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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

山崎直子、宇宙工学、中谷家、道路位置指定とは何だ?・・・(捨て台詞の研究ー2)

2013-07-07 23:38:53 | 政治
 ところで、二日目に入り、十分に余裕を持って全体を眺めれば、ここで、言いたかった事が明瞭に見えてきます。それは、「墓穴を掘りましたね。勝とうと思ってかえって、損失を被っていませんか?」と言う事です。
 誰に向かって言うかと言うと、例の連中です。計画を練り続けている連中にです。

 なお、これは、
 6月19日発のブログと、23日発のブログに に続くものです。
 
副題1、『山崎直子さんの父は、自衛官であるとのこと』
副題2、『現代日本にもカーストはあり、その移動や、流行もある』
副題3、『忍耐とか、苦労の一例として、学校の、担任にいじめられる事があるが、これほど、つらいものは無い』
副題4、『私は一度、直子さんの私生活に、懸念を表明しているのではないかな?』
副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』
副題6、『<お前はだめなやつだ。引っ込んでろ>と、敵様が言いたいがために登場する知遇ある有名人たち』

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副題7、『<東大宇宙工学研究所の所長は、中谷さんの息子さんですよ>と、大原光孝さんが、私に言う』
副題8、『前田祝一、清子夫妻の家は、土地を違法に使っているが、もしかすると、道路位置指定と言う形で、その罪を、すでに、免除をされているかな?』
副題9、『被害を受けているからこそ、前田夫妻と安野夫妻の、若い頃が想像できてしまうのだった』
副題10、『大原光孝さんの、自分が、威張るための、昔、放たれた捨て台詞が、今、私を助けている』

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副題1、『山崎直子さんの父は、自衛官であるとのこと』

 女性の宇宙飛行士と言うと向井千秋さんと言う先輩が居ます。そちらは、お医者さんでした。髪はショートで、いかにも科学者風で、おけしょうっ気もないという感じです。

 だが、ロングヘアーで、やせすぎでもなく、太りすぎでもない、山崎直子さんは、ほとんど、タレントといっても良いぐらいで、きれいです。今、一応二人の年齢を比較してみて、なんと、向井さんが、私と、10歳しか違わないことを知り驚いたとともに、
 山崎直子さんが、私の長子より後の生まれであることも知って、それにも驚きました。

 私が、母となったのは、29歳のときなので、直子さんの両親はきっと私と同世代です。となると、「親が自衛隊勤務だったので」、と紹介をされていたので、お父さんは防衛大学校の卒業でしょう。
 私が、昭和33年に、お茶大の付属高校に進学したときに、父が自衛隊勤務ですと、言うお嬢さんが二人居て、二人とも、東大へ進学しました。無論、頭がいいということも確かですが、当時、どことは無い自衛隊に対する、白眼視もあって、そういう社会の風潮に抗議するという気概が、お嬢さんの方にもあったと、推察されました。

 私は中学校時代までは、東大に受験するだろうと思われるタイプでした。実は入試の成績としては、私より悪かった生徒たちが、10人も東大へ合格をしましたので、順調に行けば、そういう東大へ進学するタイプの人間だったと思います。ところが、高一の時に、担任の先生に、AFS(アメリカ留学試験)に関連して裏切られてしまいました。受験用の書類をいただけないという形で、受験ができなかったのです。しかも、それは、こっそりと行われたので、試験が終わったことさえ知らないで居て、恥をかきました。

 数年後のクラスでは、同じ先生が、受験をさせたくない生徒には、「あなたは向いていない」とおっしゃったそうですが、私は、何も言われないで、何も知らされないで、試験前の段階で、はねられたのでした。その理由がわからず、悩みに悩んで、危うく登校拒否になりかねないところでしたが、ともかく、それ以来、好きな教科しか勉強しない子になってしまったのです。
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副題2、『現代日本にもカーストはあり、その移動や、流行もある』

 今では、こういう事だったのではないかと思っています。理由のひとつは、お茶の水女子大付属高校の場合には、その試験に対して、あまりにも志願者が多いので、先生としては、家柄の良いお子さんを優先する気配があったのでしょう。一校で、2人までは、合格で、実際にアメリカへ行かれるのは、一人でしたが、受験希望者は、10人を超えていました。55年以上前の1950年代のアメリカは、輝かしい魅力に満ちているように見えたのです。

 先生が、親の家柄に考慮して、家柄の低い子が、家柄の良い子を上回ってはいけないとお考えだったというのは、とても、失礼な言い方ですが、そうだったと思っています。他にも理由はあったでしょうが、他の学年を担当した時にも、ことAFSの試験に関しては、先生の意思で受験させる子と、させない子を差別なさっていたと、聞きました。受験できなかったお嬢さんがその後優秀な進路へお進みになったとも聞いていますし。
 ただ、その担任の実名は曝しません。頭文字が、アルファベットの、Hで始まる東大卒の男性だったとだけ書いておきましょう。

 こういう事はあまり表に出てきません。私たち生徒だった人間の方は、60歳を超えると、世間を引退した年齢に達しますし、先生も亡くなっているので、やっと外に、出てくる話です。皆さんは、お子さんを、私学に中一の時に受験をさせる事をいいことだと思っていらっしゃって、中高一貫教育の良さを感じとられているとは、思いますが、このように密室性のある、場所で、行われる恐ろしい事もあるのです。
 少人数だけで構成されているソサイエティのタコ部屋化、又は今の言葉でいうブラック社会化は、労働の現場だけではなくて、地域社会にも起こりやすく、学校社会にも起こりやすい現象です。

 この時に、父が、中央官庁を辞めざるを得なかった理由を思い出し、身を切られるようにつらかったです。私が小学校一年のときに、父の上司が収賄事件を、起こして、係長だった父は、一種の連座で、職を失いました。父は戦前は、満鉄で、オイルシェール(頁油岩)の研究をしていて、そのときもエリートとして厚遇をされていましたが、戦後は、統制経済の中、重油を配る役所に居たので、それもちやほやされる立場であって、ずっとエリート街道を歩んできたので、順調に行けば、娘の私が、AFS試験に、受験申込書をもらえないという形で、事前にはねられるという屈辱を味わうはずは無かったのです。オペラ・トスカの世界ではないが、運命をのろいましたね。(笑)

 私が高一のときは、父は小さな会社で、商売をしているので、大企業のサラリーマン家庭のお嬢さん、特に重役のお嬢さんなどに比較をすると社会階層的に下に見られたのです。ジェトロの、理事長のお嬢さんなども居ましたし。

 もし、『私の方が合格して、そういうお嬢さんの方が、落ちたら、いやだな』と先生はお考えになったのでしょう。で、私はその瞬間から、カーストの問題にひどく、敏感に成りました。だからこそ、同級生で、東大へ進学した、お嬢さんのうちで、父が自衛隊だという方の内面に、推察が及んでしまったのです。

 言うに言われない差別を、世間から受けている。だからこそ、立派な業績を残して、世間に対して、自分が優秀だと認めさせたい。そういう気概はあったと思いますよ。たまたま、そのお二人に対して、私は親友という立場ではなかったので、何も打ち明けられてはいませんが、そうだったと、推察しています。

 ところで、その二人みたいに、私も東大に合格して、意地悪な担任を見返せばよかったのかな? いえ、それはできませんでした。一年のときにショックを受けて、回復するのには、時間が、間に合いませんでした。
 父が自衛官だったというお二人には、それほどの、ショックが、一年の時に見舞ったとは考えられず、ただ、曖昧糢糊とした、世間の評判に対する反発だけだったから、気力旺盛で、東大の入試に勝つ事が出来たのでしょう。私の方は、それが、無理だったのです。
 自衛隊に対する差別感情を、あおりたてるムードは、朝日新聞やら、共産党が、常に言う、戦争反対のキャンペーン等も大きく寄与していると思います。寄与するとは、プラスの意味で、使われる事が多いのですが、ここではマイナスの意味に使っています。

 山崎直子さんを見ていると、そういう種類のコンプレックスは微塵も感じられず、時代は、55年の間に大きく変わったのだと思われました。つまり、自衛隊への許容度が高くなっていて、しかも、2011年以降は、3.11の救済支援活動によって、さらに高く評価をされるようになっているのでした。

 で、東大を受験するためのしんどい受験勉強は、世間を、見返してやろうと言うそういうマイナスの発想からではなくて、彼女生来の、忍耐強さが、支えたのだと、感じています。忍耐強さがあるので、東大へ、合格するほどの大量の勉強をする事が出来たのでした。

 そして、彼女のお話の中で、私がもっとも大きな感銘を受けたのは、宇宙飛行士の試験に合格をした後で、さらに、9年間待たないといけなかったという点です。彼女自身も、そこが一番大変なところだったとおっしゃっていますが、すばらしい忍耐力であり、それが、根っこのところにある山羊座の、表象するものとぴったりと同じなので、なるほどと納得をしたのでした。忍耐強さこそ、山羊座の人の大特徴であり、年をとるほど、社会的に、上の方に上って行くというのも、二つ目の特徴です。その前途がどうなるか分からない、もっとも、しんどいころは、すでに結婚をされている時期なので、親などは無関係の世界でもあります。御夫婦で、協力して乗り切ったそうです。
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副題3、『忍耐とか、苦労の一例として、学校の、担任にいじめられる事があるが、これほど、つらいものは無い』

 私は「高一のときに、担任教師の大きな裏切りにあって、大ダメージを受けた」と上で、いっています。で、受験勉強を一切しなかったのです。ただ、好きな教科に関しては、深く勉強していました。それが、どうも役に立って、なんとか、国際基督教大学へは、入ることができました。そちらは、地頭を、評価するような種類の、入学試験なのです。記憶の総量は、要らない形の試験です。
 そして、そこは、1962年当時は、日本では珍しい場所、すなわち、アメリカとそっくりな世界として、展開していました。入試も全問英語で出るのです。キャンパス内も、恋愛も自由な感じで、外人の学生も教授もいっぱいいます。で、ずいぶんと気が晴れました。そのさらに、36年後、ニューヨークへ渡り、プラットインスティチュートと言う美大の大学院へ入ることができて、一応二科目だけですが、若い学生と一緒に講義をとったり実技をしたりして、ずいぶんと心が癒されました。二科目だけを取ったのは、当時のレートで、一科目がとても高かったからです。2000ドルでした。で、2科目だけで、五十六万円でしたから。円高の2012年の秋だったら、二十八万円で済むところでしたけれど。

 ところで、忍耐というものですが、山羊座ではない私にも経験はあるのです。私の場合、忍耐は主に子育ての側面で現れました。子育てと言うのは、大きな忍耐を要します。いろいろなテーマで忍耐を要求されますが、意地悪な担任に当たったときなど、もっとも大きな忍耐を要するものです。

 自分自身も、自分の担任に、一回隠微な形で、いじめられたわけですが、自分の子供が、担任にいじめられるほど、つらいものはありません。自分自身の時よりもつらいものがあります。

 先生は聖職だという表向きの概念もありますが、一国一城の主でもあり、そこには、監視の目が行き届かないので、ひどい先生も居るのです。私が良くタコ部屋と言いますが、学級全体が、タコ部屋化しているお教室もあるのです。

 ところで、お若い方はタコ部屋の定義がお分かりにならないといけないので、ここで、一応説明をさせていただきますと、戦後の高度成長期に土木作業が盛んであって、飯場と言うバラックを建てて、そこに労働者を吸収して食事を出し、寝場所ともしたのですが、そこで、非常に過酷な条件で働かせ、かつ、逃げ出さないように、監視したものを、さします。今は、もう無いでしょう。ただ、福島第一で、働かされている、下請け業者の作業員など、実態は似ているのかもしれません。

