銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

め以子派 VS ボーヴォワール派・・・・・逗子市役所は、どうして、今責任を問われるのか□

2013-11-07 23:31:18 | 政治

 今日もツィッター方式で書かせていただきたいです。で、書けた部分に沿った総タイトルをつけて行きます。どんどん、変わっていく可能性がありますが・・・・・

 8日の、午前、二次から、午前九時までは、『め以子派と、ボーヴォワール派があるとすれば、G村松のオーナーは後者でしょうね□』となっていました。が、午前10時に、二度目のタイトルへ変えています。

 一応、初稿は、ここで、終わりといたしますので、初稿だけは、完成したというしるしに、総タイトル脇に、□印を付けておきます。

副題1、『朝ドラ、ごちそうさんが、好調だそうですが』

副題2、『1950年代以降は、20年ぐらいの間、フランスの女性が理想の鏡とされた。シモーヌドボーヴォワールとか、魅せられたる魂とか、キュリー夫人とか』

副題3、『川島女史・・・・今は閉鎖されている村松画廊のオーナー・・・・は、ボーヴォワールを理想としたタイプであろう』

副題4、『私と夫の結びつきの、最大のポイントは、二人で、漫才ができること』

副題5、『そのころから、パソコンへの、ハッキングはすでに受けていたのですなあ』

副題9、『2013年11月8日になって、加筆すべきことを見つける。それは、逗子ストーカー殺人事件の、探偵や市役所の、責任がどうして、今、追及されるのかと言う点だ』

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副題1、『朝ドラ、ごちそうさんが、好調だそうですが』

 私は前報において、『ジャーナリズムがだめなんです』と、言っています。何らかのトレンドを示して、国民を啓発しようと言う姿勢は、特に朝日新聞系列に、顕著ですが、岩波書店とか筑摩書房も、そこに加わって、社会の木鐸足らんと言う意識はあるでしょう。中央公論社もそこへ加えないといけないかな?

 講談社と、小学館と、新潮は、娯楽性を、強く打ち出してもいるので、気取っていないという感じを受けますが・・・・・

 ご馳走さんを、見ていると、古い設定だなあと思いますけれど、それが、当たるのは、現在の日本で、働く女性が、どの世代も、幸せではないからです。ラガルド世銀総裁が、「日本女性はもっと働くべきだといったそうですが、現在のような仕組みの中では、女性は、負担が多すぎるのです。たとえば、1日に五時間だけ、働いて、きちんとした給料をもらえるという仕組みでもできればいいのですが、一般的には職場での束縛時間が長くて、皆さん、疲弊しているのです。消耗がきついのです。

 その上、雇用形態が、年功序列ではなくなったので、もし、結婚をしないで、45歳ぐらいの時に、会社から放り出されたら、目も当てられないので、一部上場の優良企業に勤めている将来性のある男性を捕まえて、さっさと結婚をして、専業主婦になりたいというのが、最近の大卒女性の本音だそうです。

 それは、ジャーナリズムが作ったトレンドではなくて、女性達自身が、社会を見て、また、女子会トークなどを経て、自分で、つかんだ結論らしいのです。

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副題2、『1950年代以降は、20年ぐらいの間、フランスの女性が理想の鏡とされた。シモーヌドボーヴォワールとか、魅せられたる魂とか、キュリー夫人とか』

専業主婦を理想とするトレンドは、ごく最近、しかも現場から持ち上がったものらしいのですが、私が大学を卒業するころの女性の理想像は、フランスに生きる自立した女性でした。キュリー夫人は、ポーランド原籍ですが、ほぼ、フランス人です。キュリー夫人の自伝を中学やら、高校で、まず読んで感銘を受けます。

 その次に大学へ進学して、フィクションの、『魅せられたる魂』を、読んで、下手な男と結婚をするより、シングルマザーの道のほうが素敵なのねなどと、思い込んだりします。そして、サルトルやボーヴォワールが、最大限に、もてはやされ、情報開示をされていました。で、経済的に自立した女性が、優越しているのだと、言う考え方が広く世を支配しました。

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 ところで、ここで、挿入ですが、現在では、サルトルを話題にする人がいませんね。日本でもそうですが、欧米でもそうだと思います。私は当時から、サルトルなんて、おかしい人間だと、軽蔑をしていたので、やはり、直感が当たってきたと思うのですが、ともかく、ボーヴォワールが、我慢をすることで成り立っている、二人の関係だったらしいのです。

 つまり、二人の結びつきは、『入籍をしない。お互いに最重要なパートナーと認め合って入るが、他の人と、付き合うのも自由である』と言う契約下の結びつきです。つまり、サルトルが、女性編集者や女性ジャーナリストと、仕事をする際に、彼女らと、ベッドインするところまで発展する可能性はあるが、それを、自由にやっていいでしょう。ね。シモーヌ、君の方の自由も許容するからさ」と、言う話なのです。男性はそれで、OKでしょうが、女性は、そういうハンティングの傾向を持っていないので、シモーヌはストレスいっぱいだったと思いますよ。とても、かわいそうな、ボーヴォワールでした。

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 ここで、女子高育ちか、県立の旧制第一中学が、戦後男女共学になった高校育ちかで、女性の考え方も相当変わるみたいです。後者は、学内に女生徒が、少ないので、大切にされて育ち、プライド高く、かつ前向きに生きようとする形で、育ち上がるようです。その代表的な例として、扇千景さんとか、西原理恵子さんが上げられるのですが、女子高育ちとなると、ぐっと、控えめになり、山崎直子さんみたいに、仕事は持っているが、テレビ内で、声高に、発言することも、控えて、結婚もして、子供も、持つ、となる模様です。

 私の場合は理想より現実重視です。日本社会は、まだ、まだ、男性優位です。で、だめだ惟は、となって、自立する女性像は、実現しがたいなと思っています。それに、女子高育ちだから、前にぐいぐい出るのは野暮だという考どと、言うひけらかしは、絶対に、しないんですよ・・・(笑) だけど、もしかして、この文章が、最近、そういう形になってきているかしら・・・・・もしそうだとすれば、それは、敵の存在があるからですね。

 彼らが、あまりにも野暮ったい人間達で、動物的だから、彼らを分析する文章はすべて、居丈高になる可能性はあります。

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副題3、『川島女史・・・・今は閉鎖されている村松画廊のオーナー・・・・は、ボーヴォワールを理想としたタイプであろう』

 さて、上野副題1、から、副題2までは、村松画廊と言う有名な画廊のオーナー川島女史に、私がいじめられた際の事を、分析するための導入なのです。そして、それ自体が、実は醍醐イサムと言う画家を分析することへつながっていきます。

 私が、今は閉鎖をされている有名な村松画廊のオーナー川島女史から、こっぴどくいいめられた当夜、は、結構めろめろになりました。デモね。耐え忍ぶタイプの私は、それが起きた京橋から、新橋まで、30軒近い画廊をそ知らぬ顔で、訪問をして歩いたのですよ。

 きちんと、作品を見ながらです。新しい形の美術評論家として、時には作家と、丁々発止の切り結びをしながら、見てきたのです。私は実際はとても強い人間なのです。ただし、次の日の昼、『蛙が、銀座を歩いてもだめなんだよ』と、言うエッセイを、当時持っていたメルマガの中で、書きました。デモ、そのときは、川島女史の名前は挙げないで、書いていたのです。しかも、ブログではないので、非常に限定されたあいてだけに送っている世界でした。

 大切なことは、私の方には、川島さんにいじめられる動機が、まったくないので、月刊ギャラリーの連載が、終わったころだったというタイミングを利用して、叩きのめしてやれというか、何かの裏があったとは、はっきりわかっています。

 美術9条の会が、できたのが、2005年だそうですから、そこに所属している、赤津侃さん、または、針生一郎さん、または、酒井忠康さん、または、野見山暁司さん、または、それらが、原初の人なのだけれど、間に、別の人、たとえば、美術の窓の編集長とか、別の私がその実像をよくは知らない美術評論家が、間に挟まったかどうかは知りませんが、友格の事として、川島さんのいじめは徹底的に政治から始まっていることであり、

 私としては、裏側は明瞭であって、別に文章に書いたほどの、痛みは感じていないわけです。だが、よく、自分に、30%規制をかけていると申しているでしょう。あの当時ここまで書く事はいたしませんでした。それに書いたって、誰も理解ができなかったでしょう。今は、瀬島龍三が、北久里浜で、横須賀市の水道山をただで、私物化したことも、伊藤玄二郎の元愛人が、警官二人を私物化して飛んでもないことが、私の身におきたこと。だけど、それが、かえて、大きな戦いの道具となっていること。そして、30年間、損の損の大損をただ、ただ、我慢をし続けた、アジサイ畑欺もう事件のことも書いたので、

 川島女史の裏側に、鎌倉エージェントの発案があり、彼らを助けるために、彼女が使役をされたのだと、書く事ができるわけです。

 大昔に戻ります。私は、本音も出さず、裏側にも触れず、限界のある中で、川島さんの名前も出さずに、ただの、笑い話として、それを提示しています。

 いえ、全部の画廊めぐりを終わったら、急に一時間半前のその屈辱を思い出し、涙があふれそうになりました。すでに、子供二人が結婚をして家を出ているので、帰宅しなければいけないという制限はないのですから、主人に電話をかけて、「かくかくしかじかだから、逗子のアトリエによって、何か創作をしてから帰ります。文章蚊、絵か、どちらかで、一本、創作をすると、回復しますから』といいました。

 ここですが、創作って、脳を研究している人によれば、最高の快楽だそうです。で、私もそれは、実感をしていて、何かを作った後では、気分がすっきりと、きれいになって、回復しますので、逗子によってから、一文章でも書いて、その後で鎌倉へ帰りたかったのです。

 「だけど、夜11時半が最終だから、もしかすると、とまるかもしれない。明日の朝帰りますよ」と言うと、「だめだよ。かえってこなくちゃあ、蛙が銀座を歩いてもだめなんだよ」と、言うものですから、大笑いをしてしまって、その笑いの力で、気分が回復して、自宅へ直行をしたのでした。そのユーモアだけを、前面に出して、最初の文章を書いています。

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副題4、『私と夫の結びつきの、最大のポイントは、二人で、漫才ができること』

 ここですが、皆さんには、何がおかしいかはお分かりにならないでしょうね。で、蛇足ですが、解説をさせていただくと、私は悲しくてたまらないので、夫から同情してもらいたいわけです。だが、同情を絶対にしない人なので、自分は、自分で、感情の始末をつけないといけません。で、上に言ったように、創作が最大の快楽なので、それを、一物、なせば、それで、すっきりするというのが私の自立なのです。

 だが、主人は、絶対に同情をしないくせに、私の健康だけは、常に、心配している模様です。無理をするな、無理をするなといいます。

 それと、私が家にいないと、ひどく、機嫌が悪くなるタイプなのです。逗子にアトリエを構えて修行三昧だったころ、娘が、「お母さん、家にいてね。お母さんが家にいないと、お父さんも、お兄ちゃんも、だめになっちゃうから」といっていましたが、私は、どうも家の中心みたいなのですよ。誰からも甘えられ頼られる存在らしいのです。つまり、大黒柱と言うわけですね。

 夫は私が、夕食を一緒に食べないだけで、機嫌が悪くなるタイプですし。そして、同情をしないどころか、ひどい悪口を言うタイプです。奥さんが、弱気になるのが許せないタイプらしいのです。妻はいつもニコニコしていないとだめなタイプなのです。その上、村松画廊の実態を知らないでしょうに、「おまえねえ。優れた女性と張り合っても、お前には勝てないんだから、無駄だよ」と言うわけですから、大変な意地悪なのです。

 そこは、不満ですよ。『もっと、素直に同情してくれるだんなだと、いいのになあ』と思いますよ。だけど、自分が蛙にたとえられたことも面白かったし、「蛙が、アスファルトジャングルを歩くのは、似合わないんだよ」と言う表現も面白くて、笑い転げてしまったのです。それで、深刻だった気分(メランコリックなもの)がどこかに、吹っ飛んでしまい『ま、いいか。鎌倉へ帰るか。直行するか?」となります。

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副題5、『そのころから、パソコンへの、ハッキングはすでに受けていたのですなあ』

 この川島さんに、いじめられきった夜からすでに、8年か、9年が過ぎています。その間に、五大以上のパソコンが壊されました。メルマガを運営していたのは、昔から使っているAOLで、その当時はマイクロソフトのシステムを通さない形だったので、自分のパソコンのハードディスクには、残らないのです。だけど、惟も撮ってあるだろうし、後日、開発ちえさんが、罵詈雑言の、メールを7通もくれたのもとってあります。だけど、文章は、すでに、8000本を超えるほど、書いているので、現物を探すのが容易ではないので、第一回目の文章をここに再現することは、スキップいたします。

 その代わり、今まで、語らなかったことを語らせてくださいませ。それは、名前をさらしていないのに、見事に川島さんに、これが伝わっていたことでした。

 そこで、ハッキングされていることとか、鎌倉エージェントが、支配している画廊がどこかとか、言うことがすべて、わかってきたのです。徐々にですよ。数ヶ月かけて、もしくは数年かけてですが、銀座の画廊街の人的コネクションはほとんど、わかっています。そして、意地悪の、程度も、いろいろ、面白がっている昨今です。将来、これを、どういう風に面白いエッセイに直せるだろうかと、こちらは、こちらで面白がっているのです。そして、それが、わかってきたから、それ以降、美術界のいじめもすべて、鎌倉エージェント発であり、どういう流れで生まれてきているかを、きちんと、理解できるようになりました。で、違和感を感じることは、すべて、裏があるということを、自覚して対処しています。相当に用心深いですよ。灰、何々様、ビールやお茶を小道具に使って、『私は、表面はいざ知らず、あなたの事は、嫌いざあますよ」と、言っているあなた。将来とても面白い文章を書きますよと、予告をしておきましょう。

 私が追求しているのは、政治の問題です。別に個人的な復讐ではありません。だから、正々堂々としているし、少しずつ、自分の、規制もはずしていくので、より面白く、より本質をうがつ文章を書けるようになると核心をしています。

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副題6、『私は、レストランで、孤食をするときには、いつも、山口みつ子さんと一緒のつもりである』

 と言うわけで、川島さんの、意地悪については、今度は、実名を出す形で、二度目として最近も、書いています。と言うのも読売新聞に、2010年の、1月21日かな。ギャラリ-山口のオーナーが自殺であることを匂わせる記事が出て、それに、川島さんが、協力しているのにも、ひどく怒っていますから。

 山口さんは、自殺ではなくて、他殺だと、私は、信じていますし。それなのに、読売新聞と言う全国版の新聞で、ギャラリー山口の入り口の写真を使って、不況なので、自殺をするオーナーもいるとは何事ですか? 同業者なのに、ひどすぎます。

 お子さんがないので、私が川島さんの、非道さを怒ってあげないで、誰が、山口さんの悲しさや、悔しさを晴らしてあげますか?

