新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

葉隠聞書第1の4

2012-02-12 20:13:27 | 人生哲学系

さt、3を飛ばして4に行きます

全文を書くのがしんどくなってきたので、申し訳ありませんが僕の考えだけ書かせていただきます。

 

葉隠聞書 第1の4

生まれつきすぐに知恵が出る人もいれば、よく考えて知恵をひねり出す人もいる。生まれつきの得手不得手はあっても、一番重要なことは「自分のことを考えずに、人のためを主tt考えるときに、不思議な知恵も出てくるものである」ということだ。

深く考えればよい案が出てくるように思うかもしれないが、普通の人はどうしても「自分」のことを考えてしまう。自分のことを考えないで、ことを行うことは難しい。

そういうことで、何かを行うときには、まずそれはさておき、自分のことを考えないように工夫すれば、大外れということはないであろう。

 

今の日本の政治家や官僚が「わたくしなく」行動したら、日本はどれほどよくなるだろうかと思わざるを得ないですね。

 

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葉隠聞書第1の2:アンフェタミン訳

2012-02-11 20:39:29 | 人生哲学系

こんばんは

 

そろそろ上陸していると思うのですが、未来のことはわかりませんね。人間はいつ死ぬかわからないですからね。もし、死んでいたらこのBlogは僕の遺言ですね。こんな適当な遺言は嫌ですけどw

 

さて、葉隠聞書第1の2は有名な文章です。きっと聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?

 

武士道というは死ぬことと見つけたり。二つ二つの場にて、早く似ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸座って進むなり。圖に當らぬは犬死になどということは、上方風のうち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて圖に當るようにわかることは及ばざる事なり。我人、生きるほうが好きなり。多分、好きのほうに理が付くべし。もし圖にはずれて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。圖に外れて死にたらば、犬死気違いなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりているときは、武道に自由を得、一生落ち度なく、過食を仕果たすべきなり

いかがでしょうか。

 

有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり」の全文です。

 

僕は以前も書いたように思いますが、この文章は「生き方」を示しているだけで、死ねとは言っていないということです。

 

現代に置き換えて考えるといいのですが、この文章は最初よりも最後の一文に心があると思います。

 

毎朝、毎夕「死」を覚悟し、死身になっている時、自分が馬鹿にされたらいやだとか、誰からどう見られるだろうか・・など気にしなくなれば、行動の自由を得ます。もし、人の視線などが気になれば、視線を気にして行動しなくてはならず…自分の行動の自由を他人の視線に依存しています。

 

本当に事をなす人は、おそらく他人の目をそれほど気にすることはないでしょう。

僕は意外と小心なので、気になりますがw

 

武士道とは死ぬことと見つけたり。常に死身でいて、国のために…人のために尽くそうと思っていきなさい…ということだと思います。

先日の記事「原因は医師不足(相対的にも、絶対的にも)」では、結論が先にあっての記事でした。それは僕は気に入らないと感じたわけですが、もし結論が先にあったらどうとでも理屈はつけられます。誰もが好きな方に理屈をつけて、それが正しいともっていってしまう。誰もが死にたくないから、どちらを選べと言ったら死なない(ですむ)ほうに理屈をつけてしまう・・・。

 

ですから僕はこの文章を

「(事をなす人の)人生とは死ぬことと見つけたり。毎朝、毎夕、死ぬ覚悟をもって世界中の人に貢献しようとしていれば、自分自身の行動に自由を得て、落ち度なく(少なくともダークな落ち度)やりたいことをやり遂げることができるだろう」

と訳しています。

 

それ故、僕は死んでしまったら終わりだけど、いつ死んでもよいように生きていけば、後悔することなく生きていけるだろうし、やりたいことをやり遂げていけるだろう。

 

そう考えて生きています。

守るものが増えれば増えたで、考え方は同じですよ。別に死にたいわけではない。死を覚悟しているだけに過ぎないのでw

 

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葉隠聞書第1の1:アンフェタミン訳

2012-02-10 20:25:44 | 人生哲学系

さて、本日から不在です。今頃、船の上だと思います。

 

不在の間、僕が白衣の中に常に忍ばせ、時間があれば読んでいた(手あかがついて、線まで引いている)葉隠を書いていきたいと思います

 