 ともかく、高度成長期には、一部上場の大会社に勤務するのが、一番人気に高いことであり、それには落ちこぼれたインテリが、先生にデモなるかとか、先生にシカなれないといって、そこから、デモシカ先生と言う言葉が生まれ、一時期流行語にもなったのです。戦前などは、先生は地位が高くて、父兄より圧倒的に上の場所に居て、だからこそ、先生が父兄をいじめるということは無かったでしょう。

 また、現在はモンスターペアレントと言う言葉が世の中を席巻しているように、ご父兄様が、実力があって怖いものだという認識が広く学校社会にも広まって、先生と父兄の間には、対等と言うか自然な、力関係ができてるみたいですが、私が子供を育てていたころが、ちょうど過渡期で、すさまじいことを見聞きしました。それはつらい時代でした。

 今の時期で言えば、中学校で、自分の子供がいじめられていることを知ってしまったご父兄などの、心痛がそれに似ているでしょう。戦うことができないのです。抗議したりしても事態が好転しないのは、地域に漂う、うわさなどで、事前に、聞き及んでいるので、ただ、ひたすら我慢をすることと成ります。つらい時代です。

 私は、子供がとても小さい時期で、他の子にいじめられるなどと言うことはありえない時期に、先生に、父兄の一人として、いじめられました。両方の子供に、二年ずつ、ひどい先生が、担任する時期があって、ひどく苦しみました。「今、あれが、あったら死ぬよ、キッと」と思われるほど、つらかったのです。自分がつらいというよりも、人質になっている子供に何かが有ったら大変だという思いのつらさといったらありません。そして、あるお母さんが、自殺をするほどの、ひどさでした。その事は今は既に秘匿されていますので、詳細を語りませんが、担任教師の性格の悪さや親や子に対するいじめに悩んで、自殺したお母様がいるのですよ。それほど、ひどい教師がいる時代でした。

 が、若いから耐えられたと思います。他にも子育て中はいろいろ、忍耐を要する事はあります。それを経験して、やっと、人間として、成長すると思います。だから子供とは、親の方の、人間性を成長させ、高めてくれる存在です。

 が、子育てに要する忍耐を経験しても、誰もそれをほめてはくれません。ましてや、報酬も伴いません。だけど、山崎直子さんは、9年間の、未来のわからない(と言うのは、全員が、順番に宇宙にいかれるとも決まっていないらしいので、不安が大きい)待機時間の末に、宇宙へ行くことができて、今講演者として、全国を飛び回っています。輝かしい成功が手に入りました。
 良かったですね。

 だが、好事魔多しともいって、マスコミがいやなことを報道しました。
 それは、ご主人が直子さんの忙しさに文句をつけているという話です。
 
 でも、それは、たいした事では無いと、私は、今回の2013年6月13日の直子さんの話を直接聞いていて思いました。ご主人様も、ほっと気が緩んでしまった、そういう時期にマスコミのまくえさに乗ってしまって、つい不満をおっしゃったのだと思います。でも、その待機中の9年間に、ご主人の示した協力の姿勢、それから、直子さんが山羊座で、大変忍耐強い人であることなどを勘案すると、いわゆる離婚などありえないことだからです。

 それは、安心しました。
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副題4、『私は一度、直子さんの私生活に、懸念を表明しているのではないかな?』

 しかし、一時期ですが、テレビのインタビューや雑誌のインタビューが殺到していて、非常に忙しく見える時期があり、かつ、ご主人の不満が、マスコミを通じて流されたりしたので、心配し、懸念をして、『直子さんは、やりすぎのところがある。お子さんが危ない。仕事をセーヴするべきだ。お母さんなのだから』と思っていました。
 こどもって、小学生のときが一番手がかかりません。それで、親はすっかり安心して、直子さんに限らず、働きに出たりします。ところが、一定の愛情と、声かけなどが必要です。それを愛のストロークと言いますが、それが無いと後で、問題が出てきます。会社に勤めてから、辞めたりします。

 今、30代、40代の青年の中に引きこもりが、多いのは、男の子がどれほど、母親の愛情を必要としているかについて、母親が気がついていないせいだと、私は考えています。男の子って、女の子に比べると全体的に、ひ弱なのです。
 女の子と言うのは、後に生む人となるわけで、その妊娠とか出産という任務に耐えられるように天が采配をするのか、小さいときから比較的に丈夫です。心身ともに丈夫です。タフです。しかも、母親に対しては欲求が高くありません。父親とスムーズな交流ができていれば精神的に安定します。

 山崎直子さんのご家庭では、たまたま、お子さんは二人とも女の子であり、ご主人が育児に協力的なので、問題が起こらないのでした。だが、そんな事は、この2013年の6月にはじめて知ったことなので、私は以前は心配していました。特に直子さんが女として、とても、きれいな人であって、

 マスコミがそのスター性に依存して、引っ張りまわしているようにも思えて、それは、家に、残された家族に不安や不満を与えるだろうと思っていたからです。
 
 13日の直後に、このブログの世界で直子さんの、講演のことを書かなかった理由の一つに、過去に、その批判と言うか、心配をブログに書いているのではないかなと言う思いがしたからです。

 そんな気はするのですが、どういうタイトルで、それをどこで書いたのかは覚えておりません。私にとって、そのころの直子さんは、一般的な有名人であって、同窓生だとは知ってはいましたが、身近な存在ではありませんでした。で、一般的な有名人として、批判的言動を弄したかもしれないのです。しかし、それは、私にとっては、印象に残ってはいない方の文章なので、どこに、それを書いたか、書かなかったかを覚えておりません。

 ただ、もし、ブログの世界で、それを既にアップしているとすれば、直子さんが山羊座の人で、忍耐強く、いろいろなことをバランスよくこなしていくなどと知らなかったからです。

 そうすると、今ほめると、過去の、私の文章が間違っていることとなるでしょう。一般の人ならそれは、なんでもないことです。『時期が移動して、考えが変わりました』で済むことです。
 だが、このブログは、普段、ひどく狙われています。閉鎖させようと、狙われています。それは、種々さまざまな方向からくる攻撃でわかります。ちょっとした変化をきっかけにして、パソコンが壊れるのもその一つです。

 天城旅行をきっかけにして、英語のセキュリティプログラムが、3つほど、勝手に入って来て、いつも、大きな警告頁が開いて、文章を書くのを邪魔したり、ケーブルテレビから、NTTの光フレッツへと、進入路を変えただけで、無線ラン機能が効かなくなったり、ありと、あらゆる、いじめを受けています。それを、直す事は出来ますが、ほぼ、半日は時間を取られます。時には、別のパソコンを使って、しのいでいて、直すのに、三日がかりでやっと治ったというケースもあります。
 その上、ニュースを使って、事実そのものをゆがめてくるケースもいっぱいあります。
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副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』

 この章ですが、全体が、とても長くなるので、渡辺美樹さんの部分だけを、下にスクロールすると出てくる場所に移動をしました。ので、途中から文章が始まります。
 
 と言うわけで、このブログを書くのも命がけです。書いた時点では、正しかったこともその後、ニュースや現実の方が修正されてくるからです。

 で、『山崎直子さんの講演は、書かないで、置く。4月と、6月の二回も行われ、両方ともお誘いを受けたという事は、絶対に聞かせたいと言う事であり、その裏側は、いろいろと、推察できるが、今回は、方っか無理をしておこう』と、考えました。

 ただ、一時間の講演中、何度も繰り返された、直子さんが、東大宇宙工学科で、学んだという事は、実は、簡単に見過ごせる事ではありません。私の、アジサイ畑欺もう事件に関連してくるからです。『参ったなあ。どうするか』と、相当に考え、その結果『ほうっておこう。彼女の講演には触れないで置こう。それでいい、ほめなければ、前に批判したとしても、私の文章が間違っていることにはならないから』・・・・・と思っていました。

 ところが、後で知った、日経新聞の記事のことです。14日と言う実に見事なタイミングで、しかも、直子さんが鎌倉では話さなかった、秘話が語られています。『参ったなあ。想像が、悪い方へ、あたっているかしら?』と思い始めます。


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副題6、『<お前はだめなやつだ。引っ込んでろ>と、敵様が言いたいがために登場する知遇ある有名人たち』

 鎌倉婦人子供会館で、講演をした有名人のうち、戸田奈津子(映画の字幕製作者)さんのケースは、相当に考えさせられるところがありました。こちらも高校の先輩で、私は鎌倉の若宮荘(国家公務員が利用できる保養施設)内での講演会とか、神田の学士会館内での講演会とか、この鎌倉の婦人子供会館での講演会とかで、合計三回は聞いています。若宮荘での講演会などでは、私は敵の存在にはまだ気がついていない時期であって、活発な質疑応答をして、存在を認めていただいているはずなのです。

 2012年度の講演会では、3.11を踏まえて、『国家が、あまり、規制や援助をしなくてもよい。国民は自力で、必ず、復興できるはずだ。日本の第二次大戦の敗戦直後の東京を考えてみたらよい』と言うご意見であって、それは、賛成するに至極ですから、ブログで書きたいと、思いながら、やらなかったのです。

 これは、読者の方には、ちんぷんかんぷんでしょうが、その前の、2010年1月17日に同じく、同窓生の榊原節子さんを使って、すさまじい辱めを私が受けたことがあって、その日以来、同じパターンの亜種だと思っています。で、そちらの方へ話を持って行きます。

 榊原節子さんは、高校が同窓ですが、大学も同窓です。そして、皇后美智子陛下の従姉妹(いとこ)さんです。で、その日は大学の同窓会として、開かれたのですが、詳細を今は語りたくありません。
 高校の卒業生(ここでは、私と榊原さんを指す)は、古風なマナーを守っています。優秀な卒業生を輩出していますが、一方で、幼稚園とか小学校から入学してきたお嬢様方は、銀のさじを加えて生まれた方たちで、専業主婦として暮らしていますから、すべてが温和です。

 だが、国際基督教大学の方は、アメリカ的発想の大学なので、勝ち組優先主義、または、成果主義、または、進歩的な手法を最優先と言うか何かで、大変どぎつい形で、物事が進行します。私と、榊原節子さんは、高校も大学も重なっているわけですが、その日は、大学の催しだったので、そのどぎつさが、現れました。

 私は文章を書くときは、やや、はっきりと書きますが、行動においてはおとなしいほうなので、はめられたら、はめられっぱなしです。罠の存在はわかっていても、そこで、それを、分析したり、言あげすることはありません。ただ、その日、影の主役として、私へのいじめの原案を作った人間には、申し上げておきたい。

 「あなたが、私の新刊本(黄色いさくらんぼ)を汚してやろうと意図して、お皿ごと、私の大型の紙袋に、入れ込んだ、モズクの酢の物は、本を汚すことはありませんでしたよ」と。「それは、袋が二重になっていたので、本外の袋に入っていて、中の袋(つやつやしたプラスチックで覆われた印刷形式の紙を使ってあり、その中に、自分の新刊本を入れていたが)を、を汚すことはありませんでした」と。

 そのときに、「私は私なりに、天に見守られていることを感じました」とも。「私は私なりに、人生に成功をしていますよ。それは、精神的に、とても大きな部分で、私を支えてくれる夫が居ることや、そのほかの部分で」とも言って置きましょう。「榊原節子さんは、既に、未亡人ですね」とも。

