの講演会で、経歴が披露されました。何度も繰り返されたのが「東大で、宇宙工学を専攻した」という点です。『うむ、うむ、こんなところで、例のアジサイ畑欺もう事件と結びついてしまうのか』と、感慨が深かったですよ。・・・・・『なるほどねえ。「天網恢々粗にしてもらさず」とは、こういう現象をさすのだなあ』・・・・・とも思います。
私が1985年、私の土地を、ほぼ、10坪分以上、理不尽にもコンクリートうちをされてしまい、その後、28年間そこは使えず、実質的に盗まれてしまったのですが、それを実際に執り行ったのは中谷共二さんです。しかも驚いたことにそのときに、一切許可していない、私の持ち山まで崩されてしまい、びっくりしてその夜に全戸を訪ねて,「あなたはそれを許可していますか」と質問をしたら、中谷さんと、それを要望したらしい藤本(悌子)さんと、アジサイ畑をつぶすことの原案を提案したAさんと言う前々会長以外は、誰も知りませんでした。
前々会長のAさんは、その後、一家中で、そろって、謝罪の意志を示してくださっているので、実名を挙げません。だが、謝罪の意志を示さない人、特にいまだに、ひどい肉体的な攻撃(=音に出す口撃)を加えてくる前田祝一、清子夫妻がいて、その人と重要な関連を持つ人は、引き続いて、実名を曝します。
と、言うわけで、山が崩されたその夜には、誰も知らない事だったわけですから、これは、町内会の決め事でもなんでもなくて、たんに、中谷さん個人がやったことと成ります。ひどい事をおやりになったわけです。一種の盗みです。
どうしてそういうことになったかと言うと裏に瀬島隆三が隠れていたからでしょう。恐ろしい悪魔の通達に中谷さんは乗ったのです。だが、瀬島隆三は、実質的に、現代日本の影の支配者ですから、中谷さんは逆らえなかったと思います。だけど、奥様は、懸念をして、「あなた、その工事は、おやめなさい」と何度もおっしゃいましたよ。「川崎さんのおっしゃっていることは正しいです」と、私の目の前で。
私が、そのときに何をいったかと言うと、この件は、「前田清子夫人に、藤本夫人に頭を下げさせれば、解決します。別に我が家の土地や、山を犠牲にすることはありません。彼女が菓子折りでも持っていって、誠実に、<今まで、うるさくして申し訳ございませんでした。これからは静かにいたしますから、道の真ん中にフェンスを作るなどと言う事はやめてください>といえばいいのです」と。
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副題8、『前田祝一、清子夫妻の家は、土地を違法に使っているが、もしかすると、道路位置指定と言う形で、その罪を、すでに、免除をされているかな?』
ここで、もう一回アジサイ畑欺もう事件の概要を振り返ります。前田祝一、清子夫人は、中古の家を買ってここへ転入して来ました。だが、その前の持ち主は、私道部分を拠出せず、一種の違反をしていました。
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ここで、挿入ですが、この2013年6月28日の前田夫妻の二回目の、口撃(=恫喝)に依れば、その罪は自分の方では、一切、考慮に入れていないみたいです。それは、もしかすると新しい条例を作ってもらって、救ってもらっているからかも知れません。
以前からそれも想定していましたが、彼らの方には、エージェントが見方をして、法律そのものを変えていき、一種の証拠隠滅を図ってやっている可能性があるのです。
鎌倉市では、道路位置指定と言うのが決まったそうですが、もしかすると、前田家を救済するためだったりして? 私道負担部分を出さなくても、現状のまま、道路位置指定をしますから、もう大丈夫という形での救済措置です。まあ、それは2013年6月末の話ですから、この節では、もっと前、28年前に話を戻します。
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私は、ここに引っ越してくる前から、この地域で売り物件が頻発しているのは、北久里浜の家にチラシが何度も入るので、理解してました。実際に引っ越してくる数年前に、ある売り物件を訪問したところ、そこのご主人(大学教授が「家内がノイローゼになりましてね」と引越しをしたい理由をおっしゃったのを聞いているのです。その後、別の家を買って、引っ越して来てから、すぐ、普通の人がノイローゼになってしまう原因が、安野夫人が主催して、前田夫人が我が物顔でくだらない事を、大声でしゃべりまくるその井戸端会議に問題があることは理解しました。
で、中谷さんは、会長として、それが、「非常識だから、やめなさい」と言えばいいのです。非常に簡単な事でした。だが、その実質的な主催者であり、支配者である、安野夫人が、どうしてか、おっかないのですよね。
年上の男性が、年下の女性を怖がるというのも変な話ですが、本当にみんな魔法にかけられたように、安野夫人の支配下に、屈するのです。
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副題9、『被害を受けているからこそ、前田夫妻と安野夫妻の、若い頃が想像できてしまうのだった』
普通の町では、中学生の親が毎日午後定期的に、30分から一時間をかけて井戸端会議をするなんていうことはありえないのです。幼稚園バスの送迎場所で、待っている間に井戸端会議が始まって、それが、発展をする事はよくあります。だが、それでも、ご近所の、はた迷惑にはならないように気を使うのが普通です。
だが、その中で、意図的に、自分たちの力上の優越性を、誇示しているのが、特に前田夫人の大声なのです。それで、私がわかってしまった事は、安野夫人が、三人もお子さんがあるのに実母ではないことと、前田夫人は前の住居地で、他の主婦からいじめられたのだろうということです。
だから、前田夫人は、ここ鎌倉では過剰適応をしていて、安野夫人にべったりと寄り添っている。だけど、本当のところで、話があうわけも無いので、『普通の、主婦の会話なんて、この程度のものだろう』という見くびった会話を繰り返すから、その内容の汚さに、うんざりする・・・・・
そういうことです。前田夫人が前の場所で、うまく行かなかったのは、ご主人が文科系の教授職を拝命する前までは、収入が低かったはずで、したがって、奥さんも、塾の講師か、学校の先生などをしていたはずで、そのため、周りの主婦たちとは、少し違った人とみなされていたわけでしょう。が、一方で勝気な人なので、それもあって、周辺と、本当に仲良くなる事は出来ず、実際には、相当に、嫌われていたと思います。いわゆる浮いた存在だったでしょう。だからこそ、ここではうまく適応しようとして、実質的な女王様である安野夫人に、べったりと、くっついて、その支配下に屈しながら、一方で、安野夫人におだてられて、利用をされていたとも思われます。
と言うのも以前、スターを作り出す仕組みがあって、そのスターも時々刻々移動をしていくのだと、私が言っています。
最初期のスターは鎌倉春秋窯を主催する、故石川和子さんでした。彼女はタウン誌『鎌倉春秋』を発刊していて鎌倉中に顔が広い、伊藤玄二郎の愛人だったと、自分から豪語する女性ですから、そのルートで悪評を流されたらアウトだとみんなが思うので、怖い人でもあって、道を譲ります。安野夫人は、そちらも上手に操りながら、火、水、金は、公民館で、お教室を開いていて、この山にいないし、木曜日も土曜日も午後は、自宅で、お教室があって、井戸端会議に加われないので、前田清子さんの方をも、並行して、ちやほやして、自分がこの山で、一番偉い、人間として君臨するための道具として、仕立てて行ったと考えられます。
どうしてかと言うと、前田夫人は、都立大学の大学院を出ていて、国学院大学の講師をしています。で、28年前は、この山で、最も立派な肩書きを持つ人間だったからです。
