銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

08年頃、大三菱さんが、貴君は当行第三劣位の客であり、引き出しはできませんと言ったが?!?!?△

2013-11-27 03:06:23 | 政治

 28日の午前零時になりました。録画がたまっていたNHKのクラシック倶楽部を聞きながら推敲をいたしました。午前二時までに、19000字を書いて、推敲を終わりました。で、恒例の、△印を、タイトル横に付けておきます。

 ここでは、女流現代アーチストのミミ(仮名・日本人)が、2000年のニューヨークで、やったことを主に書きながら日本の銀行のデータがすべて、悪人達に把握をされていることをも、さらします。どんな個人のものもです。ただ、それが、事件化するかどうかは、悪人達の胸先三寸にかかっているのです。

 これは、前報(後注1)、の続きなので、副題は9から始まります。

副題9、『ボブ、ブラックバーンの伝統ある工房がつぶれたのは、日本人の若い女性の、ずるさのためだった』

副題10、『勝ち組になれば、幸せだとは限らない。そして、幸せになれなかった人間は、他人をいじめる』

副題11、『結婚は、契約であることは確かだが、打算のレベルが、深すぎると、安心感をもたらさない。特に経済的な安定も大切だ』

副題12、『ミミのだんなは、お金の稼げない、男性の様だった』

副題13、『私はとっぽい天然であって、自分が金持ちである事にも一切気がつかなかった』

副題14、『08年か、09年ごろ、大三菱銀行さんのATM画面が、<あなたは当行・劣位第三位の顧客であり、引き出しができません>と言ったが?!?!?』

副題15、『青山で、湘南信金のカードが利かなくて、ヒヤッとしたが』

副題16、『湘南信金を、語ることこそ、その3年後(または、4年後)の醍醐イサムの問題に通じるのだった』

副題17、『松沢茂文元神奈川県知事の、禁煙運動(後に、受動喫煙防止運動と名前を変えて行くが)も、全部私への婉曲ないじめです』

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副題9、『ボブ、ブラックバーンの伝統ある工房がつぶれたのは、日本人の若い女性の、ずるさのためだった』

 ところで、1999年は、事前に何も知らなかったので、間違えて大学院へ行ってしまったわけですが、次の年には、前年に調べておいたことを生かして、マンハッタン島の中の、伝統ある工房へ、所属しました。そこは、400平米ぐらいの広さがあって、版画を作るプレスと言う機械が、リトグラフや、シルク・スクリーンや、エッチング用に、各種10台は置いてあり、他に独立した事務室、VIPが作業する室、作品保管室、薬品を処理する部屋、暗室などもあり、北と南に開放(窓)部分があって、ごみ処理室(四畳半か、6畳程度)もあったし、道具類も充実している、すばらしい場所でした。

 ただ、私が作業をした2000年には、すでに落剥の気配はありました。所長が病気で、ここに、来られないので、使う人たちが勝手な事をやっていて、人々が、使用料を払わなくなっていたのです。部屋は1100ドルで借りているという事で、それは、日本円で、14万円以下ですから、信じがたいほど安いのです。一人つきに、5000円の使用料を払えば、40人はいるはずですから、一月、20万円になるので、電気と、水道料を込みでも、十分にやって行かれるのに、ほとんどの人がお金を払わないようになってしまったのです。

 それは、ミミ(仮名)と言う日本女性が、モニター制度と言うのを作って、自分を含めて若手12人が、お金を払わないで、使えるようにしてしまったからでした。『一週間に一度、版画工房に来て、二人一組で、事務員をする。と同時に、掃除もする。だが、版画制作もしてもよい。で、アルバイト料をもらえない代わりに、使用料も払わない』と、言う制度です。6時間滞在すると、6千円のバイト料が、普通なら支払われるはずですが、それを、月四回やっても無報酬です。一見すると、すばらしい制度のようですが、主要な版画家が無料で使っていると言うのはモラールを著しく落としてしまって、誰もお金を支払わないようになっていたのでした。

 で、私が帰国した9ヶ月後の2001年につぶれます。私は財政を管理しているボランティア事務員から、内情をすべて聞いていたので、ミミを、内心で憎みました。実際に、版画工房がつぶれて、その1年後に、ホアレスと言う貧しい南米出身の版画家が、61歳で、孤独死をします。彼は、毎日そこへ通っていた、ボブ・ブラックバーンの版画工房と言う、行き先場所を失ってしまい、と、同時に、生きがいも、失ったからでしょう。ミミは、たくさんの、罪作りをしています。

 そのミミが、2000年の秋に、私に嫉妬して、大変な意地悪をするので、仕事がはかばかしくできません。

 彼女は、本当は六時間工房に滞在していないといけない制度なのに、だいたい、夜来て、二時間程度しか居ません。そして、パリの骨董市(クリニアンクール)で買ってきた古いタイプの実物の鍵をなぞって、作品を作ります。まるで、小学校低学年の仕事です。