 ただ、モズクの酢の物を入れて、本を汚してやろうとしたのが、無論、榊原節子さんでは無い事は信じています。彼女は御茶ノ水女子大付属高校の名誉にかけて、そんなことをする人間ではありません。

 さあて、ただ、私が婦人子供会館での、講演会について、去年の戸田奈津子さんのそれと同じく何も文章を書くつもりが無かったのに、それを書くにいたったのは、ひとえに、日経新聞の14日に山崎直子さんのインタビュー記事が出たからでした。
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 さて、これから先は、文章のカラーがまるで異なってきます。上の章もいささか、山崎直子さんの業績にはふさわしくない文章ですが、これからは、政治問題に入りますので、本当に、ふさわしくありません。山崎直子さんは、表の世界の人ですが、これから語る事は、裏も裏の世界の話です。
 後日、二つか、三つに分割するはずです。ただ、常に、妨害を受けながら文章を書いている私としては、この****罫線以下の部分を、非公開の下書きとして書いて保存をしておくことができないのです。

 なら、それを明日書けばいいのではないかと言われそうですが、私の文章、特に初稿は、その日、そのときに天からおろしていただくものだから、今、書かないと消えてしまいます。そして、私にとっては大切なことなので、今それを、記録しておきたいのです。
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副題7、『「東大宇宙工学研究所の所長は、中谷さんの息子さんですよ」と、大原光孝さんが、私に言う・・・・・その前半』

 山崎直子さんの講演会で、経歴が披露されました。何度も繰り返されたのが「東大で、宇宙工学を専攻した」という点です。『うむ、うむ、こんなところで、例のアジサイ畑欺もう事件と結びついてしまうのか』と、感慨が深かったですよ。・・・・・『なるほどねえ。「天網恢々粗にしてもらさず」とは、こういう現象をさすのだなあ』・・・・・とも思います。

 私が1985年、私の土地を、ほぼ、10坪分以上、理不尽にもコンクリートうちをされてしまい、その後、28年間そこは使えず、実質的に盗まれてしまったのですが、それを実際に執り行ったのは中谷共二さんです。しかも驚いたことにそのときに、一切許可していない、私の持ち山まで崩されてしまい、びっくりしてその夜に全戸を訪ねて,「あなたはそれを許可していますか」と質問をしたら、中谷さんと、それを要望したらしい藤本(悌子)さんと、アジサイ畑をつぶすことの原案を提案したAさんと言う前々会長以外は、誰も知りませんでした。

 前々会長のAさんは、その後、一家中で、そろって、謝罪の意志を示してくださっているので、実名を挙げません。だが、謝罪の意志を示さない人、特にいまだに、ひどい肉体的な攻撃(=音に出す口撃)を加えてくる前田祝一、清子夫妻がいて、その人と重要な関連を持つ人は、引き続いて、実名を曝します。

 と、言うわけで、山が崩されたその夜には、誰も知らない事だったわけですから、これは、町内会の決め事でもなんでもなくて、たんに、中谷さん個人がやったことと成ります。ひどい事をおやりになったわけです。一種の盗みです。

 どうしてそういうことになったかと言うと裏に瀬島隆三が隠れていたからでしょう。恐ろしい悪魔の通達に中谷さんは乗ったのです。だが、瀬島隆三は、実質的に、現代日本の影の支配者ですから、中谷さんは逆らえなかったと思います。だけど、奥様は、懸念をして、「あなた、その工事は、おやめなさい」と何度もおっしゃいましたよ。「川崎さんのおっしゃっていることは正しいです」と、私の目の前で。

 私が、そのときに何をいったかと言うと、この件は、「前田清子夫人に、藤本夫人に頭を下げさせれば、解決します。別に我が家の土地や、山を犠牲にすることはありません。彼女が菓子折りでも持っていって、誠実に、<今まで、うるさくして申し訳ございませんでした。これからは静かにいたしますから、道の真ん中にフェンスを作るなどと言う事はやめてください>といえばいいのです」と。
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副題8、『前田祝一、清子夫妻の家は、土地を違法に使っているが、もしかすると、道路位置指定と言う形で、その罪を、すでに、免除をされているかな?』

 ここで、もう一回アジサイ畑欺もう事件の概要を振り返ります。前田祝一、清子夫人は、中古の家を買ってここへ転入して来ました。だが、その前の持ち主は、私道部分を拠出せず、一種の違反をしていました。
””””””””””
 ここで、挿入ですが、この2013年6月28日の前田夫妻の二回目の、口撃(=恫喝)に依れば、その罪は自分の方では、一切、考慮に入れていないみたいです。それは、もしかすると新しい条例を作ってもらって、救ってもらっているからかも知れません。

 以前からそれも想定していましたが、彼らの方には、エージェントが見方をして、法律そのものを変えていき、一種の証拠隠滅を図ってやっている可能性があるのです。

 鎌倉市では、道路位置指定と言うのが決まったそうですが、もしかすると、前田家を救済するためだったりして? 私道負担部分を出さなくても、現状のまま、道路位置指定をしますから、もう大丈夫という形での救済措置です。まあ、それは2013年6月末の話ですから、この節では、もっと前、28年前に話を戻します。
””””””””””
 私は、ここに引っ越してくる前から、この地域で売り物件が頻発しているのは、北久里浜の家にチラシが何度も入るので、理解してました。実際に引っ越してくる数年前に、ある売り物件を訪問したところ、そこのご主人(大学教授が「家内がノイローゼになりましてね」と引越しをしたい理由をおっしゃったのを聞いているのです。その後、別の家を買って、引っ越して来てから、すぐ、普通の人がノイローゼになってしまう原因が、安野夫人が主催して、前田夫人が我が物顔でくだらない事を、大声でしゃべりまくるその井戸端会議に問題があることは理解しました。
 
 で、中谷さんは、会長として、それが、「非常識だから、やめなさい」と言えばいいのです。非常に簡単な事でした。だが、その実質的な主催者であり、支配者である、安野夫人が、どうしてか、おっかないのですよね。
年上の男性が、年下の女性を怖がるというのも変な話ですが、本当にみんな魔法にかけられたように、安野夫人の支配下に、屈するのです。
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副題9、『被害を受けているからこそ、前田夫妻と安野夫妻の、若い頃が想像できてしまうのだった』

 普通の町では、中学生の親が毎日午後定期的に、30分から一時間をかけて井戸端会議をするなんていうことはありえないのです。幼稚園バスの送迎場所で、待っている間に井戸端会議が始まって、それが、発展をする事はよくあります。だが、それでも、ご近所の、はた迷惑にはならないように気を使うのが普通です。

 だが、その中で、意図的に、自分たちの力上の優越性を、誇示しているのが、特に前田夫人の大声なのです。それで、私がわかってしまった事は、安野夫人が、三人もお子さんがあるのに実母ではないことと、前田夫人は前の住居地で、他の主婦からいじめられたのだろうということです。

 だから、前田夫人は、ここ鎌倉では過剰適応をしていて、安野夫人にべったりと寄り添っている。だけど、本当のところで、話があうわけも無いので、『普通の、主婦の会話なんて、この程度のものだろう』という見くびった会話を繰り返すから、その内容の汚さに、うんざりする・・・・・

 そういうことです。前田夫人が前の場所で、うまく行かなかったのは、ご主人が文科系の教授職を拝命する前までは、収入が低かったはずで、したがって、奥さんも、塾の講師か、学校の先生などをしていたはずで、そのため、周りの主婦たちとは、少し違った人とみなされていたわけでしょう。が、一方で勝気な人なので、それもあって、周辺と、本当に仲良くなる事は出来ず、実際には、相当に、嫌われていたと思います。いわゆる浮いた存在だったでしょう。だからこそ、ここではうまく適応しようとして、実質的な女王様である安野夫人に、べったりと、くっついて、その支配下に屈しながら、一方で、安野夫人におだてられて、利用をされていたとも思われます。

 と言うのも以前、スターを作り出す仕組みがあって、そのスターも時々刻々移動をしていくのだと、私が言っています。
 最初期のスターは鎌倉春秋窯を主催する、故石川和子さんでした。彼女はタウン誌『鎌倉春秋』を発刊していて鎌倉中に顔が広い、伊藤玄二郎の愛人だったと、自分から豪語する女性ですから、そのルートで悪評を流されたらアウトだとみんなが思うので、怖い人でもあって、道を譲ります。安野夫人は、そちらも上手に操りながら、火、水、金は、公民館で、お教室を開いていて、この山にいないし、木曜日も土曜日も午後は、自宅で、お教室があって、井戸端会議に加われないので、前田清子さんの方をも、並行して、ちやほやして、自分がこの山で、一番偉い、人間として君臨するための道具として、仕立てて行ったと考えられます。
 どうしてかと言うと、前田夫人は、都立大学の大学院を出ていて、国学院大学の講師をしています。で、28年前は、この山で、最も立派な肩書きを持つ人間だったからです。

 しかし、そういうエリートとしての気品とか、優雅さがない人なのです。だから、上にあげた、『どうせ、主婦なんて、こんなものでしょう』と言う見下しの気分が、常にあるのではないかと、想像するわけです。
 しかも態度に優美さが無いだけではなくて、時々、目を吊り上げてにらむのです。きっと藤本夫人に対しても同じ事を、彼女は、私が引っ越してくる前からやっていて、藤本夫人から深く憎まれたと思いますよ。

 その結果、藤本夫人は、道路の真ん中に自分の家のフェンスを作るという提案を出して来たのです。それは、自分より上流にいて、そこを通らないと生活ができない前田家をターゲットにした復讐でしょう。ただ、藤本夫人は、その決定的な提案の前に、種々さまざまな試みもやっていたが、それもみんな裏目に出たので、熟考の上で、前田家の弱みをついて、私道負担分を出していない人も居るのだけれど・・・・・と、その本音は、まず隠しておいて、・・・・・

 「雪の日に滑って骨折をする人が出たとして、私が訴訟の対象になったら困るので、私道の外側に、手すり代わりのフェンスを造ります」と宣言したのです。

 当時はわが家と、藤本家の間は、道路幅が、一メートルしか無かったのです。その中にフェンスを作られたら、人は通ることができても、改築とか新築の工事はできません。それで、困りきった前々会長のAさんが、川崎さんに、私道部分を提供してもらい、そこをコンクリート打ちをして、そこに手すりを作れば、藤本夫人がフェンスを作る理由がなくなるから、一石二鳥だということになったのです。私はAさんから直接それを頼まれて、「いいですよ」と、返事をしたのでした。
 だが、中谷さんが、その後、藤本夫人はノイローゼで何とかかんとかと、散々な悪口を私に言うので、『これは変だなあ。中谷さんは、後ろめたいところがあるに違いない』と覚悟をしていたら、案の定、我が家の山を無許可で崩したのです。それは、ご自分がさんざんの悪口を言っている、当の藤本夫人の、言うなりになるということでした。彼女はこの山のどこにもない、幅4mの道路を目の前に設定をしたいと願って、そういう主張を持ち出したのでした。彼女もまた、調子に乗って、欲張りすぎたのですが、その前の数年間の苦しみがそうさせたと、感じています。

 この山って、正義も論理も通じないところです。ところが私は徹底的な理論派です。この山に引っ越してくるまえに、北久里浜で、瀬島隆三の親友だという元海軍参謀益山某氏の地籍変更届を利用した土地、1200坪(元は横須賀市の水道山)をただ取りした事件を、自分が境界地主として巻き込まれらたので、戦って法的に勝って、ここへ引っ越して来ています。有名な弁護士さんが、舌を巻くほど頭がいいのです。