しかし、そういうエリートとしての気品とか、優雅さがない人なのです。だから、上にあげた、『どうせ、主婦なんて、こんなものでしょう』と言う見下しの気分が、常にあるのではないかと、想像するわけです。
しかも態度に優美さが無いだけではなくて、時々、目を吊り上げてにらむのです。きっと藤本夫人に対しても同じ事を、彼女は、私が引っ越してくる前からやっていて、藤本夫人から深く憎まれたと思いますよ。
その結果、藤本夫人は、道路の真ん中に自分の家のフェンスを作るという提案を出して来たのです。それは、自分より上流にいて、そこを通らないと生活ができない前田家をターゲットにした復讐でしょう。ただ、藤本夫人は、その決定的な提案の前に、種々さまざまな試みもやっていたが、それもみんな裏目に出たので、熟考の上で、前田家の弱みをついて、私道負担分を出していない人も居るのだけれど・・・・・と、その本音は、まず隠しておいて、・・・・・
「雪の日に滑って骨折をする人が出たとして、私が訴訟の対象になったら困るので、私道の外側に、手すり代わりのフェンスを造ります」と宣言したのです。
当時はわが家と、藤本家の間は、道路幅が、一メートルしか無かったのです。その中にフェンスを作られたら、人は通ることができても、改築とか新築の工事はできません。それで、困りきった前々会長のAさんが、川崎さんに、私道部分を提供してもらい、そこをコンクリート打ちをして、そこに手すりを作れば、藤本夫人がフェンスを作る理由がなくなるから、一石二鳥だということになったのです。私はAさんから直接それを頼まれて、「いいですよ」と、返事をしたのでした。
だが、中谷さんが、その後、藤本夫人はノイローゼで何とかかんとかと、散々な悪口を私に言うので、『これは変だなあ。中谷さんは、後ろめたいところがあるに違いない』と覚悟をしていたら、案の定、我が家の山を無許可で崩したのです。それは、ご自分がさんざんの悪口を言っている、当の藤本夫人の、言うなりになるということでした。彼女はこの山のどこにもない、幅4mの道路を目の前に設定をしたいと願って、そういう主張を持ち出したのでした。彼女もまた、調子に乗って、欲張りすぎたのですが、その前の数年間の苦しみがそうさせたと、感じています。
この山って、正義も論理も通じないところです。ところが私は徹底的な理論派です。この山に引っ越してくるまえに、北久里浜で、瀬島隆三の親友だという元海軍参謀益山某氏の地籍変更届を利用した土地、1200坪(元は横須賀市の水道山)をただ取りした事件を、自分が境界地主として巻き込まれらたので、戦って法的に勝って、ここへ引っ越して来ています。有名な弁護士さんが、舌を巻くほど頭がいいのです。
そんなに、法律通の私から見ると、まったく肯定できない中谷氏の措置でした。これは、公的なところが微塵も無い、私的な、犯罪に等しい行為です。何度も言っている様に、訴訟をする権利は、私の方にあるのですよ。だが、黙って我慢をしてあげていることをいいことにして、苛め抜いて引越しをさせようとか、ノイローゼにさせようとしているのは、前田・安野連合軍側ですが、彼ら、彼女らの現在やっている事は、29年前に、藤本夫人に対して取られた策とまったく同じなのです。なんと悪辣な女性たちと、その夫だろう。
でもね、驚いたことに、今度は、中谷氏が謝罪をしないのです。一応態度としては、平身低頭しています。だけど、実質的には、失礼をしました。あなたが、私の措置にお怒りになったので、これ以降は、お宅の土地は利用しません。あなたがおっしゃる通り、前田夫人を、藤本夫人へ謝罪をさせます。そして、最悪の場合は、前田家が違法に使っている私道部分を拠出させます」とは言わないのです。
でも、説得をするために、肉を切らせて、骨を絶つというつもりなのでしょうか? マイプライバシーはずいぶんと明かされたのですよ。別に弱みは無くて、いいことばかりです。その中にご「長男は、東大を出ていて、今、助教授をしています」と言う項目がありました。私は、「あ、そうですか」と答えておきました。
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副題10、『大原光孝さんの、自分が、威張るための、昔、放たれた捨て台詞が、今、私を助けている』
その何年か後のことです。大原光孝さんが電話の中で、「川崎さん、知っていますか。中谷さんのご長男は、今東大の宇宙工学研究所の所長ですよ」と言うのです。私は激怒しました。だが、激怒したときは、かにも説明をしません。彼をたしなめることさえやりません。
彼の言いたい事はこういうことです。あんた、ずいぶん偉そうに法律的なことを言うではないですか? だけどあんた、東大を出ていますか? 坊ちゃんも出ている? そしてご主人は? だけど、中谷さんの坊ちゃんは、単に東大を出ています。そのうえ、単に、卒業しただけではなくて、今は教授であって、しかも、さらに偉い役職についているのです。だから、あんた黙っていなさいよ』と言うことでしょう。なるほど、だけど、土地の泥棒に、役職は関係ありません。ましてや子供さんは関係が無い。そうでしょう。違いますか?
だけど、私は、今、法的にも賠償をされていないし、金銭的にも賠償をされていません。そして、自分からは訴訟など起こしません。ただ、あったことを文章に書いているだけです。
すると大原光孝さんは、見事なキーワードを提供してくれたことになります。私は、昔、東大に務めていたことがあるので、どのくらいの年齢になると、どういう役職がつくかは知っています。だから、私より少し若い、あちらのご長男が、そういう役職におつきになったのは推察ができますが、専門分野は知りませんでした。
デモ、大原さんの・・・・・虎の威を借りて、自分が威張りたい・・・・・という、子供っぽい欲望によって、中谷家のご長男が東大の宇宙工学研究所の所長であることを知りました。
そんな事は紙にメモしないでも忘れることは無い私です。したがって、山崎直子さんが東大の宇宙工学を専攻したと聞いたとたんに、
アジサイ畑欺もう事件について、さらに進んだ段階でモノを語ることができるようになったと、悟りました。というわけで、ここにその最終場面に行きついたのでした。以前は、安野夫人と前田夫人のところまでしか、書いていませんね。だけど、とうとう中谷家に行きついたのです。それは、不思議な逆転現象です。大原光孝さんが、酒井忠康氏に、援助してもらって、お嬢さんを、お嫁入りの道具としては素晴らしい勤務先である、神奈川県立(当時はそうだったでしょう。今は独立法人化しているかな?)近代美術館に奉職をさせてもらっていて、(それって税金の私物化でもあるが?!?!?)・・・・・
また、双系美術学校の先輩である柄沢斉氏が、日経新聞の大支援により、大版画家として、世間に露出しまくっていて、まるで、六波羅時代の平家もかくやと言うほど、『自分は上だ。川崎千恵子なんて、何様だ』と、おごり高ぶり、何度も、捨て台詞を放ったのですが、その最後のものが、こうして今、私を助けてくれています。
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副題11、『ワインが割れた石段を鎌倉市のお金で、修復する。これも、・・・・・政治とは、私的な事を、いかにも公と見せる仕組みだ・・・・・と言う事の典型だ』
私は、大原光孝さんの事を最近では、ちゃら男さんと呼んでいます。他人に対しては、常に、対等か、ちょっと尊敬して扱うべきだと言っているにしては、失礼極まりない表現ですが、それなりに、意味があります。そうでも言わないと、やっていられませんねと、言うほどの事があります。
二日目の、冒頭に、添えた言葉の様に、大原さんとしては勝ったつもりの表現「中谷さんの息子さんは、東大宇宙工学研究所の所長ですよ」と言う言葉が、敵としては、勝つつもりで使った、二度にも及ぶ、山崎直子さんの鎌倉婦人子供会館での、後援会をけがしたばかりでなく、大好きっであるらしい、中谷さんにもご迷惑が及んでいませんか?