 最近ですが、よくテレビの世界で、3,11に関連して、誰かが、死んでも、残された人が、その人の事を思い続けている限り、その人は行き続けているというコンセプトが出てきていますが、私は、そのコンセプトを、2009年8月20日刊行の、『黄色いさくらんぼ』の中で、すでに書いています。

 2012年度いっぱいは、ビュッフェとか、バイキングを試しました。泥棒が入るので、主人とすれ違いで、外出しますので、ほとんど、孤独な食事ですが、それでも、心の中では、山口みつ子さんと、常に一緒に食べているつもりです。

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副題7、『私は川島さんとは、ケンカはしない。どうしてかと言うと、不幸そうに見えるから』

 ところで、この一文をなぜかいているかと言うと、目的は醍醐イサムと言う画家を分析することにあるのです。村松画廊のオーナー川島さんをまな板に取り上げるのは、醍醐イサムと言う画家と対比して、違うところを述べたいから、取り上げただけなのです。

 醍醐イサムと言う画家は、イケメンを自称するというか、自覚をしていると思います。私もそれを肯定してきて上げました。私はよく、美形好きな川崎さんと、からかわれるほど、美しい人が好きですからね。だけど、それも、彼が、川島さんと同じく、裏からの教唆を受けて、いじめてくる前まではの話です。

 彼が、何の因果関係もないのに、いじめてきたときに、瞬時に、怒りが爆発しました。だけど、面と向かってそれを出すほどに、私は動物的ではないのです。

 しかし、私は、・・・・・日本では珍しいことに、・・・・・・売られたけんかを買おうと決意したのです。

 行動としてですよ。それが、醍醐イサムの姿を、2日後に、ビデオに撮るという行為だったのですが、川島さんの方が、よりきついやり方で、いじめてきたのに、彼女に対しては、行動としての喧嘩を買っていないのです。

 つまり、文章を書いた以降も、銀座で、会うことがあります。彼女は絶対に、私のブログを読んでいるでしょう。毎日読んでいるわけではないが、彼女について書いたときは、誰かから、お知らせが入り、読んでいます。だから、「川島さん」と、呼びかけるだけで、火花が散るでしょう。それから先が喧嘩となるわけですが、実際には、すれ違ったときに、私は、「川島さん、犬は元気ですか?」と優雅に言っただけです。そして、彼女は睨み返すでもなく、ただ、気がつかないフリをして去っていきました。今度は彼女が私を避けるというか、そらして、行ったのです。私は後追いをしませんでした。

 それがどうしてかと言うと、川島さんが、不幸に見えるからです。最近の女子大生が、「専業主婦になるのが望みです」といっています。そして、朝ドラ『ご馳走さん』が、大当たりです。でも、すでに、70歳を過ぎた川島さんが、専業主婦になる? 考えられないです。彼女はいつも肩肘を張って、武ばって生きています。一生懸命なことは、わかります。そして、仕事は、緊張感があって、きついものだったでしょう。そして、勝ち組として、人生を終わったのです。引退したが、村松画廊の名声を覚えている作家は、日本全国にいっぱいいます。学芸員などにも知り合いが大勢いるでしょう。美術館の館長にもね。

 だから、一種の女王蜂です。だけど、彼女の心をよぎるものは、『これで、私の人生は、よかったのかしら?』と言う迷いや疑問でしょう。とても正直な人であって、そういう迷いや、悩みがあることが隠せない人です。そして、その強がって、私に対して、いばっているところこそ、彼女が弱い人であることを示しています。

 ある形とか、あるシステムの中でこそ、安心して生きていかれるのだけれど、それがなかったら、不安でたまらない人でしょう。いや、間違っているかもしれませんよ。彼女は結婚をしていてお子さんもお孫さんもある人かもしれない。

 そうなると、抜群の演技力のある人となります。で、私が間違っていることとなります。だけど、結婚をしているとか、お子さんがある人特有の強さは見えません。そのような人生経験があるから、強くなるという側面は見られず、純粋なまま生きてきていて、今画廊のオーナーと言う枠組みが外れた今、思い迷うことが多い人だとおもいます。

 だから、私は彼女をほうっておきます。お姉さんであるかのごとき、気持ちを持って見守っておきましょう。

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副題9、『同じく、沙彩ママもほうっておくし、渡辺豊重さんも、ほうっておくが、醍醐イサムだけは、許せない。それは、なぜか?』

 これから先、500字は書きたいのですが、午前3時になったので、強引に寝ます。ただ、概略だけを述べれば、

  渡辺豊重さんの方は、過去に問題がありました。画集の経歴欄など、今回、文章を書くために、買ってから、8年後に、初めて読んだのですが、それでも、直感として、過去に苦労があった人だということはわかっていました。

 その苦労が行動の端々に出ていました。そして、その苦労が、時には、立場が上の人には過剰にへりくだることとなり、立場が下の人には、やつ当たりをしたくなることへ、帰結するのだ、ということも、わかっていました。テレビドラマによくあるじゃあないですか? それと、まったく同じです。

 だから、私は、渡辺豊重さんは、ほうっておきました。ただ、委細を文章には書きますよ。だって、私が今書いているのは壮大なミステリー小説です。真犯人を探るのが目的です。大体わかっていますが、目の前でいじめてくるのは渡辺豊重さんだから、その現象は文章へ書き表します。それが、お嫌なら、誰が、私の讒言を、あなたの脳や心に注入したかは教えてください。そうしたら、それも含めて、豊重さんは、悪い人ではないと書きましょう。

 私は沙彩ママもたしなめませんでした。『私に対する態度は、間違っていると思うが、将来天からお叱りを受けるだろう。それは、たぶん子供の事で。それで、私の方は、・プ・ラ・ス・マ・イ・ナ・ス・ゼ・ロ・になる。だから、今この人と争う必要はない』と、2005年ごろ、すでに、察していたからです。

 ここですが、私は、この『プラスマイナスゼロになる』という文言を、8日の午前2時に書いて、9時まで、7時間ほど、何の説明を加えませんでした。で、読者の皆様の中には、ひどい言い方だなあ。・・・・・あなたが、沙彩ママにいじめられたという苦痛と、沙彩ママが、犯人池永チャールストーマスに、味わわされた苦しみを比較すると、その量は、天国と、地獄ほどの、違いがあるでしょうに。・・・・・と、おっしゃる向きもあるでしょう。しかし、私は自分の書いた文字には自信がある人間です。間違えて書いたわけでも、誇張をして書いたわけでも、ありません。

 沙彩ママは、すらっとしていて、おばちゃん体型ではありません。そして、自他ともに、美人だという認識があるでしょう。そして、芸術家特有の繊細さがあると思われているでしょう。だけど、私に言わせれば、「とんでもない。彼女は、とてもダル(鈍感)な人です。2005年当時、10歳だった、沙彩ちゃんに、本当に必要なものを与えていません」となります。

 ここは、後日、倉本聡さんのエッセイと絡めて、もう一回丁寧に、彼女に付いて、分析しますが、その鈍感さと言う点で、彼女には、後で、別章立て手詳述する醍醐イサムとすこし似た点があるのです。

 しかも、沙彩ママが、私をいじめてきたのは、大きなリングの中の一環として、いじめてきているのです。この攻撃用リングの、暴力殿大きさと、深さといったら、すさまじいものなのですよ。沙彩ママは、その一部を担っただけだから、「自分は、何もやっていません」と、言う認識だと思います。私は自分の被害を、象徴的に、五億円に達しますというだけで、その詳細を語っていません。ほんの一部、つまり、10%程度しか語っていないのです。自分の被害と言うポイントでは、本当に、大きな規制をかけているのです。と言うのもブログとは、読んでいただくための娯楽性がナイトいけません。私の被害を語る部分には、あまり、娯楽性がないのです。特にまだ、話していない、深い奥があって、そこには微塵も娯楽性がありません。

 で、語っていませんが、天の視座から見ると、私は、ひどいしかも、理不尽な、攻撃を受けているかわいそうな人間です。だから、神様が常にお味方をしてくださいます。

 私は、今回の三鷹ストーカー殺人事件に、接して、『ああ、これもまた、天が、時々、裂け目をお示しになる、そのひとつですね』と思ったことでした。渡辺トヨシゲさんと、沙彩ママが、葉山の美術館に行った帰り、逗子から鎌倉までのたった五分間に、示した意地悪は、人為的なものから発生しています。どうせ、鎌倉エージェント発の、讒言を信じたからでしょう。

 そこまでは、人為的なものですが、池永チャールストーマスの、殺意を、防げなかったのは、沙彩ママに母としての直感が足りなかったからです。私に言わせると、彼女には、母性が育っていないのでした。

 そして、主観的に見る自分と、他人が見る客観的なその人物への評価とは違いがあるのです。大人になったら(=50歳をすぎたら)、その両方を、自分に取り込んで生きないとだめです。そこだけは、川島さん、友、渡辺豊重さんとも違って、彼女は、これから問題にしようとしている醍醐イサムとそっくりでした。

 ところが、問題は醍醐イサムです。彼の自信の、きわどさと、汚さ、そこが、問題にしないといけないところなのです。私がビデオを撮ったというのは、彼本人が気がついていない、事故増を、彼に指し示すことが狙いでした。彼は、その年齢の男性が持っているはずの成熟度が微塵もない、お人形でした。と言うか、ある演出の上に、作り上げたもろい自分像を、あたかも真実であるように、他人に思い込ませる技術が達者な人間でした。

 そこに、私は深い軽蔑と、怒りを感じて、彼にいじめられたとたんに、『わかりましたわ。今は、えらそうにして、私をいじめておきなさい。だけど、私の方は、あなたの化けの皮をはがして、あげますよ。待っていなさい』と、決意して、上に上げた三人とは、まるで、違った行動をとったのでした。それが、二日後に再度個展を訪れて、彼の実像をビデオに撮るという行動だったのです。

 なぜ、そうなったのかを説明するためには、醍醐イサム分析をしないといけません。だが、それは、また、次数が膨大になるので、別章仕立てとしたいと思います。明日、金曜日のよるに、誤変換直しをいたします。その後、署名と日付を入れます。

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 副題9、『2013年11月8日になって、加筆すべきことを見つける。それは、逗子ストーカー殺人事件の、探偵の、責任がどうして今追及されるのかと言う点だ』

 逗子ストーカー殺人事件と言うのがありました。これは、2012年11月6日に起きた事件の模様です。そして、沙彩ちゃん事件よりは、もっと、年齢層が高くて、かつ、深刻な前段階がありました。そして、犯人も直後に自殺をしました。

 でも、それでも防げなかったので、沙彩ちゃんの両親が警察に相談をしたのは、間違いだったと、私はすでに書いています。

母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△

2013-10-30 06:21:07 | 政治
 
 それは、10月30日の事です。
 
 この文章への否定が、常に行われ、それは、ニュースとして作り上げられるのが通例ですが、今回は、逗子の事件が蒸し返されるというかたちで怒りました。私が警察は頼りにならないといっているからこそ、『あれは、警察の失敗ではなくて、探偵の、失敗であり、逗子市役所の失敗である』と大宣伝をされるようになっています。
 
 しかし、それにしては、タイミングが、ずれています。通例ですと、3日以内に、こういう現象が起こります。どうして、10日間以上も遅れたかです。と言うのもアップの日付こそ、30日になっていますが、私がそれを、下稿として、書き始めたのは、ずっと、前だったからです。ハッキングは常に行われているわけですから、対応をするのなら、すぐ、対応をしないといけません。
 
 だが、警察本体は、気がつかなかったのです。それは、美術の世界のごたごたを書いている文章で、あって、警察は問題外だとみなしていたのでしょう。それに、三鷹警察署の対応がまずかったのは、ネットでも、いろいろ、公開されました。沙彩ちゃんが、殺された後で、警察署長が、この案件があることを知ったそうです。
 
 だが、相当、に、遅れて、逗子ストーカー事件が蒸し返され、単なる評論の対象としてではなくて、大きな失点が合ったという形で、大報道をされています。
 
 それこそ、この報道(または、ニュース)が、例の敵さんたち、特に、鎌倉エージェントの
発案で、起こされたニュースだということを指し示しています。周南事件の報道とよく似ています。
 
 それは、大相撲がごたごたした、2009年に起きた流れとそっくりです。
 で、これは、私が、

やなせたかし氏の死を、最大限に利用する伊藤玄二郎・・・日露ツートップ会談とは何だったのか?□   2013-11-03 10:40:51 | 政治

 を書いたので、わざと起こされたニュースでしょう。
 半分は作られたといってよいニュースです。

 逗子市役所で、失敗した担当員がいるそうですが、その人間は、名前が特定できないそうです。嘘でしょう。それはないはずです。
 市役所の戸籍係って総勢10人程度でしょう。その誰が、どのパソコンを使うかは、わかってくるはずですよ。

 で、本当は、逗子市役所は、失敗をしていないのです。ただ、秘密保護法等を、進めるためのニュース作りと、警察の失態を隠すために作られたニュースなのです。

 まあ、100歩譲って、実際にそういうことが起こっていたと、仮定しましょう。だけど、どうして、今、それが報道をされるのですか? 一年も前の事件なのですよ。

 それに、犯人が当時、首吊り自殺をしたでしょうか? 後で、新聞の縮刷版を点検しないといけませんが、犯人については、当時は、自殺の報道がなかったように思いますけれど?????