昔も書いたかもしれませんが、もう一度書きます。

葉隠聞書第1の1

武士たるものは、武道を心懸くべきこと、珍しからずといえども、みな人油断と見えたり。その仔細は、「武道の大意とはなんと心得候や」と問いかけたるとき、言下に答うる人稀なり。かねがね胸に落ち着きなき故なり。さては、武道不心得のこと知られたり。油断千万の事なり。

武士にとっての武道(武の道)は今の人々にとってはなんでしょうか。僕は生きる道だと思っています

お前の人生の目的は何ぞや…と聞かれて、即座に答えられない。本当に「人生を通して、こういうことをして人に貢献したい」と考えていれば、すぐに答えることができるはず。常々、考えていなさい・・・と

 

僕はこの最初の文章を

「人間は常に自分の人生をどのように生きるか考えていなくてはならない」

と、読み解いて常にどう生きていたいかを考えるようにしています。

 

僕は基本的には医療に、教育が最も重要であり、僕の好きな分野です。この分野で一生をかけて世界中に貢献できること、それが僕の望みであり生きがいですね。もちろん、家族を幸せにするという目先の幸せも考えていますがw

 

僕? 僕は基本的にいつも幸せです。幸せというのは自分が感じることですからw

 

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何に満足し、何に満足しないべきか

2011-12-27 15:03:51 | 人生哲学系

こんにちは

 

今日は休みで、医局の飲み会に参加する前に大掃除中です。まぁ、大掃除というほどではなくて、そこそこきれいに片づけているというところでしょうか。

明日、そのまま羽田空港に行けるように出発の準備もしています。3時くらいにはここを出ようと思っているのですが、その前に記事を更新したいと思います。

 

昨日、偉そうにもコメントに「満足、状況を受け入れる」ことによってしか、幸せは感じられないと書きました。書いた後で、コメントの意義を考えてみました

 

幸せを国語辞典で引いてみると「運が良いこと」「幸運な状態」と書かれていました。本来は「仕合わせ」であり、「めぐりあわせが良いこと」であると書かれていました。めぐりあわせが良いというのは「偶然の要素」が強いですよね。

この意味で行くと幸せな人=ただただラッキーな人ということになります。しかし、ただただラッキーな人というのがそれほど多くいるとは思いません。

ただラッキーな・・・というと高額宝くじに当たった人…とかは努力していないからラッキーかもしれません。しかし、パチプロと言われている人でも(なんか、大勢朝9時から並んでいましたが)努力をしたり、傾向をよんだりしているでしょうし、株をやっている人なども楽をしているようで、努力(情報収集など)をされていると思います。

 

棚から牡丹餅のようなことのみを仕合わせというのであれば、幸せはナポレオンが言うように「一生に数回」しか来ないだろう。

しかし、いつも幸福を感じている人たちがいる。僕もおおむね幸福に生きていると思いますが、こういった人たちは「現状に満足」している人たちだと思います。

 

僕は「医師」という職業に、やりがいに、楽しさに満足しています。確かに同じくらいの年代の人の5~7割くらいの収入(内科医が一人いれば病院は年に1億円収入が増えるといわれる)ですが、生活していく上では問題ないですし、給与的にはあまり問題はないです。

あえて言うなら「臨床現場」が好きな人間を臨床現場から外してくださっているので、そこに文句は言いたいところですが

「まぁ、いい休養になるかも。あのままやっていくと10年も持たないし」

「こんな風に臨床現場から離れないと、英語の勉強もできないし、いい時間になりそうだ」

「病院勤務の間は結婚とか考える余裕はなかったけど、このチャンスにいろいろ調整を進めていこう」

とか、前向きに考えようと思えばいくらでも満足できる

 

何かを失えば、なにかを得ることができる。逆もまたしかり。

 

そう考えたら、現状を受け入れ、その中でできることを探していけばよいという風に思います。そうすると満足できるわけですね。

 

もっとも、この生活(臨床から離れた)をずっとしていくつもりはないですし…僕の天職は間違いなく医者ですから。だって、楽しいし、新しいことがいろいろ増えて飽きないし、なにか勉強していても勉強しているような気がしない。

