荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「姥ヶ橋延命地蔵尊」に出逢う。

2019年03月17日 | 散文
環七通りを走っていたら小さな祠がありました。


場所がよく分かりませんが、姥ヶ橋陸橋の傍です。


行ってみます。


延命地蔵尊らしいです。


説明板を読みます。
「この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸堀した地蔵菩薩像です。台座には『享保九年(1724)甲辰天下十一月吉日 石橋供養』の銘文が刻まれています。


向かって左側の堂内には石造の子育地蔵尊がまつられています。説明板の横には、道しるべでもある小型の文字庚申塔地蔵尊の由来碑があります。


像は『姥ヶ橋の地蔵様』と呼ばれて親しまれています。姥ヶ橋とは、稲付川に架かっていた橋の名称です。稲付川は石神井川の支流であり、根村用水とも北耕地川ともいって農業用水として利用されていました。姥ヶ橋には、誤って川に子供を落としてしまった乳母が、自ら責めを負ってこの橋から身を投げて命を落としたという伝説があります。そして地蔵尊の造立は、乳母の供養のためと伝えられていますが、銘文によれば川に架かる石橋の安全供養のためによるものです。


また、地蔵尊は、二つの道が出合う地点にあったことから、『出合地蔵』とも呼ばれています。橋のたもとは、川口への交通路としても利用された十条・板橋道と中山道から別れて王子稲荷へ向かう王子道とが合流する交通の要所だったのです。


現在は環状七号線の建設で川は暗渠となり、姥ヶ橋も姿を消しました。しかし、延命地蔵尊には参詣者の絶えることがなく、毎年八月二十四日の縁日には多くの人々で賑わいます。
平成八年三月 東京都北区教育委員会」


再度場所を確認します。
北には「赤羽スポーツの森公園競技場」等、南は十条駅へ通じる道路で、目の上には環七が走っている場所でした。





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芋坂を下ると、

2019年03月17日 | 散文
谷中霊園から南に行くと「芋坂」に行き当たります。


由来書きがあります。

「坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺へ通じていた。鉄道線路でカットされ、これに架かる橋が『芋坂跨線橋』と名付けられて、わずかにその名を残している。
坂名は伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石、田山花袋の作品にもこの芋坂の名が書かれている。
『芋坂も団子も月のゆかりかな 正岡子規』」

芋坂を振り返ります。


上野大地の南端です。
上野のお山で敗れた彰義隊がこの坂に逃げてきたそうです。


当時は無かった跨線橋を渡ります。


線路を越えます。


ホーム脇に出ました。
彰義隊はこの坂を芋のように転げ落ちてこの道に来ました。


この店の邸内に刀創甲冑を投げ捨てて、彰義隊は芋坂下の王子街道を落ちて行ったそうです。
店の新築工事で疎開していた「いも坂みち」の道標が復活しました。


正岡子規の句碑も帰って来ました。
「芋坂も団子も月のゆかりかな」


羽二重団子の新店です。


すっかり完成しているように見えますが、開店はまだです。


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東京藝術大学音楽学部を散策するー2

2019年03月17日 | 散文
赤レンガ館にやって来ました。
いつも道路から、裏側を眺めていた建物です。


教室ではないようです。
「杜の会」「同〇會」(〇の字がPCで拾えません)の文字が見えます。
日差しが暖かいです。


移動します。


教室でしょうか?


説明板がありました。


階段脇の狛犬に違和感感じつつ、藝大だからこれもありかと思います。


大学らしく自転車が置かれています。


向こうが先ほど見た、説明板にあった赤レンガ1号館です。


好い感じです。


正門脇の守衛室の裏まで戻りました。
和風古民家の趣に違和感があるけど、藝大だからこれもありかと思います。


正門から美術学部の正門を眺めます。
早春の音楽学部です。


コメント (4)
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