 逗子市役所側の謝罪ですが、首長さんが出てこなくて、きれいで、ふくよかなご面相の副市長(女性)が、テレビカメラの前で、謝罪をしました。この人は選挙の対象にはならないので、ここで、謝罪をしても、その席や、権力が、失われることはない人だから使われました。

 事前の交渉は、伊藤玄二郎たちが行ったかな? それとも、誰が使者に立ったかはわかりませんが、ともかく、逗子市役所側は、納得して、やってもいない失敗をテレビカメラの前で、謝罪をしたのです。

 だから、副市長は演技たっぷりで、丁寧に謝罪をしましたが、担当の吏員は、怪訝そうで、謝罪したくないなあと思いながらテレビカメラの前に謝罪をしていましたね。

 そして、探偵さんですが、納得の上で、逮捕されていったのでしょう。裏から、『これで、お前の仕事を奪うことはないさ。安心しろ。ただ、ちょっと、協力してくれや』と、言われていて、納得をして逮捕されたのだと思いますよ。

 伊藤玄二郎たちって、そういう人間なのです。それが、エージェントである証拠です。大相撲壊滅作戦のころの詳細を、検討すれば、それが、つくづく、よくわかります。

 では、ここで、この一文を閉じるといたしましょう。

 なお、このブログの、2010年から数えはじめた伸べ訪問回数は、1876253です。

 また、小さなことですがお断りをしないといけないことは、この副題9だけを強調したくて、太字にしているわけではないのです。今、太字を、ふつうの書体へ変更することは何度の試みましたが、できないのです。

 これは、重要なことを書いている際に、行われるいじめのひとつです。いつもハッキングを受けているので、内容がアップする前に把握をされ、どういう方式化は知りませんが、邪魔をされます。その、邪魔テクニックはさまざまですが、今日はフォントを、変更できないという形で、起こりました。

 これが、ブログを書く程度の仕事なら、どうっていうことはないのですが、本を作るとなると、影響をしてきます。そういう被害も、数万回経験してきています。すさまじいまでの忍耐を経てきています。そういう被害の上で、何事も語っていますので、

 沙彩ちゃんの、母に対して、厳しい言い方になっても、良心のやましさは、イチゴウも感じません。

 では、明日土曜日の、昼にこれを推敲して、その後で、署名と、日付を入れます。

  なお、たまたま、AOLのメールボックスを空けたら、一年前の私のブログ記事の案内が出ていました。それが、たまたまこの章と関係があるので、リンク先を置いておきます。ただ、お読みいただく、必要はさしてありません。 

女性を生かせと、ラガルド女史(世銀総裁)は言うが・・・サイレントプアと絡めて。  2012-11-07 00:28:47 | Weblog

 

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引きこもり族の、生涯・生活費・は、誰が出すのかな? 23%いると言われるワーキングプアー族なのかな?

2013-11-06 23:29:16 | 政治

副題1、『新聞スタンドで、親切を受けるが』

副題2、『SPAは、特集の組み方において、センスがいい。ブラックファミリーとは言いえて妙だ』

副題3、『引きこもりが、非常に多いと実感をした、レストラン内での、会話』

副題4、『ひとつにはマスコミに責任がある。トレンドを作り出すが、論調が薄っぺらだから』

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副題1、『新聞スタンドで、親切を受けるが』

 銀座の画廊めぐりを終わると、疲労困憊をしてしまいうときがあります。そういう時は、週刊誌でも読んでいないと、一時間の電車内で、身が持たないという感じであり、駅のスタンドへ寄ります。瞑想デモすればと、言われそうですが、瞑想もまた、エネルギーが要るからです。

 週刊誌を買いたいのですが、その日の、朝の新聞を読んでいません。最近では、その日に限らず、連日、読んでいません。その上、日経新聞には、広告が出ない週刊誌があります。

 で、新聞スタンドの前に立って、はたと『困ったなあ』と考えます。どれを買ったら、一番損がないかを迷うからです。でも、駅の売店って、間口が、狭くて、一人が店の前に立つと、他の客の邪魔になります。で、「すみませんねえ。朝の新聞を読んでいないので、どれを買っていいか、わからなくて、つい迷ってしまうのですよ」と、言ったのです。すると、ブースの中にいるおばちゃんが、「中身を見ていいですよ。それから、買ってください」と、言ったのです。非常に驚いてしまって、そのおばちゃんの顔を凝視しました。

 すると、目が生き生きして、その目に、感情が豊かに、あふれています。とても、明るくて世話好きな人だとわかりました。そして、心から仕事を楽しんでやっている人だともわかりました。マニュアルどおりに、お客の対応をする人が多い昨今、ご自分の意思で、人に親切にするおばちゃんには、『ああ、ここに日本人の原型が残っていた』と、心から喜びながら、お言葉に甘えて、週刊文春、週刊新潮、ポスト、現代、朝日、AERAと、目次を探索していきます。このごろ、コンビニの中には、雑誌類には、がっちりと紐を十文字にかけて立ち読みができないようにしてあるところも多いからです。だから、親切ごころが際立ちました。

 ところで、私が、『自分も、おばちゃんになったなあ』と、つくづく思うのは、お言葉に甘えて、ずうずうしく、何冊も表紙をめくって、目次を確かめている自分の姿にも、驚くからです。昔だったら、それほど、親切にされても、3冊もめくったら、そこで、点検の方はストップして、三冊の中の比較的に面白そうなものを、買ったでしょう。なのに、ずうずうしくも、5冊を超えて点検をし続けているからです。(笑)

 でも、人を信頼するからこそ、その手のずうずうしさが、生まれるわけですが。

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副題2、『SPAは、特集の組み方において、センスがいい。ブラックファミリーとは言いえて妙だ』

 そのうちにSPAの表紙に目が留まりました。表紙に大きく、『ブラックファミリー特集』と書いてあったからです。

 最近、最も驚いたニュースは、『二階で、40歳を超えた次女が、ミイラ化して死んでいた。一階には、両親と、長女と、長女の娘が住んでいるのに』と言うものです。場所は北海道です。寒いから、死んだ後も腐ることなく、乾燥して、ミイラ化したと思われます。

 夏に死んだのだったら、たとえ、北海道でも、死体は腐って、当たり周辺に、悪臭をばら撒くので、下の一家も気がつくだろうし、宅急便とかを届けに来た、スタッフも気がつくでしょう。

 でも、冬にその女性が亡くなったとすれば、間にお正月を挟みますね。たとえ、親子喧嘩をしていても、『お正月に、一緒にすごす機会もなく、おめでとうございますという挨拶の交換もない』と言うのが信じられないです。日本は、崩壊しつつあると、実感をして、ブラックファミリーと言うテーマに惹かれました。

 で、目次だけではなくて、記事もどうなっているのかな? と、中を開いたのです。すると、黒地に白抜きの活字の頁であって、イラストがいっぱい付いています。他の週刊誌で言うと巻頭グラビアといって、美人女優の写真があるところに、記事の特集があるのでした。

 SPA編集部の意気込みを感じました。だけど、買えませんでした。絵があまりに、恐ろしいものだったからです。昔、母が、「ひどい事件は見たくないので、テレビを消しちゃうのよ」といっていた言葉を思い出しました。私も、そういう姿に似てきました。もし、自分が50代だったら買ったと思います。人間研究に役立つからです。例をたくさん把握してこそ、考察が正しい帰結にいたりますからね。しかし、71歳を超えた今では、恐ろしいもの、醜いものを、見たくない気持ちもあって、それを買いませんでした。

 ただ、SPAは、30代の男性サラリーマンに向けてターゲットを特化しているのでしょうね。その部分に向けてのタイトルと、テーマ選びが上手だと思います。

 2年前まで、朝日新聞がただで、配ってもらえたので、SPAの広告も入っていたので、そう感じます。

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副題3、『引きこもりが、非常に多いと実感をした、レストラン内での、会話』

 その北海道の、ミイラ化した次女とは、無職、無収入で、引きこもりで、あって、餓死したのだと思われます。だけど、親子喧嘩をしてもいいから、何とかして、引きこもりを治そうとするか、または、引きこもりなら、引きこもりなりに、経済的援助をしないといけないでしょう。他人にたようるわけには行かないので、家族の中でね。

 それは、ご飯を一緒に食べるという形になります。親世代が、無職の、引きこもりの子の、ご飯を用意するという形です。

 そういえばある日、私がレストランで、お昼を食べていました。主人と一緒に外出したいのですが、泥棒が入る予想があるので、後々が面倒ですから、交代に外出するので、一人で、レストランに入っています。その中で、パソコンの仕事もやっていない今は、他人の会話が耳に入ります。

 ある日、45歳ぐらいの上品は、主婦らしい三人組がお昼の定食(ただし、大変上品で、かつ安い)もの、を食べながら、1時間近く歓談をしていました。たぶん、中学か、高校か、短大か、大学の同期生でしょう。ある一人が、そこにいない友だちの、弟が、引きこもりだという話を始めました。

 「親が死んだ後、その弟の面倒を誰が見るのだろう?」という話になりました。彼女達は、質の高い洋服を着ていたので、いわゆる、私学の女子高育ちだと推察されました。当然のごとく、収入の高い、夫を持っている人たちです。だが、それでも、自分の子供に、お金がかかるので、弟の面倒をどうするかと、言う点では、引き受けられないのです。

 そういう深いプライヴァシーまで、話し合うのが、女子高時代の、親友だと思います。これは、山口果林さんが、「安部公房が死んだ後で、最も苦しかった時期にお茶大付属・中学・高校・時代の友達に助けられた」といっているのを、私に思いださせました。

 ただし、友人の事を想像しながら話し合っているので、昼食中の、彼女達自身は気楽です。デモ、気楽だからこそ、真実に到達します。

 「貯金で暮らすんでしょう」と、一人が話します。別の人が、「でも、80まで生きたりしたら、どうするのかしら?」と、言います。この際、80まで生きる人は、親ではなくて、その引きこもっている弟さんです。

 貯金といっても、本人がためたものではなくて、親世代が残すものでしょう。大変貧乏な家庭では、子供は、親の苦労を見ているし、自分自身を生かすことにも、必死にもなるので、引きこもりには、ならないと思いますので、親は裕福だと考えられます。で、裕福な世代だと、3億円ぐらい持っているらしいのです。本日はたまたま五藤美術館に行ってきましたが、上野毛のあのあたり、すばらしい豪邸がありました。敷地2000坪ぐらいの豪邸が。ああいう人なら、貯金も、十分あるでしょうが、彼女達全員が、サラリーマンの子女だとすると、親の資産は、総額で、2億程度であり、金融資産だけを言えば、8000万円程度でしょう。もし、親が、老人ホームに入るとすると、金融資産は、消費しつくすので、家だけが残るという形になります。

 親が死ねば、遺産相続も起きるので、弟さんに渡るのは、最大で、2000万円だと思われます。きちんとした大きな家を相続すると、固定資産税もそれなりにかかるでしょうから、年に、生活費が、最低でも、200万円は必要です。すると、親の死後、10年間しか持ちません。

 「結局、家を売るのね」と、一人が言います。引きこもりだと、その家を売るという、算段ができるでしょうか? つまり、行動力があるか?と言う問題です。

 引きこもっている弟さんには、対外交渉能力はないと、仮定をすると、姉に当たる人が、算段するのでしょうか? その姉に当たる人の夫が、算段をするのでしょうか? その夫が、いい人だといいのですが、「お前も、正当な遺産相続分を、要求するべきだよ。あの家の半分はお前のものだ」などといえば、家を売ったお金の、半分は、姉のものとなります。そうすると、場所によっては、古い家は、人気がなくて、2500万程度にしか売れないので、本人に渡るのは、1500万円以下になります。家を売ってしまうと、賃貸住宅にすまないといけないので、生活費が、最低でも300万円かかります。