 

しかし、その一方ですべてを満足してしまってはいけない。そう思います。

全てに満足してしまったら、変化が起きない。発展させることができない

 

全てに満足すれば、人はそのままで良いという風になってしまう。今をより改善しようとするから、進化していくのであって、全てに満足してはいけない。それもまた、正しいのだと思います。

まぁ、常に改善を求めると「完全主義者」になってしまい、人生面白くないかもしれません

 

そう考えるとほどほどに満足して、程々に改善を求める必要がある。

 

よく考えると当たり前の話です。仮に食事で「最良の栄養バランス、最良のカロリーの食事」を3食出される。しかし、それは基本的に同じようなものであったら、人間は飽きてきます。変化を求めるのは当たり前です。これは改善とは言わないかもしれませんが。

 

では、何に満足して、何を追及していくと「幸福感」に包まれるのだろうか。

 

西洋の格言か何かで「変えられるものは変える勇気を、変えられぬものは受け入れる謙虚さを、そしてそれを見分ける知恵を授けたまえ」というものがありますが、一つはこれなのかな…と思っています。

 

あとは個人個人で違うだろうと。

僕はおいしい食事より新たな知識、特にどちらかというと「文系、哲学、歴史」に興味があったりします。あとは「医学」ですね。

変えられないもの(僕の場合、人事で臨床現場以外に吹き飛ばされたこと)に対して、イライラしたりもしましたが、今は「まぁ、これはこれでやることがいろいろできるし・・・」と受け入れてみたり、その状況下でできることを探していくと意外と満足できる(かも)

 

そして変化を起こせるものであれば、できるだけ変化を起こす努力をする。何よりも自分自身の能力の向上ですかね

 

一番世の中で変えられるものは「自分自身」に他ならないと思っています。自分自身といっても、この顔、この体格、この身体能力…与えられた「技能」は個人個人で違うと思います。一番変えようがあるのは「考え方」であったり、モノの見方であろうと。というか、自分以外を変えようとするのは大変ですね。そんな努力をするくらいなら、他に時間を使った方が良いかもしれません。

 

偉そうなことをまた書いていますが、僕もいつも「刺激と反応の間にはスペースがある」という言葉を頭に描いています。時折、わざといろいろ表現したりすることもありますが、そう思っています。

刺激と反応の間のスペースというのは、物事に対しての受けとめ方は人それぞれであり、精神的な反応も自分自身の選択である…ということです。

 

他にも「人生を何色の絵の具で塗るかはその人の選択次第である」など、同様の言葉がありますが…人生は自分自身の選択の連続である。

 

自分自身で選べるものであれば、その選択した結果を受け止める。自分で選べなかったものであっても、その結果をどのように感じるか、考えるかという反応を自分自身で選択し、その中で満足できる結果を導き出す。

 

そういったことなのではないかと思っています。

 

うまくかけていないかもしれませんが、幸福を考えたときに「常に幸福でいる」ことは「満足でいる状態」を維持すること・・と同義であり、満足するかしないかは「個人の感性」によるということです。文章にすると難しいですが、当たり前のこと。すなわち心の持ちようである・・・ということですね。満足するという選択をするかしないかは、個人個人。何に満足して、何に満足しないのか。

僕は多くの患者さんのためにも「医学的なこと」だけは満足しないですけど、自分自身のことは「おおむね満足なり~」で終わっています。はい

 

 

それでは、そろそろ忘年会参加のために移動を開始します。

 

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真の独立ってなんだろう?:教育の重要性は?

