こんばんは
ICUブック、久々に一気読みしております。
昔の日本語版第2版は研修医の時に救急部研修の前に読みました。 あの時読んでいった本は「ICUブック」「JATEC」「救急診療指針」などを端から端まで読み、頭に叩き込み、そして「うちの大学出身者」として恥ずかしくないようにしようと思って研修に行ったのを覚えています。
今年に入ってICUブックの日本語版 第3版が発売されたので、買っていたのですがなかなか読む機会がなくw
しかし、楽しいですね。知らないことや知っていることがいろいろ書いてあって、非常に楽しく時間をつぶしました。
本当にプライベートないな~w
海が近かったら釣りに行くのだけどw
駅伝が終わったので走りに行こうかとも思いましたが、やめてしまいました。一度走ると「ランナーズハイ」になり、中毒化するのでw
ここまでは冗談です。
さて、今休養がてらネットサーフィン+Blog読み漁りしていました。
今日は教育or教育改革というKey wordで調べていましたが、いろいろ意見があった。しかし、意外なことにあまり僕の意見って変わっているのか、同意見がなかったので(たぶんいらっしゃるはずなんですけど)書いてみようかと思いました。
さて、僕の教育論は今までにもいろいろ書いてきました(教育)。あくまで教育内容も重要ですが、評価法が最重要だろうと思うのです。
実際のところ、子どもたちは何らかの能力を持っています。向き不向きはあっても素晴らしい才能を何かの分野で持っています。それこそ大事にするべきだと思っています。
評価法の重要性は「子供たちが将来何になるか」ですとか「人の評価ではなく、自己評価で持って楽しく人生を送る」「仕事を楽しくやる。生き甲斐を見出す」というようなことに「自己評価が高いこと」が必要だと思うから。
これは「自慢」「自信家」とか言っているのではなくて、「自分自身の価値を認めている」「人からの意見に動じない」ことを意味しています。
勉強ができないから、あの子は駄目だ・・・・。
そんなわけないではないですかw
僕なんて高校時代一番最低の偏差値は全国偏差32まで下げてますからねw 他人の評価だけならこのとき最低ですよw 気にしなかったですけどw
他人の評価とか、紙のテストだとかそういったものではなくて、自己評価が重要だと思っています。
自分の生き方は自分で決めるものです。仕事にしたって、なんにしたって自分で意味を見出すものです。
僕は医者ですから、患者さんを診察して治療することが「役割」だと思っています。しかし、僕はこの医者という職業をもって
「他の人の人生がより良い方向に向かえるようにすること」
に意味を見出しています。
確かに全ての人に治療が終わって、治って帰って行ってほしいです。しかし、実際はすべての人が病気から逃れるようになるのはまだ当分先のことでしょう。(まぁ、近い未来にそんなことが起これば僕は釣り人か政治家にでもなろうかしらw)
しかし、その人の人生をより良い方向に、その人の時間を少しでも確保すること、家族との時間や思い出を作る時間を作ることができるのではないかと思っています。
そこに意味を見出さなかったら、医者が何に貢献しているのかと思ってしまいます。
僕は人の時間を有意義なものにしたい。そこに意味を見出している。
どんな仕事だって役割があります。しかし、それに意味づけをするのは個人個人ですから。 すべての職業は素晴らしいものです。
新聞記者さんがいなければ情報は得られませんし、教師がいなければ教育は成り立たないですし、会社勤めをしている人がいなければ様々なものが手に入らなくなります。
今、こうやってうっているPCも誰かがいなかったら僕の手元にはなかったかもしれませんしね。
子供たちの評価は紙切れで評価するものではない。彼らが日常で生活する上で最低限の知識は持ってもらわなくてはならない。その為に小学校の教育はあるのだと思います。
勉強をして、将来自分がやりたい仕事に就くために、最低限の勉強をしてもらうこと。
しかし、最近は「テスト・テスト」でテストのための勉強をしているようなもの。しかも、それで成績が悪かったら「個人の否定」に走る。
ダメな子 のわけないのにね・・・。
個人が否定されたら、自分の道が見つけられるわけないじゃないですか。
ちなみに僕は弟だけには厳しいです。白血病の患者さんから
「先生は優しいから、一人っ子かお姉さんがいるのではないか?」
と言われました。
そういうものなのか・・・? と思いましたが、とりあえず
「いえ、弟が一人います。厳しいですよ、僕は。他の人には何も言いませんけど、弟には信頼を込めて厳しく言います」
と言いました。
弟も僕と同じでどのような仕事にも前向きに働いていくタイプです
先日、弟の職場はあることがきっかけで大量にうつ病(というより適応障害)が出ましたが、弟だけは普通に仕事をしていました。流石に愚痴は言いましたがw
僕と父が
「これもいい人生勉強だ」
と、異口同音に言うのでそう思ってやっているのでしょう。
いずれにせよ、将来に道を見つけるのは「家族」でも「教師」でもなく、その人個人です。
個人を伸ばし、自分自身で様々なものを決めていけるようにするためには厳しく指導はするものの、
「お前はできる。お前はこの分野ではこれだけ素晴らしい成績をだしている。ただ、生きていく上で読み書き、そろばんは必要だから、それくらいは覚えなさい」
くらいにしておけばいいのだと思う。
個人個人で違いますよ、才能は。 僕も高校時代に才能の違いというのは見せ付けられましたw
陸上競技でインターハイ7位の選手と並んで走ったり、いろいろw
自分で足が速いと思っていたけど、全然上には上がいるな~と 同じように勉強にも、日常生活にも上を見ればきりがない。いろいろなことを教わって生きています。
それは個人個人が違うからでしょうし、その個性を生かして楽しく人生を歩んでいく方法を学んでいく場所だと思っています・・学校というのは。
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それ故、評価法は変えるべきだと思っています。絶対評価とか相対評価とか、そういう意味ですらなく
「それはそれ、これはこれ」
みたいに・・・ (どんな評価だw)
試験は試験でやらざるを得ないのでしょうけど、個人個人の可能性を見出し、引き延ばすための評価法。それは自己評価を取り込むことだと思っています。
それ故、ポートフォリオが面白いと思っています。
自己評価を高く持てる人間は、相手を思いやることも自分の道を決めていくこともできると思います。
問題は教師や親が自分を超えていく可能性を秘めた息子や娘に、それを自由に伸ばせるだけの度量があるかどうか・・・そんな気すらしています。
ただの一医師ですが、教育に関しては「日本の将来」をうらなう重要な事項なのでいろいろ考えています。可能であればよい教育制度を確立して、日本がさらに高く羽ばたいていって、世界の人々に貢献できることを祈っています
その前に自分が貢献できるようになるかだなwww
では、また。