 ある日、「早く帰ってよ。あなたが遅くまで、仕事するので、私だって、帰れないじゃあない」と、彼女が怒鳴るので、「私、鍵を持っているから、先に帰って。自分で、後始末するわ」と答えると、「じゃあ、電気、全部消して帰ってよ」と言うので、「わかった。でも、ごみ処理室のスイッチは、どこにあるのかしら?」と言うと、フンと言う感じで、教えてくれないのです。ごみ処理室は、いろいろなものが置いてあって、私が見つけようとしても見つかりません。日本で、良くそれがある、ドアそばの位置にスィッチがついていないのです。そこが、アメリカと日本の違いでした。

 ごみ処理室と言うのは以前にも話してあるかもしれませんが、表のそれとは別の大きなエレベーター(3畳程度)がついていて、郵便やさんとか、ごみ処理業者が、出入りする部屋で、大きさは、4.5畳以上はあります。版画工房って、大量のごみが出るので、冬は、午後、4時ごろから、または、一日中電気が点いている部屋です。

 で、とうとう、私も伝家の宝刀を抜いて、「あなた、私、ここに使用料として、一月につき、500ドル(6万円)払っているわ。反対に、あなた、は、一銭も払っていませんね」と言ったのです。

 海外の工房は専門家向けに運営をされているので、所属する人は皆、鍵を、もらいます。ビルそのものに入るのも自由ではないし、鍵は絶対の必需品です。後は、自己責任で、自由に使用してよいのが、常です。彼女は、先輩面して、ただ、威張りたいだけです。そして、いじめたいだけなのです。欲求不満があるので、他人をいじめて憂さ晴らしをしたいだけなのです。

 でも、その、彼女が今まで、自分自身に対しても、隠していて、認めまいとしていた、最もずるい部分を、私が、指摘した途端に、ミミは、わなわなとひざを震わせて、口も利けなくなりました。そして、きびすをひるがえして、逃げて行きました。その後、私が帰国するまで、一回も、・・・・そうですね。お当番の日にも・・・・・来ませんでした。弱い、弱い人間です。弱い犬ほど良くほえるの典型です。彼女がずるいやり方をしているのは、事実ですから、常日ごろ、それを、自覚しておかないといけません。自覚があれば、謝罪するなり、言い返すなり、何かができたでしょうに、ただ、パニックに陥って、逃げ帰っていきました。

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副題10、『勝ち組になれば、幸せだとは限らない。そして、幸せになれなかった人間は、他人をいじめる』

 ここでは、ミミが具体的にやって来たいじめについては、詳細を書いていません。私は、『自分の被害を語るのを、止めようと思って居ます』と、たびたび言っています。今の朝ドラ、ごちそうさんを、この一週間見ていませんが、小姑のいじめはどうなりましたか?

 その小姑ですが、婚家先で、苛め抜かれて離縁をされて帰って来たという設定になっています。だから不幸を味わっているわけで、それゆえに、主人公を苛め抜くという設定になっています。主人公は、自分より弱いものとして、新しく、この家に入って来たからです。

 ミミがどれほど、不幸せな人かを、これから語って行きたいと思います。それも、前の章で、述べたテレビゲームばかりして、2歳の子供の面倒を見ない若奥さんと同じで、ミミ自身は、気が付いていません。40過ぎているのだけれど、自分の本当の姿には気が付いていない段階です。いや、気が付いてしまったら、暗澹たる気持ちになるので、気が付かない振りをしているのかな?

  同じく前の章にで出てきた、これも私を苛め抜いた、あさこ(仮名)は、地方しか知らない人間です。反対に、ミミは東京で、生き馬の目を抜く生活をして来た人間です。「雑誌の編集をしていた」と言っていました。で、「なんと言う雑誌?」と、聞いても雑誌の名前を、答えてくれないので、そこで、何らかの挫折があったと、私は、推察しています。

 だいたいのところ、・・・・・3歳ぐらい年上に、かっこいい男性社員が居て、恋愛に陥ったが、失恋をした。その男性社員は、自分が最も嫌っている別の女性と結婚をした。 ・・・・・悔しい。負けちゃった。これじゃあ、もう、日本には居られない。そうだ。ニューヨークへ行こう。そこで、かっこいい男性を捕まえる。白人で、金髪で、性格は、優しくて、資産は、『麗しのサブリナ』に出て来る、ダークボガートの様な金持ちよ・・・・・と、夢を見て、ニューヨークへ来たのだと私は推察しています。

 しかし、ニューヨークで、現地企業である出版社に勤めることは、ふつうの日本人にはできません。英語力も、卒業大学も、彼女程度では、ニューヨークでは、まともな、就職はできません。無論、日本企業にも、入れないのではないかな?

