さて、もうひとつ追加です
【話の肖像画】老いの現実(上)
人口が3分の2に減り、高齢者はその4割を占める-。厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が推計した50年後の日本社会である。今後、高齢化は急速に進んでいく。そのなかで
無駄な延命治療をやめ、自然に任せる高齢者医療が注目されている。(文・木村良一)
--医師としてのいまの仕事内容は
久坂部 15年ほど前から老人の自宅を訪問する在宅医療を続けています。
--今回の診療報酬も在宅医療に重点配分されましたが、肝心の高齢者はどうですか
久坂部
全く将来に希望が持てない状況でただ生かされている老人が多い。高齢者は喜びや快感を味わう能力が老化で衰える。音楽を聴いたり、おいしいものを食べたりという楽しみがない。趣味があっても老化で楽しみは減っていく。
--たいへんです
久坂部
同居している家族には、介護という負担が押し付けられる。自分の親なんだけども子供は負担という現実の方が大きい。
--ここでの高齢者は何歳ぐらいをイメージしていますか
久坂部 70歳代までは自立できるから80歳以降です。
80歳を超えると、認知症や脳梗塞などさまざまな老化現象が出てきてそれが周囲の大きな負担になる。高齢者の方も、世話になることに心苦しさを感じる。私の患者さんもその世代が多いけど、楽しく老いている高齢者は少ない
--老化はつらい?
久坂部 病気にならなくとも足が衰えて転ぶ。物忘れが多くなる。思い通りにならない苦しさがある。老後は孫に囲まれ、ひ孫が生まれて…というイメージがある。老いると何か良いことがあるように思う。しかし現実は違う。
老化の過酷さを甘くみている。だから
実際に自分が年を取ると、イメージと現実とのギャップが大きくて失望する。老いに期待してはならない。
--楽しく老いている高齢者はいますか
久坂部 それは
家族との人間関係が良い老人です。訪問診療をしながらそんな老人の家族に聞くと、「子供のときにとても世話になった」という答えが返ってくる。好かれているんですね。老いてから良い時間を過ごそうと思えば、大事なのは若いときです。
--お子さんは
久坂部 3人ですが、2人は社会人で一番下も今年、社会人になる。
--子育ては終了ですね
久坂部 はい。私が長生きした場合、子供たちがどんなふうに私の世話をするのか。自分のまいた種の結果が出る。現在、私自身も80歳代の両親の介護をしていますが、やはり親に対する感謝の気持ちが支えになっています。
--ところで高齢者医療の問題は
久坂部
いままでの医療は死なせないようにするものだった。しかし医療が進んでくると、良くない状況が出てきてしまった。
--どういうことですか
久坂部 たとえば胃に穴を開けて管で栄養を送る胃ろうや気管切開で装着する人工呼吸器などもいまは在宅医療で可能です。
しかしそうした延命治療が、意識がなく、無反応で何の感情も示さない終末期の老人にとって良いのか、悪いのかが問題になっている。
--
日本老年医学会は最近、胃ろうや人工呼吸器の中止を認めました 久坂部 はい。
延命の状態が何年も続くと、看護する家族が経済的にも肉体的にも疲れ果ててしまうという問題もある。
--なるほど
久坂部 私は家族の喜びや安心のためにあるのが医療だと思っている。しかし在宅医療の現場で自分が行っている治療が無駄な負担を多くしているのではないかと疑問を持っている。
【プロフィル】久坂部羊
くさかべ・よう 医師。作家。大阪人間科学大特任教授。本名は久家義之。昭和30年7月3日生まれ、56歳。大阪大医学部卒業後、病院勤務を経て外務医務官となる。平成9年に外務省を辞め、高齢者医療に従事する。小説には『廃用身』『破裂』『無痛』(いずれもベストセラー)のほか、今月出版された『第五番』がある。
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恐らく、まだ続きがあると思うのですが、皆様はどう思いましたでしょうか。
無理やり生かそうとする医療というのをやっている医師は…多分一部だと思うけどなぁ。
僕は正直、生きたいけどこれ以上は生きることが難しい・・。どうにかしてある程度「患者の自由」を保ちながら延命することを狙うのが基本だと思っています。延命治療というのは「患者」と「患者の家族」「友人」が共有できる時間を作ることだと思っています。
