まだまだ夏日のある関西ですが、
京都をのんびり散策してきました~♪
夫と、はまって見ている、大河ドラマ「八重の桜」
私の大好きな赤レンガ建築が外国の街並みのように建ち並ぶ
同志社大学、同志社女子大学が、どのように、出来上がってきたのか、
かなり興味があって、見始めたのですが、
近代京都は、会津の人達あっての京都なんだな~
そして、キリスト教の同志社も最初は大変な忍耐が必要だったのだと、
でも、後世に名を残している方たちは、
やはり、ものすごい努力と忍耐と、凡人ではない物事の見方をするのだな~と
八重や襄、そして2人を取り巻く人達の生き方も
とても、興味深く見ています。
先日は、新島襄と八重の新居、そして、また同志社へ出かけようと考え、
京都へ行ってきました♪
1878年(M11)に建てられた新島邸。
家の設計は、同志社大学に教師として来ていた宣教師の助言をもとに、
京都の大工が建てたそうです。
キッチンが、すごい!
この時代、台所は薄暗い土間にかまどがあり、
洗い物などは、外の井戸、でしたが、
襄が八重のために、すべて板張りの室内に、窓も大きく明るく、
かまどと、流し台と、そして画像には入っていませんが、
右側に井戸まで、それも八重の身長に合わせて作られていました
元祖システムキッチンですね!
また室内には、暖炉があり、そこからダクトを伸ばし、
セントラルヒーティングの設備が整えられていました。
襄の死後、八重が作った茶室。
襄の書斎。
2階は見学不可でした。
階段の下も、上手に収納スペースとして活用していたのですね。
御所のすぐ隣りの、この新島邸で、同志社大学は発祥し、
そして、6年後の1884年(M17)、今出川通り沿いに、
京都市内最古の赤レンガ建築である、彰栄館が建設されました。
この日は、本当は、同志社大学の学食のフレンチレストランでランチを、
と考えていたのですが、なんと、この日は同志社大学の卒業式でした。
アメリカスタイルなのですね。
なので、フレンチレストランも卒業式関連で貸し切り、
校内の散策も、次回にすることにしました。
烏丸通沿いに見える、新しい同志社大学の建物、
全て、赤レンガ、明治~昭和初期の時代の校舎を
尊重した校舎が建てられています。
こんな校舎で、キャンパスライフ過ごしてみたかったな
こちらの寒梅館でランチが出来なかったので、
歩いていける、ブライトンホテルでランチをして、
それから、祇園へ向かいました♪
この日も、良く歩きました~。