今日もツィッター方式で書かせていただきたいです。で、書けた部分に沿った総タイトルをつけて行きます。どんどん、変わっていく可能性がありますが・・・・・
8日の、午前、二次から、午前九時までは、『め以子派と、ボーヴォワール派があるとすれば、G村松のオーナーは後者でしょうね□』となっていました。が、午前10時に、二度目のタイトルへ変えています。
一応、初稿は、ここで、終わりといたしますので、初稿だけは、完成したというしるしに、総タイトル脇に、□印を付けておきます。
副題1、『朝ドラ、ごちそうさんが、好調だそうですが』
副題2、『1950年代以降は、20年ぐらいの間、フランスの女性が理想の鏡とされた。シモーヌドボーヴォワールとか、魅せられたる魂とか、キュリー夫人とか』
副題3、『川島女史・・・・今は閉鎖されている村松画廊のオーナー・・・・は、ボーヴォワールを理想としたタイプであろう』
副題4、『私と夫の結びつきの、最大のポイントは、二人で、漫才ができること』
副題5、『そのころから、パソコンへの、ハッキングはすでに受けていたのですなあ』
副題9、『2013年11月8日になって、加筆すべきことを見つける。それは、逗子ストーカー殺人事件の、探偵や市役所の、責任がどうして、今、追及されるのかと言う点だ』
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副題1、『朝ドラ、ごちそうさんが、好調だそうですが』
私は前報において、『ジャーナリズムがだめなんです』と、言っています。何らかのトレンドを示して、国民を啓発しようと言う姿勢は、特に朝日新聞系列に、顕著ですが、岩波書店とか筑摩書房も、そこに加わって、社会の木鐸足らんと言う意識はあるでしょう。中央公論社もそこへ加えないといけないかな?
講談社と、小学館と、新潮は、娯楽性を、強く打ち出してもいるので、気取っていないという感じを受けますが・・・・・
ご馳走さんを、見ていると、古い設定だなあと思いますけれど、それが、当たるのは、現在の日本で、働く女性が、どの世代も、幸せではないからです。ラガルド世銀総裁が、「日本女性はもっと働くべきだといったそうですが、現在のような仕組みの中では、女性は、負担が多すぎるのです。たとえば、1日に五時間だけ、働いて、きちんとした給料をもらえるという仕組みでもできればいいのですが、一般的には職場での束縛時間が長くて、皆さん、疲弊しているのです。消耗がきついのです。
その上、雇用形態が、年功序列ではなくなったので、もし、結婚をしないで、45歳ぐらいの時に、会社から放り出されたら、目も当てられないので、一部上場の優良企業に勤めている将来性のある男性を捕まえて、さっさと結婚をして、専業主婦になりたいというのが、最近の大卒女性の本音だそうです。
それは、ジャーナリズムが作ったトレンドではなくて、女性達自身が、社会を見て、また、女子会トークなどを経て、自分で、つかんだ結論らしいのです。
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副題2、『1950年代以降は、20年ぐらいの間、フランスの女性が理想の鏡とされた。シモーヌドボーヴォワールとか、魅せられたる魂とか、キュリー夫人とか』
専業主婦を理想とするトレンドは、ごく最近、しかも現場から持ち上がったものらしいのですが、私が大学を卒業するころの女性の理想像は、フランスに生きる自立した女性でした。キュリー夫人は、ポーランド原籍ですが、ほぼ、フランス人です。キュリー夫人の自伝を中学やら、高校で、まず読んで感銘を受けます。
その次に大学へ進学して、フィクションの、『魅せられたる魂』を、読んで、下手な男と結婚をするより、シングルマザーの道のほうが素敵なのねなどと、思い込んだりします。そして、サルトルやボーヴォワールが、最大限に、もてはやされ、情報開示をされていました。で、経済的に自立した女性が、優越しているのだと、言う考え方が広く世を支配しました。
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ところで、ここで、挿入ですが、現在では、サルトルを話題にする人がいませんね。日本でもそうですが、欧米でもそうだと思います。私は当時から、サルトルなんて、おかしい人間だと、軽蔑をしていたので、やはり、直感が当たってきたと思うのですが、ともかく、ボーヴォワールが、我慢をすることで成り立っている、二人の関係だったらしいのです。