 となると、『日本に残してきた、昔の同僚に勝つ道は何か?』と、ミミは真剣に考えたでしょう。そして、『オノヨーコか、草間弥生になれば、いいのだ』と思い到ったと、私は推察します。で、ミミは、現代アートに目をつけ、コンセプト重視の作家となったのです。

 現代アートって、ある『特異で、新規な発想』を持って、何かを作り、それが、ヒットすると、有名人になれます。

 ところで、そこが、問題なのですが、私は抽象画系統の作品を作っている人間ですが、コンセプト重視の作家ではありません。伝統的に色とか、形と言う部分で、美を追求している作家なので、ミミの大演説を聞いていても、ちっとも納得できないし、尊敬はできません。

 ただし、ニューヨークに住んでいると言うだけで、日本の美術評論家は、非常に甘い判断を下します。ミミが単に、実物の鍵を拡大したり、または、実物の鍵をなぞって、作品を作るだけで、もう、大騒ぎで、ほめまくるのです。この後者の方を2000年当時は、準備中でしたが、私のパソコン内下書きが、誰かの讒言と言う形でニューヨークに居る彼女まで届いたのか?、それとも彼女自身が、私の批判の目を悟っていたのかは、どちらかは、知りませんが、さすがに、日本では発表をしておりません。発表をしたら、彼女の日常のあくどさを、より私が、鮮明に語ることができますので。

 その次の年度とか、その次の次の年度は、どうしたかのかしら? 無料で、使える工房が無くなったので、どうなったのかなあ?

 ミミは、勝ち組になるために、現代アートをやっているので、コンクールにターゲットを絞っていて、一年間に、一作だけしか作りません。その作品には、コンクール用に、コケ脅かしと、ごまかしと、だましが込められています。実際に、そばで、その制作過程を見ていると、それが、よくわかります。

 もう、版画は作れないのではないかな? ただ、彼女は有名版画家の摺り師もしていると、聞いていますので、その人の作品を作る名目で、他の工房に、もぐりこんだかもしれません。そして、その有名人の摺りをやる傍ら、ちょっくらの、時間で、自分が、コンクール用に応募する、一年一作の作品は、今も、作っているかも知れません。私は、帰国二年目には、彼女への関心を失ってしまいました。で、コンクールの結果を含めて、その消息を知りません。あさこの消息も、聞こえて来ません。

 ただ、2000年の秋には、私の目の前で、一回、日本のある地方コンクールに、通ったことを勝利の証拠として、突き出していました。それを最大限に利用して、アメリカ人たちに、威張りまくっていました。だから、ただで、自分が版画工房を使えるシステムを作り出し、それを、皆に受け入れさせたのです。

 私は同じコンクールにその2000年より前の、1997年と、1998年に、2回ほど、ミミと同じランクで入選していますが、油絵だったので、その成果については、何も、ミミには告げていません。他にもいっぱい、それと同ランクのものには、入選しています。だけど、子供っぽくて未成熟なミミと張り合う気持ちはないので、ただ、黙っています。

 だから、彼女は、私への勝利感いっぱいで、威張りかえっていました。

 彼女は、本当に、しつこくいじめて来ます。が、他のメンバー、特に外人たちの方は、まったく意地悪をしません。主体性があるので、他人を気にしないのです。特に私は日本へ帰るわけですから、アメリカの印象もよくしておきたいということで、みんな親切でした。

 ただ、ミミだけが、他の弱い立場の日本人を味方につけて、数の力も利用して、私を執拗にいじめてきます。で、それがどうしてなのかを、私は、追及し始めます。

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副題11、『結婚は、契約であることは確かだが、打算のレベルが、深すぎると、安心感をもたらさない。特に経済的な安定も大切だ』

 私は女流画家には結婚を勧めないのですが、そういう仕事を選ばなかった女性には、よく結婚を勧めています。と言うよりは、『今、結婚をしている人は、離婚をしないように』と勧めています。と言うのも65歳を過ぎてから、やっとですが、結婚の意味がわかって来たからです。結婚しているという事の本当の意味は、老人になった時に、助け合って生きるためでした。一人だとできない事を、二人で、やっとできるという年齢になって、初めて、安心できる共同生活者が居る事のありがたみを味わっているわけです。

 特に収入が落ちますので、倹約しないといけません。「一人ぶちは食えないが、二人ぶちは食える」と昔の人が言ったように、二人で、暮らす方が、生活費も安く済むのです。

 でね、少し前までは、日本人女性は、三高といって、条件にばかりこだわる悪い側面があると思っていました。背が高いこと。給料が高額だということ。学歴が高いことの三つです。だけど、就職難と、給与制度の改悪を経て、だいぶ変わってきたかしら? 年功序列制度はあてにならなくなっていますし、結婚そのものも、できたらラッキーと言う時代に、なって来ました。

 ミミがニューヨークで、白人のだんなさんをゲットして、正式な結婚に持ち込んだ事は、彼女がいじめる人間でなかったら、『偉かったねえ』と、ほめてあげたいくらいです。『ニューヨークに自分固有の、レットバトラーを探しにやって来ている大勢の、日本人女性のうちで、実際に、白人と結婚ができている人は、少数だ』と感じています。だから、『ちゃんとした白人と結婚できて、さすが、元雑誌編集者、全方位に目配りができていますね』と、ほめてあげたいのです。

 ところが、版画工房で、ほとんど、『こんちくしょー』って言うニュアンスで、夫の悪口を言います。それにミミ自身に、お子さんの居ない妻が持つ、お色気と言うのがありません。