そこが、「軽い。軽すぎる、態度の人間だから。だからちゃら男さんなのですよ」と、言う所以ですが、この捨て台詞が、最初のものではないですよね。大原さんに向かって言いたいのですが、あなたは、ご自分が勝っているつもりであって、買った方だから、捨て台詞と発した途端に、快感を覚えるわけでしょう。で、快感と言うのは忘却の彼方に飛び散りやすいものですから、あなたはご自分が、どんな捨て台詞を発したかをお忘れでしょうね。
だけど、被害者としての私から見ると、5つぐらいあるのです。そのもっとも大きなものが、「川崎さん、ワインが割れておしかったねー」と言いながら、後ろから、追い抜いて行った日のものですが、その後、石段が修復をされましたね、半分が鎌倉市のお金で。それって、私の文章に対する証拠・隠滅の一つです。
大原さんの失敗を、鎌倉市の税金を使って、糊塗・隠ぺいをするという事です。
まあ、あなただけではないです。前田夫妻に対しても国庫金で、失敗を糊塗してあげているみたいだし、もし、安野家のご二男が、海上保安学校へ入ったときに、もし、内申書の改ざんとか、試験問題の漏えい等があったら、ご二男の生涯賃金は、安野夫人の失敗を糊塗する目的で出されていますね。
そして、その石段の工事は、半分は、町内会のお金ですが、町内会には、横浜銀行の通帳があるのにもかかわらず、おおげさにフレイムアップをして、湘南信金を使いました。湘南信金のカードを日常支出に使っていた私は青山のセブンイレブンで、それが、引き出せないとなって青くなった事があります。で、スパコンに、何らかのバグが入れ込められているなと考えて、常に4000円を下すことにしていたのを、7000円に変更したら、引き出し可能となりました。
つまり、鎌倉市の税金を使って、大原さんが、失敗した捨て台詞を、回復してあげたというわけです。湘南信金が表に出てこなかったら、ここまでの事は言えませんが、湘南信金で、支払いをしたという事実があり、それをわざわざ回覧板でお知らせがあったので、この様に考えます。・・・・・普通、どういうルートで支払ったなどと、回覧板でお知らせをしますか? しないでしょう。(笑)
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副題12、『前田祝一氏の、新規、転入者を、たらしこむ、その手口がわかったぞ』
推敲後の冒頭に、不思議な天の采配で、勝とうと思っている人たちは負けましたよと、言っていますが、その一つとして、前田氏が、自分の土地使用方法が違法であり、そこからすべてが始まっているという事を、全く、反省しないし、顧慮もしていないと、言う事がわかりました。それが、道路位置指定と言う仕組みによって、そういう風に、威張る事が出来るのなら、まるで、自分が正当であり、川崎千恵子が間違っていると、思い込む事が出来るでしょう。
恐ろしいです。法律を、自分の悪の隠蔽のために変更して行く。そういう事だったわけでした。どうして、そういう事が可能かと言うと、安野夫人を鉄砲玉として瀬島隆三が使ったから、実際は安野夫人の強欲さが、原因で、私の土地が盗まれてしまったわけですが、私がどんどん、ミステリーを解いていって、瀬島隆三本人の罪になると非常にまずいと、エージェントたちが思っているので、法律の改ざんもできる模様です。
驚いた。驚いた。なお、この件、特に、副題11と、12は、将来、もっと丁寧に書きなおさないといけませんね。
そして、これを書いたから、前田夫人の捨て台詞を、ここで、公開することが可能になりました。彼女は、私の方を見ながら、「この人は、物がわからない人だから、(ご主人に向かって)あなた、何を言っても無駄ですよ」と言ったのです。
私が物がわからないですって。それは、当り前ですよ。加害者側のずるいずるい、論理をどうして受け入れないといけないのですか? 受け入れられません。それを、わからないというのなら言っておきなさい。
上水道工事を始め、めちゃくちゃに、県の費用、市の費用、国家の費用を使って、自分たちの悪事を糊塗してもらって、証拠を隠滅してもらって、そのうえで、こっちの言う事を聞きなさいですって。
こんな悪辣な人間はいませんよ。悪魔です。安野夫人だけではなくて、前田夫人も悪魔でした。こんな人を御支援なさって、国学院大学の講師にしたのですから、八幡宮さまの、おお公孫樹が、倒壊するのも道理です。当り前でしょう。
で、今回、前田夫人のすさまじい捨て台詞を聞いて、すべてを思い出したわけです。前田氏は、自分に仲間が多い。この町内会の人間は、すべて自分の味方だと思っているみたいですが、それぞれの人間はそれぞれに動くわけですね。それぞれ、買ってん捨て台詞を発します。今回は、大原光孝さんを主役にして、彼が放った捨て台詞を中心に、連想を働かせました。で、結果として、あなたを救ってくれた中谷さんに、大迷惑をかけているでしょう。自分を救いたいのはわかりますが、自分を救うために処々方々に、迷惑をかけているのが、あなたがた夫婦ですよ。そして、その同盟者たる安野夫妻でしょう。
これが、天に采配のしからしむるところなのです。
そして、大原光孝さん。あなたがなさっている事を書こうとすると、中目黒の大原さんと言う製紙会社の元重役だった人が、真昼間殺されました。たぶん、それで、私がビビって、何かを書かないでいるだろうとみなされて、その大原さんと言う中目黒の住人が殺されました。・・・・・・
と、テレビや新聞が言いました。犯人は、防犯カメラに姿が、写っていて、それで、逮捕をされました。と事が裁判が行われた気配がありません。これも変ですねえ。大原さん、もし、中目黒の大原さんが、死亡していないのなら、それは、喜ばしいです。だが、あなたが原因で、日本国民全体がだまされたのですよ。もし、中目黒の大原さんが、本当に死んでいたら・・・・・何をかいわんやです。
どうぞ、皆様。なんでもご勝手になさいませ。捨て台詞を放とうが、新しい策略を案出しようが・・・・・ただ、こちらにも記録をする自由はあるわけです。お互いに平等でしょう。違いますか?
尚、このブログの2010年から数え始めた、伸べ訪問回数は、1695393です。
誰に向かって言うかと言うと、例の連中です。計画を練り続けている連中にです。
なお、これは、
6月19日発のブログと、23日発のブログに に続くものです。
副題1、『山崎直子さんの父は、自衛官であるとのこと』
副題2、『現代日本にもカーストはあり、その移動や、流行もある』
副題3、『忍耐とか、苦労の一例として、学校の、担任にいじめられる事があるが、これほど、つらいものは無い』
副題4、『私は一度、直子さんの私生活に、懸念を表明しているのではないかな?』
副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』
副題6、『<お前はだめなやつだ。引っ込んでろ>と、敵様が言いたいがために登場する知遇ある有名人たち』
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副題7、『<東大宇宙工学研究所の所長は、中谷さんの息子さんですよ>と、大原光孝さんが、私に言う』
副題8、『前田祝一、清子夫妻の家は、土地を違法に使っているが、もしかすると、道路位置指定と言う形で、その罪を、すでに、免除をされているかな?』
副題9、『被害を受けているからこそ、前田夫妻と安野夫妻の、若い頃が想像できてしまうのだった』
副題10、『大原光孝さんの、自分が、威張るための、昔、放たれた捨て台詞が、今、私を助けている』
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副題1、『山崎直子さんの父は、自衛官であるとのこと』
女性の宇宙飛行士と言うと向井千秋さんと言う先輩が居ます。そちらは、お医者さんでした。髪はショートで、いかにも科学者風で、おけしょうっ気もないという感じです。
だが、ロングヘアーで、やせすぎでもなく、太りすぎでもない、山崎直子さんは、ほとんど、タレントといっても良いぐらいで、きれいです。今、一応二人の年齢を比較してみて、なんと、向井さんが、私と、10歳しか違わないことを知り驚いたとともに、
山崎直子さんが、私の長子より後の生まれであることも知って、それにも驚きました。
私が、母となったのは、29歳のときなので、直子さんの両親はきっと私と同世代です。となると、「親が自衛隊勤務だったので」、と紹介をされていたので、お父さんは防衛大学校の卒業でしょう。
私が、昭和33年に、お茶大の付属高校に進学したときに、父が自衛隊勤務ですと、言うお嬢さんが二人居て、二人とも、東大へ進学しました。無論、頭がいいということも確かですが、当時、どことは無い自衛隊に対する、白眼視もあって、そういう社会の風潮に抗議するという気概が、お嬢さんの方にもあったと、推察されました。