つまり、二人の結びつきは、『入籍をしない。お互いに最重要なパートナーと認め合って入るが、他の人と、付き合うのも自由である』と言う契約下の結びつきです。つまり、サルトルが、女性編集者や女性ジャーナリストと、仕事をする際に、彼女らと、ベッドインするところまで発展する可能性はあるが、それを、自由にやっていいでしょう。ね。シモーヌ、君の方の自由も許容するからさ」と、言う話なのです。男性はそれで、OKでしょうが、女性は、そういうハンティングの傾向を持っていないので、シモーヌはストレスいっぱいだったと思いますよ。とても、かわいそうな、ボーヴォワールでした。
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ここで、女子高育ちか、県立の旧制第一中学が、戦後男女共学になった高校育ちかで、女性の考え方も相当変わるみたいです。後者は、学内に女生徒が、少ないので、大切にされて育ち、プライド高く、かつ前向きに生きようとする形で、育ち上がるようです。その代表的な例として、扇千景さんとか、西原理恵子さんが上げられるのですが、女子高育ちとなると、ぐっと、控えめになり、山崎直子さんみたいに、仕事は持っているが、テレビ内で、声高に、発言することも、控えて、結婚もして、子供も、持つ、となる模様です。
私の場合は理想より現実重視です。日本社会は、まだ、まだ、男性優位です。で、だめだ惟は、となって、自立する女性像は、実現しがたいなと思っています。それに、女子高育ちだから、前にぐいぐい出るのは野暮だという考どと、言うひけらかしは、絶対に、しないんですよ・・・(笑) だけど、もしかして、この文章が、最近、そういう形になってきているかしら・・・・・もしそうだとすれば、それは、敵の存在があるからですね。
彼らが、あまりにも野暮ったい人間達で、動物的だから、彼らを分析する文章はすべて、居丈高になる可能性はあります。
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副題3、『川島女史・・・・今は閉鎖されている村松画廊のオーナー・・・・は、ボーヴォワールを理想としたタイプであろう』
さて、上野副題1、から、副題2までは、村松画廊と言う有名な画廊のオーナー川島女史に、私がいじめられた際の事を、分析するための導入なのです。そして、それ自体が、実は醍醐イサムと言う画家を分析することへつながっていきます。
私が、今は閉鎖をされている有名な村松画廊のオーナー川島女史から、こっぴどくいいめられた当夜、は、結構めろめろになりました。デモね。耐え忍ぶタイプの私は、それが起きた京橋から、新橋まで、30軒近い画廊をそ知らぬ顔で、訪問をして歩いたのですよ。
きちんと、作品を見ながらです。新しい形の美術評論家として、時には作家と、丁々発止の切り結びをしながら、見てきたのです。私は実際はとても強い人間なのです。ただし、次の日の昼、『蛙が、銀座を歩いてもだめなんだよ』と、言うエッセイを、当時持っていたメルマガの中で、書きました。デモ、そのときは、川島女史の名前は挙げないで、書いていたのです。しかも、ブログではないので、非常に限定されたあいてだけに送っている世界でした。
大切なことは、私の方には、川島さんにいじめられる動機が、まったくないので、月刊ギャラリーの連載が、終わったころだったというタイミングを利用して、叩きのめしてやれというか、何かの裏があったとは、はっきりわかっています。
美術9条の会が、できたのが、2005年だそうですから、そこに所属している、赤津侃さん、または、針生一郎さん、または、酒井忠康さん、または、野見山暁司さん、または、それらが、原初の人なのだけれど、間に、別の人、たとえば、美術の窓の編集長とか、別の私がその実像をよくは知らない美術評論家が、間に挟まったかどうかは知りませんが、友格の事として、川島さんのいじめは徹底的に政治から始まっていることであり、
私としては、裏側は明瞭であって、別に文章に書いたほどの、痛みは感じていないわけです。だが、よく、自分に、30%規制をかけていると申しているでしょう。あの当時ここまで書く事はいたしませんでした。それに書いたって、誰も理解ができなかったでしょう。今は、瀬島龍三が、北久里浜で、横須賀市の水道山をただで、私物化したことも、伊藤玄二郎の元愛人が、警官二人を私物化して飛んでもないことが、私の身におきたこと。だけど、それが、かえて、大きな戦いの道具となっていること。そして、30年間、損の損の大損をただ、ただ、我慢をし続けた、アジサイ畑欺もう事件のことも書いたので、