 そんなに、法律通の私から見ると、まったく肯定できない中谷氏の措置でした。これは、公的なところが微塵も無い、私的な、犯罪に等しい行為です。何度も言っている様に、訴訟をする権利は、私の方にあるのですよ。だが、黙って我慢をしてあげていることをいいことにして、苛め抜いて引越しをさせようとか、ノイローゼにさせようとしているのは、前田・安野連合軍側ですが、彼ら、彼女らの現在やっている事は、29年前に、藤本夫人に対して取られた策とまったく同じなのです。なんと悪辣な女性たちと、その夫だろう。

 でもね、驚いたことに、今度は、中谷氏が謝罪をしないのです。一応態度としては、平身低頭しています。だけど、実質的には、失礼をしました。あなたが、私の措置にお怒りになったので、これ以降は、お宅の土地は利用しません。あなたがおっしゃる通り、前田夫人を、藤本夫人へ謝罪をさせます。そして、最悪の場合は、前田家が違法に使っている私道部分を拠出させます」とは言わないのです。

 でも、説得をするために、肉を切らせて、骨を絶つというつもりなのでしょうか? マイプライバシーはずいぶんと明かされたのですよ。別に弱みは無くて、いいことばかりです。その中にご「長男は、東大を出ていて、今、助教授をしています」と言う項目がありました。私は、「あ、そうですか」と答えておきました。
~~~~~~~~~~~~~~

副題10、『大原光孝さんの、自分が、威張るための、昔、放たれた捨て台詞が、今、私を助けている』

 その何年か後のことです。大原光孝さんが電話の中で、「川崎さん、知っていますか。中谷さんのご長男は、今東大の宇宙工学研究所の所長ですよ」と言うのです。私は激怒しました。だが、激怒したときは、かにも説明をしません。彼をたしなめることさえやりません。

 彼の言いたい事はこういうことです。あんた、ずいぶん偉そうに法律的なことを言うではないですか? だけどあんた、東大を出ていますか? 坊ちゃんも出ている? そしてご主人は? だけど、中谷さんの坊ちゃんは、単に東大を出ています。そのうえ、単に、卒業しただけではなくて、今は教授であって、しかも、さらに偉い役職についているのです。だから、あんた黙っていなさいよ』と言うことでしょう。なるほど、だけど、土地の泥棒に、役職は関係ありません。ましてや子供さんは関係が無い。そうでしょう。違いますか?
 だけど、私は、今、法的にも賠償をされていないし、金銭的にも賠償をされていません。そして、自分からは訴訟など起こしません。ただ、あったことを文章に書いているだけです。

 すると大原光孝さんは、見事なキーワードを提供してくれたことになります。私は、昔、東大に務めていたことがあるので、どのくらいの年齢になると、どういう役職がつくかは知っています。だから、私より少し若い、あちらのご長男が、そういう役職におつきになったのは推察ができますが、専門分野は知りませんでした。

 デモ、大原さんの・・・・・虎の威を借りて、自分が威張りたい・・・・・という、子供っぽい欲望によって、中谷家のご長男が東大の宇宙工学研究所の所長であることを知りました。

 そんな事は紙にメモしないでも忘れることは無い私です。したがって、山崎直子さんが東大の宇宙工学を専攻したと聞いたとたんに、
アジサイ畑欺もう事件について、さらに進んだ段階でモノを語ることができるようになったと、悟りました。というわけで、ここにその最終場面に行きついたのでした。以前は、安野夫人と前田夫人のところまでしか、書いていませんね。だけど、とうとう中谷家に行きついたのです。それは、不思議な逆転現象です。大原光孝さんが、酒井忠康氏に、援助してもらって、お嬢さんを、お嫁入りの道具としては素晴らしい勤務先である、神奈川県立(当時はそうだったでしょう。今は独立法人化しているかな?)近代美術館に奉職をさせてもらっていて、(それって税金の私物化でもあるが?!?!?)・・・・・
 また、双系美術学校の先輩である柄沢斉氏が、日経新聞の大支援により、大版画家として、世間に露出しまくっていて、まるで、六波羅時代の平家もかくやと言うほど、『自分は上だ。川崎千恵子なんて、何様だ』と、おごり高ぶり、何度も、捨て台詞を放ったのですが、その最後のものが、こうして今、私を助けてくれています。
~~~~~~~~~~~~~~~

副題11、『ワインが割れた石段を鎌倉市のお金で、修復する。これも、・・・・・政治とは、私的な事を、いかにも公と見せる仕組みだ・・・・・と言う事の典型だ』 

 私は、大原光孝さんの事を最近では、ちゃら男さんと呼んでいます。他人に対しては、常に、対等か、ちょっと尊敬して扱うべきだと言っているにしては、失礼極まりない表現ですが、それなりに、意味があります。そうでも言わないと、やっていられませんねと、言うほどの事があります。

 二日目の、冒頭に、添えた言葉の様に、大原さんとしては勝ったつもりの表現「中谷さんの息子さんは、東大宇宙工学研究所の所長ですよ」と言う言葉が、敵としては、勝つつもりで使った、二度にも及ぶ、山崎直子さんの鎌倉婦人子供会館での、後援会をけがしたばかりでなく、大好きっであるらしい、中谷さんにもご迷惑が及んでいませんか?
 そこが、「軽い。軽すぎる、態度の人間だから。だからちゃら男さんなのですよ」と、言う所以ですが、この捨て台詞が、最初のものではないですよね。大原さんに向かって言いたいのですが、あなたは、ご自分が勝っているつもりであって、買った方だから、捨て台詞と発した途端に、快感を覚えるわけでしょう。で、快感と言うのは忘却の彼方に飛び散りやすいものですから、あなたはご自分が、どんな捨て台詞を発したかをお忘れでしょうね。

 だけど、被害者としての私から見ると、5つぐらいあるのです。そのもっとも大きなものが、「川崎さん、ワインが割れておしかったねー」と言いながら、後ろから、追い抜いて行った日のものですが、その後、石段が修復をされましたね、半分が鎌倉市のお金で。それって、私の文章に対する証拠・隠滅の一つです。
 大原さんの失敗を、鎌倉市の税金を使って、糊塗・隠ぺいをするという事です。

 まあ、あなただけではないです。前田夫妻に対しても国庫金で、失敗を糊塗してあげているみたいだし、もし、安野家のご二男が、海上保安学校へ入ったときに、もし、内申書の改ざんとか、試験問題の漏えい等があったら、ご二男の生涯賃金は、安野夫人の失敗を糊塗する目的で出されていますね。

 そして、その石段の工事は、半分は、町内会のお金ですが、町内会には、横浜銀行の通帳があるのにもかかわらず、おおげさにフレイムアップをして、湘南信金を使いました。湘南信金のカードを日常支出に使っていた私は青山のセブンイレブンで、それが、引き出せないとなって青くなった事があります。で、スパコンに、何らかのバグが入れ込められているなと考えて、常に4000円を下すことにしていたのを、7000円に変更したら、引き出し可能となりました。

 つまり、鎌倉市の税金を使って、大原さんが、失敗した捨て台詞を、回復してあげたというわけです。湘南信金が表に出てこなかったら、ここまでの事は言えませんが、湘南信金で、支払いをしたという事実があり、それをわざわざ回覧板でお知らせがあったので、この様に考えます。・・・・・普通、どういうルートで支払ったなどと、回覧板でお知らせをしますか? しないでしょう。(笑)
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副題12、『前田祝一氏の、新規、転入者を、たらしこむ、その手口がわかったぞ』

 推敲後の冒頭に、不思議な天の采配で、勝とうと思っている人たちは負けましたよと、言っていますが、その一つとして、前田氏が、自分の土地使用方法が違法であり、そこからすべてが始まっているという事を、全く、反省しないし、顧慮もしていないと、言う事がわかりました。それが、道路位置指定と言う仕組みによって、そういう風に、威張る事が出来るのなら、まるで、自分が正当であり、川崎千恵子が間違っていると、思い込む事が出来るでしょう。

 恐ろしいです。法律を、自分の悪の隠蔽のために変更して行く。そういう事だったわけでした。どうして、そういう事が可能かと言うと、安野夫人を鉄砲玉として瀬島隆三が使ったから、実際は安野夫人の強欲さが、原因で、私の土地が盗まれてしまったわけですが、私がどんどん、ミステリーを解いていって、瀬島隆三本人の罪になると非常にまずいと、エージェントたちが思っているので、法律の改ざんもできる模様です。

 驚いた。驚いた。なお、この件、特に、副題11と、12は、将来、もっと丁寧に書きなおさないといけませんね。

 そして、これを書いたから、前田夫人の捨て台詞を、ここで、公開することが可能になりました。彼女は、私の方を見ながら、「この人は、物がわからない人だから、(ご主人に向かって)あなた、何を言っても無駄ですよ」と言ったのです。

 私が物がわからないですって。それは、当り前ですよ。加害者側のずるいずるい、論理をどうして受け入れないといけないのですか? 受け入れられません。それを、わからないというのなら言っておきなさい。

 上水道工事を始め、めちゃくちゃに、県の費用、市の費用、国家の費用を使って、自分たちの悪事を糊塗してもらって、証拠を隠滅してもらって、そのうえで、こっちの言う事を聞きなさいですって。

 こんな悪辣な人間はいませんよ。悪魔です。安野夫人だけではなくて、前田夫人も悪魔でした。こんな人を御支援なさって、国学院大学の講師にしたのですから、八幡宮さまの、おお公孫樹が、倒壊するのも道理です。当り前でしょう。

 で、今回、前田夫人のすさまじい捨て台詞を聞いて、すべてを思い出したわけです。前田氏は、自分に仲間が多い。この町内会の人間は、すべて自分の味方だと思っているみたいですが、それぞれの人間はそれぞれに動くわけですね。それぞれ、買ってん捨て台詞を発します。今回は、大原光孝さんを主役にして、彼が放った捨て台詞を中心に、連想を働かせました。で、結果として、あなたを救ってくれた中谷さんに、大迷惑をかけているでしょう。自分を救いたいのはわかりますが、自分を救うために処々方々に、迷惑をかけているのが、あなたがた夫婦ですよ。そして、その同盟者たる安野夫妻でしょう。

 これが、天に采配のしからしむるところなのです。
 そして、大原光孝さん。あなたがなさっている事を書こうとすると、中目黒の大原さんと言う製紙会社の元重役だった人が、真昼間殺されました。たぶん、それで、私がビビって、何かを書かないでいるだろうとみなされて、その大原さんと言う中目黒の住人が殺されました。・・・・・・

 と、テレビや新聞が言いました。犯人は、防犯カメラに姿が、写っていて、それで、逮捕をされました。と事が裁判が行われた気配がありません。これも変ですねえ。大原さん、もし、中目黒の大原さんが、死亡していないのなら、それは、喜ばしいです。だが、あなたが原因で、日本国民全体がだまされたのですよ。もし、中目黒の大原さんが、本当に死んでいたら・・・・・何をかいわんやです。

 どうぞ、皆様。なんでもご勝手になさいませ。捨て台詞を放とうが、新しい策略を案出しようが・・・・・ただ、こちらにも記録をする自由はあるわけです。お互いに平等でしょう。違いますか?
 尚、このブログの2010年から数え始めた、伸べ訪問回数は、1695393です。


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和民の社長は参議院選に、出馬するのかな? 自民党の推薦で。