2011-11-11 22:09:34 | 人生哲学系

さて、もう一つ行きます

 

先程「めざす教育:賛否両論だろうな」という記事のコメントに「日本は真の独立を成し遂げていないような・・・」という趣旨のことを書いて、気になって考えました。

先程も書きましたが、国家とは「国民と領土を持つ」ことと「政治的な活動」団体であるわけです。また、国家の中心的な機能とは社会秩序を継続的に維持することであり、社会的安定を担保することであるとされています。

先ほど書いたTPPの記事のYou tubeで中野准教授は「アメリカの言いなりになる」と言っていますが、そうすると国家主権すら怪しくなる(主権を持っていない=国ではないw)

そしてこれまた言っていましたが、大手マスコミがどこも「TPPのデメリット」に関して大きく取り上げることなく、偏向報道のような形になっていると。

 

そういった話もありますが・・・いろいろ国家に関して思ってしまいました。

僕は過去「教育と医療・社会福祉が国家の中で最も重要である」と書いてきました。その中でも教育は重要と・・・・医師の立場ながら教育を重視したいと思っています。発展途上国にどうにか教育を・・・というのも独立を担保するのは「国民主権」が本当に達成されたとき。すなわち、多くの人が自分たちの権利や義務を認識し、自分たちの国家の行く末を案じたり・・・将来の子供たちを案じたりすることができるような状態になったときに真に独立した主権国家と言えるのではないでしょうか。

南スーダンには来年自衛隊がPKOで行くことになっておりますが、南スーダンは独立を達成したといっても「領土と国民」という面でしか達成していないのではないだろうか。国民は自分の生活に手いっぱいで国の行く末などは考える余裕もないのではないだろうか?

独裁者のような人がいる国では…偏向報道などもそうでしょうけど、教育が指導者や権力者によって・・・妙な方向に持って行かれます。戦前の日本もそうでしょうし、情報を制限していたら国が保てていたが・・・情報がインターネットを通じて流れ出したら国家体制が崩壊していく(アラブの春)ような国も同様ではないか・・・と。

 

教育を受けた国民が「この国の将来をどうしようと考え始めたとき」に「真の独立」・・・すなわち「諸外国の影響を受けないで、その国の人がその国のための政治を行える」のではないかと思います。だから教育は最も重要なことだと思っています。

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今の日本はどうかと考えたときに

1、国民が政治から背を向けている(政治家が悪いのか?いや、政治から目を背けてきたために起きていることは、いずれにせよ我々国民一人一人の問題・責任だと思う)

2、報道が偏りすぎている

そう思うのです。

国民が政治から背を向けている日本は…ある意味「国民主権」とは言い難いのではないか?

今の日本国民はどれだけ日本をよくしようと考えているのだろうか。マスコミの報道が画一的なの暇に始まったことではないですが、本当に国を国民への影響を強く持っているのはマスコミです。マスコミは本当に国のために報道をしているだろうか。

 

TPPだけでなく、そういったいろいろなところで

日本って本当に独立国なんだろうか?アメリカに国の方向性までゆだねてはいないだろうか。マスコミは国民へ情報をただしく流しているだろうか?もし、ある種政府の思惑通りのことしか報道しないのであれば、戦前の大本営発表と同じではないだろうか?

そんなことを思ったのです。

まぁ、自分で放棄してそういう国になっていったなら・・・そういう国民の主権ということになるのだが・・・・?

 

 

これは僕個人の私見であり、別に政治的な意図とかは全くありませんが・・・もっと一人一人がきちんと政治を見ていかないと・・・本当に駄目になってしまいそうですね。

 

それでは、また。

 

P.S 本当はTPP論議ももう少し活発になってよかったのだろうな~と

 

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おまけ:アンフェタミン式計画作成

2011-10-10 09:46:38 | 人生哲学系

追加でもう一つ

 

最近…いろいろ計画を作成したりすることが多い(実情知っている人は笑うでしょうけどw)のですが、個人的には「計画を作る」のが嫌いですw

 

じゃぁ、おまえは無計画人間なのか…といわれると違います。

 

計画は当然立てます。ただ、目標(目的)を明らかにして、どのように進めていくかを線で作ることはないです。

 

僕の計画(人生計画も学習計画もすべて)はおおむね「枠」です。

 

先日少しそういう話をする機会があったので、思い出して今書いていますが…基本的にあまり計画を「きちんと」作りすぎると計画を変更しないといけなくなります

 

そもそも計画通りに行くことなんて皆無に近いw

 

それならば計画に融通性をどれだけつけられるか。それがこの計画の達成できる可能性・・・を表していると思います。

 

僕が何度も書いているように「偏差値32」という素晴らしい成績(素晴らしすぎて、全国模試の成績をすぐに陸上グラウンドで灰にしましたw)をたたき出して、少し勉強の計画を立てたときに…結構ゆるい計画でしたw