川島女史の裏側に、鎌倉エージェントの発案があり、彼らを助けるために、彼女が使役をされたのだと、書く事ができるわけです。
大昔に戻ります。私は、本音も出さず、裏側にも触れず、限界のある中で、川島さんの名前も出さずに、ただの、笑い話として、それを提示しています。
いえ、全部の画廊めぐりを終わったら、急に一時間半前のその屈辱を思い出し、涙があふれそうになりました。すでに、子供二人が結婚をして家を出ているので、帰宅しなければいけないという制限はないのですから、主人に電話をかけて、「かくかくしかじかだから、逗子のアトリエによって、何か創作をしてから帰ります。文章蚊、絵か、どちらかで、一本、創作をすると、回復しますから』といいました。
ここですが、創作って、脳を研究している人によれば、最高の快楽だそうです。で、私もそれは、実感をしていて、何かを作った後では、気分がすっきりと、きれいになって、回復しますので、逗子によってから、一文章でも書いて、その後で鎌倉へ帰りたかったのです。
「だけど、夜11時半が最終だから、もしかすると、とまるかもしれない。明日の朝帰りますよ」と言うと、「だめだよ。かえってこなくちゃあ、蛙が銀座を歩いてもだめなんだよ」と、言うものですから、大笑いをしてしまって、その笑いの力で、気分が回復して、自宅へ直行をしたのでした。そのユーモアだけを、前面に出して、最初の文章を書いています。
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副題4、『私と夫の結びつきの、最大のポイントは、二人で、漫才ができること』
ここですが、皆さんには、何がおかしいかはお分かりにならないでしょうね。で、蛇足ですが、解説をさせていただくと、私は悲しくてたまらないので、夫から同情してもらいたいわけです。だが、同情を絶対にしない人なので、自分は、自分で、感情の始末をつけないといけません。で、上に言ったように、創作が最大の快楽なので、それを、一物、なせば、それで、すっきりするというのが私の自立なのです。
だが、主人は、絶対に同情をしないくせに、私の健康だけは、常に、心配している模様です。無理をするな、無理をするなといいます。
それと、私が家にいないと、ひどく、機嫌が悪くなるタイプなのです。逗子にアトリエを構えて修行三昧だったころ、娘が、「お母さん、家にいてね。お母さんが家にいないと、お父さんも、お兄ちゃんも、だめになっちゃうから」といっていましたが、私は、どうも家の中心みたいなのですよ。誰からも甘えられ頼られる存在らしいのです。つまり、大黒柱と言うわけですね。
夫は私が、夕食を一緒に食べないだけで、機嫌が悪くなるタイプですし。そして、同情をしないどころか、ひどい悪口を言うタイプです。奥さんが、弱気になるのが許せないタイプらしいのです。妻はいつもニコニコしていないとだめなタイプなのです。その上、村松画廊の実態を知らないでしょうに、「おまえねえ。優れた女性と張り合っても、お前には勝てないんだから、無駄だよ」と言うわけですから、大変な意地悪なのです。
そこは、不満ですよ。『もっと、素直に同情してくれるだんなだと、いいのになあ』と思いますよ。だけど、自分が蛙にたとえられたことも面白かったし、「蛙が、アスファルトジャングルを歩くのは、似合わないんだよ」と言う表現も面白くて、笑い転げてしまったのです。それで、深刻だった気分(メランコリックなもの)がどこかに、吹っ飛んでしまい『ま、いいか。鎌倉へ帰るか。直行するか?」となります。
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副題5、『そのころから、パソコンへの、ハッキングはすでに受けていたのですなあ』
この川島さんに、いじめられきった夜からすでに、8年か、9年が過ぎています。その間に、五大以上のパソコンが壊されました。メルマガを運営していたのは、昔から使っているAOLで、その当時はマイクロソフトのシステムを通さない形だったので、自分のパソコンのハードディスクには、残らないのです。だけど、惟も撮ってあるだろうし、後日、開発ちえさんが、罵詈雑言の、メールを7通もくれたのもとってあります。だけど、文章は、すでに、8000本を超えるほど、書いているので、現物を探すのが容易ではないので、第一回目の文章をここに再現することは、スキップいたします。