2013-07-07 23:37:28 | 政治
副題5、『和民の社長は、自民党の推薦で参議院選に出馬したのかな?』

 ところで、そのニュースを使って、私の文章を否定してくるの典型が、大相撲壊滅作戦と私が呼んでいる、八百長疑惑とか、野球賭博事件のフレイムアップでした。さしてたいした事でもないのに、おおげさにして行ったのは、「国家という規模で、物事を考える事が必要です」と、普段から言っている私を右翼と規定して、『雨宮舜は、右翼なのだから、日本的な文化を壊滅させてやれ。そうすれば、彼女は哀しんで、ブログを書くのをやめるだろう。特に、われわれが起案している事はとっくに察しているのだから、われわれの力の誇示に役立つはずだ』と、伊藤玄二郎と、井上ひさし(その始まりの時点では完璧に生きていました)が考えて、高名な文筆家伊藤整の息子である、伊藤滋氏を引っぱり出してきたのでした。個人的なコネを利用して作り上げた一種の恫喝にすぎないのです。今行われている尖閣への中国の艦船出動と同じく、まるで、鎌倉雪の下と関連がないように見えるからこそ、使えると、彼らが考えているだけの事件です。

 で、私がぱりばりと、事件そのもののめちゃくちゃさと、どうして、こういう現象が起こされるかと、伊藤滋氏個人の力量の足りなさを書きつづったので、あわてて、より政治的な訓練を積んでいる、奥島孝康元早稲田大学総長を担ぎ出して、独立ガバナンス、何とか委員会というのを作って、あわてて、権威づけをやり直したのでした。

 それも、これも、この雪の下で、行われた、アジサイ畑欺もう事件を、私に書かせないために行われた事でした。大変つまらない、かつ、汚い現象です。
 ところが、その二代目の委員会の委員に選ばれた渡辺美樹氏が、舞い上がってしまいました。で、彼が当時持っていた3つのホーム頁で、この委員会への選出を誇りまくってはしゃいでいました。私は、『この男性は馬鹿だなあ。国民はおお相撲を愛していて、この流れを悲しんでいる。それを、悪人側について、嬉しそうにしているのなど、居酒屋経営者としては、大間違いなのに、わかっていないのだなあ』と、思った事でした。

 今般、自民党の公認で、参議院選に出るですって。全国の和民の従業員と、その家族を総動員して、当選するとしたら、自民党も終わりですね。残念な事ですが。
 ブラック企業として、今、和民が有名になっているのも、伊藤玄二郎一派に利用された事が主因です。彼らの陣営にくみすると、平安と、美はあなたの生活から、失われます。天のご加護が失われていきます。その典型例です。他にも委員はたくさんいたのですが、彼ほど、はしゃいでいた人間は、いませんでしたよ。

 と言うわけで、このブログを書くのも命がけです。書いた時点では、正しかったこともその後、ニュースや現実の方が修正されてくるからです。

 で、『山崎直子さんの講演は、書かないで、置く。4月と、6月の二回も行われ、両方ともお誘いを受けたという事は、絶対に聞かせたいと言う事であり、その裏側は、いろいろと、推察できるが、今回は、方っか無理をしておこう』と、考えました。

 ただ、一時間の講演中、何度も繰り返された、直子さんが、東大宇宙工学科で、学んだという事は、実は、簡単に見過ごせる事ではありません。私の、アジサイ畑欺もう事件に関連してくるからです。『参ったなあ。どうするか』と、相当に考え、その結果『ほうっておこう。彼女の講演には触れないで置こう。それでいい、ほめなければ、前に批判したとしても、私の文章が間違っていることにはならないから』・・・・・と思っていました。

 ところが、後で知った、日経新聞の記事のことです。14日と言う実に見事なタイミングで、しかも、直子さんが鎌倉では話さなかった、秘話が語られています。『参ったなあ。想像が、悪い方へ、あたっているかしら?』と思い始めます。
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NYの大学院の、黒板の前で起きた・擬似・殺人事件(?)・・・・・捨て台詞が追い詰めたもの△

2013-07-01 23:07:54 | 政治
 今は5日の早朝ですが、前日より、8千字を加筆して、この文章を止めといたしました。どうか、よろしく。尚、タイトルも、変えております。

副題1、『5回目として、チェーンソーを振り回してきたが、北久里浜のご近所様が、昔と変わらないのに驚いた』
副題2、『鬼の居ぬ間の洗濯として、鎌倉でいろいろ、工作がなされていたと思いますが』
副題3、『尖閣出動が、月曜日にありましたね』
副題4、『どうして、二日、遅れで、その大騒動化が、起きたのか?』
副題5、『突然、文章が消えたので、ますます、私が書いていることが正しいのだと判りました』

副題6、『加害者は勝ったと思うので、快感を感じ、したがって、自分のしたことを忘れてしまう。だが、被害者は忘れない』
副題7、『米人女性教授が、日本人が学生を鉄砲玉として使うが・・・・・』
副題8、『失恋の痛手などを、ニューヨークでの一発逆転で晴らそうとする女性たち』

副題9、『ところで、私はどうしてニューヨークへ行ったのか?
副題10、『私は、どうして、美大の大学院へ入学できたのか?』
副題11、『黒板の前が、まるで殺人事件の現場状態だった』
副題12、『アメリカ人の責任の取り方、取らせ方。・・・・・そのリアリティ』
~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『5回目として、チェーンソーを振り回してきたが、北久里浜のご近所様が、昔と変わらないのに驚いた』

 私は外出がたいてい夜になります。昼間の一番いい時間帯は、パソコンの仕事をすると決めていますから。家事をするのも庭仕事をするのも、パソコンの仕事の休憩としてやっていますから、全体で、ブログを書くか、本の編集をしているのが、最重要なしごとと成っています。

 夜、チェーンソーを振り回すのは、実は、余計に危ないので、一日に、一本以上の枝払いはしないと決めています。で、今は比較的小さい方の木を伐採しているのですが、樹種は少ないです。さざんか、かなめもち、柿、桜、花ざくろ、の5種ぐらいですね。つげなどあったのですが、そういう値段の高い木は誰かが、引越しの際に、次の家へもって行ってしまったらしいのです。

 で、樹種として、葉っぱが厚い種類が多いので、庭も家も暗いのです。鎌倉の家も北久里浜の家以上に樹木が多いのですが、元来が、天然の森なので、樹種が多様で、木漏れ日もあって、より明るいので、伐採もしないのですが、北久里浜の家は、庭が真っ暗であって、びっくりして、明るくしようとしています。

 で、夕方から、バリバリと、轟音を立てるので、びっくりして、私を知らない新しい人々が訪ねてくるのですね。何事かと思って。そのとき、昔を知っている人も一緒に来るので、会ってみると、あまりにも、皆さんが変わっていないので驚きます。

 30年のときを経ているのにです。で、ここにもう一回住むのもいいかなと思い始めます。鎌倉が大好きですよ。ただ、石段が130段もあるので、夫婦のうち、どちらかが足が悪くなった場合に、引っ越す事は必要になるでしょう。その先を老人ホームにするか、一回、マンションに移動をするかの選択を迫られる可能性が在
あるのですが、

 そのマンションも購入するか、賃貸にするかの選択があるわけです。
 30年前の私たちは、横須賀に帰ることをも想定して、その家をキープしていたのでした。実は売らないでもいいと私は考えています。東南の角地で、綺麗な形の60坪です。ご自分で、リフォームをする人なら、2280万+諸費用=3000万円で、一戸建ての家が手に入ります。しかも、60坪ですから、将来建て替えれば豪邸となります。今新築の家は、敷地が狭いのが多いですが、ここなら自由自在な設計ができます。
 ただ、主人が、「身軽になっていた方がいい。子供が要らないというのだから売った方がいい」という考えなので、売り出しています。でも、売れなければ、それでも良くて、その際の新たな選択肢として、自分が住む・・・・・電動車いすが使える場所であり、タクシーも簡単に呼べる場所であるので・・・・・自分が再び住むことも考慮に入れ、丁寧に、掃除・補修・枝払いをしているというわけです。

 この北久里浜を売ってしまうのが内心で嫌だったので、そのかわりの不動産物件を、2013年の一月から釈迦力になって探索を始めたわけでした。それが、1000万円以内の物件を探すと言うことだったのです。と言うのも北久里浜は、名義上半分が私の所有になっていて、全体で、2280万円で、値段付けをしていますので、売れれば、1000万円が私の収入になるわけです。なので、別の物件を探していたわけでした。だが、買えなかったので、もともと、内心では売りたくなかったここを、持ち続けるのも、主人の意向を一回立てた上での選択ですから、無理がない形になり、それが一番いいことなのです。下に10畳と9畳の洋間がありますので、一人が、車椅子になっても、もう一人の足が大丈夫なら、ここで、充分に生活ができます。60坪の日当たりの良い庭付きの、木造27.5坪。老人二人が住むのにはぴったりですね。
~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『鬼の居ぬ間の洗濯として、鎌倉でいろいろ、工作がなされていたと思いますが』

 先週の火曜日、2013年の2月25日に、BSプレミアムの人気番組『世界街歩き』は、鎌倉がテーマでした。伊藤玄二郎の勢力誇示の番組です。普通は世界が、テーマなのに、突然鎌倉を割り込ませる。水木一郎さんが、前面に出てきていますが、それは、一種のダミーであって、伊藤玄二郎を立てるということが目的です。

 それが、先にできていて、それよりも後で、光明寺で収録されたクイズ100人力ができたと思われますが、NHKをこれほど、明瞭に私物化しても恥じないというほど、心理的に乱暴な人たちなのです。

 そういう莫大な無駄遣いを、他人にやらせる。そういう彼の独特のやり方を、身を体して判っているのが、彼の周辺に居る男と女です。で、田中愛子女史が、どんなに、甘えん坊で、また、瞬間湯沸かし器であり、かつ、傲慢であるかを証明するエピソードをさらしたのは、別に、失礼でも、何でもありません。あれでも、彼が攻撃して来ている、総被害を、考慮すれば、10万分の1の情報開示でしかないのです。

 彼は、あれだけでもびびると思いますよ。と言うのも自分が企画していることが、まったくばれていないという前提で生きているからです。だが、全部裏側が読めていると成ると、相当に危機感を持つでしょう。それが、新たな攻撃を招いています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『尖閣出動が、月曜日にありましたね』

 彼、伊藤玄二郎と、彼をサポートする軍団が、企図したのは、公と私的なダブルの攻撃でしたが、その私的な部分での鉄砲玉が、今は、安野夫妻から、前田祝一、清子夫妻へ移動をしています。行動としての直接性が以前より、強くなっています。

 ここで、私的な部分と言うのは、・・・・・政治とは、きわめて私的なものをあたかも公的なものであるように見せるのが政治である・・・・・と言う政治のプロフェッショナル向け定義から見れば、即、ニュースに、つながるという意味で、きわめて政治的なものなのです。

 私は前報を、金曜日の深夜書きました。その中に、含めるべきこととして、公の政治を、わざと書かなかったのです。その上、次の文章もすぐには書きませんでした。それは、なぜかと言うと、中国の、動向を待っていたのです。

 尖閣諸島への中国の艦船の出動がどうなるかを、観察していたからでした。土曜日と、日曜日は、それが、NHKニュース内では、出ませんでした。
 が、月曜日にはそれが、出ました。私は北久里浜へ行っていたので、NHKニュースも報道ステーションも見ておりません。だが、ネットニュースで、中国の艦船が出動して、日本船に接近をしてきたという報道を見つけ、なるほどねえと思ったしだいです。