 

きつすぎると達成できないし、応用が利かなくなるし・・・・。部活が何よりできなくなる。

要は医学部に入りたいかな~ってこのころから思い始め(偏差値32で何をぬかす…と思いますがw)、どうやったら達成できるか…を考え、実行して・・半年でセンター試験は300点以上、記述試験は1年(2年の秋ですから32は)で65くらいまでは上昇させ・・・です。予定外に浪人(ここは計画に入っていなかったw)したものの無事に医学部に到着~ですね。人生に不可能はない・・・(信じるならば)と思いますねw

 

具体的にどんな計画か・・・というと、大体このくらい・・・。この時期までにここまでは終わらせよう・・・・とかですね。こまごま書くとめんどいのでパス・・・・。

 

ちなみに大学で・・・・うちの学年の国家試験対策委員長とかやらせてもらってましたけど、僕の計画は「全員がおおむね夏休み明けまでに内科、外科、産婦人科、小児科が終わっていること」でした。そのための細かい計画は少したててますが…その程度ですw

僕自身は5年の終わりには100回受けたら100回国家試験に合格できるようにしておけ…といわれていたので5年までに試験対策は終わっていて、6年になってからは人の面倒みているだけで成績は横ばいでしたw

僕は計画には融通が利くようにしなくては成功はないと思っています。

ただ、この計画の柱となるものはなくてはならないとも思っています。

 

人生計画では・・・・僕はMission statementという「個人の憲法」を作成し、その(計画の)柱を作るとともに…この後の人生計画を「ゆる~く」作り直す予定です。

きつくなく・・・・ただ、必ず人生でやりたいことを達成できるように…と思っています。

 

では、また。

 

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Mission Statement作成中

2011-10-10 09:33:45 | 人生哲学系

追加します

 

気が付くと10月10日になりました。これはうちの弟の誕生日であり、両親の結婚記念日でもあり・・・そして「いつも吸収合併されていた僕の誕生日に近い日w」でもあります。

 

ということは誕生日が近いわけですね。

 

誕生日が近い日・・・ですから。

 

あぁ、もうすぐ33歳か・・・・

 

先ほど「7つの習慣」の話をしましたが、この中にMission statementということが書かれています。一言でいうなら「個人の憲法」、「生き方の指針」ですね。

これを作成するというものがあります。

この33歳と誕生日を機に…新たにMission statementを作成してみようと思います。憲法改正ですねw

改悪にならないようにしよう・・・・(汗

 

新たにMission statementを作成することで僕のこれからの道も見えてくることだと思います。

 

医者として働けるのは65歳くらいまでとして(前線ではもっと低いのでしょうけど)・・・残りの「医者人生」で何ができるのか、何をしたいのか。「人生」という大枠の中で何をしたいのか、何ができるのか。

 

それを考えてみようと思います。

では、また。

 

P.S 膵臓癌でジョブス氏が亡くなりましたが、ランディ・パウシュ博士も膵臓癌ですよね。あの方も「最後の授業」で素晴らしい話をされていました。

http://www.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA

http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%8E%88%E6%A5%AD-%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%86%E3%81%A1%E3%81%AB-DVD%E4%BB%98%E3%81%8D%E7%89%88-%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3-%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4270003502

 

 

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ジョブス氏死去:有名なスピーチの中に「葉隠」の思想も感じる

2011-10-10 09:09:18 | 人生哲学系

おはようございます。

 

 

昨日は大学の学園祭だったので、打ち上げに参加してきました。さらに足を延ばして大学病院へ行き、学会の準備をしていたところ・・・

 

「○○さんがCPAで搬送されてきました」

という情報があり、ご家族と話をしてお焼香を上げさせていただきました。奥様とも話をしておりましたが、非常に頑張られていたと思います。

 

頑張られていたといえば、アップルのジョブス氏が亡くなりましたね。非常に残念なことだと思います。

 

 米電子機器大手アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が死去した。56歳。ジョブズ氏は体調不良を原因に8月に米アップルの最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。