 暗澹たる未来が待っています。

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副題4、『ひとつにはマスコミに責任がある。トレンドを作り出すが、論調が薄っぺらだから』

 こういう青年が、130万人ほどもいるそうです。そして、彼らのうち、年が上の世代は、すでに、40代だそうですから、親世代は、じきに死にます。そうすると、上に上げた例よりももっと、低収入の両親を持つ、引きこもり族は生活が立ち行かなくなります。

 となると、彼らは、生活保護を受ける立場になるのでしょうか? そうすると、まじめに働いている同世代から、お金を搾取することとなります。そのまじめに働いている同世代のうち、23%が、年収200万円以下のワーキングプアーとよばれる人たちなのだそうです。

 あのね、この前の大島の、川島理史町長の大失敗をマスコミがぜんぜんとがめず、さらに、甘やかしてヴォランティアが来ましたとか言って、大騒ぎです。トン汁を振舞いましたですって。安部さんが、兵コプラーで、飛びました。そして、川島理史町長と、懇談をして、支援の約束をしました。と言うわけで、大島には、あの遺体捜索を含めて、数億円の、税金が無駄遣いをされています。

 10年以上前のことです。元IBMの社員だったという友達と、活発にメール交換をしていました。彼女は、税金の使い道に激しく怒っていました。高収入ですが、高額の税金を納めないとけないのだそうです。私は低収入なので、それほど、税金を納めないで済んでいますが、それでも、この国を一国単位で、考えると、今の政府のやり方は、唖然とするばかりです。

 そもそも、大島の観光リンドウを作ったこと自体が、過ちだったのに、それを追求するマスコミがありません。NHKニュースウォッチなど、それが、政治の深層(・・・・・つまり、心理操作と、情報操作の温床だという意味で、そういっています。ニュースの分析が深いといっているわけではありません・・・・)とは、まるで、遠いエッセイか小説風の作られたニュースばかりです。

 マスコミが軽い軽い、トレンドを作り出します。それにのっとって、生活をしていると、だめなのです。この20年間のマスコミは、週刊朝日を筆頭にして、大学入試を、取り上げ続けています。東大へ、この高校から何人入ったというのは、週間朝日の、そのシーズンの目玉記事でしょう。よい大学へ入ること、・・・・・建前では、個性が大切といいながら、実際には、偏差値の高い大学を出た子が得をする社会を作り上げているから、引きこもりが多発します。

 その子たちは、小学校四年生ごろから、中学受験の準備と言う、生活に放り込まれ、失敗も冒険もしてきていないので、生きる力を持っていないのです。

 この文章はある、問題、醍醐イサム批判にいたる、前段階です。または、沙彩ママたちへの批判にいたる文章の、前段階です。だが、これは、これで、独立をさせて一章と、いたしましょう。

 明日、誤変換を直して、署名と日付を入れます。

 なお、このブログの2010年から数えた、1873042です。

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やなせたかし氏の死を、最大限に利用する伊藤玄二郎・・・日露ツートップ会談とは何だったのか?□

2013-11-03 10:40:51 | 政治

 今、5日の19時ですが、初稿をこの時点で、留めとさせていただきたいと存じます。誤変換は残っているとは思いますが、すでに、1万5千字になっているので、この章には、これ以上の文言を、継ぎ足さないという、思いがあります。ので、初稿が完成したというしるしに、総タイトルの横に、□印をつけておきます。ああ、ただ、時間と体力があったらリンク先を探して、挿入する可能性はありますが、先に続きとしての、文章を書くつもりです。

 途中で、加筆したところには、アンダーラインをしておきます。

副題1、『ツートップ会談がロシアとの間に行われたが・・・・・』

副題2、『文化村に、絵を見に行っただけだったのだけど・・・・・』

副題3、『文化村のミュージアムは、金曜日は、何時までだったかをネットで調べるが、それが後で災いを招く』

副題4、 『江ノ電バスが。しょっちゅう間引かれるが、それは、誰の発案だろうか?』

副題5、『とうとう、伊藤玄二郎、テレビ画面に登場する(クローズアップ現代)』

副題6、『善人・やなせたかし氏の死を、最大限に利用する伊藤玄二郎』

副題7、『詩とファンタジーは、詩とメルヘンとは、雑誌として、変質をしたらしいが』

副題8、『ここで、日露・ツートップ会談の真実の、意味をさらそう』

副題9、『数の論理で言ったら、絶対に、私の方が負けますが・・・・・』

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副題1、『ツートップ会談がロシアとの間に行われたが・・・・・』

 これも、私はNHKが、報道したのとはまったく違う解釈をしています。国連で、核兵器の使用に反対する決議がなされて、日本が初めて反対に回ったというのも、NHKが、報道するのとは、まったく違う解釈をしています。また、メルケル首相の、携帯が、盗聴をされていたというけーすについてもNHKが、報道するのとは、まったく違う解釈をしております

 ただし、本日は、それについては、書きたくありません。頭の中に降りているものが違うのです。

 頭の中に降りているのは、日本社会の階層の問題です。それが、三鷹ストーカー殺人事件にも色濃い影を落としているし、何よりもこの私が、渋谷で、青年達に襲われそうになったのでした。

 ふつうの青年たちなのですよ。会社員だと思われる。だけど、スーツを着て働く会社ではないです。そういうタイプではない。だけど、中の一人が挑んできて、その瞬間、人生で何回目かと言うぞっとする感じを味わいました。むしろ、『防衛できないな。やられてしまうかもしれない』と感じたのは、今回が初めてです。

 それ以前のものは後ろから襲われたり、暗い場所だったり、パリのバスティーユだったりして、あまりにも、突然だったので、帰って考える暇もなく、ただ、無我夢中で逃げたのですが、

 今回だけは、非常に明るい、渋谷センター街の中の、しかも一番広い交差点ですから、真正面から襲ってくる男の顔が見えたので、本当に恐ろしかったですよ。

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副題2、『文化村に、絵を見に行っただけだったのだけど・・・・・』

 私は長らく、人の五倍の仕事をしてきていて、娯楽と言うものをやってきていません。だが、母が死にそうだということをきっかけに、本作りを止めてしまいました。それとともに、フェイスブックとか、このブログとか、不特定多数の人が読む可能性のある形で、文章を発表するということをはじめ、しかも、相当に、深いものを書き始めたら、その責任があって、

 身動き取れないほど忙しくなっていたのです。でもね、年齢を重ねて、本当に死が近くなってくると、他人に迷惑をかけないエンディングを目指さないといけないので、『もう無理をしてはだめだなあ』と思い、ゆったりと暮らすことに決めたのです。

 無理をしすぎてがんになったり、認知症になったら誰かのお世話にならないといけないでしょう。オムツを他人に取り替えてもらうなんて、屈辱的なことですよね。で、チンたらでもいいから、死ぬときまで、母のように『頭だけは、ピンシャンですよ』と言う形で生きていたいのです。

 で、人生で初めて、娯楽(=遊び)と言うものに手を出すことにしたのです。でも、大きなことはまだできないので、ささやかな種類の、遊びです。2012年度は、宴会場を探るという形で、遊びました。株主総会に出るという形です。妹など、仕事の関係で、医学会に出席するので、全国のホテルの宴会場は、ほとんど、見ているそうです。私は人生のほとんどを専業主婦として過ごしてきたので、

 それほどの数の、宴会場は見ていないのです。で、株主総会に出るという形で、相当にあたらしい宴会場を、見ることをいたしました。それが2012年度の遊びでしたが、今年は、美術館を探るという目的で遊んでいます。

 私は美術館で、見るものに、ほとんど満足ができない人間です。でも、そろそろ死ぬかもしれないとなったら、大昔行ったきりで、建て直された後の根津美術館など、まだ、行ったことのない美術館はいっぱいあります。それに気がつきました。チンピラ化した青年たちに襲われそうになったのは、文化村ミュージアムへでかけた帰りだったのです。

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副題3、『文化村のミュージアムは、金曜日は、何時までだったかをネットで調べるが、それが後で災いを招く』

 と言っても、大川美術館ぐらいは、わざわざ一日かけて見に行っているので、美術館に関して、まったく音痴だというわけでもありません。子供のころは、いつも美術館に、連れて行ってもらっていますし。

 で、渋谷の、文化村ミュージアムも、もちろん以前行ったことがあります。ただ、今年送られて来た株主優待券が、11月18日までしか、有効期間が無かったので使わないと損だわねと思って出かけることにしました。

 で、ずっと、美術館めぐりを休んでいる間に、システムの変更があって、金曜日は夜遅くまで、美術館が開いているということに気がつき始めます。しかし、そのように、変化しているところもあれば、芸大美術館や上に上げた根津美術館のように、金曜日も午後五時までと言うところもまだあります。

 で、『文化村ミュージアムは、どうなっているのだろう?』と、思い、ネットで、検索を始めました。

 『でも、これをすると、必ず、脅かされることになるでしょう』とも、内心で思います。私のパソコンは常にハッキングを受けていて、その結果を利用して、これから先の、行動の予測をつけられて、行き先の諸所に、ガードマンが立っているという形で、脅かしを受けます。ので、普通は、行きたい場所のネット・ハンティングをしないのです。特に当日にするのは、注意深く避けています。また、スマホも権利は持っていますが、持ち歩きません。スマホを持っていると、自宅で調べなくても電車の中でも調べることができますが、それをやりません。

 こういう不便さを味わうのも、私が、自分の損害は五億に達していますということの理由のひとつです。一般の人がふつうにできることが私にはできません。私は罪びとでもなんでもなくて、ただ、ご近所のわがまま主婦達を、その影にいる絵^ジェントたちのよこしまな行動が原因ですから、深い怒りをもっていて、それを追求し続けているわけです。

 ご近所のトラブルを書き続けているのは、NTT、東電、警察等が、すべて、エージェントの管轄化にあるという、この日本社会の現状を告発するために書いているのです。相当に、大きな目的があって、書いているわけです。

  ただし、私は最近とても強くなっていて、ガードマンがいようがいまいが気にしない風になりました。で、事前に文化村ミュージアムについて、ネットで、開館時間を検索をして見たのです。すると、文化村では美術館は、金曜日は、夜の九時まで、開いていることがわかりました。お見事なサービス精神です。さすが、日本の若者の流行の、最先端を行く、渋谷ですねと、感心をしました。

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副題4、 『江ノ電バスが。しょっちゅう間引かれるが、それは、誰の発案だろうか?』

 で、それなら、ゆっくりでいいですねと、午後四時に家を出発して、八幡宮と言うバス停から、バスを利用して、大船へ出ることにいたしました。山の上に住んでいて、駐車場がないので、その、車を所有する経費が、全体で、月に7万円以上はかかるので、それを考えると、タクシーもバスも自由自在に使っても、いいからです。しかし、時間が無いときは使いません。渋滞する可能性もあるし、間引かれることが多いのです。私に意地悪するために間引かれるのですよ。それは、頻繁に起こります。

 この江ノ電バス、大船・鎌倉駅間と言う路線は、とても、親密なバスなのです。子供が乗ると、必ず降りるときに、ありがとうございましたと、挨拶をします。まねして、私もそういうようになりました。すると、運転手さんも、お礼を返します。都会の中のバスですが、まるで、田舎のバスみたいに、親密な雰囲気が漂っているバスです。鎌倉ならではの、健康な礼儀正しさが満ちているバスでもあります。それが、しょっちゅう、間引かれます。

 その日も、バスが間引かれました。三連休の休日の中日です。しかも、午後の四時代です。だから、お客さんは、怒っています。いつもよりいっぱい待っているし、いらいらしています。でもね。日本間引かれました。これが、かまくら春秋窯主宰の、故・石川和子さんと、現在の夫の柳沢昇が、とんでもないわがままの結果、私の猫にそむかれたことに逆上して警官を呼んだことから始まっているわけですから、本当にとんでもないことです。

 この江ノ電バスの間引きも、最も初期の動機は、彼女と伊藤玄二郎が、元愛人の関係であったことを隠すための、種々さまざまな工作が行われ、それを、少しずつですが、私が、メルマガの世界で、書き始めたので、ありとあらゆる諜略行為が次から次へと起こり始めましたが、そのうちのひとつなのです。

 その諜略行為農地のいくつかは、ペンクラブのつながりで、共闘関係にある井上ひさしが発案したものも多いのです。

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副題5、『とうとう、伊藤玄二郎、テレビ画面に登場する(クローズアップ現代)』

 この章は新しく、加筆していく部分ですが、アンダーラインをわざと引きません。アンダーラインを引くと読みにくいこともありますし、文章を整えるという以上の意味を持っているからです。

 で、ごく最初の動機は、そういう風にとても小さなものだったのですよ。だけど、私が、30年前の元海軍参謀・益山某氏の謀略行為(横須賀市の公有地を地籍変更届と言うものを利用して、私有化する知的犯罪)の目撃者であるがために、その益山氏の友人であり、かつ、戦後最大のエージェントとみなされる、

 瀬島龍三が、伊藤玄二郎、井上ひさし(=鎌倉へ、転入してきて、伊藤玄二郎と、ペンクラブつながりで、親密になっていった)の二人を、重要な立場を持つ、エージェントとして格上げし、種々さまざまな便宜を図ってやっているから、石川和子と言う図体の大きい、凡庸な女性も威張りまくって、暮らしていることとなり、その矛盾が、私の猫が、人間好きで、勇敢だったために一気に暴発をしたのでした。