 そこで、突然にわかってきたのですが、『絵に描いたように、計画通りの結婚だけど、そこには、心がこもっていませんでした』という事が、です。ミミは、ありとあらゆる意味で計画通りに動いているのでした。だが、ある現象がもたらす、幸せ感、と言うのとは、ほど遠い人だったのです。ここで、ある現象と言うのは、結婚とか、版画制作をさします。私なんて、今思えば『子供ができたことは幸せだったなあ』と思いますし、版画は作るだけで、とても面白く感じます。コンクールなんかに通らなくても創造するだけで、面白い現象です。

 ミミは、一週間に一回来て、1時間半程度制作します。私は毎日、8時間制作して、土日もなく、70日間は連続して制作します。が、飽きるという事はなく、自然に、しかも、心底、打ち込めます。それほど、楽しい時間です。

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副題12、『ミミのだんなは、お金の稼げない、男性の様だった』

 ミミが版画工房に、夫を伴ってきたことがあります。彼を一目見て、ミミが、どうして、毎日いらいらと、だんなの悪口を言うのかの、理由が判りました。格好のいい青年です。髪は金髪で、マッシュルームにしています。日本で売っている絵本の中に出てくる、西洋の王子様にそっくりです。で、それ以降、私は、彼をひそかに「プリンスちゃん」と呼ぶことにしました。どうして、ちゃん付けかと言うと、とても背が低くて、私より小柄だからです。 だから、男性としての、フェロモンがありません。で、ミミは常にいらいらしています。他の男性の味も知っているのだと思います。形としては、すばらしい結婚をしたし、ご主人はミミの最高のアクセサリーであり、勲章でもあります。が、女としては、満足ができないのでしょう。

 そして、プリンスちゃんは、お顔も子供っぽい。だから、苦労知らずで育っていて、実家はお金持ちのはずです。職業がクラシック分野の作曲家ですから。

 でも、それって、お金の儲からない分野です。音楽でお金が儲かるのは、アメリカだったら、ロック歌手で、ヒットを飛ばしているか、ま、ともかく、テレビに出て、有名にならないと、お金にはならない世界でしょう。ミミが現代アートの作家で、妻の方も収入としては、月給ではないので、不安定な仕事です。お金にはなりません。両方が、収入が少ないのです。

 上の方に、母親との確執があったと、例に挙げている若い奥さん(といっても、ミミと同世代かもしれない)は、日本に在る実家が、お金持ちです。父親はたぶん社長族でしょう。今のお金に直して、月収が、150万円か、200万円以上は、あるような家庭のお嬢さんです。ミミは違います。実家にお金の側面で頼るわけには行きません。

 芸術家は、先代か、先々代が、裕福だった家に生まれます。でも、ミミとの結婚を、プリンスちゃんの親側が、喜んでいなかったら、そちらからの援助は、息子のお小遣い程度の額に落とされて、二人分の、生活費までは出してもらえないと思います。ミミはアメリカの名家のお嫁さんには、とてもなれないというか、認めてもらえないようなタイプです。どうしてそう思うかの説明は、省きます。具体的なことを書くと、気の毒ですし、私の人格が疑われるから。ただ、夫側の実家からの、支援を当てにした結婚だったら、思惑が外れたとなります。

 ミミは、内心で、不安がいっぱいだし、実際に、生活は苦しいと思われます。それは作品を見ていると判ります。ミミは、版画用、色インクとしては、3000円程度のシャルボネを一缶しか持っていません。で、毎年、コンクールには、同じ薄緑色の、作品を出します。一年に一作品鹿作らないから、5年間は、一缶で、持つでしょう。

 一方の私ですが、カドミウム系の、5000円はする高いインクを、何缶も机の上に放り出していて、しかも、一般多色摺りと言う特殊な版画制法では、ガラス板に大量のインクが残ります。それを、日本では、布切れ、アメリカでは、新聞紙とか、キッチンペーパーで、拭い取るのですが、20回以上、溶剤を使ってぬぐわないと、きれいにならないほど、大量に余します。無駄を出します。

 で、その頃の、私の生活って、100万円の札束で、ミミの横っ面を、張り倒すような生活だったとも言えるのでした。紙も大量に買うし、食費も使います。お昼は、惣菜類を買って工房へ、帰って食べるのですが、今考えると、8ドルから10ドルは買って帰っていたから、大変に贅沢な暮らしだったのです。日本円に直すと、ランチに、1200円ずつ掛けているという生活です。

 だけど、私としては、三ヶ月しか居ないのだし、朝と夜は自宅で、作って食べるのだし、昼だけ、外食にするのは、当然の事でありました。大きな体力を使う工法の版画をやっているからです。金属の芯が入っている重いローラーを二本、数百回、回転をさせる工法です。

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副題13、『私はとっぽい天然であって、自分が金持ちである事にも一切気がつかなかった』

 そして、自分の金遣いの荒さを、うらまれているなどと言う事にも、当時は一切気がつきませんでした。実は高校の大先輩から、「あなたって、ずるいと言ってよいほど恵まれていらっしゃるのね」と、20年ぐらい前に言われましたが、実感としては、別に!と言う感じでした。