 ジョブズ氏は1976年にアップルを共同創業し、パーソナルコンピュータ「Apple」や「マッキントッシュ」などを発表、同社を世界的な企業に押し上げたが、社内的な対立で85年に退社。86年に設立したピクサー・アニメーション・スタジオは、多くのヒット作を出して、世界屈指の映像制作会社となった。

 97年、経営悪化で苦しむアップルの経営トップに復帰し、2000年には最高経営責任者(CEO)に就任した。復帰後は斬新なデザインのパソコン「iMac」を大ヒットさせ、携帯型デジタル音楽プレイヤー「iPod」で音楽事業をパソコンと並ぶ事業の柱に育てるなど、業績を急回復させた。

 その後も、07年に発売したスマートフォン(多機能携帯)「iPhone」、10年のタブレット型情報端末「iPad」と、革新的な製品を次々と世界に送り出し、同社をパソコン大手から、デジタル家電やメディア配信事業を含むIT企業の雄へと変貌させた。11年4~6月期決算では売上高と最終利益で過去最高を更新、アップルは株式時価総額で世界最大のIT企業となった。

 一方で、04年に膵臓がんが発覚。半年程度の療養後、仕事に復帰したものの、11年1月から再び病気療養で休職し、8月にはCEOを辞していた。

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膵臓癌という疾患と闘いながら、さまざまなものを作り上げていったジョブス氏に敬意と感謝の念を表したいと思います。
また、ジョブス氏というと有名なスピーチがあります。
次の記事の中にもありますが、彼は素晴らしいことを言っております(だから伝説のスピーチなんでしょうけど)
(CNN) 5日に死去した米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が手掛けた製品は、パーソナルコンピューターの「マッキントッシュ」から多機能携帯端末「iPad」に至るまで、ミニマリスト的デザインとシンプルな操作性が特徴だった。

ジョブズ氏のこうした革新的なデザインには、禅の影響があるのではないかと指摘する声もある。

ジョブズ氏は若いころインドに旅して仏教に触れ、1970年代にカリフォルニア州の禅センターに通って、日本出身の禅僧、故・乙川弘文氏と交流を深めたといわれる。

乙川氏はジョブズ氏の結婚式を司り、86年にジョブズ氏がアップルのCEOを解任されて設立した「ネクスト」の宗教指導者にも任命されるなど、2人の交流は長年にわたって続いた。

ジョブズ氏がスタンフォード大学で2005年に行った有名な講演をはじめ、同氏の発言の中には禅の自力本願の思想が反映されている。講演でジョブズ氏はこう語った。「過去33年間、私は毎朝鏡の中の自分に向かって『もし今日が自分の人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか』と問い掛ける。そして答えが「ノー」の日が続いたら、何かを変えなければいけないと思う。自分はいつか死ぬと思い続けることは、私が知る限り、何かを失うかもしれないという思考のわなに陥るのを防ぐ最善の方法だ」。

ジョブズ氏と乙川氏との交流は、フォーブズから近く出版される劇画小説「The Zen of Steve Jobs(スティーブ・ジョブズの禅)」に描かれている。
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これは全くの同感です。思想は少し違いますが、僕は同じようなことを別のものを通していつも考えています。
それは「葉隠」です。
葉隠の聞書1の1には「武道の大意とは何か?」という質問に対してそれをすぐに答えることができる人はまれであると書いています。
武道というのを「あなたの人生の大意とは何か?」に置き換えてみてください。
あなたの人生の目的は何か?
と聞かれたときにすぐに答えられるかどうか。こういうことをいつも考えています。
また、有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり」から始まる文章。
これを最後まで読むと「毎朝毎夕、今日が最後の一日であると考えて奉公を続けていれば、武士として落ち度なく生きていけるであろう」という意味のことを書いています。
これも奉公を仕事・生活に置き換えて、武士として・・を人としてに置き換えると素晴らしい文章が浮かび上がってきます。
それゆえ僕の中の「3種の神器」的な本は「7つの習慣」「葉隠」「自省録」の3つになります。「人生の残り時間の思考法」も入れたいですけどね。
いずれにせよ、この世界に大きな変革をもたらしたジョブス氏のご冥福をお祈りいたします。
では、また。
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