 前報で、あげた安野家の坊ちゃんが、海上保安学校と言う、一種の職業高校に入学して、それを、嘘に近い言い方で、「大学付属高校ご入学おめでとう事件」を起こしたのは、その後でも何万回も繰り返される、欺もう(言葉によるだまし・・・・・平易な日本語で言うと、たらしこみなどと呼ばれるもの・・・・・)の、気がついた最初のもののひとつでした。

 そして、その裏にいろいろな疑惑があります。それを前報で、書きました。そのことを、25年間気がつきながら我慢をして、外へ開示しなかったのですが、別の側面で、ひどい被害が続いていて、それが、全部、安野夫人の女としての強気すぎる性格から生まれた井戸端会議により、奪われてしまった、私のアジサイ畑を、無かったことにしようとする脅かしであることに、気がつきます。

 で、仕方が無くて、正当防衛の一種として、あの経緯を書いたら、突然に、尖閣の国有と言う現象が起こり、それをまた種として、中国の艦船が、尖閣に出動をすることとなりました。

 それが、どうしてそうなるかと言うと、あれは、海上保安庁を目立たせる役目があるからです。海上保安庁が立派なものだと国民に知らせる目的が、あるからです。で、安野家の三男が海上保安庁に勤務しているので、安野家は、立派な家だということになり、
 後から、この山に引っ越してきた人たちに、「安野家のほうが立派な家なので、それに対立している川崎さんとは、付き合わないようにしなさいね」と言うことに役立てているわけです。
~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『どうして、二日、遅れで、その大騒動化が、起きたのか?』

 私は、下にスクロールしてくると出てくる前報、

『私費出版の価格として、鎌倉春秋社は、高いのか安いのか? (政治モノ)△』
2013-06-29 20:21:32 | 政治
 
 を金曜日の深夜に書いたわけですが、その後で、続報を書かないでいて、二日間もあけたのは、中国の艦船の様子を見ていたからです。出動するかしないかを待っていました。それを、NHKがどう報道するかも慎重に観察しようと、待っていたのです。

 上の文章は、1万8千字の長さです。それで、関連性のある三つの主題が含まれて居ます。その中で、私費出版の価格と言う小さいテーマを表に出していますが、その中で秘匿をされている、もっとも大きなテーマは、鎌倉雪ノ下に、いる二人の女性、特に安野夫人と言うのを利用して、私の一種の暗殺を狙った結果としてのアジサイ畑欺もう事件があり、

 それの詳細を、書き始めた私を、脅かして脅かして、それを書かせない様にさせる為の二つの策略があって、そのひとつが、尖閣の出動だからです。絶対にあるだろうと見ていました。あの前報を書いた限りにはそれがあるはずなのです。で、続報を書かないで、待っていました。

 ところが、29日(土)も静かですし、30日(日)も静かです。で、反省したのかな?とうっすらとですが、期待をしていました。(笑)

 だが、反省したのかな?などと、文章に書いたらむくれた相手が、ひどいことをやってくるはずで、それは、国家としての日本へ対する皿に大きな侮辱となって、帰ってくるはずで、大変だからと、我慢をしていたのが、土、日、月と、続報を書かなかった理由です。と言うのも、上にタイトルを上げた前報は、1万8千字にもなっていますが、それほどの字数を費やして、書いたとしても、それでも、あれは、言葉不足だったからです。続報を書く必要があるが、尖閣がどうなるかがわからないので、待っていたのでした。

 で、月曜日の深夜、重労働をして来て帰宅をして、録画しておいたニュースウォッチも報道ステーションも見る力が無かったのですが。ネットニュースで、やはり尖閣への中国艦船の出動があったと、気がつきます。そして、火曜日の朝8時から、録画しておいた、ニュースウォッチを見たら、第一番目のニュースとして大々的にそれが報道をされていました。

 しかし、今回はいつもとは違う新たな部分があって、それを準備するために、二日遅れたのだと理解しています。

 彼ら鎌倉エージェントは常に、自分たちに都合が良くなるような企画をします。今回は尖閣を、以前よりさらにフレイムアップをする必要があったのでした。で、4隻の漁船を仕立てて、そこに報道陣と、議員を乗せて尖閣視察をさせると言う脚本を作り出しました。

 そこで、報道陣と、議員が現地に到達するまでの、時間がかかったわけですね。お芝居です。鎌倉エージェントが企画したお芝居です。それこそ、大金を使ったお芝居です。それは、なぜかと言うと、

 わが家のご近所の安野夫人と言う女性の強気すぎてわがままな性格を利用して、私をじりじりと、追い込み、一種の暗殺に持ち込もうとする瀬島隆三と、その威光または意向を体して、さまざまな企画を、この28年間練りに練って実行する伊藤玄二郎と、彼に協力している、井上ひさし、酒井忠康氏、他、東京に居るエージェントたちが、よってたかって、新しい案を練りだすのですが、

 今回は、漁船4隻を繰り出し、それを、中国艦船が追いかけ、それを海上保安庁が追いかけるという、カーチェイスさながらの、ショー化された場面を見せ付けられたわけです。
 ただ、目的は、『海上保安庁が素敵です』と言う点にある事は、相変わらずであって、その真実の目的は安野夫人をサポートする点にあります。

 どうして、平凡な一女性のために、中国一国が利用されて、この大切な国日本が足蹴にされるかと言うと、裏では、中国とアメリカは通々であって、中国はアメリカから頼まれれば、なんでもいう事を聞くということがあるからです。

 アメリカがなぜ、動くかと言うと、アメリカは、日本と、日本人の能力をひどく警戒しています。常に押さえつけておきたいのです。そのために韓国、北朝鮮、中国の三国を利用しまくります。
 それが、公の舞台の出来事ですが、

 同時進行的に、鎌倉雪の下でも、戦略を行います。そのすべてを私はすでに見破っているわけですが、鎌倉雪ノ下の、出来事を書くと、それが、真実であるがゆえに、私への恫喝を強める必要があって、このように大げさにして、尖閣諸島問題、特に中国艦船の出動が行われます。外交問題を利用するのです。(笑)
~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『突然、文章が消えたので、ますます、私が書いていることが正しいのだと判ります』

 ところで、上の副題4の部分を、初稿として書いたら、突然に、全部の文章が消えました。で、ますます、私の書いていることが正しいと判るのですが、

 その中で、特に消えたのが、タイミングとして、こういう事でした。

 尖閣出動を、フレイムアップをする必要があって、それを起案したのは鎌倉エージェントです。と書いて起案者の名前を挙げていったのです。伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏などと、彼らに協力する東京のエージェントたち・・・・・と書いたとたんに、それが起きたので、

 上の数人には、私のパソコンの中に侵入して文章を消してしまうアプリが配信をされていて、何かのアイコンをクリックするだけで、それが、可能になると考えています。
 だから、固有名詞をあげたのは、上の三人なので、この尖閣諸島の中国艦船も、その三人の発案であることが感じられ、さらに、月曜日にフレイムアップするべく、土曜日に報道陣や、議員に対して、現地に向かえと指導した案を案出したのは、その三人である事は確かです。

 こういう仕組みに助けられていて、さらに、肉声による罵倒とか、恫喝と言う、肉体的な攻撃を加えてくる、前田祝一(元駒澤大学教授)氏と、前田清子(元國學院大學講師)さんのインテリ度には、疑惑がいっぱいです。よく平気で生きていられるなあと、いつも思っています。

 ところで、尖閣の中国艦船出動と、どうして前田夫妻と、安野夫妻が関連があるかについては、ここに初めてご訪問を下さった方には、よくわからないでしょう。で、それをご理解いただくためには、下にスクロールすると出てくる、前報だけでもごらんをいただければ、少し判ると思います。前報は、相当に重要な文章でした。いえ、重要だと、ニュースから、傍証を得て確認した次第です。あれほど、フレイムアップされ、ショー化された尖閣諸島の工房を見れば、どんな人だって、海上保安庁って素敵ですねとなり、このご近所さまでは、『へえーっ。安野家のお坊ちゃまって、海上保安庁勤務なの。えらいわね』と成るでしょう。それが狙いです。

 ただし、その裏に、内申書の改ざんとか、試験問題の漏洩(・・・・・これは、初めて語る話ですが・・・・・)さえあった可能性があり、それゆえに、私がそれを書くと、私のパソコンに障害が多々起きるというわけです。書かせたくないと敵側が思っていますから。だけど、大学付属高校ご入学おめでとう事件とか、海猿の4連作とか、その大ヒットの報道などを勘案すると、安野家の三男の海上保安学校への入学には疑惑がいっぱいあって、それ以外に、若尾文子のNHK功労賞受賞など、ありと、あらゆる傍証を、勘案しまくると、その二つ(内申書の改ざんと、試験問題の漏洩)の可能性は大きいのです。
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副題6、『加害者は勝ったと思うので、快感を感じ、したがって、自分のしたことを忘れてしまう。だが、被害者は忘れない』

 私にとって、前報は、非常に重要な内容を含んでいるのですが、その中には、3つぐらいの、エピソードが一緒に含まれて居ます。そこを統一するものは、勝ったと思っている人間が放つ、捨て台詞と言うものなのです。

 金曜日の夕方に、前田夫妻が放った文言については、今は詳細を書きません。それについて、良い文章が、天から降りてきていないのです。理由は、あまりにも直接的な憎しみの破裂だったので、汚すぎて、今はそれを書きたくないのでしょう。内的な欲求が書くなと言っています。
 だが、10年後ぐらいには、読者の皆様にとっても読みやすい、いい文章となって天が頭におろしてくださるでしょう。だが、前田清子さんを見ているうちに、田中愛子さんが、10年前に放った捨て台詞を思い出したのでした。
 そちらに重点を移しながら書いたのが前報です。10年前のことなので、私の心は平安に満ちてそれを語ることができるからです。

 私は何度も繰り返していますが、「現在の東京圏で生きている限り、すべての相手に対して、平等か、ちょっと上の存在として相手を認識するのがよいですよ」と。ちゃんとそれができている人も居ます。
 その上、ビジネス上の会話と、会合には、さらに、別のルールがあります。お金を払う方が大切に扱われるというルールです。

 ところが田中愛子さんのそれは、その両方を、100%逸脱していて、私はお客なのに、怒鳴られながら追い出されました。惨めでしたし、田中愛子さんの方は勝利の雄たけびを上げたでしょう。

 ところで、こういう場合に、私だって、捨て台詞を放とうと思ったら放てる人間です。だが、そういう事はいたしません。その理由をこれから語りたいと思います。

 実は、1998年、ニューヨークで初めて捨て台詞らしきものを放ち、驚くほど効果があることを知りました。だけど、あまりに効果がありすぎて、それを受けた相手(=若い日本人女性)が狂ったので、それ以来、捨て台詞は、放つまいと決意しているのです。
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副題7、『米人女性教授が、日本人が学生を鉄砲玉として使うが・・・・・』

 私は、それを自分で言えばいやみに成ると思って、言いたくないのですが、実は種々さまざまなところで、嫉妬の対象となります。または、恐れられる人間となります。それは、実力と、肩書きの間がアンバランスだからです。私がもし東大教授だったら、今起きているような事は、すべて、絶対に起きないでしょう。田中愛子さんも最初から、敬意を示しながら、対応をするはずで、したがって、「川崎さん、150万円しか払わないのなら、50部しかできませんよ」などと言う驚天動地の怒鳴り声を上げるはずは無かったでしょうし。