 私の猫は、どこかで、シャムの血が入ったらしくて、手足の先が真っ黒ですが、それが、原因かどうかはわからないものの、ものすごく勇敢で、かつ、広いテリトリーを支配したいと思っていて、お客の多い、春秋窯は格好の、出先機関でもあったのでした。

 しかし、和子さんが、上品で常識をわきまえた女性であれば、3日に起きた江ノ電の間引きも起こらないのですが、『女子と小人、養いがたし』の典型で、元愛人の伊藤玄二郎が、鎌倉市内においては、絶大な政治的権力を震えることをかさにきて、威張りまくるから、そこから、一気に自体が大きく動くこととなるのです。私はすべてをわかっていますが、ほとんどをそ知らぬふりをしてすごすのですが、彼女のわがままだけは、絶対に看過できないレベルのひどさでした。

 皆様は、私が、繰り返し、彼女の事を取り上げるので、「もう、聞き飽きたよ。そして、いいかげん、許してやりなさいよ」と、思ってもいらっしゃるでしょう。だが、この三日でさえ、バスは間引かれるし、その後で、東横線のガードマンが合計7人も私の周辺をうろちょろして、脅かすので、今なお引き続いているというわけですから、どうしても、その原点に戻らないとならないのです。

 そして、今なお、それが、引き続いているというのは、クローズアップ現代の私的利用です。

 NHKそのものも、全体にこの二人に利用されまくっていますが、2009年の6月に、太宰治を解説する番組が国谷裕子さんと、井上ひさし、+朗読者で、行われたのですが、そのとき、その番組の真の目的がサブリミナル効果を狙ったもので、秋葉原の無差別殺人事件の犯人が午前五時から、反抗の予告をしていたのにもかかわらず、取り逃がした警察を、下書きで、批判をしている私をやっつけるためのものだったのです。そして、警察を称揚するためのものでした。そのときから、井上ひさしが、徹底的に警察と、表裏一体であることに気がついたのです。そのことの照明はいくらでもできますが、ここでは、文章の次数がむやみやたらに増えてしまうので、そこには触れず先へ進みます。

 クローズアップ現代は、国谷裕子さんの、実家(結婚前の姓で仕事をしているとすればそうなる)、もしくは婚家先(結婚後、ジャーナリスト活動を始めたらそういうことになる)がせいか、徹底的に利用されまくっている番組です。

 そして、圧巻は、この10月30日の水曜日でした、とうとう、伊藤玄二郎がテレビの画面に登場したのです。もちろんの事、国谷さんの番組、NHK・クローズアップ現代でした。

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副題6、『やなせたかしさんの死を、最大限に利用する伊藤玄二郎』

 この章も新しく、加筆する部分ですが、読みやすくするために、アンダーラインを引くことは避けます。

 クローズアップ現代、やなせたかし特集号(2013年10月30日、水曜日)に、やなせたかしが、詩人であったことの紹介の部分があり、そこに、伊藤玄二郎が登場しました。詩が好きで、それが、理由で、初めて、このブログに入ってくる人のために、ここから先は、伊藤玄二郎氏と敬称をつけて、呼びましょう。

 やなせたかし氏は、対象生まれで、しかも、高等工芸(現在の千葉大)の出身ですから、インテリ中のインテリです。その親しみやすい風貌からは、信じられないほどの、上流の人なのです。だからこそ、無防備で、おぼっちゃま気質丸出しでもあります。

 ただ、ご尊父が、早く亡くなり、かつ、実母が、再婚をしてしまって、身近を離れたので、幼少期は、おじさんの家で育ちました。経済的には、不自由がないが、心理的にさびしい思いをして育った可能性があり、それは、私の母とそっくりです。こういう人は、詩作に慰めを見出すことは大いにあります。

 で、やなせさんは、デザイナーとしても舞台美術かとしても、アニメーション作家としても、絵本作家としても、漫画家としても多面的な活動をなさったのですが、詩作は、生涯継続をされた可能性は多いのです。たまたま、サンリオの社長、辻さんと、縁ができて、サンリオから、詩の雑誌、詩とメルヘンを、出してもらっていました。

 1973年から、30年にわたって、2003年まで、193号を数えています。

 それが、2007年から、鎌倉春秋社に移行して、詩と、ファンタジーと言う名前になり、以前は、二ヶ月に一回だった発行回数が、季刊に変更をされ、すでに、20号を出版しているのだそうです。

 でも、やなせさんの人生の全体像から見れば、詩とファンタジーの占める割合は、1%にも満たないでしょう。だって、その雑誌の善頁を柳瀬さんの、滋賀埋め尽くしているわけでもないのですよ。責任編集者と言う名前は付いているが、実際には、鎌倉春秋社で、応募者の死を審理し、載せていてと思いますので、やなせさんのお仕事のうちでは小さい部分です。

 だけど、少なくとも三分間は画面ジャックをしていました。つまり、やなせさんの全業績のうちの10%を自分が管理しているとばかりに大きな顔をして。

  これは、大島渚監督の死の際にも見られた現象でした。正、そのときに、クローズアップ現代に、彼が出演したかどうかは寡聞にして知りませんが、川喜多記念館を利用していましたね。大きな形で、彼はそこを利用しています。今回は、スケールアップして、事故露出を増やしたというわけです。

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副題7、『詩とファンタジーは、詩とメルヘンとは、雑誌として、変質をしたらしいが』

 ところで、詩とメルヘンの方が、2003年に休刊になった理由ですが、当時、日本全体が不況で、雑誌が休刊に追い込まれるケースが多いと聞いていますが、たんに、不況と言うよりもやなせさんが、アンパンマンのヒットで、お忙しくなってしまい、ちょうど、30年続けたことだし、ここで、いったん急死しましょうと、ご提案なさった可能性は大きいです。

 そうでなくて、サンリオが、採算性を重視して、休刊をしたのだったら、それは、サンリオを責任追及をしないと、いけませんが、違うと、私は推察します。

 では、その権利を、鎌倉春秋社は、どうして、譲り受けることができたのでしょうか?

 伊藤げんじろう氏と言うのは、お金儲けに関しては、絶妙な嗅覚を持つ人です。で、この雑誌の前に『星座』と言う短歌の雑誌の発刊を始めています。その雑誌は売価こそ、1000円ですが、年間に、1000万円ぐらいの純利益を上げているでしょう。そうすると、若い社員二人ぐらいの、給料に相当します。安定した米びつと言うわけです。どうして、そういう計算ができるかと言うと、その雑誌は、会員制度を採っているのです。

 美術の世界で、公募団体展と言うものを経験している私は、そこに、日本古来の家元制度の導入を見る人間です。この雑誌星座に関して言えば、お家元は鎌倉春秋社です。会員にあれば、ともかく、無審査で、自分の短歌が、雑誌に乗るという形になれば、喜んで、会員になる人がいるでしょう。そうすると、紙面も埋め尽くせるし、時には、ある人の特集を、見開き2頁とか、見開き10頁をとって、作ってあげれば、その人は増刷分を、50冊程度購買するはずです。惟は、美術系の雑誌に多く見られる現象で、雑誌そのものの売価よりも、こちらの収入で、運営を、まかなっている雑誌は多いと思いますよ。

 短歌の結社は、いくつもあるとは思いますが、どの結社に入ってよいか、または、入れるかは、初心者にとって、見極めにくいものです。有名な人が主宰をしている結社ほど、内部推薦が必要なはずで、田舎に住んでいる、特に初心者には手の届かない組織でしょう。

 そういう環境の中で、どの会派、または、どの結社からも独立している雑誌に、投稿するのは、安全な、自己・向上策です。このようにして、星座は、十分にペイする雑誌として、機能しているばかりか、ある種の定期的な収入を見込める米びつとなっていると、私には感じられます。

 その同じ路線を狙って、『詩とファンタジー』は、発刊をされたと推察しています。しかし、詩の世界は、短歌の世界よりずっと新しい世界ですから、こちらでは、会員制度を採っている可能性は低いです。ただし、特集と、入選作の違いに、疑問を呈している読者がいることにも気がつきました。そこが微妙です。純真な素人さんは、雑誌の、数頁を使って、しかも、美しいイラスト付きで、自分の詩が乗れば、定期購読者になるのは間違いないですし、定期購読者の確保は雑誌の安定運営に欠かせないし、雑誌ほど、収入源として頼りになるツールもないと思われるからです。

 正式に譲渡手数料を支払って、譲渡してもらったのか、それとも、十分な休刊年度があるからと言うことで、強引に詩とファンタジーの発刊を決めたかは、知りませんが、投稿者については、前の雑誌を研究すればすぐわかることですし、書店の詩のコーナーにこの雑誌を置いてもらえば、たちまちに読者の目を引くことも請合えますから、順調に出発ができると思います。

 ともかく、私がここでいいたことは、伊藤玄二郎と言う人は、特権を持っているということです。そして、その特権を、誰を間に立てているかは知らないものの、江ノ電バスの間引き運転にまで、応用できるという人間です。

 江ノ電バスのこの路線が間引き運転をされて困る人は、総勢で、200人ぐらいでしょう。時間帯によっては、数十人以内である可能性が大きいです。だけど、間引き運転をされて困っている人はいっぱい目撃しています。それが、延引としては、伊藤玄二郎の特権にあるのだと知ったら、相当数の鎌倉市民は怒るでしょうね。絶対に怒るはずです。それを恐れて、伊藤玄二郎一派は、ニュースを作り出して生きます。

 彼らの背後には世界的規模のエージェントがくっついていますので、何でもできます。

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副題8、『ここで、日露・ツートップ会談の真実の、意味をさらそう』

 ここで、やっと、冒頭、副題1に掲げた、日露ツートップ会談が、どうして行われたかの真実が語れることとなりました。伊藤玄二郎とは莫大な権力を秘密裏に持っている人間ですが、彼が、どうしてそこまで出世できたかと言うと、私が、この雪ノ下二丁目に引っ越してきた際に、その一軒間を置いたお隣に、すでに、伊藤玄二郎の元愛人を自称する石川和子さんが住んでいたからです。

 自分の悪事を、目撃されてしまっている戦後の、日本最大のエージェントたる、瀬島龍三は、石川和子さんを利用することを思い立ち、その諜略行為の命令者または伝達者として、伊藤玄二郎を選んだのでした。と、同時にぐんぐんと彼を出世させていきました。

 社屋を間口2間程度の木造二階建ての商店の二階だけだったのを、突然に、鉄筋コンクリート二階建ての瀟洒な、建物に移築をさせ、さらに、今度は、それを、元を残したままに4階建てに改築しました。惟って違法建築ではないの?と、思うほど乱暴な建築ですが、彼は、鎌倉市の建築課など、意のままに動かせるみたいですから、どうにでもなるのでしょう。

 さらに、石川和子さんと、その大親友、安野夫人を使って、種々さまざまないじめ、および弾圧工作を行ってきています。その最大のものがアジサイ畑欺もう事件ですが、それが、最初に起こされた1986年から、私は裏側に瀬島龍三がいることを知っていました。けれども、当時は、黙って耐えていたのです。

 だけど、2007年からパソコンがうまく使えなくなって、惟は、反抗をしないと大変なことになると感じ、いちいち、少しずつ書き始めています。最初は、メルマガ内でだけでしたし、できるだけ、実名をさらさないように工夫をしていましたが、フェイスブックでの攻撃の忌まわしさに怒こって、相当な部分を実名をさらして、書き始めています。

 特に驚いたのが、安部総理大臣が突然に、慣例を破り、かつ、通常の交代次期を無視して、海上保安庁の長官を任命したり、海上保安庁の予算を、1600億円も増やすと発表をしたことでした。

 これは、安野家を個人的に助けるということと同義語なのです。安野家のご次男は、二年生のころ、1と、2しかないということで、御成中学で、超有名なお坊ちゃまでした。ところが、1998年の二月に大学付属高校に語入学だと、わざと私に宣伝をされたのです。そのやり方が、また、いかにも策略に満ちているのですが、私も驚いて、フォローをしたところ、舞鶴の、海上保安へのご入学でした。海上保安大学校は呉にあって、一般的な意味で、舞鶴の学校が、大学付属高校とは言えないのですが、ともかく、私をいじめることが目的ですから、そういう宣伝がなされたのです。

 だがね、この近隣トラブルを利用したいじめも、猛火を奏でるようになったので、私は、こちらも書き始めています。後で、リンク先を明示しますが、本当に大変な苦労をしているのです。

 すると、ありとあらゆる新しい形でのいじめが起きているのですが、そのひとつが、安部総理大臣が、『海上保安庁の長官を現場から採用する』という新人事案を、発表するということだったのです。一応、省や、庁のトップは、公務員上級職試験を通った人が、年度交代の時期に、任官されるのだと思いますが、突然に、海上保安大学校の出身者を、就任させると言う発表がなされ、他の次期には絶対にニュースにはならない就任式まで、NHKで、堂々と放映されました。

 これがどうして問題かと言うと、海上保安大学校とは、就学中にもお給料が出るし、卒業と同時に自動的に海上保安庁に、任官できるので、上級試験を通る必要がなくて、通っていないはずなのです。で、ふつうなら、ああ聡ですかで、済むことですが、惟は、徹底的に私のブログと感応していて、安野夫妻を個人的に助ける目的でなされたことですから、私はびっくり仰天してしまったわけです。