その代わり、今まで、語らなかったことを語らせてくださいませ。それは、名前をさらしていないのに、見事に川島さんに、これが伝わっていたことでした。
そこで、ハッキングされていることとか、鎌倉エージェントが、支配している画廊がどこかとか、言うことがすべて、わかってきたのです。徐々にですよ。数ヶ月かけて、もしくは数年かけてですが、銀座の画廊街の人的コネクションはほとんど、わかっています。そして、意地悪の、程度も、いろいろ、面白がっている昨今です。将来、これを、どういう風に面白いエッセイに直せるだろうかと、こちらは、こちらで面白がっているのです。そして、それが、わかってきたから、それ以降、美術界のいじめもすべて、鎌倉エージェント発であり、どういう流れで生まれてきているかを、きちんと、理解できるようになりました。で、違和感を感じることは、すべて、裏があるということを、自覚して対処しています。相当に用心深いですよ。灰、何々様、ビールやお茶を小道具に使って、『私は、表面はいざ知らず、あなたの事は、嫌いざあますよ」と、言っているあなた。将来とても面白い文章を書きますよと、予告をしておきましょう。
私が追求しているのは、政治の問題です。別に個人的な復讐ではありません。だから、正々堂々としているし、少しずつ、自分の、規制もはずしていくので、より面白く、より本質をうがつ文章を書けるようになると核心をしています。
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副題6、『私は、レストランで、孤食をするときには、いつも、山口みつ子さんと一緒のつもりである』
と言うわけで、川島さんの、意地悪については、今度は、実名を出す形で、二度目として最近も、書いています。と言うのも読売新聞に、2010年の、1月21日かな。ギャラリ-山口のオーナーが自殺であることを匂わせる記事が出て、それに、川島さんが、協力しているのにも、ひどく怒っていますから。
山口さんは、自殺ではなくて、他殺だと、私は、信じていますし。それなのに、読売新聞と言う全国版の新聞で、ギャラリー山口の入り口の写真を使って、不況なので、自殺をするオーナーもいるとは何事ですか? 同業者なのに、ひどすぎます。
お子さんがないので、私が川島さんの、非道さを怒ってあげないで、誰が、山口さんの悲しさや、悔しさを晴らしてあげますか?
最近ですが、よくテレビの世界で、3,11に関連して、誰かが、死んでも、残された人が、その人の事を思い続けている限り、その人は行き続けているというコンセプトが出てきていますが、私は、そのコンセプトを、2009年8月20日刊行の、『黄色いさくらんぼ』の中で、すでに書いています。
2012年度いっぱいは、ビュッフェとか、バイキングを試しました。泥棒が入るので、主人とすれ違いで、外出しますので、ほとんど、孤独な食事ですが、それでも、心の中では、山口みつ子さんと、常に一緒に食べているつもりです。
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副題7、『私は川島さんとは、ケンカはしない。どうしてかと言うと、不幸そうに見えるから』
ところで、この一文をなぜかいているかと言うと、目的は醍醐イサムと言う画家を分析することにあるのです。村松画廊のオーナー川島さんをまな板に取り上げるのは、醍醐イサムと言う画家と対比して、違うところを述べたいから、取り上げただけなのです。
醍醐イサムと言う画家は、イケメンを自称するというか、自覚をしていると思います。私もそれを肯定してきて上げました。私はよく、美形好きな川崎さんと、からかわれるほど、美しい人が好きですからね。だけど、それも、彼が、川島さんと同じく、裏からの教唆を受けて、いじめてくる前まではの話です。
彼が、何の因果関係もないのに、いじめてきたときに、瞬時に、怒りが爆発しました。だけど、面と向かってそれを出すほどに、私は動物的ではないのです。
しかし、私は、・・・・・日本では珍しいことに、・・・・・・売られたけんかを買おうと決意したのです。
行動としてですよ。それが、醍醐イサムの姿を、2日後に、ビデオに撮るという行為だったのですが、川島さんの方が、よりきついやり方で、いじめてきたのに、彼女に対しては、行動としての喧嘩を買っていないのです。