 私が昔、その東大に勤めていたときに、「あなたは将来必ず、東大の教授になれる。ただし、辞めなければの話だけれど」と、上司の教授から言われました。で、辞めないで、ずっと、がんばっていたら、東大か、または、別の大学の教授になっていたかもしれません。私は東大卒ではありませんが、受験勉強をしていないので、頭が壊れていないそうで、「その柔軟さがすばらしい。特に統合する力がある。東大生は、分析するのは得意だが、統合する力が無い」と、教授に言っていただきました。

 でも、実際のところ、数年で勤めは辞めて、長い長い専業主婦家業を続けてきたから何の肩書きも無いのです。となると、肩書きに頼っている人間は、馬鹿にします。馬鹿にしていながら、一方で、私が、作品を見せたり、文章を書いたりすると、すごいスピードで辞書も見ないで、英文を書きます。手書きでもパソコンを使っても、みんなの見ている前で、圧倒的なスピードで、文章を書いていきます。だから、相手、特にこの章では、ニューヨークの版画担当の教授は、大きく私を意識してしまいます。
 
 それから、版画なども独特のカラーセンスがあって、アッと、皆さんが言います。これについてのエピソードもいっぱいあります。が、今は省略をしましょう。

 そのときに、私に対して、対抗意識を示した教授は、学部長の愛人だから教授をしているといううわさを後で聞く、40代の女性でした。中肉中背で、アメリカに多い肥満体ではなくて、お顔も美人でした。ここで、仮名をアリスとしておきます。フランス系らしい苗字を持つ人なので,そちらも仮名をデューランと当てて置きましょう。
 私の方は、別に美人でもないし、10歳も年上のおばちゃんなのに、どうしてか、見事に嫉妬の対象になってしまい、毎週二時間の授業のうちの、最初の15分ぐらいの解説の際に、敵対意識をちらちらと見せ付けられます。いわゆるパワハラの対象になっていきます。

 銅版画を教える講座で、23人授業を取っていて、半分が海外から来た学生ですが、中に、日本人が一人居ました。25歳だそうで、京都の私立美大を卒業しています。彼女の方は仮名をアサコとしておきます。どうしてかと言うと、彼女はその後、狂ってしまい、それゆえに、教授が大学を辞めざるを得なくなったからです。
 とても、はしっこいタイプで、教授の心を読んで、私につらく当たり始めました。版画の授業は週に一回ですが、こういう技術系の授業は、授業日以外にも、工房で、作業をしますので、プレスと言う版画を摺る機械の使用について、邪魔されて、うんざりする以上の嫌な8週間を送った後に、アサコは行き詰って来ます。

 教授がいい加減なので、薬の塩梅を見ていないので、銅版の腐食ができなくなったのです。

 教授が用意したのは、1000倍に薄めた、塩化第二鉄と言うものでしたが、私は、自分の腐食液は、自分で用意していて、教授のは使いませんでした。と言うのも、特殊な種類の版画をやって居たので、そんな薄い溶液では、作業が進まないので、非常に濃い原液と言うのを使っていたのです。で、私は大丈夫ですが、アサコは、作業ができなくなりました。

 で、他のバットに入っている硝酸の希釈液を使いたいと思ったらしいのですが、それは、銅版には、使ってはいけないことと決められています。で、私に対して、「どうして、銅は、硝酸で腐食したらいけないの?」と聞いてきたので、化学方程式を書いて説明をしました。

 ここからが、私の捨て台詞と成ります。アサコの鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見ていると、ずっと、いじめられ妨害を受けていたことへの、絶好の復讐のチャンスだと思われて、続けて、

 「これは、中学の段階の化学ですよ」と言ってしまいました。そのせりふには無論のこと、『あなたは、忘れているの、おばかさんねえ』と言う無言のせりふが隠れて居るわけですが、さらに、それを聞いて、フリーズ状態になっているアサコを見ているうちに、つい追い討ちをかけたく成ってしまったのです、それがイタリック太字で書きますが、捨て台詞の類で、しかも効果抜群のものでした。

 「私はね。むかし、東大に勤めていたことがあるから、<56歳になった今でも>書けますけれど」
  と。

 そのせりふが捨て台詞だったゆえんは、東大に勤めていたという事は、事前には、アサコが知らない事実だったからです。仲良しでもない限り、キャリアをうちあける時間など無いですから。アサコは、単に外見から、『普通の熟年おばさんよ』と思っていただけでしょう。また、国際基督教大学と言う学校が、小さいので、いい大学だという事を知らない人間は、日本中で言えば、アサコ以外にも、数多いのです。特に大学紛争で、一回入試が無かった年がありますが、それ以前の評判の高いことと言ったら、東大の学生新聞が、「東大に入るより、ICUに入る方が難しい」と書いたほどだったのですが。

 ソニーの現平井社長を含んで、日本中で活躍をして人が多数いるほど、卒業生の人数に比例しては、多数の人材を出している大学です。だが、それを、知っている人間は、そこを受験したいと願う人ぐらいであって、そこを受験したいと願わない人は、その名声を知らないのです。マスプロ大学では無い上に、受験のシステムが、他の大学とは違うので、知る人ぞ知る大学だからです。

 京都の、しかも美大の出身のアサコは、国際基督教大学出身の人間が、どれほど、頭がいいか(笑)を、まるで知らなかった模様でした。
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 ただ、ここで、きちんと丁寧に書けば、銅を硝酸に溶かす実験は、中学や高校では無かったかもしれません。銅を、酸に溶かす実験としては、中学や高校の化学実験室なら、希釈した硫酸に溶かす実験は、やった可能性があります。それは、急にブルーになるので、生徒を驚かすはずで、効果抜群の実験だからです。硫酸銅溶液は、透明な希釈硫酸を、美しいブルーに瞬間的に、変えるからです。

 ただ、化学が、大好きな私ですから、いつどこでも、どういう反応式でも、書けるわけですね。しかも、無機化合物の反応式は、有機化合物やキレートの反応式に比べると、シンプルなのです。で、大学で習うレベルが、そういう複雑な分子式だと思うと、つい、比較して、簡単すぎる銅と硝酸溶液の反応を、「中学のレベルですよ」と、言ってしまったのですが、その部分で、アサコは、すでに、恐怖を感じていたかもしれません。そこへ持ってきて、「私は、昔、東大に勤めていたから、(それほど、頭がいいので)これを、忘れていないのですよ」と言ったから、自分との格差を、突然に、突きつけられたわけです。
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副題9、『失恋の痛手などを、ニューヨークでの一発逆転で晴らそうとする女性たち』

 彼女は、京都の私立美大卒ですが、それは、盆地内にあり、文字通りの、井の中の蛙であるという事を示しています。その上、日本人は、普通は、美大から大学院へは進みません。芸大出身者とか、武蔵野美大と、多摩美の出身者で、一種のモラトリアムをかねて、助手兼、大学院学生であるという人は多く見ますが、大学院へ行くという事は、美大の教授になるということであり、その席は、多くは無いので、たいてい大学院へは行かないのです。特に海外にまでは、行かないのです。

 どうして、アサコが、ニューヨークの大学院へ入学したかと言うと、将来の教授職を目指しているわけではなくて、将来の草間弥生か、千住博か、杉本博司を目指しているわけですが、それにしては美的センスが足りません。それは、誰の目にもすぐわかる部分です。それでも、一発逆転を狙って、すさまじい意欲は持っているのですが、しかし、裏側が透けて見えるのです。つまり、日本で周辺から愛されなかったということが。

 大学時代に、もし男女共学の大学に学んでいると、恋愛の問題が起こります。そこで、相手をゲットできれば、それが、一応の勝利です。だが、カップルを形成できなかったと仮定してみましょう。それでも、普通の人はあきらめて、方向転換をするものです。別の人を探します。または、欲求のランクを下げます。

 彼女は、留学の資金を稼ぐために、いったん就職をしたのだそうです。普通の人だと、就職先で、また、新たな出会いがあって、それで、矛を収めたりするのですが、彼女は、がんばっているわけです。(笑)、ただ、スケールが小さいです。将来成功する人間は、それなりの気品とか、香華があるものです。せかせかしすぎています。かわいげが無いです。その上、教授の鉄砲玉として、同胞のしかも、30歳も年上の私を、苛め抜くとは、その性格の汚さに、唖然としてしまい、それ以前の生活が、読めてきてしまいます。『は、はーん。大学時代に、失恋をしましたね。または、教授に疎まれたとか? で、一発逆転勝利を狙っていますね』と、判ってきてしまいます。

 これは、今から15年近く前のことで、まだ、日本経済に余裕があった時代で、親が裕福なお嬢さん方が、何らかの逆転を狙って、ニューヨークへ多数きていた時期です。しかし、親元は裕福では無いが、自分が、2,3年働いて資金をためて、ニューヨークへ来たというお嬢さん方もあって、そういう人は、ある程度以上に、すさんでいるというか、きつい性格を示しているというか、であって、日本社会では、うまくいかなかったということも、容易に推察をされるのでした。
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副題10、『ところで、私がどうして、ニューヨークへ行ったのか?』

 上にアサコを批判しています。でも、『あなたも、大学院へ入ったのですよね。それって、アサコと同じではありませんか? あなたも日本社会に受け入れてもらっていないので、一発逆転を狙っていたのではないですか?』といわれちゃいそうです。

 確かにそういう側面もありました。で、そのように誤解した、知人、友人は多かったでしょう。で、さらに日本美術界では嫌な思いをすることと成ったかもしれません。たとえば、同じ展覧会に、私が100号正方形を出しただけで、突然に怒り出して、いじめ抜いてきた渡辺幸子さんも、口には出さないけれど、パリに一回3ヶ月、ニューヨークに二回も三ヶ月ずつ、修行に行った私をそういう類の抜け駆けをする人間とみなして、警戒心を旺盛に持っていたから、たんに自分より大きなサイズを出しただけで、ずるいと思い、パニックに陥って、気持ちの整理ができず、大人気ないいじめ行動を発してしまったと考えると、腑に落ちます。

 だから、ここでは正直に、「15%程度は、そういう部分もありました」といって置きましょう。ただ、85%は違うのです。純粋に長時間使える工房を求めたからです。
 私がやっている技法の版画は、ヘイター方式といって、他人に摺ってもらうと、一枚1万円ほど、作業料をとられるほど、複雑な手法を用いる版画で、はじめたら、10時間連続して作業をしないと、三枚程度でも摺ることができないという形式の版画なのです。
 で、日本では、そこまで、長時間使える工房がないのです。

 ところが、海外だと、芸術家が尊重をされていて、ルールなどを無視して、長時間使える工房が多いのです。それこそ、専門家としての版画家が使いやすい工房が多いのです。それをパリで経験してみて、私は、もう一回海外へ行きたいと願ったのでした。
無論、プレスを買えば、日本でも、できますね。ただ、鎌倉の自宅へは、プレスが重すぎて上がらないのです。

 池田万寿夫のサポートをしていた人たちが、ニューヨークから帰国後、私が、結局は自分のプレスを買って、それを、逗子の借りていたマンションに、設置してくれたのですが、一階でも、20mは、車を降りてから歩いて、人間が運ばないと成らない形だったので、皆さんが、往生をしたのです。それを見ているので、鎌倉に持ち上げるのは圧倒的にあきらめたのでした。