 あのね、自分の胸に手を置いて、どうして、自分が金銭的に恵まれているかを、今、考えて見ています。単に両親が金持ちだったということ以外のポイントがあると思います。私はね。自然に周りに居る人を愛しています。演出が下手なので、誰もそれに気がつかず、感謝の言葉を放ちませんが、母が最終段階で、どれほど、私が老人ホームに来るのを待っていたか、私には手に取るようにわかるのです。他の人と同じく、若い時期には、お定まりの、母との確執もありました。だけど、最終段階では、母は子供のように私を慕い、頼ってくれていたのです。

 それと、こちらも仲が悪かった(?)時期もある、姑でさえ、「千恵子さん、そんなに根をつめると、体を壊すわ」と言って、心配してくれたほど、何事でも一生懸命やるタイプです。今は文章を書いて、世の中の人に真実を知らせるということを、熱心にやっています。そういう作業、すべてに対して、金銭的にも名誉の側面でも、お返しは、もらっていません。だから、母からとか、父からの遺産と言う形で、金銭的な救いが来るのだと思っています。天の采配だと思っています。

 ただ、それでも、使い方が、あほだったので、貧乏にもなりました。ただ、貧乏の実態って、実際に経験しないと、判らないものなのです。それに貧乏が、不幸だとは思いません。貧乏だと、工夫をするし、気が張って来て、とても、しっかりします。そして、物事を丁寧に考えるようになります。富裕層が幸せだとは、限らないのは、テレビドラマの世界だけの事ではありません。貧乏は、また、それなりに、人間を活発に、させます。

 私は父からの遺産の残り、2400万円を、版画修行で、使い果たして、残り600万円になって、夫の元に戻ったのですが、勝手に一人暮らしをしたので、その時から、いわゆる、生活費を渡してもらえないようになりました。当たり前ですね。(笑い)

 主人も肉や野菜や、お米と、いっぱい、買い物をして来てくれますが、ここは石段で登る山の上なので、主人にばかり重いモノを運んで来てもらっては、道義上、申し訳ないので、私も買って来ます。だから、600万円を、一部分ずつ、毎日、使うので、相当に、困窮して来ました。すべてを使い果たす直前に、母が、「毎月五万円ずつ、送ってあげるわ」と言ってくれて、さらに、「遺産として、将来、これこれのものをあげますよ」と言ってくれたので、心に余裕はありました。だからこそ、6種類の本を800部ずつ、出版する事ができたのです。ただ、皆さんは、私費出版でしょうとおっしゃるのですが、自分がデータ作りの段階までは、すべてをやりますので、他人(特に私費出版の会社)に頼むよりは、安くできますよ。

 が、実際には、目の前に、お金がなくて、毎週、二回東京へ行く際は、貯金を4000円だけ下ろして行くという日々を、4年か、6年ぐらい続けたのでした。その頃、柳沢昇(かまくら春秋窯の現在の主宰者)の、ゴルフ会員権と言うものが、はがき印刷と言う形で、我が家に誤配達をされたり、した頃です。それは、無論のこと、私が湘南信金で、4千円ずつ下ろしている事を、からかって来ているわけです。ですから、私の文章は、何をどう書いても、政治と連結してしまいます。

 元に戻ります。その貧乏暮らしで、ミミの、200年当時の私へのねたみや怒りを、やっと理解できるようになりました。

 ニューヨークの芸術家って、それで、食べて生きていかれるところが、日本よりあるので、他の仕事につかないのです。それで、日本人アーチスト達より、数段のレベルで、収入が少ないのです。それでも平気なのは、創作をする人間が、欧米では、高い評価を受けて、敬われているからです。

 日本はだめです。アーチストだと言っても、お金が無かったら、「へっ」と言う扱いです。金権主義ですからね。だから、何とかして、別業もキープしているので、作家(美術系)は、ニューヨークでの、それほどは、貧乏ではありません。

 が、その私が、お金に苦労していた時期には、日本の銀行を利用して、いじめられまくっても、いました。パリやニューヨークでの、出入金は、シティバンク・ジャパンを利用していて、そちらでは、それほど、おかしな事はなかったのですが、日本では、すさまじい事が連続して起こりました。

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副題14、『08年ごろ、大三菱銀行さんが、あなたは劣位三位の顧客であり、引き出しができませんと言ったが?!?!?』

 あのね、その4千円の引き出しは、必ず、湘南信金と言う銀行の通帳とカードでやっていました。収入は、母の仕送りをはじめ、年金も、すべて、三菱銀行に入っていましたが、三菱銀行で、一回に4千円ずつ下ろすのは、さすがに、気がひけて、できませんでした。横浜銀行も神奈川県に住んでいると、それがよく判りますが、大銀行です。だから、そちらでも、できません。で、湘南信金と言うのを利用していました。

 三菱銀行のカードが、ATMで『このカードは劣位三番目のカードなので、おろせません』と言ったりした時期です。ATMが、そういう画面を出した後で、そのままフリーズして動かないので、銀行のスタッフをインターフォンで、呼ぶと、彼らも、さすがにびっくりして、直そうとしてくれました。が、「どうしても、元に戻らないので」と言って、急遽、五時半ごろでしたが、新しいカードを作つてくれました。