私は中学校時代までは、東大に受験するだろうと思われるタイプでした。実は入試の成績としては、私より悪かった生徒たちが、10人も東大へ合格をしましたので、順調に行けば、そういう東大へ進学するタイプの人間だったと思います。ところが、高一の時に、担任の先生に、AFS(アメリカ留学試験)に関連して裏切られてしまいました。受験用の書類をいただけないという形で、受験ができなかったのです。しかも、それは、こっそりと行われたので、試験が終わったことさえ知らないで居て、恥をかきました。
数年後のクラスでは、同じ先生が、受験をさせたくない生徒には、「あなたは向いていない」とおっしゃったそうですが、私は、何も言われないで、何も知らされないで、試験前の段階で、はねられたのでした。その理由がわからず、悩みに悩んで、危うく登校拒否になりかねないところでしたが、ともかく、それ以来、好きな教科しか勉強しない子になってしまったのです。
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副題2、『現代日本にもカーストはあり、その移動や、流行もある』
今では、こういう事だったのではないかと思っています。理由のひとつは、お茶の水女子大付属高校の場合には、その試験に対して、あまりにも志願者が多いので、先生としては、家柄の良いお子さんを優先する気配があったのでしょう。一校で、2人までは、合格で、実際にアメリカへ行かれるのは、一人でしたが、受験希望者は、10人を超えていました。55年以上前の1950年代のアメリカは、輝かしい魅力に満ちているように見えたのです。
先生が、親の家柄に考慮して、家柄の低い子が、家柄の良い子を上回ってはいけないとお考えだったというのは、とても、失礼な言い方ですが、そうだったと思っています。他にも理由はあったでしょうが、他の学年を担当した時にも、ことAFSの試験に関しては、先生の意思で受験させる子と、させない子を差別なさっていたと、聞きました。受験できなかったお嬢さんがその後優秀な進路へお進みになったとも聞いていますし。
ただ、その担任の実名は曝しません。頭文字が、アルファベットの、Hで始まる東大卒の男性だったとだけ書いておきましょう。
こういう事はあまり表に出てきません。私たち生徒だった人間の方は、60歳を超えると、世間を引退した年齢に達しますし、先生も亡くなっているので、やっと外に、出てくる話です。皆さんは、お子さんを、私学に中一の時に受験をさせる事をいいことだと思っていらっしゃって、中高一貫教育の良さを感じとられているとは、思いますが、このように密室性のある、場所で、行われる恐ろしい事もあるのです。
少人数だけで構成されているソサイエティのタコ部屋化、又は今の言葉でいうブラック社会化は、労働の現場だけではなくて、地域社会にも起こりやすく、学校社会にも起こりやすい現象です。
この時に、父が、中央官庁を辞めざるを得なかった理由を思い出し、身を切られるようにつらかったです。私が小学校一年のときに、父の上司が収賄事件を、起こして、係長だった父は、一種の連座で、職を失いました。父は戦前は、満鉄で、オイルシェール(頁油岩)の研究をしていて、そのときもエリートとして厚遇をされていましたが、戦後は、統制経済の中、重油を配る役所に居たので、それもちやほやされる立場であって、ずっとエリート街道を歩んできたので、順調に行けば、娘の私が、AFS試験に、受験申込書をもらえないという形で、事前にはねられるという屈辱を味わうはずは無かったのです。オペラ・トスカの世界ではないが、運命をのろいましたね。(笑)
私が高一のときは、父は小さな会社で、商売をしているので、大企業のサラリーマン家庭のお嬢さん、特に重役のお嬢さんなどに比較をすると社会階層的に下に見られたのです。ジェトロの、理事長のお嬢さんなども居ましたし。
もし、『私の方が合格して、そういうお嬢さんの方が、落ちたら、いやだな』と先生はお考えになったのでしょう。で、私はその瞬間から、カーストの問題にひどく、敏感に成りました。だからこそ、同級生で、東大へ進学した、お嬢さんのうちで、父が自衛隊だという方の内面に、推察が及んでしまったのです。
言うに言われない差別を、世間から受けている。だからこそ、立派な業績を残して、世間に対して、自分が優秀だと認めさせたい。そういう気概はあったと思いますよ。たまたま、そのお二人に対して、私は親友という立場ではなかったので、何も打ち明けられてはいませんが、そうだったと、推察しています。
ところで、その二人みたいに、私も東大に合格して、意地悪な担任を見返せばよかったのかな? いえ、それはできませんでした。一年のときにショックを受けて、回復するのには、時間が、間に合いませんでした。
父が自衛官だったというお二人には、それほどの、ショックが、一年の時に見舞ったとは考えられず、ただ、曖昧糢糊とした、世間の評判に対する反発だけだったから、気力旺盛で、東大の入試に勝つ事が出来たのでしょう。私の方は、それが、無理だったのです。
自衛隊に対する差別感情を、あおりたてるムードは、朝日新聞やら、共産党が、常に言う、戦争反対のキャンペーン等も大きく寄与していると思います。寄与するとは、プラスの意味で、使われる事が多いのですが、ここではマイナスの意味に使っています。
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山崎直子さんを見ていると、そういう種類のコンプレックスは微塵も感じられず、時代は、55年の間に大きく変わったのだと思われました。つまり、自衛隊への許容度が高くなっていて、しかも、2011年以降は、3.11の救済支援活動によって、さらに高く評価をされるようになっているのでした。
で、東大を受験するためのしんどい受験勉強は、世間を、見返してやろうと言うそういうマイナスの発想からではなくて、彼女生来の、忍耐強さが、支えたのだと、感じています。忍耐強さがあるので、東大へ、合格するほどの大量の勉強をする事が出来たのでした。
そして、彼女のお話の中で、私がもっとも大きな感銘を受けたのは、宇宙飛行士の試験に合格をした後で、さらに、9年間待たないといけなかったという点です。彼女自身も、そこが一番大変なところだったとおっしゃっていますが、すばらしい忍耐力であり、それが、根っこのところにある山羊座の、表象するものとぴったりと同じなので、なるほどと納得をしたのでした。忍耐強さこそ、山羊座の人の大特徴であり、年をとるほど、社会的に、上の方に上って行くというのも、二つ目の特徴です。その前途がどうなるか分からない、もっとも、しんどいころは、すでに結婚をされている時期なので、親などは無関係の世界でもあります。御夫婦で、協力して乗り切ったそうです。
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副題3、『忍耐とか、苦労の一例として、学校の、担任にいじめられる事があるが、これほど、つらいものは無い』
私は「高一のときに、担任教師の大きな裏切りにあって、大ダメージを受けた」と上で、いっています。で、受験勉強を一切しなかったのです。ただ、好きな教科に関しては、深く勉強していました。それが、どうも役に立って、なんとか、国際基督教大学へは、入ることができました。そちらは、地頭を、評価するような種類の、入学試験なのです。記憶の総量は、要らない形の試験です。
そして、そこは、1962年当時は、日本では珍しい場所、すなわち、アメリカとそっくりな世界として、展開していました。入試も全問英語で出るのです。キャンパス内も、恋愛も自由な感じで、外人の学生も教授もいっぱいいます。で、ずいぶんと気が晴れました。そのさらに、36年後、ニューヨークへ渡り、プラットインスティチュートと言う美大の大学院へ入ることができて、一応二科目だけですが、若い学生と一緒に講義をとったり実技をしたりして、ずいぶんと心が癒されました。二科目だけを取ったのは、当時のレートで、一科目がとても高かったからです。2000ドルでした。で、2科目だけで、五十六万円でしたから。円高の2012年の秋だったら、二十八万円で済むところでしたけれど。
ところで、忍耐というものですが、山羊座ではない私にも経験はあるのです。私の場合、忍耐は主に子育ての側面で現れました。子育てと言うのは、大きな忍耐を要します。いろいろなテーマで忍耐を要求されますが、意地悪な担任に当たったときなど、もっとも大きな忍耐を要するものです。
自分自身も、自分の担任に、一回隠微な形で、いじめられたわけですが、自分の子供が、担任にいじめられるほど、つらいものはありません。自分自身の時よりもつらいものがあります。
先生は聖職だという表向きの概念もありますが、一国一城の主でもあり、そこには、監視の目が行き届かないので、ひどい先生も居るのです。私が良くタコ部屋と言いますが、学級全体が、タコ部屋化しているお教室もあるのです。