 分解しても重い部品があるのです。ただ、将来の夢は、幅45センチと言う最小のプレスを買って、小さな版画を摺って暮らすことです。安野夫妻や、前田夫妻から攻撃を受けず、ニュースからも外交からも攻撃を受けなかったら、そういう生活に戻ることができますが、今は無理であって・・・・・

 で、パリで、そういう専門家向けの長時間の作業形態が、許されていることを知って、ニューヨークでも、そういう場所があるだろうと、推察し、それに関する情報を日本で集めまくっていました。

 ところが、情報がただでは無いというのが、本当で、ニューヨークの美術界について、教えてくれる人が居ないのです。事前にそれを調べるのはとても難しいことでした。ただ、一生懸命努力をしていると、地球堂と言うギャラリーで出会ったアメリカ人が、
Pratt Institute と言うところにあなたの希望に合う工房があるはずですよと、教えてくれたのです。それが、ブルックリンにあるということだけは、彼女から教えてもらいました。
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副題11、『なぜ、私が大学院へ、56歳で入学できたのか?』

 ところで、出発直前に、今は某美術館の館長をしている方から、「そこは大学のはずですよ」と言う言葉を聴いたのですが、「もし、そうなら別の工房を探せばいいわ」と言うくらいの軽い感じで、宿だけ、マンハッタン島の、タイムズスクエアの、自宅を持っている日本人のシェアハウスを、借りると決めて、さっとアメリカへ渡ったのでした。卒業証明書とか、成績証明書の類は、まったく準備しないで出かけました。だって、私は美大卒では無いですから、用意しても無駄だろうと思いましたし。

 さて、在ニューヨークの日本人はさすがに、Pratt Instituteの事は知っていて、それが、地下鉄のどの駅を降りたらいかれるかを教えてくれました。で、油絵の小品を二つ、版画の小品を、3枚ぐらい持って出かけてみました。

 晴れた日で、しかもブルックリンハイツは、綺麗な住宅街で、気持ちがよく、かつ、そこは美しい美大でした。棟と棟の間が、上野の芸大より、はるかに大きな間隔を取ってあって、その間に、現代彫刻が設置してあります。

 ここで、挿入ですが、ブルックリンハイツと言うのは、クリントン夫妻のニューヨーク別邸があるほどの高級住宅街でもあるのです。レンタルDVDで『イカと鯨』と言う映画をお借りいただくと、離婚するインテリ夫婦の、妻と、次男が確保する家が、この近辺であって、夫と長男が、移転をする先が、ずっと海抜が、下に下って、行ったブルックリンでも、南側の、住宅が、安い地域であることがわかります。

 私はそういう景色を眺めながら、『ああ、やはり、美大だったのだわ。それでは、入学は無理ですね』と思いました。でも、せっかく来たのだから、何かの情報をもらいたいと思って、学生たちに、版画工房はどこに在るのですか?と、質問をして教えてもらいました。で、先に学部棟(1年から4年までの学生が使う)の版画工房へ案内されました。そこらあたりを歩いていると、にぎやかな部屋があって、そこに版画工房の主が居たのです。学生がいっぱい集まる人で、学生たちの、薬品や銅版や道具の管理などを引き受けている紳士で、後に教授へ昇格したと聞いている人の部屋に行き着いたのです。

 でね。私はその人に、塩化第二鉄(銅版を腐食させる液)の入手先を教えてもらいました。アメリカは、劇薬の管理が厳しくて、日本ですと住所を書いてはんこを押すと、塩酸や硝酸も買えるのですが(ただし、塩化第二鉄を置いている薬局は無い。それは、やはり、版画専門店でしか買えない)硝酸や塩酸程度でも、薬局では買えません。それはパリで、大体経験済みなので、その人にそれを教えてもらうのは大切なことでした。

 で、レンブラントと言う美術系の大卸会社(のちほど、車代7万円を払って、日本人の方に連れて行ってもらうのですが、牧場地帯に、7棟の大倉庫を持っている会社です)を紹介してもらいました。
 それだけでも、大助かりなのですが、その人に自分の作品を見せると、「いい作品を作っているね。学部長に紹介をしてあげる」といってくれて、FINE ARTS部門のオフィスへ連れて行ってくれました。

 そのときの学部長は上の方で、言及したアリスデューラン(仮名)を気に入って、実力の無いのに、教授職に就けたといわれる陰の実力者(病気だと聞いている)ではなくて、品の良い紳士であって、「ここの工房を使いたいなら、あなたはすでに学部は卒業している模様なので、大学院へ、入学なさったら使えますよ」と教えてくれました。あっけに取られるほど、簡単に入学許可が降りて、大学院の学生となることができたのです。
 ラッキーでした。天はみそなわすとは、本当でした。

 高校一年生のときに、どうしてか担任の先生に、受験用紙を渡してもらえなくて、AFSの試験を受けることさえできなかった悲しみが、この時点で癒されたのです。苦しいことや、悲しいことがあっても、必ず、神様はどこかで、見守っていて、償ってくださるのです。人生は、どこかで、つじつまが合うようになっているのでした。

 マイナスがあっても、どこか別の場所、別の時点で味わうことのできるプラスの経験によって、補償をされるのです。本当にありがたい経験でした。ただし、授業料はお高いです。私立で、しかも美大ですから、高かったです。普通の版画工房を使うより、お高かったと思いますが・・・・・

 しかし、好事魔が多しも正しくて、こういうエピソードが内々で、担当教授のアリスデューラー(仮名)にも伝わっていたと思われ、アリスが、最初の講義の日から、過剰に私を警戒していることとなったのです。『できる人間だ。自分が負けるかもしれない』と、彼女が考えていたのは、敏感な私はすぐ察しましたし、他の学生も強く感じたと思われます。で、アサコは、教授への忠誠心を示せば、自分が有利になると考えたのでしょう。それで、いじめて来たというわけです。

 以上、副題9から11までが、あさこが、乱暴狼藉を働く前の、状況説明です。それを書いた後で、元へ戻ります。捨て台詞の問題を語るための文章へ戻ります。
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副題12、『黒板の前が、まるで殺人事件の現場状態だった』

 その捨て台詞を放ったのは、真昼間のことで、私はその後気分よく、食堂へ向かいます。その日も晴天でした。そして、お昼を食べて帰ってきたのは、

 午後1時半ごろでしたが、あたりには誰も居ませんでした。普通の大学院の学生は、こういう時間帯は授業があるので、作業をまだ始めません。だが、私は高価な講座を、二つとっていただけなので、時間に空きがあって、誰も居ない昼間に、作業をしているのでした。しかし、その日に限って異変がありました。

 なんと、黒板の前の一番目立つところに、私の腐食液が、床にばら撒かれていたのです。覆水本に帰らずの典型で、私は、そこで、作業がストップします。だが、事は、そういう単純な復讐ではないのです。

 塩化第二鉄の水溶液と言うのは、劇薬の一種で、人間の皮膚にかかったら、ただれます。そして、激しい痛みを伴います。銅まで溶かすのですから、人間の肉体なんて簡単に傷つけます。そういう劇薬を、誰かの足にかかってもいいから、床にばら撒くという行為は、最近よくある、学校で、ある生徒が、ナイフで、別の生徒を、グサッと刺したという行為とほとんど同義です。

 しかも塩化第二鉄の原液とは、鉄と銅を含んでいて、比重が非常に高くてどろっとしていて、床から、1センチ以上盛り上がっています。銅を溶かすまえは、黄褐色が含まれた赤ですが、銅を腐食させ始めると、どす赤黒くなって、人の血そっくりです。
 しかも、2リットルが、ゆかにばらまかれたころ、ちょうど、リフォーム中で、ほこりや泥がいっぱいだったので、それを、巻き込んで、真円にはならず、人型に、広がっていたのでした。

 アリスが在校していない日だったので、他の教授を呼んできて、現場を見てもらいました。みんな息を呑んでいました。
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副題13、『アメリカ人の責任の取り方、取らせ方。・・・・・そのリアリティ』

 最初の方で、教授が辞めることとなったと、種明かしをしてしまってあります。だが、大学側が公式に、アサコに責任を取らせて退学をさせたり、アリスに懲戒を与えるというような事はしていません。むしろ隠蔽して、このことが無かった事にしたいみたいでした。現場を見た、ある男性教授は、「犬がひっくり返したのでしょう」と言っていましたし。

 だけど、若い学生たちの口コミ力がすごいのです。もともと、あまり人気が無かったらしいアリスの授業を、次の学期から取る人間が誰も居なくなったそうです。
 狼藉を起こしたのはアサコです。だけど、それはアリスの学級経営がまずいからでした。気に入らない学生をいじめるために、鉄砲玉として、別の学生を使う。そういうアリスの手法が嫌われたのでした。別に大学当局が、「辞任を勧告する」というわけではないのです。ただ、単純に、人気が無い教授は辞職すべきだという暗黙のルールがある。そして、学生が大喜びするような、若くて、実力のある人材へ、後釜が変わりました。そうなると、どんなにコネを使っても復活は無理ですね。

 それが、アメリカの人事のリアリティでした。

 でも、これ以来、「外見は、羊みたい。あなたって生活色が無いわね」とよく言われる私は、自分が人並みに強いのだと、自覚をすることと成ります。そして、自分の言葉も、人並みか、人並み以上に強いことを自覚して、できるだけ、直接には言葉を出さないように努力し始めます。対面したときには、できるだけ、対等か、相手を少し敬った形を取るように気を使います。徹底的に、そういたします。

 それ以前だって、そうだったのです。私は事の未来が読めるので、こういう事を言ったら相手がどう感じるかな?とか、相手が、どういう風な反応を見せるかなと言うことも判るので、たいていは黙っているのです。捨て台詞の類は、絶対に放ちませんでした。
 デモね、人間です。会話はほしいですね。だけど、それに結構なレベルで、恵まれるのです、外出先で、電車の中、今は北久里浜の前の家の近所で、そして以前なら、銀座で、または、それに向かう往復で、または、喫茶店やレストランの中で、これはと思った人に話しかけると、必ず素敵な会話が成立するのです。
 ただ、ほとんど、その例を語りません。特に最近はです。

 このブログの世界では、正当防衛の一種として汚い種ばかり取り上げてしまっていますが、私の周辺は、実のところ、天がもたらす慈愛に囲まれても居るのです。で、私は充分以上に幸せなのです。常に、良いことと悪い事はバランスを取って訪れるからです。

 ただし、捨て台詞はろくなことがないと、私は思っています。勝つという事は、負けた人間を、破滅させることがあるのです。アリス・デューラーが職を失ったなんてニューヨークに1999年に、滞在中は、知りませんでしたし、アサコもあれから15年は過ぎていますが、大アーチストになったという評判は聞いていません。ただ、この1999年以降、2000年と、20001年に再び、滞在やら訪問をしていますので、いろいろ後日談を聞く機会があったというわけです。

 その夜片付けに九時間も係り、私は、ほとほと、惨めで、泣かんばかりでしたよ。そして、これには後日談が、教授の辞職とは別にあって、それは、きらめくプラタナスと言う一文でまとめています。そこでも、天の恩寵という事を知りました。

 ただ、本日はすでに、1万8千字を超えているし、捨て台詞の、真実と言うことに絞って語りたいので、ここで、とめておきます。捨て台詞を放つなど、最低で、最悪のことなのだ。大人のするべきことでは無いと、私が感じているという事を、皆様に告げただけで、終わりたいと思います。

 なお、このブログの2010年から、数え始めた伸べ訪問回数は、1691375です。

 2013年の、7月1日の深夜に書き始め、5日の早朝に推敲を終える。

                  雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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