だから「自分の意識がない」患者の延命治療というのは基本的に行いません。
ただ、こんなことはありました。僕がたまたま当直中で、夜中の一時ころに看護師さんから起こされました。
「○○さんの様子がおかしいんです」
病室に行くと心肺停止状態でしたので、蘇生行為を行い心拍は再開しましたが、自発呼吸はありませんでした。悪性腫瘍の治療中であり、その前の日に敗血症性ショックになった患者でした。これ以上の処置(自分で呼吸をしていないので、人工呼吸器を使用しないといけません)を行うことが患者のためになるとは思わなかったのですが、患者さんの家族と話をしても、突然すぎて受け入れられませんでした。
僕はちなみにはっきりと「呼吸を自分でしていない状態であり、今は医師が手で補助している状態。心肺停止になったのは敗血症性ショックに今朝なってしまったこと、もともと心臓が悪かったことの2つが原因で生じたものと思います。今のまま回復する可能性は低く、原疾患(悪性疾患、敗血症)の治療も難しい。これ以上の処置(挿管、人工呼吸管理)は本人がつらいだけかもしれない。ただ、実施することはできますがどうしますか?」と言いました。医療従事者側は「処置」はできます。ただ、決定するのは患者さんサイドです。患者さんや家族の意志を聞くことなく治療をするというのは救急の際くらいでしょうか・・・。
僕の直接の受け持ちではなかったので、家族と話したのはこの時が最初でした。
最初は
「お願いします。人工呼吸でもなんでもいいから、少しでも長く生きさせてください」
とおっしゃられました。おそらくご本人のメリットはなかったと思います。しかし、ご家族には必要な時間だったのだと思います。
数日後、患者さんが亡くなられたとき、ご家族は涙を流しながらお礼を言ってくださいました。
「この数日間がなかったら、私たちは気持ちの整理がつけられませんでした」と。
だから、すべての延命が無駄だとは思いません。ただ、誰も望んでいない治療であればやる必要はないと思います。それは医師が医師として、患者さんや家族のために尽くすポジションであれば当然だと思います。医師の自己満足ではなく、患者さんや家族、友人が満足した時間を過ごせること。
全ての職業は何らかの形で「人生」という時間を「快適」に過ごしたり、使用する時間を減らすことで「有効」な時間を作ったりするのだと思います。医療従事者、特に医師はその知識、技能で患者さんや家族が「有意義」に過ごせる「時間そのもの」を作るのだと思っています。
だから、求められていない…有意義に過ごせない時間を作るのは、医師の自己満足にすぎないのだと僕は思います。
しかし、この記事に書かれているように80歳を越えたら満足に動けなくなる、認知症にもなりやすい・・・だからということもないと思います。患者自身が「生きよう」と思い、生きたうえで何かをしよう、何かを残そうと思うのであれば、家族の誰かが生きていてほしいと思うならば治療を行うべきだと思います。
もしかすると、久坂部羊氏の書かれている患者層が極端なのかもしれません。親に生きてほしくない子供、そういった家庭を対象にすると不幸な気がします。そうでなければ…僕の知っている高齢の患者はみんな楽しそうでしたよ。
僕の外来の最高齢(94歳だったかな)は、僕が大学からいなくなるとき・・・涙を浮かべながら、人の手を握り・・・指をつかんで、両手で
「えいっ」
って、ひねりましたからねw
「お母さん、駄目でしょう」
と、付き添っていた娘さん…といっても60~70代くらいか?がおっしゃっていましたが
けらけら笑い始めましたよ、おばあさん…(汗。一瞬、嫌われているのかと思いましたが、ずっと手を離されませんでしたので・・たぶん好かれているのだと・・・・。
何の話だったか・・・。
要するに高齢者でも、大きな病気を抱えていても、元気な人は元気・・・ということでしょうか。1日に何回かでも笑うことがあるなら…って思うこともあるし、これ以上は十分だと思うなら、そう書いておけばよい。ただ、誰かが求めているから、医師は治療をするのであって「医師の自己満足」や「治療をして金銭を得る」という感覚で、医療をする人間は少ないのではないかと思っています。いや、そう思いたいですね。