ところで、お若い方はタコ部屋の定義がお分かりにならないといけないので、ここで、一応説明をさせていただきますと、戦後の高度成長期に土木作業が盛んであって、飯場と言うバラックを建てて、そこに労働者を吸収して食事を出し、寝場所ともしたのですが、そこで、非常に過酷な条件で働かせ、かつ、逃げ出さないように、監視したものを、さします。今は、もう無いでしょう。ただ、福島第一で、働かされている、下請け業者の作業員など、実態は似ているのかもしれません。
ともかく、高度成長期には、一部上場の大会社に勤務するのが、一番人気に高いことであり、それには落ちこぼれたインテリが、先生にデモなるかとか、先生にシカなれないといって、そこから、デモシカ先生と言う言葉が生まれ、一時期流行語にもなったのです。戦前などは、先生は地位が高くて、父兄より圧倒的に上の場所に居て、だからこそ、先生が父兄をいじめるということは無かったでしょう。
また、現在はモンスターペアレントと言う言葉が世の中を席巻しているように、ご父兄様が、実力があって怖いものだという認識が広く学校社会にも広まって、先生と父兄の間には、対等と言うか自然な、力関係ができてるみたいですが、私が子供を育てていたころが、ちょうど過渡期で、すさまじいことを見聞きしました。それはつらい時代でした。
今の時期で言えば、中学校で、自分の子供がいじめられていることを知ってしまったご父兄などの、心痛がそれに似ているでしょう。戦うことができないのです。抗議したりしても事態が好転しないのは、地域に漂う、うわさなどで、事前に、聞き及んでいるので、ただ、ひたすら我慢をすることと成ります。つらい時代です。
私は、子供がとても小さい時期で、他の子にいじめられるなどと言うことはありえない時期に、先生に、父兄の一人として、いじめられました。両方の子供に、二年ずつ、ひどい先生が、担任する時期があって、ひどく苦しみました。「今、あれが、あったら死ぬよ、キッと」と思われるほど、つらかったのです。自分がつらいというよりも、人質になっている子供に何かが有ったら大変だという思いのつらさといったらありません。そして、あるお母さんが、自殺をするほどの、ひどさでした。その事は今は既に秘匿されていますので、詳細を語りませんが、担任教師の性格の悪さや親や子に対するいじめに悩んで、自殺したお母様がいるのですよ。それほど、ひどい教師がいる時代でした。
が、若いから耐えられたと思います。他にも子育て中はいろいろ、忍耐を要する事はあります。それを経験して、やっと、人間として、成長すると思います。だから子供とは、親の方の、人間性を成長させ、高めてくれる存在です。
が、子育てに要する忍耐を経験しても、誰もそれをほめてはくれません。ましてや、報酬も伴いません。だけど、山崎直子さんは、9年間の、未来のわからない(と言うのは、全員が、順番に宇宙にいかれるとも決まっていないらしいので、不安が大きい)待機時間の末に、宇宙へ行くことができて、今講演者として、全国を飛び回っています。輝かしい成功が手に入りました。
良かったですね。
だが、好事魔多しともいって、マスコミがいやなことを報道しました。
それは、ご主人が直子さんの忙しさに文句をつけているという話です。
でも、それは、たいした事では無いと、私は、今回の2013年6月13日の直子さんの話を直接聞いていて思いました。ご主人様も、ほっと気が緩んでしまった、そういう時期にマスコミのまくえさに乗ってしまって、つい不満をおっしゃったのだと思います。でも、その待機中の9年間に、ご主人の示した協力の姿勢、それから、直子さんが山羊座で、大変忍耐強い人であることなどを勘案すると、いわゆる離婚などありえないことだからです。
それは、安心しました。
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副題4、『私は一度、直子さんの私生活に、懸念を表明しているのではないかな?』
しかし、一時期ですが、テレビのインタビューや雑誌のインタビューが殺到していて、非常に忙しく見える時期があり、かつ、ご主人の不満が、マスコミを通じて流されたりしたので、心配し、懸念をして、『直子さんは、やりすぎのところがある。お子さんが危ない。仕事をセーヴするべきだ。お母さんなのだから』と思っていました。
こどもって、小学生のときが一番手がかかりません。それで、親はすっかり安心して、直子さんに限らず、働きに出たりします。ところが、一定の愛情と、声かけなどが必要です。それを愛のストロークと言いますが、それが無いと後で、問題が出てきます。会社に勤めてから、辞めたりします。
今、30代、40代の青年の中に引きこもりが、多いのは、男の子がどれほど、母親の愛情を必要としているかについて、母親が気がついていないせいだと、私は考えています。男の子って、女の子に比べると全体的に、ひ弱なのです。
女の子と言うのは、後に生む人となるわけで、その妊娠とか出産という任務に耐えられるように天が采配をするのか、小さいときから比較的に丈夫です。心身ともに丈夫です。タフです。しかも、母親に対しては欲求が高くありません。父親とスムーズな交流ができていれば精神的に安定します。
山崎直子さんのご家庭では、たまたま、お子さんは二人とも女の子であり、ご主人が育児に協力的なので、問題が起こらないのでした。だが、そんな事は、この2013年の6月にはじめて知ったことなので、私は以前は心配していました。特に直子さんが女として、とても、きれいな人であって、
マスコミがそのスター性に依存して、引っ張りまわしているようにも思えて、それは、家に、残された家族に不安や不満を与えるだろうと思っていたからです。
13日の直後に、このブログの世界で直子さんの、講演のことを書かなかった理由の一つに、過去に、その批判と言うか、心配をブログに書いているのではないかなと言う思いがしたからです。
そんな気はするのですが、どういうタイトルで、それをどこで書いたのかは覚えておりません。私にとって、そのころの直子さんは、一般的な有名人であって、同窓生だとは知ってはいましたが、身近な存在ではありませんでした。で、一般的な有名人として、批判的言動を弄したかもしれないのです。しかし、それは、私にとっては、印象に残ってはいない方の文章なので、どこに、それを書いたか、書かなかったかを覚えておりません。
ただ、もし、ブログの世界で、それを既にアップしているとすれば、直子さんが山羊座の人で、忍耐強く、いろいろなことをバランスよくこなしていくなどと知らなかったからです。
そうすると、今ほめると、過去の、私の文章が間違っていることとなるでしょう。一般の人ならそれは、なんでもないことです。『時期が移動して、考えが変わりました』で済むことです。
だが、このブログは、普段、ひどく狙われています。閉鎖させようと、狙われています。それは、種々さまざまな方向からくる攻撃でわかります。ちょっとした変化をきっかけにして、パソコンが壊れるのもその一つです。
天城旅行をきっかけにして、英語のセキュリティプログラムが、3つほど、勝手に入って来て、いつも、大きな警告頁が開いて、文章を書くのを邪魔したり、ケーブルテレビから、NTTの光フレッツへと、進入路を変えただけで、無線ラン機能が効かなくなったり、ありと、あらゆる、いじめを受けています。それを、直す事は出来ますが、ほぼ、半日は時間を取られます。時には、別のパソコンを使って、しのいでいて、直すのに、三日がかりでやっと治ったというケースもあります。
その上、ニュースを使って、事実そのものをゆがめてくるケースもいっぱいあります。
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副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』
この章ですが、全体が、とても長くなるので、渡辺美樹さんの部分だけを、下にスクロールすると出てくる場所に移動をしました。ので、途中から文章が始まります。
と言うわけで、このブログを書くのも命がけです。書いた時点では、正しかったこともその後、ニュースや現実の方が修正されてくるからです。
で、『山崎直子さんの講演は、書かないで、置く。4月と、6月の二回も行われ、両方ともお誘いを受けたという事は、絶対に聞かせたいと言う事であり、その裏側は、いろいろと、推察できるが、今回は、方っか無理をしておこう』と、考えました。
ただ、一時間の講演中、何度も繰り返された、直子さんが、東大宇宙工学科で、学んだという事は、実は、簡単に見過ごせる事ではありません。私の、アジサイ畑欺もう事件に関連してくるからです。『参ったなあ。どうするか』と、相当に考え、その結果『ほうっておこう。彼女の講演には触れないで置こう。それでいい、ほめなければ、前に批判したとしても、私の文章が間違っていることにはならないから』・・・・・と思っていました。
ところが、後で知った、日経新聞の記事のことです。14日と言う実に見事なタイミングで、しかも、直子さんが鎌倉では話さなかった、秘話が語られています。『参ったなあ。想像が、悪い方へ、あたっているかしら?』と思い始めます。