 で、安部総理大臣は、徹底的に、現代の、世界最大の権力者、国際的軍産共同体の川井湖チャンになり、下がって、いえ、それは間違った表現であり、なりあがっていることがわかったのです。

 だから、スムーズに、外交が進むようになりました。と言うのもその最大の、権力者が、日本を支配する仕組みがエージェントの最大限の活用であり、任期が切れれば、権力を失う安部総理大臣より、伊藤玄二郎やその影にいる現在も生きて、地下潜行をしているとみなされる井上ひさしの、方が書く上野権力者なのです。で、伊藤げんじろう達が最大の、刺客として重んじている安野夫妻と、前田祝一、清子夫妻の、悪を私が書く事は最大限に、防衛したいということで、間接的にこのブログを閉鎖させるために、

 私の心をめいらせることが常に狙われ、実行をされているというわけです。

 で、私は、それは、それで、仕方のないこととはいえ、安部総理大臣がなぜ、2012年の、11月末の総選挙に買ったかといえば、あまりにもひどい、これらの、国際的軍産共同体の日本新はいぶりに辟易した国民が、違ったものを求めて、日本再建を目指す安部さんに、票を入れたはずですが、安部さんそのものの実像が圧倒的に変化をしてしまっているのです。彼は今、この鎌倉エー絵ジェント二人の言うなりです。無論、「こうし手管際』と、伝達する人間がいると思いますが、そのとおりに動いておられます。

 で、アメリカが、衰退するとか、言われていますが、それはないでしょうね。デフォルトも茶番劇だし、オバマ大統領がAPECに欠席したのもすべて、アメリカに、安部さんが、100%支配をされていることを隠蔽させるための方策に過ぎないのです。

 日露ツートップ会談の、そういう隠蔽工作のひとつです。プーチン大統領も、世界の大金持ちとは通通であって、アメリカとロシアが対立するという構図はすでにないのです。で、ロシアが、アメリカとは対立しているという、まだ日本人にはつうようするはずだという構図を利用して、私がブログで書いていることへ、読者が疑問を持つように仕向けるために、あの会談は用意され、実行をされました。

 これも茶番劇のひとつですから、北方四島の返還等には結びつかないものでしょう。ぬか喜びをさせられているだけです。あほな日本人と、影で笑われているだけです。そして、それを発案している伊藤玄二郎と、井上ひさしは大喜びをしているというわけです。井上ひさしのテレビ画面への露出が余りに続いているので、私が問題にしています。それで、ここいら辺で、選手交代で、伊藤玄二郎さん、今度はあなたが世間へご自分をさらしなさいよと、言う提案が、井上ひさし、もしくはもっと上のエージェントから出ている可能性は強いです。

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副題9、『数の論理で言ったら、絶対に、私の方が負けますが・・・・・』

 ところで、クローズアップ現代に、伊藤玄二郎氏が出てきたわけですが、週間朝日の、11月1日号のやなせたかし特集でも出ていました。

 週刊朝日の実売数が、公称46万部と聞いたことがあります。今はそれよりも減っていると思いますが、図書館には、必ず置いてあるので、一冊を、数十人が読むケースもあるので、日本国中で、200万人がそれを読むと仮定をしましょう。

 NHKの夕方7時のニュースをどれほどの、人が視聴しているかは疑問ですが、100万所帯で、300万人が見ていると課程をして、その人たちは、自動的にクローズアップ現代を見ると仮定します。すると、両方で、200万人の人が、今回の、やなせたかし氏のご逝去を機縁にして、伊藤玄二郎と言う名前を頭にインプットしたと、仮定できます。この数字は上にも下にも誤差はあるでしょうが、ともかく、数百万人の目にそれが触れたのは確かです。

 彼は、微妙にも今までは、自分の姿を隠していました。そのほうが闇の権力を振るいやすいからだと思いますが、急に、本人が、表舞台にのし上がってきたのです。

 すると、数の論理で言えば、私の方が圧倒的に負けます。そこですが、そんなことは昔から想定に入れていて、いつも、「私は神様に向かって書くのだ」と、公言しています。

 ただし、ひとつだけ信念があります。それは、伊藤玄二郎に代表をされる、例の敵たちが、何を工夫し、何を策略としてもちいようと、その原動力は、非常に汚い目的に基づいています。

 瀬島龍三と、その友人益山某氏が、企画した地籍変更届は、書類上は一応ですが整っているように見えるので、当時の法務局、横須賀出張所でも、それを、拒否することはできなかった模様で素。デモ、彼ら自身が後ろめたくて、どうしようもないのです。それに、キーパーソンとして、元横須賀市、副市長・杉本夫妻と、その抱いていて区は、依然として、池田町に存在しているわけですし、杉本夫人が、これまた、刺客として、私に対して数々の損失を与えたことは、やがて表に出てくるでしょう。絶対に表に出てくると信じています。

 また、こちら、鎌倉雪ノ下の問題に帰ってきましょう。我が家の土地は理不尽な形で盗まれています。土地を盗むとは、おかしい表現ですが、他の家が花畑を自由に作ることができる場所がコンクリートうちをされているという形です。

 それも原因は、安野夫人の強欲にあります。彼女は、目に見える形で、自分が一番出ないと、満足しない女性であって、それが可能になる手段の一つとして、井戸端会議を毎日主宰を私邸ました。それが、嫌なものであって、うるさいものであって、藤本夫人と言う鎌倉でも有名な小児科医院のお嬢様奥様が、大反発をして、いろいろ考えて、最も声がうるさい前田夫人の欠点、(=土地を違法に使っている)を、てこにして、彼女達を懲らしめようとしたのですが、なんと、矛先が、何の罪もとがもない、引っ越してきた私に向かってきて、私が、土地を無償に提供することで、決着が付いたのでした。

 そんな、忌まわしい家の坊ちゃんが、私が安野夫人への批判を友達に電話で語っただけで、瀬島龍三に気に入られて、一生涯の、賃金を税金で保障をしてもらえるのです。

 海上保安庁の職員とは、国家公務員であって、危険手当や、時間外手当もあるでしょうから、生涯で、一億五千万円ぐらいの賃金がもらえるはずです。そういう資格が、中学二年生の時に、1と2しかないということで、御成中学の中では、超有名だったお坊ちゃんに保証をされたのです。私が推察するに、海上保安学校とは、神奈川県の高校ではないので、自由自在に内申書のかさ上げが、中学校の側で、行われたと思います。でないと、それほど、お成績の悪い子に、生涯賃金、1億5千万円が保障をされる、海上保安庁って何なのだとなります。国民が怒るでしょう。

 今、ワーキングプアといって、年収が、200万円以下の人が、働いている人の、総人口の23%もいるのだそうです。私だって、画家としても、出版人としても年収は、200万円以下です。そちらでは、年収50万円にも満たないと思いますよ。年金だけといってよいほどです。無事に暮らしていかれるのは、夫がいて、親の遺産が入っているからです。

 副題5から、8までは、副題4から、スピンオフして出てきた文章で、5日になって加筆をした部分ですが、ここから先に3日に書き始めた初稿文が、5000字あります。だが、このしょうが、ここまで出、すでに、1万5千字を越えています。それに、相当に重要な問題を記載できましたので、ここで、いったん留めとさせてくださいませ。この件は無論続きますが、それは、後ほど、別の文章として、アップをさせていただきます。

なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1871636です。

 2013年11月3日~5日似かけて、これを書く、雨宮舜(本名、川崎 千恵子) 

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二期会トップの、平野忠彦氏の、『私の第四幕』は、とても面白かった。□

2013-11-02 02:53:57 | 政治

 今、3日(日)の夜九時です。やっと、初稿は、完成しました。加筆は終わりました。誤変換が他生残っていると思いますが、初稿が、完成したというしるしとして、タイトル横に、□印をつけておきます。

副題1、『私の第四幕・・・・・平野忠彦著(世界新報社刊・・・・・が面白くて寝不足になった』

副題2、『マリオ・デル・モナコが出てくるあたりから、一気に引き込まれる』

副題3、『サヴァリッシュとの、交流も、超・素敵な話だった』

副題4、『30秒で、他人を引き込む、持ち歌を持つと、勝負に出られますわよ(笑)』

副題5、『1970年代と、1980年代ごろは、専業主婦社会には、いじめが頻発していた』

副題6、『平野さんは、柔道界の腐敗を、マスコミへの発覚以前に、予知している』

副題7、『荒川静香さんの章など、誰もが、平野さんの考えに、共感をするだろう』

副題8、『税金の使い方が間違っていると、いつもながらに、思うのだけれど・・・・・・ともかく、この本は全国の学校図書館に備え付けるべきだ』

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副題1、『私の第四幕・・・・・平野忠彦著(世界新報社刊・・・・・が面白くて寝不足になった』

 本日は、寝不足なので、ブログを書くつもりがなかったのですが、・・・・・・

 木曜日の夜は、明け方の五時まで起きていたのです。その前の日に、肉体労働をしなかったせいもあるが、本が面白くて、ずっと読んでいたのでした。二期会トップ、平野忠彦さんのエッセイ集『私の第四幕』(世界日報社)です。

 私は音楽は大好きです。ただし、美術の関連のことが忙しくて、日本では音楽会へは、行きません。で、「平野忠彦? who?」っていう感じだったのですが、たまたま、2012年度の文化庁の在外研修生の同窓会に出て、その会の会長が平野忠彦さんであることを知りました。でも、午後の4時半の事務報告の段階から、それに出席していながら、夜の8時ごろまで、まだ、『平野忠彦? who?』だったのですよ。

 ところが、平野さんが、一曲お歌いになったとたんに、平野忠彦って、誰であるかを、100%思い出したのでした。

 大昔も大昔、ほぼ、50年ぐらい前に、平野さんの第九を聞いていることを。横浜もみじ坂の県立音楽堂で、柴田睦雄さんと、伊藤京子さんも一緒だった記憶があります。楽団のほうはN饗だったと記憶しています。指揮者は森正さんだった(?)でしょう。

 当時の県立音楽堂は今のサントリーホールに当たるほど、音響効果がいい事で有名な、一流のホールだったのです。上野の文化会館もまだ開場していませんでしたし。その一流のホールで開かれた一流の演奏会で、弱冠まだ、20代の平野さんはソリストだったのです。

 日本では、音楽会へ行かないといっていますが、海外では行きます。特にオペラを見ます。で、この本の中で、メトロポリタンオペラに関する場面、特に、リンカーンセンターの記述などは「そうですね」と思うし、奥様が同じ音楽家なのに、時差の問題で、疲れていて、寝てしまうというのも、私は、版画の重労働を昼間やった後で、見に行くので(トゥランドット2000年)、よく、わかります。(笑) しかし、有名なアリア、『誰も寝ては、ならぬ』が始まると、とたんに、目が覚めたのです。その時には、自分の耳と頭脳の働きに、自分でも、驚き入りました。

 また、この本の中で、数箇所にわたって書いてある、<<<切符は、コツをつかめば、意外なほど、手に入りやすい>>>と言うのにも共感します。パリで、バスティーユオペラ(リゴレット1998年)を見たときも、当日の朝買ったし、メトロポリタンオペラも、当日(アイーダ1999年)と、2日前(魔笛2000)と、4日前(トゥランドット2000年)に買ったし、シティオペラ(フィガロの結婚2000年)は、当日に買いましたから。

 50年前の平野さんは、非常に背が高くて、しかもとても若いという印象のあった方です。めがねもかけておられましたし。ところが、現在の平野さんは、110キロ(それは、著書の中にある2012年のことですが)、または、ダイエットの結果、100キロ前後(2013年のこと)であって、めがねもかけておられないので、まったく外貌が変わっていて、それで、思い出せなかったのでした。でも、声を聞いたとたんに、思い出しました。平野忠彦が誰であるか?を。

 日本のクラシック界の歌手としての第一人者で、バリトンのパートの方です。しかし、私がまったく知らない時間帯で、テレビにもたくさん招かれて出演しておられる事が、この本を読んで初めてわかりました。その大衆的な知名度をあげた代表例としては、ジャングル大帝のテーマソングをお歌いになったそうです。しかし、私は、、そのアニメを、連続しては見ておらず、その有名なテーマソングの歌い手が平野さんであることなどには、一切気がつかず、

 そんなものは、全部、すっ飛ばして、ただ、ただ、50年前の、第九を思い出したのでした。その四人のソリストのうち、ほかのメンバーは、一流中の一流の有名人でしたが、平野さんだけは、芸大に在学中か、卒業直後に、当時の、日本の第一人者たちと一緒に、第九をお歌いになっています。それほどの、大、大、talented 歌手なのです。

 で、その一年後の2013年、同じ文化庁在研の同窓会の会場(松本楼)に、この本がおいてあったので、買って帰ったのです。それが、10月22日のことで、その後、東京へ行くときに、電車の中で読むという形で、読み進めました。新聞連載らしくて、千字という字数制限があるらしいのです。それで、最初のうちは、物足りないなあと思いながら読んでいたのですよ。だって、私なんて、つまらないことでも、毎回2万字まで、書くわけですからね。(笑)

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副題2、『マリオ・デル・モナコが出てくるあたりから、一気に引き込まれる』

