さて、ど~でもいい話(と書いて、ど~でもよくないつもり)3連発です。
先程、コメントをいただきました件で記事をひとつ書きます。
年金の件です。
僕は日本の未来を考えたときに「教育」「社会福祉」に関してだけはやはり一定の水準を保ちたいと思っています。
教育や社会福祉は未来のための投資であり、3年後の改善ではなく20年後の未来のためにも変えなくてはならないと思っています。
日本は教育にも社会福祉にも金をかけていない方である…と僕は思っています。これの一部の理由は「税収が少ないため」かもしれませんが、使い方の問題もあると思います。
税収が少なければ増税してでも・・・・この分野に投資するべきだと個人的に考える理由は簡単です。
例えば教育であれば「すべての人が等しく同様の教育を受ける権利と義務がある」と思うからです。
権利だけでなく義務もあると思います。
人は生きて、良い人生を歩み、社会に貢献する義務と権利がある・・・そう考えています。 どのような教育制度にしても 「すべての人が良い教育を受け、自分の道を・・自分に合った道を探す権利があり、義務がある」
繰り返しすぎですね。
僕はすべての人に関して「能力の総和」は一定であり、必ず一人一人は他に誇るべき才能があり、全ての人は尊敬されるべき何かを持っている。問題はそれを引き出すような教育制度になっていないだけだと思う。
また、私立の学校云々とかいう話がある。
僕はちなみに公立の小学校、中学校、高校、で国立の医大出身ですから「私立」がすべて良いとは全く、かけらも思わないのですが・・・・いろいろな面で「私立」の方が良いところもあると思う
ただ、私立でしか「良い教育」をもし受けられないのであれば・・・どうだろうか?
私立の高校に行けない子供が・・家庭の事情も含めて・・・そういう子どもが将来「日本(世界)に貢献できるだけの才能を持っている」とすればどうだろうか?
子供たちは自分自身が望む教育を100%受ける権利と義務がある。僕はそう思うのです。
逆に今の「大学受験」重視の教育というのも嫌いです。無駄、意味がない。何のための教育か?僕は嫌いだったから高校時代勉強するのを忘れ、高2の秋の模擬試験で全国偏差32と叩きだしましたが、そのくらい嫌いです。
試験勉強なんて目的のところまで到達すれば良い・・・そうずっと思っていました。
勉強が好きでその分野に合わせた教育を受けたければそのような教育を受ければよい。勉強が嫌いなのに、受験勉強のためだけに勉強するのはお笑いでしかない。
子供が走るのが好きで、その分野に進みたい。しかし、そこまでの才能(世界に行くとか行かないとか?)がなかったとしても、そういった選手を支えるトレーナーや何かにはなれるでしょう。
子供たちは・・・・人は何かの分野で貢献できる「才能」を持っていると思う。その才能を花開かせないままに終わらせるのは、その人(子供)にとっても義務を怠っていると思うし、そうさせているのであればそういった権利を訴えてほしいようにも思う。
それに今・・・良い教育体制になれば、「自分に対する誇りや夢、そして他人に対する尊敬」というものをもてる教育制度になれば、20年後日本は飛び立てるのではないだろうか?
そう思ってやみません。 夢や希望をもって目を輝かせながら一人一人が生きていくような社会。先の不安などではなく(この後の社会福祉の話ですね)、将来の夢に向かって進む社会にしたいと・・・・。
だからこそ、日本の国益のためにも、すべての人の幸福のためにも、一人一人の幸福のためにも「教育」は投資されなくてはならないと思うのです。
社会福祉も同様です。
病気や老後、そういったものに対して怯えなくてはならないのではなくて…互いに支え合えるような体制にしたいと思うのです。お金がたとえかかろうとも。
僕は伝えるのが下手なので、伝えきれるかどうかはわかりませんが「思い」を書きあげます。
社会福祉というものが・・・今のままであれば将来の日本はどうなるでしょうか? 将来は「親の介護」や「病人の介護」のために「人口減少」のために働き手が減っている中、さらに働く人間が減るのではないでしょうか?
それとも親や病人を捨てて、自分の将来のために働き続けるのでしょうか?
どちらにしても「まっとうな社会」とは言えないのではないでしょうか?
将来の病気の時に「自分はどうなるのかわからない」という不安ではなくて、お互いが助け合えるようなそんな状況にしておきたいのです。 病気や親の介護のために「貯蓄」をしなくてはならない…となれば、当然ながら「消費」は減るでしょう。
自分の生活に対して使うお金も減るのではないでしょうか?
国民が老後や病気の時に不安なく過ごせる社会。
それは日本の将来・・・・「経済」的にも「社会」的にも重要なのではないでしょうか?
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想像してみてください。
「将来の不安に備えて、備蓄のみを行っている社会」
「将来の不安に備える」
「国は頼りにならないから、すべて自分で備えなくてはならない」
それが一人一人の「生きる」目的になってしまうのでは、「多くの人のため」に働くことができる人が少なくなってしまう。
そんな気がしてならないのです。
僕は「社会福祉」を多くの人が考え、それに「お互いが助け合う体制」という名目で…消費税などが増税されたとしても・・・・そのためだけに使うのであればよいのではないかと思っています。
そのためだけになっていない。不透明な税金の使われ方・・・そんな状況だから、増税に反対の人が多いだけで、社会福祉の拡充や教育のための増税であれば僕は構わないと思っています。
患者さんを診るにあたっても「なぜ」かというのが重要になってきます。
今の「日本」という患者を診るにあたって、どういった問題があるから「どういった処置が必要」なのかということは全員が考えなくてはなりません。
人間の体は細胞で形成されています。細胞は体の中の変化に合わせて一つ一つが「協調性」を持って恐ろしいほど緻密にバランスを整えています。
日本という患者さんを構成する細胞(国民ひとりひとり)がきちんとバランスを持って「生きていく」ためにも、情報を交換して個々の幸せと全体の幸せを追求していけるようにしていければよいですね。
社会福祉を追求していくと、個の幸せと全体の幸せというものをある程度共通の目的として追求できると思います。そしてそこから先は多くの人が個々の幸せを追求して、お互い助け合って発展していければよいと思います。
協力と競争
僕が学生時代思っていたことですが、まずは全員が合格するための協力を・・・・そして一人一人がより良い成績を上げるために競争をしなくてはならない。
協力だけでは発展しない。しかし競争だけでは、全体がばらばらになる。
それゆえに協調があってはじめて競争を作ることができる。
そんな風に考えています。
さて、もう少ししたら病院に戻ります。
では、また。