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副題6、『<お前はだめなやつだ。引っ込んでろ>と、敵様が言いたいがために登場する知遇ある有名人たち』
鎌倉婦人子供会館で、講演をした有名人のうち、戸田奈津子(映画の字幕製作者)さんのケースは、相当に考えさせられるところがありました。こちらも高校の先輩で、私は鎌倉の若宮荘(国家公務員が利用できる保養施設)内での講演会とか、神田の学士会館内での講演会とか、この鎌倉の婦人子供会館での講演会とかで、合計三回は聞いています。若宮荘での講演会などでは、私は敵の存在にはまだ気がついていない時期であって、活発な質疑応答をして、存在を認めていただいているはずなのです。
2012年度の講演会では、3.11を踏まえて、『国家が、あまり、規制や援助をしなくてもよい。国民は自力で、必ず、復興できるはずだ。日本の第二次大戦の敗戦直後の東京を考えてみたらよい』と言うご意見であって、それは、賛成するに至極ですから、ブログで書きたいと、思いながら、やらなかったのです。
これは、読者の方には、ちんぷんかんぷんでしょうが、その前の、2010年1月17日に同じく、同窓生の榊原節子さんを使って、すさまじい辱めを私が受けたことがあって、その日以来、同じパターンの亜種だと思っています。で、そちらの方へ話を持って行きます。
榊原節子さんは、高校が同窓ですが、大学も同窓です。そして、皇后美智子陛下の従姉妹(いとこ)さんです。で、その日は大学の同窓会として、開かれたのですが、詳細を今は語りたくありません。
高校の卒業生(ここでは、私と榊原さんを指す)は、古風なマナーを守っています。優秀な卒業生を輩出していますが、一方で、幼稚園とか小学校から入学してきたお嬢様方は、銀のさじを加えて生まれた方たちで、専業主婦として暮らしていますから、すべてが温和です。
だが、国際基督教大学の方は、アメリカ的発想の大学なので、勝ち組優先主義、または、成果主義、または、進歩的な手法を最優先と言うか何かで、大変どぎつい形で、物事が進行します。私と、榊原節子さんは、高校も大学も重なっているわけですが、その日は、大学の催しだったので、そのどぎつさが、現れました。
私は文章を書くときは、やや、はっきりと書きますが、行動においてはおとなしいほうなので、はめられたら、はめられっぱなしです。罠の存在はわかっていても、そこで、それを、分析したり、言あげすることはありません。ただ、その日、影の主役として、私へのいじめの原案を作った人間には、申し上げておきたい。
「あなたが、私の新刊本(黄色いさくらんぼ)を汚してやろうと意図して、お皿ごと、私の大型の紙袋に、入れ込んだ、モズクの酢の物は、本を汚すことはありませんでしたよ」と。「それは、袋が二重になっていたので、本外の袋に入っていて、中の袋(つやつやしたプラスチックで覆われた印刷形式の紙を使ってあり、その中に、自分の新刊本を入れていたが)を、を汚すことはありませんでした」と。
そのときに、「私は私なりに、天に見守られていることを感じました」とも。「私は私なりに、人生に成功をしていますよ。それは、精神的に、とても大きな部分で、私を支えてくれる夫が居ることや、そのほかの部分で」とも言って置きましょう。「榊原節子さんは、既に、未亡人ですね」とも。
ただ、モズクの酢の物を入れて、本を汚してやろうとしたのが、無論、榊原節子さんでは無い事は信じています。彼女は御茶ノ水女子大付属高校の名誉にかけて、そんなことをする人間ではありません。
さあて、ただ、私が婦人子供会館での、講演会について、去年の戸田奈津子さんのそれと同じく何も文章を書くつもりが無かったのに、それを書くにいたったのは、ひとえに、日経新聞の14日に山崎直子さんのインタビュー記事が出たからでした。
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さて、これから先は、文章のカラーがまるで異なってきます。上の章もいささか、山崎直子さんの業績にはふさわしくない文章ですが、これからは、政治問題に入りますので、本当に、ふさわしくありません。山崎直子さんは、表の世界の人ですが、これから語る事は、裏も裏の世界の話です。
後日、二つか、三つに分割するはずです。ただ、常に、妨害を受けながら文章を書いている私としては、この****罫線以下の部分を、非公開の下書きとして書いて保存をしておくことができないのです。
なら、それを明日書けばいいのではないかと言われそうですが、私の文章、特に初稿は、その日、そのときに天からおろしていただくものだから、今、書かないと消えてしまいます。そして、私にとっては大切なことなので、今それを、記録しておきたいのです。
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副題7、『「東大宇宙工学研究所の所長は、中谷さんの息子さんですよ」と、大原光孝さんが、私に言う・・・・・その前半』
山崎直子さんの講演会で、経歴が披露されました。何度も繰り返されたのが「東大で、宇宙工学を専攻した」という点です。『うむ、うむ、こんなところで、例のアジサイ畑欺もう事件と結びついてしまうのか』と、感慨が深かったですよ。・・・・・『なるほどねえ。「天網恢々粗にしてもらさず」とは、こういう現象をさすのだなあ』・・・・・とも思います。
私が1985年、私の土地を、ほぼ、10坪分以上、理不尽にもコンクリートうちをされてしまい、その後、28年間そこは使えず、実質的に盗まれてしまったのですが、それを実際に執り行ったのは中谷共二さんです。しかも驚いたことにそのときに、一切許可していない、私の持ち山まで崩されてしまい、びっくりしてその夜に全戸を訪ねて,「あなたはそれを許可していますか」と質問をしたら、中谷さんと、それを要望したらしい藤本(悌子)さんと、アジサイ畑をつぶすことの原案を提案したAさんと言う前々会長以外は、誰も知りませんでした。
前々会長のAさんは、その後、一家中で、そろって、謝罪の意志を示してくださっているので、実名を挙げません。だが、謝罪の意志を示さない人、特にいまだに、ひどい肉体的な攻撃(=音に出す口撃)を加えてくる前田祝一、清子夫妻がいて、その人と重要な関連を持つ人は、引き続いて、実名を曝します。
と、言うわけで、山が崩されたその夜には、誰も知らない事だったわけですから、これは、町内会の決め事でもなんでもなくて、たんに、中谷さん個人がやったことと成ります。ひどい事をおやりになったわけです。一種の盗みです。
どうしてそういうことになったかと言うと裏に瀬島隆三が隠れていたからでしょう。恐ろしい悪魔の通達に中谷さんは乗ったのです。だが、瀬島隆三は、実質的に、現代日本の影の支配者ですから、中谷さんは逆らえなかったと思います。だけど、奥様は、懸念をして、「あなた、その工事は、おやめなさい」と何度もおっしゃいましたよ。「川崎さんのおっしゃっていることは正しいです」と、私の目の前で。
私が、そのときに何をいったかと言うと、この件は、「前田清子夫人に、藤本夫人に頭を下げさせれば、解決します。別に我が家の土地や、山を犠牲にすることはありません。彼女が菓子折りでも持っていって、誠実に、<今まで、うるさくして申し訳ございませんでした。これからは静かにいたしますから、道の真ん中にフェンスを作るなどと言う事はやめてください>といえばいいのです」と。
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副題8、『前田祝一、清子夫妻の家は、土地を違法に使っているが、もしかすると、道路位置指定と言う形で、その罪を、すでに、免除をされているかな?』
ここで、もう一回アジサイ畑欺もう事件の概要を振り返ります。前田祝一、清子夫人は、中古の家を買ってここへ転入して来ました。だが、その前の持ち主は、私道部分を拠出せず、一種の違反をしていました。
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ここで、挿入ですが、この2013年6月28日の前田夫妻の二回目の、口撃(=恫喝)に依れば、その罪は自分の方では、一切、考慮に入れていないみたいです。それは、もしかすると新しい条例を作ってもらって、救ってもらっているからかも知れません。
以前からそれも想定していましたが、彼らの方には、エージェントが見方をして、法律そのものを変えていき、一種の証拠隠滅を図ってやっている可能性があるのです。
鎌倉市では、道路位置指定と言うのが決まったそうですが、もしかすると、前田家を救済するためだったりして? 私道負担部分を出さなくても、現状のまま、道路位置指定をしますから、もう大丈夫という形での救済措置です。まあ、それは2013年6月末の話ですから、この節では、もっと前、28年前に話を戻します。