 そのびっくりさせられた日より、20年は、さかのぼる、1986年ごろは、三菱銀行・鎌倉支店の二階の、応接室で、「川崎様、どうか、こちらへ。いろいろ、お話をいたしましょう」と言われていた人間が、まさしくジェットコースター状態の転落ですが(笑い) 

 その当時は、父の遺産の相続税が、遺言書相続であって、全体の額が高かったので、私は、遺産の、四分の一、1300万円を納税して、鎌倉市の高額納税者第18位になっていたのでした。だから、三菱銀行鎌倉支店での、厚遇もあって、当然の措置でした。

 ここで、挿入となりますが、三菱銀行鎌倉支店が、日本一、預金高が多いと言うのを、皆様はご存知ですか? それは、個人客が金持ちだからでは無いそうです。個人客が、もっともお金持ちなのは、この間、ストーカー殺人事件が起きた、吉祥寺周辺(場所は三鷹といいますが、利用する駅は吉祥寺です)、または、川崎市、高津区? または、横浜市、青葉区?または、世田谷区、上野毛、または、大田区、雪ガ谷?かなあ? みなと未来や、武蔵小杉、または、秋葉原のタワーマンションに住んでいる人も、お金持ちかもしれません。田園調布は二代目、三代目に入っているので、意外と、収入が落ちている人が、住んでいるのではないかと、私は推察しています。

 鎌倉には神社仏閣が多いのです。そして、大仏様は入園料を取りますね。また、他の神社仏閣も、それぞれ、レストランを経営したり、お定まりの幼稚園を経営したり、結婚式を執り行ったりしています。そして、お賽銭が入る有名な神社もあるし、お墓の管理なども、定期的な収入となります。そして、神社仏閣さまは、投資には、危険を冒さないそうです。株などは、買わないのです。金(ゴールド)はお買い求めになるかもしれません。が、ほとんどが、銀行預金なのだそうです。

 だから、鎌倉支店は、他行も含めて、大金を管理運営しているみたいです。どうして、みずほさんが、旧富士銀行を生かして、他行に比べて、目立たない場所に、今の支店を設定したのかは、不思議です。駅前の目立つ位置にあった、旧・第一勧銀のほうをどうして、生かさなかったかが、不思議ですが、借地だったのかなあ。ま、それは、余談ですが。

 ところで、二つ目の、余談ですが、旧富士銀行のATMで、何かがトラぶって、夏八木勲さんが、スタッフに文句を言っておられた姿を覚えています。・・・・・その頃は、お元気で、背も高くて、やせてもおられず、皮膚もパンパンでしたけれど・・・・・

 元に戻ります。と言うわけで、三菱銀行鎌倉支店は、三菱銀行全体の中でもトップ級の支店なので、スタッフが優秀で、若い人だけの判断で、即座にカードを作り直してくれました。それだけでも、銀行は救われたのですよ。だって、大三菱さんが、主役となって、こんなひどいことをやっているとは思わないで、済んだからです。

 他の銀行のカードで変なことがあると、すぐ、気がつくように成りました。敵が攻撃していると言うことを。

 特に、証券会社への納入金は、期限があります。株を買った後、4日以内に支払うと言う期限があります。それを狙って、わざと、カードが利用できなくされたことがあります。IT的な仕組みは破壊が、容易なのです。銀行側のATMにバグを入れれば、すぐおろせませんとなります。三菱銀行出、使った、脅しの手は、昼間は使えませんね。他の人がそれを見ると、びっくりするでしょう。で、カードを入れると、単純に、このカードは無効になっていると液晶画面が言います。

 そのときには、銀行の上位者が、対応してくれましたが、まったくだめな人間でした。

 大銀行の上位者なのに(これは、女性でもお仕着せの制服を着ていないので、すぐわかります)が、のらりくらりと、逃げ回って、親切な解決策を示して、くれなかったことには、怒り心頭に達しました。が、それも、鎌倉支店でした。

 『女性って、だめだなあ』と、自分が女性なのに、思います。視座が大きくないのです。だから、その銀行そのものへの、不信感を持ちますね。特に、きれいな女性が、上役だと、『う、この人って、女の武器を使って、出世したのではないかしら? お顔はきれいなのに、頭のほうが、こんなに、悪いもの』などと思います。サービス業は、いつも、お客の批判の目にさらされているのだから、マクロな視点に立って、よい処理をしてほしいものです。

 ただ、そちらは、面白くない話なので、ここでは、これ以上の詳細を繰り返しません。ユーモアのかけらもない話なので。

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副題15、『青山で、湘南信金のカードが利かなくて、ヒヤッとしたが』

 上の二つの件で、特に、三菱銀行の方は、夕方の鎌倉ですから、それほど、困惑するわけでもなかったのです。明日用の、現金を引きおろしていたわけですから。徒歩、15分で、自宅へ帰ることができますので、生きていくのが可能です。