 この『私の第四幕』の中には、戦後の、日本のクラシック界の有名人は、ほとんど出てくるのですが、作曲家などは、中田喜直、大中恩、高田三郎しか、私は、知らないのです。それ以外の作曲家の、曲は、音楽界以外に住んでいるものにとっては、ほとんど聞くチャンスがないからです。ところが、サヴァリッシュとか、ヒンデミットとか、ヘルマン・プライとか、フィッシャー・ディスカウなどとなると、レコードとかラジオやテレビで、聴いています。その上、私は親戚が、レコード会社にとつめていたので、セミ・クラシックの試聴盤(レーベルが白いもの)も、いっぱいもらっていたので、ほとんどの登場人物(外人なら)を知っているのです。

 特にマリオ・デル・モナコがすばらしいとおっしゃるあたりから、一気に引き込まれました。我が家では、テレビは、1958年に買ったのですが、見ることが、父によって制限をされていました。くだらないし、それでも、時間をとるから見てはだめだということになっていました。が、イタリアオペラの中継だけは、自由に見てよかったのです。ソプラノは、テバルディだったかな? ソプラノの歌手のことは顔しか覚えていないのに、テノールのマリオ・デル・モナコと、メッゾ・ソプラノの、ジュリエッタ・シミオナートは、顔も名前もはっきりと覚えております。平野さんの著書の122頁に、そのジュリエッタ・シミオナートが、後日、(特にバブルが崩壊した後)、ヴェローナの野外劇場の、アイーダ公演に、観客として、来たときに、満員の、お客さんが、出演者ではない、彼女が、席に着くまで、スタンディングオヴェーションで、出迎えたエピソードが、書いてあります。

 いい話です。歌手って、人気が無いとだめでしょう。シミオナートは、すでに、そのときは、おばあちゃんになっていて、歌い手としては、引退しているのに、イタリア中、もしくはヨーロッパ中の人から、それほどの、尊敬を受け続けていたのです。素敵な、エピソードで、私は、涙がこぼれそうでした。NHKの招聘のときには、演目のせいか、とてもきつい顔に見えて、『人気があるのかしら?』と、いぶかしく思っていたので、なおさら、この話に感動をしました。

 特に最近、イタリアにある、音楽家のための、老人ホームとか、フランスにある芸術家のための老人ホームのドキュメンタリー映像がNHKのBSプレミアムで、放映をされているので、それを見て、感動仕切りだったので、老後の芸術家の姿が、大切にされているのは、うれしいことでした。

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副題3、『サヴァリッシュとの、交流も、超・素敵な話だった』

 この本には、140を超えるエピソードが含まれています。で、その中で、三つほど、将来とも、私が忘れないだろうと思う、美しいエピソードがあるのですが、そのうちのひとつが、平野さんとサヴァリッシュとの交流です。サヴァリッシュはN饗の指揮を長らくしていた人ですが、歌も歌えるし、ピアノも弾くことができるのですって。歌のほうは、指揮をしながら魔笛のタミーノのパートを歌ったそうです。たまたま、その役をするシュライヤーが、飛行機が、遅れて練習の時に来ていなかったかららしいでのですが、こういうことができる指揮者は、日本にはいないだろうと、平野さんは、言っています。

 しかし、サヴァリッシュは、さらに懐が深いのです。上記とは別の機会ですが、フィッシャー・ディスカウが、来日をしたときに、ピアノ伴奏がサヴァリッシュだったそうですよ。そして、そのディスカウの独唱会の次の日のことでした。今度は、魔笛ではなくて、タンホイザーを、やるのです。それは、練習なので、前日にヘビーデューティを果たしたディスカウは、欠席です。オケも来ていなくて、サヴァリッシュと、平野さんだけの練習です。

 そのときに、平野さんが、前の日の、「二人のアンサンブルがすばらしかった」と、言ったそうです。すると、サヴァリッシュが、「昨日のプログラムの中に、お前のレパートリーはあるか」と、質問をしてきたそうです。平野さんは、字数制限があるので、ぶっきらぼうな文体で、ごく、ごく簡単(300字)に書いていらっしゃるけれど、すごい話なのです。僭越ながら、私がそのエピソードを私なりの表現で、書き直させてくださいませ。

 前日のリサイタルの曲目って、フーゴー・ヴォルフです。オーストリア人ですがイタリアを、テーマにした有名なセレナーデもあるので、イタリアとドイツと、オーストリアでは有名な作曲家だと思います。だけど、日本ではポピュラーではありません。今、念のために、ググって見たけれど、wikipedia (日本語版)は、たっていません。モーツァルトだと、フィガロのアリアなど、楽譜さえ出ていると思いますよ。ベートーヴェンだって、YU TUBEに、その曲を演奏した映像がいっぱいあります。それに比べれば、圧倒的に、情報量が少ない作曲家です。で、日本国内で、平野さんが、リサイタルをなさるときに演奏曲として、選ぶ類の、曲ではないです。だから、サヴァリッシュが、「おさらいをしてある曲がありますか?」と聞いてきたのは、失礼な質問ではないです。

 その上、平野さんは、非常に忙しい人です。あっちこっちから声がかかるし(ミュージカル・アニー・には、ずっと出ていらっしたんですって。私はそれも知らなかったし、帝劇で、幸四郎のラマンチャの男を実際に見てプログラムも買ったはずなのに、平野さんがそこに出演していたとは気がついていませんでした)、今、お正月のNHKのガラ・コンサートに出てくる、音楽一筋に、集中しているまじめな(平野さんは、ご自分と対比してそう語っている)福井敬さんなどとは違って、平野さんは、趣味も、とても、広いのだそうです。

 それに、正業のほうでも、国立とか、芸大で、すでに、教えることも始まって、いたと思いますよ。二期会のことも、経営と出演の両方で、大変で、フーゴー・ヴォルフを、歌詞から、メロディから、全部、自信が持てるほど、マスターなさっているとは、私でさえ、想像ができません。で、サヴァリッシュも、それを、想像できなくて、質問をして来たのでしょう。

 ここから先は、平野さんのシンプルな文章を再現します。私が紙の活字を拾って、キーボードに打ち込んで見ます。

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 ヴォルフの「ねずみ取りの男」を歌えると言ったら、即座にピアノを弾きだし、歌ってみろと言う。夢中で歌ったら、「ブラボー」と言って握手をしてくれた。その時の手のごついこと、握力の強いことに、またビックリ。我が青春の忘れられない一コマであった!!

*************

 その情景は、別にNHKが録画しているわけではありません。だけど、最高に美しい音楽がその部屋に満ちていたでしょう。曲の題名から想像をすると、ヴォルフの曲のメロディは、もしかしたら、美しくないものであったかもしれません。だが、おへやに、満ちていた気配は美しかったのです。言うに言われぬ、感動を受けたエピソードです。サヴァリッシュも偉いけれど、平野忠彦も、それに匹敵する大物で、準備が常にできていることを示す、いいエピソードです。「備えよ、常に」は、あらゆる世界で、通用する教えです。

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副題4、『30秒で、他人を引き込む、持ち歌を持つと、勝負に出られますわよ(笑)』

 私が平野さんの事を、50年間も忘れきっていたのは、クラシックの分野の人が、ラマンチャの男に出ているとか、アニメ、ジャングル大帝の主題歌を歌うということが、信じられず、1960年代に、すでに、日本有数のソリストとして、第九を歌った人と、それが、同じ人だとは信じられなかったからです。

 この点において、私の方が、固定化した考えを持っていたわけですね。でもね、この本『私の第四楽章』をすべての人が面白いと思われるかどうかは、ある意味で疑問です。私がこの本を面白いと思ったのは、私は素人ながら、非常に深く音楽を勉強した時期があるからです。結構な音楽フリークであり、

 すでに、30代にして子供のママ友から、「キャー、川崎さんって、そんな人だったのだ。だから、会長(幼稚園のPTAで)をやっていたのね」と、熱狂をされて、体をさわりまくられるほど、歌で人をひきつける類の能力を持っていたのでした。ただ、素人だから、日本の歌なら歌詞を覚えますが、外国の歌だと歌詞は、覚えません。

 あんまり、たくさんの、縛りや義務を自分にかけると、私の場合は歌がつまらないものになってしまうからです。昔、市原市で、今関一馬先生の出版記念会があったことがあって、その大パーティで、琵琶湖周航歌を歌いました。そのとき、どうしてそれを選んだかと言うと、今関先生は画家ですが、東大出身のはずで、お客様が、すべて、そういうランクのしかも、70代の方だったので、その歌を選んだのでした。

 しかし、ふつうの場合は、日本の歌は選ばないのです。素人が、皆さん、誰もが知っている歌を歌うとぼろが出やすいですし、単純な歌だと、単純にいい声だという私には、面白みのある歌い方ができないからです。

 今年の上半期はあまちゃん、が、大ヒットしたので、そこから敷衍して、小泉今日子と、薬師丸ひろ子の、歌手としての資質の違いを論じていた人が居たけれど、私は薬師丸ひろ子風ですから、複雑なメロディのものを歌わないと、特色が出ないのです。人をひきつけられません。

 無論、美空ひばりの歌などアウトです。本当は五輪真弓の歌など大好きです。が、彼女の歌は、音域が低いし、メロディが単純なので、彼女が歌ってこその歌であり、私が歌っても何の魅力も出ないのです。一時期ゴンドラの唄(松井須磨子?)と、襟裳岬(森進一)をマスターしてみようかと努力をしたのですが、これもまた、歌手の持ち味で、持っている歌だから、私が歌ってもだめなのです。

 日本の歌で、唯一、人をひきつけられるという自信のある歌は、春日八郎の、『長崎の女』です。これは、歌謡曲にしては、珍しくもハ長調です。その上、一番と二番の間に、女性コーラスが挟まっていて、それが、高い音域なので、そこもいっしょに歌うと、見せ場が作れるという歌です。

 ところが、これを、国際基督教大学の友達とか、お茶大の付属高校時代の友達とか、横浜国大付属中時代の友達の前で、歌ったら、これもまたアウトなのです。画家仲間に対してもアウトです。皆プライドが高いので、「歌謡曲なんて、いやだわ」と言う差別意識があるからです。

 私は平野さんに対しては、「オーソドックスな、芸大卒のバリトンだから、ミュージカルなんかに出ているはずがない」という偏見でくくっていたわけですが、自分自身は、音楽の分野に対する偏見はないのです。その点ではスノッブ(俗物)ではないのです。

 ただ、素人がお唄を人前で歌う場合、自分にどれほどの、時間が与えられているかを、読まないといけません。KYじゃあだめなのです。ぎりぎりのところで、許されるのが、30秒です。そこで、聞いている人が、乗ってくれているなあと、確信をしたら、1分30秒ぐらい歌うのです。で、30秒で、人をひきつけられるのは、外国の曲で、メロディラインが、複雑で、しかも、美しいことが必要です。そのためには、ベートーヴェンの交響曲『田園』なんかがぴったりで、その曲には、相当に長い間お世話になりました。シューベルトの歌曲なんて有名は有名ですが、素人には、唄っては、だめな曲の筆頭です。だけど、同じシューベルトでも、交響曲未完成のモチーフとか、ピアノの、即興曲などは、それを、声で、唄として、歌うと、驚くほど、人をひきつけます。モーツァルトも美しいメロディの宝庫です。しかも、ピアノもない場所で、アカペラで歌うと、確実に、かつ、誰からも、びっくりされて、一目を置かれるようになります。

 これは、芸は身を助けるの典型で、海外で、人と仲良くなる手段として、大いに使わせてもらいました。日本だと「えっ」と言う感じで、受け入れられない場合も多いのですが、外国だと、受け入れられやすいマナーのひとつです。

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副題5、『1970年代と、1980年代ごろは、専業主婦社会には、いじめが頻発していた』

 でもね、皆様は、「どうして、そんなにお唄にこだわるの?」と、疑問をお持ちになるでしょう。「自己顕示欲が強いですねえ」と、お思いになるでしょう。しかし、これには、いじめ対策と言う側面があったのでした。

 1970年代から、1980年代、にかけて、東京の郊外には、大規模住宅地の開発があって、そこで、主婦同士のいじめ問題は、多発していたのです。挙句の果ては殺人事件まで起きています。

 どうして、そういうことがおきるかと言うと、日本では、前提として階層がないこととなっています。これは、世界でも、他にないほどの珍しい社会なのです。ヨーロッパなどでは厳然として階級が残っています。中国だって、農村出身の人は都会では戸籍さえ作ることができなくて、子供を学校へ入れることができないのだといわれています。

 で、日本に戻れば、明文化された階級がない代わりに、実際には、資産の多寡による階級とか、夫の勤めている会社の大小による階級とか、いろいろ、すでに形成をされているわけですね。最近ではアエラが積極的にそういう問題に取り組むようになっています。また、ブラック企業と言う言葉とか、パワハラと言う言葉が、市民権を得てきていますから、大人の社会でも、いじめが蔓延していることが、社会の共通認識になってきているとは思います、が、私が若いころは、大人の社会には、それがないと、言うことになっていたのです。つまり、建前が通っていたのでした。