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私は、ここに引っ越してくる前から、この地域で売り物件が頻発しているのは、北久里浜の家にチラシが何度も入るので、理解してました。実際に引っ越してくる数年前に、ある売り物件を訪問したところ、そこのご主人(大学教授が「家内がノイローゼになりましてね」と引越しをしたい理由をおっしゃったのを聞いているのです。その後、別の家を買って、引っ越して来てから、すぐ、普通の人がノイローゼになってしまう原因が、安野夫人が主催して、前田夫人が我が物顔でくだらない事を、大声でしゃべりまくるその井戸端会議に問題があることは理解しました。
で、中谷さんは、会長として、それが、「非常識だから、やめなさい」と言えばいいのです。非常に簡単な事でした。だが、その実質的な主催者であり、支配者である、安野夫人が、どうしてか、おっかないのですよね。
年上の男性が、年下の女性を怖がるというのも変な話ですが、本当にみんな魔法にかけられたように、安野夫人の支配下に、屈するのです。
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副題9、『被害を受けているからこそ、前田夫妻と安野夫妻の、若い頃が想像できてしまうのだった』
普通の町では、中学生の親が毎日午後定期的に、30分から一時間をかけて井戸端会議をするなんていうことはありえないのです。幼稚園バスの送迎場所で、待っている間に井戸端会議が始まって、それが、発展をする事はよくあります。だが、それでも、ご近所の、はた迷惑にはならないように気を使うのが普通です。
だが、その中で、意図的に、自分たちの力上の優越性を、誇示しているのが、特に前田夫人の大声なのです。それで、私がわかってしまった事は、安野夫人が、三人もお子さんがあるのに実母ではないことと、前田夫人は前の住居地で、他の主婦からいじめられたのだろうということです。
だから、前田夫人は、ここ鎌倉では過剰適応をしていて、安野夫人にべったりと寄り添っている。だけど、本当のところで、話があうわけも無いので、『普通の、主婦の会話なんて、この程度のものだろう』という見くびった会話を繰り返すから、その内容の汚さに、うんざりする・・・・・
そういうことです。前田夫人が前の場所で、うまく行かなかったのは、ご主人が文科系の教授職を拝命する前までは、収入が低かったはずで、したがって、奥さんも、塾の講師か、学校の先生などをしていたはずで、そのため、周りの主婦たちとは、少し違った人とみなされていたわけでしょう。が、一方で勝気な人なので、それもあって、周辺と、本当に仲良くなる事は出来ず、実際には、相当に、嫌われていたと思います。いわゆる浮いた存在だったでしょう。だからこそ、ここではうまく適応しようとして、実質的な女王様である安野夫人に、べったりと、くっついて、その支配下に屈しながら、一方で、安野夫人におだてられて、利用をされていたとも思われます。
と言うのも以前、スターを作り出す仕組みがあって、そのスターも時々刻々移動をしていくのだと、私が言っています。
最初期のスターは鎌倉春秋窯を主催する、故石川和子さんでした。彼女はタウン誌『鎌倉春秋』を発刊していて鎌倉中に顔が広い、伊藤玄二郎の愛人だったと、自分から豪語する女性ですから、そのルートで悪評を流されたらアウトだとみんなが思うので、怖い人でもあって、道を譲ります。安野夫人は、そちらも上手に操りながら、火、水、金は、公民館で、お教室を開いていて、この山にいないし、木曜日も土曜日も午後は、自宅で、お教室があって、井戸端会議に加われないので、前田清子さんの方をも、並行して、ちやほやして、自分がこの山で、一番偉い、人間として君臨するための道具として、仕立てて行ったと考えられます。
どうしてかと言うと、前田夫人は、都立大学の大学院を出ていて、国学院大学の講師をしています。で、28年前は、この山で、最も立派な肩書きを持つ人間だったからです。
しかし、そういうエリートとしての気品とか、優雅さがない人なのです。だから、上にあげた、『どうせ、主婦なんて、こんなものでしょう』と言う見下しの気分が、常にあるのではないかと、想像するわけです。
しかも態度に優美さが無いだけではなくて、時々、目を吊り上げてにらむのです。きっと藤本夫人に対しても同じ事を、彼女は、私が引っ越してくる前からやっていて、藤本夫人から深く憎まれたと思いますよ。
その結果、藤本夫人は、道路の真ん中に自分の家のフェンスを作るという提案を出して来たのです。それは、自分より上流にいて、そこを通らないと生活ができない前田家をターゲットにした復讐でしょう。ただ、藤本夫人は、その決定的な提案の前に、種々さまざまな試みもやっていたが、それもみんな裏目に出たので、熟考の上で、前田家の弱みをついて、私道負担分を出していない人も居るのだけれど・・・・・と、その本音は、まず隠しておいて、・・・・・
「雪の日に滑って骨折をする人が出たとして、私が訴訟の対象になったら困るので、私道の外側に、手すり代わりのフェンスを造ります」と宣言したのです。
当時はわが家と、藤本家の間は、道路幅が、一メートルしか無かったのです。その中にフェンスを作られたら、人は通ることができても、改築とか新築の工事はできません。それで、困りきった前々会長のAさんが、川崎さんに、私道部分を提供してもらい、そこをコンクリート打ちをして、そこに手すりを作れば、藤本夫人がフェンスを作る理由がなくなるから、一石二鳥だということになったのです。私はAさんから直接それを頼まれて、「いいですよ」と、返事をしたのでした。
だが、中谷さんが、その後、藤本夫人はノイローゼで何とかかんとかと、散々な悪口を私に言うので、『これは変だなあ。中谷さんは、後ろめたいところがあるに違いない』と覚悟をしていたら、案の定、我が家の山を無許可で崩したのです。それは、ご自分がさんざんの悪口を言っている、当の藤本夫人の、言うなりになるということでした。彼女はこの山のどこにもない、幅4mの道路を目の前に設定をしたいと願って、そういう主張を持ち出したのでした。彼女もまた、調子に乗って、欲張りすぎたのですが、その前の数年間の苦しみがそうさせたと、感じています。
この山って、正義も論理も通じないところです。ところが私は徹底的な理論派です。この山に引っ越してくるまえに、北久里浜で、瀬島隆三の親友だという元海軍参謀益山某氏の地籍変更届を利用した土地、1200坪(元は横須賀市の水道山)をただ取りした事件を、自分が境界地主として巻き込まれらたので、戦って法的に勝って、ここへ引っ越して来ています。有名な弁護士さんが、舌を巻くほど頭がいいのです。
そんなに、法律通の私から見ると、まったく肯定できない中谷氏の措置でした。これは、公的なところが微塵も無い、私的な、犯罪に等しい行為です。何度も言っている様に、訴訟をする権利は、私の方にあるのですよ。だが、黙って我慢をしてあげていることをいいことにして、苛め抜いて引越しをさせようとか、ノイローゼにさせようとしているのは、前田・安野連合軍側ですが、彼ら、彼女らの現在やっている事は、29年前に、藤本夫人に対して取られた策とまったく同じなのです。なんと悪辣な女性たちと、その夫だろう。
でもね、驚いたことに、今度は、中谷氏が謝罪をしないのです。一応態度としては、平身低頭しています。だけど、実質的には、失礼をしました。あなたが、私の措置にお怒りになったので、これ以降は、お宅の土地は利用しません。あなたがおっしゃる通り、前田夫人を、藤本夫人へ謝罪をさせます。そして、最悪の場合は、前田家が違法に使っている私道部分を拠出させます」とは言わないのです。
でも、説得をするために、肉を切らせて、骨を絶つというつもりなのでしょうか? マイプライバシーはずいぶんと明かされたのですよ。別に弱みは無くて、いいことばかりです。その中にご「長男は、東大を出ていて、今、助教授をしています」と言う項目がありました。私は、「あ、そうですか」と答えておきました。
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副題10、『大原光孝さんの、自分が、威張るための、昔、放たれた捨て台詞が、今、私を助けている』
その何年か後のことです。大原光孝さんが電話の中で、「川崎さん、知っていますか。中谷さんのご長男は、今東大の宇宙工学研究所の所長ですよ」と言うのです。私は激怒しました。だが、激怒したときは、かにも説明をしません。彼をたしなめることさえやりません。
彼の言いたい事はこういうことです。あんた、ずいぶん偉そうに法律的なことを言うではないですか? だけどあんた、東大を出ていますか? 坊ちゃんも出ている? そしてご主人は? だけど、中谷さんの坊ちゃんは、単に東大を出ています。そのうえ、単に、卒業しただけではなくて、今は教授であって、しかも、さらに偉い役職についているのです。だから、あんた黙っていなさいよ』と言うことでしょう。なるほど、だけど、土地の泥棒に、役職は関係ありません。ましてや子供さんは関係が無い。そうでしょう。違いますか?