つまり、文章を書いた以降も、銀座で、会うことがあります。彼女は絶対に、私のブログを読んでいるでしょう。毎日読んでいるわけではないが、彼女について書いたときは、誰かから、お知らせが入り、読んでいます。だから、「川島さん」と、呼びかけるだけで、火花が散るでしょう。それから先が喧嘩となるわけですが、実際には、すれ違ったときに、私は、「川島さん、犬は元気ですか?」と優雅に言っただけです。そして、彼女は睨み返すでもなく、ただ、気がつかないフリをして去っていきました。今度は彼女が私を避けるというか、そらして、行ったのです。私は後追いをしませんでした。
それがどうしてかと言うと、川島さんが、不幸に見えるからです。最近の女子大生が、「専業主婦になるのが望みです」といっています。そして、朝ドラ『ご馳走さん』が、大当たりです。でも、すでに、70歳を過ぎた川島さんが、専業主婦になる? 考えられないです。彼女はいつも肩肘を張って、武ばって生きています。一生懸命なことは、わかります。そして、仕事は、緊張感があって、きついものだったでしょう。そして、勝ち組として、人生を終わったのです。引退したが、村松画廊の名声を覚えている作家は、日本全国にいっぱいいます。学芸員などにも知り合いが大勢いるでしょう。美術館の館長にもね。
だから、一種の女王蜂です。だけど、彼女の心をよぎるものは、『これで、私の人生は、よかったのかしら?』と言う迷いや疑問でしょう。とても正直な人であって、そういう迷いや、悩みがあることが隠せない人です。そして、その強がって、私に対して、いばっているところこそ、彼女が弱い人であることを示しています。
ある形とか、あるシステムの中でこそ、安心して生きていかれるのだけれど、それがなかったら、不安でたまらない人でしょう。いや、間違っているかもしれませんよ。彼女は結婚をしていてお子さんもお孫さんもある人かもしれない。
そうなると、抜群の演技力のある人となります。で、私が間違っていることとなります。だけど、結婚をしているとか、お子さんがある人特有の強さは見えません。そのような人生経験があるから、強くなるという側面は見られず、純粋なまま生きてきていて、今画廊のオーナーと言う枠組みが外れた今、思い迷うことが多い人だとおもいます。
だから、私は彼女をほうっておきます。お姉さんであるかのごとき、気持ちを持って見守っておきましょう。
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副題9、『同じく、沙彩ママもほうっておくし、渡辺豊重さんも、ほうっておくが、醍醐イサムだけは、許せない。それは、なぜか?』
これから先、500字は書きたいのですが、午前3時になったので、強引に寝ます。ただ、概略だけを述べれば、
渡辺豊重さんの方は、過去に問題がありました。画集の経歴欄など、今回、文章を書くために、買ってから、8年後に、初めて読んだのですが、それでも、直感として、過去に苦労があった人だということはわかっていました。
その苦労が行動の端々に出ていました。そして、その苦労が、時には、立場が上の人には過剰にへりくだることとなり、立場が下の人には、やつ当たりをしたくなることへ、帰結するのだ、ということも、わかっていました。テレビドラマによくあるじゃあないですか? それと、まったく同じです。
だから、私は、渡辺豊重さんは、ほうっておきました。ただ、委細を文章には書きますよ。だって、私が今書いているのは壮大なミステリー小説です。真犯人を探るのが目的です。大体わかっていますが、目の前でいじめてくるのは渡辺豊重さんだから、その現象は文章へ書き表します。それが、お嫌なら、誰が、私の讒言を、あなたの脳や心に注入したかは教えてください。そうしたら、それも含めて、豊重さんは、悪い人ではないと書きましょう。
私は沙彩ママもたしなめませんでした。『私に対する態度は、間違っていると思うが、将来天からお叱りを受けるだろう。それは、たぶん子供の事で。それで、私の方は、・プ・ラ・ス・マ・イ・ナ・ス・ゼ・ロ・になる。だから、今この人と争う必要はない』と、2005年ごろ、すでに、察していたからです。
ここですが、私は、この『プラスマイナスゼロになる』という文言を、8日の午前2時に書いて、9時まで、7時間ほど、何の説明を加えませんでした。で、読者の皆様の中には、ひどい言い方だなあ。・・・・・あなたが、沙彩ママにいじめられたという苦痛と、沙彩ママが、犯人池永チャールストーマスに、味わわされた苦しみを比較すると、その量は、天国と、地獄ほどの、違いがあるでしょうに。・・・・・と、おっしゃる向きもあるでしょう。しかし、私は自分の書いた文字には自信がある人間です。間違えて書いたわけでも、誇張をして書いたわけでも、ありません。