 しかし、青山のセヴンイレブンで、現金が後、300円しか残っていないときに、湘南信金のカードが利かないのに、気がついたときは、ほとんどパニックに陥りそうでした。すでに、夜の七時を過ぎていました。画廊はすべてしまっています。青山の画廊は、毎週出入りしているわけでもありませんが、画廊なら、何とか、名前が通じるはずの時代でした。活発に活動をしている時期でしたし。

 また、その一年前まで、友達が青山・表参道付近の豪邸に住んでいました。だが、ご両親が亡くなって、引っ越したということも知っていました。そのころの私は、クレジットカードというのを使っていませんでした。あれは、いくら使ったかがよくわかりません。それを確認するために、毎回、記録して行くのは面倒です。それに、スイカとか、パスモは、GPS機能が付いていて、それを使って嫌がらせを受けるので、それも入金しておりませんでした。本当に青くなりました。

 が、自分の個人パソコンに、妨害が起きて、散々いじめられて来ていて、しかも、常に、突破しぬいて来ていました。

 私の大学時代のたった23人しかいない同級生に、古村浩三君という人がいます。フェイスブックの時代にはパソコンを使って、いじめてきたと思われる人物ですが、彼なんか、1966年ごろからニューヨークへITの勉強に行っている大ベテランのシステムエンジニアです。だけど、彼に匹敵するぐらいの頭脳レベルには、私は、すでに、自分が、なっていると思っていますよ。で、バグを無事に封じ込めて、現金を引き出すことができました。

 今、そのエピソードを書こうとしていたら、30分以上、パソコンが動かなくなったので、当時と同じ犯人が、私のパソコンを覗き込んでいて、妨害をしているのだと思います。

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副題16、『湘南信金を、語ることこそ、その3年後(または、4年後)の醍醐イサムの問題に通じるのだった』

 湘南信金は虐め用に使われまくりました。ただし、湘南信金さんが、自覚的に噛んでいるのは、2回だけでしょう。そのひとつは、大げさな形式の、小切手を、湘南信金が切ったということです。

 町内会の預金通帳は浜銀と、郵便貯金を使っています。で、町内の道路補修工事の支払いは、浜銀の通帳から、工事会社へ、振込みで、送金すれば簡単です。あとで、領収書を郵送してもらえばいいでしょう。200万円以下ですから、それでいいのです。

 だけど、わざわざ、町内会の回覧板が来て、『湘南信金を通じて、小切手で、支払うことになりました』と、言って来ました。これこそ、私の問題が、エージェントたちが絡んでいるという証拠なのです。すべて、政治的な問題です。そして、それは、今も終わっていません。中国の航空識別圏設定の問題も、ここから派生をしていますし、キャロライン新大使が最初の地方訪問として、宮城県を訪ね、村井知事と、握手を交わしている映像が、NHKに出ました。それも、私のブログと関係しています。

 その理由を簡単に説明すると、村井宮城県知事は、仙台に県庁があるので井上ひさしたち、エージェントの思いのままに動かされています。NHKが隠し撮りの手法を用いて、松本龍大臣(菅直人内閣時代の、復興担当大臣)を、陥れたのに、協力をしています。それをすでに私が、文章に書いているので、村井知事は、きわめて大切にされています。私の文章を、いつでも、どこでも、否定してやろうと、彼らは必死みたいです。

 ここでは、丁寧に説明をしませんが、最初の動機は上に上げた、柳沢昇の当時の奥さんにして、元、伊藤玄二郎の愛人だったと自ら名乗る、石川和子さんが、超が付くわがまま者だったことから発生をしています。

 彼女が、私の猫のことで、警察を巻き込む大失敗をして、また、その時にやってきた警官がさらに輪をかけた大失敗をしています。ここでは、その詳細を語りませんが、伊藤玄二郎は石川和子さんと、下半身の関係があったことを隠蔽して、自らを守るために、あれこれ、工作をしまくっています。が、すべてを私に、見破られていて、文章に書き表されるので、それで、なおさらに、追い詰められていて、次から次へと新しい工作をひねり出しています。

 が、石川和子さんをはじめとする、私の目の前に現れてひどいことをやりまくる、人間たちの源泉者は、彼でしょう。それに、協力をする人間たちも、すべて、流れを上流に向かってたどれば、伊藤玄二郎に行き着くでしょう。

 だが、目の前に現れて、実際に攻撃するのは、大原光孝さんと言うご近所住まいの画家であり、銀座で私にひどいことをした醍醐イサムと言う画家です。今は、それを集中して語りたいと思っている時期でした。ニューヨークの女性たちについて語るのもホンの前触れといった類です。

 というのも、この、湘南信金発行の、大げさな、小切手を使った支払井いの、相手方は、道路工事をした業者ですが、その工事は、大原光孝さんを、個人的に助けるものだったからです。彼が、私が、新橋のハナマサで買ってきたワインが、家へ上る石段の途中で割れたことに、目をつけて、私をからかってきたことから、端を発した工事だからです。