だけど、私は、今、法的にも賠償をされていないし、金銭的にも賠償をされていません。そして、自分からは訴訟など起こしません。ただ、あったことを文章に書いているだけです。
すると大原光孝さんは、見事なキーワードを提供してくれたことになります。私は、昔、東大に務めていたことがあるので、どのくらいの年齢になると、どういう役職がつくかは知っています。だから、私より少し若い、あちらのご長男が、そういう役職におつきになったのは推察ができますが、専門分野は知りませんでした。
デモ、大原さんの・・・・・虎の威を借りて、自分が威張りたい・・・・・という、子供っぽい欲望によって、中谷家のご長男が東大の宇宙工学研究所の所長であることを知りました。
そんな事は紙にメモしないでも忘れることは無い私です。したがって、山崎直子さんが東大の宇宙工学を専攻したと聞いたとたんに、
アジサイ畑欺もう事件について、さらに進んだ段階でモノを語ることができるようになったと、悟りました。というわけで、ここにその最終場面に行きついたのでした。以前は、安野夫人と前田夫人のところまでしか、書いていませんね。だけど、とうとう中谷家に行きついたのです。それは、不思議な逆転現象です。大原光孝さんが、酒井忠康氏に、援助してもらって、お嬢さんを、お嫁入りの道具としては素晴らしい勤務先である、神奈川県立(当時はそうだったでしょう。今は独立法人化しているかな?)近代美術館に奉職をさせてもらっていて、(それって税金の私物化でもあるが?!?!?)・・・・・
また、双系美術学校の先輩である柄沢斉氏が、日経新聞の大支援により、大版画家として、世間に露出しまくっていて、まるで、六波羅時代の平家もかくやと言うほど、『自分は上だ。川崎千恵子なんて、何様だ』と、おごり高ぶり、何度も、捨て台詞を放ったのですが、その最後のものが、こうして今、私を助けてくれています。
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副題11、『ワインが割れた石段を鎌倉市のお金で、修復する。これも、・・・・・政治とは、私的な事を、いかにも公と見せる仕組みだ・・・・・と言う事の典型だ』
私は、大原光孝さんの事を最近では、ちゃら男さんと呼んでいます。他人に対しては、常に、対等か、ちょっと尊敬して扱うべきだと言っているにしては、失礼極まりない表現ですが、それなりに、意味があります。そうでも言わないと、やっていられませんねと、言うほどの事があります。
二日目の、冒頭に、添えた言葉の様に、大原さんとしては勝ったつもりの表現「中谷さんの息子さんは、東大宇宙工学研究所の所長ですよ」と言う言葉が、敵としては、勝つつもりで使った、二度にも及ぶ、山崎直子さんの鎌倉婦人子供会館での、後援会をけがしたばかりでなく、大好きっであるらしい、中谷さんにもご迷惑が及んでいませんか?
そこが、「軽い。軽すぎる、態度の人間だから。だからちゃら男さんなのですよ」と、言う所以ですが、この捨て台詞が、最初のものではないですよね。大原さんに向かって言いたいのですが、あなたは、ご自分が勝っているつもりであって、買った方だから、捨て台詞と発した途端に、快感を覚えるわけでしょう。で、快感と言うのは忘却の彼方に飛び散りやすいものですから、あなたはご自分が、どんな捨て台詞を発したかをお忘れでしょうね。
だけど、被害者としての私から見ると、5つぐらいあるのです。そのもっとも大きなものが、「川崎さん、ワインが割れておしかったねー」と言いながら、後ろから、追い抜いて行った日のものですが、その後、石段が修復をされましたね、半分が鎌倉市のお金で。それって、私の文章に対する証拠・隠滅の一つです。
大原さんの失敗を、鎌倉市の税金を使って、糊塗・隠ぺいをするという事です。
まあ、あなただけではないです。前田夫妻に対しても国庫金で、失敗を糊塗してあげているみたいだし、もし、安野家のご二男が、海上保安学校へ入ったときに、もし、内申書の改ざんとか、試験問題の漏えい等があったら、ご二男の生涯賃金は、安野夫人の失敗を糊塗する目的で出されていますね。
そして、その石段の工事は、半分は、町内会のお金ですが、町内会には、横浜銀行の通帳があるのにもかかわらず、おおげさにフレイムアップをして、湘南信金を使いました。湘南信金のカードを日常支出に使っていた私は青山のセブンイレブンで、それが、引き出せないとなって青くなった事があります。で、スパコンに、何らかのバグが入れ込められているなと考えて、常に4000円を下すことにしていたのを、7000円に変更したら、引き出し可能となりました。
つまり、鎌倉市の税金を使って、大原さんが、失敗した捨て台詞を、回復してあげたというわけです。湘南信金が表に出てこなかったら、ここまでの事は言えませんが、湘南信金で、支払いをしたという事実があり、それをわざわざ回覧板でお知らせがあったので、この様に考えます。・・・・・普通、どういうルートで支払ったなどと、回覧板でお知らせをしますか? しないでしょう。(笑)
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副題12、『前田祝一氏の、新規、転入者を、たらしこむ、その手口がわかったぞ』
推敲後の冒頭に、不思議な天の采配で、勝とうと思っている人たちは負けましたよと、言っていますが、その一つとして、前田氏が、自分の土地使用方法が違法であり、そこからすべてが始まっているという事を、全く、反省しないし、顧慮もしていないと、言う事がわかりました。それが、道路位置指定と言う仕組みによって、そういう風に、威張る事が出来るのなら、まるで、自分が正当であり、川崎千恵子が間違っていると、思い込む事が出来るでしょう。
恐ろしいです。法律を、自分の悪の隠蔽のために変更して行く。そういう事だったわけでした。どうして、そういう事が可能かと言うと、安野夫人を鉄砲玉として瀬島隆三が使ったから、実際は安野夫人の強欲さが、原因で、私の土地が盗まれてしまったわけですが、私がどんどん、ミステリーを解いていって、瀬島隆三本人の罪になると非常にまずいと、エージェントたちが思っているので、法律の改ざんもできる模様です。
驚いた。驚いた。なお、この件、特に、副題11と、12は、将来、もっと丁寧に書きなおさないといけませんね。
そして、これを書いたから、前田夫人の捨て台詞を、ここで、公開することが可能になりました。彼女は、私の方を見ながら、「この人は、物がわからない人だから、(ご主人に向かって)あなた、何を言っても無駄ですよ」と言ったのです。
私が物がわからないですって。それは、当り前ですよ。加害者側のずるいずるい、論理をどうして受け入れないといけないのですか? 受け入れられません。それを、わからないというのなら言っておきなさい。
上水道工事を始め、めちゃくちゃに、県の費用、市の費用、国家の費用を使って、自分たちの悪事を糊塗してもらって、証拠を隠滅してもらって、そのうえで、こっちの言う事を聞きなさいですって。
こんな悪辣な人間はいませんよ。悪魔です。安野夫人だけではなくて、前田夫人も悪魔でした。こんな人を御支援なさって、国学院大学の講師にしたのですから、八幡宮さまの、おお公孫樹が、倒壊するのも道理です。当り前でしょう。
で、今回、前田夫人のすさまじい捨て台詞を聞いて、すべてを思い出したわけです。前田氏は、自分に仲間が多い。この町内会の人間は、すべて自分の味方だと思っているみたいですが、それぞれの人間はそれぞれに動くわけですね。それぞれ、買ってん捨て台詞を発します。今回は、大原光孝さんを主役にして、彼が放った捨て台詞を中心に、連想を働かせました。で、結果として、あなたを救ってくれた中谷さんに、大迷惑をかけているでしょう。自分を救いたいのはわかりますが、自分を救うために処々方々に、迷惑をかけているのが、あなたがた夫婦ですよ。そして、その同盟者たる安野夫妻でしょう。
これが、天に采配のしからしむるところなのです。
そして、大原光孝さん。あなたがなさっている事を書こうとすると、中目黒の大原さんと言う製紙会社の元重役だった人が、真昼間殺されました。たぶん、それで、私がビビって、何かを書かないでいるだろうとみなされて、その大原さんと言う中目黒の住人が殺されました。・・・・・・
と、テレビや新聞が言いました。犯人は、防犯カメラに姿が、写っていて、それで、逮捕をされました。と事が裁判が行われた気配がありません。これも変ですねえ。大原さん、もし、中目黒の大原さんが、死亡していないのなら、それは、喜ばしいです。だが、あなたが原因で、日本国民全体がだまされたのですよ。もし、中目黒の大原さんが、本当に死んでいたら・・・・・何をかいわんやです。
どうぞ、皆様。なんでもご勝手になさいませ。捨て台詞を放とうが、新しい策略を案出しようが・・・・・ただ、こちらにも記録をする自由はあるわけです。お互いに平等でしょう。違いますか?
尚、このブログの2010年から数え始めた、伸べ訪問回数は、1695393です。