 でも、新しい地域社会が作られると、そこに、新しい尺度で、新しい階級ができるのです。大体最初の段階では、夫の社会的立場と地位は、賢い主婦は明かさないものなので、それはわかりません。そうなると、目に前で誰にでもそれが見える主婦力と言うものが、階級を作り上げる、原動力となります。社交性が高くて、階層意識も強くて、さらに、他の面で劣等感を持っている主婦が、おばさんパワーを全開すると、容易に、その町内会で、目立つこととなり、町内会長などを務め、やがて、PTAなどでも、存在感を示して会長をやり、その次には、市会議員に出馬するなどと言う上昇の仕組みができてきます。特に当時は四年制の大学へ女性が進学することがまだ少なかったので、本来なら、自分は四年制の大学に進んで、何か、業績を上げているはずだったと思っているような女性が、復活を遂げる道として、主婦力を生かす上昇ルートは、一定の価値もありました。

 私はやがて、そういう仕組みの中で、いじめられる方になって行きます。どうしてかと言うと、おばさん力が足りないからです。好意的なほうの友人でさえ、「慇懃無礼な感じがする」とか、「生活臭が全然ない」とか、「白い羊とか、白いウサギを思わせる」と、言ってくれていました。だから、周りのおばさんが、私にとっては、どう、対応していいか、わからないモンスターであって、怖くてたまらなかったのです。

 これは、1999年と、2000年に、ニューヨークで日本人の若い女性にいじめられて、仕事がうまくできないので、口げんかをしてみて、瞬間的に、勝ってしまったときから、急速に改善されました。海外で暮らした人は誰でも、それが、よくわかっていますが、そこに先住していた人間が後から来るものに対して威張ることはよくあるのです。

 威張りかえっていた彼女らよりも、こっちの方が、ぜんぜん強いことを、ケンカをしてみて初めて発見したのでした。それからは、、あいてが、女性であるかぎり、私は、絶対に負けないのだと、自覚をし始め、したがって、女性を相手なら、誰のことも怖がらない人となったのです。それが、57歳のときで、それ以来、おばさんパワーを、自分も持つようになって、どういう階層の人でも、さばけた会話ができるようになりました。自由自在に誰とでもお付き合いができます。相手に魅力があって、それを、やりたいと思えばの話ですが・・・・

 そういう自信を得たうえで、現在、特に日本国内では、争わないように、また、でしゃばらないように、目立たないように普段は、しています。

 もし、今でも、いじめてくる人間がいたら、内心で、『あんた馬鹿ね』とか、『未熟ね』と思い、あざ笑って、切って捨てています。でも、それは、71歳になっている段階で言えることであって,30代:とか、40代は、めろめろに弱かったのです。で、よく、いじめられていました。

 今、日本社会では、子供が小さい段階でも、働きたいと願うお母さんが多いのも、よくわかります。専業主婦の生活は、それはそれで、また、大変な苦しみもあり、その苦しみは、外には高言しにくいし、したがって、解決しにくいものが多いからです。

 で、ともかくの事として、いじめに出会っている人に勧めたいのは、よい気晴らしを見つけることです。私にとって、それが、お唄でした。カラオケがない時代なので、楽譜集を買ってきて、それを見ながら、自己流の伴奏をつけて、歌い続けていったのです。林隆三さんが、同じような手法で、お唄をマスターなさっているそうですが、和音を、C,D,F,Gと、5つぐらいマスターすれば、伴奏は自由自在に作ることができます。いいかげんなやり方ですが、素人が高望みをすることも無いので、声の抑揚の音程が、正しくなるぐらいの伴奏でいいのです。で、ピアノを弾きながら、お唄を歌うことを、一日に三時間程度、取り組みました。

 皆様も何か、特技、特に道具が不要で、すぐに、かつ、どこででも、できる特技をマスターなさると、芸は身を助けます。手相の鑑定とか、コインを使ったマジックなんて、勉強すれば、役立つでしょう。私は西洋星占いと、手相は、相当なレベルで、知識を身につけたので、横須賀線や、東海道線などの、旅用の四人がけ席で、仲良くなった未知の主婦達の手相を見てあげたりしています。楽しいことですよ。悪いものが出てきたら告げないようにすればいいのです。

 日本人は未知の人に心を開かないところがあるのですが、普段交流がない人ほど、自由自在に付き合える、予想外の楽しさがあります。一期一会と、限定して居ればこそ、よい交流ができる場合が多いのです。

 音楽は40代に入ってから止めてしまったのですが、今でも唄がひょいと口の端に出てしまうことがあります。大きな交差点で、周りに人がいっぱいる場所で歌っていても、誰も私の事を振り返りません。怪訝な顔をしないのです。それほど、いい声が出てきます。汚い声が出ていたら、『変なの、この人と思われるでしょう。でも、真に美しい声が出ているときは、『そのまま、聞いていたいなあ』と皆さんが思ってくださるのでしょうね。昔、満員の京急の中で、夜八時ごろ、トスカの中の『恋に生き、歌に生き』が、突然体内から沸き起こってしまって、2分ぐらい歌ったことがあります。そのときに、立錐の余地もないサラリーマン達が、誰も、私を見つめなかったし、誰からも注意を受けなかったのです。疲れている時、高音のソプラノは聴きにくいものだと思います。でも、小言を言われなかったのです。そういうときには、神様が、この身に宿っていてくださると感じます。

 で、そういう私が発見したことなのですが、自分には調号として、シャープがついている曲が合うということでした。ハ長調や、ヘ長調の曲には、魅力を感じず、ト長調、ニ長調、イ長調の曲に魅力を感じるのです。これは、体の奥から沸き起こってくる感覚で、不思議なものだと思ったことです。

 素人ながら、上に上げたほど、音楽を深く愛して、研究した私にとって、平野さんの本の215頁の「二拍子と三拍子」となどと言うところは、『すごいですね。こういう考察って、人によっては学問の論文に仕立て上げるだろうに、平野さんは、欲がないこと』と思うのでした。

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副題6、『平野さんは、柔道界の腐敗を、マスコミへの発覚以前に、予知している』

 しかし、平野さんの考察が誰にでも受け入れられると確信できる部分もあるのです。それは、オリンピックで、柔道が、勝てないことに、たいして、派遣選手の人選に疑問を抱いておられる頁です。243頁。

 それは、世界新報に載ったのが、2008年の9月24日ですから、今から5年前ですね。そのときに、すでに、五輪に派遣をされている柔道選手の人選がおかしいということをおっしゃっておられます。今丁寧に、ググって見たところ、当時の柔道連盟会長は、嘉納行光(2代)、と言う人物ですが、上村春樹3代目会長に、派遣人事を左右する力がすでに、あったのかもしれません。それが、どうしようもないほどの、コネ横行となり、弱体化した選手の派遣につながった可能性はあります。それは選手自身が賄賂を出したということよりも柔道連盟の専務理事等が、派閥を、横行させ、その系列の、選手を優先したという可能性があるのです。

 柔道連盟の腐敗は、明治大学と、筑波大学の学閥間の争いであったとも言われています。

*****ここから先は、日曜日の朝加筆をし始める部分です。で、加筆が大量になるので、アンダーラインを引くのはいたしません*****

 ところで、ここで、私はさらに解明するためにグーグルの検索を始めて、さらに混乱し、考察が難しい分野に入り込み、突然に、睡魔に襲われたのでした。で、土曜日中に完成しておきますという、読者の皆様に対するお約束が果たせないこととなりました。お許しください。

 この文章を書き始める15時間前に道路にはみ出しているもみじの枝、直径20cmを、花の栽培に邪魔だからと、高枝きりをしたのですが、それが、地上7mの高さで、しかも電線の上にある枝なので、電線を切らないようにしなければいけないとか、いろいろ、神経を使ったものですから、そこも疲労困憊の原因でした。さらに、寝不足も続いていたので、どっと、疲労が出てきたのです。

 子供のころは、木登りなんて絶対にしない、読書ばかりしていた女の子だったのに、最近、肉体を使う労働の楽しさに目覚めています。

 そして、それも、この本の面白さに引き込まれた理由のひとつでした。唄を歌うということ自体が、肉体の微妙にして絶妙なコントロールが必要です。そして、立派な肉体に恵まれている平野さんは、ご自身も子供のころから剣道をなさっておられるらしいのですが、男として、肉体が、がっちりと、ぶつかる種目が、お好きなようで、ラグビーやアメフト、そして、柔道もお好きなのでした。お好きだからこそ、外野にいても直感的に、柔道界が、おかしいということに気が付かれたのです。それも、マスコミに、それが暴かれるより五年も前からでした。

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副題7、『荒川静香さんの章など、誰もが、平野さんの考えに、共感をするだろう』

 これから、この本をお買いになる方もあるかもしれませんので、あまり、あっちこっちに触れてしまうと、いわゆるねたばれになってしまうので、これ以上は書かない方がいいのですが、スポーツマスコミのばかばかしさについてお書きになっている部分が、あって、そのとおりだなあと思うのです。

 政治方面の、記者達もそうですが、スポーツを取材する記者達も判で押したように、同じような書き方で、ニュースを作り上げます。特にオリンピックの前がひどいです。トリノオリンピックの前は、安藤美姫さんに、取材陣がべったりで、彼女がいい成績を取れるかのように、予測をしていました。そういうことは安藤美姫さんにも負担であって、勝てるものも勝てないようにしてしまうでしょう。どうしてもっと、幅の広い大人向けの取材ができないのだろう。あれでは、それこそ、幼児向けのニュースだと思います。

 そこを批判をなさっている平野さんに共感至極ですが、たぶん、当時、私もメルマガ内で、それを書いているはずです。だから、日本中のちゃんとした大人たちは、現代のマスコミの姿勢には、満足をしていないと、言うことが確かですね。

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副題8、『税金の使い方が間違っていると、思うのだけれど・・・・・・ともかく、この本は全国の学校図書館に備え付けるべきだ』

 私は自分が本を作ります。それで、この『私の第四幕(世界新報社刊)』を、読み終えたときに、これは、二分冊にして再刊されるといいなあと、考えはじめました。

 まず、音楽についての章は、その版権を音楽の友社、もしくは、岩波とか、筑摩書房、晶文社、白水書房等に、お譲りになったらいいです。

 そして、それらの、会社は、編集時に、すべての章の、音楽会の、実際の日付、講演会場、主なキャスト、スタッフを、明記し、それを、後注として、入れる。また、本文中には、白黒画像でいいから、舞台写真を入れる。

 それで、箱入りか、箱入りでなくてもよいからハードカバーにして、全国の図書館、および、学校図書館に、推薦図書として、保存をしてもらうように働きかける。

 人手間はかかるし、大衆的なヒットも望めないかもしれないので、編集と製作の段階で国家から補助をもらうようにする。文化庁でもよいし。

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 今巨人と、楽天が、最終戦を行っています。それを主人がBS1で見ていました。4回に入る前にニュースが、挿入されました。大島の被害を、救済するために、ボランティアが入っているのだそうですが、その人たちに地元側がトン汁を振舞ったと言うのがニュースでした。たった、2分ぐらいの挿入用ニュースの中に、それが、あったので、ばかばかしくて、またしても大島の町長、川島理史氏への、怒りに震えました。本日のトン汁は、民生委員が、用意したそうです。材料費は、税金ではないのですか?

 ともかく、この一件は、莫大に無駄な税金が使われました。そして、何をするにもすぐ、数億円が飛ぶのです。日本人は、どうして、こんなに甘くなってしまったのだろう。お互いのいじめは、ひどくあるのに、テレビカメラの前では、『まるで、善人でございます』と、人々は、言い合い、見せびらかしあい、裏では湯水のごとく税金を使い放題です。

 本当は国会財政は赤字であるのに、国債は、無制限に発行をしてよいことになったそうですし、消費税も上げられることになったそうです。国民総白痴化と、言っていた大宅壮一の予言は、すでに、達成しきられてしまっています。大島のご老人を、都内へ移動をさせたお遊びでしかない、避難など、本当に止めてほしいです。そういう方向で、ニュースを作るメディアがどこにもないのでした。

 で、挿入から元へ戻ります。

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 それが、資料として、この本の命を、永らえさせ、日本国民の宝を、一つ、増やすことへつながります。現在の本のままでもいいのですが、再編集されて、そういう資料をそろえれば、これは、得がたい、記録となるでしょう。1950年以降の、日本音楽界の、総まとめとなります。

 で、そちらを資料として、独立させる場合、音楽以外の章と、音楽の章の中で、ダブってもいいから、幾章かを使って、その両方で、世界新報社が、より、庶民的な本を作り、よりお安い値段で、売り出されると、いいでしょう。無論字数が減り頁数も減りますので、間に、写真を白黒画像で、入り込ませるのです。

 平野さんが、玉三郎が、大変美しかったと、おっしゃっている部分がありますが、そこに、そのときの玉三郎の、舞台写真を入れれば、字数が減っても本は成立します。

 まあ、それは私の夢ですが、そういう再出版がなくても、今の本でいいから、全国の、中学校以上の学校図書館には備え付けるべきです。音楽好きな子は、大きな夢を持つでしょう。クラシックの分野の、歌手って、こういうものなのだと、よく、わかるから。それから、ね、地方自治体が、運営している図書館もこれを備え付けるべきですよ。クラシック音楽好きな、定年退職後の人は大勢いると思うし、彼ら、彼女らこそ、図書館を利用する人々だからです。

 やっと、書き終えました。疲労していて、疲労していて、完成させるのに、時間が長くかかりました。恐れ入ります。

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なお、このブログの、2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、1868336です。

 2013年11月1日の午前二時に書き始め、途中休憩を何度も入れながら、3日の、夜九時にやっと初稿が完成する。   雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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