もう一つ追加します。
最近、人と会うたびにいろいろ勉強させられます。
最近行きつけの喫茶店・バーでは50~60歳代の方といろいろ話をするのですが、年齢の差、、経験の差で様々な話をうかがうことができ、非常に勉強になります。
ここに集まってくるのは医療従事者以外の人が多く(様々な職業の方、電気屋さん、クリーニング、プロバスケットチームの選手などなどw 市の介護などを担当する職員の人もいますし、医療廃棄物を扱っている人などもいます。医療廃棄物が急に東京の○○病院で増えたのは~ことが起きているのではないか・・など、その方面の話が聞けて面白いです)、僕の周りではうかがうこともできない話が聞けてすごい楽しいです。週に1~2回は足を運びますね。
因みに(僕が行った日にたまたま初めて来た僕が外来で診ている)患者さんもよく来るようになりました(汗
本当に様々な方々からいろいろな話を聞けて幸せに感じることが多いです。いろいろな情報を与えてもらえるというのはうれしい話です。
また、病院でもいろいろな人と会うわけです。主体は患者さんや医療従事者ですけど、後輩の研修医からも面白い情報を(直接教えてもらったというよりは、僕が学んでいるのでしょうけど)教えてもらっていますし、そういう考え方もあるかと思ったりします。
僕は基本的に教えたがり…というよりは、可能であれば僕の知識や技能を研修する全ての後輩医師に持て行ってほしいと思っています。
それゆえ「医療」に関しては厳しく指導するわけですけど、可能であれば僕の7年間で学んだ知識の多くを数カ月で持って行ってくれればそれだけ優秀な医師が増えることになります。
そして医療を楽しんでほしいと思います。基本的な責任・義務に関してはもちろんのこと、医療に関してそれらを全うしながら「楽しく」やること。
それを学んでほしいと思っています。
ただ、これは僕が僕というキャラクターだからできることなのだろうとも思っています。
人はそれぞれ違いますし、学ぶ力も違います。
昔から書き続けている「アンフェタミン流」の「多重知能理論」では、全ての人は各々が学ぶ分野によって「学ぶ能力=才能」は違う。才能は傾きであり、Y軸は能力、X軸は時間であれば・・・分野によって得意不得意が出るのは当たり前。それは個性だと思います。
「アンフェタミン的多重知能理論:個人の考えですけどね」
日本の財産は人:時代の変化に合わせた教育改革を
そして僕は常に「才能の総量は一定」と思っているので、人を羨ましくも思わないし、自分が下だと思うこともないです。ここは僕が自分でも「幸福」に感じることが多い理由なのではないかと思っています。
人と比較しても「全体的な差はない」と思いますし、ならば得意な分野でいかに貢献するか、どれだけ人のために尽くせるか、苦手な人にならば教えることができるのならば教える。奪うよりは与える。それができると思っています。
まぁ・・・教えるのが得意な人もいるし、苦手な人もいます。学ぶに際して人から教えてもらう方がよい人もいれば、教えられるよりも自分で学ぶ方が得意な人もいます。
僕もかなり偏っている人間ですので(僕はちなみに全て我流で学ぶタイプです。中学時代は塾を放校にされるし・・・)得意、不得意は多いのですが「医療」という分野は得意なんでしょうね。
ただ、その違いは個性だ・・・と思っているので、いろいろな人のいろいろな話を聞いて自分の関連しない分野でも楽しく聞くことができます。
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だらだらと実のないことを書いてしまいましたが、書きたくなったので適当な文章を書いてしまいました。乱筆乱文、ご容赦いただければと存じます。
では、また。
P.S 明日からまた頑張るぞ