 彼が、その時、「川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ」と、からかってきたことを、私が文章に書いたからです。だから、やわらかい石(=鎌倉砂岩)でできている石段が、彼個人を助けるために、税金で補修をされました。さらに、彼が第二、第三の攻撃を繰り出してくるので、私が二回目として、この『ワインが割れて』をブログに、を書いたとたんに、テレビ東京の、アド街ック天国で、鎌倉小町通り特集が組まれ、鎌倉砂岩が、第二位に位置していたのも、そのせいなのです。

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副題17、『松沢茂文元神奈川県知事の、禁煙運動(後に、受動喫煙防止運動と名前を変えて行くが)も、全部私への婉曲ないじめです』

 全部で、180万円弱を支払いましたが、それは、半額だそうで、後は、鎌倉市の市税のはずです。この山に住んでいる人たちが、私への攻撃用スナイパーとして使われて、ざんざんバラで、冷酷ないじめを、やりたい放題でやったことの、後始末は、もしそれを、私が文章に書く限り、税金を使って、補修されて行くのです。(笑い)。私の方はすさまじい迷惑と損失をこうむっていますが、やったほうの人間は、税金を使って、自分達の失敗を糊塗してもらっています。

 どうして、そういうことが可能かと言うと、問題の人、伊藤玄二郎が、鎌倉でタウン誌、『鎌倉春秋』を発行していて、地域社会に、深く食い込んでいるからです。また、彼がエージェントであって、NHKも自由自在に動かせるし、友人の酒井忠康氏をまき込んで、銀座も自由に動かせるからです。

 そして、彼は、中央大学法学部政治学科の出身です。だから、地方政治の仕組みとか、どういう風に予算を組み立てさせればいいかを、熟知しているからです。だから、自分の手下達が、失敗をすれば、税金を使って、修正していきます。

 県民税も国税も、この山のスナイパーたちの失敗を、糊塗するために、めちゃくちゃなレベルで、多額に無駄遣いをされています。

 それをもっとも大きく采配したのが、松沢茂文(当時は神奈川県知事)氏であり、彼はその論功行賞で、都知事選に、出馬する権利を得ました。たまたま、石原慎太郎氏の心変わりで、実現をしませんでしたが、今回の参議院選に出馬して、何とか当選し(本当なら禁煙問題で怨嗟の的になっているので、ありえないだろうが)ました。大量の軍資金を手当てしてもらったみたいで、物量作戦を横浜駅の、特に東口で、展開をしていました。

 商店街が新しいので、禁煙運動に対応できたからでしょう。西口は、商店街が古いので、小さな店が多くて、分煙化などできないので、彼は、とても、恨まれているのですよ。

 禁煙運動の高まりは、私の『一本のタバコが、ベンチに落ちていて』(2005年)というエッセイを、つぶしてやりたいと思っている井上ひさし発の案でしょう。それは、すでに、どこかで、詳細に説明をしているので、ここでは、省きます。

 ところで、松沢茂文元神奈川県知事から、醍醐イサムへ戻ります。彼からの攻撃は大原光孝さんからのそれと、流れがそっくりなのです。二人とも、自分が、イケメンであることを自認していて、それをセールスポイントにしています。そして、ある時期までは、私と仲良しでした。平和な関係を結んでいて、なんら問題が無かったのです。だけど、仲良しをスナイ「パーに仕立て上げるのが、彼らエージェントたちの常套手段なのです。

 私はまだ、被害の実態を語っていません。三菱銀行のカードが「あなたは、劣位三位の顧客だから、現金が引き出せません」といって、ATM画面がフリーズしてしまったことなど、ホンの笑い話です。だから、堂々と何度も語っています。だけど、それ以上の深度の・あく・については、まだ、語ろうとは思いません。それは、私自身が語ることがつらいし、読者の皆様も、のけぞってしまうほどの恐ろしい話の連続だからです。だけど、長生きしないといけません。いつかは語ることのできる日が来ると信じているからです。

 なお、松沢茂文氏に対して、私は、何もたしなめることができませんし、謝罪をしてもらうこともできません。が、これだけは言えます。『こういう人を内部に抱え込んだ組織は、内部崩壊するはずだ』と。彼が引っ掻き回したわけでもないでしょうが、彼が所属するみんなの党は、最近、ごたごたしましたね。天とか、神を味方につけないと、党運営とか、国民の人気は得られません。だけど、一回だけでも、ひどいことを、こっそりと、県民にばれないところで、やっているずるい人を味方に引き入れると、天運に見放されるからです。

 松沢茂文氏は、民主党所属の議員だったはずですよ。みんなの党は、どうしてこういう人間を受け入れたのだろう?

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 なお、これから先に、湘南信金産後地震はあずかり知らぬところでしょうが、そこが場所として、どれほど、脅かしやら嫌がらせに使われたかを語る予定でした。それが、また、井上ひさしの実態を私に知らしメタのですが、すでに、19000字を超えたので、それは、別の機会に語らせていただきます。

 (後注1)

実母と、娘の確執は、娘の後日に、悪影響を及ぼすのだけど、それをいつ晴らすかが問題だ

2013-11-27 02:35:42 | 政治

 なお、このブログの、2010年度より数え始めた伸べ訪問回数は、1910479です。

  2013年11月27日、  雨宮舜 (本名、 川崎 千恵子) 

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