沙彩ママは、すらっとしていて、おばちゃん体型ではありません。そして、自他ともに、美人だという認識があるでしょう。そして、芸術家特有の繊細さがあると思われているでしょう。だけど、私に言わせれば、「とんでもない。彼女は、とてもダル(鈍感)な人です。2005年当時、10歳だった、沙彩ちゃんに、本当に必要なものを与えていません」となります。
ここは、後日、倉本聡さんのエッセイと絡めて、もう一回丁寧に、彼女に付いて、分析しますが、その鈍感さと言う点で、彼女には、後で、別章立て手詳述する醍醐イサムとすこし似た点があるのです。
しかも、沙彩ママが、私をいじめてきたのは、大きなリングの中の一環として、いじめてきているのです。この攻撃用リングの、暴力殿大きさと、深さといったら、すさまじいものなのですよ。沙彩ママは、その一部を担っただけだから、「自分は、何もやっていません」と、言う認識だと思います。私は自分の被害を、象徴的に、五億円に達しますというだけで、その詳細を語っていません。ほんの一部、つまり、10%程度しか語っていないのです。自分の被害と言うポイントでは、本当に、大きな規制をかけているのです。と言うのもブログとは、読んでいただくための娯楽性がナイトいけません。私の被害を語る部分には、あまり、娯楽性がないのです。特にまだ、話していない、深い奥があって、そこには微塵も娯楽性がありません。
で、語っていませんが、天の視座から見ると、私は、ひどいしかも、理不尽な、攻撃を受けているかわいそうな人間です。だから、神様が常にお味方をしてくださいます。
私は、今回の三鷹ストーカー殺人事件に、接して、『ああ、これもまた、天が、時々、裂け目をお示しになる、そのひとつですね』と思ったことでした。渡辺トヨシゲさんと、沙彩ママが、葉山の美術館に行った帰り、逗子から鎌倉までのたった五分間に、示した意地悪は、人為的なものから発生しています。どうせ、鎌倉エージェント発の、讒言を信じたからでしょう。
そこまでは、人為的なものですが、池永チャールストーマスの、殺意を、防げなかったのは、沙彩ママに母としての直感が足りなかったからです。私に言わせると、彼女には、母性が育っていないのでした。
そして、主観的に見る自分と、他人が見る客観的なその人物への評価とは違いがあるのです。大人になったら(=50歳をすぎたら)、その両方を、自分に取り込んで生きないとだめです。そこだけは、川島さん、友、渡辺豊重さんとも違って、彼女は、これから問題にしようとしている醍醐イサムとそっくりでした。
ところが、問題は醍醐イサムです。彼の自信の、きわどさと、汚さ、そこが、問題にしないといけないところなのです。私がビデオを撮ったというのは、彼本人が気がついていない、事故増を、彼に指し示すことが狙いでした。彼は、その年齢の男性が持っているはずの成熟度が微塵もない、お人形でした。と言うか、ある演出の上に、作り上げたもろい自分像を、あたかも真実であるように、他人に思い込ませる技術が達者な人間でした。
そこに、私は深い軽蔑と、怒りを感じて、彼にいじめられたとたんに、『わかりましたわ。今は、えらそうにして、私をいじめておきなさい。だけど、私の方は、あなたの化けの皮をはがして、あげますよ。待っていなさい』と、決意して、上に上げた三人とは、まるで、違った行動をとったのでした。それが、二日後に再度個展を訪れて、彼の実像をビデオに撮るという行動だったのです。
なぜ、そうなったのかを説明するためには、醍醐イサム分析をしないといけません。だが、それは、また、次数が膨大になるので、別章仕立てとしたいと思います。明日、金曜日のよるに、誤変換直しをいたします。その後、署名と日付を入れます。
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副題9、『2013年11月8日になって、加筆すべきことを見つける。それは、逗子ストーカー殺人事件の、探偵の、責任がどうして今追及されるのかと言う点だ』
逗子ストーカー殺人事件と言うのがありました。これは、2012年11月6日に起きた事件の模様です。そして、沙彩ちゃん事件よりは、もっと、年齢層が高くて、かつ、深刻な前段階がありました。そして、犯人も直後に自殺をしました。
でも、それでも防げなかったので、沙彩ちゃんの両親が警察に相談をしたのは、間違いだったと、私はすでに書いています。