近頃では、雨の降り方が、少々荒々しくなっているように感じます。
昔は、もっと、しとしと雨が多かったように思うのですが、いかがでしょう。
ここ数年、降ったり止んだりの変化がはっきりした降り方が、年中当たり前になったように感じます。
しとしと雨が、いまでは懐かしい思い出になろうとしています。
そういう雨を、茨城では「じあめ(地雨と書くのでしょうか)」と呼ぶ人もいました。
農地を深く潤す雨として、良いお湿りとして歓迎する響きがあります。
とにかく雨まで、デジタル化しているような今日この頃です。
余りにも人間がわがままなので、地球さんがご立腹だという説もあります。
そうかもしれませんね。
確かにこれからは、謙虚に、かつ楽しい生き方を工夫することが一番と感じます。
お客様、ご近所様はもちろん、地球さんにも喜んで頂けるような。
庭作りでも、激しい雨に対する準備が必要です。
今日の写真は、庭の隅に設けた涸れ池です。
大雨の際には、庭の微妙な勾配に沿って、余分な水がひとまずこちらにたまります。
そして、それが、徐々に浸透していく。
小さな遊水地になっています。
雨のときにだけ生まれる小さな池。
そういう仮の池を、にわたずみと呼ぶとか、何かの本で読んだことがあります。
こちらのお庭は、周囲の塀の関係で排水に難儀していましたが、涸れ池の配置で改善できました。
徐々に浸透した水が庭木を潤してくれるので、水道代の節約や、世の中の節電対策にも、プチ貢献が実現。
とりあえず、めでたしめでたし。
ところで、何十年に一度の大雨の際には、きっとこの池も溢れるでしょう。
多分、庭全体が10センチ程度浸水したところで、母屋の裏側に水が回り、路上に流出していくはず。
何十年に一度のことですから、それはやむなし。
何十年に一度の事態でも、あらかじめ想定してあります。
あらかじめ想定しておくことが、とても大切な今日このごろです。
その意識が大難を小難に、そして無難にしていくのだと感じます。
油断は禁物、日々、謙虚に仕事をしたいと念じております。
また、今日も話が長くなってしまいました。
お詫びに乙女のお話をします。
池の中央にただずんでいる乙女は、お施主さんのお友達の美術の先生からのプレゼントです。
とても素敵な像なので、お施主さんと盛り上がってしまい、お池の中に飾ることにしました。
何か、台座があるといいなと探していたら、庭のはずれに、古いモルタルの灯篭を発見。
このモルタルの模造品は、さすがに今時ではお庭のお荷物になりがちですが、台座としては使えそうです。
笠をひっくり返して乙女の台座に・・・。
ものにはついでというものがありますので、灯袋などの部材を組み合わせて、後方に洋風な建造物を構築。
何やら、イタリア半島が梅雨入りしたようなエリアが出現した中央に、テラコッタの乙女が鎮座。
「きっと宇宙人もびっくりしますね」と、はしゃぐMさんと私。
乙女の脇に寄り添う石は、Mさんのシャレであります。
石と語らう乙女の心は、なんとやさしく広いのでしょう。
こういうことをするのはいかがなものかと、眉をひそめられる方もいらっしゃるかもしれません。
一方で、おもろい、やれやれ、もっとやれ!と、ノリノリになる人もあるでしょう。
賛否両論あると思います。
それがまた、庭の面白さであり、世の中をゆるりとほぐす妙薬になるのかもしれない。
毎日一人ひとりができることは限られています。
でも、工夫し、相談しながら動いていけば、面白い方法も生まれるでしょう。
身の回りに、いろいろな種があると思います。
何はともあれ、あるもの生かして、お庭にも地球さんにも、もっともっと喜んで頂きたいものです。
石と語る乙女とMさんのお庭から、青葉がお伝えいたしました。
皆様、お忙しいところ、本日もご静聴ありがとうございます。
昔は、もっと、しとしと雨が多かったように思うのですが、いかがでしょう。
ここ数年、降ったり止んだりの変化がはっきりした降り方が、年中当たり前になったように感じます。
しとしと雨が、いまでは懐かしい思い出になろうとしています。
そういう雨を、茨城では「じあめ(地雨と書くのでしょうか)」と呼ぶ人もいました。
農地を深く潤す雨として、良いお湿りとして歓迎する響きがあります。
とにかく雨まで、デジタル化しているような今日この頃です。
余りにも人間がわがままなので、地球さんがご立腹だという説もあります。
そうかもしれませんね。
確かにこれからは、謙虚に、かつ楽しい生き方を工夫することが一番と感じます。
お客様、ご近所様はもちろん、地球さんにも喜んで頂けるような。
庭作りでも、激しい雨に対する準備が必要です。
今日の写真は、庭の隅に設けた涸れ池です。
大雨の際には、庭の微妙な勾配に沿って、余分な水がひとまずこちらにたまります。
そして、それが、徐々に浸透していく。
小さな遊水地になっています。
雨のときにだけ生まれる小さな池。
そういう仮の池を、にわたずみと呼ぶとか、何かの本で読んだことがあります。
こちらのお庭は、周囲の塀の関係で排水に難儀していましたが、涸れ池の配置で改善できました。
徐々に浸透した水が庭木を潤してくれるので、水道代の節約や、世の中の節電対策にも、プチ貢献が実現。
とりあえず、めでたしめでたし。
ところで、何十年に一度の大雨の際には、きっとこの池も溢れるでしょう。
多分、庭全体が10センチ程度浸水したところで、母屋の裏側に水が回り、路上に流出していくはず。
何十年に一度のことですから、それはやむなし。
何十年に一度の事態でも、あらかじめ想定してあります。
あらかじめ想定しておくことが、とても大切な今日このごろです。
その意識が大難を小難に、そして無難にしていくのだと感じます。
油断は禁物、日々、謙虚に仕事をしたいと念じております。
また、今日も話が長くなってしまいました。
お詫びに乙女のお話をします。
池の中央にただずんでいる乙女は、お施主さんのお友達の美術の先生からのプレゼントです。
とても素敵な像なので、お施主さんと盛り上がってしまい、お池の中に飾ることにしました。
何か、台座があるといいなと探していたら、庭のはずれに、古いモルタルの灯篭を発見。
このモルタルの模造品は、さすがに今時ではお庭のお荷物になりがちですが、台座としては使えそうです。
笠をひっくり返して乙女の台座に・・・。
ものにはついでというものがありますので、灯袋などの部材を組み合わせて、後方に洋風な建造物を構築。
何やら、イタリア半島が梅雨入りしたようなエリアが出現した中央に、テラコッタの乙女が鎮座。
「きっと宇宙人もびっくりしますね」と、はしゃぐMさんと私。
乙女の脇に寄り添う石は、Mさんのシャレであります。
石と語らう乙女の心は、なんとやさしく広いのでしょう。
こういうことをするのはいかがなものかと、眉をひそめられる方もいらっしゃるかもしれません。
一方で、おもろい、やれやれ、もっとやれ!と、ノリノリになる人もあるでしょう。
賛否両論あると思います。
それがまた、庭の面白さであり、世の中をゆるりとほぐす妙薬になるのかもしれない。
毎日一人ひとりができることは限られています。
でも、工夫し、相談しながら動いていけば、面白い方法も生まれるでしょう。
身の回りに、いろいろな種があると思います。
何はともあれ、あるもの生かして、お庭にも地球さんにも、もっともっと喜んで頂きたいものです。
石と語る乙女とMさんのお庭から、青葉がお伝えいたしました。
皆様、お忙しいところ、本日もご静聴ありがとうございます。
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